その1(完)
翌日の午前8時30分。 目の前のドアをノックして大きく深呼吸した。
「失礼します。 五航戦瑞鶴、本日より秘書艦として入ります!」
そう、今日から私の秘書艦生活が始まった…
始まった訳なのだが、まずここに平時ではあるが秘書艦としての一日のスケジュールを書いておきたいと思う。
午前9:00~12:00 執務室にて午後から明日午前までの艦隊の演習及び訓練、遠征及び近海哨戒への取り決めと各隊への支持。 なのだが、これについては提督以上に鎮守府設立当初から代理としても活躍していた長門、陸奥先輩を交えての提督とのがっぷり四つ状態な訳でここでの秘書艦の仕事は指令書と議事録の作成なのだが、これも当初から居る通信士兼旗艦代理の軽巡大淀が昔からの担当なので私はさらにそれの補佐、つまりは居ても居なくてもいいポジションらしい。
午後13:00~17:00 各種書類の整理。 鎮守府でのあらゆる事(例えば資材弾薬の消費や輸送による収支報告、糧食の在庫や他にも人事の転属など)は書類でまとめられる、その書類の山を一日の収支としてまとめて提督に報告する事務仕事なのだが、これについては本来秘書艦としてのまさに真骨頂、の筈なのだが…ついぞ今の今まで弓構えて艦載機飛ばしてた自分がテキパキと事務仕事など出来る筈も無く、下手すると昼食後の気だるい午後の時間に首をコックリコックリと舟を漕ぐ様にしてしまうかも知れなかったりして…
という訳でこれについても前任してた大淀が舵を取り仕切り、私はその補佐つまりは…以下略…。
何の役にも立たないのならと言って、正規空母として本来の訓練や演習に費やす事も出来ず、ここ数日は提督のお側に仕えながら大淀に注意されつつ書類との睨めっこで一日が終わってしまい、私の心はやや腐りかけていた…。
☆
「すみません、提督と私二人分トレーにお願いします!」
フタヒト:マルマル、配膳用カーゴを引っ張って私は食堂室まで来た。 十九時頃の戦場のような風景とは打って変わりこの時間になると食堂は閑散としていた。
「あら瑞鶴、残業?」
食堂の入り口、一番近いテーブルで食事を終えた翔鶴姉がお茶を啜っていた。
「うん、ようやく終わったんで今から夕飯なんだけど面倒だから提督室で一緒に済ませようって!」
翔鶴姉の向かいの席に行儀悪いが大股でどっかりと座り込み、テーブルに肘をのせて顎を手についた。
「入渠は済ませたの?」
「うん、ここに来る前に済ませてきたー」
「今、提督は?」
「えー自室でシャワー浴びてるんじゃない?」
「そう…」
そう言って翔鶴姉は湯飲みにそっと唇を近づけ傾けた。 任務や作戦が一緒でない時、翔鶴姉はその日私にあった事を聞いてくる…必要最少なことだけ尋ねて来るが決して意見はしない。 本当にただ聞くだけ…。
昔、任務の内容について愚痴を言ったこともあったが、その時も翔鶴姉はただ黙って聞くだけだった。 それで何かが解決する訳ではなかったけど言ったことで私の心はだいぶ軽くなった気がした。
常にベッタリとする訳では無く距離を置いて私を気遣う…そんな翔鶴姉が私は大好きだし尊敬もしている。 普段私が翔鶴姉と一緒に居ることが多いのはこれが理由だからだと思う。
「それにしても瑞鶴が提督と一緒に食事だなんて何だかまるでデートみたい…少し提督に嫉妬しちゃうわね!」
翔鶴姉は意地の悪そうな目と口で私を見つめ直した。
「ちょっと! そう言うの止めてよ。 そもそも好きでも何でもない男と一緒に食事だなんてコッチが困ってるのに…」
「あらっ? 瑞鶴、顔が赤くなってるわよ!」
「違うって言ってるのに、もう翔鶴姉なんて知らない!」
私は頬を膨らまし、顔を背けた。 向かえに座る翔鶴姉はと言えば可愛がってるペットにわざと意地悪をして反応を伺っているかの様な邪悪な笑みで私を見ている。
彼女はこんな意地悪を私によくしてくる、でもきっとそれは彼女の性格からの行動ではなく、きっと食堂に入ってきたとき私は余程沈んだ顔で来たのだろう。
そんな気持ちで食堂へ来た私の気を紛らわすためにわざとしているのだと思う…。
「はい夕食二人分置いておくわね! 飲み物はコーヒーでいいのよね?」
エプロン姿の重巡足柄が二人分のトレーをカーゴに乗せ私に聞いてきた。
「あっうん! 提督さん、お酒は飲めないんだって」
「そうか、体格から見て結構イケる口と思ってたんだが残念だな…」
二人分のカップとコーヒーポットを持ってきた那智は呑み仲間では無かったのを知り溜め息混じりにポットをカーゴに乗せた。
「翔鶴姉、そろそろ行くね!」
翔鶴姉とのやり取りで少し気分がまぎれていつも通りの笑顔を彼女に向けて、カーゴを引いて出口へ向かおうとすると…
「はい! いってらっしゃい」
彼女も満足気な表情で私を見送ってくれた。
「失礼します! 提督、お食事用意しましたよっと…」
ドアノブに手を置き少し開くと同時に両手をカーゴの手置きに持ち換え腰でドアを開けながらカーゴを引っ張って私は行儀悪に指令室に入った。 今にして思えば身内でもなく、ましてや上官に対しても大変失礼な態度で入ったと思うが、指令はバスタオルで髪を擦るように拭いて居たので見えてなかったのが幸いだった。
「ああ、ありがとう…」
風呂上がりの提督はスラックスとYシャツ姿で無造作にバスタオルを頭に被せゴシゴシと髪を拭いていた。
そして頭から振り落とす様にバスタオルを手で引いてまだ湿り気のある乱れた髪を手ぐしで簡単にまとめ、さわやかな笑顔を私に向けた。
「さぁ、食事にしようか!」
この瞬間私の目は彼を見て私は息を飲んだ…。 それは普段執務室で居る時の表情とは違い緊張の解けた優しそうな笑顔だったり、普段制帽からはみ出て見えるキツめのヘアワックスで固められ後ろに流しているのではなく、ほのかに香る石鹸とともに艶のある流れるようなストレートヘア、そして幼さを感じさせてしまう目に届きそうな前髪を時折邪魔そうに横へと流そうとする色白で細く長い指先や、第二ボタンまで外されたYシャツの下に覗く浮き出た鎖骨と胸板の間の肋骨。 その全ての所作と行為が私を釘付けにしてしまい、心臓はあり得ないくらい高ぶっていた。
今まで見て思った「キレイだな…」という感覚とは全く別次元のまるで雷にでも撃たれかの様に全身が痺れ、浅い呼吸が続き視線を彼から外すことが出来ない…、外してしまうともう二度と彼を見ることが出来なくなりそうな程の私の中心から沸き起こり激流の様に体中を駆け巡る彼に対するある意味背徳にも似た狂おしい程の感情…。
これが「恋する」って事なのだろうか…。
第二章 提督さん…なに?作戦? おわり