HRが終わり、教室はざわめき出す。
昨日までは、ここで誰かに付き合って時間をいたずらに捨てる毎日だったけど、今日から、この時間は読書の虫になる時間になった。
毎日毎日、よく話題が尽きないなぁ、と私はいつも感心していた。
基本的に私は聞き役に徹し、相手が共感を求めていたらそれに沿うように答える。
そんなベルトコンベアのような作業だったのが他人の世界にのめり込むが出来る幸せの時間に変化した。
活字に浸かれるそんな至福を私は手に入れたんだ。
それだけで報われた気分になる。
そもそも私は元来、人付き合いが好きではない。
特に多数な人と話すのは絶望的に嫌い。
その中で話していると自分がいなくても話がうまく回る気がしてならないから。自分がそこにいる理由もさして見つからないのにこんな気持ちを抱いてしまうなんて大層気分が悪くなる。
楽しくないだけならまだしも、不快になるのだから、本当に嫌いだ。
その点、少数の人と付き合っていくの大変都合がいい。
自分の話したいこと聞きたいことが無くても、相槌を打つことに熱心になってれば、深い仲を育むつもりさえなければそれだけで事足りるのだから。
人の社会はどうしても大多数のコミュニティが複雑に縛られて絡み合っている以上、人付き合いは将来的に要求されるだろうけど、裏方に回れる仕事をすればいい。ひっそりとのっぺりと。
そう結論づけて、机に突っ伏していた私は上半身を起こしてゆっくり背筋を伸ばし、教材を鞄にしまい込む。
そうして教室を一歩飛び出したところで、残りの時間が少ないセミのようにピクピクと痙攣している比企谷くん、その人がいる。
前方には拳を固く握り締めているあからさまに怪しい第一発見者もとい平塚先生がいらした。
......おまわりさん。十中八九この人が犯人です。
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廊下には足音しか聞こえない。和気藹々としているのが廊下というのも何故か、ヤンキー高校とかしか想像できないけど比べてしまうくらい足音しか無かった。
お互い気遣いがないのだからそれは話すことも聞くこともましてや笑顔になるような気持ちはない。
私の横には平塚先生、私の左手には通学用鞄。平塚先生の右手には比企谷君。比企谷くんは借りてきた猫のように静かでこんな理不尽にも不平不満をこぼすことはなかった。
女性に手を握られてるのが恥ずかしいのか緊張しているのかは比企谷くんのみぞ知ることだけど、私も手を握られると恥ずかしくなるのかなぁと他人事のように思う。
文化部の棟に入っても一切会話はない。でも会話をしなくても気まずくならないというのは私にとって最も良い関係だからちょうどよかった。
「やぁ、雪ノ下。彼らがゴネるので連れてきた。今日もよろしくしてやってくれ」
そう言って足早に来た道を引き換えす。
雪ノ下さんは何か言いそびれてため息をもらしている。
まず間違いなく、ノック無しだろう。
神経質だなー。でも普通といえば普通か。
「こんにちは、雪ノ下さん。今日もよろしく」
「ええ、こんにちは、九石さんと...誰かしら?」
「あの天下の雪ノ下が人の名前を覚えられないとは呆けているところがあるんだな」
「ごめんなさい。貴方のような矮小で卑屈、惨めな塵芥を覚えることが出来ない私が悪いわ。それと聞き捨てならないわね。貴方は人じゃないでしょ?比企谷くん。」
あまりに端正な笑顔が一男子に向けられている。
私が男の子なら直ぐにおとされることまったなしかな。
でも綺麗すぎて敬遠するかも。
「辛辣すぎるだろ。何なんか悪いことしたっけ。俺は親の仇なの?つーか名前覚えてんじゃねーか。」
「あら、冗談よ、聞き流しててちょうだい」
これを観察してなんになるのだろう。そう思ったので無視して本を読むことにする。
私が手を出す理由なんてどこにもないから、これからも続く会話にも耳を傾ける気はない。ここで口を出していたらいつもとやってることと同じ。
読書を始めようとしたら、弱いノックが数回、ドアを叩く。
沈黙がようやく生まれる。それも直ぐ消え去る。
「失礼しまーす。ここは奉仕部であってますかー。」
「えーと失礼します。平塚先生に言われて、あのー」
2人の来訪者、1人は低身長の男子と同じくらいの上背で髪は綺麗な黒髪、サイドを編んでいて制服はキチンと着ているのに対し、もう1人は髪は茶髪、頭にはお団子。明らかに着崩された制服。胸元のアクセサリーと諸々合わせて校則違反のオンパレード。
なんにせよ、どちらも美人さんだ。
「ここが奉仕部よ、白河涼子さん、それと依頼かしら?由比ヶ浜結衣さん」
へぇー私のこと知ってるんだ、と嬉し驚きをするなんとか浜さん。
となりの白河さんは笑みを絶やさない。
なぜずっと笑っているのだろう。あまり良い印象はうけない。
「あー!ヒッキーがなんでここにいるの?」
ヒッキー?、ああ、比企谷くんのことか。彼に合いそうなニックネームだね。
「それから九石さんも」
ん?私のことも知っているの?
「私のことも知ってるの?名前を覚えてるなんて不思議なこともあるもんだね」
「えっ!同じクラスじゃん!もしかして九石さん、私のこと知らなかったの!?」
あちゃー比企谷くんパターンか。同じクラスなのにまだ名前も覚えてないどころかいたのかいなかったのかという存在さえ知らない最悪なケース。
そろそろちゃんと人の名前は覚えた方がいいらしい。知らなくてもなんとかなるからと高を括っていたのが仇になるとは...
ここ一週間の中で一番の衝撃を受けた気がする。
そうこうして、自分の殻にこもっているといつの間にか比企谷くんと由比ヶ浜さんが言い争っている。
ビッチだのボッチだの悪意むき出しの言葉を互いにぶつけ合っている様は醜いというより、和やかとしていてなぜこうなっているのか意味がわからない。
「由比ヶ浜さん、それと白河さん、そろそろ依頼内容を」
雪ノ下さんが雑言の中に割り込む。
「あっ!そうだった。私たちね、実はクッキーを作りたいの」
白河さんはそう言うと、刻々と今回の依頼を語りだした。
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「というわけで!」
「結衣ちゃんが贈り物をしたいとのことでね、私が手伝ってたんだけど...まぁー、凄いのなんのって感じだから私なんかじゃあまりにも無理だぁーってことです。さすがに出来ないからってほおっておくこともできなくてぇ」
「それで奉仕部に白羽の矢が建てられたのかしら?」
「そーいうことです。お願いしてもいいかな?」
結衣ちゃんは。お願いしますと、頭を下げる。
しかし、この家事万能親孝行娘っぼい人が赤旗を上げるほどとはたしていかほどのものなんだろう?
それにクッキーでしょ?あれは確かに料理を始めたばかりならわからなくはないけど、それだってお菓子作りの本があればそうそうなことには??
「分かったわ、その依頼を受諾するわ」
雪ノ下さんの一声で全てが決まった。
ちなみになぜか比企谷くんは人数分の飲み物を買いにいかされている。
はたして何かあったのだろうか?
雪ノ下さん一行と家庭科室に向かい、クッキーを作っている。
私もなんとなくクッキーが食べたくなったので作ろうとしたら
「不本意ながら貴方はそこで見ていてちょうだい」
雪ノ下さんに遮られる。続けて
「平塚先生に執拗に念押しされているの。恨むなら平塚先生を恨んでちょうだい」
勘違いされてよかったのか悪かったのかは見当がつかないけど、
クッキーを食べられないのは少しばかりのショックだ。
仕方ないので家庭科室の料理本を見ることにした。
和洋折衷料理の数々が載っていてとても美味しそうだ。
私は料理がそこまで上手じゃない。たまに晩御飯を作る程度なので簡単な料理は作れるけれど。
両面にはパエリアのレシピ。
私には作れなそうだ。今度、お母さんに頼んでみよう。
「九石さん」
「はい?どうかした?」
「クッキー、食べてもいいわよ」
紙皿の上にはクッキー。
「もらっていいなら貰うね。ありがとう。クッキー食べたいと思ってたから」
「えぇ、召し上がれ」
そう言って翻す。
見るからによく出来てるこのクッキーは間違いなく美味しいだろう。
「一口食べたら止まらない、か」
程よく甘くて、しっとりとしている。口の中はざらつかず、水分をひったくられた気もしない。
本当によく出来てる。
料理本を元の棚に戻して、私は一つ、また一つとクッキーを口にしながら三人のお菓子作りの雲行きを見ることにした。
私はそれを失くして忘れて