さとりとお燐がほのぼのする話。

多分10分程度で読める分量です。

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地霊殿で静かに暮らしていた古明地さとりは旧都で観測された組織的な動きに警戒心を持つ。さとりと同じくその動きに危機感を抱いた八雲紫は地霊殿を訪れるのだが――

ハートフルボッコ覚サスペンス、さとりと紫が遂に……。


動き

 キィ……―― キィ……――

 ロッキングチェアがゆったりとした動作で揺れる音だけが部屋に響く。扉や窓は開いておらず、風が吹き込んでいるわけでもない。

 ロッキングチェアには一人の少女が座っていた。少女は静かに椅子を揺らしながら読書に耽る。

 窓や扉に鍵は掛かっていない。不用心のようにも見えるが、見えるだけだ。そもそも、この屋敷に忍び込もうとする者などここにはいないのだ。

 

「……。」

 

 少女は読み終わった本を机に置くと、そっと椅子から立ち上がる。その反動で椅子の揺れの周期が早くなったが、やがて動きを止めた。

 少女はペタペタと部屋を歩き、扉に手を掛ける。そしてそのままそっと扉を開けた。

 

「あ、さとりさま。お出かけですか?」

 

「……お空、私が部屋を出たからって、別に何処かに出かけるということにはならないのよ。」

 

 さとりはお空の頭をポンポンと撫でると、ペタペタと廊下を歩いていく。お空は不思議そうに首を傾げたあと、何事もなかったかのようにさとりとは反対方向に廊下を歩きだした。

 

「お燐。……いないのかしら。」

 

 さとりは小さい声でお燐の名前を呼ぶと、早々に諦めて廊下を歩きだす。そしてそのまま書斎へと消えていった。

 

 

 

 

「さとり様、さとり様? いないのかな?」

 

 お燐は自分の主人を探して廊下を歩く。手には何通もの手紙の束を抱えていた。

 

「あ、お空。さとり様見なかった?」

 

「きょうはまだ見てないよ。」

 

 今日はということはまだ書斎か、とお燐は大体の当たりをつける。お燐は踵を返して書斎へと向かった。

 

 

 

 

「入りなさい。」

 

 お燐が書斎の前に辿り着いた瞬間、扉の奥からさとりの声が聞こえてきた。

 

「失礼しまーす。」

 

 お燐は慣れた様子で書斎の中に入っていく。そして書類を製作しているさとりの横に手紙の束を置いた。

 

「失礼しましたー。」

 

 お燐は用は済んだとばかりに書斎を出ていく。さとりはお燐が部屋を出たことを確認すると、ゆったりとした動作で手紙の宛名を確認していく。その殆どが地獄からの事務的なものだったが、さとりはその手紙の束から興味深いものを見つける。それは幻想郷の管理者、八雲紫からの手紙だった。

 

「……。」

 

 さとりはその手紙を慎重につまみ上げると、灰皿の上に置く。そしてその上に火のついたマッチを落とした。さとりは手紙がじわりじわりと燃えていく様をじっと見つめた。

 

「……。」

 

 手紙が燃え尽きると同時に興味も尽きたのか、さとりは他の手紙に手を伸ばす。それと同時に既に葉が詰められたパイプに火をつけた。

 

 

 

 

 

「さとりさまー。」

 

 お空はさとりの名前を呼びながら廊下を駆け回る。そのままさとりのいる書斎の前を通り過ぎたが、さとりがお空に声を掛けることはなかった。

 

「……お空は一体何の用事だったんです?」

 

 さとりと共に書斎にいたお燐は、さとりが返事をしなかったことが気になり、そう問いかける。さとりはそっとペンを置き、お燐のほうに顔を向けた。

 

「キッチンの蛇口から水が滴っていたそうよ。」

 

「なるほど。」

 

 お燐はそれを聞いて納得する。もっとも、お空の用事に関して納得したわけではない。さとりがお空に対し返事をしなかった理由について納得したのだ。

 

「さとりさまー。」

 

「ここよ。」

 

 数分後、再度お空が書斎の前を通り過ぎる。それに対してさとりは今度こそ返事をした。

 

「あ、さとりさま。」

 

 お空はろくにノックもせずに扉を開け、書斎の中に入ってくる。それと同時にさとりは書類とペンを片付け、椅子から立ち上がった。

 

「お燐、客間にお茶を用意して頂戴。二人分でいいわ。お空、お客様を丁重に案内できるわよね?」

 

「できる。」

 

 お空は任せろと言わんばかりに制御棒で自分の胸を叩くと、玄関ホールのほうへ駆けていく。

 

「お客様ですか?」

 

 お燐はちらりとさとりの顔を見る。別にお燐はさとりの顔色を窺ったわけではないが、いつもと何一つ変わらないさとりの顔に、お燐は安堵していた。

 

「ええ。砂糖とミルクの用意はいらないわよ。」

 

「あ、緑茶ですね。」

 

 お燐はぺこりと頭を下げると書斎を出ていく。さとりは鏡の前で身だしなみを確認し、そのまま客間へと向かった。

 

 

 

 

 

 客間には二人の妖怪がいる。この地霊殿の主である古明地さとりと、幻想郷の管理者の八雲紫だ。紫はティーカップに入った緑色の液体を不思議そうに見る。緑色の液体はほんのりと湯気を立てており、見るからに怪しい。

 

「どうぞ遠慮なく。」

 

 さとりは自分のティーカップを手に取り、静かに傾ける。その仕草は一見その中身を飲んでいるようだったが、まったく喉が動いていないところを見るに、実際には飲んでいないのだろう。

 

「いえ、お構いなく。」

 

 紫は扇子で口元を隠すと、一気にパチンと扇子を閉じる。その瞬間、ティーカップの中に入っていた液体の色が緑から赤に変わった。

 

「そういえば、手紙は読んで頂けたかしら。」

 

 紫は全て知っているぞと言わんばかりの表情でさとりに問う。それに対しさとりは全く表情を動かさずにその問いに答えた。

 

「大変興味深い内容でした。なんでも外では桜が満開だとか。」

 

「そんなことを書いた覚えはないのだけど。」

 

 さとりはきょとんと首を傾げる。もっとも、表情は先ほどと全く変わっていないが。

 

「……最近、地底のほうで不穏な動きが確認されたから、わざわざこうして地の底まで足を運んだのよ。何か知っているんじゃないかと思って。」

 

「そんな動きは知らないですから、今すぐ帰ってくださいませんか?」

 

 いけしゃあしゃあとそんなことを言ってのけるさとりに、紫は露骨に眉を顰める。そして静かに目をつむり、手の中で扇子を弄り始める。

 

「私もそんなに暇じゃないのよ。」

 

 最終通告だと言わんばかりの声色で、紫はさとりに言う。さとりは紫のそんな態度を意にも返さずにティーカップを持ち上げた。

 

「……あの子ったら、なんで緑茶をティーカップに入れたのかしらね。気になってまともに会話もできないわ。」

 

 さとりはそのまま静かにティーカップの中身を飲み始める。既に紫には興味も示していないようだった。さとりは数分、お燐の淹れたお茶を楽しむと、ふと紫に目を向ける。

 

「……あれ、まだお帰りになられていなかったのですか。忙しいようなことを言われていたので既に帰ったものかと勘違いしておりました。案外お暇なのですか? お燐、お燐。」

 

 さとりは扉のほうに目をやると、ペットの名前を呼ぶ。外で話を聞いていたのか、お燐はすぐに扉を開けて中に入ってきた。

 

「失礼します。何かご用ですか?」

 

「お客様はお茶会をご所望みたい。クッキーか何か用意してくれないかしら。」

 

 それを聞いてお燐は一瞬きょとんとする。

 

「あれ? 和菓子じゃなくてですか?」

 

「ええ、お客様は紅茶のほうがお好きなようで。」

 

 お燐はテーブルの上に置かれたティーカップの中身を見て、事情を察する。

 

「ただいまご用意致します。」

 

 そしてぺこりと頭を下げて客間を出ていった。

 

「……はぁ。貴方に聞くだけ不毛だったかしら。今回の件、私は一切妥協しないし、容赦しないわ。」

 

 紫は一言そう告げると、背中の後ろに開いたスキマの中に落ちていく。紫の姿が見えなくなった瞬間、スキマが閉じた。

 

「……。」

 

 客間に一人取り残されたさとりは静かにティーカップを傾ける。数分後、お燐がクッキーを持って客間に入ってくる頃にはティーカップは空になっていた。

 

「あれ? さとり様、お客様は……。」

 

「お帰りになられたわ。お燐、お空を呼びなさい。」

 

「え? あ、はい。わかりました。」

 

 お燐はきょとんとしつつもクッキーの盛られた皿を机に置いて客間を出ていく。また数分後、お燐が客間にお空を連れて入ってきた。

 

「さとり様、お空を連れてきました。」

 

「つれてこられました!」

 

 お燐に連れてこられたのが妙に楽しかったのか、お空のテンションが高い。

 

「お燐、お空、座りなさい。お菓子を食べましょう。」

 

「やったー! クッキー!」

 

 お空は手を挙げて喜び、さとりの横に座る。お燐は何かがおかしいと首を傾げながらも、さとりの対面に座り、クッキーを手に取った。

 

 

 

 

 

 お燐はまっすぐ廊下を歩く。そのまま書斎の前を通り過ぎた。

 

「……。」

 

 さとりは読んでいた本を閉じると書斎を出た。

 

 

 

 

 

「そこまでよ。八雲紫。」

 

 さとりは地霊殿の庭で紫と対峙していた。紫はまっすぐさとりの顔を見ている。

 

「便利な目よね。」

 

「私はこの目を便利だと思ったことは生まれてこの方一度たりともありません。」

 

「あらそう。抉り取ってあげましょうか?」

 

「それには及びません。この目は生きるのに必要なものですので。」

 

 さとりはゆっくりと紫のほうへと歩き出す。手には鈍く光る小さなペーパーナイフが握られていた。

 

「……それは一体何?」

 

 紫はちらりとさとりの持っているペーパーナイフを見る。さとりは聞こえているのかいないのか、いつもと全く変わらない表情のまま紫に近づいて行った。

 

「手に持っているそれは何かと聞いているのよ。」

 

「……。」

 

 なんの反応もなく近づいてくるさとりに、紫は最大限の警戒を向ける。だが、後ろへ下がることはできない。いや、後ろに下がるどころか、この後行うであろうさとりの攻撃を、紫としては避けるわけには行かなかった。

 正体不明の武器を持っているさとりだが、あれがもし何の変哲もないペーパーナイフだとしたら。紫はただのペーパーナイフに臆したことになってしまう。

 さとりは動くに動けない紫に胸がぶつかるほどの距離まで近づくと、紫に対しまっすぐペーパーナイフを振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本は好きだ。本は物事を考えない。本は純粋に情報だけを私に与えてくれる。私は体を少し動かしてロッキングチェアを揺らした。

 今読んでいる本は地上で話題になっているらしい推理小説だ。なんでも幻想郷の住民でも楽しめるように書かれているらしい。

 これを書いた者はかなり学のある者だろう。話の作りこみはもちろんだが、文法などの誤りもない。それに、純粋に読み物として面白かった。

 私は読み終わった小説を机の上に置くと、椅子から立ち上がる。廊下の奥からとても楽し気な思考が近づいてきた。多分ペットのお空だろう。

 私はタイミングを見計らい、書斎の扉を開けた。

 

「あ、さとりさま。お出かけですか?」

 

 お空が屈託のない笑顔で私に聞いてくる。お空には全く裏表がない。思っていることをそのまま口に出すその性格は私にとって癒しそのものだ。

 

「……お空、私が部屋を出たからって、別に何処かに出かけるということにはならないのよ。」

 

 私は極限まで表情筋を使い笑顔を作ると、お空に微笑みかける。そしてポンポンと頭を撫でた。自分の行動が妙に照れくさくなった私はそのまま廊下を歩き出す。お空は少し混乱しているようだったが、私に頭を撫でられたことを純粋に喜んでいるみたいだった。

 この流れでお燐の頭も撫でれたらよいのだが。

 

「お燐?」

 

 そう思ってお燐の名前を呼んでみるが、反応はない。多分声が届かない程度には離れた距離にいるのだろう。

 

「……いないのかしら。」

 

 私はお燐の頭を撫でることを諦めると仕事をするために書斎へと向かった。最近、地底はきな臭い。喧嘩や殺しが横行する地底だが、ここ最近組織的な動きを感じる。

 一匹狼が多いこの地底で組織的な動きというのは、何か異変の前触れなのだろうか。なんにしても、ペットを危険な目に合わせるわけには行かない。自分でも少し調べておこう。

 

 

 

 

 

 

 書斎で仕事をしていると、お燐が私の部屋の前に来た。どうやら手紙を私に渡したいらしい。

 

「入りなさい。」

 

「失礼しまーす。」

 

 声を掛ける前に声を掛けられるのに慣れているお燐は、可愛らしい声を上げて部屋に入ってきた。右手には何通か手紙を持っている。宛名は見ていないようだ。

 お燐は私の仕事の邪魔をしないように気を付けながら手紙を机の隅に置く。意識して今私が作っている書類を見ないようにしているあたり、出来たペットだ。

 

「失礼しましたー。」

 

 しまった。声を掛け損ねた。私はお燐の頭を撫でる機会を失ったことに気が付き、一気に悲しくなる。私はガックリと項垂れながら手紙の宛名を確認した。手紙の殆どが地獄から送られてきたものだ。

 多分灼熱地獄跡に関する事務的な書類だろう。私はそんな手紙の中から厄介そうなものを見つける。その手紙には八雲紫と名が書かれていた。

 私はその手紙をペットの溢した牛乳を拭いてそのまま三日放置した雑巾でも触るように慎重につまみ上げ、灰皿の上に落とす。

 ポケットからマッチを取り出すと火をつけて手紙の上に落とした。次の瞬間、部屋の中に突然思考が現れる。その思想は妙に楽しそうで、慢心と自信に満ちていた。多分、手紙の主の八雲紫が何処からか見ているのだろう。

 面白いことに、八雲紫は自分だけは思考が読まれないと思っているらしい。まったくお笑いだ。私の読心が対策程度でどうこうなるものだったら、私は今ほど皆から嫌われていないだろう。

 私は火のついた手紙を見るふりをしつつ、背後にいるのであろう紫の思考を読む。その楽しげな思考の中から、私は手紙の内容を見つけ出した。

 どうやら今日のうちに地霊殿を訪れるらしい。なんでも私と同じく地底の住民の組織な動きを面白く思っていないようだ。嫌々ながら協力してやろうかとも思ったが、次の瞬間考えを改める。

 どうやら紫は私が主犯だと思っているらしい。まったくお笑いだ。私には地底の一匹狼たちを統率するほどの力はない。そもそも、地底に私と話をするような者がいるとも思えなかった。

 まあいいか、と私は引き出しからパイプを取り出し、机の上に出してあるマッチで火をつける。これは一種の虫よけだ。勿論、背後の紫を煙で燻り出そうだなんて思ってはいない。

 だが、相手は服に匂いが付くことを嫌うはずだ。今日地霊殿にくるなら尚更である。私の吸っている葉と同じ匂いが服についていたらのぞき見していたことが私にバレてしまう。

 予想通り紫は私がパイプに火をつけた瞬間姿を消した。

 

 

 

 

 

 今現在、私は紫の襲来を待ちつつ書斎で書類仕事をしていた。私の隣にはお燐がいる。私が書類担当、お燐が癒し担当だ。私としてはお燐はそこにいるだけで十分なのだが、どうも手持ち無沙汰らしいので書類の整理をしてもらっている。

 書類仕事を進めていると、廊下の奥から楽しげな思考が走ってきた。どうやらお空が私に何か話したいことがあるらしい。キッチンの蛇口からポタポタと水滴が垂れていたようだ。

 

「さとりさまー。」

 

 私は咄嗟に返事をしようとするが、玄関のほうに紫の思考を感じ取り、声を掛けるのをやめる。このまままっすぐ走っていけば、お空は玄関に到達するはずだ。お空には少しの間紫の相手をしていてもらおう。

 

「お空は一体何の用事だったんです?」

 

 お空に対し返事をしなかった私の態度を不思議に思ったらしく、お燐がそんな問いをしてきた。私は紙の上を走らせていたペンを置くと、しっかりお燐の顔を見る。

 

「キッチンの蛇口から水が滴っていたそうよ。」

 

「なるほど。」

 

 だから声を掛けなかったんですね、とお燐は素直に納得した。やっぱりペットは純粋なほうが可愛い。私はお燐の頭を撫でようと手を伸ばそうとしたが、その瞬間にお空が廊下の奥から走ってきた。

 

「さとりさまー。」

 

 お空は私の予想通りに紫と接敵し、見事敵の足止めに成功したらしい。

 

「ここよ。」

 

 今度こそ私はお空に返事をする。

 

「あ、さとりさま。」

 

 お空は私の小さい声を逃さず聞きつけ、私のいる部屋の扉を開いた。私は書類とペンを引き出しの中に仕舞うと、椅子から立ち上がった。私も交戦準備と行こう。

 

「お燐、客間にお茶を用意して頂戴。二人分でいいわ。お空、お客様を丁重に案内できるわよね?」

 

「できる。」

 

 お空は自信たっぷりにそう返事をすると、玄関のほうへ走っていく。お燐は客間にお茶と聞いてすぐに正解にたどり着いたようだった。

 

「お客様ですか?」

 

 お燐は私の顔を見て妙に安心しているようだった。私は更に安心させようと精一杯笑顔を作る。

 

「ええ。砂糖とミルクの用意はいらないわよ。」

 

「あ、緑茶ですね。」

 

「ちょ。」

 

 お燐は私の訂正を聞くことなく書斎を出ていった。どうやら砂糖とミルクなしで緑茶を連想してしまったらしい。まあでも、紫だからいいか。

 私は書斎にある姿見で身だしなみを整えるとそのまま客間へと向かった。既にお空は紫を連れて客間に到達している。

 

 

 

 

 

 

 

 私の目の前には八雲紫が座っていた。紫はじっと机に置かれたティーカップを見ている。失礼なことに、紫はお燐の用意した緑茶に毒が入っている可能性を考えているようだ。いや、それどころではない。紫はティーカップに入った緑茶を緑茶として認識していないようだ。

 

「どうぞご遠慮なく。」

 

 折角だ。紫には精々踊ってもらおう。私はワザとらしくお茶を飲んだ振りをする。その様子を見て紫は一層この緑茶に警戒を向けたようだった。

 

「いえ、お構いなく。」

 

 紫は何を思ったか。いや、何を思ったのかはわかる。紫はこの緑茶を完全に毒物扱いし、中身をそっくりそのまま紅茶に入れ替えた。折角お燐が淹れたお茶を入れ替えるとは、なんて極悪非道な妖怪だ。この瞬間、私は紫が大嫌いになった。まあ、元から結構嫌いだが。

 

「そういえば、手紙は読んでいただけたかしら。」

 

 紫は内心勝ち誇りながら私に問いかけてくる。煙草の匂いがつくことを嫌ったわりにはその場にいたことを自白するのか。まあ、取り敢えず合わせてやるか。

 

「大変興味深い内容でした。なんでも外では桜が満開だとか。」

 

「そんなことを書いた覚えはないのだけど。」

 

 私はワザとらしくカクンと首を傾げた。紫は内心ため息をつくと、少し失望したような目で私を見る。いや、内心結構私を下に見ているようだ。実際下だが。

 

「最近地底のほうで不穏な動きが確認されたから、わざわざこうして地の底まで足を運んだのよ。何か知っているんじゃないかと思って。」

 

 お前が運んだのは足じゃなくその重そうな尻だけだろと言いそうになるのをぐっと堪えて、私は全力で紫を拒絶する。

 

「そんな動きは知らないですから、今すぐ帰ってくださいませんか?」

 

 この発言で、紫は主犯を私に断定した。全くお笑いだ。こんなチンケな妖怪に鬼や妖怪の扇動などできるわけがない。紫は目で見てわかるほど私に対し不快感を露わにする。

 

「私もそんなに暇じゃないのよ。」

 

 だからさっさと白状なさい、これが最終通告よ。紫は心の中でそう続けた。そうか、暇じゃないのか。ならさっさとお帰り願おう。一瞬そう思ったが、口にする寸前で思いとどまる。この状況は使える。そう判断したからだ。

 私はゆっくりティーカップを持ち上げ、ぼそりと独り言を呟いた。

 

「……あの子ったら、なんで緑茶をティーカップに入れたのかしらね。気になってまともに会話もできなかったわ。」

 

 私はそのあと、焦らすようにゆっくり緑茶を飲み始める。それと同時に、さとりは注意深く紫の心を読んだ。そしてお燐が客間の前を通り過ぎるタイミングを見計らって視線を上げる。

 

「……あれ、まだお帰りになられていなかったのですか。忙しいようなことを言われていたので既に帰ったものかと勘違いしておりました。案外お暇なのですか? お燐、お燐。」

 

 私は丁度扉の前を横切ったお燐に声を掛けた。お燐はまさか呼ばれることがあるとは思ってもみなかったのか、若干驚きつつも客間に入ってくる。

 

「失礼します。何かご用ですか?」

 

「お客様はお茶会をご所望みたい。クッキーか何か用意してくれないかしら。」

 

 クッキー? とお燐は一瞬混乱する。あたいが用意したのは緑茶だったような……と。

 

「あれ? 和菓子じゃなくてですか?」

 

 お燐は少し悩んだ後、素直に疑問を口にする。私はちらりと机の上のティーカップを見て告げた。

 

「ええ、お客様は紅茶のほうがお好きなようで。」

 

 お燐は首を傾げた後、紫の前に置いてあるティーカップの中身を確認した。そして少し驚く。まあ自分が淹れた緑茶がいつの間にか紅茶に変わっていたらそれは驚くだろう。そして賢いお燐は私の言葉から中身を入れ替えたのは紫であると察する。

 

「ただいまご用意致します。」

 

 妙に納得したお燐はクッキーの入った缶がどの棚にあったか記憶を探りつつ、客間を出ていく。さて、ここで重要なのは紫の心境だ。

 私の思惑通り、紫はお燐に対し若干の罪悪感と、私の冷たい態度の理由を心に抱いていた。

 

「……はぁ。貴方に聞くだけ不毛だったかしら。今回の件、私は一切妥協しないし、容赦しないわ。」

 

 案の定紫は早々に話を切り上げてこの場から逃げようとする。これで少しの間時間を稼ぐことができるだろう。紫は背後にスキマを展開すると、背中からスキマに落ちていった。

 

「……。」

 

 ふ、勝った。私は紫が完全にいなくなったことを確認すると再びお燐の淹れたお茶を楽しむ。それにしても紫も考えていたことだが、旧都で確認された動きが行き着く先でもっとも最悪と言えるのは旧都の住民が地上に侵攻することである。

 もしそうなったら主犯が誰であれ責任を取らされるのは私だ。早々に手を打たなければならないだろう。

 

「あれ? さとり様、お客様は……。」

 

 お燐がクッキーを持って部屋に入ってくる頃にはティーカップの中身は空になっていた。流石に紫が入れ替えた紅茶に手を出す気にはなれないが。

 

「お帰りになられたわ。お燐、お空を呼びなさい。」

 

「え? あ、はい。わかりました。」

 

 お燐はきょとんとしつつクッキーの盛られた皿を机に置いてお空を探しに行く。お燐は私の指示の意図が分からないらしいが、理由は簡単だ。折角お燐が用意したクッキーをもう一度片付けさせるわけにもいかない。だったらみんなで楽しく消費しようというわけだ。

 

「さとり様、お空を連れてきました。」

 

「つれられてきました!」

 

 お空はお燐に手を引っ張られてここに来たのがよほど楽しかったようだ。

 

「お燐、お空、座りなさい。お菓子を食べましょう。」

 

「やったー! クッキー!」

 

 お空は飛び跳ねるように私の横に座ると、クッキーを頬張り始める。お燐は釈然としないといった表情を浮かべているが、内心はこの状況を嬉しく思っていた。お燐は私の対面に座りクッキーをかじり始めた。

 

 

 

 

 

 簡単な調査を行い、旧都で起こっている組織的な動きの正体が分かった。結果から言うと、石桜の時期に合わせて旧都で大きな宴会が開かれるらしい。普段なら宴会が行われるにしてもこのような規模になることはない。

 では、今回何故紫が危惧するほどの大きな動きになったのか。それはひとえに主催者が地上の者だからだ。今回の宴会の主催者は霧雨魔理沙という魔法使いらしい。一度この地霊殿にも来たことがある為知らない顔ではない。

 紫としても主催が地上の者だというのは盲点だったのだろう。動きを見る限りまだ気が付いていないようだ。気が付いていないからこそ、少々まずいことになりつつある。

 紫は今回の動きの主犯を私だと思っているらしい。宴会が近づくにつれて動きが活発化してきたこともあり、そろそろ地霊殿に攻め込んでくる頃だろう。まったく厄介極まりない。

 そもそも宴会の準備を侵攻の準備と勘違いするなどよっぽどではないだろうか。まあでも今までの異変を見てもこのような勘違いはよくある。

 ……噂をすればだ。お燐が部屋の前を通り過ぎた。どうやら私に伝えたいことがあるらしいのだが、声に出すことはない。声に出さなくとも伝わると分かっているからだ。

 お燐の話では、どうやら庭に八雲紫がいるらしい。地底に法はないが不法侵入甚だしい為、対処しなくてはならないだろう。ついでに事の真相を教えてあげよう。これ以上地底に干渉されても困る。

 私は読んでいた本を閉じると書斎から庭へと移動した。

 

 

 

 

 

「そこまでよ。八雲紫。」

 

 紫は何をするでなく地霊殿の庭に佇んでいた。まるで私を待っていたかのようでもある。

 

「便利な目よね。」

 

 紫はまずは牽制と、そんな皮肉を飛ばしてくる。ただ、その手の皮肉は言われ慣れていた。

 

「私はこの目を便利だと思ったことは生まれてこの方一度たりともありません。」

 

「あらそう。抉り取ってあげましょうか。」

 

 相手はこちらに対し相当苛立ちを募らせている。言動が随分攻撃的だ。

 

「それには及びません。この目は生きるのに必要なものですので。」

 

 さて、この状況で事情を話してもまず信用などされないだろう。まずは相手の心を折る必要がある。折る必要があるのだが、八雲紫の精神がそう簡単に折れるとも思えなかった。故に、半分実力行使を行う。

 私は先ほど書斎から持ってきたペーパーナイフを握りしめ、何の構えも取らずにまっすぐ紫のほうへと歩いていく。歩調は一歩一歩微妙に変え、相手のリズムを崩す。

 

「……それは一体何?」

 

 案の定、紫は私の持っているペーパーナイフに視線を落とした。誰がどう見てもただのペーパーナイフだが、紫にはもはやこれは正体不明の何かにしか見えていない。

 

「手に持っているそれは何かと聞いているのよ。」

 

 そして何より、紫はその場から動けないのだ。大妖怪としてのプライド、攻撃力のかけらもなさそうな武器、無防備な私の歩み。これに危険を感じその場から動くというのは、ある種の恥を紫に与える。勿論、それが私の狙いだ。

 私は紫の問いに答えることなく、紫とぶつかるまでまっすぐ歩くと、手に持っていたペーパーナイフを紫の心臓めがけて振り下ろした。

 

「――ッ!!」

 

「……。硬くならないでください。冗談ですよ。」

 

 ペーパーナイフは紫の胸を貫くどころか、服にほつれ一つ残すことはしなかった。次の瞬間、紫の心が大きく揺れる。このタイミングを私は待っていたのだ。

 すかさず私は旧都で手に入れた宴会のチラシを紫の目の前に突き付ける。紫は私から数歩下がるとチラシを手に取った。

 

「第一回石桜まつり?」

 

「ええ。旧都での組織的な動きはこれが原因だったようです。」

 

 紫は上から下までチラシを読み、主催者の欄に魔法使いの名前を見つける。そして大きなため息をついた。

 

「まあ確かに、条約は妖怪の出入りを禁止するものだから、人間である彼女は対象外だけど……。少し言っておいたほうがいいかしらね。それにしても……。」

 

 なんで前回地霊殿を訪れた時に事情を説明しなかったのか、と紫は私に非難の目を向ける。私はそれに対し大きく肩を竦めた。

 

「その時点では私も把握しておりませんでした。なにせ誘われていなかったので。」

 

「ああ……。」

 

 そんな同情を向けられても困る。そもそも宴会など行きたくもない。そんなことよりもだ。

 

「それを言うなら八雲紫、貴方こそ不可侵条約違反ですよ。地上の妖怪は地底世界に干渉しないと約束したはずです。これ以上地底の問題に首を突っ込まないでいただきたい。」

 

 まあ、地底にも不可侵条約を守っていない妖怪は大勢いるが。少なくとも私は守っている。いや、破る必要がないだけか。

 

「そうね。今回は下がりましょうか。私としても攻め込んでくるなら撃退の準備をしなきゃと思っただけだし。」

 

 損したわ、と言い残し、紫は地霊殿を去っていった。なんというか、彼女は過保護なほど幻想郷を守っている。まあ自分が作った世界のため当然と言っては当然だが、世界は放っておいたほうが案外円滑に動くものなのだ。

 なんにしても、取り敢えず一件落着とまではいかないでも、事態は収拾した。宴会が成功するかどうかなどどうでもよいが、そのような催し物が開催されるのなら、私も少し協力しよう。

 私は書斎に戻ると、書きかけだった一枚の書類を取り出す。『娯楽禁止令』と書かれた書類を丸めて灰皿の上に落とすと、マッチで静かに火をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、さとり様、なんですかこれ?」

 

 お燐は原稿用紙を手に持ったまま、思ったことを口にする。さとりはあっけらかんとした態度で答えた。

 

「何って……小説よ。天狗の新聞に募集があったから一本書いてみようかと思って。」

 

 お燐はもう一度手元の原稿用紙に目を落とす。そして苦々しげな顔をさとりに向けた。

 

「え? 募集期間が終わっている? 雑誌は発行されないことになった?」

 

「はい。」

 

「ほんとに?」

 

「ええ。」

 

 さとりは無言で原稿用紙をお燐から受け取ると、封筒に入れ引き出しに仕舞った。

 

「お燐、ここ数年娯楽禁止令を出そうと思うのだけど……。」

 

「八つ当たりで娯楽禁止令出すのやめてください。アレ地上にも迷惑かかってるんですから。ほんとに八雲紫が乗り込んできますよ。」

 

「その時は私のペーパーナイフが火を噴くわ。」

 

「どんなペーパーナイフですか。」

 




 どうも、古明地さとりです。まずは最後までお読み頂けたことに感謝致します。このようなところに寄稿するのは初めてなのでいささか緊張しておりますが、楽しめて貰えたなら幸いです。――原稿用紙の最後から抜粋


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