がっこうぐらし!―Raging World― 作:Moltetra
彼は、その日からずっと1人だった。
初めは他の人を見つけて、合流するべきだと考えていた。だけど、初めて見つけた生存者は物資を強奪する人達で……既に秩序を失い野蛮人しか存在しないと判断した彼は、今まで1人で生きてきたのだ。
「あいつらも、きっと」
引き金に指を掛けてじっと待つ。ほんの少し前、彼は初めて銃を持った。廃れた銃砲店にあった鍵の掛かった頑丈な倉庫、そのパスワードを偶然探り当ててしまったのだ。
中には散弾銃とボルトアクション式のライフル。ショーケースにあったスコープを乗せて説明書通りにゼロインを合わせ、彼は今まで使ってきたのだ。メンテナンスは欠かさず、5発撃つごとに分解する。道具を持ち歩くには不便だけど、強力な武器の代償として嫌々でもやってきた。
ゲームで少しやった事しかない狙撃は滅多には当たらず苦労したが、最近はコツを掴んできて100mくらいのゾンビなら一撃だ。
「女の人がいたなぁ、捕まってるのかな……綺麗な人だし悪そうには―――」
そこで人は見掛けに寄らない、という言葉が頭を過る。ダメだ、次見たら撃とう。この世界に優しい人なんてもういない。皆狂って、自分の事しか考えなくなってしまった。もう誰も、前みたいにはなれない。
「……殺すんだ、僕しか……悪人を倒せるのは、僕しかいない」
誰もいない一室で、彼の悲壮な呟きはずたずたになった壁に吸い込まれる。もう長くは生きられない―――整備道具の殆どが占領するバッグには、それを確信させるように他には何も入っていなかった。
「なあ、雅……」
昼食の後。ハーブの図鑑を読んでいると隣でスコップを磨く胡桃が手を止め声を掛けてきた。
「あぁ?」
本を読みながら生返事をするが、どうも声の感じからただの雑談ではないと思える。仕方なくしおり代わりに胸ポケットから出した結束バンドを挟んで机に置くと、胡桃もスコップと布を足元に置いて真面目な顔を真っ直ぐ向けてきた。
「なんか、変な感じがしないか?」
「なんだ藪から棒に……」
「ここに車を停めて3時間くらい経ったけどさ、なんかずっと見られてる気がするんだ」
「ほう」
丁度それは俺も感じていた……という事はなく。胡桃は最初はともかく、昼食を作り始めた時からそわそわしていたのはわかる。しかし女がそわそわする理由なんかいくらでもある、男が踏み込むべきではない問題から聞いた途端から向く先のない矛が文字通り自分に矛先が……なんて物まで、幅広いのだ。
よって俺はそっとしておく、という選択を取った訳だが、胡桃はその“変な感じ”とやらを俺に相談してきた。それは数年でも人生の先輩である俺を見込んだのか、それとも唯一の男である俺を見込んだのか。
どんな理由でどんな俺を頼ったのかは定かではないが、胡桃は自分の肩を抱くようにして不安を表していた。
「なるほど。なら見回りにでも行くか、ここは安全だと確証が得られれば今夜も安心して眠れる……なんなら寝てる間俺が見張っていよう」
「え、別にそこまでしなくていいけどさ。見回りは賛成かな……ちょっとりーさんに話してくる」
「ああ、俺は先に外に出てるからな」
「りょーかい」
車両後部の方で物資の数量確認をしている悠里へ話をつけに行く胡桃を見送り、俺はいつもの装備を装着する。ちょっと遠出をして、何か持って帰ってくるのも悪くない。
久し振りに酒でも飲みたいが……ウイスキーなんて置いてある家庭は少ないんだよな。消毒にも使えて便利だし美味いしの一石二鳥で今時どこにもない。それに彼女達の前で酔っぱらうなど、酒癖が悪い訳ではないが避けるべきだ。
いつもの斧を携えて、首に掛けてある指輪を取り出す。
―――常に強くあれ。施しと情は捨て、血を求めよ。
そう念じて、闘志を燃やしながら外へと飛び出した。
「お待たせ、ついでに消毒用のアルコールがあったら取ってきて欲しいって言ってたから、川の向こうにまで行ってみるか?」
「そうだな……アルコールか」
「ん? どうしたんだよ悲しそうにして、泣くのか?」
無表情だと言うのによく俺の心情を察せたな。これも時間がもたらす恩恵か、と訳の分からない事を考えてさっき思った事を試しに言ってみる。
「酒かぁ、確かに映画とかでも度数の高い酒被せて消毒してたな。実際できるものなのか?」
「出来ない事はない。少なくとも40度以上は必要だな、本格的な消毒を望むなら60度以上と聞いた事があるが高すぎてもダメらしい」
「ふーん」
「でも40度程度でも菌が繁殖しないから洗い流す用途には使えるらしいぞ。40度と言うと日本酒かウイスキーだな」
「酒の事はわかんないや、興味ないし。でもやけに熱く語るなぁ、よく飲んでたのか?」
「週に一度は必ず飲んでたな。美味いんだこれが、割るよりそのままがいい」
「飲んだくれの台詞かよ」
呆れた様子で笑う胡桃だが、索敵はしっかりとこなしていた。橋を渡るだけだと言うのに、見通しのいい場所でそこまで気を使ってはこの先持たない。珍しく俺よりも気を使う彼女をカバーする為に、俺自身もいつもより慎重に進む。
橋は河川敷の分も含めたかなりの長さだった。片側1車線ではあるが、両側に歩道が設けられ車道とはしっかりとした柵で別けられている。ハンドル操作を誤っても乗り越えでもしない限りこちら側にはこない……そんな安心感を感じさせる重厚な柵の裏までも目を通している胡桃には頭が下がる思いだ。
「どうだ? まだ見られてる感じはするか?」
「うーん、前より強い?」
「近付いている……? 直感も馬鹿にできないからな、目の前が隠れやすい地域なら尚更だ」
さっきよりも近付いてわかったが、この住宅街はかなりの広さがある。川沿いというのは立地的にどうなのか、と疑いたくなるが……遠くない位置に体育館と図書館も……なんだか頭が痛くなってきたな、というか図書館なんてものあったか? まあ地図か何かで見たんだろう。
ずきずきと痛む頭を振って、ばちばちと火花の散り始めた視界をリセットする。何かあったか? 最近日記も付けてないから記憶が曖昧になっても原因が分からないな。
「なあ胡桃、図書館って行った事あったか?」
「はぁ? 何言ってんだお前」
まるで頭のおかしい人間を見るような目で振り返るが、すぐに悪い事をしたような顔になって歩くのもやめてしまう。
「……雅さ、一昨日何してたか覚えてる?」
「模擬戦で痛い目に遭ったくらいか」
「じゃあ、先週は?」
「……先週? さあ、物覚え悪くてな」
「そ……っか。図書館なんて行ってないよ、大体行ってどうするんだよ」
妙に優しい顔をして答える胡桃に、俺は少し不信感を抱く。なんだ、この違和感は? 瞳を見ても、感じるのは憐みと悲壮。何かしら胡桃にとって辛い事があったのは間違いない。それを俺が気付けなかった? そんな事が……常に全員に目を光らせているのに気付かない訳が―――
「もしかして模擬戦の衝撃で記憶が飛んじまったのか?」
「じゃあなんで模擬戦は覚えてるんだろう、その前に悠里がおかしくなって……」
「止めよう、その事は思い出したくない。……嫌な事が起き過ぎた」
「そうか」
とにもかくにも、本人が嫌がってるなら無理して聞き出す事はしたくない。立ち止まったままの胡桃を追い越して、ついてくるのか心配になって後ろを振り返る。
胡桃は……泣いている気がした。実際涙を流した瞬間を見た訳じゃない、ただ目を擦っただけだ。目が赤くなってもなければ嗚咽が聞こえた訳でもない。ただなんとなく、その動作が泣いていたのだと……思い込んだだけだ。
「胡桃」
「うん、行こうか。りーさん達待ってるしな」
「……あまり溜め込むなよ。そういうのをぶつける相手でもあるんだからな、俺は。お前が壊れたら、きっと皆悲しむ」
「うん」
―――無理だよ。あたしが頑張らなきゃ、皆を支えなきゃ。気付いてないんだろうけど、お前も限界なんだ。忘れているのもそうだ、覚えていれば自分を保てないからだろ?
だからあたしが……あたしがしっかりしなきゃな。頼りない兄貴分の為にも。
……何故だろうか。平気そうに振る舞ってはいるが、胡桃の瞳は暗い。でも全てを諦めているのではなく、暗さの中にも一抹の光がある。でもそれも、容易く消えてしまいそうだ。
「気張るなよ、胡桃」
それだけ言って、俺は前衛を交代した。目的地はない……ただ目の前にある住宅街を漁って、消毒液を手に入れられればそれでいい。でも、消毒液なんてものが使用期限の間に合う物が丁度あるんだろうか?
他の薬ならまだしも、あまり怪我をしない家庭なら滅多に使わない物ナンバー1の消毒液である。大抵使った時に使用期限が切れているか判断するし、切れていても気にしないのが我が家でもあった。
まあそれなら度の高い酒でいいだろう。以前なら水道水でも塩素があるし十分だが、今は貴重だ。こういう時こそ、サバイバル知識が活かされるというものである。
橋を渡り、住宅街へと到達すると俺達は一件ずつ確認していく。人の痕跡、鍵は掛けてあるか。開いているかどうかは半々で、一度閉じている家をこじ開けてみると中は壮絶な状態だった。
それ以降、鍵の閉まっている家はあまり調べていない。俺なら構わず調べて回るが、胡桃が良い顔をしないからだ。
「ん?」
「なんだ」
17件目の家が空振りに終わり、俺達は流石に諦めかけていた。その時、胡桃が少し離れた場所にある家を見て首を傾げる。
「何か今人がいたような……」
「ああ、いてもおかしくないな。どこの家だ」
「ほら、あの黒い車の停まってる言えの2つ奥。2階の窓から覗いてたんだ」
「ふーん」
「大人には見えなかったな……男の子だったと思う」
「そうか」
興味なさげに駐車場に停まる車の中を覗いていると、胡桃は足早にその家へと向かっていく。
「おい、あまり関わるな。良い事なんか1つもないぞ」
「でも子供なら助けないと」
「お人好しだなぁ、子供なら尚更タチが悪いってのに」
子供特有の残酷さを知らないのか。自分勝手なのもそうだが、躾がされてなければ野良犬よりもタチが悪い。しかも言葉を話せる以上付け上がってくるしな。妹は大丈夫だったが、弟と同等かそれ以下だったら速攻首を飛ばす自信があるね。
「そこまで小っちゃくなかったから大丈夫だって!」
「成長してりゃその分力が強いんだよ、しかもこの時期まで生きてるって……嫌な勘違いでもしてたらどうするんだか」
放っておく訳にもいかず、仕方なく胡桃を追った。件の家は周りと同じ様に西洋風で、赤茶の外壁とミルクティーのような瓦のお洒落な家だった。駐車場も2台分あって庭も広い……貧乏という訳ではないらしい。ああ、余計タチが悪い。
胡桃は扉の取っ手を掴み、ゆっくりと引いて鍵が掛かっているか確認する。非常に警戒心が薄いか対人戦闘の想定が薄いのか知らないが、特に引っ掛かる素振りもなく易々と開いてしまった。
「誰かいるかー? 別に攻撃も盗みもしないから出てきてくれるとありがたいんだけどー」
「俺なら絶対出て行かない」
「うるさい」
「帰るぞ。無理矢理引き摺りだしても迷惑だ」
忠告も聞かず、ツインテの美人は呼ばれてもいないのにずかずかと入り込んで行ってしまう。あーあ、撃たれても文句言えねえな。もっとも、この国は銃刀法という面倒な法があったから安心できるが。
仕方なく俺も中へ入ってみる。至って普通……廊下には小さな絨毯に靴箱の上にはいくつか小物が置いてあったり少しお洒落なくらいか。少し荒れているが、手入れもされているようだ。
首の高さにワイヤーが張られてもいなければ見えにくい釣り糸が足元を這っている事もない。なんて平和な場所なんだろうか。
「おーい、入るぞー?」
当然返事はない。靴を脱いでスリッパに履き替える辺り図々しさが滲み出ているが、裸足と言う訳にもいかないから正しいな。
廊下への一歩を難なくクリアし、感圧板がない事が確認できる。さあ、家の中に落とし穴でもあるか? 床を抜いて尖った棒を上に向かせた古典的な物でも十分人を殺せる。そこに汚物を塗れば更に感染症がプラス、ハイリスクな罠の出来上がりだ。
後は絨毯でも敷いて置けば簡単なカモフラージュに……誰も家の中に落とし穴があるとは思わないだろうからな。
「ちょっと止まれ、髪に蜘蛛の巣が掛かってるぞ」
「え!?」
止まれと言って素直に聞いてくれるとは思えないので、背中に伸びるツインテを指さして注意を逸らす。目論見通り、胡桃はぞっとした顔でありもしない蜘蛛の巣を取ろうと立ち止まった。
その隙に持っていた斧の先端を目の前にある絨毯の上に置いてみる事にする。
「え、ないじゃん……良かった。なにしてんだ?」
「いやな、落とし穴でもあるんじゃないかと」
「ある訳ないじゃん」
ゆっくり力を弱めていくと、ずるずると絨毯があるべき床を無視して下へと落ちていく。自分でもまさかある訳ないだろと思っていたのもあり、思わず眉を寄せてこの先にいくつもあるであろう罠を考えてしまう。
「えぇ……家の中に落とし穴なんて作れるのかよ……」
「地面の上に直接床がある訳じゃないからな。絨毯を退けてくれ」
胡桃が端を持って絨毯を退かすと、大体50cmくらいの穴の中に木の板が置かれていた。そこにはこれでもかというくらいに長い釘が突き出ており、赤黒く染まっている。
外の感染者の物か、それとも誰かが踏んだ後か。どちらにしろあれが刺さればただの刺し傷にはならないな。
「これ自分が踏んじゃうと思うんだけど」
「踏まなきゃいい。位置知ってるんだからな」
「……踏むとどうなる?」
「そうだな、破傷風になって死ぬ。ゆっくりじわじわと」
遠い目をしながら答えると、胡桃はぶるっと体を震わせて大きく穴を避けようとする。
俺なら落とし穴が見破られた時用の仕掛けも用意しておくが、流石にそこまで頭が回らなかったらしく罠はなかった。
リビングに人影はなく、それどころか入った形跡もない。罠があるなら人の形跡があるのは当然だが……この階は使ってないのか? 奥にあるトイレや風呂場には人が通った形跡はあるが、単に水の貯蔵目的だろう。
なら、胡桃が人影を見た2階こそが拠点か。妥当だ、感染者は階段を苦手とする。人間を相手取るにしても侵入経路が限定された地点なら防衛もしやすい……戦力と食料が十分なら、の話だが。
だが侵入経路が少なければ逃走経路も少なくなる。その不利を覆す余程有効な戦術か武器を持つのか? こう考えさせられるだけでも十分だが、俺が考えすぎなのかもしれない。
「敵は上だな、俺が先行する」
「敵かどうかまだわかんないだろ? なんでも敵だって決め付けるなって」
「味方じゃないからな、味方と確証が持てない存在は敵だ」
斧を胡桃に持たせてナイフに持ち替えると、一段ずつ慎重に階段に足を掛けていく。一段目だけ引っこ抜いてさっきと同じ罠を置く手段もあったが、流石にそこまではやらないか。
ガタはきていないようで軋む事もなく、ようやく折り返し地点に到達する。コの字型に続く階段の中腹で、いつもの様に片目だけを覗かせて先を見た―――
そこには、見慣れない物体を持った少年が1人。胡桃の見た物は見間違いではなかったようだ……ただ彼が持っている物は見間違いであってほしい。ほんの一瞬目が合った瞬間、死を覚悟しながらも体ごと引いてその場を離れようとする。
「うわっ!? な、なんだよ!?」
「いいから戻れ! あんなの手に負えんぞ!!」
頭でどうこう考える暇もなく、俺は情けない様子で胡桃の背を押してリビングの方へ帰る。
「待てっ!」
ズドォンッ―――身も竦む轟音が背後で響いた。落とし穴の横に小さな穴が開き、耳元では空気を裂く音が鼓膜を震わせる。
「銃持ちだ! 帰るぞ胡桃、ヤツは1人で生き残れる。俺達の手なんか要らないってよ!」
「はぁ!? 銃なんてなんで……」
「んなもん知るか! ……ったく、あんな子供より俺が持った方が絶対に―――」
「愚痴言ってないでさっさと逃げろって!」
玄関までは射線が通っている。残りはリビングにある窓を破るか、あの少年を倒すしか生き残る術はない。裏口があれば手っ取り早いが……そう上手くはいかないだろう。
背後を気にしながらも台所の方へ行ってみると、幸運にも裏口がある事が確認できた。特に指示する事もなく胡桃は全力で扉に飛び付き、鍵を開け始める。
その間にも階段の方からはどたどたと追って来る足音が聞こえる。
「まだか胡桃」
「ちょ、ちょっと待って……鍵が2つあってな……?」
「お前不器用か?」
「違うって! なんでかわかんないけど開かないんだって!」
四苦八苦している様子の胡桃を押し退けて鍵を見る。一見普通の鍵だが、普通に回してみようとするとまるで何かに引っ掛かっているかのように動かない。
「……んん?」
「開かないよな?」
ならこれでどうだとツマミを押してみてもこれ以上奥にはいかない。だが多少前後の遊びがある。……なら引いて回すのか? 外から道具を差し込まれて解錠する手段があると聞いた事がある。ならそれに対する防衛法は蓋を付けるか押し引きでしか作動しない鍵だ。
試しに引いてみると、少しだけ鍵が持ち上がった。そのまま回すとすんなりと回り、解錠に成功する。
「よし、先に――」
「動くな!!」
この国じゃそうそう体験できない事象だ。銃を向けられ、「動くな」と命令されるなんて。俺はぴたりと命令通りに動きを止めると、ゆっくりと声の方向へ向き直る。
胡桃も同じように固まっているが、恐怖心からか得物も放して俺の肩に縋りついていた。
「……何者だ、お前達」
「俺の名は雅……消毒液を見つける為にこの住宅街に探索に来た。こいつはその助手みたいなものだ」
「女の子を危険な場所に連れてきたのか」
「ああ、そうだ。こいつは腕っぷしも強いし機転が利く。勿論危ない時は一番に逃がすが……生憎俺は片腕で物も多く持てなくてな」
半分以下になった右腕を上げて余った袖を垂らして見せると、少年はほんの少しだけ狼狽えた様子を見せる。だが胡桃は余裕がないのか、いつもの軽口どころか自己紹介もできずに顔を青くしている。自分の予感がこのような事態で当たるとは思っていなかったのか?
「お前さえ良ければ銃を降ろしてはくれないか、この子が怯えてる」
「……無理だ、まだお前達が悪人じゃないと保証されてない」
「そうか、当然の事だな。なら逃がしてくれる訳にもいかないと」
「……そうだ」
若干躊躇いを含んではいるが、完全に嫌がっている訳ではない。必要とあれば殺すぞ……下手な真似をすれば体のどこかに風穴が空く。胡桃は戦力外だし、そもそも銃に対抗できる武器なんて何もない。人が持てる最高の遠距離武器なんだからな。
ここは歩み寄ってでも解放されなければ……とは言っても譲歩し過ぎても怪しいからほんの少し、即答しても対策があると思われるから少し考えたフリをしなければ。
「そりゃ困ったな。ならせめてこの子を俺の後ろに回しても? いや、身体検査を受けようか。武器は勿論持っている、俺が渡そうか? それとも壁に手を付けて君に取らせた方がいいかな?」
「……じゃあこっちに来い」
「わかった。ちなみにこの子は今丸腰だ、普段人間なんて相手にさせないんでね」
ナイフを持ったまま左手を上げて、ゆっくりとリビングの方へと出て行く。
「み、雅!」
「大丈夫だ、そこに居ろ。馬鹿な真似はするな? 俺はまだ死ぬ訳にはいかない」
近くのテーブルにナイフを置くと、少年に体の正面を向けて立ち止まる。どうすればいい? と若干おどけた態度で首を傾げると、銃口を下げて俺の腹部を漁りに掛かる。
「おい、近距離用の銃は?」
「なんでそんな事―――」
「ん? どうしたんだ胡桃、なにしてるんだ?」
俺に言われた通り何もしていない胡桃に声を掛けると、少年はいとも容易く引っ掛かった。
「甘いな」
完全に下がった銃口の先端を踏んで顎に軽く拳を入れると、一瞬だけ意識が飛んで体から力が抜ける。その隙に銃をもぎ取ろうとするが引き金には指が掛けられていて暴発してしまった。足から強い衝撃が伝わってくるのも無視して、意識を取り戻した少年の額に頭突きをかます。
「がっ……お前っ!」
ボルトを引かぬまま銃口を向けるが、流石にそこまで無知じゃないらしく突っ込んで来ようとする。ある程度速度も乗っていた少年の鳩尾に腰に構えたまま銃口で突きを入れると、堪らず少年は床に突っ伏した。
「子供が銃を持つな、使い方分かってるのか? 俺も人の事言えんがな」
銃口を床に付け、ボルトを引く。空薬莢が愉悦をも感じさせる音を出して床に転がり、残りの弾があるか確認する。中にはまだ弾が入っており、覗いてみると弾頭が4つ見える……5発装填か、だとすると最初の1発は薬室に装填していたな? 危ない事をする。
うずくまっている間にボルトを戻し装填すると、距離を取って机で銃を支持して狙いを定めた。……照準はそこで呻いている少年だが、流石に子供を撃ち殺す程俺も人間止めてない……と思う。
「出てきていいぞ胡桃。武器を忘れずにな」
「……何がどうなってるんだ? これ」
「銃口管理が甘かったもんでな、ちょいと拝借した。さあ、持っている武器を全て床に置け。銃器なら銃口を誰もいない方向へ向けて引き金は触るな。触った瞬間撃ち殺す」
「お、おい……流石に子供相手に」
「武器を持てば女子供も関係ない、馬鹿な真似をすれば死んでもらう」
少年は震えながらポケットからライフルの弾を取り出し、腰に手を回すとやたらゴツい物体をゴツい音を立てて床に置く。それは銃口とストックをいかにも“無理矢理”切り落とした散弾銃で……持ってるじゃないか、近距離用の武器。初めからアレを出されてたら最初の1発で死んでたな。
「胡桃、それを持ってこい。引き金を触らず、銃口は誰にも向けるな。ついでに弾も」
「う、うん」
胡桃は恐る恐る散弾銃を持ってくると、テーブルの上に置いた。
「動くなよ? 銃を使わずとも人は殺せるからな」
ライフルのボルトを引いてテーブルに置くと、散弾銃を手に取ってブレイクオープンさせる。上下二連式……競技用か? 弾は入ってる……12ゲージか、鳥撃ちだよな? まさか00バックなんかじゃないよな? それこそスラッグなんて入ってたら失神モノだ、楽に死ねるだけマシかと言えばそうだが、やはり大口径というのは怖い。
「まず明言しておこう。俺は君を撃つ気はない、身の危険を感じればまだしも無抵抗の人間を撃つ程性根は腐っていない。……まず1つ、君の名前は?」
「……神崎、樹」
イツキ、と名乗った少年は痛みも引いたのか反抗的な目で俺を見上げていた。その瞳に屈さず、俺は散弾銃の銃口を樹に向ける。勿論引き金に指は掛けない、暴発してもいいように多少銃口も上に向けてある。
「銃はどこで手に入れた」
「近所の銃砲店、倉庫にあった」
「そうか。……そうだ、胡桃、お前の自己紹介がまだだったな。名乗っておけ」
「この状況で自己紹介させるとか……まあいいや。あたしは恵飛須沢胡桃、こいつのお守役だ」
「お守が怯えて抱き着いてくるのかねぇ」
「うっさいなー、お前も怖がってただろ!?」
「銃向けられたらそりゃ怖いよ、怖さは知ってる。……身を以て経験するとは思ってなかったがな」
漫才の様なやり取りに、樹はくすりと笑みを零した。よかった、少しは警戒心を解いてくれたか? つっても銃を向けられてたら無理な話か。……まあいい、ここはこいつの城らしいし、さっさと出て行こう。
銃口を外し、ブレイクオープンさせて弾薬を床に落とす。ライフルの方も弾が全て排出されるまでボルトを前後させると、全てテーブルの上に置いてナイフも回収した。
「それじゃ、俺達は帰らせて貰う。後は追うなよ、背中を撃つのも勘弁してくれ」
「……え?」
「何も盗る気はない。俺は
「あの……さっきから見てると、銃に慣れてませんか?」
随分柔らかくなった口調で樹が体を起こす。瞳には最早敵意は見えず、警戒心は解いているように感じる。これにこっちも気を許して隙を突かれるのも嫌だから、許しはしないがな。
「多少は慣れている、海外で撃った事もあるしな。……いいか、この銃はM700、歴史ある神聖な銃だ。間違っても真っ当な理由もなく人を殺すな」
ちょっと大袈裟に言ってやると、樹は背をぴっと張って俺の話を聞き始める。面白い奴だ、こういう奴には暴発なんかで死んで欲しくはない。今まで銃を扱ってきた以上、人よりか技量もあるんだろうし。
「銃口の管理はしっかりと、汚れたり歪んだ弾は使うな。整備もしなきゃ当たりもしないぞ」
「……わかってます、整備だけは……やってるつもりなんです」
「ほう、いい心意気だ」
「何か困ってるのか? あたし達でよければ相談に乗るからさ、言ってみろよ」
そんな見ず知らずの相手に悩みなんか言うかよ。いきなり踏み込んだ話をすると嫌われるのは世の常だぞ。
「……もう食料もありませんから。この辺はくまなく探して、全部食べちゃって、もう……」
「移動すればいいんじゃないか? 銃が使えるなら車も余裕だろう。もう免許なんて言ってる場合じゃないしな。胡桃も無免だし」
「なっ!? あたしが無免だとかは―――」
反論する胡桃の顔を押さえ付けて黙らせると、浮かない顔のまま微動だにしない樹の答えを待った。
「僕、車が怖いんです……昔事故に遭ってから、後ろの方に乗るならともかく……運転席とか助手席は」
「……なあ、雅」
胡桃の言わんとする事は容易に理解できた。目を見なくとも分かる、どうせこいつを連れて行こうとか言うんだろう。確かに銃器を扱える人員がグループに居るのは何にも代え難い戦力となる。だが銃器は誤射や暴発、弾薬にいつでも囚われる物だ。
だが例え銃器を封印したとしても……もう1人人員が増えれば勿論食料の消費スピードも増す。俺は出来る限り食べない様にはしているが……増してないと言えば嘘になる。
「……悠里や丈槍は許すだろうな。美紀も、見るからに子供のこいつを見捨てる真似はしない」
「じゃあ、賛成なのか……?」
「いかんともし難いな、寝床はどうするんだ?」
「うっ……ソファ?」
「結構キツいんだぞアレ、まあたまに外で寝てるからいいけど」
「はぁ!? 外で寝てんの!?」
「あー今のナシ。何はともあれ、俺は賛成も反対もしない。日和見と言われればそれまでだが、まずは全員の意見を聞かない事にはな」
何を言っているのかと理解していない樹を前にして、俺と胡桃は凍えの相談を終える。そしてその結果―――
「なあ、イツキ。お前……あたし達と一緒に来る気はないか?」
お人好しの胡桃は、この子を見捨てる選択は出来なかったらしい。
樹は喜んで胡桃の誘いを受けた。終始瞳を観察していたが、どこにも曇りはなく謀る気はないとわかる。だがどうかな、この年は若い力をどこに放出するかで難儀する年代だ。正確な年齢は聞いていないが、あの美人揃いの車内で正気を保っていられるか………となると、俺も十分危なっかしい。なのに全くその気が起きないと言う事は……やはり彼女達を妹判定にしているのは十分効果がある、と言う事だ。
それでも時折危なっかしい感情が沸かない、と言えば嘘になってしまう。非常に危ない、危なっかしい。しかし俺は負けない、こんな邪なる感情に支配されてはいけないのだと、日々己に言い聞かせている。
無事キャンピングカーへと辿り着くと、俺は念のため樹と共に外で待っている事になった……というか強制的にそうした。その間悠里達と簡単に相談し、改めて樹や他メンバーも交えて協議する予定となっている……というかそうさせた。
「お待たせっ!」
「早くない?」
車に戻ってから5分も経たない内に胡桃はスコップを肩に担いでニッコリと微笑んでいた。遅れていつもの格好の悠里も中から出てくると、背にM700を担いだ樹を爪先から頭より上にある銃口まで眺めて小さく頷く。
「あなたが神崎イツキ君?」
「は、はい!」
「銃を扱えるのね?」
「は、はい……」
「……そう。戦える人が増えるのはありがたいけど、あなた歳はいくつなの?」
面接かよ。内心突っ込みつつ、不穏な動きを見せた瞬間腹を掻っ捌ける位置でナイフを構える。
「16です……」
「私達より年下……雅さん、ちょっといい?」
「……ああ、構わん。胡桃、こいつは頼んだ。変な真似事をしたらすぐに呼べ、なんなら金的でもして止めていい」
「はいはい」
悠里に右袖を引かれながら、車の反対側へと移った。声を聞かれない様に、耳元で話そうとした悠里が背伸びしてくるので俺が腰を曲げて対応する。
「流石に子供に銃を使わせるのはどうかと思うんだけど……」
「俺もそう思う。実際、奴は俺に銃を奪われて形勢逆転されてるからな。まあ、このご時世道徳なんぞ無意味だが」
「でも銃を取り上げるって、あの子からしたら不安よね?」
「勿論、自分の武器が奪われるのはストレスになり得る」
「……どうしたらいいのかしら」
目を細めていつもの思案顔になる悠里に、俺は帰路の最中に考えていた案を提示した。
1、要事以外銃器は薬室に弾を込めず保管する事。2、同伴者の許可なく銃器の使用はしない事。3、要事以外銃器を持つ等の行為は原則禁止とする。4、散弾銃は雅が持つ。5、仲間に向けた瞬間敵対したと判断し即殺害する。
なんとなく考えつく物を並べただけだが、ある程度効果はあるだろう。そんな思いで悠里に伝えると、しばらく考え込んだ後大きく頷いた。
「うん、そうね。とりあえずはそれで……銃は危ないけど、奪われたと思われない様にしなきゃいけないし」
「捨てろとも言えない以上仕方ない。ある程度信頼出来たら近接武器も薦めてみよう」
「……でもなんで散弾銃は雅さんが持つの?」
当然その事については聞かれると確信していた。予め用意してあった答えを出しておくが、実の所真意は別にある。
「誤射の危険度も威力も桁違いでな、いざ敵に回すと厄介なんだよ」
「……もう敵になった時の事まで考えるのね」
「銃を持っている以上、力は俺よりも強い。その分、上下関係はしっかりしなければならないからな」
「もう、考え過ぎだとも思うけど……私達の事も考えてくれてるのよね? ありがとう♪」
眩しい笑顔に思わず顔をそむけ、俺は胡桃と樹の元へと戻ろうとする。その途中、悠里は弱々しい表情を見せながら俺の腕を掴む。
「……なんだ」
「ううん、何でもない。……私は、雅さんの事信頼してるから。それだけ、言いたかったの」
「ん? 意図が見えないな。どうした急に」
目を伏せてるおかげで感情は読めない。その瞳にどれだけの闇が覆い被さっているのか……どうにも測る事ができない。
俺の質問に答えぬまま、悠里はその場を去ってしまった。一体どんな意味があったのか、胸にかかる靄は……何故だか思考を乱す。何故? 胸に違和感があるというのに、頭が鈍るのか? そもそも、何故胸に……心なんて、脳内物質の反応で感じた信号に……いや、胸で感じ取る様にできてるのか。
頭を振って鈍った思考を持ち直すと、俺も悠里の後を追った。
神崎樹、16歳男性。性格は勇猛果敢に見えて無謀な筋在り……しかし尊敬を抱いた者には相応の対応を取る。何故だか、俺はその対象になったらしい。
要観察対象……性格や他メンバーとの交流方法を見るに目立った問題はなし、だが緊迫した状況でどのような行動をとるかは不明。要観察対象、常に見張り、感情を察するべきである。
他メンバーへのセクハラ、接触への警戒を厳とする。悠里にも協力を仰ぎ、過去の調査の許可も得られた。要観察対象、例え忘れてしまっても、この者を見張れ。
そして常に動向を書き記し、異変を察知せよ。悠里達に危害を加えさせてはならない。
新キャラとなる神崎イツキ、彼は無事仲間入りを果たします。ですが雅はそれを良く思っていないようです。
それは銃という強大な力を持っているから? それとも自分以外の男が入って来るから?
どちらにせよ、彼は警戒に警戒を重ねて彼を監視する任を任されたのもあり常に殺気を放っています。若い男とは言え隻腕で斧を持った男に見張られてはイツキ君も生きた心地がしないでしょうね。彼は悪い子ではないのですが。