がっこうぐらし!―Raging World―   作:Moltetra

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7.狂創

 ナイフを器用に手で退かして出てきたその男は、この世界でのデフォルトになりつつある無精髭と疲れた顔、痩せこけた頬を張り付けていた。

 『そこまで裕福じゃない村人』、というタイトルで保存しておけば間違いなくそんな用途で使われそうな顔だ。

 

「お前は……!」

 

「人ん家の前でうるさいねキミ達、ここはラブホじゃないんだよ? ……あぁ?」

 

 顔見知り、とは気軽に言えない仲だ。いや、仲というより……こいつは禁忌を犯した。

 

「おぉ、久し振りじゃないか少年。元気だったかい……いや失礼、とても元気そうには見えないね」

 

 右腕を美紀の方へと伸ばしている所為で本来右腕の先端まで伸びているであろう袖が途中で垂れている。それを見て、男はニヤリと笑った。

 

「……行くぞ美紀」

 

 長居は無用だ。ここがこいつの縄張りだとわかった以上選択肢は少なくない。俺1人ならまだしも、美紀や車に悠里達を残していては満足に動けない。ここは一旦離脱だ。

 

「おや? キミ怪我してるじゃないか」

 

「……何?」

 

「えっ?」

 

 男は美紀の大腿部を指さすと、確かにそこには傷があった。引き倒した時にガラス片が当たったのだろう。普段なら気にする事もない軽微な傷だが、微かに血が滲んでいるのがわかる。ここに感染者の血が入り込めば……ほぼ必ずと言っていい、感染する。

 

「戻るぞ美紀、手当は後だ」

 

「いいのかい? 女の子に怪我をさせたまま連れ歩いて? おいで、私が手当てしてあげよう」

 

「構うな美紀、他人に頼ってまで治す傷じゃない」

 

「は、はい」

 

 まだ俺の指示を聞いてくれるつもりでいる美紀はすっと寄り添ってくると、男から離れて外へ出ようとする。その瞬間、左肩に重い手が置かれた。

 

「おや、人の厚意は有り難く受け取らないと。それにキミ、私に借りがあるだろう?」

 

「そんな覚えはな―――」

 

 誘いも断って早々に立ち去ろうとした時、男は美紀の背中にナイフを突きつけていた。しかし当の美紀は気付かず、俺だけに向けられた脅迫であると察する。

 ここでこの誘いも断り出て行こうとすれば……今まで何を刺したのかもわからないナイフが美紀を傷つける。当たり所が悪ければ血管どころか内蔵までやられて、治療不可能の状態になってしまうだろう。

 

「……お言葉に甘えようか、美紀」

 

 苦渋の決断だった。苦虫を噛み潰した様な感覚とはこの事か。出来る限り顔には出さず、ゆっくりと振り返って笑顔になった男の後を付いていく。

 死臭の原因は中で枯れ果てていた女性の死体だった。もう何ヶ月もそこにあるようで、今時珍しく外傷も一切ない。服装から見ても若い女性だと判別できるが、腐敗の状況からそれがどういう顔だったか、どのような雰囲気だったのかはわからなかった。

 

「ああ、これは私と一緒に生き残っていた女性でね。半年ほど前に死んでしまったが……いい子だったよ」

 

 色々な意味が含まれた言葉に吐き気を催す。美紀も何かを察したのか、死体をあまり見ずに俺から離れない。

 

「そこに座ってくれるかな」

 

 要求通り美紀を椅子に座らせると、男は奥から救急箱を持ってきて机の上にあるライトを点ける。そこで初めて、男の詳細な風貌が見えてきた。

 服装はあの時とほぼ変わらない。白のカッターシャツに黒いジーンズ、腕時計と趣味の悪いブレスレットを着けて、美紀が座る椅子にはこいつの上着だろう……紺のジャケットが掛けられている。

 

「手当は俺がやる。どこの馬の骨かもわからん奴にこいつを触らせる訳にはいかん」

 

「腕1本で? 不便だし時間がかかると思うけどなぁ」

 

「こいつのも合わせたら3本、十分だ」

 

 救急箱を受け取ると、俺は美紀にライトで中を照らさせて中の物を確認する。ギリギリ使用期限の切れていない消毒液に、よれた包帯、減菌パック入りのガーゼに使われた形跡の無いテ-プ。そしていくつもの絆創膏。

 ナイフを右腰の鞘に納め、美紀の手当てを始めた。

 

「……はぁ、いらん。俺達が持ってる分で事足りる」

 

 そう言って美紀のバッグから小さな缶ケースを取り出すと、中から消毒液と絆創膏、俺のバッグからはラップを取り出す。

 

「悪いが、少し触れるぞ」

 

 美紀が頷いたのを確認すると、微かに血の滲む傷口に容赦なく消毒液を掛けていく。沁みるのか微かに震えた美紀だが、気にせず十分な量を掛けると乾く前にサイズの大きな絆創膏を包装から口も使って取り出し、位置を示して美紀のライトと交換する。

 美紀が綺麗に絆創膏を貼り終えてから足を浮かせてラップを巻く。蒸れるがやつらの血が入るよりかはマシだ。言わなくてもわかるのか、美紀もそれを手伝っている。

 

「……終わった、じゃあ帰ろうか」

 

 道具をバッグに押し込んで美紀の手を取り立たせると、出口へと向かおうとする。

 

「おい、待てよ」

 

 そこに案の定、不機嫌な声が投げかけられた。

 

「なんだ?」

 

「俺は治療の為安全な場所を提供してやった、何かくれてもいいんじゃないか?」

 

「安全? 安全なんて俺でも確保できる。せめて清潔な場所を用意してくれ」

 

「あぁ、確かに“これ”は不適切だった。でもこれはこれで思い出の品でね、中々手放せないんだよ」

 

 男は死体の足を蹴りながら、ニヤリと嗤う。

 

「生きてた頃は上物だった。何でも言う事を聞いて何でも出来た」

 

「そうか、良かったな。もうそれじゃ犬の餌にもならんが」

 

「本当だよ、案外重くて後回しにしてたらこれさ」

 

 不快な笑みを浮かべながら、男はナイフをチラつかせた。

 

「……ヤッてんだろ? いくらかやるから回してくれよ」

 

 予想通りの、下衆な言葉。俺は小さい溜息を吐くと、美紀を庇う様に立ちはだかる。

 

「非売品だ。それと俺もそういう関係ではなくてね……諦めてくれ」

 

「あぁ? 食えてねえのか、可哀相に。ちょっと脅せば簡単だぜ? 今なら教えてやるよ……」

 

「いらん。純愛派なんだ……車に戻れ、俺も後で合流する」

 

 美紀にレンチを持たせたまま逃がす。終始静かな美紀だったが、逃げろと言った時もあっさり逃げてくれたな。いつもの調子ならいくらかイヤミと反論が飛んでくると思ってたが。

 

「あーあ、逃がしやがって」

 

「そこの死体よりも酷い見た目してりゃそりゃ逃げるだろうよ」

 

「あぁ?」

 

「今度は俺が出て行く番だな。それじゃ精々ごゆるりと……“それ”と楽しくやってりゃいい、カッサカサでちっとも気持ちよくなさそうだけどな」

 

 1歩2歩と後退すると、奴も同じく距離を詰めてくる。もう簡単には逃げられない、前回の因縁もあるしそうだとは思ってたが……厄介な事になった。

 奴は台所で使うような果物ナイフを持っている。それ以外の武装は目立った物はない。奴が部屋の隅にあるバッグに手を掛けようとした時、一瞬視線から外れたのを見越して部屋を飛び出した。

 

 さっき俺が美紀と一悶着していた場所を突っ切り、1階が見える吹き抜けへと到達する。階段に行くには一度この階の端まで行かなければならない。

 

「チッ……高い所はごめんだってのに」

 

 一言嘆いて、俺は柵を飛び越えた。3m弱ある高さを落下し、左脚から順に着地して勢いを殺す。それでも片腕がない今威力は殺しきれず、右脚にびきっと嫌な感触が走った。

 一瞬怯んでしまうが、折角視界を切ったのにまた捕捉されると面倒だ。多少足音が出ても早さを取った方が良い。

 ガラス片を踏み割りながら、俺は従業員用駐車場のある建物の裏側へと走る。一回だけ振り向いてみると、ヤツは俺が飛び降りた地点から悔しそうな顔で俺が走り去るのを見ていた。

 

「あっ雅!」

 

「うわっ!? 来い!」

 

 前方から胡桃の声がしたと思えば、両手にそれぞれスコップと斧を持った胡桃とかち合う。返事をする前に投げ渡された斧を掴むと、そのまま引き連れて車へと走った。流石初めて会った時に俺を追い抜かした足の持ち主、そこそこのスピードで走っているのに息も切らさず追従してくる。

 

「美紀から大体は聞いた! 大丈夫だったか!?」

 

「大声を出すな、敵は少ない方が良い。もし戦闘になっても俺とお前ならなんとか―――ぐっ!?」

 

「雅!?」

 

 この角を抜ければすぐに車がある場所だった。なのに、何故か視界がぐらりと崩れる。何が起こった? それすらも考えられない。まるで首から下が……全身の感覚がなくなったみたいに吹き飛んでいる。重力に従って近くの車のボンネットに叩きつけられると、ずるりとアスファルトに落ちた。

 目を見開いたまま数秒が経ち、途端にはっきりと思考が回復した。クソッ、顎に貰ったか。この感覚、脳震盪だな? 昔散々経験した感覚は懐かしさすらも覚え、すぐに自分が攻撃を受けた位置を判別して起き上がる。

 

「ははっ! いい吹っ飛び方するじゃん」

 

 そこには俺とは違って取り押さえられている胡桃とさっきの男がいた。スコップを握ったままの胡桃だが、首にはナイフが突きつけられている。俺が軽く飛んでいる間問答してたか。

 

「お前大丈夫かよ!? 今まるで死んだみたいに……」

 

「そうだ、人は死ぬとさっきみたいに倒れる。今のは軽い脳震盪だから気にするな」

 

「脳震盪……? え、でも普通脳震盪起こしたらもっと……」

 

「慣れだ、訓練の賜物だな」

 

 胡桃を安心させる為に強がって見せるが、実際視界はぐらぐらと揺れている。気持ち悪いし立つにもやっとだしでこの後戦闘になるとしても戦力外は確実だ。

 

「へぇ」

 

 斧を地面に立て、立つ補助をする。それを見て胡桃は俺が本調子ではないと一瞬で見抜いていた。

 

「何が望みだ、変態野郎」

 

「言葉に気を付けなきゃ、この子の血でお前が汚れちまうぞ」

 

「そいつが死ぬのは避けたいが……その程度汚れるとは思わんな」

 

「お前も中々変態じゃねえか」

 

「死体で楽しむ奴よりマシだろ。返してもらおうか……そいつは俺のだ」

 

 斧を叩きつけ威圧する。胡桃は少し狼狽えるが、ここはこうでも言わないといけないんだよ。初物は貴重だからな、手を出したって事にしなきゃどの男も興味と欲がうなぎ登りだ。

 

「純愛派って言ってなかったか?」

 

「言ってたな。だから俺のだって言っただろ」

 

「はぁん、そういう事か。……まあ後でいいや、キミさっきその車から出てきたよね?」

 

 胡桃の首にナイフを突きつけたまま男は空いた手でキャンピングカーを指さす。だが胡桃は何も言わず、正反対の方向へと顔を背けた。

 戦闘要員が2人とも無力化された今、対抗手段はない。銃でもありゃ話は別だが……そんな物使われた事はあっても使った事なんてない。

 

「もし素直に案内してくれたらちょっと物を貰ったら許してあげるよ」

 

「……本当か?」

 

「胡桃、止せ。確証はない」

 

「でも素直にしてくれなかったら……あの短髪の可愛い子を好きにさせて貰う」

 

「……くっ。あの、車だ」

 

「ありがとう、くるみちゃん」

 

 気味悪く胡桃の耳元で囁くと、男は胡桃を移動させながら俺達の車へと近付いていく。クソ……迂闊だった。罠も何もかも、美紀の手当をした時から俺は間違っていた。

 だがもし手当てしないまま奴らの血が入ったら、返り血を浴びたら即感染する。それを防ぐ為に、俺はあの場で手当てをした。

 何もかも迂闊だ、この図書館があると言ったのも俺だ、此処に来るよう仕向けたのも俺だ。それが全部裏目に出て、今こうして胡桃に不快な思いをさせている。

 

「あ、キミは後からついてきてね。背中を襲おうとすればこの子の首がぱっくり開いちゃうから」

 

 先に移動させている胡桃の背や腕をそれとなく触るヤツを見て、殺意がもくもくと沸いて来る。憎い、今すぐにでもその腕をへし折って、生きたまま案山子の様に棒に括り付けてやりたい。その汚い手で、息で、胡桃のすぐ傍にいる事が許せない。

 なのに上手く立てない……走れもしなければ上がってきた胃液が歩行を邪魔する。昨日の夜食べた乾パンがほぼ形を残したまま出てきて、空腹感を覚えた。

 奴が車のドアを開けて中に入っていくのを確認した後、ようやく全てを吐き出し身軽になった体で後を追った。その歩幅は情けないくらいに小さく、拙なかった。

 

 

 あいつは、なんという名前だったか。掘り起こそうとする記憶の中、灰色の霧が邪魔をしていた。微かに見える断片はどれも懐かしい仲間達との記憶。あれは……いつの事なんだろうか。

 

 

 「私の名前は遠藤光弘。5ヶ月前あの男に避難所を追放された身だけど、なんとか生き残ってる。キミは?」

 

 車に戻ると、彼女達が持っていた手錠でそれぞれを拘束しながら自己紹介をしている男がいた。悠里は急な出来事に怯えっぱなしだがしっかりと妹を護っている。

 

「おい話がちが――」

 

 抵抗する胡桃の頬を叩き、男は無理矢理従わせる。今までもそうやってきたのだろう、さぞ当たり前の様に手錠を全員の手首に嵌めると、やっと辿り着いた俺に薄汚い顔で微笑んだ。

 

「いらっしゃい、まあ座ってよ」

 

 まるで自分の所有物のように彼女達を1ヵ所に集め、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。

 

「……ん? これ誰が飲んだの?」

 

 りーさんとマジックで書かれたボトルを皆に見せると、悠里が小さく声を上げる。

 

「ふーん……じゃあ貰うね」

 

 光弘、そう名乗った男は遠慮なく悠里の水に口を付けた。焼餅なんかではない本物の憎悪が頭を支配する。今すぐにでもあいつの頭をかち割って、脳髄をやつらの餌にしてやりたい。

 

「あー、でもキミは片手か。じゃあここでいいや」

 

 俺の左手に手錠を掛けた光弘は近くにあった棚の取っ手にもう片方を掛けると、ソファにどっかりと座る。

 

「じゃあ私の持論を1つ。手錠を嵌められ、自由の利かなくなった人間は奴隷同然だと考える。……どう? そうは思わない?」

 

「いきなり何の話だ」

 

 あっさりと裏切られた胡桃は犬歯を見せながら怒りに震えている。他のメンバーも何の事やらと怯えながら疑問符を浮かべるが、俺は内心で奴の考えている事がわかっていた。

 

「奴隷は昔物として扱われてたんだよ。市場では奴隷商が建設用の奴隷を売ったり、家事や身の回りの世話をする女の奴隷を売ったり」

 

「で、今こうして自由を奪われている俺達は『モノ』だと」

 

「その通り! 理解が早いね、思いの外頭が良いみたいだ」

 

「お前のよりはマシな細胞と遺伝子を持ってるからな」

 

 悪態をつくと、光弘はむっとした顔で俺に近寄って来る。何をされるかなんてわかる、むしろ狙ってたくらいだ。さっきからもぞもぞと順調そうに手錠をずらす胡桃に視線が行かない様に、わざとヘイトを稼ぐ。

 

「奴隷が口答えすんじゃねえよ……」

 

 髪を鷲掴みにされるが、俺は精一杯の嘲笑を浮かべてやる。光弘の視線は俺に釘付けで、水面下で行われている脱出作戦には気付いていない。

 代わりに戸棚に全力で頭を打ち付けられる羽目になったが、なんか段々と快感になってきたな……次喰らったら死にそうだ。

 余計力が入らなくなってきた体で、この先どうにかできるのか不安にもなってきたが……胡桃さえ自由になれれば。

 

「――くん、―みゃ――、みゃーくん、大丈夫……?」

 

 丈槍の声に応えて手を振るが、一同は不安そうに俺を見ていた。……もしかして俺は何度も呼びかけられてたか? だとしたらかなり不安にさせたな。

 

「んー……どれも上物だなぁ、でも1人にしなきゃ連れて歩くにも面倒だし、色々と用途のある奴の方が―――」

 

「―――っはぁ!」

 

 胡桃の掛け声に、丈槍を庇っていた悠里がびくっと震えた。近くにあった缶詰を投げつけた胡桃はスコップを拾い、その剣先を光弘の腹へと突っ込ませる。

 多少車が汚れるが、よくやった。勝利を確信した一同だったが、咄嗟の動きで光弘はナイフを胡桃の腕目掛けて振り下ろす。それを躱そうとした胡桃の腕は、光弘の腹部を的確に狙っていた剣先を狂わせた。

 

「危ないだろ?」

 

 ナイフの刃は微かに胡桃の腕を切り裂き、赤い血を滴らせている。そこまで深い傷ではない、問題は―――

 

「胡桃ちゃん!」

 

「っよし! 決めた! キミだ!」

 

 胡桃を気遣う声を上げた悠里に光弘の指が向けられた。それは絶望の合図となり、丈槍含め全員の顔を蒼白とさせる。よりによって、悠里だと? 今まともに抵抗できないどころか、少しでも間違えば錯乱してしまう悠里が連れ去られては後日奪還できるとも限らない。

 特にあいつは、死体ともよろしくやる性癖の持ち主だ。

 

「い、いや……!」

 

「お、いいのかい? キミが来なきゃこの男が……その後皆が私と楽しむ事になるけど」

 

 この状況で生存本能を遺憾なく発揮しているらしい光弘は悠里を立たせると手錠を外し自由にさせる。そして一番容量の大きなバッグに入るだけの水と食料を詰めて、車を出て行った。

 胡桃は冷や汗をかいたまま、滴る血を眺めている。美紀と丈槍はどうしたらいいか分からずにあたふたとしているが、やがて俺へと意向は移ったようだ。

 

「み、雅さん! 悠里先輩が!」

 

「みゃーくん!」

 

「わかってる……!」

 

 手錠を外そうとするが、痛いほど食い込む輪は簡単には外れない。玩具でもその役割はしっかりと果たしている。

 

「クソッ、仕方ない」

 

 手錠ごと右肩で担ぐ様に戸棚に背を預け、一息で体を前方へと倒す。ばきっと破壊音と共に取っ手が外れるのを見て、俺は斧も持たず後を追った。

 女1人を連れて感染者の中を突っ切るのは難しい。必ずどこか一方向でも警戒の要らない安全な道を行くのがセオリーだ。だとすれば……!

 ふらつく足取りのまま、建物の裏にある公園の方へ走る。特に確信があった訳ではない、激しい頭痛と朦朧とする意識じゃまともな考えは一切浮かんでこない。でもなんとなく感染者のいなさそうな方向は分かる。さっきアラームを鳴らした正面玄関とは別の―――この方向だ。

 散在する放置車両を縫いながら、俺は幸運にも2人を見つけられた。

 

「悠里を……離せっ!!!」

 

 静かに忍び寄って不意打ちをする。普通ならそんな動きをするのに、馬鹿正直に突っ込んでいく。光弘はするりと俺の突撃を躱すと、悠里を押しやってバッグに手を突っ込み、何かを取り出して俺の首に押し付けてきた。

 刃物ではない。だがぴりっと冷えた物が当たる。

 

「しつこいよ、お前」

 

 その瞬間、体中を針で刺されたような痛みに襲われた。声も出ず、ただひたすら自由の利かなくなった体を地面に打ち付けて悶えるだけだ。

 

「お父さ……っ!!」

 

 そんな俺の姿を見て、悠里は目を見開き頭を抱えた。声にならない声を上げ、打ち伏せた体に電極を当て続ける光弘も何事かと見やる。

 悶え苦しむしかない俺は連続放電時間が限界に達し、途切れた電撃から逃れる為に地面を転がった。だが今までのダメージが重なったのか、俺は半回転……ただ寝返りを打って空を睨む事しかできない。

 

「ん!? こんな時に!」

 

 スタンガンの使い方も知らない光弘は勢いよく投げ捨てると、よろよろと立ち上がる悠里に向かった。

 

「こい!」

 

 先程まで抗いも出来なかった女の子の肩に伸ばした光弘の手は、いとも容易く弾かれる。

 

「触らないで!」

 

 その気迫に押され、思わず後ずさる。声だけを聴いていた俺も思わず震えあがる様な……いや全身痙攣してるから常時震えてるのか。電撃でむしろすっきりとした頭で軽口を考える俺の元へと悠里が駆けつけてくる。

 

「雅さん!? ねえ大丈夫? 返事して!」

 

 力強く揺さぶる悠里に返答したいが、全身が痺れて動けない。動くのは眼球のみで、それが却って悠里を焦らせた。

 

「チッ、こいっつってんだろ!」

 

 光弘が乱暴に悠里の肩を掴むが、がっしりと俺を掴んでいる悠里は簡単には剥がれなかった。そんな悠里を自棄になって引き剥がそうとする光弘に、悠里は必死に抵抗する。

 そして、その目は俺の右腰にあるものに止まった。俺が普段から対感染者用に持ち歩いているサバイバルナイフだ。

 止せ―――制止の声は出ず、俺は僅かに目を見開く事しか出来なかった。悠里は一瞬でナイフを抜き振り返り様に光弘の腹部に突き入れると、そのまま押し倒す。

 

 そこからは地獄だ。何度も、何度も、悠里は馬乗りになりながらナイフを突き刺した。ある意味一番見たくなかった光景かもしれない……あれだけ仲間を思いやり、見守ってきた人が生身の人間を相手取っている。

 

 苦しむ声は次第に小さくなり、やがて無言になる。辺りに響くのは嗚咽と、ぐじゅぐじゅと水っぽい音だけだった。

 

「―――ゆう、り……止せ、悠里」

 

 未だに全身を針で刺された感覚があるが、ゆっくりと動かしていく。立てなくてもいい、あれを止められればどんな手段でもいい。

 息を吸って踏ん張る。ずきずきと痛む右手も無視して、まだ無事な左手を悠里の脚へ……これじゃセクハラだが、まあ説教は後で受けよう。

 

「悠里……それだけやったら十分だ」

 

「でも……胡桃やあなたが」

 

「俺はともかく胡桃は大丈夫だ、報いはこれから受けさせる」

 

 ようやく喋れる様になってきた。俺は悠里の持っているナイフを手放させるとその体を光弘の上から降ろさせる。こいつには十分ご褒美だ、変態だからな。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい、今まで私」

 

「構わん。こっちに来い、そいつから離れるんだ」

 

 さっきのこいつと同じ『来い』という言葉だが、悠里はしっかりと従った。真っ赤に染めた手を握ってやると、そのまま体重を預けてくる。まだ涙が出る分マシだな……人を殺しても何も感じなくなれば、立派な人外の出来上がりだ。

 

「りーさん!」

 

 図ったかの如く遅れてきた胡桃は俺達の様子を見て更に顔を青くさせた。そりゃそうだ、悠里の手は血塗れで俺は死にかけみたいな顔をして、傍には血の付いたナイフが転がり抱き着いている所為で俺の腹は見えない。

 ぱっと見じゃあ俺が刺されて悠里が圧迫止血してるのかと…………いや、ただ単にセクハラしてるだけにしか見えないのか? まさか、な。

 

「お前っ、まさか……」

 

「ち、違う……誤解だ胡桃」

 

「刺し違えたか!? どこやられた!?」

 

「ち、違う……よかった」

 

「よくねえよ!! 刺し違えて良い事なんかどこにもねえだろ!」

 

 何かを聞き違えたのか、胡桃は迫真顔芸で俺の元へ駆け寄ってくる。愛されているんだな、としみじみ思いながら、まだ息のある光弘を見た。

 

「はっ……そうやってイチャついてても……現実は変わらないよ」

 

「そんな事わかってる、クソみたいな世界で半年以上生きてりゃ尚更な」

 

「……ちげえよ、お前の所為で、皆不幸になったんだ」

 

「……何?」

 

 普段なら死に損ないの言葉なんてまともに聞かない。紆余曲折が入り混じり、幻想に逃げ込もうとするのが常だから。だが、こいつの言葉に俺は反応せざるを得なかった。

 

「お前の所為で……あのホテルに居た奴らも、俺も、この子達も……不幸になる」

 

「黙れ、あたし達はむしろ救われてる。一生掛かっても返しきれないくらいにな」

 

「さぁ……そのうち取り立てが来るよ。なんせ私も、そうだから……」

 

「取り立て?」

 

「お前の所為だよ……みんな言ってたさ、お前は“疫病神”だ。……無駄に力があって、無駄に利口で」

 

 

「“お前さえいなければ……皆幸せだった”」

 

 

 それは、過去に聞いた事のある言葉だった。いつだ、いつだったっけ? 小さい頃……いや、ある程度物心がついた頃……違う、つい最近。いや違う。

 

 

「雅?」

 

「雅、さん?」

 

 

 それはずっと昔から纏わりつく呪いも同然の言葉。散々言い聞かされて、一番忘れていた言葉だ。

 

 遠い過去から、霧が晴れていく。怒号、呪詛、薄暗いリビングで語る大人達の話声。あの子さえいなければ、こんな事にはならなかったのに。

 俺は呪った、俺を呪う人間を呪い、俺を嫌う人間を嫌った。俺を好いてくれる人間も本当は馬鹿にしていると決めつけて、(意思)のあるモノ全部を呪った。

 昔の事もごく最近の事も、全てが思い起こされる。なんで忘れていたんだろう、忘れているのに何で普通にしてこれていたんだろう。

 その時の情景と共に、本当の気持ちが溢れてきた。

 怖い、気持ち悪い、何で俺が先頭に立たなきゃいけないんだ、皆を引っ張っていくなんてできない。またあの目だ……その(意思)は嫌いだ。だから俺は、執拗に目を狙う。

 

 

 気付けば、俺はナイフを握っていた。全身を刺すような痛み、がくがくと震える膝を折ったまま、眼下の点を穿っている。

 

「ああああああああぁぁぁぁああぁ!!!!!」

 

 情けない悲鳴だ。そのうち奴らが聞きつけてやってくる……その前にやるべき事を終わらせなければならない。

 

「雅! 止めろ、止めろって!」

 

 胡桃は必死に俺の手を押さえていた。それも虚しく、いつもとは比べ物にならない力で(意思)を削ぐ。最早形容もできないモノになってしまったその目を、執拗に抉っていた。

 

「どうしたんだよ!? おい!」

 

「離れろ、お前の目はいらない」

 

「!? 目って……目が、どうしたって……」

 

 狂気に当てられた俺は、一瞬だけ緩んだ胡桃の手を払ってもう一度突き立てる。最後の一突きは奥深くまで到達し、断末魔はなかった。

 始末の意味も込めて、刃先を捻る。一瞬だけ痙攣した身体からどろどろとしたモノが付着したナイフを引き抜くと、誰に掛かる事も気にせず振り払った。そして、それと同時に我に返る。

 

「……はぁ、見苦しい所を見せたな。ある意味“これ”の言った事は当たりだ」

 

「雅……お前」

 

 今までにない憐みの瞳は、直視できない程澄んでいる。隣に立つ悠里も、もう抱き締めてはくれない。

 

「短くも濃い日々だったな、色々あった。と言っても、その殆どは俺が原因だ」

 

「だから出て行くって、言うのか?」

 

 胡桃はスコップを握り締めると、俺のすぐ目の前まで歩み寄る。

 

「そうだつったら殴り飛ばされそうだな」

 

「殴るぞ、本気で」

 

「次頭に受けたら死ぬ自信があるね」

 

「それでも殴る。死んだらもう一発殴って蘇生してやる」

 

「……それは体の構造的に無理だ」

 

「それなら―――」

 

 俺を見下ろしていた胡桃は膝を折って姿勢を落とすと、ゆっくりと俺の頭を掴んだ。……頭突きかな? 死の覚悟をしながら目の前にある膨らみを目に焼き付けようとしていると、それが飛び込んでくる。

 

「あ、あたしの事、俺のだって言ってただろ? だからほら、ご褒美にちょっと勘違いさせてやろうかな、と」

 

「あら?」

 

「ん?」

 

 思い掛けないサービスイベントに、俺の脳内はピンク色どころか疑問符まみれになる。何故こうなったのか? 大の大人が狂いに狂ったのが庇護欲を誘ったか? あらゆる心理を頭をフル回転させて考えるが、どこにも答えはない。

 何故このような行動に走ったのか、俺の中では、『ただ血迷った』という判断が下されていた。

 

「……理解、できんな」

 

「なんか感想とかないのかよ」

 

「案外柔らかいっすね、着痩せするタイプで?」

 

「変態か!!」

 

「事実なのに!」

 

 頭蓋をミシミシと締め付けられながら甘酸っぱい匂いに埋もれ、俺はいつの間にか意識を手放していた。酸欠か、度重なる頭部へのダメージか、それとも実は幸せ過ぎて頭がパンクしたのか。後遺症的に一番最後を希望したいが、自分がそこまでピュアな心の持ち主ではないというのは誰よりも理解している。

 

 

 後に聞いた話では、俺を運ぶのに学園生活部を総動員してもキツかったらしい。まあ完全に力の抜けた人間は重さが段違いだから、多少はね?

 ただ胡桃のおかげで安らかな眠りに付けたのか、次に目覚めるまで悪夢は一切見なかった。




相変わらず前半は気持ちよく書いているのに、後半になると疲れてきたり集中力が途切れてきたりとダレてくるのはお約束です。でも一気に書かないとそれこそモチベが続かないしどういう展開にしてたか忘れちゃう……悩ましい。大まかなプロットは書いているんですが、細かい事や小難しい事まで書くとそこで満足してしまうのであえて書きません。なので途中で区切ると忘れてしまって自分でもチンプンカンプンになってしまいます。

さていつものです。もうこんなの誰が見るんだと思ってますが自己満足の為にも一応書きます。

主人公も由紀や悠里と同じく、(こう言うと語弊がありますが)既に気の触れた人物です。
日々ストレスに溢れた世界を生き抜く為に必要最低限の感情だけを感じる様に自己暗示を掛けていました。

ただそれはこうなる前からのもので、解除となるキーワードは遥か昔の言葉です。その所為でかなりのダメージを負ってしまいましたがなんとか持ち堪えています、まだ大丈夫です、発狂はしましたが。
ちなみに時折出るネタや軽口は素で出ています。暗示でも抑えられない程本来はお調子者です。

次回は癒し回にしようかな、と考えていますが前回もそう言って重くなりましたので期待しないでください。そもそも主人公と学園生活部の面々をイチャつかせても自己満足にしかなりませんしね、物語的に主人公をとことん痛めつけた方が映えますし。
でもそろそろ可哀相なのでのほほんとする話にする事と致します、このままだと主人公の胃に大穴が空いてしまいますからね。

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