がっこうぐらし!―Raging World―   作:Moltetra

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6.遭遇

 翌日から俺達は調査を始めた。丈槍を『るー』のポジションに収め、悠里がどの時間に居るのかを探る。……話を聞く限り、丈槍は過去へと自分の意識を固定したとわかる。

学校で送る避難生活を『学園生活部(ただの部活)』として送り、荒れた教室で1人授業を受けていたと言う。なら悠里の場合はどうなのか、意識がどこにあるかで拒絶する単語や物が変わる、と俺は考えている。

 胡桃が運転する車はいつもよりか比較的安全に道を疾走していた。途中打ち捨てられた車があれば、周囲の安全を確かめてから燃料を抜く。勿論、間違えてハイオクを入れない様に匂いではチェックするから今の所ミスはない。

 

「先輩、るーちゃんってどんな子なんですか?」

 

 丈槍とアルプス一万尺で遊ぶ悠里に美紀が何気なく聞いた。すると、悠里は笑って「そうねえ」と何かを思い出そうとしている。ここで拒否反応が出れば、意識は現在にある可能性がある。

手遅れになった(るー)の代替として作った丈槍では、どうしても齟齬――矛盾が生まれてしまうからだ。

 

「あんまり喋らなかったけど、笑った時はとても可愛いわ。りーねーりーねーっていつも後ろを付いてきて、何をするにも一緒なの。ね?」

 

「うん、りーねー好きだもん!」

 

 たった今わかった姉への呼称を早速実践した丈槍は愛くるしい笑みのまま悠里に飛び付く。迷いどころか初めからそうだったような違和感のなさは誰もが感じているだろう。……それが違和感として、危険信号を出している気もする。

 

「じ、じゃあお父さんはどうでしたか?」

 

今度は父親について聞き出そうとすると、悠里はきょとんとした顔で対面に座る俺を見る。マズい、何か気付いたか?

 

「目の前にいるんだから直接聞けばいいじゃない?」

 

「えっ、あぁ……そう、ですよね? あはは」

 

 さも当たり前の事を言われ、美紀は手詰まりになる。ここは演技も上手いお父さん役である俺が助け舟を出そう。

 

「自分の事を教えるなんて恥ずかしいだろ、向こう行ってるから適当に話しておいてくれ」

 

「あら、いいの? 色々言っちゃうわよ……?」

 

「……程々にな。精々性格とか口調とか口癖で」

 

「はーい。お父さん照れちゃってるのね。おかしいね、るー?」

 

「う、うん」

 

 同意を求められるとは思っていなかったのか、“るー”は少々焦ってしまう。話させる為に俺は助手席に移動すると、参照用に置いてあった地図を持った。

 

「りーさん、どうだった?」

 

落ち着いた声で現状を確認してくる胡桃だが、内心焦っていると嫌でもわかる。ここはまだ綺麗な道だ。落下物も少なく、路面も安定している。なのに時折車は左右に揺れ、その度に慌てて進路を戻しているのだ。

 

「うん……まだ何とも言えない。拒否反応がどこで出るかさえわかればある程度算段は立てられるが」

 

「……特にヤバい物に触れたら」

 

「良くて錯乱。記憶を消して、振り出しに戻る。悪くて発狂。クイックセーブも伏線もまだなのに一発終了。クソゲーかよ」

 

「ははっ、お前も余裕ないじゃんか」

 

「お前が言うな。……正直ずっと胃がキリキリしてる」

 

 少しだけ本音を出すと、胡桃は小さく笑った。遥か前方を見る彼女の瞳は、重く纏わりつく途方もない不安を孕んでいた。

 

「次、右側にあるコンビニ手前にある道に入ってくれ」

 

「ん? ああ、あれか。寄り道か?」

 

「いいや、今日の目的地への近道だ」

 

「は?」

 

 膝に広げてある地図のある地点を指で突く。それは出発時に全員で決めていた今日の目的地。市民図書館。

俺が子供用の絵本もあると言ったら、悠里は即決した。皆もそれに賛同し(まあ実際は仕向けた訳だが)夕暮れまでには到着する……その予定がいくらか早まったようだ。

 

「おいおい、お前交代してから一度も地図なんて……」

 

「一度見たら十分だろう。ルートも事前に話したじゃないか」

 

「……呆れた、もうお前が運転する時隣に座らねえからな」

 

「やめてくれよ、悲惨な光景見ながら運転してても気が滅入るだろ? そんな時にふと隣を見る……」

 

 言葉通り、胡桃はちらっと隣―――俺を見た。

 

「癒されるだろ?」

 

「男見てもなぁ……」

 

「お前そういう……趣味だったのか。まあ極限状態で半年以上女しかいない所に居たら……わからんでもないかなぁ。俺はならんけど」

 

「はぁ!? そういう意味じゃなくて! 男見てどこに癒される要素があるんだって言ってんだよ!!」

 

 必死に反論する胡桃を見て、俺は久しぶりに人を弄るという愉悦に浸っていた。いつもは俺が散々弄られてしょぼくれていたが……やっぱりここに来てよかったかもしれない。

性別の違いこそあるが、特に胡桃は分け隔てなく話せる。丈槍もそういう意味では同じだが、胡桃の場合は同類という感じがするからだ。

 ゆったりと右折して、安全確認の為に徐行する。胡桃は前方を、俺は左右の路地に脅威がないか、罠がないかを見てGOサインを出した。

 

「確かに俺を見て癒されるかと言えば、ない」

 

「だよな? 自分であるとか言ってたら道に捨ててくとこだぞ、全く……」

 

「でも俺の場合、凄惨な景色の隣に胡桃や若狭が居れば癒される訳だ。地図を見ながら髪をかきあげる若狭、今どこにいるかド忘れして首を傾げる胡桃――」

 

「うっわキッショ」

 

「自分でもそう思うね。でもそういう所に救われてるんだよ」

 

 若干恥ずかしいが、本音を告げておく。どことなく真面目さが伝わったのか、心底嫌そうな顔をする胡桃もいつの間にか真面目な顔で聞いていた。

 

「そういう事なら……あたし達も助かってる」

 

「んん?」

 

「今まで戦闘はあたし1人だったし、戦いながら皆を守るのは正直キツかった。でも今は……お前が切り込んで、あたしが守るって役割になってる」

 

からかえるかと思えば、全くそんな話題じゃない。真面目そうにしたのもフリだというのに。胡桃の思わぬ部分を釣ってしまったな、これは。

 

「それは当たり前だ、年長者の俺が率先して切り込むのは―――」

 

 それは義務であり、至極当たり前の事。そうでなければ男が廃るし俺が居る意味がない。だから俺は―――

 

「あたしは当たり前にしたくない。このままじゃ先に死ぬのはお前だし、お前が死んだらあたしが始末しなくちゃならないんだからな」

 

食い気味に言葉を被せてきた胡桃はさっきよりも険しい顔をしていた。何か意味がある、そこまではわかるが面と向かって話していない以上表面上の感情しかわからない。そもそもこれも、完全ではない。

 昔から、俺は何事も“かじる”で留めていた。何でも1つは極めれば良かったのに、やる事なす事中途半端だ。その弊害がこんな所でも出てしまう。

 

「お前に手は掛けさせない、そうなったら必ず自分でけじめをつける」

 

「そうじゃない、死んでほしくないんだ。それにもし死んでも、お前が1人で彷徨って顔も知らないヤツに殺されるなんて嫌だ」

 

「……そうか」

 

 短い付き合いだが、それなりには信頼してくれているらしい。まだ1週間だってのに、男相手に死んでほしくないとは勘違いされてもおかしくない。

まあ、それ程貢献できていたって事なのかな。まだ何もしてないって思ってたんだけど。

 

「だからさ、たまには役割を交代するとか。そんな風に負担を別けよう」

 

「それは断る」

 

「……一応聞くけど、なんで?」

 

「…………今のは効いたぞ、危うく惚れたかと思った」

 

「は!?」

 

「いやぁ危ない危ない、お前に惚れたらどんな仕打ちが待っているか」

 

 窓の方を向いて表情を隠す。そういう風に負担を軽減だとか、分かち合おうとか、そんな事はしなくていい。お前は丈槍と美紀、悠里と自分だけを守ればいい。俺は所詮後から入った流れ者、守られる価値も理由もなければ……今後役に立つ見込みもない。

その点、こいつらはどうだろうか。生物的に言えば種の存続に女は必要不可欠。それを無視しても、男が女に守られるなど恥ずかしい。古い思想だと笑われそうでもあるが、俺は死ぬまで護る気でいる。

 

「あっ、あたしは惚れた男には尽くすタチだ!」

 

「いやぁどうだか、尻に敷かれるなんて便利な言葉もあるしなぁ。都合の悪い事は全部押し付けて―――」

 

「いやいやいやいや! 女をなんだと思ってるんだお前!」

 

「あんまり女らしくない胡桃に言われてもなぁ」

 

「はあああああ!?」

 

 思わず左手で俺の胸倉を掴んでくる胡桃の代わりにハンドルのもう半分を握ると、必然的に距離が近くなってしまう。視界の隅で少しだけ狼狽える胡桃を見ないフリをして、ぐらっと揺れた車を立て直す。

 

「ちょっと2人とも! 運転中にふざけないでください!」

 

背後から美紀のお叱りが飛んでくるとばっと俺を押し退け、運転に集中する。俺は勢いを殺しきれず窓に頭をぶつけるが、幸い割れる事もなく済んだ。

 

「さっきからなんなんですか? 悠里先輩も気にしてましたよ」

 

「悪い、少しからかい過ぎた」

 

 顔だけ出してきた美紀に謝るが、不審者を見る眼差しのまま返事をしない。次に胡桃の顔も見るが、少しだけ頬を染めている事に余計不審がっている。

 

「セクハラですか?」

 

「断じて違うからな。運転中殺伐とした風景を見てると気が滅入るから、横に美人がいると癒されるって―――」

 

「セクハラじゃないですか」

 

「え、これセクハラに入るの?」

 

「女の敵ですね」

 

「うせやろ? それほんまに言うてんの?」

 

「なんで関西弁……」

 

 その後見事セクハラ容疑を掛けられた俺は美紀と席を代わり、しばらくの間丈槍演じるるーと悠里の掛け合いを眺めていた。

 

 

 

 図書館に着いたのはそれから約30分後。予想より感染者の数が少なかった為図書館から近い第1駐車場に車を停めて俺と美紀が探索に行く。人選は俺で、日頃から図書館に通う事もあったと言う美紀が適任と見たからだ、英語も読めるし。

そこそこ規模の大きい建物は殆どがガラス張りで中が見通せる。夕暮れ時で奥まで完全に見通せる訳ではないが、規模が規模だけに掃除も手間が掛かりそうだ。

 正面の入口から50m程離れた車と車の間に身を潜ませた俺達は、外から見える感染者の数を数える。

 

「でも助かりますね、見通しもいいですし本棚の配置も見た目と実用性が兼ね備えてあります」

 

「見通しが良いのは一長一短だな。これから暗くなる、そうなれば俺達がライトを点ければ嫌でも目立つだろうよ」

 

「う……光に寄ってきますもんね」

 

「そう、外からの光も丸見えだ」

 

「……あっ!」

 

 何か閃いたらしい美紀が鞄から数本のケミカルライトを取り出す。それを折ろうとした所で、俺はやめさせた。

 

「勿体ないだろ、光なんてどこにでもある」

 

ヒントを示す様に、俺は隠れている車のボディを叩く。ライトとハザードは鍵がなくとも点けられる、鍵が付いていれば大助かりだが流石にそこまで美味しい話もない。

 

「なるほど、思い付きませんでした」

 

「ついでにクラクションも鳴らしてやるか? 処理は大変だけどな」

 

「別に全部相手にする必要はないんですよ?」

 

「……それもそうか。一度車に戻ろう、この駐車場じゃ面倒な事になる」

 

 美紀を連れて再び車に戻り事情を説明する。危険だと反対はされたが、美紀も一緒に説得してくれたおかげでどうにか実行の運びとなった。その為に車を安全な従業員用の駐車場に移動し、電気を消させて無音で待機するよう命じる。

悠里には防犯の為と嘘でもない理由を吹き込んで準備は完了だ。いざとなれば胡桃が安全な場所でクラクションを鳴らしてから車を移動させ第1駐車場で落ち合う。

1回なら通常、2回なら人為的なダメージを負ったかそれに準ずるもの、短い間隔で2回と長めの1回は可及的速やかに帰還せよ……即ち悠里や誰かが負傷した時だ。

 細かい定義と取り決めを行った後、俺達は改めて出発した。

 

「ここにいろ、服を汚したくないならいいが出来るなら這いつくばれ」

 

「別に濡れてないしいいですけど……なんで?」

 

「なに? 姿勢を低く保つのは隠密行動をするなら当たり前じゃないのか? 見られちゃいけないのは何も感染者だけじゃないんだからな」

 

「……え、あ、はい」

 

「え、嘘だろ? よく死ななかったな。今度探索する時にでも教えてやる」

 

この時直樹美紀は思った。この人はガチなんだなと。

 

 正面の入口から100m程離れた場所にある車に近付くと、盗難防止装置があるか確認する為に一週回ってみる。案の定、アラームが搭載されている旨のシールを見つけると、いつか誰かが使うかもしれないのでリアバンパーの部分を全力で蹴る。

その瞬間異常を感知した車は喧しいアラームを鳴らしながら、ライトを点滅させ始めた。戻るついでにもう2輌程起動させて美紀の隠れる茂みに戻り匍匐の体勢になる。

 美紀も気が気でないらしく、ほんの少しだけ息が上がっていた。落ち着いて見えても、案外年相応な心を持っているようだ。

 

「よ、よくあんなの出来ますね……」

 

「慣れてるからな」

 

「まさか、こうなる前も色々悪さを」

 

「してないしてない、ほんの少し人よりか肝が据わって知識があって、暴力に慣れてただけだ」

 

「色々と信用なりませんよ……」

 

このやり取りも信頼性があるからこそだと、俺は思う。感染者は建物の2階から柵を破って床へと落ちる。数体は動かなくなり、しかし殆どは這ってでも音源の方向へと向かっていく。

 

「いいか美紀、これはステルスミッションだ」

 

「なんですかいきなり……」

 

 煙たそうに冷たい目で見てくるが、互いに無表情のまま顔を見合う。その距離は近いが、場合が場合で美紀も気にしてはいないらしい。

 

「まあ聞け、冗談抜きで見つかったら終わりだと思っていい。1体が気付けば、俺達は対処に追われる。その1体を無音で処理できるかもわからないし、処理の間見られるかもしれない」

 

「……はい」

 

「処理は俺がする。お前は本棚の影や遅れて出てくる奴にだけ注意すればいい」

 

「もし、雅さんが危なくなったら?」

 

予想もしていなかった質問に、俺は何と答えようか迷った。いつも失敗したらどうしようだとか、そういう事は考えない様にしている。必要なのはあらゆる失敗を回避する手段を考える事で、自分の結末を予想する事じゃないからだ。

 

「……さあ、逃げればいいんじゃないか。車に戻って、あいつは駄目だったと報告してくれ」

 

「助けてくれって言わないんですね」

 

「自分から危ない場所に突っ込んでるんだから助けてくれなんて言えないだろ。お前は別だ、危なくなったらすぐに呼べ。状況に寄っちゃ悪化するが」

 

 アラームも鳴り止み、ある程度感染者共が車の方へ移動したのを確認すると、俺はゆっくりと中腰の体勢に移行する。美紀もそれを真似て、付かず離れずの距離を維持して付いてきた。

ライトは点けず、僅かな西日だけを頼りに建物の中に入り、ショルダーバッグに括り付けていたレンチを引き抜く。最近はもっぱらこればかり使っている気がする。でも室内だと使いやすいんだよな……長くて重いとどこかへ当たった時に音が出るし。

とは言ってももう少し威力が欲しいから先端に何か重い物でも付けなきゃ基本的に二撃要る。……あのゲームみたいにネイルハンマーでも使うか? リーチがお粗末なのが頂けないが。

 無事建物に入ると、横たわったままの感染者にまだ息がある事に気付く。落ちた拍子に脊椎でもやったか、どちらにしろ宿主が死ななきゃウイルスは死なない。

美紀に待てと合図をして周辺を警戒しながら傍まで近寄ると、その首を踏み抜き防止の鉄板が入った安全靴で踏み折る。気味の悪い音がロビーに響くが、もう殆ど外へ行ったらしく反応はなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

息絶えた死体に一言掛けて通過する美紀を見て、自分が何もしない事がおかしいのかと錯覚する。そんな事はない、既に人ではなくなった存在に敬意を払う必要など皆無だ。それに、いつ襲われるのかもわからない今丁寧に拝む余裕もない。

 

「子供用の絵本を5冊くらい、あと心理学と精神医学……漢字辞典もいるか」

 

「なんで漢字辞典なんか必要なんですか?」

 

「簡単な情報伝達に使える。本の文字に穴をあけるとして、穴のある文字を繋げていくと簡単な暗号になるんだ。使わなきゃ着火剤にもなるしな」

 

「ほんとあなたって、一体どういう環境に住んでたんですか……」

 

「先人の知恵ってヤツだな」

 

 落ちている本や筆箱なんかを蹴とばさない様にしながら、奥に行くにつれて暗くなる視界に目を細めて対応する。それすらも効かなくなればライトの出番だ、感染者がここに戻ってくる前に退散しなければならない。

 

「そろそろライト点けた方がいいんじゃ?」

 

「……そうか? 確かにタイトルが読めなきゃ探しようがないか。極力外には向けず、必要最低限でな」

 

「わかりました」

 

 よく考えれば、ここまでガチる人間に合わせてくれる人間もそうそういない。手を抜けば死ぬのは当たり前だが、どんな状況でもガチガチに縛り付けても人は付いてこないのが常だ。となると、もう少し緩い方が良いか? 

いや、それでもし美紀が死ねば後悔するのは俺だ。悠里達も悲しむ。恨まれてでも厳しくして、それでこいつらが生き残れるなら。まあ、とは言っても探索中につまらないだ暇だと騒ぎ立てる性格でもないしな、特に美紀は。

 

「あ、心理学は上らしいですよ先輩」

 

「ん? 上だったか……最初からライトつけてりゃ見逃さずに済んだのかな。―――先輩?」

 

「あっ、間違えました」

 

「まあ好きに呼べばいい。丈槍みたいなのはごめんだが」

 

「流石にそれは……由紀先輩の呼び方は、嫌ですか?」

 

「別に? あれは丈槍なりの親愛の証みたいなものだろう。あいつは人の裏まで見通すのが怖いけどな」

 

 話しながらではあるが、俺達は十分に警戒しながら進む。流石に入口近くまで来た時にはどちらからともなく黙ったが、階段を上り始めたらまた世間話を始める。

 

「由紀先輩が、人を見通す?」

 

「ああ、何処まで見えてるかはわからんが悠里がああなった時の丈槍の目はぞっとした。人を見抜く奴の目は総じて底が知れない……今は付かず離れずの状態だから厳しいが、チャンスがあれば一度聞きたいな」

 

「……悠里? 前まで苗字呼びでしたよね?」

 

「あっ」

 

 つい気が緩んでしまった。マズい、こんなんじゃ俺が詰め寄ったからおかしくなったんじゃないかとかあらぬ誤解を受けそうだ。特に今日はセクハラ容疑も……あれは俺の知識不足が生んだ失態だが、あの夜は特におかしなことはしていない。

 

していない……と思う。

 

「じ、実はあの日の夜だな? 俺がうなされているのを心配してわか……悠里が顔を覗き込んでたんだ」

 

「はい。……で?」

 

「それでとりあえず外に誘われて……警戒してた俺に真相を教えて貰って……急に照れ始めて? 小声で名前でいいって言われて」

 

まるで凄腕の尋問官に尋問されているように、たどたどしく状況を述べていく。出来る限りオブラートに包むべき所は包み、誤解をさせないように細心の注意を払い、一瞬で首に刃物を突き付けられる用意をしながら。

 

「……なんで先輩は照れたんですか?」

 

「俺が身の危険を感じたって言ったからかなぁ……? 殺される的な意味でね? それを悠里は勘違いして照れたんですけど……」

 

「へー」

 

「そうなんすよ……ハイ」

 

 しばらくの沈黙。じっと俺の顔を見定める美紀はいかにも嘘かどうかを探っている。そんな瞳を恐怖心いっぱいのまま見続ける―――その瞬間、瞳が曇った。

それは恐れ。驚きと迷いを微かに混じらせ、直後に必死に手を伸ばそうとする。その手が俺の服を掴む前に、全てを察していた俺は身体を左方向へと旋回させていた。

 

「みや―――」

 

ぐぎゃっ。本棚の影から出てきた感染者は顎にレンチを食らい一瞬ふらつく。回転の勢いを殺しきれなかった俺は、もう一回転して今度は左脚での後ろ蹴りに繋げた。

 腹部に受け転倒する感染者に追い打ちを掛ける為、起き上がる前に胸へ右足を落とす。何本ものあばらを砕き、二撃目はさっきの死に損ない仕留めた時と同じく首をへし折った。

 

「……び、さん」

 

「なんだ」

 

「いえ……無事で、良かったです」

 

「ああ、お前のおかげだ」

 

直前とは全く違う様子の俺に、美紀は少し怯える動作をする。無理もない、戦闘になると性格が変わるとか創作じゃよくある設定だが、実際目の当たりにすると狂気を感じるものだ。

 大口を開けて完全に絶命した感染者の下顎を蹴り上げて閉じさせると、更に本棚の方へ蹴って向きを変える。帰り際歯が掠って感染しましたとか、洒落にならんからな。

 

「お前がいなければ俺は間違いなく死んでたな」

 

「いえ……私が、喋ってたから誘き寄せてしまったんです」

 

「ここで問い詰めてくれなきゃ俺はこいつの前に突っ込んでたさ、それかお前がやられてたか。どちらにしろ、終わりよければってヤツだよ」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 責任を感じる必要はないと言ったが、美紀は明らかに落ち込んでいた。自分のお喋りの所為で仲間を危険な目に遭わせたとでも思っているのか? そんなの、本当に危ない場所なら最初から喋るなと言っている。どうであれ、これ以上励まそうとしても無駄だ。

 

「心理学はここだな。とりあえず専門的な事はいい、浅くても症状が多く書かれている本を選んでくれ。俺は見回りに行ってくる、何かあったら呼んでくれ」

 

「はい」

 

「一応これは置いていく、もしもの時は使えよ」

 

念の為まだ綺麗なレンチを差し出すと、美紀は恐る恐るそれを手に取った。使わない事を祈るが、一応あればその分リーチも伸びる。

 

「でも、ちゃんと倒せるかわからないですよ……?」

 

「別に処理しなくてもいい、それで突っついて距離を取るだけでも時間稼ぎにはなる。むしろやれる確信がないならそうしてくれ」

 

「わかり……ました」

 

「うん、警戒は怠るなよ」

 

 美紀を置いて、空いた左手にナイフを持ち口にライトを咥えて探索を開始する。

とりあえず1周してみたが、これ以上の感染者はいないらしい。後見ていないのは奥にある書庫だが……どうも嫌な予感が。

このご時世床や地面に血が落ちているのは当たり前だが、どうにもこの部屋からは血痕が一直線に続いている。その先は1階と外が見渡せてソファもあるスペースだが……さては噛まれたな?

 ご丁寧にドアノブにまで血が付いているし、扉のあちこちも血と所々に凹み。というか全体的に古い。3ヶ月は確実に経ってるな。試しに開いてみようとして―――止める。

ドアを開けた瞬間斧がスイングしてきたらどうするんだ、全く迂闊だな。ワイヤー起爆式の爆弾がある事も考えて、ここはブリーチングを参考に扉の横がいい。その扉の横を狙った罠があったら死ぬだろうがな。部屋にガスが充満してて扉が開くと火花が散る細工がされていたりだとか。

 ……そういうのなら俺でも作れるんだが、大丈夫だろうか?

 

―――ええい、ままよ!

 

 ノブをゆっくり捻り、まず第一段階が安全だと判断する。……これ引き戸か? 引き戸だと罠仕掛けやすいんだよなぁ。待てよ、もう一度考えよう。扉を開けるには必ずノブに手を掛ける必要がある……あ、高圧電流の心配を忘れていた。電流を流すなんて車からバッテリーを引っこ抜いて電極刺すだけで完成じゃないか。迂闊だ、迂闊すぎる。

 とりあえず電流とノブを捻る時の罠はなかった。次に考えられるのはガスとワイヤートラップだが、ガスの場合は開けた瞬間臭いで分かる。

ゆっくりと捻ったまま無音で隙間を作る。しかし中からはガスらしき臭いがない代わりに、濃密な死臭が漂って来る。

 

「なにしてるんですか?」

 

棚の影から美紀が現れる。慌てて静かにしろと合図を送りたいが、左手は既にノブを掴んでいて首を振る事しかできなかった。

 

「? ……あ、足でもつりましたか」

 

 違う違う違う。確かに中腰で辛い体勢だけど足はつってない。仕方なく咥えていたライトを床に落とし、状況を伝えようとする。

 

「しーっ! 今中を確認するから待って―――」

 

――いろ。そう言い切る前に、近寄ってきた美紀は俺の手ごとノブを掴み、扉を引いてしまう。

 

「あっ馬鹿お前罠が」

 

「そんな物ある訳―――」

 

――ないじゃないですか。と言い切る前に、俺はしっかりとその目で見た。扉の上から小さな角材がぽろっと落ちてきた事を。ぞっとした俺は全力で手を伸ばし、美紀の胸倉を掴んで引き寄せる。

 勢いあまって自分ごと後ろに倒れるが、その後もしっかり見ていた。丁度首の辺り……美紀で言えば目がある位置にぎろりと輝く切っ先。……やはり、ここに立て籠もっていたのは相当性格の良い輩だったらしい。

 

「きゃっ!」

 

 なんとも女の子らしい声と感触、匂いに包まれながらも、無事美紀を受け止める事ができた。一安心して息を吐くと、がばっと起き上がった美紀は真っ赤になりながら俺の上から退こうとする。その退く先も真後ろなもんだから改めて肩を掴んで引き寄せ、自分の右側……ロビーの方へと倒した。

 

「なななな何をするですかーっ!!」

 

「しっ! あれを見てみろ」

 

 半狂乱になる美紀の顔を掴んで、未だにぷらぷらと振り子運動を続けるナイフを見せる。その瞬間、真っ赤だった顔は真っ青に一瞬で様変わりした。

 

「ひぇ……わ、罠?」

 

「だから言っただろ罠があるって。扉開ける時は如何なる時も罠と伏兵に気を付けろ」

 

「き、肝に銘じておきます……そ、それより!」

 

「だから静かにしろって……!」

 

 自分でもどうかと思う程本気の顔をしてしまい、美紀は慌てて口を押さえる。だがしかし、俺が取った行動はインパクトがあり過ぎたのか押さえたままもごもごと話すのを止めない。

 

「なにぃ? 静かに喋れよ、なんだって?」

 

「むっ胸、胸触りましたよね……!?」

 

「胸倉であって胸ではない。じゃあ言わせて貰うが、あの瞬間掴む場所選ぶ程余裕あったと思うか……!?」

 

このままだとセクハラの現行犯になってしまうのもあり、ほぼ逆ギレの状態で反論してしまう。

 

「そ、それは確かに……そうですけど」

 

「ぶっちゃけ俺は怒ってるからな、知識がないとはいえ迂闊すぎる。死んだらどうするんだ? 現に今死にかけたからな、普通死んでるからな? 今どれだけ幸運だったかわかるか?」

 

「は、はい……すいません」

 

「本当にやめてくれよ、ガス式だったら俺達吹き飛んでたからな? 俺だけならまだいい、お前が死ぬと誰が悲しむか―――」

 

「わ、わかりましたって本当にすいません……反省してます、本当に」

 

 流石に言い過ぎてもいけないので、美紀が完全に意気消沈する前に止めておく。今はまだ本当に不注意な事をしたと反省して、俺が怒った事に成すがまま……という感じだ。ちょっとだけ言い過ぎたか? いや死にかけたからこれくらいがいいか、軽いと意味ないしな……死にかけたのは美紀本人だし、途中からもう本気だったし。

 

「……いや、俺も少し言い過ぎた。すまない」

 

「……本当に、胸触ってませんか? 感触覚えてません?」

 

……割としつこいな、貞操観念が強いんだろうか。いやでも会って間もない男に急に触られたらびっくりするか。

 

「触ったの鎖骨辺りだしな……」

 

「た、確かに鎖骨辺りがちょっと痛いですけど……」

 

「わ、悪いな」

 

「あとナイフ持ったままで怖かったです」

 

「さ、逆手持ちだから多少はね? そういう時の、ほら、持ち方だから。ほら刃も自分側だし」

 

 なんとか言い訳を付けようと持ち方とかナイフにどれだけ慣れているか見せる為に回してみたりだとか、必死に弁解する。最初は半信半疑で聞いていた美紀だが、次第におかしかったのか微笑みが混ざってきている。

 

「わかりました、助けて頂いてありがとうございます。……正直目とか掴み方とかは怖かったですけど、助けて貰った事に変わりはありませんし」

 

「そ、そうか……分かって貰えて良かった―――あっ」

 

「え?」

 

「クソッ、イチャついてる場合じゃねえ」

 

「い、イチャ!?」

 

「黙ってろ」

 

 辛うじて残る短い右腕を美紀の首に当てて下がらせる。それも色々と誤解を招きそうなものだが、今はそんな事を考えている暇はない。空中で停止するナイフを押し退けて現れた人物がいたからだ。

その人影に気付き、美紀のライトが“それ”を照らす―――

 

「お前は……!」

 

それは久し振りの……人間との再会だった。




グダった前話を乗り越えてそこそこ真面目な展開です。
それぞれの自分に対する評価を得た主人公はより一層『役割』をこなそうとします。
『男らしく、強く』をモットーにする彼は、学園生活部の皆が傷つく姿を見たくない。そう強く感じ始めていました。

改変前にテコ入れ回するとか言った気がしますがダレたので没です。
各々ウイスキーボンボンを食べて、攻撃性が増した胡桃にプロレス技を掛けられ包容力が強化されたりーさんに可愛がられ、そんな姿を見たみーくんに毒を吐かれ、まるでどこかのフレンズのようになった由紀を見たくはないでしょう。
と言う訳で方向性もキャラ付けも197度くらいひん曲がりそうになったのでお蔵入りです。



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