がっこうぐらし!―Raging World― 作:Moltetra
やっとの事で学校に着く頃には、もう空の端は白み始めていた。少し眠ったおかげでまだマシだけど、それでも微かに睡魔が思考を蝕もうとしてくる。それを両手で頬を叩いて追い出すと、雅さんから託された日本刀をしっかりと握ってこれからの戦いに闘志を燃やす。
「……イツキくん?」
正門の影から僕を呼ぶ声がした。若干警戒しながらも目を向けてみると、そこには菊月の元へ僕達を案内してくれた玖城さんとその他数人の女性達が居た。
「あ、玖城さん。ここ危ないんで逃げた方が良いですよ」
「そうだけど、そう簡単に今まで居た場所を捨てる事なんてできないわよ」
色々な事があったんだろう。惜しむような、憎むような……何とも言えない面持ちで校舎を眺めている。でも、これから僕達がする事は正真正銘の殺し合いだ。菊月……さんも、あの様子だともう誰も信用しない。
今までずっと従ってくれていた坂上さんが裏切ったんだ。僕達には朗報でも、もう殆どの人が居なくなってしまったあの人にとっては天涯孤独だと印を押されたにも等しい。
「……それでも、今は逃げてください。流れ弾に当たって死んじゃったりとかしたら、僕はきっと後悔しちゃうんで」
「優しいのね。妹さんも、お兄さんのそういう所に似たのかもしれない」
「や、やめてくださいよ……とりあえず今はここを離れてください、どこか木の影でもいいんで」
「……わかったわ」
なんとか言う事を聞いてくれた玖城さんは、女性達を先導してここを離れようとする。だけど、何かに気付いたように辺りを見回して、改めて僕の方へと詰め寄ってきた。
「あの男はどこにいるの?」
「あの男? 雅さんの事ですか?」
「ああ、やっぱり本名は雅って言うのね。一緒に逃げたんじゃなかったの?」
何か怒っているようにも見えるけど、なんでだろう?
「ここに来る前にも色々無理してて……でも代わりにこの刀を預かりました」
「はぁ、あんだけ偉そうな態度なのに随分軟弱なのね。私でも勝てそうな気がしてきたわ……」
「いやぁ、無理だと思いますよ? 多分素手でも……体格差もありますし」
「なんで大事な時に年下を1人で行かせられるのかねぇ、しかも剣1本って。マシンガンでも持たせなさいよ……」
「マシンガン……物によっては僕持てませんけど、どれの事言ってますか?」
「マシンガンはマシンガンじゃないの? いっぱい撃てる奴でしょ?」
「あっ、もういいです。とにかくここは危ないんで離れてくださいね!」
話を無理矢理切り上げて玖城さんの肩を掴み、回れ右をさせる。ダメだ、銃の事を知らない人と銃の話をしたら僕は……耐えられない。
屋上や窓の1つ1つに人影がないか確認すると、出来る限り早い速度で校庭を駆け抜ける。
坂上さんはどこにいるんだろう? 別れ際に言ってた事が本当なら今頃……どちらかが死んでいるかどちらも死んでいるかしかない。どちらも銃は持ってるけど……決定的な切り札になる銃をどちらも持っているとしたら、後はもう運の問題なんじゃないのか?
正面玄関には誰一人として存在しない。あの時数人の生き残りがいたのは知ってる、でもそれが今どこにいるか、生きているのかも分からないんじゃどう対処したらいいかも分からない。
「分からない事だらけじゃないか……!」
これからどうしたらいいか、あまりにも情報が少なすぎる。そっか、さっき玖城さんに聞けばよかったんだ。今更思い出しても意味はないけど、仮に聞いたとしても情報がなかったかもしれないけど、聞かないよりマシだった。
それなら、まずは屋上に行ってみよう。いやそれより装備が置いてあるって言ってた場所に行くべきか、まずはそこで装備を取り戻してそれから……いやでもその間に状況が動いて手遅れにでもなったとしたら。
――違う。考えても埒が明かない。まずは屋上に行こう。僕には胡桃さんみたいに鋭い直感もないし、雅さんみたいに人の気配を追える訳でもない。とにかく遠くから状況を見て、そこからどうするか考える性格だ。
でも今回はそれが許されない。スコープもなければ時間もない、刀1本で駆け回らなくちゃいけないんだ。もし誰かに会ったら速攻捻じ伏せて情報を聞き出す……ちょっと手荒だけど、それが一番手っ取り早い。
そうと決まれば―――とりあえず動かなきゃ。
「まず屋上、だよね」
できるだけ足音を消して、けどできるだけ早く移動する。無音とは言えないけど、そこそこ静かに移動できていると思う。
階段から3階に行って、更に上を目指す。でもそれより先の階段は無かった。……そうだ、校舎によっては屋上への階段は1つしかなかったりする。ならこのまま一周すれば!
廊下を駆ける。でも、悲しい事に突き当りの個所を曲がった所で2人の男とばったり出くわしてしまった。
「お前は……!?」
「うわ……」
2人共それぞれの反応を示しつつ、僕が持っている刀に目をやる。一方、2人が持っているのはさっきと同じくサクラ、それと腰にあるナイフだけだ。
「止まれ!」
「くっ……」
銃を突きつけられる。終わった、これじゃ銃には勝てない……諦めかけた瞬間、2人が構える銃のシリンダーに目が行く。目が暗闇に慣れてきたのもあって、そこに光る筈の弾頭がないのがわかってしまった。
「それ……弾、入ってないですよね?」
「……本当に入ってないと思うか?」
そう答えられちゃ僕にも分からない。見える箇所にはなくとも、今撃てる状態にある場所には弾があるかもしれない。それを確かめる手段は―――撃鉄が起きているかどうかだけだ。
「……わかりました」
刀をその場に置く。けど、柄の一部分が靴に辛うじて引っ掛かる部分に。
「そのまま動くなよ」
2人は左右にバラけながら距離を詰めてきた。そして片方が刀に手を取る瞬間に撃鉄の位置を盗み見る。
……起きてない、のは片方だけだ。しかも弾がある可能性が高い方が僕を見張っている。どうすれば隙を作れるだろう? 余所見をさせればなんとかなるかもしれないけど、こいつらがつい視線を外してしまう程に興味を惹く物……あっ。
「雅さん!? なんでここに―――」
彼らの背後、僕が正対する方向に向かって雅さんの名を叫ぶ。心底意外そうな演技をしたはいいけど、不自然になってしまったかもしれない。……でも、彼らには十分だったみたいだ。
「!?」
僕を見張っていた方の男が慌てて銃を向ける。その瞬間、右足を蹴り上げて刀を拾い上げようとしていた男の顔面に柄ごとぶつけてやった。次に銃口を逸らしていたもう片方の右手首を掴み、自分に銃口が向かない様に鳩尾に肘を入れる。
幸いにも引き金に指を掛けておらず、銃の暴発は無かった。怯んでいる間に腰に差してあったナイフを抜く―――
「すみません殺します!」
一言謝ってから、そのまま切先を脇腹に深く突き刺した。そこから若干捻りながら引き抜くと、やっと力が抜けた右手から銃を奪い取る。
「動かないでください」
起き上がろうとしていたもう片方に銃を向けると、男はぴたりと動きを止めた。僕には銃の重さで弾が入ってるかどうかわかるような知識はない。でも入ってるかどうか、それを今此処で一番知っているのは間違いなく目の前に居る男だけだ。
「手を頭の裏で組んで、少しでも動いたら撃ちます」
ごくり。生唾を飲む音が聞こえる。僕じゃない、脅されている立場にある相手のものだ。もしこの銃に弾が入っていなくてこの人が演技をしているだけだとしても、この体勢ならナイフを抜くにも時間が掛かる。
なんとか刀の端っこを踏んで自分の所まで引き寄せてくると、1歩2歩と後退してシリンダーをスイングアウトさせる。すると案の定装填済みとなる部分に1発だけ弾が込められていた。
よし、1発でもあればかなり余裕ができる。僕はこれでやっと切り札を得られたんだ。
「そいつ、には……手を……出すな」
横で転がっている男が僕の足首を掴んでくる。弱々しくて、少しの力で振り払えるのに……僕にはそんな事、到底できない。
「このままここから出て行くのなら手は出しません。でも邪魔するのであれば……僕も命の保証はできませんよ」
まるで雅さんみたいだ、と少し嬉しくなった。僕も強くなった、ほんの少しだけでも追い付けたんだ。ならもっと、もっと強くならなきゃいけない。誰よりも強くて、皆を守れて、皆から頼られるような人に。
「ぐっ……お前も、あの片腕野郎と一緒だ。……人を殺して、面白がってる。殺人鬼と一緒だ……」
「違う!」
思わず叫んでいた。なんでかわからないけど、殺人鬼だと言われたら無性に腹が立った。
違う、僕は殺人鬼なんかじゃない。だとしたら雅さんはどうなるんだ? 僕より人を殺した数も多くて、でも守った数も多い。僕を殺人鬼と呼ぶことは、雅さんも殺人鬼と呼んでいるのと一緒だ。だから……それは間違いだ。
「僕は、自分が死にそうになったからあなたを刺しました。それはその片腕の人も同じです。放っておけば自分が殺されるから、その前に―――」
「それは間違いだ……殺す事自体がおかしいんだよ……! 何の権利があって他人の命を奪えるんだ! 片腕もお前も狂ってる!」
「……なら、僕はどうすればよかったんですか」
「お前は―――」
最後の力を振り絞る様に、男は顔を上げた。その瞬間、僕の背後で破裂音が響き、僕の目の前で答えを教えてくれようとした男が床に顔面を叩きつける。
「ひっ―――」
そして逃げようとした男も再度響いた銃声で胸部を撃ち抜かれ倒れる。……薬莢が転がる音に、僕はこの場を脱する対抗心すらも失っていた。
もしあの人でなければ……僕は死ぬ。でも僕以外の2人が真っ先に撃たれたと言う事は……きっとあの人だ。
「耳を貸すな、イツキ。敵の言い分なんか聞いて何の得になる」
「雅さん……」
半身で振り返ってみると、雅さんは銃をポケットにしまいながら歩いてきていた。薄闇の中、黒いコートを着るその人は……まるで死そのものを纏っているような感覚だ。
あれには勝てない。そうやって本能が生き残る事を諦めているような感じさえある。僕は味方だからいいけど、もし敵だったら……考えるだけでも寒気が走る。
「銃を持ちながら人を殺すのは間違ってるだなんて、詭弁もいい所だ。殺す権利も道徳も、時と場合によっちゃ無視される代物だしな。そもそも他人に自分の理念を押し付けようとしてる時点で―――」
「雅さんは、自分を殺人鬼だと思いますか?」
今まで何人殺して、何度疑問に思った事があったんだろう。僕は殺人鬼だと言われて、雅さんも一緒だとこの人は言っていた。でも、間違いなく僕より殺している人から聞けば何かわかるかもしれない。僕は、自分が殺人鬼だとは思いたくなかった。
「俺は……ちが……いや」
何度か言葉を発しようとして、途中で止める。雅さんは何かを迷っている様に言い淀んでいた。
「……客観的に見ればそうだな、間違いなく俺は殺人鬼……しかもかなり冷酷で裁判なんて起こったら即死刑って言われるレベルなんだろう」
「誰かを守る為に……殺したとしても?」
「結果だけ見れば殺してるんだ、どうあってもそれは覆らない。現に今2人殺したしな」
2発目で撃った男の息がある事を確認すると、今度は銃をしまって腰から鈍色に輝く大型のナイフを抜く。そして躊躇せずに心臓の位置に合わせ、一気に突き刺した。
「確かに俺達は護る為に人を殺している。だからと言って正当化はされない、こいつの言った事は間違いではないし、むしろ正論だ。正論過ぎて虫唾が走る……」
「じゃあ僕達は、殺人鬼……なんですか」
「そうだ。俺達は血も涙もない殺人鬼で、人を傷つける事にほぼ抵抗がない異常者だ。……それがどうしたってんだ、そうでなきゃ今まで生きてこれる訳ないだろ」
まるで自分に言い聞かせているみたいだった。引き抜いたナイフから血が滴る度、その手は震えている気がする。雅さんは……本当は殺したくないのかもしれない。でも、今の僕がやったみたいに、放っておけば自分が死んでしまう状況で……仕方なくやっていただけだとしたら。
僕が勝手に抱いていた完璧な人という認識は、間違いだ。この人は、弱い。
「人は元々同族を殺す事に抵抗を感じる様に出来ているって聞いた事がある。真っ赤な嘘だと思ってたが、いざ初めて殺す時はあながち間違ってもないと感じた。でもまあ、人は慣れればどうにでもなる生き物でもあるからな。……俺はもう慣れた」
「諦めた、って事ですか」
「……そう、言えるのかな」
それは初めて聞くかもしれない声だった。口調も、声色も、何もかもが弱く聞こえる。今では信じられない、なんとも優し気な声だ。こんな話し方をする人が人間を、あいつらを屠っている。その事実を僕は……見たくないと思う。
「イツキ? どうしたんだ」
まるで夢だったかの様に雅さんは本調子に戻っていた。でも、顔をよく見れば疲れているとわかる。目の下にあるクマや少しだけやつれた顔、それにさっきとどめを刺す時だっていつもよりゆっくりとしていた。
「いえ、なんでもないです。それより雅さん」
「……なんだ? 真面目な話か」
僕の顔を見て、雅さんも少しだけ気合いの入った顔になる。でも僕が言おうとしているのは、それを壊してしまう言葉だ。ここまでやってくれている人に、ここまでやってくれている人に言う事じゃないかもしれない。
でも、言おう。きっとこのままじゃこの人は倒れるに違いない。この一件が終わったら……あともうひと踏ん張り……そうやって無理矢理奮い立たせているんだ。
「はい……雅さんは帰ってください、僕は大丈夫ですから」
「何を今更……毒を喰らわば皿までと言うだろう。いやこれが毒とかじゃなくてだな? 一度踏み入った事だ、最後までやらなきゃ筋が通らない」
「僕から見ても分かります。雅さんはもうとっくに限界を超えてますよね? あの時、倒れる寸前で踏み止まってから」
「そうか……お前から見れば、あれが限界に見えたか」
慣れた手つきでナイフを曲芸師の様に回す。余裕そうな表情もその仕草も、僕に弱っている事を悟らせない為のフェイクかもしれない。まだ行ける、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせて、ついに限界も自覚できなくなってるのかも。
「今からでも遅くありません。それに……あなたが死んだら、悲しむ人がいっぱいいるんですから」
「俺の限界はこんなものじゃない、とっくの昔に超えてんだ。あの時―――右腕を落とした時に俺は死んでいる筈だった。なのにまだ生きてるって事はもうほぼ不死身と言ってもいいくらいだ。銃で撃たれても奇跡的に軽傷で済み、何度心が折れようとこうやってまた立ち上がれる」
「でも代償はありますよ。気付かないだけで今も何かが零れているような……そんな気がするんです」
「ならこれが終わったら休もう。どこか安心できる場所を見つけて、2ヶ月くらいダラダラさせて貰うさ。だから今は……踏ん張り所だ、気合い入れろ。辛くなったら逃げるから」
そう言って逃げた事があっただろうか。そもそも逃げるなんて一回も言ってない気がする。
やっぱりこの人は危ういんだ。誰かが付きっきりで監視でもしてないとすぐ無理をして……倒れてしまう。今はまだこうして話せる程度で済んでるけど、これ以上無茶をさせたら皆に怒られる。
「そう湿気た顔するな。俺なら大丈夫だ、だがタイムリミットはある。あと1時間、それ以上は流石に厳しい。それに、俺もあいつに聞きたい事が山ほどあるんだ」
「……わかりました」
「よろしい。お前が先導しろ、これも預けておく。残弾確認を怠るなよ」
ナイフを脇に挟んで、ポケットからM1910を出して僕に差し出した。唯一の銃も僕に渡して……大丈夫なのかな。
「じゃあこれは雅さんが持っててください」
銃を受け取り、代わりにさっきまで男が持っていたサクラを手渡す。慎重にハンマーダウンさせ、シリンダーをオープンさせた雅さんは不敵に笑った。
「自決用か……悪くないな」
「違いますよ、雅さんならその1発で全部片付けちゃうんでしょう?」
「あまり過大評価してくれるな、ぶっちゃけ俺は弱いぞ。銃の腕なら忍が一番だ、俺は……いつも索敵に回ってたからな。帰ったら昔の話でもするか、俺がまだ仲間と……足掻いてた頃の話を」
「じゃあ楽しみにしてます」
「ああ、そうしろ」
銃をしまって、雅さんはまた大型のナイフを持つ。……様になってるなぁなんて思いながら、僕達はまた歩き始める。
そこから3階に上がるまで、誰一人として僕達の邪魔をする人間はいなかった。
「止まれ、何か変だ」
屋上へと続く階段を探す途中、急に雅さんが立ち止まったと思えば窓際へと寄る。僕もそれに続くと、ナイフを順手に持ち替えて音もなく歩き始めた。
「……どうしたんですか?」
「嫌な感じがする……この道はやめておいた方がいい」
「でもここ以外となると反対側まで回らなきゃいけませんよ」
「……そうか。空薬莢あるか? 向こうに投げてみろ」
幸い捕まった後でも上着のポケットには7.62mm弾の薬莢は残っていた。もう使えないと判断して残されたんだろう、それが今役立つなんて思いもよらなかった。
出来る限りコンパクトな動きで投げた薬莢は僕達の10m程先で独特の金属音を響かせる。一体何があると言うのか。半ば疑問に思いつつ待っていると、奥に人影が見えた。
「……え」
それは人としては不格好な歩き方で、不自然な足音を立てながら近付いてくる。……あいつらだ、でもここにはあいつらはいなかったし、もし数体が侵入したとしてもこんな上階にいるとは思えない。
可能性として考えられるのは下の階で噛まれた後意識がある内にここに移動したか、以前から隔離されていたのが混乱に乗じて出てきてしまったかだ。
「待ってろ」
ナイフを逆手に持ち替え、雅さんが無音で近付いていく。あっという間に背後に着くと、まず膝裏に蹴りを入れてバランスを崩させナイフの峰を首に引っかけ、倒れた所にすかさず眼球ごと脳を貫いた。見事な早業だ。
「温い……まだ“成って”から時間が経ってない。……妙だな」
「噛まれてから来たんですかね」
「かもしれないな。でもここまで来るのに1体も出くわさなかったが……いや、噛まれてない……?」
死体を検分する雅さんは至る所に目を通していく。四肢や首元、どこにも外傷はない。それどころか返り血を浴びた痕跡すらない。なら後考えられるのは……奴らの血を飲んだ? そんな事をするくらいならナイフで首を切った方が楽に死ねるんじゃないのか?
「どういう事だ? さっぱりわからんな」
「外傷がないのなら感染しようがありませんよね?」
「多分な。注射器か何かで血を入れられた可能性もあるが……どこにも痕がない。汚染された飯でも食べたか?」
「あ、多分それですよ。返り血を浴びた手で何か食べたんじゃないですか?」
「今の所そういうのが有力だな……機会があれば検証してみるか。一先ず先に進むぞ」
検証っていうのが少し引っ掛かるけど、1人で行ってしまう雅さんの後を追って奥へと進む。また1人、また1人と感染者がぽつぽつと徘徊する中、それぞれが孤立していたのもあってか無力化するのは簡単だった。
そしてその度に簡単な身体検査を行う。外傷はあるか、血を浴びているか、体温はあるか。
「雅さん? どうかしたんですか?」
「………いや、なんでもない。先に進むぞ」
さっきよりも表情がキツくなっているみたいだ。さっきも言っていたけど、タイムリミットが近付いているのか……それか他の事なのかも。
それにもし何かあったとすれば教えてくれるだろう。なのに教えて貰えるどころか黙り込んでしまうという事は。
「誰も噛まれていなかったんですか?」
「いや、最初の1人以外は噛み傷があった。かなり新しい……体温も残っていた」
「じゃあ最初の1人が汚染された何かを食べたんですね」
「………そう、だな。そうかもしれない、いつも悪い方に考えるのは俺の悪癖だな。それより時間がない、急ぐぞ」
「そうですね……」
それから少し進むと、ようやく上に続く階段を見つける。赤色のライトで足元を照らした雅さんは「ふむ」と何かを思案している。
「行った足跡があっても帰った足跡がない」
「え、じゃあまだ屋上にいるって事ですか?」
「ああ、2人分の足跡があるにはある……が、階段を使わずに降りれば足跡は付かない」
それはつまり……屋上から飛び降りたって……いやいや、流石にそんな真似しないだろう。いやでも……するかな。あの2人の関係は全く分からないけど、もし心中なんてしていたら……なんて美波に説明すればいいんだろう。
「一番手は任せる。今の俺は全くもって役に立たない、弾も取っておきたいしな」
「わかりました」
出来る限り静かに階段を上がっていき、屋上への扉を前に一旦止まる。振り返るとナイフをいつでも抜ける様に構えている雅さんがいて、僕と目が合うと微かに頷いた。
ドアノブに手を掛けようとした所で、微かに声が聞こえてくる。距離があるのかよく聞き取れないけど、言い争っているような雰囲気じゃない。
「いるみたいです」
「そうか、ならこれ以上探す手間も省ける。行け」
一瞬どう出て行けばわからず戸惑ってしまう。一気に行った方がいいのか、それとも普通に出て行けばいいのか。争っていないのなら普通に出て行ってもいいだろう。
ドアノブを捻り普通に開けると、ゆっくりと顔を覗かせる。屋上の一番奥には2人の人影があって、お互いに銃を向け合っているらしかった。
「どうだ?」
「銃で牽制し合ってます」
「……よくないな。とりあえず出たらお前は菊月を狙え、怪しい動きをしたら迷わず撃っていい」
「り、了解」
ノブを捻り切ると、タックルをするかの様に勢いよく飛び出す。その音に1人は銃をこっちに構え、もう1人は動じない。とりあえず構えてきた方に照準を合わせて、ゆっくりと近付いていった。
「ほら、もたもたしてるからお客さんが来たぞ」
「クソッ……まさか戻って来るとはな。折角助けてやったのに自分から死にに来たか」
どうやら僕に銃を向けているのは菊月で間違いないらしい。ゆっくりと距離を詰めながら、まともに狙える距離で一旦止まる。
「どちらも銃を捨ててください」
「だとよ? 坂上」
「余裕綽々としてるが、残り1発だろう? さあ誰を撃つ」
「……はぁ、余裕ないってのに。問答聞いてられる程暇じゃないんだが」
銃を構えて後から来た雅さんだけど、その銃口は坂上さんに向いていた。銃を持っている以上警戒している……? さっき助けてくれたからそんな心配はいらないと思うけど、雅さんなりに何か考えがあるのかもしれない。
「坂上、何故撃たない? 自分で決着をつけるって言ってたよな?」
「……色々と聞きたい事がある。それを聞くまでは手を出すな」
「じゃあ拷問でもすればいい。そいつの右手ぶち抜きゃ終わりだろう、手伝ってやろうか。情が湧いたなら俺が殺ってもいい」
「やめろ! お前には関係のない話だ」
これじゃ話が進まない。朝が来るまで銃を向け合う状態が続いてもおかしくない。
「美波がお前を待ってる。お前が生きて帰ってこなきゃ死んでやるとよ」
「美波が……そこまでか」
そこまでは言ってないけど、少し揺れた様に思える。何を聞きたいのかはわからないけど、早く終わらせなきゃ雅さんの体力が……
「菊月。改めて聞く―――なんでデマを流してまで避難所を壊した? あそこまでやらなくとも出ようと思えば!」
「分からないのか、する必要があっただろうに。……じゃあ答えてやろう、単に気に入らなかっただけだ。全員があいつの顔色を見て、利益を求めようとゴマすって、その所為であいつはまた調子に乗る。一度ぶっ壊さないといけなかったんだよ」
「だからと言って死人を出す事までなかっただろう!?」
「あったさ、じゃなきゃあの偏屈な爺と独裁者はいつまでも他の人間を食い物にした。まあここに1人独裁者気質な奴が1人いるけどな」
菊月は僕達を見る。それに雅さんは皮肉っぽく鼻で笑って返した。
「俺が独裁者? 大当たりだな。自分の好きな様にやって何が悪い。俺は自分を曲げない、いつでも俺が正しいと判断した事をするまでだ」
「……そうやってると、いつか背中を刺されても文句言えねえなぁ」
「構わない。むしろ殺せるものなら殺してみろってんだ、俺を殺せるのは俺に最も近い人間だけだ」
最も近い人間……か。勿論距離の話じゃない。今雅さんに一番近い人は誰なんだろう? 悠里さんか、胡桃さん、もしかしたら僕かもしれない。でもそれを口に出す事は絶対にないだろう。この人は正直だけど素直じゃない。
「聞きたい事は聞けたか、坂上」
「……いや、最後に1つだけある。菊月、お前は……玖城をどう思ってたんだ」
玖城さん……? そういえば、案内された時もずっと菊月の話をしていた。好きなんだってわかったけど……なんで最後の1つが玖城さんなんだろう。
「どうも思わないさ。あいつは――単に人員を増やす器でしかない」
「……そうか」
最期の答えは、僕でも嘘が詰まっていたように感じた。坂上さんは容赦なく引き金を引き、乾いた音が周囲の木々に吸い込まれていく。そしてどさりと、この世からまた1つ命が消えた。
「思いの外呆気なく終わったな、俺としては拍子抜けだ」
今まで散々な目に遭ってきた雅さんにとってはかなり淡白な終わり方だったらしい。でも、結果はともかくとして問題はその途中にあるんじゃないかと思う。来る前に悠里さん達ともいざこざがあったし―――それにかなりショックな事も言われていた。
「帰るぞ、俺が倒れたらおぶってくれよ。眠くて仕方ないんだ」
気が抜けたのか、あくびをしながら引き返そうとする雅さんの顔色はかなり悪い。後から続く坂上さんは深いため息を吐きつつ、「気が向いたらな」なんて返している。この2人、似た者同士なだけあって気が合うのかもしれない。
それから、結局雅さんは学校を出た所で力尽きた。気が向いたらなんて言っていた坂上さんが率先して雅さんを背負い、帰るべき場所へと歩いていく。車に着いた時は雅さんが死んだとみんなが誤解して慌てふためいたけど、坂上さんの対応でなんとかその場は落ち着いた。
1つ気に食わないのは美波が僕達を見るなり真っ先に坂上さんに飛びついた事だ。兄である僕よりどこの馬の骨とも知らぬ男に抱き着くというのはいかがなものだろう? 雅さんが起きていたら大笑いしているかもしれない。
僕達は……僕はやっと取り戻せたんだ。あの時できなかった事を、皆にはかなり迷惑を掛けたけど成し遂げられた。これでもう、心残りはないと……思ってしまう。
もしかしたら……僕はもう―――十分に生きたのかもしれない。
大きく期間が空いてしまいましたが私は元気です。大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
最早何も言うまいと言い訳を考える事すら放棄して、これからも続きます。