がっこうぐらし!―Raging World―   作:Moltetra

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途中人によっては不快な描写がいくつかございます。ご了承と共にご注意ください。


17.お風呂・後編

 

 

「寒かったんじゃない? 体冷えちゃったでしょう?」

 

「別に……」

 

 入浴中の悠里に間の抜けた返事をしながら、俺はひたすら地面に意味のない数字の羅列を書き殴っていた。

 

「でもかなりの間外にいるわよね?」

 

「寒さには慣れてるんだ、気にせずゆっくりと入ってくれ。イツキの時間も考えつつな」

 

 缶詰が20個近くに乾パンの袋が6つ、缶詰のも合わせて13個。最後に確認した食料の備蓄数を書きながら全力で気を逸らす。こうなってしまったのには理由がある。それは少し前の事だが……あまり思い出したくはない。1つ言えるのは……今時の女子っていうのは怖いんだな、なんて教訓だけだ。

 

「じゃあイツキ君が上がったら雅さんの体を拭きましょうか、手伝うわ」

 

「1人で大丈夫だ」

 

「ダメよ、背中まで手が回らないでしょ?」

 

「柔らかいから届く」

 

「……もう、どうして素っ気ないのかしら」

 

「自覚がないのか、はたまた計算しての発言なのか……恐ろしい」

 

 最後の一言は極力声を絞り、悠里には聞こえない様にしていた。普段独り言なんてめったに言わないが、今はこうして外に出さないと胸の内にある焦りに押し潰されかねない。

 全く、恐ろしいものだ。何度もそう思考しながら、この寒さの中でも一際煮え滾ってしまう頭を冷やそうと努力する。今こうしてここに座っていられるのは弛まぬ努力と決意あってこそのもので、甘い誘惑に勝った証拠でもある。……本当に、恐ろしい。

 

「ねえ、雅さん?」

 

「なんでしょうか」

 

「少し相談、してもいいかしら?」

 

「……ん?」

 

 先程とは違うシリアスな雰囲気を感じ取り、すぐさま思考を切り替える。現実逃避も数少ない記憶を遡っての食料の備蓄状況も全てゴミ箱に放棄して、どんな問題が突き付けられても取り乱さない様に心構えをしておく。

 

「イツキ君の……事なんだけど」

 

「イツキがどうかしたか? それかイツキが何かしたか?」

 

「ううん、特に何もしてないんだけど……ね」

 

 何かを気にするように、いつの間にか声もいくらか小さくした悠里はぽつぽつと話し始める。自分の中でも確信が持てていないそれは結論としてではなく、判断材料を並べていくように不審点を引き摺りだしてくる。時折適切な言葉が見つからないのか、うーんとしばらく唸っていた事もあった。

 

 それは、イツキを咎めるモノではない。俺から見ても普段と変わらない……会った時から変わらない様子のイツキは、俺がいなくなった瞬間から様子がおかしくなるらしい。

 かなりの頻度で溜息やそわそわした様子を取り、声を掛けても上の空。いざ話してみても、稀に話を聞いていない時がある。

 それだけ聞けば以前イツキがぽろっと漏らした『好きな相手』の事を思い浮かべてしまうが、悠里曰くあれは今ここに居ない相手が気になっていると言う。その証拠として、美紀の前でもその様子は変わらないと来た。

 美紀を前にしても何か他の事に執着し、思案しているのだ。

 

「……なるほど、さっぱりわからん」

 

「私もわからなくて……聞いて良い事かもわからないからどうしようか迷ってるの……」

 

「聞けばいいじゃないか。聞かれたくない事なら話を濁すだろう。流石にあいつもイエスマンじゃないさ」

 

「でも今まで言った事に歯向かったりした事あったかしら?」

 

「……うーん」

 

 そう言われてみれば、あいつが誰かの言いつけを破った事があったか? 言われた事どころか、自ら危険な役目を買って出る部分さえある。だがあいつがこの部に来た時の条件として命令を無視しない、という条件もあった気がする。

 

「まあ、俺から聞いておこう。イツキの件は任せてくれ」

 

「でも……いつも雅さんに任せてばかりなのは……」

 

「こういう時対処する為にも俺がいるんだ。俺からその役目を取ったらただの殺戮人形に過ぎない」

 

「そんな事……!」

 

「自分でそう思っちまうんだ、だから気を紛らわす為にもやらせてくれ。俺の生きる意味はもう悠里達に貢献する、それしかない」

 

「……わかったわ。でも雅さんは人形なんかじゃない、ちゃんと心を持ったヒトなんだから」

 

「どうかな……」

 

 悠里にそんな事を言われても、俺の心とやらはピクリとも反応しない。感動も、誰かがいなくなった事に対しても無反応な俺は……ただあるのは衝動だけで、それも本能みたいなものだった。

 精神的に幼いのか、それとも達観し過ぎているのか。恐らくそのどちらでもないのだろう。ただ単に、俺は昔から心などなかった。それが何故なのか、いつからそうなっているのかは既に忘却の彼方となっている。

 

「あなたの“それ”も、その内治さなきゃいけないわね……」

 

「……それ、とは?」

 

 ぼそっと呟いた言葉に疑問を呈する。俺に何か悪い所があっただろうか? 身体的な事なら右肩にある銃創くらいなものだが、精神的な物となるともう心当たりが多過ぎて絞り込めない。

 

「なんて言ったらいいのかしら……記憶、とか」

 

「記憶……なるほど、そういう事か」

 

 俺の記憶に関する事であれば、大体察しが付く。所々抜けている自覚はあるが、大抵その原因は自分にとって都合の悪い事……枷にならないように、勝手に消えてしまう記憶に関しての事だろう。

 ただ現状で都合の悪い事を忘れると言うのはあまりにもリスクが高い。以前襲われた地点も、例として略奪された物資もわからなくなってしまうからだ。

 1人の時ならそれだけだが、今こうしてグループで行動しているなら治すべき点ではある。ただ……

 

「俺は、まともでいられるのか……それが不安で仕方ない」

 

「……」

 

 悠里の沈黙が抱いた懸念を更に加速させる。もし、俺の失態で誰かが傷ついていたら。見る限り普通の生活をしている以上目立った傷はないとしても、見えない傷を負っている可能性もある。

 例え自分ではどうにも出来ない状況だったとしても、必ず後悔するだろう。それが大きければまた……忘れてしまう。

 

「大丈夫……って言うのは無責任だけど。雅さんも……知りたいでしょ?」

 

「勿論、自分の事なのにわからないっていうのは色々と気持ち悪い。でも……情けない話だが、薄々怖いと思っている。もし俺がそれを聞いて、迷惑を掛ける事態になってしまったらと思うと……」

 

「そう、ね。……雅さんが良ければ、今夜話すわ」

 

「わかった」

 

「じゃあ、今夜……部屋で待っててね?」

 

「ああ」

 

 約束を交わして、悠里は湯から上がっていった。割と入っている時間が短かったが……ちゃんと温まっているだろうか? これが原因で風邪なんかひかれたら皆から責められそうだ。

 ―――というより、なんかおかしくないか? 今の会話はまるで……

 

「……いやぁ、それは……流石にないな」

 

 はい、ありません。と見切りをつけて、小石と一緒に背後へ思考を投げやった。こういう時こそ忘却術を使うべきだ。これは自分に都合が悪い、間違いない。とは言え忘れるには一度眠る必要がある訳で、どのみち今日1日は覚えているハメになるな。面倒な事だ。

 

「それじゃあ、後でね?」

 

「ああ、湯冷めしないようにな」

 

 戻っていく悠里が小さく手を振っていたので、俺も軽く返してやる。

 よし、気持ちを切り替える時だ。次はラストのイツキ、先程悠里から請け負った件の前段階を実行しなくてはならない。……しかし、一度に美紀とイツキ2人分を抱え込むのは些かキツいのではなかろうか?

 今夜の事も含めれば、実質抱えているのは3人分。中でも俺自身の問題は文字通り他人事ではない。ダメージと状態異常によっちゃあ……もしかするとこのグループから離脱する可能性もある。

 

「となると、これが最後……か」

 

 まだ確定はしていないにしろ、その可能性は高かった。何が待ち受けているのか、何処かへ放り投げてしまった記憶に1人肩を震わせながら、なんだか感慨深くなってくる。

 

「こんな最後は……嫌だな」

 

 独り言なんて、まるで意味のない事だ。そうわかっていながらもこうして口に出してしまうのは、誰かに聞いて貰いたいからだろう。よくやったと褒められて、ありがとうと感謝されて、これからも頑張れと慰めて欲しい。そんな弱い考えがいつの間にか胸にあった。

 やっぱり俺は、人を引っ張っていくには力不足なんだ。出来るのなら誰かの下で、信頼できる人間の為に力を振るいたかった。頭で考えるのは苦手だ、だからこの状況はほんの少し気に入っている。頭で考えず、人道や決まりに囚われず、ただ闇雲に体1つで生き抜ける……今の世界を。

 

「すみません! 遅れました!」

 

 何がどう遅れたのか? 全く負い目が見つからないイツキの社交辞令に、俺は静かに振り返る。

 

「ああ、さっさと風呂に入れ。外は冷える……風邪ひくぞ」

 

「はい!」

 

 急ぎ足で衝立の向こうへと走っていったイツキの様子はどこもおかしく感じられない。隠しているのか、それとも最初から勘違いしているだけで、ただの気苦労だったのか。今の俺は後者を願う。そして次に、どう切り出せばいいかを。

 

「お待たせしました!」

 

「早くない?」

 

「はい! ゆっくりしてると雅さんが風邪をひきますからね」

 

「……そうか、まあ入れ。少し込み入った話があるが……折角息抜きできる時にするのは野暮か?」

 

「全然です!」

 

 終始元気のいいイツキは拙い敬礼をして風呂に浸かる。そこからしばらくして、まだ余韻もあるだろう時に俺はやっと意を決した。

 

「お前、何か悩んでないか」

 

 少々強張った言い方をしてしまった所為で、イツキはビクッと体を震わせた。その様子から見るに図星だ、だがまるで悪事を働いた子供の様な反応に、何となく訝しく感じてしまう。

 

「まあ、この人数で匿名にしても意味がないだろうからストレートに言うが……悠里から相談があった。最近のお前は少し様子がおかしい、と」

 

「さ、最近って言っても僕……ここにきたのが最近ですよ?」

 

「確かにな。その期間の中でも最近と言うと……まあ数日か? 普通じゃあり得ない程濃い関係をしてるんだ、短い付き合いでもわかるんだろう」

 

「悩みっていうか、完全に私事(わたくしごと)ですし……」

 

「表に出さなくとも多少影響は出る。むしろ表に出さないからこそ、滲み出る物に周りは困惑する。俺としては、不安の種は出来る限り摘んでおきたい。……それが例え、どんなに無害な物でも」

 

 こいつが入ってからの記憶はあまりない。いつの間にかそこにいて、いるのが当たり前。だからどれだけ前から居たという期間はそれ程問題ではない。俺にとって重要なのは時間ではなく、どれだけメンバーの心に浸透しているか、その影響力がどこまであるかだ。

 最も、イツキの場合はそれにいくつか加算される要素がある。主に戦力的意味合いと敵に回した時の脅威度だが。……色々教え込んだのが裏目に出なければいいんだけどな。

 

「……わかり、ました」

 

「一応言っておくが、本当に嫌ならそれでいい。脅しみたいな感じになっちまったのは……まあ性分だ、悪いな」

 

「いえ、雅さんの仰る事はもっともです。でもこれは……本当に、皆さんには関係のない事なので……」

 

「こうして一緒にいる時点で無関係とは言えないな。少なくとも俺はどんな問題にも加勢する。家族の仇、過去の因縁、荒事なら大抵はいけるぞ。銃もあるしな」

 

「じゃあ、大丈夫ですかね? 実は、ですね……」

 

 初めて聞く弱々しい声に、俺は若干不吉な雰囲気を感じざるを得ない。もしかすれば、重大な事に首を突っ込んだかもしれないな。

 

「僕、妹がいるんです……」

 

「……ほう」

 

 どう相槌を打っていいかわからず、興味無さげなモノになってしまった。それは置いておくにしても、妹がいるのに何故イツキは今ここにいるんだ? 既に死んでいる、というものなら過去形になるものだが、イツキは「いる」と言った。つまりまだ存命している……それか、その可能性がある。

 

「でも、雅さん達が来る2ヶ月ほど前に4人組の人達が来て……安全な場所に移動しようって提案してきました。でもその時はまだ両親の帰りを待っている時で……とりあえず僕だけ残る事にしたんです」

 

「2ヶ月前……それでも大分時間が経ってるが」

 

「はい、僕も内心もうダメだなってわかってました。でも妹はそれを受け入れられなくて……」

 

「なるほど……」

 

 その後も話を聞く限り、イツキの妹……「神崎美波」の生存する確率は高いと見た。その妹を置いてきた理由、同じ兄としては最初信じられないという気持ちだったが、聞いていく内に段々と頷けるようになってくる。

 

 神崎樹は、妹である美波を4人組に引き渡してから2週間後に教えられた場所を訪れた。そこは当初1人も避難していない小学校だったらしく、他の場所から移動してきた一団が避難所として使い始めた場所だった。

 樹は門の向こう側で立ち番をする男に声を掛けた。

 

「神崎美波の兄です、妹は今どうしてますか?」

 

 男は訝し気に樹を一瞥する。

 

「さあ、雑用でもやってんじゃねえの」

 

 愛想のない顔で吐き捨て、あくびをして手に持っていた木の棒でコツンと地面を突き、音を鳴らす。まるで威嚇されているかの様なその対応に、樹は微かな異変を感じ取った。

 

「美波に会わせて貰う事って―――」

 

 そこまで言った所で、突如男は激昂する。

 

「っせぇな!! こちとら暇じゃねえんだよ!! しばくぞクソガキが!」

 

 あまりの剣幕に一瞬たじろいでしまったのがいけなかったらしく、男は更に激しく樹に怒鳴る。最後の方は殆ど言葉にすらなっていなかったようで、話の通じない相手と判断した樹は渋々出直す事にした。

 翌日。樹は時間を変えてその場所を訪れた。今度は違う人間で、外見もちょっと大人しめだ。

 

「すみません。神崎美波の兄で神崎樹って言います、美波に会わせて貰う事はできませんか?」

 

 出来る限り礼儀正しく言った樹に、男は無視を決め込んだ。数秒経っても眉1つ動かさない男に樹は困惑し、再度声を掛ける。

 

「あ、あの……」

 

「チッ……知らねえよそんなヤツ。女の名前なんかいちいち覚えてられっか」

 

 人は見た目に寄らない、という教訓を得た日だった。

 翌日、そのまた翌日と連日小学校を訪れるが妹に会う事は叶わなかった。それどころか対応は日々酷くなり、最後に行った日は石まで投げられる始末だった。そこで樹は感じていた異変を確信し、少ない食料と包丁、父が球場に行く時に必ず持って行く双眼鏡を持ち出し陽が沈むと同時に家を出た。

 人目を避ける様にフェンスが邪魔にならない小さな丘の上に伏せて、かき集めてきた枯葉を被った毛布の上に被せていく。映画で見た物を真似してみたが、思いの外隠蔽効果がありそうだと胸を躍らせ監視を始める。

 

 そこは、到底避難所と呼べる場所ではなかった。

 

 正門と裏門に立ち番が1人ずつ。1時間に一度2人組の巡回があるまではきっちりと守られた場所だと安堵していた。だが夜が更けるにつれ、校舎からは悲鳴や泣き声が聞こえてくるようになる。

 助けを求める声は数分もしない内に途絶える。どこかから響く泣き声も、最後は諦めたかのようにすすり泣く物に変わっていく。そのどれもが女性の声で、ならば男の声はというと笑い声や何かを楽しむ声ばかりだった。

 俺達の仲でも比較的幼い部類に入る樹は、その夜に闇を見た。この非常時に、縛る物がなくなった男達は好き勝手に貪り食っていたのだ。その様子を見て恐怖と共に吐き気を催した樹はぐっと堪え、どうにか喉元まで出かかっていた吐瀉物を飲み込む。嫌な酸味と苦み、喉が焼ける不快感を水で流すのも堪え、必死で教室の窓を探した。どこかの窓に、妹が立っている……そんな光景が頭を過ったからだ。

 必死に探した。時間が経つのも忘れ、ゆっくりと迫りくる睡魔も跳ね退け、何度も同じ窓を探す。無駄だとわかっている。自分1人で、包丁1本であの大人達に勝てるとは思えない。

 それでも、今この場から立ち去ってしまえば永久にチャンスを逃してしまう。そんな気がして、どくどくと破裂寸前の心臓を押さえながらやっとの思いで見つけ出した。

 

 そこにはあられもない姿で窓に押し付けられている妹がいた。その光景を見た瞬間、樹は心臓が止まったのではないかと錯覚する。破けた服はもう殆ど本来の機能を失っている。それどころか、その姿は男達の興奮を高める材料となっているらしい。

 樹は憎悪した。この場に居る男達を1人残さず惨殺したい。この世で一番苦しい殺し方で、でも一瞬で命が途絶えるのもいいだろう。それが出来る得物はなんだろう?

 その瞬間、樹の頭にはどこかで見た銃砲店が思い起こされる。正確な位置はわからない。最悪総当たりをすればいい話だ。銃さえあれば、いくら大人でも太刀打ちできる。そう結論付けて、樹は双眼鏡から目を離そうとする。

 

「……!」

 

 思考に夢中になっている間に、美波は偶然にも樹を見つけていた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、必死に何かを叫んでいる。そしてその後ろに居た男も、樹の存在に気付いて仲間を呼び寄せているようだった。

 このまま捕まってはいけない。確信した樹は毛布を撥ね退け、バッグを背負って走り出す。立ち番をする男に伝えようと窓を開けたらしく、背後からはそいつを追えという声……それと同時に、お兄ちゃん助けてと絶叫する妹の声も聞こえていた。

 

 後日、樹はやっとの思いで銃を手に入れる。それは俺達が来る9日前。それからは何度か試射と分解の練習に注ぎ込み、準備を整えていた最中だった。

 

 そして―――俺達と出逢った。

 

 

「……クソがっ!!!」

 

 途中から居ても立ってもいられず、俺は当たりを右往左往していた。そして話を全て聞き終わった今、最後の1本となる大事な左手を建物の壁に勢いよく叩きつけている。

 

「み、雅さん!」

 

「クソッ……何故言わなかった!? いや違う、何故気付けなかったんだ!」

 

 何度か叩きつけている内に拳がひりひりと痛む。見れば赤く滲み、赤い筋となって指先へと滴り落ちていた。

 

「雅さんの所為じゃありません! 今まで何度か言おうとしましたけど……それどころじゃないって、思っちゃって」

 

「それも含めて俺のミスだ……」

 

「雅さんは知らなかったじゃないですか……!」

 

「知らなかったから悪くないなんて、そんな言い訳が通じる程甘くない……今すぐ取り返しに行くぞ、支度しろ」

 

 火の始末もせずに、壁に立てかけてあった斧を手に取る。最悪俺1人でも行ってやる。車がなくなるのは痛いが……ああ、そうだ。イツキの妹だけじゃない、他にも俺は大勢抱えている。それらを全部片付けるなんて実力、どこにあるってんだ。

 

「クソ……だから嫌なんだッ!!!」

 

 渾身の蹴りは壁を容易く貫通してしまう。元々腐食していたのか、あまりにも手応えが少なかった。それか怒りでリミッターが外れてるのか? どちらにしろ俺には関係ない。今更穴を空けたくらいで文句は言われない。

 

「雅さんっ!」

 

 我を忘れていると判断されたのか、イツキは風呂から出てくると俺の肩を掴む。それも優しい物で、今も尚妹が蹂躙されているというのに気丈な振る舞いだった。

 

「他のメンバーには俺から説得する。心配するな、全員肉達磨にして奴らの餌にしてやる」

 

「いいんです、雅さん。きっともう……多分ですけど、手遅れだと思います。それに、生きてるかもわからない人間の為に命を懸けるなんて……」

 

「そんなものは関係ない! 生きていれば新入りとして迎える、死んでいるなら葬る、どちらにしろこのままじゃお前の妹は浮かばれない……お節介だろうが、このままじゃ俺の気も収まらないんだ」

 

「どうしたの!?」

 

 騒ぎを聞きつけて一同がこの場に集まる。丁度いい、話に行く手間が省けた。出来る限り優しくイツキの手を退けて、俺は悠里達に向き直る。相当怖い顔をしているんだろう、若干引き気味の一同を前に、感情のまま言葉を発した。

 

「これからイツキの妹を救出しに行く。異論は?」

 

「ま、待てよ雅! 救出って……どういう事だ?」

 

「イツキから聞け。俺はもう辛抱たまらん、今すぐにでも適当な奴の頭カチ割って脳髄引き摺りだしてやりたい気分だ。勿論お前らは対象外だ、安心しろ」

 

「イツキさん……これはどういう……」

 

「雅ってキレるとこうなるんだな……」

 

「みゃーくんどうしちゃったの? ちょっと怖いよ……」

 

 込み上げてくる激情を抑え切れず、大人げないと思いながらも握っていた斧を壁に振り下ろす。ピカピカに磨かれた刃先はがつんと深く食い込み、並大抵の力では抜く事も敵わない。

 

「雅さん落ち着いて……!」

 

「そんな乱暴な雅先輩、らしくないですよ!?」

 

 すぐさま飛び込んでくる美紀と悠里に体をがっしりと押さえ込まれ、身動きが取れなくなる。それでも力の差は歴然で、例え片腕でも男の腕力を前にしてはじりじりと押し返されていく。

 そんな事態になりながらも、悠里達を気遣って大人しくすると言う選択が今の俺には取れなかった。

 

「イツキ、話してくれ。あいつがブチギレてるのも理由があるんだろ?」

 

「は、はい……」

 

「話してる場合か!! すぐに行かなきゃ生存率がどんどん下がってくんだ! ただでさえ距離があるって言うのに……車の中でも口は開けるだろうが!」

 

「……とりあえず、車に荷物を積みましょう。話は移動しながら聞くわね? 美紀さんと由紀ちゃんは火の始末をお願いね!」

 

「でも悠里先輩1人じゃ雅先輩を……!」

 

「大丈夫だから! 胡桃はイツキ君と車の準備をお願い! 由紀ちゃん達も火を消したらすぐに積み込みを手伝って!」

 

 悠里の名采配により、一同はすぐさま行動を始めた。それと同時に悠里の力は弱まり、最早ただ手を添えているだけになる。

 

「お願いだから落ち着いて、今ここで力を使ったらいざという時に動けないでしょう?」

 

「……あぁ、そうだな。離れてろ、斧を抜く」

 

 一度悠里を遠くまで避難させた後、全力を持って斧を引き抜いた。かなりの力を使ったおかげで息も上がり、身体は言う事を聞かなくなってくる。目眩もしてくる辺り酸欠だろう。しばらく動かなければ収まる筈だ。

 

「悪い、少々我を忘れていた」

 

「雅さんがそこまで怒るなんて……余程の事なのね? 準備ができ次第すぐに出発するわ。それまで傷を手当てしましょう」

 

 どろどろと血が滴っている左手をハンカチで包んだ悠里はそのまま俺の右肩に手を回し、新館へと連れて行ってくれる。まだ暴れたりない感じはあるが……理性が働く程度には収まった。残りは奴らに全てぶつけてやればいい。

 

「絶対に血祭りに上げてやる……」

 

 言えば怖がられる。そうわかっているのに、呪詛が口を突いて出た。むくむくと湧いて出る憎悪は底が知れず、頭の中では悲鳴にも似た金属音の様な騒音が鳴り響いていた。

 その音を紛らわせる様に、ハンカチ越しの悠里の手がきつくなる。見れば、いつにも増して母性的な笑みで「大丈夫、大丈夫だから」と言い聞かせてくれている。きっと、最初から励ましてくれていたんだろう。髪はまだ乾き切っておらず、所々水滴を纏っている。……なんでよりにもよって、こんな時に。息抜きの為に設けた場がお流れになったにも等しい。

 とことん運がない。いや違う、それは絶対に違う。これも全部、俺が……

 

「雅さん!?」

 

 気付けば、俺はがくりと膝を折っていた。風呂に入った覚えはない、水を掛けられた覚えもないのに……地面にはぽたぽたと水滴が落ちている。

 

「こんな、時に……」

 

 猛烈な吐き気と強制的に遮断されていく視界。意識がどんどん切り離されていく嫌な感覚。……思い、出した。

 

「雅さん!」

 

 悠里の声を頼りに、持っていた斧を放して手を伸ばす。その手を掴もうとする悠里の手を寸前で躱し、最後の足掻きで自らの手を引き寄せた。口に勢いよく何かが当たる。

 それが自分の手だと確信した瞬間、顎が外れるかと思う位に大きく口を開き、そして噛み込んだ。

 

「……っはぁ、はぁ……よし」

 

 激痛で意識が引き戻され、視界も回復してくる。それと同時に、口の中一杯に広がる鉄の味も。

 

「よし、よし!」

 

 記憶は保持していた。思い出したものをそのままに、俺は悠里の顔を見る。

 

「……雅、さん?」

 

 声はそのままでも、その顔は大きく歪んでいた。いや……歪みじゃない。亀裂……? 違う、違う。まるでがむしゃらに、間違えた字をぐちゃぐちゃに書き潰すような……

 

「ゆう、り?」

 

「そう、そうよ! 悠里です!」

 

「……見えない」

 

「え……」

 

「顔が……見えないんだ。そこに、あるのに」

 

 手を伸ばした途端、もう1つの異変に気が付いた。自らの手から溢れる鮮血が、本来綺麗な程に赤い筈の血液が……黒く、どろどろとした物になっている。まるでヘドロのような……とても、綺麗とは言えない。

 どんなに目を擦っても、それは変わらなかった。右目だけ、左目だけと見る目を変えても、しばらく目を閉じてみても、何も変わらない。それどころか対抗策を試す度に悪化している感覚すらある。

 

「なんで……こんな時に」

 

 無理に耐えた結果が、堪えた結果がこれか? なら俺は一生忘れたままでいろっていう事か?

 

「クソッ……」

 

 泥の様な血を振り払い、俺は立ちあがった。せめてイツキの妹を救出するまでは……大丈夫だ、このままでも戦える。顔が見えないのなら心臓を撃てばいい、首を飛ばせないのなら、腹を裂けばいい話だ。

 

「何も、見えないの……?」

 

「いや、見える。ただ悠里の顔と……血が、泥みたいになってるだけで。戦闘に支障はない」

 

「……」

 

「でも思い出したよ。俺は悠里を護れなかった……本当に、すまない。このけじめはいずれ……身を以て払う」

 

 地面に落ちたどす黒い斧を手に、新館へと歩く。悠里は、その後ろを静かに歩いていた。




悠里の入浴前の話はまたいずれ……1つ確定なのは、R-18要素はありません。雅は必死に耐えました。

雅、限界突破です。ですが失った物も大きいものとなりました。
イツキの話は別のお話で捻じ込む予定でしたが、明らかにバッドエンド行き確定になりますのであまりにも可哀相! ……という事で雅を急遽参戦させました。それ以外の展開は同じです。

雅の見えなくなってしまった物にも理由がありますので、暇潰しに考察でもいかがでしょうか。一先ず一番わかりやすい物として悠里の顔ですが、1つは護れなかった人というのがあります。もう1つ理由がありますので……よろしければご考察ください。


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