がっこうぐらし!―Raging World― 作:Moltetra
寒空の下、声高らかに響く笑い声は……乾燥した空気を吸い込み、喉を痛ませる原因にもなり得る。正直言って自殺行為だ、だがあえて私はそれをやめない。やめられない。
「あはははははっ!! あはははは、やめっ、やめてって! あはははははっ!」
「何笑ってんだ、狂ってんのかお前」
「まさか! 私は狂ってなんかないよ! でも……ぷふふっ! 面白すぎてとまらないんだよ!」
「はぁーーー」
クソ長い溜息を吐く男は、近くの倒木に刺さっていた斧を抜き肩に担いだ。ちょっと汚れてるけど、手入れもされていればしっかり刃も研がれてる。職人気質、というものなのかな?
「それ以上笑ったら首落とすぞ」
「あはは! できる訳ないじゃんっ! 私を殺すなんて、自分の首でボウリングしてストライク出すくらいムリだよ!! あははははっ!」
「……本当に煩わしい、どこまでも気の狂ったヤツだなお前」
冷めた目で見つめると、彼女……? まあどちらでもいいか。急にけたけたと笑っていた様子から一変し、死んだ魚の様な目になる。
「仕方ないよ、それが私だもん。そうしなきゃ、保てないんだよ」
「はいはい、じゃあ好きに笑ってろ。……理解できんな」
「ふふっ、仕方ないね。あなたはもう捨てちゃったんだから。なのに迎えに来たの? 必要ないから捨てたのに、最近よく連れ戻そうとしてくるじゃん」
「さあ、どういう事だか。俺自身よくわからんがあいつらが笑っているのに俺だけが笑わないなんて……おかしいだろ」
「あははっ! おかしいね! 本当にそれはおかしいよ。まあ私も暇しないけどさぁー、いちいち呼び戻すのも面倒だしいっそ連れて行ってくれればいいのに」
「不可能だ。足手纏いになる」
がつん。斧を再度倒木に突き立てる。私達が座るこの木はとても大きくて、でも長さがあんまりない。だから2人座るにはちょっと狭くて、1人が座ると片方はもたれるか、立つかのどちらかになってしまう。
でもすぐ向こうにはちょっと細い木で、2人分座れるものもある。私は何度もあっちに座ろうと誘った。でも断られてしまう。
あれは2人分を支えられない、中身が腐っているんだそうな。そんな事ないよと嗜めても、絶対に私を座らせてはくれない。あいつばっかりずるい、いつもここに座って、たまにもたれたり半分だけスペースを開けてくれたりするだけだ。
「えー、ケチだなぁ。そんなので楽しいの? 私は楽しくないな、つまんない。やっぱり皆と話して、笑うのが一番だよ!」
「楽しみたい訳じゃない」
「じゃあなんで生きてるの? どうせいつか死ぬのに、我慢ばかりして死ぬより好きな事して死のうよ!」
「俺1人ならな」
「えー、ケチだなぁ。楽しくなさそう、辛いし怖いし痛いし。そういうの全部押し付けて、自分だけ良い思いしちゃってさ。それでいいの? 好きなのに、伝えずに死のうとするなんてヘンタイさんもいい所だね」
「好きに言ってろ」
血に濡れていく。大きな背中、真っ白の肌、自慢の斧。全部が赤く、黒く、どろどろと混沌と貪欲に凄惨で悲惨で無価値無意味全てが無駄で愚かで無意味で無意味で無意味で無意味で無駄無駄無駄無駄無駄。
「黒いね、真っ黒だね。でも楽しい、面白い、嬉しい……?」
「全く知らないな」
「あぁ……濡れちゃうね、本当は奥底にあるものを全部曝け出して、好きにしたいのにね。このままじゃ溺れちゃうね、このままでいいの? このままいけば、きっと後悔しちゃうね」
「……何を言ってるんだ、お前」
飲まれる。体中がどろどろとして、底のないものに。これは憧れ? それともただの願い? 渇望したものなんじゃないのかな。それはきっと、心から望んだものだよ。なんで無意味で無駄な事を続けるのかな? 皆を守って、良い事はあった? された? 今まで何をされて、何をしてきた?
「何もしていないし、されていない。それでも俺は―――」
いつの間にか、ちょっと寒い森の空き地にある風景は崩れていた。赤黒く、どろりとした臓物の地面。そこかしこに眼球や内蔵が蠢いて、こっちを見て、構ってほしそうにこちらを見ている。仲間にしてほしそうだ、仲間にしますか? ―――いいえ。臓物達は地面へと沈んで行った。でもまた出てくる、仲間にしますか?
―――いいえ。足元の瞳は全部潰す。気付けばあちこちに瞳があるし、もう全部は潰せなさそうだ。
「クソが! 毎晩毎晩……しつこいにも程がある!!」
おいしいものをたべよう。おいしいものはいっぱいある。
「いらない……雑草でも食ってた方がマシだ」
おいしそうなにくがある。だからいっぱいたべよう、きっとあたたかくて、きっとおいしい。
「いらない……指でもしゃぶってろ」
なんで俺は生きているんだ? 何の為に、誰かを愛せる訳でもない。しっかりと抱き締められる訳もない、触れない、褒められない、使い古されて捨てられる。もうどこに希望があるのか。どこに行けばいいのか。わからない、わからない、どうすればいいのか。
人を殺した、感染者を殺した、いっぱい殺した、沢山殺した、皆殺した。いつかあいつらも、殺す日が来る。ならいっそ、いつか壊れてしまうのなら。
ぷつり。全ては途絶え、常世へと返る。
「大丈夫? すごいうなされていたわよ?」
そこはいつもと同じ、車の中。
「昼寝とかいい度胸してんな、また模擬戦でもするか」
「えー! だめだよ、また怪我しちゃうよ」
「そうですよ。次は死んじゃうかもしれないから駄目だって、決めたじゃないですか」
「あははははははははっ!! 皆面白いね! ほら、笑いなよ。いつも人殺しの目をしてないで、笑いなよ。ねえ、笑いなよ、ねえ、笑いなよ」
「どこに笑える場所があるのか」
いつもより1人多い車内は、たった1人の笑い声で喧しい。
「私ね、あなたの事好きよ」
「あたしも好きだぜ、世界で一番な」
「私も! ―――君のこと大好き!」
「……私もです」
そしていつしか笑い声は増えていく。全部で5つの笑い声、どこまでも響いて、次第に単調なものへと、嘲笑へと―――
「死んでしまえばいいのに」
「そうだな、邪魔だし死んでくれよ」
「うん、邪魔なの。だから死んでよ」
「……死んでください、あなたはどこにいても、疫病神です」
いつしか、それは俺を憎む声へと、やがてずたずたになった肉塊へ吹き捨てる、微かな笑みへと。
あぁ……助けてくれ。
何故俺はこうまでも、弱いんだろう?
わかってるでしょ、価値がないからだよ。ふふっ、おかしいよね。君は無意味で無価値で、どこにいても無為に食物と備品を荒らし、誰にとっても害悪で邪魔なものなんだよ。
なんでわからないの? ずっとこうやって教えてあげているのに、なんで諦めてくれないの? 便利だね、そうやって全部忘れて、全部なかった事にして、全部自分のおかげだってこじつけて、全部自分が護ってあげたって思い込んで。
お前がいなかったら、もっと上手く行ってたんだよ。
「はっ!?」
外は夕暮れ、橙色の光に包まれ、車内にはカーテンの隙間から暖かな光が差し込んでいた。
「……チッ、またか」
いつの間にか眠ってしまったらしい。外を見ると木々の間にロープを張った簡易物干し場で、彼女達は楽し気に洗濯物を取り込んでいる。
―――赤く、黒々とした染みはあちこちについていて。よく見れば彼女達の髪や服も汚れていて―――振り向いた顔は、あちこちが引き裂かれていて。
「……ははっ、面白い。面白いな、全く」
いつの間にか壁も境界もなくなっていて、俺の体は貪り食われていた。ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、肉が千切れる、腹には穴が開いて、紐状のねろっとした臓物を引き摺りだしてはそれが俺の首に巻かれて、皆は笑って俺を殺していた。
「あぁっ!?」
悪夢だ。寝ても覚めても悪夢の中? 一番質が悪いじゃないか。
「ど、どうしたの!?」
由紀が驚いた顔で汗だくになった俺の顔を見て、すぐさま畳もうとしていたタオルで拭いてくれる。優しい子だ、でも俺は……なんでここにいるんだっけ?
「大丈夫? 怖い夢見たの?」
「あ、ああ。柄でもないが……少し怖かったな」
「ああ、そうなんだ。本当に柄でもないね」
いつの間にか、タオルは麻縄に変わっていた。首が絞めつけられ、由紀の3本目の手が俺の腰にあるナイフを抜いてぐさぐさと掻き毟る。
まただ、まだ俺は、抜け出していないらしいな。……いつになったら終わるんだろうか? 俺の夢は痛みもリアルなのが嫌な事の1つだ。ああ、痛い。死ぬほど痛いよ。
「じゃあ死んじゃえばいいのに……ふふっ、なんで死なないの? 死んでよ、なんでお前は生きているんだ」
見覚えのない男、薄汚い服に身を包んだ男、どこかで見た風貌をした男、頭の半分が砕け、顔も分からない男。……もう嫌だ、なんで俺がこんな目に。
体を焼かれる。バーナーのように全方向から炎が噴き出ていて、体中が熱くて息が出来なくて、水が欲しいと願えば今度は水の中。苦しい、息が出来ない。全方向から圧縮されて、体中の骨がばきばきと砕けて丸くなる。
気付けば脚と手の爪先から千切りにされて、気付けば目を抉られて元々あった虚空の奥に吸い込まれる。くるしい、くるしい、体中に剣山が刺さって、丸鋸で3枚に卸されて、ローラーで延ばされて首から下がじりじりとプレスに掛けられる。爪に釘が貫通し、肋骨が一本一本飛び出ていく。
ああ、くるしい。たすけはこないものか。手足が捻りもがれて、口に散弾が発射され、次には小さな釘と画鋲を飲まされる。
気付けば、笑っていた。痛かった、苦しかった、その度におかしくて笑ってしまう。楽しい、いつもは笑えないから今笑おう。いっぱい笑って、いっぱい―――
「……最悪の目覚めだな」
それは何度目かの目覚め。近くで家計簿をつけていた悠里がおはようと笑顔を見せてくれる。
「ああ、おはよう」
俺は何度目か分からない笑顔で、悠里に笑いかけていた。