がっこうぐらし!―Raging World―   作:Moltetra

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12.瞳

 「出発しよう」

 

皆が寝静まった午前2時、右腕に括り付けたL字型ライトの赤い光を頼りに、俺達『学園生活部』は行動を開始した。

 

「よし、じゃあ押すぜ」

 

「頼む」

 

膝の上にM1910を置いたままハンドルを握る。ライトも点けぬまま、ギアをニュートラルに入れた車はゆっくりと動き出していた。

 当初の予定では、最低でも300m程離れてから車を動かす事になっている。途中誰かに見つかれば忍以外はイツキが射殺し、その後エンジンを掛けて全速で離脱する。

感染者は胡桃が対処し、それ以外は非力ではあるが車を押して貰っている。本来なら男である俺が加わるべきだが……片腕ではな。

 無事スーパーの敷地から出ると、進行方向に人影が見えた。感染者か、人か。どちらにせよ2人に声を掛けなくては……開けてあった窓から小声で障害物がある事を伝えた瞬間、その人影は赤い光を4回瞬かせた。

 

「……人だな」

 

「心配するな、あれは忍だ」

 

「忍さんですか? 見送りに来てくれたんですね」

 

「………見送りか、そうだといいが」

 

 僅かに道路端へと寄った人影に近付いていくと、やっとそれが忍だとわかる。手には俺と揃いのライト……餞別にくれたもので、レプリカではあったが物は確かだった。

 

「どうしたんだ、忍」

 

「いやな、親友との別れなのに顔を出さない訳にもいかなくて―――」

 

「また悠長な事を……勘付かれたら終わりだぞ」

 

「そうだけどな。まあ勘付かれても俺がどうにかしてやるよ。―――それともう1つ餞別があってな、渡しそびれたのもある。これさえ渡せば、もう心残りもない」

 

「……? なんだ一体」

 

 背筋に何やら薄ら寒いモノを感じた瞬間、忍はすっと右腕を上げた。

 

「これ、渡しとくよ」

 

一瞬銃を向けられるのでは、と恐怖したが、忍の手には星明かりを受けて鈍く輝く指輪が乗っていた。それは昔、俺が勝手に憧れて似たデザインの指輪を買った時の……ほぼ揃いで会う時はいつも着けていた指輪だ。

 

「何故……」

 

「なんていうかな……気持ちだ。その代わりと言っちゃなんだけど、お前のドッグタグの片割れ、貰えないか? そうすれば、死んだって話が少しは信じて貰える」

 

 彼女達に断って一度車を停めると、俺は首に掛けていたドッグタグの片方を外し、忍に渡す。それと引き換えに指輪を貰うと、空いたチェーンに通して再び繋ぎ直した。

 

「……ありがとう、あとごめんな。一緒にいてやれなくて」

 

「俺がお前達を置いていった側だ、謝るな。尊さんにもこっそりよろしく言っといてくれ」

 

「ああ」

 

 拳同士を軽くぶつけると、忍は数歩下がって木陰が作る闇に消えて行った。忍者かよ、あいつも俺に染まったかな?

 

「……行こう、止めさせて悪いな」

 

「ぜーんぜん、それじゃ……せーの……!」

 

 丈槍の小声での掛け声に、車は再び動き始める。やがて十二分の距離を移動した後、俺達はエンジンを掛けて自然光だけを頼りにその場を去った。

 

 

 

 

 キャンプをしよう。丈槍の唐突な提案に、俺達は快諾し山奥にあるロッジへと来ていた。痕跡を隠し、潜む為……皆にはそういう目的もあると言って収めてはいるが、実際には今までの出来事を整理する為の休息でもある。

 

「ココア飲む?」

 

「ああ、ありがとう」

 

キャンプらしい銀色のマグカップになみなみと注がれたココア、そして2人分のベンチの隣に座るのは悠里。俺は久し振りに手記へと記録をつけながら、今まで起きた事を記憶の限り綴っていく。

 所々抜けが……というかほぼ覚えてはいない。俺は昔から物覚えが悪いし、嫌な事は忘れるタチだ。今現在も忘れているなら、それはきっと覚えていても苦しむだけなんだろう。

 

「……疲れたわね」

 

「そうだな、皆も無理をしているだろう。そろそろこういう時間も必要だとは考えていたが……」

 

「由紀ちゃんはそういう子なの、思えば……いつも助けられてたわ」

 

「あいつは人を癒す力に長けている。俺には成し得ない、一種の才能だな」

 

「そうね」

 

 すぐそばに組み立ててあった机にココアを置いて、現在の大まかな物資と武器、イツキの所持弾薬を記録する。まだ余裕はある……どこかに居を構えれば安定もするだろうが、生憎最低基準を満たす施設も限られている。あったとしても、既に誰かが使っているだろう。

 ……現状整理だ。今現在の人員は俺含め6人、リーダーに若狭悠里を据えて、恵比寿沢胡桃、丈槍由紀、直樹美紀。新規加入に神崎樹、俺。

 

 悠里は女子4人の中でも特に大人びた風貌と性格を持ち、見事にリーダーを務めている。料理も家事もそつなくこなし、力仕事も男と同じ量をこなす。だが体力はやはり女と言った所で無理はさせられない。

 病弱という訳でもなく、しかし内面は少々危なっかしい。フラッシュバックの気があり鍵となるモノを見聞きしてしまうと情緒不安定、もしくは極度の逃避に走る傾向もあった。

決して万能ではない……仕事ができる人材ではあるが、圧に耐えきれる程頑丈ではない。当然の話だが、丁重に扱わなければすぐに砕けてしまうだろう。

 

 胡桃はこのグループにおける要だ。近接戦を得意とし隠密性にも長けている。たったそれだけ、いてくれるだけで心強い。根は強いが、やはり何かしら闇を感じさせる時がある。まだ聞かせてはくれないが、いずれ力になれればようやく及第点に達せられた、と言った所か。

 ある程度の死線を共に潜り抜けてきた事もあって信頼も築けているのが嬉しい。ある意味女子の中で一番話しやすく反りの合う存在だ。言動の割に身振りや見た目は女性らしいのが近付き難い要因となっているが。

健康面に問題はない。訓練にもしっかりついてこれるし、心配事はほぼないと言える。

 

 丈槍由紀。子供の様な健気さと無邪気な笑顔は別の意味での武器となる。だがその芯は全く読めず、目を見ても一時の感情以外に読み取れたものは一切ない。過去のトラウマも含め、要観察対象だ。

 

 直樹美紀。同上―――別の意味で近寄りがたい雰囲気を醸し出し、由紀よりも謎に包まれている。しかし信頼はある程度築けているようだ。

 

 神崎樹……特記事項なし。時折俺を信仰するような言葉や行動をとる。危なっかしい……幻滅させたら撃ち殺される気がしてならない。しかし銃の技術は素晴らしい。味方にいる内はその火力を大いに活かせるだろう。要観察対象から除外……今は俺の右腕となってくれている。

 

 

「……いきなりこんな事を聞くのも失礼だけど、雅さんは悩みとかないの?」

 

ココアを啜る悠里は、ふとそんな事を聞いてきた。言われて思い浮かべてみるが、前程風呂に入る頻度が落ちた事以外に悩みはない。新しいグループで、武器も充実し仲間同士のいざこざもない。皆が円満で支え合っている。

 

「ないな」

 

「それは、忘れてしまうから?」

 

「それもあるだろうな。強いて言う悩みもない、少なくとも自分の面倒は自分で見れる……といいんだがな。そんな訳にもいかないんだろう? 忘れてるだけで1日1回ハグされてたりとかしたら死にたくなるけど」

 

「ふふっ、それはないから安心して。大丈夫よ、あなたが忘れてしまっても……私が全部覚えてる」

 

「それはそれで怖いな……悠里の時間さえあれば、忘れてる事を教えてほしい。俺が一体……どんな事をしていたのか」

 

 愚問、墓穴を掘る行動だと分かっていても、俺はあえて聞いた。だがさっきまで笑顔だった悠里は……途端に顔を伏せてあからさまに口を閉じてしまう。

もしかすれば、俺は悠里や他のメンバーを護れていなかったのか? あれだけ誓い、ほざいておきながら……

 

「……私はね、忘れてしまってもいいと思うの。自分が耐えられないから、完全に壊れてしまうから忘れるんだって。だから……知らなくていい事は、それでいいと思う」

 

「それでも頼む。忘れていてもいつかフラッシュバックする、急に知るよりよっぽどいい。Needtoknowも大事だがな」

 

―――しばしの沈黙。一旦は口を開こうと顔を上げた悠里だが、俺と目を合わした瞬間にまた噤んでしまう。ただ躊躇っているだけじゃない、他に色んな感情が入り混じっていて……最早混じり過ぎて本人も訳が分からなくなっているようだった。

 

「ごめんなさい。私も心の準備が必要で……今度、色々整理したら話すから」

 

「……わかった。悠里の気持ちも考えずに無理を言った、すまない」

 

「ううん、いいの。自分の事なのに、わからないって怖い事だもの」

 

 それはしっかりと重みのある言葉。どちらからともなく、もう目も合わせない。胸の内にある混沌と不安を漏らさない様に、俺達は小さなベンチで同時にココアを口に含んだ。

 うん、とても美味しい。ちょっと熱めだが、すっかり冷えてしまっている体に染み渡っていく。自分で淹れてもここまでにはならない、例えインスタントであっても……俺が触れた物は例外なく不味くなる節があるからな。

いつか、こうやって誰かと一緒にココアを飲んだ時があった。それはいつの頃か、相手は誰なのか。

 忘却の果てに消えてしまった“普通”の頃の記憶も、誰かに聞けば教えてくれるのだろうか。心の準備がいるとしても、いつか教えてくれる相手が。

 

「悠里が手を加えた物はなんでも美味くなるな……」

 

「そ、そう? 普通に淹れただけよ。特別な事なんて何もしてないし……」

 

「それも才能だな、その点俺は―――」

 

 触れた物全てを腐らせる。どんなに綺麗で(したた)かなモノでも、一度触れれば―――台無しにしてしまう。だから俺は、“疫病神”なんだ。

気が遠くなる感覚から逃れようと、俺は唇を噛んだ。まだ口の中にココアが残っていたのか、それとも強く噛み過ぎたのか。一筋の雫が流れる感触が辛うじてある。

 寒い。今年は特に冷える。昨日まではそんな気にしなかったのに、今はとてつもなく寒く感じられた。指先はかじかんで、足なんか感覚がないと言うか……筋肉が強張ってがちがちになっている。

 

「雅さん?」

 

 訝し気に顔を覗き込んでくる悠里に、俺はやっと焦点を合わせられた。いや……これは、悠里か? ぐにゃりと歪んだ像はそれが人かどうか……辛うじて人と認識できても、長い髪に茶髪と言うだけじゃ情報量が少なすぎて誰だか特定できない。

 

「……奏楽(ソラ)?」

 

誰かの名前を無意識に告げて、俺は身体の自由を完全に奪われた。暗い、寒い、怖い。ひとつひとつは何てことない、簡単に払拭できる不満だ。でも一気にその3つと、上手く思考が纏まらない安直な今の頭では―――その悪夢は、易々と体の制御を奪う。

 

 

 

 彼の手記、初めは血文字で書かれたある文章から始まる。

 

「常に強くあれ。施しと情を捨て、血を求めよ」

 

それはきっと、この世に絶望した彼が未練を断ち切ろうと掛けた暗示のようなものなんだろう。どこかおかしな意味にも取れてしまうけど、その奥、遥か深層にある決意染みた何かを感じ取れる気がする……のは私がちょっと夢を見過ぎているからだろうか。

 

 彼は度重なる人体実験を行っていた。生存者と出会い、家路の途中裏切られそうになった時。ゾンビの群れに突き飛ばされた彼は叫び、四方から呼び寄せあえて逃げ道を潰した。

当然一般人では太刀打ちできる訳もなく、その生存者は噛まれてしまった。そして、彼は助ける素振りを見せてゾンビから逃げ出すと縛り上げたのだ。

 1、感染してからゾンビ化までの時間。2、ゾンビと化した存在の弱点。3、視力と聴力の把握。……4、自己暗示の有効化。

 

 最後はあくまで私の予想にすぎない。でもそんな気がする。実際これ以降の文面や筆跡はどれも落ち着いていて、達観しているからだ。それは今とほぼ同じ、私達がいつも接している彼。

 

―――雅の、作られた人格。

 

 

 「……改めて見ると、結構えげつない事もしてたんですよね」

 

美紀は彼が落とした手記に目を通しながら、ベッドの隣で顔を伏せる悠里に声を掛けていた。

 

「必要な事だった。私達も、色々確認したりはしたでしょ?」

 

「でもここまではしてません。全身解剖とか……」

 

「必要だったのよ、きっと。調べて調べて知り尽くして、万全の状態じゃなきゃ守れない。そう書いてあるでしょう?」

 

「そう、ですけど……」

 

 悠里は美紀と出逢った頃の様に、由紀の症状をそれでいいと諭す時と同じ様子だった。

悠里先輩も、弱い人だ。何かに依存しなきゃ……私も依存してない訳じゃないけど、誰よりも弱い人を守る事で自分を律している。

 でもそれじゃいけない。胡桃先輩も、由紀先輩も、イツキさんも、皆この人を守って自分を守っている。誰よりも強くて、誰よりも弱い。背反と矛盾を孕んだこの人は誰よりも厄介だ。

 

「私、薬を探してきます」

 

 この人の為なら、例えただの風邪でも喜んで犠牲にしてしまうだろう。だからここは、一番まともな私が行くべきだ。

 

「……私も行くわ」

 

「いえ、悠里先輩はついててあげてください。薬探しは私1人で十分です、周りに家も少ないですし」

 

「危険よ」

 

「大丈夫です、胡桃先輩の時の実績もありますから、信じてください」

 

 悠里先輩の考えを先回りして、私は無理矢理1人で出掛ける許可を取った。イツキさんからはもしもの時にと5発装填の拳銃を貸して貰って、リュックサックを背負うと黄昏時の森を抜けていくつか民家のあった場所に行く。

 

 彼には、一体何が見えているんだろう。何を考えて、何を感じて、どう判断しているんだろう。

 

そこには自分自身が生き残れるように勘定に入れているのか? きっと違う。今までの行動はどれも自分を度外視した判断ばかりだった。

 

きっと、彼には私達を護るという考えしか頭にないんだ。あの人の目に、私達以外のものは写っていない。

 

 例え私達全員が鏡の前に並んだとしても―――彼の瞳には、彼自身は見えないんだ。

 

 

 日が暮れてきた頃、ようやく民家がいくつか集まる場所に着くと、一番手頃な平屋建ての家、縁側の割れた窓から音もなく侵入した。

今更驚きもしない。床や壁には赤黒い染み、物は散乱して、どこもかしこも埃とカビの臭いがする。でもどこか嗅ぎ慣れない臭いもあって、つい小さく咽てしまった。

 

―――奴らは呻き声もそうだが、独特の臭いがある。

 

いつか彼が言っていた言葉が頭を過る。死期の近い人間が出す独特の臭い、死臭とも言われるその臭いを、今私はこれの事なんだとどこかでわかってしまっていた。

 

―――本当ならお前らは安全な場所で飯でも作って、遠征は男が行って……上手く言えんがそういう場所にいるべきなんだ。

 

 そんな場所、ある訳ない………改めてそう思う、思った筈なのに。私は最近、危険な目に……そうでなくともゾンビ達の前に出た頻度はどのくらいあっただろうか?

前よりもかなり減っている。一度全員がゾンビよりも危険な男に捕まった事もあったけど、あれを除けばほとんどない。私達は移動しているのに、ちっとも危険な目にあっていない。

 雅さん達が帰って来るまでに、早めにご飯を作ろう。そんな事を言ってた……実現している? 胡桃先輩は相変わらず前線に駆り出されているけど、私達はもう……安全な場所にいたんだ。

 

「あっ?」

 

 臭いを手繰って、台所のある一室に出た。そこにはもう腐り果てた1人の死体と、今なお朽ちようとする1人……真っ黒で、まるで泥人形のような見た目をした1人が台所に向かっている。

私の情けない声を聞きつけて、その人は振り返った。所々白い物が見えた、まるでミイラのような顔をしたその人は……やっぱり、死んでいる。死んでいるのに、動き続けていた。

 既に瞳も腐り落ちているのに、じっと目が合ってしまう。ある筈のない瞳を吸い込まれるように見入って、私は何かを理解してしまった。

 

「……ただいま。さようなら」

 

初めて銃を撃った。しっかりと握り方も教えて貰って、反動は肘で吸収する、というのも教えて貰ったのに。その銃の反動と撃った後の重さは、ずっしりと重い。

 

「………あははっ」

 

倒れた老婆の傍らには、もう誰かも判別できない……老爺がいる。首には出刃包丁が突き立っていて、もうかなり前に死んでしまったと分かる。

 老婆の左手、そこには所々黒ずんだ指輪が握られていた。力尽きて緩くなった手から、その指輪を手に取る。金のリングの内側には、ローマ字で「NAOK」とまで彫られているのがわかる。

それ以上は汚れがへばりついていて読めない。でもその汚れは簡単に拭き取れそうで……今すぐにでもその先が読めそうで。

 

 でも私は、あえてそのままにしておいた。

 

 薬はその家の小さなケースの中にあった。何故かここにある、とわかってしまうのは……もう昔の記憶を頼りにした直感だ。まめに補充する人達だったらしく、使用期限はまだ過ぎていない。

私は救急箱の中身をほぼ全てバッグに詰めると、帰路につく。案外呆気なく目標を達成してしまった。早く帰ろう、なんだかんだ考えても、やっぱり私の居場所はあそこなんだ。

 あの人がいても、皆があの人を頼りに生きていてもいいと思う。私も……少しは頼ってみよう。少しだけ弱くなってしまった自分を慰めて貰おうと、自然と駆け足になっていた。

 

 

 私の帰りを、皆は待っていてくれるだろうか。喜々としてロッジの扉を開けるとなんとも言えない悪臭が辺りを漂っていた。

そして、廊下の先には人影がある。ライトで照らしてみると、床にはまだ新しい血痕と、それを引き摺った痕。

 

「おかえり、美紀」

 

彼はいつもの声で私を迎えてくれた。でも左手には血の付いた斧と、顔には返り血がべっとりと付着している。

 

「み、雅さん……一体何が」

 

「ちょっと侵入者が来てな、由紀が襲われた」

 

「由紀先輩が!?」

 

「相手は生きた人間、初老の男だ。おかしな事はされていないが少々手荒に扱ったようでな……今話を聞いている所だ」

 

 冷たい声は私の心を容易く凍えさせる。矛先は私には向いていない、にも関わらず何とも言い難い恐怖が込み上げてきていた。

 

「皆さん大丈夫なんですか……」

 

「問題ない、今は俺が寝ていた部屋に集めている。美紀も行くといい……俺はもう少し処理が残っている」

 

そう言って、雅さんは私の返事も聞かないまま奥へと戻っていく。がりがりと床を削る刃先の音。新しく引かれた赤い線は、いつも殴打しかしない雅さんが本気だとわかってしまう。

小さく身震いしながら、私は血筋を避けながら先輩達が集まる部屋に急いだ。

 扉を控えめにノックして、私は扉を開けた。中には皆が揃っていて、由紀先輩は私の顔を見ると笑顔で迎えてくれる。

 

「みーくん! おかえり!」

 

「由紀先輩、雅さんから先輩が襲われたって聞きましたけど……」

 

「うーん、襲われたっていうか、お話しただけだよ。今いる仲間は安全なのかーとか、特にみゃーくんは片腕だからすごい怖がられてたよ……」

 

「そ、そうですよね、普通は怖がりますよね」

 

「それを階段の影で話してたのを胡桃ちゃんに見つかって、丁度起きてたみゃーくんを呼ばれちゃったんだ」

 

「あたしも驚いたからつい大袈裟に言っちまったけど……悪い事したかなって」

 

「胡桃が大慌てで飛んできたから雅さんも完全にスイッチ入っちゃって、止められなかったわ……」

 

 なんだ、じゃあその人は無害なのか。……じゃあ、あの血は? まさか雅さんも無害な人に攻撃なんか……あ、でも胡桃先輩が詰め寄られてるって報告したならやってもおかしくない。

それに、雅さんも由紀先輩が“襲われていた”と言っていた。何か害があるとわかったのか、それとも抵抗されたのか。

 

「それ雅さんに話しました?」

 

「ううん、俺が話を付けてくるって何も聞かずに行っちゃった」

 

「あぁ……手遅れですね、それは。外凄い事になってましたし」

 

「ええっ!? と、止めに行かなくちゃ!」

 

「ダメです、私が行ってきますから先輩は此処にいてください」

 

 悠里先輩と胡桃先輩とそれぞれアイコンタクトを取って、私は部屋を出た。相変わらず酷い臭い……でも今更こんな事で根を上げたりなんかしない。一番奥の部屋に伸びる血痕を辿って部屋の前に行くと、低い声が2つ聞こえてくる。

 

「なってからどれくらい経った」

 

「3日、3日経った。でも私じゃもうどうする事もできん……」

 

「はぁ、だろうな。そんな貧相な体でまだ新鮮なヤツを殺すのは文字通り骨が折れる。で、どうする? 俺がやってもいいのか?」

 

「……頼む」

 

 少しだけ開いている扉から片目だけを覗かせると、今まさに“処理”が行われる所だった。初老の男性……と雅さん。そして血痕の主は一番奥で蠢く女の子だとわかる。私よりは大人だけど、まだどこか幼い……そんな彼女は両足から血を流して、斧を振り上げる雅さんを見上げていた。

 

「世知辛い世の中になったもんだな……」

 

ぐしゃっ。

 

血飛沫とどろっとした物が辺りに飛び散ると、雅さんは刃を亡骸から引き抜く。

 

「あんたはどうする」

 

「……一緒に、いかせてはくれないか」

 

「わかった。なら一番楽な方法を取ろう……せめてもの慈悲だ」

 

 雅さんは斧を壁に立て掛けると、ポーチから見慣れない物体を取り出す。かしゃりと音を立てて男に向けられたそれは、私とは違う形の拳銃だった。

男は少女の手を握ると、真っ直ぐ雅さんの目を見る。

 

「ありがとう。片腕では生き辛いだろうが、どうか私達の分まで」

 

「勝手に押し付けるな、俺は俺のやりたいようにやる。……でも、考えておく」

 

 次は銃声を建物に響かせて、“処理”は終わった。

胸の鼓動は痛いくらいに早くなっている。ここまで近くで、人の死を見てしまうなんて。その場から動く事も出来ず、黙って振り返った雅さんと目が合ってしまう。

 

「……盗み見とは趣味が悪い。あの翁も無様な死に面を人に見られたくはないだろう、部屋に戻るぞ」

 

コートに新しい染みを作った雅さんは、斧に持ち替えて部屋から出てくる。扉を閉じる時、ほんの一瞬だけ2人の亡骸を見つめたのは……何か、知っているからだろうか?

 

「あの、風邪……大丈夫なんですか?」

 

 重苦しい空気に耐えきれず、私は随分的外れな質問をしていた。さっきの今、人が死んだと言うのに風邪の心配をするなんて。

でも、雅さんはそれを咎める事はない。ふん、と小さく鼻を鳴らして「大丈夫だ、疲れが溜まっていたのかもしれない」とだけ答えると、先に歩き始めてしまう。

 斧からはぽたぽたと血が滴っている。ぽつ、ぽつと一定のペースで床に落ちる音も増える汚れも気にせず……こういう所で、私達の“違い”が出てくるんだと思えた。

 

「あなたは……雅さんは、何者なんですか」

 

私はそこから一歩も動かず、しばらく歩いた彼に問い掛ける。その問いに、彼は立ち止まり宙を見上げた。

 

「さあ、俺は誰なんだろうか。記憶は曖昧、この名前も……本当の名前じゃないしな」

 

「えっ、偽名……ですか?」

 

「偽名と言えばそうだが、何も隠す為にそう名乗った訳じゃない。俺は、そうありたくて『雅』と名乗っている」

 

「じゃあ、本名は……」

 

「さぁ……弱かった頃に呼ばれてた名前なんて、思い出したくもない」

 

 なら、今は強くなれたんですか? そう口に出そうとして、やめた。その言葉は彼と私を切り捨てるに違いない。今もなお、彼は強くあろうと足掻いている途中なんだから。

そうでなきゃ……そうじゃなかったら、今の私は、なんなの?

 

『お前も瞳を得たのか、美紀』

 

「……え」

 

『ようこそ、こちら側へ―――もう後戻りはできない、手遅れだな……かわいそうに』

 

「何を言って、るんですか」

 

 此方に振り返り、虚ろな目を向けた彼の口は、動いてなどいなかった。それでも、彼の声は聞こえる。いつもの抑揚のあまりない声。それはその目を見た時だけ聞こえて……瞳の奥にあるモノに、私は気付いてしまった。

 

「……そっか、そうなんですね。雅先輩」

 

「そうか……俺はお前を、護れなかったのか」

 

 

 2人は、血に塗れた廊下でただ静かに佇む。片方は、後悔を。もう片方は理解してしまった事を、理解した。

 

「……雅さんに、美紀さん?」

 

「何してんだ? 2人して」

 

「……」

 

その光景を見た悠里達は、2人の目を見て絶句した。暗く、離れた場所からでも……儚いランタンの光だけでそれは判別できたからだ。2人は同じ瞳をしながら、ほぼ同時に悠里達へと振り向いた。

 

弱く儚い、たったそれだけの灯りでも―――眩し過ぎたのだ。

 

「……イツキは?」

 

「イツキは……えっと、今外で警戒してる」

 

「勤勉な奴だな、もう夜だってのに。俺が呼び戻してこよう。悠里達は飯の支度を頼めるか」

 

「え、ええ。わかったわ」

 

 いつも通りの雅に悠里はほんの少し安心して、次に美紀を見る。だが異状を感じたのはほんの一瞬だったらしく、何もおかしな所はない。胡桃もまたそう感じている。

たまたま、ショッキングで薄暗い空間に淡い光が合わさって見せた幻想なのだろう。見れば見る程異状なんてどこにもないし、美紀も普段から大人しい性格をしている。

 

「じゃあ夕飯作りましょうか?」

 

「そうですね、何がありましたっけ」

 

「レトルトカレーがあるから、カレーだな! 由紀もカレー好きだし、なっ?」

 

「……うん、私カレー好きだよ」

 

いつもと様子が違う由紀に少々違和感を感じながらも、一同はコンロが置かれる部屋へと移動していく。

 

 「今日はカレーらしいよ、雅」

 

「……そうか」

 

雅は月明かりすらない敷地を、ただ歩く。そこではたった1人で会話する男の影がひとつ。

宵闇の中で、彼は無音でイツキがいるであろう場所に向かった。

 

 

―閑話―

 

雅「飯だぞ」

 

樹「わああああああああああっ!? 何もない所から現れないで下さいよ!!! なんで? 今さっきまでそこ見てたんですけど!」

 

雅「夜間のカモフラ率を舐めないでもらおうか、90超えてるから」

 

樹「今の人だとカモフラ率って言ってもわかんないですよね」

 

雅「とりあえず苔生やして蛇食っとけばいいんだよ、ちゃんとトカゲで握力はあげとけよ?」

 

樹「色々混ざってますよそれ。―――トカゲってなんですか?」

 

雅「悲しいなぁ」




ネタ回だと言ったな、あれは嘘だ。 訳:どうしてこうなった。

最後の遊びは変な雰囲気になってきた時に気晴らしに考えた何の変哲もない一幕です。なんとなくで入れました。
プロットの再構築とキャラの口調を安定させるために原作をまた読み直した事、途中でなんかこれ面白くないなってなって書き直したり全く別の話を書き始めたりする事さえなければ3日で終わっていた筈でした。

お気づきな人もいるかどうかはわかりませんが、自分なりに所々自分の好きなゲームの台詞やオマージュや名称なんかを入れるのは悪癖でありこだわりのようなものです。過度にならない程度にはしていますが、つい素で入れちゃう事もありますので何卒ご容赦ください。


 深淵を見る時なんちゃら、という言葉がありますね。常人では考えもつかない事を理解してしまうのは既に自分がそこに片足を突っ込んでいる、もしくはいつの間にか一線を越えていた、なんてのはよくあったりなかったり。
美紀の場合、初めて銃を撃った事と撃った相手、前々からあった雅への知的探求心などが堕ちる要因となってしまいました。
原作やアニメではほぼ唯一……というか本当に常識人というか平常心というか、ある意味異常な程落ち着いていたみーくんですから、壊れたら大変な事になるなーという短絡的な考えからこうなりました。

ちなみに主人公の立ち位置や状態を文字にすると「なんかよくわかんないぐにゃぐにゃしたもの」という名状し難い認識になります。


改めて今までのサブタイトルとオリキャラ達の名前を見てネーミングセンスって大切なんだなって思いました。

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