魔術競技祭開催前の一週間は、授業が三コマのみとなり残りの時間は練習時間に当てられる。それぞれのクラスが担当講師の監督の下、魔術の練習に励んでいた。
グレンが担当する二組も御多分に洩れず、学院中庭を利用して熱心に練習に打ち込んでいる。
空を飛んでいる生徒がいれば植樹に魔術を打ち込む生徒がいる。女生徒の何人かはベンチに集まり呪文書を片手に魔術式の調整中だ。
クラスメイト達が銘々に練習をしている一方、ロクスレイは木陰で寝そべりながらのんべんだらりと過ごしていた。時折吹き抜けるそよ風が心地良い。気を抜けば寝てしまいそうな昼下がりである。
ふわぁ、と洩れ出る欠伸を噛み殺していると頭上に影。目を上に向ければ僅かに頬を膨らませたルミアが覗き込んでいた。
「サボりは感心しないなぁ、ロクスレイ君。クラスの皆だって頑張ってるんだから、ちゃんと練習しようよ?」
どうやら堂々と眠りこけるロクスレイを見かねて声を掛けたらしい。実は寝そべりながらも護衛対象であるルミアの気配だけはきちんと把握していたのだが、それは言うまい。
「練習って言われてもなぁ……」
ロクスレイが出場することになった『フォレスタ』は競技場を樹木が乱立する林に変え、そこで各クラスから選出された選手達が魔術で争う競技だ。
実戦における林の地形での戦闘を彷彿とさせる『フォレスタ』はバトルロイヤル形式であり、他の選手を打ち倒せば得点が入り、最後の一人まで残ればボーナス得点が得られる。要は林をフィールドとした模擬戦闘だ。
真正面から堂々と戦うのもあり、漁夫の利を狙って相手の背後を取るのも良し、ボーナス狙いで隠れ続けるのも一つの作戦といった具合の競技である。まあ無駄に自尊心が高く実戦のいろはも知らない学院生徒達なので、結局は遮蔽物ありの魔術合戦にしかならないだろうが。
無論、ロクスレイに他の生徒達に付き合って魔術合戦をする気はさらさらない。非難されようと構わず背後からの不意打ち、奇襲をするつもりだ。
幼い頃から森の奥深くに居を構える里に住み、訓練と銘打った過酷な修行を経験し、
勿論、目立ち過ぎては敵わないのである程度は加減するつもりだ。
しかしそんな事情をルミアは知らないし、他の生徒達から見れば今のロクスレイはただサボっているだけにしか映らない。何気に士気が高まっている状況下でロクスレイのサボり行為は否応なく目立っていた。
だがロクスレイにも言い分はある。他の競技が比較的使用する魔術が明確となっているのに対して、『フォレスタ』は学院で教えている殺傷性の低い魔術なら基本的に何でも使用可能なのだ。どれか一つに絞って練習するのはあまり効率が良くない、むしろ日頃からの研鑽が物を言うのである。
加えてフィールドが林ということもあり、そもそも練習する場所に難儀する。学院内には森もあるが、そこで一人かくれんぼしながら魔術を撃つ練習をして、果たして意味があるのかという話だ。
以上の理由を理路整然と語れば、ルミアは名案を閃いたとばかりに手を打った。
「じゃあ私が練習相手になろうか? 魔術式の見直しは家でもできるし、ロクスレイ君の練習に付き合うよ」
「いや、ティンジェル嬢に手間かけさせるわけには……」
やんわりとロクスレイが断ろうとした時、中庭の一角で激しい怒声が上がった。どうやら二組の生徒と他クラスの生徒が揉めているらしい。一応は監督役たるグレンが溜め息交じりに仲裁に入ろうとしている。
「どうしたんだろ? ちょっと様子を見てくるね」
たたたっと騒ぎの中心へと向かっていくルミア。ロクスレイはその背中を見送り、しばし迷ってから立ち上がると後を追う。剣呑な生徒達に巻き込まれて護衛対象が怪我でもしたら敵わない、という理由である。
諍いの原因は練習場所の取り合いらしい。遠目から見る限りグレンが間に入って丸く収めようとしていたが、一組の担当講師ハーレイ=アストレイが中庭を全面寄越せなどと宣い始めたことで事態がややこしいことになりつつある。
やれ一組が優勝し女王陛下から栄誉を賜る、やれ二組は勝負を捨てているなどと好き放題言うハーレイ。さすがのグレンも生徒達を馬鹿にされては黙っておられず、勢いで言い返して給料三ヶ月分を賭け合うという、ただでさえ金欠で死にかけている癖に自分で首を絞めてしまった。
グレンが顔でハーレイを煽りまくりながら心中では焦りに焦り、ハーレイがグレンを三流だなんだとこき下ろしているタイミングでロクスレイは騒ぎの中心に辿り着いた。すると何故かハーレイの視線がロクスレイに留まる。
「そもそもだ、全員で勝ちを取ると言いながらそこの生徒は堂々とサボっていただろう! 成績も大して良くない、やる気の欠ける生徒に我が一組の生徒が負けるはずがない!」
煽りの中でグレンが語った「皆は一人のために、一人は皆のために」の穴をこれでもかと突くハーレイ。ロクスレイがサボっていたのは事実であるので何とも言えないが、鬼の首でも取ったように声高に指摘する様はちょっとばかり大人気なく感じられる。
引き合いに出されたロクスレイは困惑顔だ。別に馬鹿にされようと侮蔑されようと気にしない
そんな中、人垣から事の推移を見守っていたルミアと目が合う。別に自分のことでもないのに悔しげな表情で唇を噛み、胸の前で拳を握り締めていた。
どうしてルミアがそんな反応をするのか今一つ分からなかったが、このまま放置して微妙な空気がクラスに蔓延するのも困ると判断し、ロクスレイはがりがりと頭を掻きながら歩み出る。
「えーと、ユー……ハーレイ先生だったか。付かぬ事をお訊きしますが、一組で『フォレスタ』に出場する生徒は誰ですかね?」
「なんだ、情報収集のつもりか? そんなことをしたところで結果は変わらんぞ。まあいい、クライス!」
「はい」
呼ばれて一歩前に出る男子生徒。彼が『フォレスタ』に出場する選手らしい。自信に満ち溢れた表情で敗北など考えもしてなさそうだ。
「ほーん……」
ロクスレイはクライスを爪先から頭の天辺まで観察すると真正面に立ち、懐から一枚の銀貨を取り出す。コマドリの意匠が凝らされた何の変哲もない銀貨だ。
銀貨をわざと見せつけるように手に持ち、キィン! と親指で弾き飛ばす。誰もが反射的に銀貨の行方を視線で追おうと斜め上を見るが、不思議なことに空中に銀貨はない。ただ甲高い金属音だけがその場に残響している。
「これはいったい何のつもり……!?」
銀貨の意味を問おうと正面を見たクライスは目を剥く。ほんの一瞬だけ目を離した隙に、正面に立っていたロクスレイの姿が忽然と消えていたのだ。
驚愕に動揺するクライスの後頭部がこつんと小突かれる。いつの間にか背後に回っていたロクスレイが左手を銃のようにして突きつけていた。
「競技の時は真っ先にアンタを落としますかね、優等生様?」
「なっ……!?」
一瞬だけ銀貨に意識が逸れたとはいえ、ロクスレイの動きにまるで気付けなかった。気配もしなかったし足音も聞こえなかった。背後を取られて初めて気付けたのだ。
呆然と立ち尽くすクライスと教え子がロクスレイに手玉に取られて悔しげに歯嚙みするハーレイ。そんなハーレイに改めてグレンが啖呵を切って、場が白熱する。
一方で軽く汚名返上を果たしたロクスレイはルミアを見やると、少し気障っぽくウインクを送る。それを受け取ったルミアは嬉しそうに屈託なく笑った。
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それからというもの二組はますます練習に励み、本気で餓死の未来が見えてきたグレンも鬼気迫る気迫で指導を始めた。ロクでなしではあるものの何だかんだ生徒達をきちんと見ているグレンの教えは的確で、練習は中々に捗っている。
ロクスレイもグレンからの指示に従って認識阻害の魔術を併用しつつ、他選手を打ち倒すのに使用する魔術を【ショック・ボルト】に限定し、詠唱速度の向上に努めた。
そして練習期間である一週間はあっという間に過ぎ、待ちに待った魔術競技祭の日を迎える──