無貌の王と禁忌教典   作:矢野優斗

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第一話と同じく修正版に差し替えました。


三年越しのお礼と非日常の終息

 テロリスト二人との交戦により致命とまではいかずとも深手を負ったグレンは、システィーナの手厚い応急手当と駆けつけたルミアの力によって事なきを得た。今は穏やかな寝息を立てて医務室のベッドで眠っている。

 

「うん、もう大丈夫だよ。しばらく安静にしていれば動けるようになると思う」

 

 大分血色が良くなってきたグレンを見下ろし、ルミアが魔術の手を止める。あとは自己治癒に任せた方がいいと判断したのだ。

 

「ほんと? ほんとにもう大丈夫なの?」

 

「心配しなくても先生は大丈夫。だから安心して、システィ?」

 

 微笑みながらそう言ってやれば、システィーナはほっと安堵の息を吐く。不安に揺れていた瞳が落ち着きを取り戻し、極度の緊張から解放されたためか涙が溢れ出した。

 

「ルミアぁ……私、わたし……!」

 

「よく頑張ったねシスティ。私のせいで、ごめんね」

 

 泣き崩れる親友に寄り添い、ルミアは震える背中を優しく抱き締めた。自分が法陣に囚われている間、システィーナはグレンと共にテロリストと戦っていたのだ。未熟で本気の殺し合いなんて経験したこともない少女にとって、それがどれほど恐ろしい体験であったかは推して測るべし。

 

 しばらく医務室に少女の嗚咽と慰める声が響く。数分ほどして落ち着いたのか声が止むと、微かに目元を赤くしたルミアが医務室から出てきた。

 

 きょろきょろと廊下を見渡し、少し離れた柱に寄り掛かる外套姿の男を見つけると、僅かに躊躇いながらも歩み寄る。

 

「治療は終わったんですかい?」

 

「はい、もう命に別条はありません。今はシスティがついてくれてますから、目が覚めれば教えてくれます」

 

「さいですかい。じゃあ講師殿のことはあちらのお嬢さんとオタクに任せますわ」

 

「構いませんが、貴方は何処へ?」

 

「オレは他にも伏兵がいないかの確認と、生徒達の解放。それと優男殿の監視ですわ。いくら改心したとはいえあのまま放置しておくわけにもいきませんから」

 

「あ、待って──」

 

 深緑の外套を翻して立ち去ろうとする男の背中へ、ルミアは反射的に手を伸ばしていた。

 

「何か?」

 

「えっと、その……助けてくれてありがとうございます。貴方のおかげで助かりました」

 

「礼には及びませんぜ。こっちはお仕事だからな。お嬢さんを守るのがオレの役目だ」

 

「お仕事ですか……」

 

 淡白な物言いにルミアは微かな寂寥を覚える。

 

「三年前のあの時も、お仕事だから助けてくれたんですか?」

 

「あー、まあ広義に捉えればお仕事っちゃあお仕事か。サービス的な意味合いはあったし、途中で王子様に全部丸投げしちまったから片手落ちもいいところですがね」

 

 今から三年前、母親に捨てられフィーベル家に身を寄せ始めた頃に起きた事件。システィーナと間違われてルミアが魔術師達の手で誘拐されかけた時、何処からともなく現れ救い出してくれたのは他ならぬこの男とグレン=レーダスだ。命の恩人である二人を忘れたことなど片時もありはしない。

 

 たとえ男にとって仕事の一環であったとしても、ルミアが救われたことに変わりはない。ずっとこうしてまた会える日を待ち望んでいたのだから。

 

「ずっとあの時のお礼が言いたかったんです。貴方の言葉があったから、私は今もこうして前を向いて歩けています」

 

 訥々と紡がれるルミアの想い。今日この日まで胸の内に秘めていた感謝の言葉が自然と溢れ出す。

 

 混じり気のない純粋な感謝の念を向けられ、男は動揺を誤魔化すように頭を掻く。

 

「そういうのはオレじゃなくてもっと伝えるべき相手がいると思うんですがねぇ。まあ折角の言葉を突っ撥ねるのも男が廃るんで、有り難く受け取っときますよ…………血筋って怖ろしいな」

 

「え、何か言いましたか?」

 

「いや、こっちの話だ。それよかオレはそろそろ行きますんで、講師殿をよろしく頼みますぜ」

 

「あ、あと一つだけ!」

 

「まだあるんですかい……」

 

 面倒臭げに足を止めて男が首だけ振り返る。あまりモタモタしているとヒューイが目覚めかねないので早くしてほしかった。

 

 ルミアは一呼吸置くと意を決して尋ねる。

 

「名前を教えてくれませんか?」

 

 運命の悪戯か三年前に助けてくれた男の一人は素性が知れた。しかし目の前の男だけはまだ何一つとして知らない。顔どころか年齢も名前も不明なのだ。誰からの依頼かは知れないが、これからも仕事として自分を守ってくれるのならせめて名前くらいは知っておきたかった。

 

 名を尋ねられた男は困ったように腕を組む。

 

「生憎と仕事の都合上、名乗るわけにはいかないんだ。もし不便があるってなら、そうだな、顔無しとでも呼んでくれ」

 

 仕事の際に使っていたコードネームを持ち出す。これならば特に問題ないだろう。グレンあたりは過剰反応するかもしれないが。

 

「顔無しさん、ですか」

 

「なんだか、さんを付けられると途端に間抜けに聞こえてくるな。まあ、いいですけど」

 

 無貌の王(ロビンフッド)と明かすことができない以上、顔無しさんで我慢する他ないだろう。幼子に読み聞かせる童話の登場キャラみたいで少しばかり気恥ずかしいのは致し方ない。甘んじて受け入れよう。

 

 未だ目を覚まさないグレンはルミアに一任して、念の為にロンドも付けて送り出し、男は後処理に動き出した。

 

 こうして此度の事件は緩やかに終息へと向かっていた。

 

 

 ▼

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件。

 

 一人の非常勤講師の活躍により未遂に終わったこの事件は、関わった組織や諸々の事情を考慮して内々に処理された。学院の破壊痕なども魔術実験の暴発として片をつけられ、公式にも事件の存在は隠蔽された。

 

 とはいえ全てが完璧に闇へ葬られはしない。現実に被害に遭った生徒達がおり、町でも一騒ぎおこしているのだ。人の口に戸は立てられず、あれこれと噂が流れた。

 

 かつて女王陛下の懐刀として暗躍していた伝説の魔術師殺しや、悪魔の生まれ変わりとされ抹消された廃棄王女、そして誰一人として顔を知らない外套の幽霊などと。そんな噂がまことしやかに囁かれたが、所詮は噂。人の噂も七十五日と言うように、一ヶ月も経てば人々の関心は離れていった。

 

 学院には以前と変わらぬ穏やかな時間が流れ、全てが元通りに収束していく──

 

 

 ▼

 

 

「かくして、自爆テロに見せかけた王女誘拐未遂事件は無事に終息したわけだ。学院は元の日常を取り戻し、めでたしめでたしってな」

 

 学院の屋上に一人、鉄柵に凭れながらロクスレイは言う。半割りの宝石を耳に当てて誰かと会話しているようだ。

 

「女王さんの予測通り、天の智慧研究会が出てきやがったぜ。さすがは爺さんの元主人(マスター)なだけある。読みの鋭さは脱帽もんだ」

 

 類稀なカリスマ性と政治手腕をもってして帝国の舵取りをこなすアリシア女王陛下は、紛うことなく稀代の女傑だ。娘に対する態度だけは玉に瑕であるが。

 

「ただ、少しばかり腑に落ちない点があった」

 

 すっと目を細めてロクスレイは険しい顔つきになる。

 

 仕事柄、ロクスレイが無貌の王(ロビンフッド)として天の智慧研究会の魔術師と相対したのは今回が初めてではない。連中の狂い具合は身に染みて理解している。だからこそ違和感を覚えた。

 

「連中は狂ってるが意味のないことはしない。当初の予定が要人を殺害する自爆テロだけであったはずなのに、わざわざティンジェル嬢の誘拐を付け加えたのには何かしらワケがあったはずだ。そのあたりの裏事情を洗っといてくれ」

 

 歴史の裏で暗躍する無貌の王(ロビンフッド)。しかしてロクスレイはあくまで一族の長を受け継いだ者であり、決して一人ではない。彼らは一族含めて無貌の王であり、長をバックアップするために個々で活動している。

 

「今のところ頼めるのはこんなところか……はい? 学生生活はどうかって? まあ、ぼちぼちですかね。可もなく不可もなくって感じですわ」

 

 仕事の話が終わったと見るや任務外の話を切り出され、相変わらずのお節介加減に苦笑いながら答える。きちんと公私を切り替えているとはいえ、唐突にお節介焼きに変わられるのには中々慣れない。まあロクスレイも満更でもなさそうなのだが。

 

 あれこれと調子はどうかと尋ねてくる先代に適当に相槌を打つ。そうしてしばらく親子の会話を続けていると、とある話題が上った。

 

「いや、主人(マスター)探しは何というか、あんまり捗ってはないですわ。こっちも仕事が忙しいですし、護衛対象をほっぽりだすワケにもいきませんからねぇ……」

 

 先送りにし続けている問題を提示され、ロクスレイは苦い顔だ。これに関しては全面的に自分が悪いと認めているだけに強く言い返せなった。

 

 無貌の王(ロビンフッド)にとって主人(マスター)という存在は言葉以上の重みを持つ。互いが互いに揺るぎない信頼を抱き、契約の儀を経て主従関係を結ばなければならない。それは仕事におけるビジネスライクな関係とは違う、何を置いても主人を優先するという絶対の契約だ。

 

 ロビンフッドとなった者は必ず主人(マスター)を見つけなければならない。歴代のロビンフッドも活動を始めてから早くて三年、遅くても五年以内には仕えるべき主を見繕っている。それが一族の掟であり、契約の儀を経て初めてロビンフッドは完成するのだ。

 

 しかし、ロクスレイはロビンフッドを受け継いでから早数年、未だに主人どころか候補の影もないまま。先代に限らず一族の全員が心配をしている始末だ。

 

「言われなくとも分かってますって、心配しなさんな。そんじゃ、そろそろ切りますぜ」

 

 何やら先代がまだ言っていたが構わず通話をぶつ切り、半割れの宝石を懐に仕舞った。深々と溜め息を吐いてロクスレイはどこまでも澄み切った青空を仰ぎ見る。

 

 先代には心配するなと言ったものの、ロクスレイ自身この問題に関してはどうしたものか答えが出ていなかった。先代はアリシア七世を主人と定めたが、その前のロビンフッドは小国の辺境伯、更にその前はまた別の国の貴族だ。初代ロビンフッドに至っては何処にでもいる村娘なんて話もある。

 

 ロビンフッドの主人に身分の貴賎は関係ない。重要なのは互いに強い信頼関係が築けているかである。

 

 そんな相手を、現状ロクスレイは候補すら見つけられないでいた。

 

 ガリガリと頭を掻いてロクスレイは向かいの校舎を見やる。丁度正面に位置する二階の廊下で、グレンとシスティーナ達が賑やかに騒いでいる。恐らく今日の授業内容についてシスティーナが文句を言っているのだろう。内容自体は悪くなかったが、付け足された犯罪紛いの豆知識が生真面目な令嬢殿には看過できないものだったらしい。

 

 つい先日まで非常勤講師として勤めていたグレン=レーダスは、晴れて魔術学院の講師となった。当人が望んだのと指導の質の高さから常勤として認められたのだ。

 

 魔術の闇に触れて、魔術に絶望して、魔術を嫌って。それでもグレンは心のどこかで魔術を憎みきれず、夢見る少年少女達を応援したい、彼らの行く末を見届けたい一心でもう一度向き合うことを決めた。

 

「あんだけ心を擦り減らしてもなお正義の心を捨てず、優しくあれるのは凄ぇよ。オレには望むべくもない、思わず羨ましくなっちまいますわ」

 

 何やらシスティーナに言われ、脂汗をかきながら鮮やかな土下座を決めるグレンの姿に苦笑を洩らす。生徒に土下座するという情けない姿であるが、外道魔術師達の血に濡れて苦悶しているよりは余程マシだろう。むしろ性に合っている。

 

「しっかし、主人(マスター)ねぇ……」

 

 自嘲げにぼやくロクスレイの瞳が、グレンとシスティーナのやり取りに笑みを零すルミアに向けられる。日の当たる世界だからこそ咲き誇る向日葵のような少女を無意識の内に見つめ、それに気づいてロクスレイは忌々しげに口元を歪めた。

 

「何を考えてんだか。オレみたいな悪党を信頼してくれる輩なんざ、いるワケがないってのに」

 

 一頻り彼らの漫才を眺めて、ロクスレイは鉄柵から離れる。

 

「ま、ないもの強請りしたって時間の無駄無駄。お仕事と並行してぼちぼち主人(マスター)探しも頑張りますかぁ」

 

 誰にともなく一人ごちて屋上を後にした。

 

 

 ▼

 

 

「ルミア? どうかしたの、窓の外なんて見て」

 

「うぅん、なんでもないよ」

 

 人影一つない向かいの校舎の屋上から視線を切り、ルミアは小さく首を振って微笑む。いつもと変わりないルミアだ。

 

 変わりないと言えば、今回の一件において功労者と認められたシスティーナは帝国上層部からルミアの素性を明かされた。ルミアが異能者であったがために政治的な事情で帝国王室から放逐された王女であることを、システィーナは既に知っている。

 

 しかし、それでシスティーナの態度が変わったかといえばそんなことはなく。依然姉妹同然の親友として暮らしている。それがルミアにとっては何よりも嬉しかった。

 

「それより、システィは大丈夫?」

 

 心配するルミアの視線はシスティーナの絆創膏だらけの指に固定されている。まるで慣れない包丁作業に四苦八苦したあとのような惨状だ。

 

「うっ、まあ今まで料理なんてしたことなかったから仕方ないというか。それを言うならルミアだって、あの調子でまともに料理作れるの?」

 

「うーん、やっぱり不器用な私には無理難題かな……」

 

 ここ最近、システィーナとルミアの二人は家で母親から料理を教わっていた。システィーナは先日の事件で助けてもらったグレンへのお礼だそうで、指を包丁で切りながらも美味しい物を作れるよう励んでいる。

 

 そしてルミアも、不器用なことを自覚しながらもシスティーナの母に頼んで料理を教授してもらっていた。

 

 システィーナのように指を切りはしないが、不器用なだけあって手際が悪く、あまり料理の出来栄えはよくない。まだまだ成長途上とはいえ、誰かに差し入れできるレベルまでには程遠い。

 

「そもそもルミアは誰に料理して上げるつもりなの? もしかしてグレン先生?」

 

「グレン先生もだけど、もう一人いるんだ」

 

「へぇ、その一人ってクラスのヤツ? それとも他の先生?」

 

「さあ、分かんないや」

 

「分からないって……」

 

 的を射ない発言にシスティーナは首を捻る。疑問符を浮かべる親友に悪戯っぽく微笑み、ルミアは次の授業に遅れないよう足を早めた。

 

 

 


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