無貌の王と禁忌教典   作:矢野優斗

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ただ一言──正義のメイド服ナイトかわゆす。


先代と奥方

 森の奥深くに居を構える無貌の王(ロビンフッド)の一族が住まう里。道筋を知る一族だけが辿り着ける秘境に一行が到着したのは三連休初日の昼頃であった。

 

 二度に渡る天の智慧研究会の襲撃も退け、平穏とは言い難い旅程ではあったものの無事に里に着いた一行を出迎えたのは、肌の黒い民族風の衣装に身を包んだ男であった。

 

「思ったより早かったなお前達。ロクスレイも、無事なようで何よりだ」

 

「ジェロームのおっさん、わざわざ出迎えですかい?」

 

 ジェローム=アパッチ。一族において魔術、特に土着の精霊に纏わる魔術の腕に秀でた男であり、ロクスレイが無貌の王(ロビンフッド)を継承する際の儀式を執り行った祭主でもある。

 

「いや、偶然だ。私はこれから儀式の準備がある。明日の昼までには準備が整うよう手配しておこう」

 

 そう言ってジェロームは里に招かれた少女を見やった。

 

「君がルミア=ティンジェルか。よい目をしている」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 やや気後れしながらも頭を下げるルミア。何というか、ロクスレイやウィルと違ってジェロームは穏やかでありながら自然の雄大さを身に纏う、大いなる力のようなものが感じられた。

 

 そんなルミアの反応にジェロームは特に気を悪くした素振りもなく、むしろ感心したようにひとつ頷く。

 

「ふむ、感受性も悪くない。それでいて肝も座っていると見た。王の資格を持つだけはあるか」

 

「おいこら、ジェロームのおっさん。浮かれてんのは分かるがそいつはいくら何でも失礼ってもんでしょうが」

 

 さっとルミアの前に立ってロクスレイが咎める。むっと唸ってジェロームはすまないと謝罪の言葉を口にした。

 

「私としたことが、とんだ無礼をした。申し訳ない」

 

「あの、頭を上げてください。気にしてませんから」

 

 そもそもルミアには何をされたのかさっぱり分からない。ただその場の雰囲気からして、何かしら試されるような真似をされたのだろう。その証拠に、今のジェロームからは先の圧倒されるような気配は薄れている。

 

 ジェロームは頭を上げると穏やかな物腰で言う。

 

「悪路の走行で疲れたことだろう。アンヌ殿が持て成しの用意をしているはずだ。少々早いが、顔を出すといい」

 

「……爺さんの容態は?」

 

 僅かに表情を曇らせてロクスレイが訊く。

 

「実際に見た方が早いと思うがね、そう悲観することはない。毎日アンヌ殿に甲斐甲斐しく世話を焼かれているよ」

 

 苦笑交じりにそう言ってジェロームは儀式の準備のためにその場を辞する。残った面々も銘々に自宅や暇潰しに繰り出し、ロクスレイとルミアは先代と奥方の待つ家へと向かった。

 

 里の中は比較的静かなもので、自然の景観を壊さぬように点々と木組みの小屋が建っている。森の奥深くにひっそりと暮らす妖精、などというイメージがルミアの脳裏に浮かんだ。

 

 きょろきょろと物珍らしそうに里の様子を見るルミアに、堪らずロクスレイが小さく噴出する。

 

「どうしたの、ロクスレイ君。何か変なことしたかな?」

 

「いや。お嬢さんの反応が面白くてな。こういった環境は初めてでしたかい?」

 

「そうだね。これでも一応、元王女だったから。森林地帯は魔獣が生息していることもあるから近づかないようにって教えられたんだ」

 

「なるほど。ま、その通りだわな」

 

 人間の居住圏や大きな街道には魔獣避けの結界や魔術が施されているため危険は少ないが、一歩人の手が入っていない自然に踏み込めばそこは野生の獣達の領域(テリトリー)。身の安全は保障できない。

 

 とは言え無貌の王(ロビンフッド)の一族は森の狩人である。野生の獣や魔獣如きに遅れを取ることなど子供でもない限りあり得ないし、里自体にも魔獣避けの魔術や罠が張り巡らされている。対策は万全だ。

 

 ロクスレイの案内に従って歩みを進めること数分。目的地たる家が見えてきた。

 

「わあ、凄い……!」

 

 視界を狭めていた木々が開けて目の前に広がった景色にルミアは思わず感嘆の声を洩らし、瞳をきらきらと輝かせた。隣ではロクスレイが困ったような呆れたような表情で頭を掻いている。

 

 ロクスレイとルミアの二人を出迎えたのは色とりどりの花々に囲まれた木造の家だった。貴族の庭園にも負けず劣らずの美しい光景にルミアは言葉も出ない様子だ。

 

「こりゃまた、奥方は随分と上機嫌らしいな。前に見たときより花の量が増えてるっていうか、この調子だと里中が花だらけになっちまうんじゃねえですかね」

 

 別段、里中に花が咲いたところで問題にはならないのだが、仮にも歴史の闇で暗躍する無貌の王(ロビンフッド)の一族が住まう里が一面花畑というのも締まらない。奥方には後で自重をするよう頼もうとロクスレイは決心した。

 

 そんなことをロクスレイが考えていると、ルミアが蜜に誘われる蝶のように花壇の側にしゃがみ込み、好奇心に駆られた子供のように指で軽く突き始めた。

 

 常の清楚で嫋やかな姿とはまた違う、年相応の表情を見せるルミアをロクスレイは微笑ましげに見守る。その肩書き故に子供のままではいられなかったルミアが、柵も何もかも忘れて自然体であれることが素直に良かったと思えた。その点で言えば、今回の里への招待は決して悪いものではなかったのだろう。

 

「あ、見てみてロクスレイ君。この花、他のと少し違うよ」

 

 興奮交じりにルミアに手招きされる。ロクスレイは目を細めて笑みを零しながら彼女の元へ歩み寄ると、指し示される花を見下ろして知識と照らし合わせる。

 

「ああ、そいつはカトレアだな。花言葉は確か優美な貴婦人だったか?」

 

「そうなんだ。ロクスレイ君は花に詳しいの?」

 

「花というか、植物全般はな。毒の有無とか知っておかないと危ねえですし」

 

 仕事の道具として毒を用いるロクスレイにとって植物全般の特性は必須知識。花言葉などは完全な蛇足で情報源はこの花畑を作り上げた当人からである。

 

 植物知識の用途など露知らぬルミアは感心したように声を上げてロクスレイを見上げる。何となく期待を含んだ眼差しにロクスレイは顎に手を当て花畑を見渡す。その一角にぴったりの花を見つけて口角を上げた。

 

「そうだな……お嬢さんにはこいつなんかがお似合いじゃないですかね」

 

 他の花を荒らさないよう気をつけつつ目当ての花を一本だけ手折る。ルミアの視界に入らないよう隠しながら簡単に茎の部分を折り曲げ、即席の花飾りを作った。

 

「ちょいと失礼」

 

 しゃがみ込むルミアの頭に手を伸ばし、作り上げた花飾りをそっと取り付けた。

 

 柔らかな金髪に雪片のような花弁がよく映える。花弁の先端にある緑の斑点がより一層その白さを際立て、 ルミアの清楚な心を表しているようだった。

 

 花飾りをつけられた当人はどんな花なのか分からず、上目遣いに自分の頭を見上げている。無論、頭頂部付近にある花飾りを見ることはできない。

 

「ねえ、ロクスレイ君。どんな花をつけてくれたの?」

 

「さて、何だったかね。ど忘れしちまいましたわ」

 

 ニヤリと意地悪く笑うロクスレイ。答える気はない、というか答えるのが恥ずかしいのだ。咄嗟に選んでしまったとはいえ狙い過ぎた。花言葉を知られた日には顔面から火を噴く自信がある。

 

 無駄に上手い口笛で誤魔化すロクスレイと僅かに頬を膨らませるルミア。そんな二人に小屋の方から声が掛けられた。

 

「あらあら、賑やかだと思えば。帰っていたのね、ロクスレイ。そちらは今日のお客さんかしら?」

 

 いつからそこにいたのか、大きめの如雨露を抱えた穏やかな雰囲気を醸す女性が家の扉の前に立っていた。庭先のロクスレイとルミアを微笑み交じりに見下ろしている。

 

「奥方、いつからそこに……」

 

「うふふ。さあ、いつからかしらね?」

 

 悪戯っぽく微笑む女性。どことなく無邪気な感じが実年齢以上に女性を若く思わせる。

 

 ロクスレイが盛大に頬を引き攣らせる。もしも先の気障なやり取りを見られでもしたらロクスレイはその場で形振り構わず悶える自信があった。これが同年代の連中なら軽くあしらえるのだが、殊彼女が相手となると途端に形無しとなるのだ。

 

 そんなロクスレイの心境など構わず、女性──アンヌはルミアににっこりと微笑みかける。

 

「いらっしゃい、ルミアちゃん。大したお持て成しはできないけど、歓迎するわ」

 

 

 ▼

 

 

「あら、学院でのロクスレイはそんな風なのね。相変わらず素直になれない子なのね」

 

「でも、ロクスレイ君のおかげで頑張れたこともあるんですよ? 魔術競技祭の時には──」

 

 木製のテーブルを挟んでルミアとアンヌが和やかに昼食を取りつつ会話に花を咲かせている。邂逅からそう時間が経ったわけでもないのに両者共に遠慮なく話すことができているのは共通の話題があるからだ。

 

 話題、つまるところロクスレイである。ルミアにとっては心から慕う相手であり、アンヌにとっては実の息子同然の少年。ルミアとアンヌは互いに自分の知らないロクスレイの姿を知っており、それを話題の種にして食事を楽しんでいた。

 

 一方、話題の中心にされているロクスレイは早々に昼食を取り終えると気恥ずかしさから逃亡。先代の休む部屋に避難していた。

 

「なあ、爺さん。頼むから奥方を止めてくれよ……」

 

「すまないが、今のわしにアンヌを止められん」

 

 安楽椅子に腰掛ける先代は気の毒そうな表情を作るものの、妻を止めるつもりはないらしい。アンヌが楽しそうだからというのもあるが、甲斐甲斐しく世話を焼かれているため逆らえないからである。

 

「ぐおお……何が楽しくて奥方とお嬢さんの話のネタにされなきゃならねえんですか。もうお嬢さんと面と向かって話せねえよ」

 

 幼少期の頃の思い出話などをされた暁にはルミアとまともに顔を合わせられる気がしない。実際はシャルルから既に暴露されてしまっているのだが、幸せなことにロクスレイは知らないことだ。

 

 ロクスレイは両手で顔を覆って言葉にならぬ唸り声を上げていたが、やがて落ち着きを取り戻すと先代に向き直った。

 

「体の調子はどうなんですかい? あれから何か問題は?」

 

「そうだな……一度倒れたが、それ以降は問題ない」

 

「はぁ!? 倒れたぁ?」

 

 驚きの事実にロクスレイは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「初めて聞いたぞそんな話」

 

「うむ、ここに戻ってすぐのことだったからな。おかげでアンヌに迷惑をかけてしまった」

 

「迷惑……いや、むしろ奥方は喜んでそうですけど」

 

 先代が倒れたことにはきっと心配を募らせたことだろうが、そのおかげで半ば強制的に隠居状態となり、愛しい夫と過ごせる時間が増えたことはむしろ僥倖だろう。外の花の量が際限知らずに増加しているのがその証左だ。

 

「まあ、なんだ。丁度いい機会だったんじゃないですかね。このまま残りの老後を奥方とのんびり暮らすのも悪かないと思いますぜ?」

 

 ロクスレイとしてはむしろ大人しくしていてくれというのが本音だ。先の一件で著しく寿命を削った先代に無理をされては敵わない。

 

 しかし当の本人は若干不服げである。ロクスレイと同じで根っからの仕事人なのだ。いや、この場合はロクスレイが先代に似たというのが正しいだろう。

 

「お前はどうするつもりだ、ロクスレイ。もう儀式まで時間はないぞ」

 

「どうするっつってもな、資格を失ったオレにまたお鉢が回るとは思えない。皐月の王がどうなろうと次代の長はシャルルあたりが妥当でしょうよ」

 

「それで本当に後悔はないか?」

 

 老境に入っても未だ眼光衰えぬ先代の眼差しがロクスレイを射抜く。一瞬、ロクスレイの目が動揺に揺れた。

 

「お前はやりたいこと、為すべきことの線引きが時に極端になる。そのままでは本当にやりたいことを見失ってしまう。分かっているか?」

 

 先代の厳しい言葉にロクスレイは決まり悪そうに目を逸らす。聞き分けのない子供のような態度に先代は深い溜め息を吐いた。

 

「……分かってんだよ、そんなこと」

 

 不意にロクスレイが呟く。

 

「でもな、オレを受け入れてくれた一族(連中)に恩を仇で返すような不義理な真似はできないだろ……」

 

 そう言い残してロクスレイは部屋から逃げるように去っていった。

 安楽椅子に深く身を沈める先代は皺の目立つ目元を僅かに緩める。

 

「そこまで理解しているのならば、あとは踏み出すだけだろう」

 

 

 

 

 

 

 


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