というか感想で予想されすぎぃ! コメント返しが大変というか雑になりました。ごめんなさい。
苦悩するロクスレイ
アルザーノ帝国において『メルガリウスの魔法使い』と言えば知らぬ人はいない有名な童話だ。
空に浮かぶお城を舞台に正義の魔法使いが魔王を倒し、お姫様を救い出す物語である。その舞台のモデルとなった城は今もなおフェジテの空に浮かんでいるあの浮遊城だ。
数多くの魔術師が彼の天空城の謎を紐解かんと挑み、夢半ばで折れていった夢幻の城。その謎を追った者は不自然な非業の死を遂げるとまで謳われ、『メルガリウスの魔法使い』は魔導考古学的見地からしても非常に価値のある参考文献成り得る名書である。
しかし著者であるロラン=エルトリアはレザリア王国にて聖エリサレス教会に『異端者』として捕まり、火刑台に送られた。謎を知る人物は灰へと還り、謎は謎のままの残されることと相成った。
ところで話は変わるが。『メルガリウスの魔法使い』は世界各地に伝わる古代の神話や伝説、民間伝承を、ロランが独自の分析と解釈の元に編纂された物語である。つまり元を辿れば、世界各地に『メルガリウスの魔法使い』の元となったお伽話や伝承が遺されているということ。
世界各地に散らばる物語の数々。その中の一つに、こんなお話がある。
それは遠い過去のお話。遥か遠い場所から訪れた一人の騎士見習いが主人と共に世界を巡り歩き、多くの人々を救っていく小さな冒険譚。今では数えられるほどしか現存しない絵本と一部地域のみで語り継がれているに過ぎない物語だ。
その物語の名は──『皐月の王』。
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「……! ロクス……! ──ロクスレイ君!」
「……っと、どうしましたかい、ティンジェル嬢?」
頬杖を突いて窓の外をぼうっと眺めていたロクスレイは、耳元で名を呼ばれてやっと意識を戻した。
見れば心配そうな顔色をしたルミアがすぐそばにいる。その後ろには気まずそうなシスティーナと僅かに眉を下げたリィエルもいた。
「大丈夫? ここ最近、元気がないように見えるよ?」
「そうっすかね? 別に普段と変わりないと思いますけど」
今ひとつ分からないとばかりにロクスレイは肩を竦めた。
中途半端に終わってしまった遠征学修から学院に戻り数日が経った。天の智慧研究会の陰謀を辛くも挫き、平穏な日々が戻ってきた。誰もが以前と変わりなく魔術学院生として生き生きと日々を送っている。
そんな中、ロクスレイだけは心ここに在らずの状態であった。何というか、目的を失った抜け殻のような有様である。
一見するといつもと変わらない皮肉っぽい笑みを浮かべるロクスレイ。しかしルミアには彼がどこか無理をして普段通りを演じているように感じられた。
「あのね、ロクスレイ君。悩み事とかあるなら、役に立てるか分からないけど、私でよければ相談に乗るよ?」
「ははっ、ご心配には及びませんよ。ちょいと物思いに耽ってただけなんでね。なんつうの? 色々と悩んじゃうお年頃なんですよ。だから、大丈夫だ」
戯けた風に答えてロクスレイは席を立つ。一瞬、ルミアが引き止めようとしかけたものの、ロクスレイの想像以上に弱々しい背中に声をかけるのを躊躇われた。
代わりに呼び止めたのはリィエルだった。
「ロクスレイ……わたしのせいで──」
「──レイフォード嬢」
リィエルの言葉を遮り、立ち止まったロクスレイが懐から取り出した何かを放る。リィエルの手元に飛んできたのは丁寧に包装された苺のタルトであった。
「教室でするような話でもねぇですよ」
他にも生徒がいる中で
リィエルは手元にあるタルトを見つめ、どんよりと肩を落とす。ロクスレイが度々自身にお菓子を投げていた下手人だということはもう知っている。二日ほど前、気もそぞろなロクスレイが暴走しかけたリィエルにその場で菓子を投げたことで発覚したのだ。
その時はロクスレイ自身、己の失態に驚愕していた。それもあってルミアは心配していたのである。
落ち込むリィエルを慰めるようにルミアが肩に手を添える。それでもリィエルの胸中を渦巻く後悔は消えない。ルミアが抱える不安の種も大きくなる一方。
そんな二人の様子をただ見ていることしかできない自分が、システィーナはどうしようもなく不甲斐なかった。
遠征学修の一件でリィエルの事情については聞き、腹を割ってきちんと和解した。連れ去られたルミアもきちんと帰ってきて、全ては元通りになったのだと信じていた。
しかし違った。システィーナの知らない場所で取り返しのつかないことが起きてしまっていたのだ。
そのことについてシスティーナは知らない。ロクスレイがその場に居合わせた人物に口止めをしたからだ。せいぜいが今回の騒動にロクスレイが何らかの形で関わり、大切なものを失ってしまい、それをルミアとリィエルが気に病んでいることぐらいしか知らない。
だからシスティーナには迂闊に口出しができない。事情を知らない人間がしゃしゃり出たところで事態を余計にややこしくするだけだ。
「……そうだ」
一つだけ、自分にもできることがある。と言っても、結局は人任せになってしまうのだが、事情を知らない自分が出るよりはマシだろうと考え、システィーナは担任教師のもとへと向かった。
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夕暮れ時、オレンジ一色に染め上げられる屋上に一人、ロクスレイの姿はあった。鉄柵に凭れ掛かり、火の点いた紙巻を咥えながら生徒の姿も疎らな学院の風景を眺めている。
護衛対象であるルミア含めるいつもの三人娘は図書館だ。生真面目なシスティーナ主導のもと、本日の授業内容の復習に勤しんでいる。
その様子をロクスレイは使い魔であるロンドを通して常に把握している。
ふぅと息を吐いて煙を燻らす。身体に害のある物ではない気を落ち着けるための紙巻であるが、逆に言えば、吸ってないと今のロクスレイは落ち着けない証左でもあった。
「ったく、情けねぇ……」
あの選択に後悔などない。死を覚悟した上で臨んだことだ。
しかし、まさか生き返ることになるとは微塵も考えていなかった。そのため
小さく溜め息を吐くロクスレイ。そんな暗い空気を背負う背中に声が掛けられた。
「こんなとこにいたのかよ、ロクスレイ。何処にもいねーから探し回る羽目になっちまったろうが」
「なーんでオタクがオレを探してたんですかね、グレン先生?」
面倒くさげな表情を貼り付けたグレンをロクスレイは少しばかり不思議そうに見やる。
「何でも何もあるか。俺の生徒が屋上で不良行為に手を染めてるっつう垂れ込みがあったからな。教師としてお説教しに来てやったんだよ」
「なるほどねぇ……?」
疑わしげな眼差しを送りつつ、とりあえずロクスレイは紙巻の火を消した。如何に無害で精神安定剤的な代物であっても、魔術学院内で学生が紙巻を吹かすのは問題だろう。
「それで、本当の用は何なんだ?」
「はぁー、お前ってほんと可愛げないな」
ガリガリと頭を掻きつつグレンはロクスレイの隣に並んだ。
「ここ最近、何か悩んでるっぽいな。ルミア達が心配してるそうじゃねーか。授業の時も上の空だし、どうしたんだよ?」
「…………」
グレンの問いにロクスレイは沈黙。顔も向けず黙りこくったまま虚空を見つめる。
いつもなら飄々とした揶揄いの一つや二つを飛ばすだろうに、それすらもないロクスレイにグレンは調子が狂う。
「あいつらに言えないことなら俺が聞いてやってもいいぞ。お前の正体のことも知ってるし、一時期組んだ間柄だからな。裏に関連する話ならルミア達より俺の方が話しやすいだろ」
グレンの発言にロクスレイが唖然と口を半開く。ロクでなし金欠講師から何だか信じられない言葉が出てきたと言わんばかりの顔だ。流石のグレンもこめかみをひくつかせる。
「お前な、これでも俺は教師やってるわけ。自分の生徒が困ってたりしたら助けてやるのは当たり前だろ?」
「いや……そうだな。オタクがちゃんと教師やってるのにちょっとばかし驚いた。変わったな、愚者殿」
かつて執行者として外道魔術師の暗殺を生業としていたグレンの面影は殆どない。一教師として、生徒のことを慮れる人間になっていた。
そんなグレンになら、相談してみてもいいかもしれない。陽だまりの世界に生きる者達には打ち明けられない、裏に生きる者の苦悩を。
僅かな逡巡の後、ロクスレイはここ数日抱えていた悩みを打ち明けた。
「知っての通り、オレはオタクよりも長いこと裏の世界に浸かって生きてきた。外道を一人二人殺すことにも何の痛痒も感じやしない、正真正銘の悪党だ。十の頃からずっとそうやって生きてきたのさ」
肉体の衰えによって先代が
何時からか
「それがこの前の一件でなくなっちまった。生き方そのものを失っちまったのさ」
つい先日、その
「なんつうの? どうすればいいのか分からないっていうか、何をすればいいのか分かんなくなった。やるべきことはあんのになぁ……」
ロビンフッドからただのロクスレイに格下げされ、どうすればいいのか今ひとつ判然としない。仕事は継続しているものの、それも何れ次代の
「資格を失ったオレは遠からずここからいなくなる。元よりお嬢さんが卒業するまでの期間だったのが、ちょいと早まるだけの話だ。代わりの人員もきちんと寄越されるでしょうよ」
分かり切ったことである。魔術学院に生徒として編入したのは全て護衛対象をより近くで守るため。ルミア=ティンジェルの身柄を狙う外道共を、その手の裏稼業に通じた
だから資格を失ったロクスレイがここに残り続けるメリットは殆どない。何故ならいざ敵方が仕掛けてきた時、外套の力もないロクスレイでは大っぴらに戦えないからだ。やれて学院内部の情報収集が限界だろう。そんなものは次代の
ただのロクスレイにこの学院に残る意義はないも同然なのだ。
「役立たずはお役御免、お払い箱になるのは当然。分かっちゃいるんですけど、ね……」
しかし、どうしてかその未来を受け入れたくない自分がいた。理由はさっぱりであるが、ロクスレイは
「理由は知れねぇですけど、どうにもオレはここを離れたくないと思ってるみたいでね。今まではそんなこと考えたこともなかったのに、ワケ分かんねえですわ」
どうにもならないジレンマに頭を抱えるロクスレイ。本人的には心底苦悩しているようだが、ここまで黙って話を聞きロクスレイの表情を観察していたグレンは、心底呆れ返っていた。
「お前ェ……本気でそれ言ってんの? もっと重っ苦しい爆弾が来ると身構えてたのに、何これ……何で思春期の恋愛相談染みた話を聞かされないといけないんだよ……」
「なっ!? オタクが訊いてきたから答えたんだろうがっ」
「うっせぇ! 何が生き方を失った、だ! ここを離れたくない理由とか、そんなもん分かり切ってるだろ!? 何か? 苦悩してる俺カッコイイとか思っちゃってる思春期真っ只中な男の子なの?」
「このっ! ……っ!?」
今にも噛み付かん勢いのロクスレイの鼻先にグレンは指を突き付ける。
「よく聞けよロクスレイ。お前さ、難しく考えすぎなんだよ。生き方だとか悪党だとか言ってるけどな、そんなもんは度外視しろ。そしたらちゃんと見えてくるはずだ。拗らせすぎなんだよ、お前は」
「……拗らせぶりならオタクもどっこいでしょうが」
良いこと言った風のグレンにボソッとロクスレイが水を差す。しかし当の本人は言いたいことだけ言うとさっさと踵を返し、甘ったるい物でも口一杯に含んだような顔をして屋上を去っていた。
再び一人となったロクスレイ。何やら無駄に気力を消耗した気がしてならない。
ぐったりと鉄柵に寄り掛かって少しばかり物思いに沈む。
グレンは何やら凄まじい言い掛かりをつけながらも、一応の助言を残してくれた。
難しく考えすぎるな。生き方だとか悪党であることを度外視しろ。そうすれば見えてくる。
だが、それは言葉ほど簡単なことではない。生き方は既に染み付き、悪党であることも紛うことなき事実だ。それらから目を背けてしまえば、今度こそ自分が何なのか分からなくなってしまう。
「難しいこと言ってくれるな、まったく……」
それでも、参考にならなかったわけではない。グレンに悩みを打ち明けたことで少しばかり気が楽になったような気もする。今の問答に多少の意義はあったのだろう。
心持ち顔色が晴れたロクスレイは、勉強会を切り上げたルミア達の帰路を護衛すべく屋上を後にした。