そんなこんなで第三部終了。続きは第四部でね?
あと、章わけをちょっと弄りました。3巻と4巻は繋がってるようなものだから、合わせました。
海での遊びを一通り堪能し、その後は観光街を巡る。自由時間を存分に謳歌した生徒達はやがて旅籠に戻り、明日から本格的に始まる研究所の見学に向けて眠りにつく。
生徒達は寝入り就寝時間を過ぎて時刻は深夜、ロクスレイは一人で観光街を歩く。当然のように規則破りであるが護衛対象+αが旅籠を抜け出した以上、護衛としてついていかないわけにはいかなかった。勿論、ルミア達に気取られるようなヘマはしない。
ルミアとシスティーナ、そしてリィエルの三人はやけにキョロキョロしながら観光街を往き、真っ直ぐ町の外へと足を向ける。彼女達の歩みがどこへ向けられているのか、果たしてその答えはすぐに判明した。
踏み締める地面が人が手を入れた石畳から細かな砂粒に変わり、耳に潮騒の音が届く。昼間とは一転して漆黒に染まった海と輝かしい星空がロクスレイの視界一杯に広がった。
「────」
その初めて見た幻想的な光景にロクスレイは言葉を失う。満点の星だけなら幾度となく見上げてきたが、そこに夜の海が合わさるとこうまで違うものなのかと、柄にもなく心を奪われた。
だが、それだけでは終わらない。ロクスレイと同じく夜の海と星空に見惚れていたルミア達が何やら言葉を交わすと、靴と靴下を脱ぎ去って波打ち際へと踏み込んでいく。
銀色の月明かりの下、賑やかしくはしゃぎながら水を掛け合う少女達の姿はいっそ神秘的なものにすら思えた。決して穢してはならない、未来永劫変わらず続くべき優しい世界。かくも尊く美しいものがあったのかとロクスレイは初めて知った心地だ。
「いくよぉ、システィ? えいっ!」
「もう、やったわねルミアっ! このっ!」
「……ん、わたしもやればいい?」
「うん、そうそう……って、きゃあああっ!?」
「へっ? ちょ、わきゃあぁあぁあ!?」
盛大に巻き上げられる水飛沫に頭からずぶ濡れと化すルミアとシスティーナ。ルミアの方は笑って流しているがシスティーナは加減をしろと説教モードだ。当のリィエルは相も変わらず眠たげな顔だが、心なしかいつもより瞳が輝いている気がする。
気安い三人のじゃれ合いをロクスレイはただただ遠くから見守る。少女達が戯れるこの光景はきっと何物にも代え難い、掛け替えのないもの。悪党が軽々しく触れていいものではない。
一幅の絵画よりも価値があるだろう情景を眺めていると、視界の端に立つ木の根元で人影が動く。目を凝らして見ればグレン=レーダスがボトルを片手に寛いでいた。この風景を肴に飲んでいたところ、ルミア達がやってきたのだろう。
酒を呷るグレンの表情は随分と穏やかだ。ロクスレイと似たような思いを抱いているのは想像に難くない。血に塗れた裏の世界に居てはお目に掛かれない光景だから、感動も一入のはずだ。
そして同じく裏の世界で生きてきたリィエルも、未だ戸惑いながらもルミアとシスティーナと共にいる時間に何かしらの意味を見出しているはず。グレンが望む、普通の幸せの一端を掴みかけている。
何もかもが順風満帆に上手く運んでいると、誰もが疑っていなかった。この時点では。
「あーあ、すっかり教師が板についてきちゃって。ちょいと負い目やら何やら抱えてそうだが、そのうち解消しますかねぇ……」
陽だまりに生きる少女達とそれを見守り導く教師の絵。誰一人として欠けてはならないピース。今日に至るまで薄汚れた世界で生きてきた悪党だからこそ分かる。この世界は守られなければならない。
そしてその役目は他ならない、正義の魔法使いが請け負うものだ。悪党に入る余地などない。
「なに考えてんだか、オレは……」
下らない妄想を振り払ってロクスレイは護衛任務に徹する。自分の役目はあくまで護衛対象+αの守護。それ以上でも以下でもなければ、余計な感慨など不要。ただ淡々と悪意を悪意で殺すだけだ。
だから、不必要な私情など抱いてはならない。
数瞬の間、瞼を閉じて瞑目。次に目を開いた時には常と変わらぬ皮肉げな笑みが貼り付いていた。
▼
翌日、二組は研究所見学のため白金魔導研究所へ赴く。『遠征学修』の目的地である白金魔導研究所は、サイネリア島のほぼ中心に位置する。旅籠から歩いて結構な距離があり、加えて道が悪いのも相俟って研究所に辿り着いた時点で生徒達の大半がくたくただ。
途中、いつも仲良し三人組が言い争うという一悶着が起き、グレンが取り成して収めるということもあったが、一行は無事に目的地に到着して研究所の所長に迎えられた。
バークス=ブラウモン。白金魔導研究所の所長を務める、好好爺然とした初老の男。グレンの微妙に礼儀知らずな態度も鷹揚に流す、魔術を究めんとする魔術師にしてはやけに人格者な性格であった。
バークスは面倒くさがることもなく、将来の帝国を担う魔術師の卵のためと自ら引率役を買って出て、研究所内部を案内すると言う。研究所の所長自らの引率という厚遇にグレンは恐縮、生徒達は興奮を隠せない様子であった。
浮かれる生徒の中、しかしルミアは妙に不安げな表情であった。道中のリィエルとの喧嘩を引き摺っているのもあるが、親切に振る舞うバークスに対して、言い知れぬ胸騒ぎを覚えたのだ。
不安に押し黙るルミア。その小さな肩に背後から手が載せられた。目敏くルミアの変調に気づいたロクスレイだ。
「どうしたんですかい、ティンジェル嬢? 元気ないな」
「そ、そうかな? 別に普段通りだと思うよ?」
誤魔化そうとするルミアだが、あからさますぎる。不意打ち気味に声を掛けられたのもあって挙動が不審だ。
「もしかして、さっきのレイフォード嬢のことですかい?」
その話題を持ち出せば途端に表情が曇る。昨夜までは三人で旅籠を抜け出して遊ぶほどに仲が良かったのに、ここにきて突然の仲違いだ。ロクスレイとしても実情の把握はしておきたかった。
「……私もよく分からないの。先生との間に何かあったらしいんだけど、今は聞かないでほしいって言われちゃったし」
「グレン先生が、ね……」
何やってんだ金欠講師、とばかりにグレンの背を見る。魔導師時代から依存度が天元突破しているリィエルがグレンの言葉すら聞こうとしない態度。余程のことがない限りああはならないだろう。
そのあたりは追々調べていくとして、ルミアの不安は恐らくそれだけではない。その証拠に彼女の視線が向いているのはグレンと話し込むバークスだ。
一見して親切で人格者、研究所の制服を着ていなかったらそこいらの穏やかな老人にも見えなくないバークスであるが、齢十という幼い時分から血腥い世界を渡り歩いていたロクスレイには分かる。あれは演技だと。
ある種の嗅覚とでも言うべきか。グレン以上に長い期間、濃密な地獄を潜り抜けてきたロクスレイに培われた勘。相手が堅気の人間かそうでない外道か、その判別がある程度の精度でできるようになっていた。
その勘が訴えている。バークス=ブラウモンは真っ黒であると。今まで狩ってきた外道と変わらぬ、無辜の民を傷つける外道魔術師であると警鐘が鳴っていた。
根拠も何もない勘であるが、自身の能力に自負を抱いているロクスレイは警戒を怠らない。無論、バークス本人に気取られないよう細心の注意を払った上である。
ついでにルミアへのフォローも忘れない。
「オレでよければエスコートしましょうか?」
「え?」
「まあ、オレも研究所内部の構造は知らないんで、お供よろしくついてまわるだけですけど。どうですかい?」
バークスが何か仕掛けてくるとも限らない。研究所内部にいる間はなるべく護衛対象の側に控えておくのが得策だろう。それでルミアの不安も紛れるなら一石二鳥だ。
突然の申し出にルミアはしばし目を瞬かせ、くすりと笑みを零す。
「じゃあ、お願いしよかっな。私、とってもやんちゃみたいだからさ。ふらふらと何処かへ行っちゃわないか心配してたんだ」
「そいつは困ったもんだ……」
ロクスレイは苦笑いを一つ零すと、さりげなくバークスの視線を遮るようにルミアの側に立つ。一瞬、氷のように冷たい眼差しとなったバークスを睨み付けて。
▼
バークスの案内による研究所見学は恙無く進行した。
白金術、白魔術と錬金術の複合術が扱う扱う分野は生命そのもの。必然、幾つもある研究室の研究内容は生命に関連したものばかり。薬草の品種改良、鉱物生命体の開発、生物の肉体構造の研究、複数の動植物を掛け合わす
案内の途中にシスティーナが思わず洩らした話を切っ掛けに、『Project:Revive Life』という死者の蘇生・復活に関する研究の話題が引き合いに出て、グレンが不自然なタイミングで割って入るなどといったことはあったものの、襲撃の類もなく研究所見学は平穏に終わりを迎えた。
研究所見学が終われば始まるのは自由時間。と言っても時刻は夕方、今から思う存分遊び尽くしてやるなどと息巻く生徒は居らず、大半は町へ食事を取りに向かい、疲れた者は部屋へ休憩に戻る。
銘々がそれぞれに行動を開始する中、相も変わらずぽつねんと一人立ち尽くしていたリィエル。そんな彼女に意を決してルミアが誘いを掛けるも素気無く拒絶、見かねたグレンが間に入れば癇癪を起こして何処かへ走り去る始末。本格的に護衛の任務を放棄している。
取り残されるルミアとシスティーナ、そしてグレン。彼らは一言二言言葉を交わすと別れて行動する。グレンはリィエルを追いかけ、システィーナは夕食用の軽食を買いに観光街へ、リィエルが帰ってきた時のためにルミアは旅籠で待機だ。
バラバラに動き始めるルミア達。優しく温かい世界に小さな亀裂が入る音が聞こえる。そんなものは気のせいだと言い聞かせつつ、ロクスレイは最優先護衛対象であるルミアについていった。
▼
旅籠の部屋に戻ったルミアは一人、ソファーに腰掛けながら憂鬱に溜め息を吐いていた。
どこかへ逃げてしまったリィエルはグレンが追い、システィーナは自分達が食べる用の軽食を買いに観光街へ行った。クラスメイト達から食事のお誘いを受けたが、リィエルを抜きに参加しようとも思えず、システィーナには悪いと思ったが遠慮した。
「リィエル……」
唐突に態度が豹変してしまった少女、リィエル。グレンが何か地雷を踏んで精神的に不安定になってしまったがための状態だと言うが、果たしてそれだけなのだろうか。今日までの振る舞いは全て嘘で、他人を拒絶する在り方が本当の姿だったのかもしれない。
元より自分達とリィエルでは住む世界が違う。日向の明るい世界と日陰の暗い世界。両世界が交わることは難しいだろう。
だから決して分かり合えない。気持ちを共有など、最初から不可能だったのかもしれない。
「ううん、そんなことない。昨日のリィエルの言葉はきっと本音だった」
三人一緒に夜の海と星空を眺め、語らい、遊んだ記憶に嘘偽りはない。それはきっとリィエルも同じ。友達であることを嫌じゃないと言った、あれは間違いなくリィエルの本音だ。
だから、今日の変わりようには何かしらの理由があるはず。きちんと向かい合って、話し合って、何が悪かったかを伝え合い、最後に謝り合えばきっと元に戻れる。ルミアはそう信じることにした。
「リィエルが戻ってきたら、何から話そうかな」
幾分か表情を明るくしてルミアは友人の帰りを待つ。
どんな顔で迎えて、どんな言葉を掛けるか思考に耽っていると、不意に物々しい物音が響く。何かが壊れるようなけたたましい音だ。
音の発生源は部屋の奥にあるバルコニー。何事かとそちらに目を向け、ルミアは驚愕に硬直する。
「えっ……リィエル?」
バルコニーへと続く扉の残骸を踏み砕き、室内に入ってきた見慣れた小柄な人影。無茶苦茶な入室の仕方をしてくれたのは待ち人であるリィエルだった。
だが様子がおかしい。普段から人形めいたところはあったが、今の彼女は人間味の欠片も感じられない。ありとあらゆる要素を削ぎ落とした壊れかけの人形のようであった。
「どうしたの、リィエル……っ!?」
心配になって歩み寄ろうとしたルミアは、しかしリィエルの状態を認識して絶句する。
血塗れだった。頬や手、服や何故か手に持っている大剣も。何もかもが、べっとりと血に濡れている。
それが誰の血であるかは想像に難くない。リィエルを追いかけたのはグレンだ。つまり、そういうことなのだろう。
だが認められない。あのリィエルが、いくら精神的に不安定だからといってグレンを襲うなんて信じられない。信じたくない。
「リィエル……あなた、一体、何を……?」
どうしようもなく恐怖に震える唇を無理やり動かして問う。お願いだから、違うと言ってほしかった。悪い冗談だと、否定してほしかった。
しかしルミアの願いも虚しく、リィエルはただ一言「ごめん……」と呟くと血の滴る大剣を構える。一足で踏み込み、その切っ先を振り下ろす。
「あ……」
ダメだと、悟った。鍛えてもいない一介の魔術学院生に過ぎない自分には躱せない。グレンのように紙一重で避けるなんて芸当は真似できない。
(助けて……っ)
呆然と立ち尽くすルミアに凶刃が襲いかかる。もはやどうしようもなかった。
そう、ルミアには──
人一人など容易く殺し得る剛剣がルミアを切り裂かんとした、その刹那、恐怖に立ち竦むルミアの身体が横合いから突き飛ばされる。振り下ろされた刃は何もない空を斬るに終わった。
予想だにしなかった衝撃でソファーに倒れ込むルミアの目に映ったのは、リィエルから庇うように立つ深緑の外套だった。
三年前も、自爆テロの時も、そして魔術競技祭の時も。何時だって何処からともなく現れては自分を助けてくれた人──
「顔無しさん……!」
護衛対象を守らんがため、