魔術競技祭閉会式にて巻き起こった騒動は、ゼーロスの投降とアリシアの卓越した演説と手腕によって大事なく収まった。
セリカの断絶結界によって内部でのやり取りを知られなかったことを利用し、アリシアは事実を幾らか脚色して事の次第を伝えた。
帝国政府に対するテロ組織の卑劣な罠、勇敢な魔術講師と学院生徒の活躍と。華々しい部分を自然に強調し、裏事情を隠蔽。民を見事に欺く話術はさすが稀代の女傑である。ただし娘のこととなると形無しであるが。
最後の最後で一悶着あったものの、今回の魔術競技祭は無事に終わりを迎えたのであった。
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すっかり夜の帳に覆われたフェジテの町並みを往く講師と生徒を視界の中央に据えながら、ロクスレイは白髭を蓄えた老人と並び歩いていた。
「おいおい、マジかよ。爺さん相手に逃げ果せるとか、エレノアとかいうのはどんな化け物なんですかい……?」
隣を歩く高齢の翁、先代
「すまない、わしの失態だ」
「いや、別に構いませんがね。爺さんで無理だった以上、他の誰が行っても結果は変わらなかったでしょうし……しっかし、エレノア=シャーレットねぇ。奴が爺さんを超える手練れとは思いませんでしたわ」
「手練れ……確かに、手練れではあった。彼奴の魔術の腕は卓越したものがあった。だが……」
眉間の皺を微かに深め、先代は続ける。
「アレは最早、人の道を外れている。尋常の気配ではない」
多くの修羅場を潜り抜けてきた先代の観察眼。肉体的に衰えたとしても身につけた技術や精神までは剝がれ落ちはしない。
「人の道を外れてる。つまりは化生の類ってか。獣狩りはオレの領分だが、生憎と怪物狩りとなるとなぁ……。やってやれないこたぁねえが、ちょいと七面倒な話になってきたな」
「油断するでないぞ、ロクスレイ。彼奴らは必ず、また王女の身を付け狙う。下手を打てば手痛い逆撃を貰うことになりかねん」
「へいへい、分かってますって。爺さんこそ、無茶するんじゃねえですよ。年寄りの冷水って言うの? 年甲斐もなくはっちゃけてると、そのうちぽっくり逝っちまいますぜ?」
多分に皮肉を交えながらの気遣いに老練の翁が目を瞬かせる。珍しいものを見た、とでも言いたげな顔だ。
「とうとうお前に心配される日が来るとはな。わしもまだまだ未熟なものだ……」
「爺さんの境地で未熟とか言われると自信なくすんで止めてくれない? つうか、まだ働く気かよ。いっそ本格的に隠居でもしたらどうです?
「生憎と、わしにはまだまだ大きな息子がいるからな。早々と隠居などしておれぬよ」
深く刻まれた皺を緩め、厳格な先代の顔からお節介焼きの爺さんへと変わる。
「話は変わるが、そろそろ
「また唐突だな……まぁ、候補だけなら、いないワケじゃねえですけど。あくまで候補で、条件を満たしてるっつーだけですぜ?」
候補と念押すロクスレイの視線は前を往く少女に向けられている。自分のような悪党でも信じ抜くと言ってくれた、気丈で心優しい陽だまりの少女。彼女ならばあるいは、と微かな期待を抱いていた。
ロクスレイの態度から候補が誰であるのか察した先代は、少し嬉しそうに目元を緩めた。
「そうか、候補を見つけたか。ならば小言は控えようかな。この手の話に年寄りが出しゃばってもロクなことにはならんものだ」
「散々急かされた気がすんですけどねぇ……」
「それとこれとは別だ」
「さいですかい」
ガリガリと頭を掻いて、そろそろ二組が打ち上げを催している店が近いことに気づく。グレンとルミアに怪しまれないためにロクスレイは二人より先に店内にいたいと考えていた。
「悪いが、オレはそろそろ行きますぜ」
「うむ、体を壊さぬよう気をつけるのだぞ」
「そんな心配されるほどガキじゃねえですよ」
先代の隣を離れて人混みに紛れて走り出すロクスレイ。その横顔には満更でもない笑みが浮かんでいた。お節介であっても息子のように接してくれることが嬉しかったのだ。
実の両親の顔も知らないが、ロクスレイにとっての親は爺さんである。ルミアとアリシア親娘の絆を見て遅まきながら気づいたのだ。こんな自分にも、親として愛情を注いでくれている人がいたことを。
行き交う人の波に呑まれて消える息子の背中を見送り、先代は穏やかな微笑みを一つ残してその場を去った。
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学院運営陣との緊急会議や王室親衛隊による事情徴集などによって長い時間拘束されていたグレンとルミアが打ち上げ会場である店に入ると、出迎えたのは物の見事に出来上がったシスティーナと、特別賞与と給料三ヶ月分が吹っ飛ぶほどの請求書であった。
確かに好きなだけ飲み食いしろと気前よく生徒達には言ってやった。しかし、誰が高級酒をバカスカ飲んでいいと言ったのか。これではまた極貧生活に逆戻りである。
絶望の呻きを上げて頽れるグレンと、そんな金欠講師に酒の勢いで抱きつくシスティーナという混沌空間。他の生徒達もブランデーの入ったデザートを食べているせいか全体的に賑やかで喧しい。
陽気に騒ぐクラスの様子を端の席で一人眺めつつ、自分もこっそりと頼んでおいた高級酒をちびちびと飲み進めるロクスレイ。厳選された特級葡萄棚からとれる高級ワインとだけあって、味わい深くかつ清純。酒の良さが分かるほど嗜んでいるわけではないが、美味しいと素直な感想を抱いた。
半分ほどボトルを空けたところで、ふと隣の席に気配。酔い潰れたシスティーナを席に寝かしつけたルミアが、小さなバスケットを手にロクスレイの隣までやってきた。
「お疲れ様、ロクスレイ君。隣、いいかな?」
「別に構いませんよ。他の連中も好き勝手座ってますし」
わざわざ断るのも不自然だと了承する。酒が入って少しばかり気が抜けているのもあるだろう。
許可を得たルミアが隣の席にちょこんと腰を下ろす。
「それ、ロクスレイ君も飲んでるんだ」
「ああ、まあ頑張った自分へのご褒美ってことで。競技できちんと結果も残したんだ、大目に見てくれよ。フィーベル嬢だってバカスカ飲んでるしな」
ルミアの呆れの眼差しを飄々と受け流してロクスレイはグラスを呷る。引き合いに出されたシスティーナはいつの間にか目を覚ましたのか、一人寂しく自棄酒をするグレンに絡んでいた。後日、己の醜態を知ったら顔から火を噴くのではなかろうか。
「あはは……でも、ご褒美かぁ……ご褒美なら、いいかな」
ふと小さく呟いてルミアはテーブルの上に小さなバスケットを置く。
「実はね、とある人に食べてもらおうと思って作ってきたんだけど、結局渡せなかったんだ。ロクスレイ君、今日は凄く頑張ってくれたから、ご褒美代わりに貰ってくれないかな?」
「いいんですかい?」
「むしろ私が押し付けてる側だからね。迷惑だったりする?」
上目遣いでルミアが訊いてくる。ロクスレイは気障っぽく肩を竦めて笑う。
「女の子が丹精込めて作ってくれた食べ物を迷惑だなんて思いませんよ。惜しむらくはその想いがオレでない他人のもので、ティンジェル嬢が気に入るほどの相手の代わりがオレに務まるかだがな」
「それは大丈夫だよ。ロクスレイ君もその人に負けず劣らず頑張ってくれたからね」
ニコニコと嬉しそうに微笑みながらルミアはバスケットを開けて差し出す。中身はシンプルにサンドイッチであるが、少しばかり形が崩れている。
「ちょっと見た目は不恰好だけど、味はちゃんと保証するよ。システィも美味しいって言ってくれたし」
少し気恥ずかしげに頬を掻くルミア。不器用を自覚しているだけあってサンドイッチの見栄えはあまりよろしくない。だがロクスレイはバスケットからサンドイッチを一つ手に取ると躊躇うことなく一口頬張った。
パンから飛び出しそうになる具材を押さえつつ、よく味わうように何度も噛み締めて飲み込む。数秒ほどの間を置いてロクスレイは満足げに頷く。
「見てくれはよくないが、味は悪くない。作り手の努力がよく分かる出来だな」
「本当? お世辞でも嬉しいよ」
「世辞じゃないんですけどねぇ……」
確かに見た目はあまりよろしくないが、味自体は本当に悪くない。現にロクスレイは勧められるまでもなく二つ目に手を伸ばしている。
サンドイッチを肴にワインを呷るロクスレイを、何が嬉しいのかルミアは笑みを絶やさず眺める。平時なら気に留めていただろう視線も、酒が入っている今はそこまで気にならなかった。
「……ありがと」
不意にルミアが小さな声で囁く。隣同士でやっと聞き取れるほどの声量であったが、ロクスレイはその声をきちんと拾っていた。
「別に、お礼を言われるほどのことをした覚えはありませんけど」
「ううん、そんなことないよ。貴方のおかげで私達は女王陛下の元に辿り着けた。ロクスレイ君が勝ってくれたからだよ」
「それを言うならクラスの連中全員のおかげだ。ほら、グレン先生も言ってたろ。『皆は一人のために、一人は皆のために』ってな」
「そうだね。でも貴方は、
真摯なルミアの瞳がロクスレイを見据える。その見透かすような目から逃れるようにロクスレイは顔を逸らす。
「そいつはどうだかな。あの時のティンジェル嬢は誰とも知れない女の子に変身してたんだ。オレはただ可愛い女の子のお願いに絆されただけかもしれませんぜ?」
軽薄に笑ってロクスレイは誤魔化す。心なしか酒を飲むペースが早まっていた。
そんなロクスレイの横顔を見つめていたルミアはふっと相好を崩した。
「そうかもね。変なこと訊いてごめんね。サンドイッチ、受け取ってくれてありがと」
一方的に言い残してルミアは席を立つ。いよいよグレンへの絡みが一線を越えそうなレベルになり始めていたシスティーナを見かね、止めるためだ。
まともに回らない呂律で凄まじく大胆な発言を繰り返すシスティーナを、グレンが鬱陶しげに突っ撥ね、苦笑いのルミアが引き離す。
いつもの日常の延長、優しく温かい陽だまり──決して悪党が踏み入れることの許されない世界。
そんな光景をロクスレイは遠い目で眺めながら、サンドイッチを摘まみつつ酒を呷るのだった。