無貌の王が王女の護衛になったワケ
彼の一族は表舞台には決して出てこない。常に歴史の裏で暗躍し、圧制者や世間一般的に言われる悪人を人知れず狩る。良く言えば義賊。悪く言えば殺人を躊躇わない悪党。
鍛え上げられた肉体と積み重ねた研鑽、そして培った知識をもって淡々と依頼をこなす。その影響力は代を経るごとに増すも、決して己の情報を明かさないことと、誰一人としてその正体を知らないことからしばしば都市伝説扱いされることもある。
しかし権力者たち、それも王族や国の運営に関わるような人間は知っている。彼らの存在は眉唾ではない、まして都市伝説なわけがない。実際に彼の一族によって滅ぼされた悪人が、悪徳領主が、圧政を敷いていた国があるのだ。
奴らは今も、欲に溺れた悪人を狙っている。もしかしたら今この時も、己の首を狙って刃を研ぎ澄ませているかもしれない。悪を為す者は覚悟せよ。一度目をつけられたらそれが最後かもしれない。
その神出鬼没さと実態を掴ませない在り方から彼の一族、取り分けその長に当たる者は畏怖を籠めてこう呼ばれる──
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「無貌の王ねぇ。また随分と仰々しいこと。ややこしい言い回しなんざせず、シンプルに顔無しでいいでしょうに。何だって人は無駄に凝り性なんですかね」
深緑の外套に身を包んだ男が、アルザーノ帝国が帝都オルドランの街並みを背に、皮肉げに口元を歪めた。どういう原理かフードに隠された素顔は見えない。物理的ではない、もっと別次元の要因が貌の認識を阻んでいる。
「さて、どうしてでしょうか。単純にその方が畏れられるから、なんて面白味もない答では満足できませんか?」
行儀悪くバルコニーに腰掛ける男の隣に、部屋の中から歩み出てきた女性が並ぶ。豪奢なドレスを着こなした美貌の女性。纏う雰囲気は気品溢れるもので、立ち姿だけで高貴な出自であることが窺える。
彼女こそが類稀なる政治手腕とカリスマで帝国を舵取りする女王陛下──アリシア七世。
女王陛下の居室にあるバルコニーに得体の知れない男が一人。王室親衛隊にでも知れれば大騒ぎになりかねない事態であるが、当のアリシアは気にした素振りもない。勿論、男も同じだ。
ニヤリと笑みを作り男は首を振る。
「いや、オタクの読みで間違いないだろうさ。こういうのはビビらせてなんぼ。勝手に怖がって縮こまってくれるなら、こっちとしちゃあ儲けもんですわ。ただ、なんつぅか、名前負け感が強くてねぇ……」
「そうでしょうか。実際、貌は見えませんよ?」
「そういう意味合いじゃなくてだな……あぁ、いやいい。無駄話で時間食うのも馬鹿馬鹿しい。さっさとお仕事の話に移りましょうや」
自分で話し出したくせにあっさりと話題を切り捨て、男は仕事の話を促す。
男と女王陛下との付き合いは長い。といっても男女の仲などではない、あくまでビジネスライクな関係だ。金を受け取り、帝国宮廷魔導師団でも手が足りない、あるいは届かない悪人や外道魔術師達を狩る。端的に言えば雇用主と被雇用者の関係であった。時々、私的な依頼も含まれるが。
今日ここにこの男が来たのは他でもない、
「さて、今回の依頼はなんですかい? 生憎とオレの得意分野は暗殺、工作、陽動なんでそれ以外の依頼は控えてもらえると有り難い」
「控えてほしいのであって、依頼すれば断らないのが貴方の良いところですね」
「いや、ほんとは止めてほしいのよ? でもこのご時世、仕事を選り好みしてられる余裕もないワケよ。お得意さん、それも大口の顧客をそう易々と手放すわけにはいかねぇのさ。ってか、今の話の流れからしてまた七面倒な依頼なワケ?」
「貴方からすればそうかもしれませんね。それに今までのように短期間で済む内容ではありません。長期間縛られることになります。その分、報酬も弾みますよ」
男にとって面倒な内容であり、なおかつ長期に渡る仕事。数年とビジネスライクな付き合いを続けてきた男はアリシアが何を依頼しようとしているか、大まかではあるが察した。
「おいおい本気か? オレみたいな素性の知れない怪しい輩に、よりにもよって自分の娘を任せるつもりかよ。オタク、分かってる? これでもオレ、暗殺とか平然とやれちゃう人種なんですけど」
「知っていますよ。だからこそ、
曇りなき瞳でアリシアは無貌の男を見つめる。そしてふっと微笑んだ。
「それに、貴方は以前にもあの子を救ってくましたから」
「あー、あれはただオタクとの信用関係を守るためにやったサービスみたいなもんだ。最終的には特務のヤツに押し付けちまいましたし、手落ちも甚だしい」
「それでも、私の無理な願いを聞き入れてくれた貴方には感謝の念が尽きません」
混じり気のない感謝を向けられ、さしもの男もたじろぐ。仕事と割り切れば大して気にもならないが、純粋な好意には滅法弱い
「分かった分かった、礼は言葉じゃなくて報酬に色を付けて見せてくれ。とりあえずお仕事の話だ。詳細を教えてくれ」
「はい」
それから二人は仕事の仔細について話し合いを始めた。
依頼内容は世間一般には病死したエルミアナ王女ことルミア=ティンジェルとその周囲の人間を守ること。期間は彼女が魔術学院卒業まで。物騒な分野を得意とする男にとっては確かに面倒な内容ではあるかもしれない
「お仕事ですから文句は言いませんがね、わざわざオレに依頼するってことは何かしら不穏な動きがあるってことですかい?」
先にも語った通り、男は護衛に向くタイプの人間ではない。能力的な話もそうだが、人殺しも躊躇わない悪党に任せられる仕事ではないだろう。それでも敢えて男に依頼したのは理由があるからだ。
「ここ最近、天の智慧研究会の活動が活発化しているとの報告が上がっています」
「あぁ、なるほど。そりゃあオレに依頼するワケだ」
天の智慧研究会。彼らはアルザーノ帝国に蔓延る最古の魔術結社の一つであり、魔術を究めるためならば何をやっても良い、多大な犠牲も厭わない危険思考を抱く集団だ。魔術師以外を見下し人としても扱わない彼らは、その危険思想故に帝国政府と長年抗争を続けている。
連中は己が思想を貫くため、邪魔してくる帝国政府の失脚を目論んでいる。そんな危険集団にとって廃棄されたはずのエルミアナ王女の生存はこれ以上になく利用価値があるだろう。
「連中が相手ならこっちも文句ありませんわ」
魔術研究のためならば無辜の民だろうと関係なく巻き込み、悍ましい儀式の供物にするのが天の智慧研究会。
「そうなると、護衛はなるべく近くがベストだな。面倒なのは学院内への侵入か。確か魔術学院には高度な結界が張ってあったはず……抜けられるか?」
早速とばかりに脳内で仕事の算段を始める男。これでも仕事の出来る男を自負しているのだ。
しかしプロ意識の高い彼は一つ勘違いしていた。その勘違いをアリシアが指摘する。
「結界の心配はせずとも大丈夫ですよ。堂々と正面から入れますから」
「はぁ? 何言ってるんすか? そんなことできな──」
不意に男は硬直する。一つ、重要な部分を聞き忘れていたことに気づいた。それによっては仕事の難度が大幅に上下する、大切な内容である。
「なあ、オタクはオレをどういった肩書きで魔術学院に送り込むつもりですかい?」
男としては公的な身分などなしに、鍛え上げた身体能力と身につけた技術を発揮して忍び込み、陰から王女達を護衛するつもりであった。警備が厳重な帝城の女王の元まで辿り着けるほどの能力を持つ彼にとっては、裏から守る手法の方が性に合っている。
だがそんな脳内予定は雇用主たるアリシアによって打ち砕かれた。
「勿論、ルミアと同じく一人の学徒として魔術学院に編入してもらいます。生徒となってしまえば結界を抜ける苦労もありませんし、より護衛対象の側に行けるでしょう」
「いや、いやいや! おかしいでしょ。オレが学生? しかも魔術学院とか、冗談はよしてくれよ」
ありえんとばかりに頭を振る男。幼い頃から一族の大人達に一般教養から仕事に必要な技能までを叩き込まれた男は、魔術学院はおろか日曜学校にも通った経験はない。必要性を感じたこともなかった。
「冗談ではありませんよ。既に戸籍の偽造、編入の手続きは済んでいます。一週間以内には挨拶と本人確認のための手続きをするために学院へ出向いてくださいね」
「あっれぇ、おかしいな。まだ受けると返事もしてないのに話が進んでるぞ」
「あら、お断りになられるのですか?」
こてんと小首を傾げてアリシアが問う。断られるなどと微塵も思っていない態度である。事実、男に依頼を拒否するつもりは一切ないのだが。
「いや、ですがねぇ。オレみたいな破落戸をあんな賑やかしい集団に放り込まれても正直困るんですよ」
血みどろな世界で生きてきた男にとって、魔術学院などという日向の世界は縁遠いもの、自身が踏み込むような場所ではないというのが男の認識だ。知識として知ることはあっても、仕事とはいえ血に塗れた自分が足を踏み入れることになるとは思っていなかった。
戸惑いを隠せない男にアリシアは穏やかな眼差しを送る。
「貴方なら大丈夫ですよ。案外、学生生活が性に合うかも知れませんね」
「どうだか。ま、お仕事である以上、報酬分はきっちりこなしますがね。しっかしオレが魔術学院ねぇ……」
憂鬱に呟きながら男は空の彼方を臨む。
遥か空の向こうには半透明の巨大な城が浮かんでいた。
近づくことも触れることも叶わぬ幻影の城。数多くの魔術師があの城の謎を解き明かさんと日夜研究している。しかして魔術に触れない一般市民からすれば、見慣れてしまえばただの風景に過ぎない。子供ならばいつかはあの城へと夢見るかもしれないが、それも一過性だ。
仕事の内容によっては人殺しも躊躇わない男にとって、魔術は真理の探究だとかそんな理屈染みたものではない。幾つかの例外を除いて、等しくただの道具だ。
そもそもこれは一族共通の考えであるが、彼らはあまり仕事に魔術を持ち出さない。使えないわけではないが、使うまでもない。彼らには魔術よりももっと便利な品や技術があるからだ。
だから男にとっての不安はただ一つ。
「オレ、ちゃんと進級できるのかねぇ」
「心配はそこですか」
ふふっと上品にアリシアが笑みを零す。普段は軽薄な態度で飄々と仕事をこなす男の意外な一面を見れて楽しそうだ。
「貴方ならきっと大丈夫ですよ。仕事としては長いですが、短い学生生活を堪能してください。仕事に支障が出ない範囲であれば好きにしてくださって構いません。お爺様も、たまには息抜きをしろと仰っていましたから」
「やっぱ爺さんのお節介か」
何とはなしに予想していたが、男は苦笑を禁じ得ない。
男の育ての親であり、師匠であり、そして先代
男が先代から長の役目を引き継いだのは十を過ぎた頃。一族始まって以来の才覚と先代の衰えが重なり、本来なら十五で受け継がれる長の座が繰り上げで譲り渡されたのだ。
幼少期から只管修行に明け暮れていたため、男に同年代の友人は皆無である。加えて長となったことでより一層素性を明かせなくなり、これから先も余程のことがない限り男に親しい間柄の人間は生まれないだろう。
厳格であるが同時に男を息子同然に見ている先代は、その状況を憂慮した。別段甘やかすつもりはないが、長の座を継いでから今日まで無趣味かつ仕事以外に生き方を知らない男の在り方を心配したのだ。
そこへアリシアからの依頼。これを切っ掛けにもう少し視野を広げ、息抜きの一つや二つを見つけてほしいというのが先代の考えである。勿論、掟に抵触しない範囲であるが。
「まあ、ぼちぼち頑張りますわ」
「はい、娘を頼みますよ──
不敵な笑みを浮かべて男──ロビンフッドはバルコニーから身を翻し、数秒と経たずしてその姿は煙の如く消え去った。