「アトリエ明石」の「提督さん」   作:雨守学

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第八話

世間は夏休み。

アトリエ明石では、子供たちの自由研究用に、モノづくり教室を実施してみた。

これが結構評判がよく、教室の予約が殺到し、毎日忙しく働いている。

青葉のブログでも宣伝してくれたおかげなのか、地域テレビ局の取材まで来た。

 

「夕張、あっちを見てくれないか?」

 

「了解!」

 

「島風は青葉と弁当を買ってきてくれるか?」

 

「分かったー」

 

「お任せください!」

 

いつものメンバー総動員でかかっても、手はいっぱいいっぱいだ。

 

 

 

そんなことが数日続き、やっとのことですべての仕事をやり終えた俺たちは、工房で打ち上げをすることになった。

 

「お疲れ様でした~」

 

「カンパーイ!」

 

料理は、そんな俺たちの活躍を聞きつけた鳳翔たちが、用意してくれた。

 

「お前ら本当にお疲れ様。今更だが、悪いな。手伝わせてしまって」

 

「いいのよ。好きでやってるし」

 

「結構楽しかったよねー」

 

「そうですねぇ」

 

「明石も、お疲れ様」

 

「提督も」

 

今回の教室以外にも、商品が飛ぶように売れ、店の棚がスッカスカだ。

 

「しばらくはお店に置くものを作ったりで、静かに営業ですかね」

 

「そうだな」

 

「ねーねー提督ー。島風達頑張ったんだし、何かご褒美ちょうだーい」

 

「ご褒美か……」

 

「青葉も宣伝しましたし、何か欲しいですねぇ」

 

確かに、頑張りに何か報酬を出さないといけないな……。

金……というわけにもいかないしな……。

 

「ご褒美、何がいいんだ?」

 

そう言った時、俺以外の全員が互いに目を合わせた。

そして、待ってましたと言わんばかりにニンマリと笑った。

 

「「「「海!」」」」

 

 

 

翌日の早朝。

俺たちは車に乗って、海を目指した。

 

「しかし、海に行きたいだなんて、やはり艦娘だからか?」

 

「艦娘だからという訳でもないですよ。夏と言えば海! プールでも良かったけれど、どこも高いですし、混んでるでしょうから」

 

「別に金のことは気にしなくても良かったのだがな……」

 

「何言ってるのよ。今回はたまたま儲かっただけで、生活が苦しいことには変わりないでしょう?」

 

「まあ、そうだが……」

 

ミラー越しに後ろを見ると、島風と青葉はスヤスヤと眠っていた。

二人とも、今日が楽しみで眠れなかったという感じか。

 

「さーて、海に着くまでちょっと眠るかなー」

 

「じゃあ、私もお休みしますね」

 

「お前らな……まあいいけどさ……」

 

しばらくすると、車内は寝息に包まれた。

 

 

 

海に着いたのは10時頃だった。

 

「結構早く着きましたね」

 

「そうだな。最近は海に来る奴らが少ないんじゃないか?」

 

俺が子供の頃に来た時と違って、人は少なく感じる。

 

「俺はパラソルとか借りて準備しているから、お前らはあそこの脱衣所で着替えてきたらどうだ?」

 

「私は下に着てきているから手伝うわ」

 

そういうと、夕張はシャツをペロッとめくり、水着を見せた。

 

「行こう青葉ー。競争しよー」

 

「いいでしょう!」

 

「こら、走っちゃだめですー」

 

三人を見送り、俺と夕張はパラソルを借りに海の家の方へと向かった。

 

 

 

「パラソル、大きいの一つください」

 

「はいよ。二人はカップルかい?」

 

「え?」

 

「そうですよ。ね」

 

「おい……」

 

「んじゃ、カップル割だ」

 

パラソルを受け取り、夕張はそそくさと海の店を後にした。

 

「おい夕張」

 

「いいじゃない。安くなるんだし。それとも、私とカップルに見られるの、そんなに嫌?」

 

「そういう訳じゃなくてだな……」

 

「ならいいじゃない。ほら、はぐれない様に手繋いで」

 

夕張の少し汗ばんだ手が強引に俺の手を引いた。

 

「海の家のおじさんも見てるし、ね」

 

はしゃいでるな夕張。

最近のこいつは、いつも楽しそうだ。

本当にモノづくりや修理が好きなんだろうな。

こういうイベントも、悪くないと思っているのだろうか。

 

「ほら、早くー」

 

「分かったよ」

 

走る先に、大きな積乱雲がいくつも漂っていた。

波の音、蝉の声、肌にべた付くような潮風。

何だか全てが懐かしく感じた。

 

 

 

パラソルやシートのセットが終わるころには、皆戻ってきた。

 

「司令官見てください! 青葉のおニューな水着姿!」

 

「いいじゃないか。可愛いよ」

 

「本当ですか!? 後で写真撮ってもらっても!?」

 

「ああ、いいよ」

 

といっても、こんなところでカメラ出したら怪しまれそうだが……。

島風はスクール水着で、明石は去年と同じ水着だった。

 

「提督ー、浮輪膨らませておいてくれなかったのー?」

 

「すまん。時間がなかったんだ。今やるよ」

 

男って、いつもこういう係だよな。

まあ、今日は皆への感謝もあるから、働くけどさ。

 

「私がやっておくから、貴方も着替えてきたら?」

 

「これやってからにするよ」

 

「そうだよー。提督にやらせよー」

 

「いいの? 島風ちゃん。彼と遊ぶ時間、少なくなるわよ?」

 

夕張がそういうと、島風は気が付いたように口を紡いだ。

 

「ほら、行って来たら」

 

「すまん夕張……」

 

俺は急いで脱衣所へと向かった。

 

 

 

帰ってくる頃には、明石と青葉、島風が海ではしゃいでいた。

 

「お前も遊んできたらどうだ?」

 

「私は荷物を見ているわ。行ってあげて」

 

「しかし……」

 

「提督ー! 早くー!」

 

「ほら、呼んでるわよ。私は後でいいから」

 

そう言うと、夕張は皆が遊んでいるところを見つめ、ニッと笑った。

見ている方が好きとか、そういうことだろうか。

 

「分かった。後で交代だ」

 

「えぇ」

 

皆が呼ぶ方へ、俺はダッシュで向かい、そのまま海へと飛び込んだ。

 

「提督、はしゃぎ過ぎですよ」

 

「海はこうして入るものだ。そら」

 

「ちょ……! やりましたね! 島風ちゃん、青葉さん、一緒に提督を倒しますよ!」

 

「おー!」

 

「了解です!」

 

「俺には味方がいないのかよ?」

 

周りの目も気にせず、俺たちははしゃいだ。

久しく見ていなかった明石のはしゃぐ姿も見られ、海に来て本当に良かった。

って、これじゃ、ご褒美をもらったのがどっちかわからないな。

 

 

 

太陽はじりじりと肌を焼き続ける。

皆、時折水分補給を交えながら、思い思いに海を満喫しているようであった。

 

「夕張、交代だ」

 

「もうすぐお昼だし、やめておくわ」

 

「お前、全然海に行きたがらないな。本当は嫌だったのか?」

 

そう言うと、夕張は少し困った表情をした。

 

「ううん、そうじゃないの。ただ、なんというか……ちょっと恥ずかしくて……」

 

「恥ずかしい?」

 

「私もね、新しい水着買ったの」

 

「ああ、さっきのだろ」

 

「人前で着るの初めてだから、ちょっとね」

 

「さっきは普通に見せてくれてたじゃないか」

 

「あれはちょっとだけだったから……。このシャツ脱いで、全部見せるのは……ね?」

 

夕張らしくないな。

そんなことで恥ずかしがるような奴だったか?

 

「別に誰も気にしないさ」

 

そう言ってやると、夕張はムッとした表情を見せた。

 

「どうした?」

 

「別に……」

 

夕張はおもむろに服を脱ぐと、水着になった。

 

「なんだ、似合うじゃないか。何も恥じることはない」

 

それを聞いた夕張は、キッと俺を睨んだ。

 

「な、なに怒ってるんだよ」

 

「……行ってくる」

 

夕張の不機嫌は、皆と合流してすぐになおった。

何か怒らせるようなことを……。

『別に誰も気にしてないさ』

 

「……ああ、そういうことか」

 

しかし、それくらいのことで怒るような奴でもなかろう。

……いや、俺が知らないだけで、夕張にもデリケートな部分というものがあるのかもしれない。

 

 

 

お昼は海の家で食べることにした。

高上りだが、海に来たらやっぱりこれだよな。

 

「焼きそばおいしいよー」

 

「本当? 青葉のカレーと一口交換しましょう」

 

本当、こいつら仲良くなったよな。

 

「提督、おひとついかがですか?」

 

「明石、お前ラーメン以外にたこ焼きも買ったのか」

 

「たこ焼きが買ってーって」

 

「言う訳ないだろ。まあいいけどさ」

 

明石の奴、こういうところに来ると、飯に対しての遠慮がないよな。

まあ、それだけ普段、我慢させてしまっているということだろうが……。

 

「夕張はまだ怒ってんのか?」

 

「別に怒ってないけどー?」

 

「なんです提督? 夕張ちゃんに何か言ったんですか?」

 

「まあ……そうだな……」

 

そう言って夕張の方を見ると、夕張は「ふぅん……」と言ったような表情でこちらを見ていた。

分かってるんだ、という感じに。

 

「さっきは悪かったよ夕張」

 

「もういいわよ。どうせ私の水着なんて、誰も気にしないわ。私がちょっと自意識過剰だっただけ」

 

夕張がそう言うと、青葉は何やら悪い顔になった。

 

「なるほどなるほど~。夕張さん、水着が恥ずかしくて出られなかったことを司令官に「誰も気にしない」とか言われて怒ったんですねぇ?」

 

青葉がパイプを吸うようにスプーンを持つと、島風は目を輝かせた。

 

「出た! 名探偵青葉!」

 

二人にとっては定番のキャラらしい。

 

「名探偵と言うだけあるな」

 

「提督、最低ですね」

 

「軽率だったよ」

 

親しい仲とはいえ、相手は女性だしな。

ちゃんとしなければ……。

 

「しかし、夕張さんも女性らしくなりましたよね。そんな事を恥じらったり、怒ったり。鎮守府に居た頃には、むしろ男に生まれたかったくらいの勢いだったじゃないですか」

 

「失礼ね。私にだって、女性らしいところの一つや二つありましたっ!」

 

一つや二つしかないのか……。

 

「でも、夕張ちゃん、本当に可愛くなりましたよ。そう思いますよね、提督」

 

そう言うと、明石は俺をじっと見つめた。

ああ、助け舟か。

 

「ああ、そうだな。初めて会った時よりも、どこか明るく活発に感じるし、かと思えばシャイなところもあって、可愛いと思うぞ」

 

「はいはい、ありがと」……みたいな反応があるかと思ったら、夕張は顔を真っ赤にして俺を睨み付けた。

 

「な、なんだよ……」

 

「何でもない!」

 

そう言うと、夕張はガツガツと飯を食い始めた。

明石の方を見ると、困ったように笑うだけだった。

 

 

 

昼飯を食い終わり、明石は飲み物を買いに行こうと俺を連れ出した。

 

「飲み物、もう無いのか」

 

「今日は暑いですから、すぐに無くなっちゃいますよ」

 

まあ、あれだけ人数もいるしな。

 

「それよりも提督、夕張ちゃんの事なんですけど……」

 

「夕張の事? 何かあったのか?」

 

「あー、いえ、変なことじゃなくて……。さっきの反応のことです。ほら、女性らしい反応というか……」

 

「ああ」

 

明石は一呼吸置くと、柔らかな表情で言った。

 

「夕張ちゃんが女性らしくなったのって、提督に恋をしたからなんじゃないかなって」

 

「俺に?」

 

「提督は気が付かなかったかもしれませんが、工房で仕事してる時も、夕張ちゃん、無意識に提督の方を見てたりしてましたよ」

 

視線を感じるなとは思っていたが、夕張だったか。

 

「って、全然驚いてませんね」

 

まあ、心当たりというか、そんな風なことをほのめかされたことあるしな。

 

「お前こそ、あっさり言うな」

 

「あの事件の時に、さんざんその事を意識しましたからね。今更ですよ」

 

「そうか……」

 

しかし、そうなると、あの時言われたこと全てが現実味を帯びてきて、夕張の気持ちが痛いように伝わってくるようであった。

 

「それで? 提督はどうするんですか? 夕張ちゃんの気持ちに、どう応えるんですか?」

 

「俺はお前が好きだ。お前ともう一度恋人に……それ以上の存在になるって決めたんだ。だから、夕張にそういう気持ちがあったとしても、それには応えられない」

 

そう言ってやると、明石は複雑そうな顔をした。

 

「嬉しいです。けど、夕張ちゃんの気持ちは……」

 

明石、お前は優しいな。

だが、あいつはそんなに弱くはないさ。

 

「確かめる必要があるな」

 

「え?」

 

「あいつが本当に俺を好きなのか」

 

「どうやって調べるんです?」

 

「決まってる。直接聞くんだ。それに限る」

 

「……提督ってバカなんですか?」

 

「言いたいことは分かるが、バカってことはないだろ……」

 

「そんな事聞いて、夕張ちゃんが、はいそうですって素直にいう訳ないでしょう……」

 

「かもな。だが、それ以外の方法が無いのも事実だ」

 

「……自信があるんですか?」

 

「五分五分といったところだ」

 

そう言って笑ってやると、明石も呆れたように笑った。

 

「勝手にしてください。でも、夕張ちゃんを傷つけるようなことだけはしないでくださいよ」

 

「ああ、分かってる」

 

飲み物を買い、俺たちは皆の元へと戻った。

 

 

 

運転の疲れもあって、俺はしばらく荷物番をすることにした。

時折、明石達がこちらへ手を振ってくるのに応えながら。

 

「さて……」

 

俺は俺で、どう夕張と話したものか考えなければな。

話すなら、やはり二人での方がいいだろうし、そういった状況をつくらなければ。

そんなことを考えていると、夕張が一人で戻ってきた。

 

「どうした?」

 

「明石さん達、トイレだって。並んでるから、今のうちにって」

 

「お前は良かったのか?」

 

「さっき行っておいたのよ」

 

そういえば、人が多くなってきた気がする。

昼過ぎに来る客の方が多いのだろうか。

 

「女性は大変だな」

 

「男は海でするってこと?」

 

「そうじゃないさ……」

 

上空にはトンビが飛んでいて、何かを狙うように地上を睨んでいた。

 

「さっき、トンビにアイスを取られてる人を見たわ」

 

「人を襲うのか」

 

「食べ物を持ってると襲われるんだって。看板に書いてあったわ」

 

「いつも思うが、店の方を襲った方が早いのにな。――の鹿とかもそうだけどさ」

 

「ふふっ、確かに」

 

夕張とは、海軍の仕事で一緒の時もそうだが、こんなくだらない話ばかりしている気がする。

 

「というか、機嫌なおったのか」

 

「別に怒ってないって言ったでしょ。機嫌がなおるも何も、そもそも損ねてないから」

 

「そうかよ……」

 

絶対怒ってた癖に……。

 

「…………」

 

トイレの方を見ると、明石達はまだ列の最後尾にいた。

あれは長くなりそうだな。

ちょうどいい……。

 

「なあ夕張……」

 

「ん?」

 

「聞きたい事がある……」

 

「なに? 顔怖いわよ?」

 

俺は呼吸を整えて、夕張に向き合った。

 

「お前って――」

「好きよ」

 

「え?」

 

「貴方の事、好きよ」

 

俺が唖然としていると、夕張はニッと笑った。

 

「どうしてって顔してる」

 

「そりゃ……そうだろう」

 

「私、エスパーだから、なんでも分かるのよ」

 

「エ、エスパー……?」

 

俺が本気で分からない顔をしていると、夕張は面白そうに笑った。

 

「なーんてね。さっき、トイレに行ったって言ったでしょ。それ、貴方達が飲み物買いに行った時なの」

 

「!」

 

「聞いちゃったのよ。ほら、お店の近くにもトイレがあったでしょ?」

 

そういうことか……。

 

「どこまで聞いた……?」

 

「全部聞いた」

 

そう言うと、夕張は遠く、海を眺めた。

 

「なーんかさ、最近、モヤモヤすることが多くって。普段は怒らないようなことも、貴方に言われるとムカついてしまったり、気が付くと貴方を見てたりさ」

 

「…………」

 

「この気持ちが恋なんだって、うっすらと……なんとなくだけど、分かってた。それがさっきの話を聞いて、やっぱりそうなんだって思った。けど、確信してすぐに振られちゃった。おかしな話よね」

 

俺は何も言えなかった。

 

「そんな顔しないでよ。分かってたことだから。貴方が明石さんを置いて、誰かに振り向くなんてことはない。私はそれをよく知ってる。だから好きになった」

 

「夕張……」

 

「でもね、私はこの恋を大切にしようと思ってるの。貴方が振り向いてくれなくてもいい。こんなにも誰かに夢中になったこと、ないから」

 

そう言って、夕張は明るく笑って見せた。

 

「私は貴方が好き。それが私の答えよ」

 

「……そうか」

 

俺はそれ以上、何も聞かなかった。

夕張も、何も言わなかった。

こんなにもあっさりと認めるとは思ってなかったし、諦める諦めない以上に、夕張は、恋をしているということを大切にしている。

明石や俺が心配していたことを、夕張はあっさりと退けて見せたのだ。

 

「…………」

 

ただ、遠くを見つめるその瞳は、どこか――。

 

 

 

それから夕方になるまで遊びつくし、帰る頃には皆、肌をこんがりと小麦色に染めていた。

海水をシャワーで流すと、少しだけピリピリと痛んだ。

 

「こりゃ、風呂に入ると痛いぞ」

 

少し離れた女性更衣室の方で、青葉の叫ぶ声が聞こえた。

あいつが一番焼けてたから、シャワーが痛かったのだろうな。

 

「ふふ……」

 

 

 

帰りの車では、案の定、皆眠ってしまった。

 

「ふわぁ……」

 

俺も少しばかり眠い。

コーヒーと辛いガムで眠気をごまかしていたが、限界が来て、体を動かすためにSAへと入った。

 

 

 

夕食どきであった為か、SAはかなり混雑していた。

 

「ふぅ……」

 

ベンチに座り、一息つく。

疲れたな……。

海ではしゃいだのもそうだが、ここ最近は休み無しで働いていたしな。

まあ、そのおかげで、しばらくは楽ができそうだが……。

そんなことでぼうっとしていると、誰かが俺の肩をぎゅっと揉んだ。

振り向いてみると、夕張が寝起きの顔で立っていた。

 

「お疲れ様」

 

「起こしちゃったか。みんなは?」

 

「寝てる。ぐっすりよ」

 

夕張は隣に座り、俺に眠気覚まし用のドリンクを渡した。

 

「これ、目が覚めるわよ。私もよく飲んでるの」

 

「夜更かししてるのか?」

 

「たまにね。モノづくりが好きだから、いいアイディアが出た時、すぐに設計図を引くの。忘れないうちにね」

 

「それでか」

 

眠気覚まし用のドリンクは、コーヒーの苦い部分だけを濃厚に抽出したような味だった。

 

「海、ありがとね。楽しかった」

 

「いや。でも、海で良かったのか? 皆に流されたんじゃないのか?」

 

「そんなことないわ。私も海、行きたかったし」

 

「その割には、水着を恥ずかしがったりしてたじゃないか」

 

そう言ってやると、夕張は恥ずかしそうに手を揉んだ。

 

「別に普通に見せる分にはいいわよ。ただ、どう思われるのか気になっちゃって……」

 

夕張は小さく「貴方に……」と付け足した。

 

「……恋なんて初めてしたから、すごく戸惑ってるの。なんか、緊張しちゃうし、いつもの自分でいられないっていうか……」

 

「ああ、分かるよ」

 

「貴方も明石さんに恋をしたとき、そうだった?」

 

「俺はそうでもなかったが、明石は目に見えて様子が変わったよ」

 

「随分余裕なのね……。明石さんが聞いたら怒りそう……」

 

「内緒にしてくれるか?」

 

「どうしようかな。言って明石さんと貴方の仲を滅茶苦茶にしてやってもいいんだけど」

 

「お前はしないさ。優しいからな」

 

「分からないわよ。恋をしたことがない私が、何をしでかすのか」

 

「それでもだ」

 

そう言ってやると、夕張はつまらなそうな顔でベンチに深く腰掛けた。

 

「信用してくれてるんだ。嬉しいけど、複雑だなぁ」

 

その目は、海で見せた時と同じように、遠くを見つめていた。

 

「もっと……」

 

「?」

 

「もっと早く……貴方に出会っていれば……違ったのかな……」

 

夕張……やっぱりお前……。

 

「……なーんてね」

 

そう笑って見せた夕張だったが、俺の表情を見て、何かをこらえるように、唇をぎゅっと紡いだ。

分かってる。

お前は弱くない。

だがそれは、自分の気持ちに嘘がない時だけだ。

 

「……ごめん、ちょっとトイレ――」

 

だから――。

俺は立ち上がった夕張の手を取った。

 

「な、なに……?」

 

俺は何も言わなかった。

夕張はその意味が分かったのか、はたまた限界だったのか、涙をぽろぽろ零すと、再びベンチに座った。

 

「夕張……」

 

 

 

徐々に、SAから車が出てゆく。

それでも、なぜか人が減った感じはしなかった。

 

「…………」

 

夕張は泣き止むと、恥ずかしそうに地面を見つめていた。

 

「大丈夫か?」

 

「うん……ごめん……。なんで泣いてるんだろうね……私……」

 

理由を突き詰めればわかることだろう。

だが、それをしない方がいいと、この時は思った。

 

「はぁ……でも、なんだろう。すっきりしたかも」

 

「お前、いつもニコニコして、辛かったり悲しかったりすることを我慢する癖があるよな」

 

「そうかも……」

 

「泣きたいときは泣いた方が、今みたいにすっきりするぞ」

 

「そうかもしれないけど、恥ずかしくない?」

 

「そうか? 俺は涙を見せてくれる奴を見てると、嬉しくなるけどな」

 

「……そういう性癖なの?」

 

「違うよ……。それだけ、信頼してくれてるって事なんだろうってさ。自分の弱いところを見せれるのは、そういう存在の前だけだろ?」

 

「!」

 

「だから……お前も信頼できる人の前であれば、ちゃんと泣けよ。自分の気持ちに嘘をつくな」

 

そう言ってやると、夕張は何かを決意したように表情を変えた。

 

「自分の気持ちに嘘……か。じゃあ……」

 

夕張はじっと俺を見つめると、小さく笑って見せた。

 

「貴方が好き。貴方と一緒に居たい。恋人になりたい。私だけを愛してほしい」

 

それは叶えることのできないことであった。

それでも、夕張瞳の色は、海で見せた色とは、真逆のものを見せていた。

 

「貴方にその気がなくっても、私は最後まで努力してみる。諦めない。自分の気持ちに、嘘はつかない」

 

俺も、夕張を泣かせた表情ではなく、どこかすっきりとした表情をしていた。

 

「そうか」

 

結果として、夕張の気持ちに応えられない方向へと導いてしまった。

だが、俺と明石の心配していたようなこととは、まったく別の未来があるように思えた。

 

「あー、完全にすっきりしたわ」

 

「もうモヤモヤはないか?」

 

「うん! モヤモヤしている暇はもう無いわ。貴方に私の魅力を存分に知ってもらって、恋人にしてもらわないといけないから」

 

「そりゃ大変だな。うっかり落ちないように気を付けないとな」

 

「ふふん。覚悟しておきなさい」

 

そう言うと、夕張はにかっと笑った。

 

「さて、そろそろ戻るか」

 

「あ、待って!」

 

「どうし――」

 

振り向くと、夕張はシャツをペロッとめくって見せた。

 

「な……!」

 

下着をつけてなかった。

 

「水着、着て来たっていったでしょ。下着忘れちゃったのよ」

 

「だからってお前……」

 

「ね、興奮した?」

 

ああ、そういうことか。

 

「驚いただけだ」

 

「じゃあ、下も見せよっか?」

 

「……あのな、魅力ってのはそういうことじゃないと思うぞ」

 

「そうかしら? 好きな人がいる相手は、体で落とすのがいいって聞いたことあるわ」

 

「そうかもしれないが……。お前にはもっと別の魅力があるんだから、そっちで勝負しろ」

 

そう言ってやると、夕張は大人しくなった。

しかし、島風も青葉もそうだったが、自分の気持ちに正直になった途端、トンデモナイ感じになってしまうのだな。

……いや、それだけ自分を出すことに慣れてないだけか。

 

「ほら、行くぞ」

 

「……うん」

 

 

 

翌日からは店を開けず、工房で小物づくりをした。

 

「何だか工廠に居た頃を思い出しますね」

 

「確かにな。仕事がなかった時、こうして駆逐艦に何か作ってやってたな。お前と二人で」

 

だが、あの頃とは少しだけ違うことがあった。

 

「提督ー! 青葉の頭が悪くて進まないー! 提督が教えてよー」

 

そう言うと、島風は夏休みの宿題を俺の前に広げた。

 

「青葉、お前こんなこともわからないのか……?」

 

「違うんですよ! 青葉はちゃんと教えてるのに、島風ちゃんは答えだけを教えろってぇ……」

 

「島風……」

 

「だって、早く終わらせて提督と遊びたいんだもん!」

 

「駄目だ! ほら、戻って青葉に教えてもらえ」

 

「ケチー!」

 

青葉に引きずられ、島風は二階へと戻っていった。

 

「全く……」

 

「賑やかでいいじゃないですか。あの頃とは違って」

 

「たまにはあの頃のような雰囲気が欲しいものだがな」

 

あの頃はまだ、明石も俺もお互いの様子を伺っていて、かなり意識していたな。

思えば、ああいうのが恋の感覚だったのかもな。

夕張がドギマギしてた気持ちも、分かる気がする。

 

「そういえば、今日夕張は?」

 

「夕張ちゃんはお店に置く小物を自分で作るために、材料を買いに行ってますよ。午後には来るかと思いますよ」

 

「そうか」

 

時計をチラリとみると、明石は俺をじっと見つめた。

 

「なんだよ?」

 

「そんなに夕張ちゃんのことが気になりますか?」

 

「いや、そういう訳じゃ……」

 

「昨日、帰った後、夕張ちゃんから宣戦布告みたいなメールが来ました。話を聞いてたことと、提督に好きって言ったこと、諦めないで誘惑するってことまで……。私が寝てる間に、何かあったんですか?」

 

俺は、あのSAであったことを思い出していた。

特に最後の――。

 

「まあ……色々あったな……」

 

「提督? なーんかイヤラシイ顔してません?」

 

「え?」

 

明石は顔を近づけ、俺の顔をジロジロと見まわした。

 

「変なことはない」

 

「本当ですかぁ?」

 

「俺の事信じてくれるんじゃなかったのか?」

 

「信じますよ。でも、提督のその表情が気になるんですよねぇ……」

 

明石がしつこいものだから、俺は包み隠さず昨日のことを話した。

 

「なるほど……そういうことだったんですね……」

 

「お前が心配しているようなことにはならないよ。宣戦布告メールがその証拠だ」

 

「それはいいんですけど……。提督は夕張ちゃんの……その……胸を見たんですよね?」

 

「あ、あぁ……」

 

「だからイヤラシイ顔を……」

 

「それは……男だから仕方ないだろ……。誰がしたってそうなる……」

 

「私とシてる時はそんな顔……」

 

その時、明石の後ろに誰かいることに気が付いた。

夕張だった。

俺が声をかけようとすると、夕張は口元に人差し指を置いた。

黙ってろってことか。

 

「……イヤラシイ目で見られたいって事か?」

 

「私だって……自分の体が提督にどう思われてるか気になるというか……。その……そういう気分になるのかな……って……思ったり……」

 

顔を赤くする後ろで、夕張がニヤニヤと笑っていた。

どうなっても知らんぞ……。

 

「お前はどうなんだ? そういう気分になるのか?」

 

「え!? そ、そんなこと無いです!」

 

「本当か? 信用していいんだな?」

 

「……そりゃ……少しは……」

 

「ふぅん」

 

そう言ったのは、夕張だった。

明石は驚きで体を硬直させた。

 

「ゆ、夕張ちゃん!? いつからそこに……というか、もう来たの!?」

 

「すぐ取り掛かりたいと思って、急いで来ちゃいました。それより、明石さんもそういう気分になるんですね」

 

「ぜ、全部聞いてたの!?」

 

取り乱す明石を見て、俺は思わず笑ってしまった。

 

「て、提督……夕張ちゃんが来てたの気が付いてたんですね……!?」

 

「すまない。夕張が黙ってろってジェスチャーするものだからさ」

 

「提督!」

 

「ははは、悪い悪い」

 

「まあでも、そういう気分になるのは仕方ないですよ。人間ですから」

 

「そうかもしれないけど……うぅ……言うんじゃなかった……」

 

「貴方もそうだものね」

 

「まあ……な……」

 

「ね、今日は下着つけてると思う?」

 

「え?」

 

「気になる? ね、ね」

 

そう言うと、夕張は前かがみで近づいた。

 

「お、おい……」

 

「ゆ、夕張ちゃん!」

 

「なーんて。明石さん、早く彼と寄りを戻さないと、私がもらっちゃいますよ?」

 

「!」

 

「彼も人間、ですからね。ふふふ。さて、作業に取り掛かろうかなー」

 

夕張は作業机に座ると、買ってきた材料を広げだした。

 

「提督……」

 

「わ、分かってるよ。信用してくれよな」

 

明石は夕張が見ていないのを確認すると、服を下着ごとペロッと捲った。

 

「こ、これで忘れられますか……? 夕張ちゃんの……」

 

「あ……あぁ……忘れるよ……」

 

それを聞いた明石は、顔を真っ赤にして作業に戻った。

夕張がモヤモヤしなくなったのはいいが、今度は俺が別の意味でモヤモヤする……。

 

「身が持たん……」

 

だが、夕張の言う通り、明石と寄りを戻さないことには、このモヤモヤも解決しないよな。

店の知名度もあがってきたし、まずは生活を豊かにしなければ……。

 

「ここが踏ん張りどころか……」

 

色んな邪念を取り払いつつ、俺は小物づくりを再開した。

 

――続く。


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