「アトリエ明石」の「提督さん」   作:雨守学

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第六話

買い出しの為、島風と夕張を連れて、大きなホームセンターへと足を運んだ。

 

「いつも思うけど、わざわざ買いに来なくても良くない? ネットで買えばいいじゃん」

 

「今どきの子だな……。自分で使うものは自分の目で見ておきたいんだ。ネットだと、届いたらちょっと違うとかあるだろ」

 

「それに、ワクワクするしね。いらないものまで買ったりして」

 

「それダメじゃん……」

 

確かに、買うものは決まっていても、それだけじゃ済まない事が多い。

特に、明石は工具類に目を輝かせて、使わなそうなものまで買いそうになるし。

 

「あー! 見てみて! レーザーで距離測れるんだって! あ、でも……20mまでか……。あ! 70mもあるじゃない!」

 

夕張も明石と同じ感じか。

 

「あまりはしゃぐなよ」

 

「分かってる! あー! あっちにはペットも売ってるって!」

 

「え!? どこどこ!? 犬いる!?」

 

俺の忠告も聞かず、夕張と島風はペットショップの方へと走って行った。

 

「全く……」

 

しかし、夕張も島風も楽しそうで良かったな。

どっちもモヤモヤしていただろうし、これで少しは気分が晴れるかな……。

 

「さて、俺は目的の物を買いに――」

 

その時、島風に見られていた時のような視線を感じた。

 

「――!」

 

振り向くと、そこには監視カメラのコーナーがあって、俺が写っていた。

 

「少し敏感過ぎるか……」

 

もう俺を監視するような奴はいない筈だしな……。

いや、実は明石が帰って来ていて、俺の様子を見ていたりして……。

 

「……なんてな」

 

そういう事だったらいいなという、俺の妄想だ。

明石の奴、今頃どうしているだろう。

やっぱり、夕張に頼んで連絡取った方がいいかな……。

 

「提督ー! こっちきてー! 犬たくさんいるよー!」

 

――いや、今はあいつらの気持ちを優先させなければいけないな。

 

「今日は犬を見に来たんじゃないぞ」

 

目的の買い物は、後回しにしておくか。

 

 

 

結局、目的の物を買えたのは、本当の本当に最後であった。

しかも、早く帰ろうと急かされながら……。

 

「楽しかったねー」

 

「そうね。結局私も、工具買っちゃった」

 

複合施設だったから、買い物よりも、遊ぶことがメインになってしまったな。

でもまあ、二人が満足しているようで良かった。

 

「ん……」

 

急に夕張が足を止めた。

 

「どうした夕張?」

 

「また誰かに見られているような……。ちょっと待ってて!」

 

そう言うと、夕張は走り出し、商品棚へと消えた。

 

「どうしたんだろう?」

 

「さあ……」

 

しばらくすると、夕張は獲物を捕ったマタギのように、青葉を連れて出てきた。

 

「青葉」

 

「ど、どうも……お久しぶりです……」

 

「今日、ずーっと誰かに見られてる気がしてたのよね。青葉さんっぽいなとは思ってたけど、本当に青葉さんだとは……」

 

「久しぶりだな青葉。こんな所で会うなんて珍しいな。買い物か?」

 

そう聞かれた青葉は、早口で説明を始めた。

買い物に来た事。

そこで三人を見つけた事。

声をかけようか迷っていた事。

 

「本当に? なーんか隠してない? 買い物って、何を買いに来たのかしら?」

 

「えーっと……その……」

 

「戦時中も似たような事ありましたよね? 提督を尾行して、大変な事になったの忘れませんよ?」

 

青葉の奴、戦時中になにをしたっていうんだ……。

 

「それくらいにしておけ夕張」

 

「でも……」

 

「買い物に来たんだろ? 目的のものは買えたのか?」

 

「いえ……まだ……」

 

「そうか。なら、急いだ方がいいぞ」

 

「は、はい……では、青葉はこれにて……」

 

夕張の手を離れ、青葉はそそくさとどこかへ消えていった。

 

「あいつ、この辺りに住んでいたのか。なら、店に来てくれてもいいのにな」

 

「青葉なら店に来てたよ」

 

「そうなのか?」

 

「うん。私が店番してる時にねー。でも、店には入らなくて、外から覗くようにして見てた」

 

「なんだそりゃ。恥ずかしがってんのかな」

 

それを聞いた夕張は、眉を顰めて、何やら考え事をしていた。

 

「ねぇ……もしかして青葉さん、ずっと私たちを見張っていたんじゃない?」

 

「え?」

 

「私、工房に来た日から、なんだかずっと見られている気がしてたのよ。工房から帰る時は特に……」

 

「見張ってるって……何の為に?」

 

「分からないけど……。もしかしたら、明石さん絡みとか……」

 

明石絡み……。

 

「明石が青葉に依頼して、様子を見に来てるという事か?」

 

「かもしれないわね……」

 

なるほど……。

しかし、そうだとしても、何故見張っているんだ?

俺が反省してるかどうかを観察している?

浮気してないかとか?

 

「もし明石さんに報告しているとしたら、その内容に注意しないといけないわ。あの人、面白い様に改変して報告しようとするから……」

 

「青葉の事だから、夕張と浮気してるーとか書きそうだよね」

 

「そうだとしたらマズいわね……」

 

確かにそうかもしれない。

だが――。

 

「あくまで推測だ。もしそうだとしても、俺と明石との関係は変わらない」

 

喧嘩中とはいえ、ここまでやって来れたんだ。

こんな事で関係が崩れてたまるか。

仮に崩れるとしても、それは俺との生活に不満があった時だけ……のはずだ……。

少なくとも、恋愛という関係性において、俺が明石以外に愛した女はいないし、あいつだってそれを知っているはずだ。

 

「貴方がそう思ってたとしても、明石さんはどう思うか分からないわよ。信頼しているのは結構だけど、それ故に裏切られたと知った時のショックは大きいわ」

 

忠告するかのようなその目に、何か只ならぬものを感じた。

島風も同じなのか、不安そうに俺を見つめた。

 

「大丈夫。大井さんにも言われたが、もしそうだとしたら、そこまでの関係だったという事だ。俺も明石も、そうじゃないからここまでやって来れた」

 

それに甘んじてはいけない事は分かっている。

だが、それはあくまで生活の話で、この件とは別だ。

 

「……そう。分かった。貴方と明石さんの事、信じるわ」

 

夕張が微笑むと、島風は安心したのか、俺の腕に引っ付いた。

 

「じゃあじゃあ! もし明石さんと別れる事があったら、島風と付き合ってね!」

 

「別れる事があったら、な。絶対ないだろうけど」

 

「島風ちゃんだけ狡い。私も私もー」

 

「お前ら、本当に信じてくれてるのか?」

 

そうさ。

そんな事にはならない。

絶対に防いで見せる。

問題は生活の不満だ。

それをどうするか、あいつが帰ってくるまでに考えておけばいい。

 

 

 

夕張と別れ、俺と島風は家路を外れて、少し遠回りしながら帰る事にした。

 

「提督、手繋いで」

 

「ああ」

 

島風くらいになると、もう父親とか少し嫌がるようになるのだろうな。

こうして手を繋いで歩いてくれたりするのも、あと少しかと思うと、何だか寂しくなるな。

 

「ねぇ提督。提督はどうして明石さんを好きになったの?」

 

「どうして、か。何だろうな。気がついたら一緒に居て、気がついたら好きになっていた……って言う感じかな」

 

「なにそれ? 全然分かんないんだけど……」

 

「島風はどうして俺を好きでいてくれるんだ?」

 

「だって、愛し合った仲じゃん」

 

「そんな覚えはないけどな……」

 

「提督は優しいし、かっこいいから好き」

 

「俺より優しい奴も、かっこいい奴もたくさんいるだろ」

 

「でも、提督がいいんだもん」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……」

 

島風は少し考えたが、何も思いつかなかったようだった。

 

「そう言う事だろ。なんでか分からないけど、好きになった。それが理由だ」

 

「うーん……ちょっと納得いかない……。少し考えるね……」

 

真面目な奴だな。

けど、そういうのは大切だよな。

当然のように存在しているそれをちゃんと理解したいって気持ち。

 

「…………」

 

当然のように存在している気持ち……。

『貴方がそう思ってたとしても、明石さんはどう思うか分からないわよ』

 

「提督?」

 

「ん……?」

 

「急に怖い顔して、どうしたの?」

 

「いや、ちょっと考え事しててな……。そういや、今日の夕ご飯、何にするか決めてなかったな。何がいい?」

 

「ハンバーグがいいなー」

 

「よし分かった。この前の仕事の報酬もあるし、ちょっと奮発するか。そうと決まれば、久々にスーパーまで競争するか?」

 

「競争!? やるやる!」

 

「よっしゃ、それじゃあ……位置について、よーい……ドンと言ったら走――」

 

「ドーン!」

 

「あ、おい! まだ言ってないぞ!」

 

 

 

夕食の後、一本の電話が入った。

明石からかと期待したが、島風の母親からであった。

 

「今の電話、お母さんから?」

 

「ああ。こっちで世話になってるのを家政婦から聞いたらしい。明日には帰って来るってよ」

 

「え? 一週間くらい帰ってこないんじゃ……」

 

「仕事が早く片付いたんだってよ。良かったな」

 

「別に……。どうせ、またすぐ仕事に出て行っちゃうし……」

 

そう言うと、島風はつまらなそうにソファーに腰かけた。

 

「両親とあまり話す機会がないのか?」

 

「話すことはあるよ。でも、話すだけなら電話でもいいしね」

 

島風のこういう性格は、両親の愛情を満足に受けなかった結果なのだろうな。

本当は甘えたいのだろうが、それが叶わないから、俺に依存するのだろう。

 

「ねーねー、島風、ずっと提督の家に居ちゃダメ?」

 

「駄目だ。親が帰って来るんだ。ちゃんと帰ってやれ」

 

「ケチー」

 

さっきは寂しいなんて思ったけれど、そういう面では俺から離れなきゃいけない時期も必要だ。

 

「じゃあ、お膝に乗せて。ギュってしてー」

 

「分かった分かった。ほら、こっちこい」

 

ソファーに座ると、島風は俺の膝の上に座った。

 

「えへへー、このままテレビ見よ? 見たい番組があるんだー」

 

満足な愛情、か……。

明石も同じような事思ってたりするのだろうか。

だとしたら、俺よりも愛情も金も持ってる奴が現れたら、そっちに行ってしまうのだろうか。

島風が親より、俺を選ぶのと同じように……。

 

 

 

翌日。

島風の荷物をまとめ、家に帰してやった。

母親も帰ってきていて、礼にと、聞いたこともない国の土産物を俺にくれた。

 

「また遊びに来いよ」

 

「すぐ行くし!」

 

ちょっと不機嫌な島風が気になったが、これでいいんだ。

母親との時間、大切にしろよな。

 

 

 

島風が居なくなった店は、いつもより静かに感じた。

まあ、客がいないのもあるけど……。

 

「…………」

 

明石が居なくなって、今日で六日目か……。

明日には帰って来るんだよな……。

まずは謝る事。

そして、生活の不満を聞くこと。

その解決策を見つける事。

 

「……やらなきゃいけない事はたくさんあるな」

 

そんな事を考えていると、店の扉が開いた。

 

「いらっしゃ……って、なんだ、夕張か」

 

夕張は、何やら深刻そうな顔をして、店の入り口に立っていた。

 

「どうした……? そんな怖い顔をして……」

 

「ちょっと話があるんだけど……時間ある……?」

 

「あ、あぁ……」

 

そう言ってやると、夕張はもう一人を連れて、店に入った。

そいつを見て、これから何が起こるのか、すぐに分かった。

 

 

 

店を閉め、二人を二階の部屋へと招いた。

 

「今、茶でも出すよ」

 

「いや、いい……。それより、話さなきゃいけない事がある……そうでしょ……青葉さん……」

 

青葉は夕張に絞られた後なのか、顔を青くして俯いていた。

 

「あ、あの……その……あ、青葉は……あの……ただ監視をして報告を……」

 

「その報告が問題だって言ってるんです!」

 

「落ち着け。なんとなく、明石の件なのは分かる。ゆっくり説明してくれ」

 

「は……はい……」

 

青葉は震えながらも、説明を始めた。

大淀に頼まれて、俺を監視していたこと。

それを報告していたこと。

その報告内容に、嘘がある事……。

 

「本当に監視されていたとは……。しかし、嘘というのは……?」

 

「これを見て……」

 

それは、大淀への報告メールだった。

最初こそは合っているが、段々と、島風がハブられていたり、あたかも夕張と疚しいことがあるかのように書かれていた。

 

「昨日のホームセンターだって、私と二人で行ったって書いてある……。実際は島風ちゃんが居たのに……」

 

「これを明石は?」

 

「し……知ってると思います……。大淀さん……明石さんといるみたいですし……」

 

もしこのまま報告されていたら、明石が勘違いしてしまうかもしれないな……。

 

「どうしてこんなことを……」

 

その問いに、青葉は一瞬、口を紡いだ。

 

「青葉……」

 

「……最初は……最初は普通に報告してたんです……。でも……頼られてるのが嬉しくて……面白くしようと思って……」

 

「それで嘘の報告を……?」

 

「こんな事になってるなんて思ってなかったんです……。浮気してるかもって……冗談のつもりで書いただけなんです……。本気にするなんて思ってなかったから……」

 

「本気にするかどうかは置いておいても……最低ですよ……! 前にもこういうことあったのに、どうして貴女は……!」

 

「夕張」

 

静寂が続く。

 

「……事情は分かった。とにかく、誤解を解かないといけない。明石に連絡を取れないか?」

 

「大淀さんなら……」

 

「頼む」

 

青葉は大淀にダイヤルし、事情を説明した上で、俺に電話を代わってくれた。

 

「もしもし」

 

『彼氏さん……ごめんなさい……。青葉さんから聞きました……。私……とんでもないことを……』

 

「いや、それはいい。明石は傍にいるか?」

 

『それが……イベント会場にはいないみたいなんです……。もしかしたら、――さんと何処かへ行ったのかも……』

 

「――さん……って、――提督の事か?」

 

『ご存知でしたか……。実は……』

 

それから、明石が――提督に言い寄られていることを知った。

青葉からのメールを真に受けて、俺との事を相談していたらしい。

 

「じゃあ……明石は――提督と……?」

 

『分かりません……。けど、一緒かもしれません……。どちらも放送で呼びかけてはみたのですが……』

 

――提督……。

海軍兵学校で何度か顔を合わせたことがあるが、常に女性の影が絶えなかった人だ……。

 

「…………」

 

明石、まさかお前……。

 

『彼氏さん……?』

 

「……分かった。明石が帰ってきたら、今から言う連絡先に電話してくれないか?」

 

『分かりました。本当にごめんなさい……』

 

俺の電話番号を伝え、電話を切った。

 

「……ほら」

 

スマホを返してやると、青葉は震えた手でそれを受け取った。

 

「もう行っていいぞ」

 

「な……!? 何言ってるのよ!? ただで帰していい訳ないでしょう!?」

 

「これ以上青葉を責めても何も解決しない」

 

「そうかもしれないけど!」

 

「青葉、もう二度とこういうことはするな。分かったな」

 

「は、はい……ごめんなさい……」

 

「行け」

 

青葉は立ち上がると、ぽろぽろと涙を流しながら、階段を降っていった。

 

「……貴方は優し過ぎる」

 

「そうじゃない」

 

俺は立ち上がり、出かける準備を始めた。

 

「何を……」

 

「明石の所へ向かう。今からだ。だから青葉を帰したんだ」

 

それを聞いて、夕張も立ち上がった。

 

「私も連れて行って!」

 

「え?」

 

「貴方だけ行っても、誤解は解けないかもしれないでしょう? 貴方の浮気相手にされたまま家には帰れないわ」

 

「……分かった。行くぞ」

 

店を閉め、車をイベント会場までとばした。

 

 

 

道路は渋滞も無く、スルスルと進んでいった。

 

「しかし、まさか本当に監視されていたとはな……」

 

「大淀さんは良かれと思ってやってたんだろうけど、それが裏目に出たわね……」

 

青葉からの報告を聞いて、明石はどう思ったのだろうか。

――提督と一緒に居る事と、何か関係が……?

 

「……明石さん、私と貴方が浮気してるって思ってるのかな」

 

「どうだろうな……。俺は明石を信じているが、今となってはお前が昨日言った事も分かる気がする……」

 

「もし明石さんがそう思ったとして、――提督と一緒にいるのって……やっぱり……」

 

「…………」

 

「私、――提督がどんな人か知ってるからこそ、心配なのよ……。ねぇ……考えたくはないだろうけど……そうだとしたら……貴方は……」

 

「……なら、それまでの関係だったと言うだけだ」

 

「……それは……強がり……?」

 

「かもな……」

 

それを聞いて、夕張はシートに深く腰掛けた。

そして、それ以上何も言わず、ただ流れゆく車窓の景色を眺めるだけだった。

 

 

 

イベント会場に着いたのは夕方頃であった。

大淀に電話をすると、俺達を迎えに来てくれた。

 

「彼氏さん……!」

 

「大淀」

 

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」

 

「いや、それはいい。明石は……?」

 

「まだ帰ってきてないです……。放送も何度も入れているんですが……」

 

「そうか……」

 

もう日が暮れる。

こんな時間まで、――提督と一緒なのだろうか……?

 

「帰ってくるとしたら宿舎です……。お待ちになりますか……?」

 

考えていると、夕張が俺の袖を引っ張った。

 

「どうした夕――」

 

そこには、――提督と一緒にいる明石が居た。

お互いに目が合い、その場で固まった。

 

「提……督……」

 

「明石……」

 

誰よりも先に動いたのは、――提督だった。

 

「そうか。君が明石さんの彼氏だったのか……」

 

「――提督……」

 

――提督は近づくと、俺の目をキッと睨みつけた。

 

「今頃お迎えか。のんびりしたものだな」

 

「……!」

 

「まず最初に言っておく。君に明石さんと付き合う資格は無い」

 

「ちょっと……! 貴方なんなんですか!?」

 

「貴女こそなんです? 他人の彼氏の為に、何を熱くなってるんですか? そんなに彼が好きですか?」

 

「何を言って……!」

 

「夕張」

 

夕張はまだ何か言いたそうであったが、そのまま後ろへ下がった。

 

「資格があるかどうか、それはどう感じようが自由だ。まずは誤解を解きたい」

 

俺は全てを話した。

時折、大淀や夕張がフォローを入れてくれたお陰で、何とか誤解は解けたように見える。

 

「そんな……」

 

「ごめんね明石……私がもっとちゃんと確認していれば……」

 

明石は動揺しているのか、茫然と地面を見つめていた。

 

「明石、喧嘩の件は悪かった……。一緒に帰ろう……」

 

そう伸ばした手を、――提督が強く弾いた。

 

「な……!」

 

「どういう理由であれ、君に明石さんを幸せにする資格はない」

 

「さっきから何なのよ!」

 

「明石さんは言ってましたよ。君との生活は、不満に溢れていたと」

 

「え……?」

 

「一緒に居るだけで幸せだと……。そんなの当たり前だ。言い方を変えれば、それしか幸せが無いって事じゃないか。もっと言おうか。そんな幸せは、不幸を隠すためのものでしかない!」

 

「そう……なのか……?」

 

明石はやっと顔をあげた。

だが、震えるような声で「違う……」と小さく言うだけだった。

 

「違くないでしょう。貴女だって、僕にそう言われて思ったはずだ。そして、彼との関係を考えたはずだ。これでいいのかと……!」

 

そこまで言うと、――提督は深く目を瞑った。

 

「……だけど」

 

「……?」

 

「だけど……悔しいことに、明石さんは君を選んだ。僕の告白を蹴ったんだ」

 

再び俺をキッと睨んだ。

 

「この件に関してはもういい……。僕は明石さんから手を引こう……。だが、これだけは何度も言うよ。君に明石さんは幸せに出来ない。このまま居ても、苦しめるだけだ」

 

――提督は、そのままイベントの人混みへと消えていった。

沈黙が続く。

 

「……明石」

 

呼びかけても、明石は俯いたまま、今にも泣きそうな顔をするだけだった。

 

「帰ろう、明石……」

 

手を取り引こうとすると、明石の手はそのまま、俺の手をすり抜けた。

 

「明石……?」

 

「…………」

 

「……どうした? まだ怒ってるのか?」

 

「違います……」

 

「じゃあ……」

 

「違うんです……」

 

その頬から、ぽろぽろと涙が零れていた。

 

「提督に資格が無いんじゃない……。私に……資格が無いんです……」

 

「え……?」

 

「う……うぅぅ……」

 

どうして明石が泣いているのか、俺には分からなかった。

 

「明――」

「帰るわよ……」

 

そう言ったのは、夕張だった。

 

「何を……」

 

「大淀さん、明石さんをお願いします」

 

「は、はい……。明石……」

 

大淀に連れられ、明石は宿舎へと消えていった。

 

「さぁ、帰るわよ……」

 

「待て。どういう事だ」

 

俺の問いかけに、夕張は悲しそうな顔をした。

 

「車内で話すわ……。だから……行きましょう……」

 

立ち止まる俺の手を、夕張は振り向きもせず、駐車場の方まで引いていった。

 

 

 

イベント参加者の帰宅ラッシュに、道路は渋滞していた。

 

「……どうして明石を置いていった」

 

その問いかけに、夕張は一呼吸おいてから、答えた。

 

「気持ちの整理が必要だと思ったから……。貴方も……明石さんも……」

 

「気持ちの整理……?」

 

「さっき、――提督の言ってた事、多分、本当だと思う……。明石さんは……貴方との生活に不満があったんだって……」

 

「…………」

 

「普通に生活していたら、そんな事、思ってても口には出さないはず。けど、喧嘩して、青葉さんの嘘もあり、――提督から甘い言葉をかけられた……」

 

「なるほど。不満があったことが俺にバレて、あいつはそう思ってしまった自分を責め――」

「違うわ」

 

俺の言葉を遮り、夕張は再び呼吸を整えた。

 

「そう思っただろうけど……そうじゃない……。少なくとも、――提督にはそのことを話しているし、話したことが事実である以上、罪悪感に苛まれるのはちょっと変だわ……」

 

俺の想像力は、そこが限界だった。

何も言わず、夕張の言葉を待つことしか出来なかった。

 

「青葉さんからの報告を嘘だと知った時、明石さんは凄く動揺してたでしょう……? あれは、その嘘を信じていたから……。つまり……明石さんは貴方をそう言う人間だと見ていたという事……」

 

そう言うと、夕張は悲しそうな顔をした。

その表情は、そういう事だったのか……。

 

「貴方を疑い、迷った。――提督の言ったように、貴方との生活について考えてしまった。そして……」

 

夕張は深く目を瞑ると、ひと間置いてから、口を開いた。

 

「――提督に……心が動きそうになった……。明石さんが「資格がない」って言ったのは……そのことだと思う……」

 

それには流石の俺も、思わず笑いそうになった。

 

「憶測もそこまでいくと怖いな。仮にそうだとしても、明石は――提督の告白を断ってるんだぞ」

 

だが、それに夕張は冷静に答えた。

 

「――提督は慎重な人よ。絶対に落とせるって思わないと、告白なんてしないわ……。失敗には終わったけど……少なくとも、そう言う瞬間は、明石さんにあったと見るべきだわ……」

 

「馬鹿な……」

 

そうは言ってみても、確かに納得の行く説明だった。

嘘だと知った時のあの様子……。

そして、「資格」。

その「資格」が、単に俺を疑ったというだけの為に奪われたのだとしたら、明石はあそこまで涙を流すことがあるだろうか。

少なくとも、嘘をついていた青葉を責めるはずだし、安堵の表情を浮かべても可笑しくはない。

もし……もし本当に――提督に心が動いた事を言ってるのだとしたら……俺はどんな顔をしてあいつに会えばいいのだろうか。

 

「……それが、私が明石さんを置いていった理由。お互いの気持ちの整理が必要だと思った理由……。納得できない……?」

 

俺が茫然とハンドルを握っていると、夕張はそこに、そっと手を重ねた。

 

「どちらにせよ……貴方は明石さんが好きなんでしょう……?」

 

「……ああ」

 

「……それでいい。そのままでいいわ……」

 

そう言うと、夕張は手を離した。

それ以降、俺たちは一言も会話をすることなく、車を走らせた。

 

 

 

俺たちの住む街に着く頃には、もうすっかり深夜だった。

 

「そろそろ着くぞ」

 

「ん……あ……ごめん……寝てたわ……」

 

「悪いな。こんな時間まで……」

 

「ううん……勝手について来ただけだし……」

 

夕張は目を擦った後、深くシートに腰かけた。

 

「お前には助けて貰ってばっかりだな」

 

「少しは見返りが欲しいものね」

 

「何がいいんだ?」

 

「何でもいいの?」

 

「出来る事ならな」

 

車は信号待ちで止まっていた。

街は静かで、まるで俺たち以外誰もいないようであった。

 

「じゃあさ、明石さんじゃなくて、私と一緒に居てよ」

 

その表情は、車窓側に向けられていて、よく分からなかった。

 

「フッ……何言ってんだよ」

 

そう言っても、夕張は黙ったまま、体勢を変えない。

 

「夕張?」

 

「…………」

 

「……本気か?」

 

沈黙が続く。

信号はいつの間にか青になっていて、俺は慌てて車を走らせた。

街灯の光が、車内に入る度、夕張の横顔を照らす。

 

「……それは……出来ないな」

 

やっとの事で答えてやると、それを聞いた夕張は、吹き出すように笑い出した。

 

「なーんて、冗談よ。時々でいいから、私を工房に呼んで。貴方の仕事を手伝わせて。それなら良いでしょ」

 

「あ、あぁ……」

 

「ちょっと、何引いてるのよ。今のは心理学よ。無理な要求の後に、本当に叶えて欲しい要求を言えば、相手は妥協するっていう」

 

「なるほど、そういうことか……」

 

「えぇ、そういうこと」

 

見慣れた風景をヘッドライトが照らす。

夕張の家も見えてきた。

 

「……ここでいいわ」

 

車を停め、車内の明かりをつけてやると、夕張は伸びをして、眩しそうに目を擦った。

 

「今日はありがとうな」

 

「明石さんと、ちゃんと仲を取り戻してね」

 

「もちろんだ」

 

車を降りると、夕張はこちらに手を振った。

 

「また連絡する」

 

「うん。またね」

 

車を走らせる。

サイドミラーに映った夕張の姿が徐々に小さくなってゆき、やがて見えなくなった。

直前まで振っていた手が、離れる度に力を失ってゆくのが、とても印象的であった。

 

 

 

翌日は、朝から最寄りの駅で明石の帰りを待った。

小さな駅の出口は一つで、人の通りもさほどないところなので、明石が帰ってくればすぐに見つけられるはずであった。

 

「…………」

 

昨日の夜はあまり寝付けず、ずっと明石の事を考えていた。

帰ってきたら、何を話そうか。

どう迎えてやろうか。

これからの事。

これまでの事。

色々考えたが、結局行きつく先は、明石の気持ちだった。

あいつが何を考え、何を思い、どうしているのかが気になってしょうがなかった。

居てもたってもいられなかった。

 

「明石……」

 

 

 

結局、明石が帰って来たのは、昼を過ぎた頃であった。

俺の姿を確認すると、明石はまた泣きだしそうな顔を見せた。

 

「お帰り」

 

明石はそれに返事をしなかった。

 

「……帰ろうか」

 

 

 

街は相変わらず静かで、明石のキャリーバッグを転がす音が五月蠅いほどであった。

 

「イベント、楽しかったか?」

 

明石は答えない。

 

「こっちはさ、大井さんと山城が客に来たんだ。二人とも彼氏がいるようで――。助っ人に夕張に来てもらってたんだ。ほら、俺は大井さんが苦手で――」

 

明石は応えない。

 

「島風がずっと泊まってたんだ。あいつの親、仕事が忙しくて――」

 

明石は……泣いていた。

 

「……明石」

 

顔をよく見ると、何度も泣いたのであろう、目の下が赤くなっていた。

 

「……――提督に、心が動いたか?」

 

それを聞いて、一瞬、明石は驚いた顔を見せたが、またすぐに俯いてしまった。

 

「……そうか」

 

何も言わずとも、夕張の言っていたことが合っていたのだと分かった。

明石は、――提督に心が動いた。

俺という存在がありながら――。

 

「提督……ごめ――」

「ごめんな……」

 

言葉を重ねたのは、わざとだった。

 

「お前にそんな思いをさせてしまうほど、俺はお前を幸せには出来てなかった……」

 

「ち、違います……! 私が悪――」

「違わない。――提督の言った通りだ……。お前は悪くない。俺の努力が足りなかっただけだ」

 

――提督にどのように心を動かされたのかはわからない。

生活の事、幸福の事――。

それら全て、――提督の方が上だったのは構わない。

魅力的だったのも仕方がない。

実際にそうだったから。

だが、――提督に心が動いたという事は、男として、恋として、――提督を受け入れる準備があったという事。

決して動くことのないであろうと思っていたそれが、俺の元に戻ってきてくれたとは言え、少しでも動いた事。

それが、悔しかった。

――提督に、夕張に言われないと気がつけなかった。

それが、情けなかった。

 

「俺はお前を幸せには出来ない……。お前を追いつめてしまうから……」

 

「違う……違うんです……」

 

「だからさ……俺たち、もう――」

 

その先の言葉に何かを察したのか、明石は俺の胸に飛び込み、大声で泣いた。

 

「お、おい」

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

「だから、お前が悪いんじゃなくて……」

 

「提督を信じられなかった私が悪いんです……。全部……私が悪いから……全部……直すから……だから……」

 

「明石……」

 

「お別れなんて……言わないでください……」

 

「え? お別れ……?」

 

「え……?」

 

涙なのか鼻水なのか、分からないくらいぐしゃぐしゃに濡れた明石の顔に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「何か勘違いしてないか?」

 

「だ……だって……俺たち、もう……って……。それって……別れようって事じゃ……」

 

「違うよ。俺たち、もう一度最初からやり直そうって言いたかったんだ」

 

「最初から……?」

 

「お前が青葉の報告を聞いて、俺をそういう人間だって見たって事は、それだけ俺の事を知ってなかったって事だ。逆に、それに気が付かなかった俺も、お前をよく知ってなかった。心が他の奴に動くことだって……」

 

「…………」

 

「俺とお前が出会った頃、お互いをよく知ろうと、用も無いのに工廠へ会いに行ってみたり、飯の時間を合わせたりしてたよな」

 

仕事のパートナーとして、というのが始まりだった。

段々と、それが恋という形に変わっていったっけ。

 

「俺たちは知った気になってたのかもな。お互いの事。まぁ、出会って長いしな……。今回の件で、あの頃みたいに、もう一度、お前の事をよく知りたくなった」

 

「提督……」

 

「お前の事をもっともっと知って、お前を幸せに出来るようになりたい。誰からのアプローチがあっても、決して揺れないくらい、俺に恋をして欲しい……」

 

明石は涙を拭いて、俺の言葉を待った。

 

「お別れじゃない。もう一度……出会った頃の関係に戻ろう」

 

それは、恋人という関係の終わりを意味していた。

同時に、これからの関係の始まりを意味していた。

明石もそれを分かっていたのか、少し複雑そうな顔をした後、俺の目をじっと見つめた。

 

「……分かりました。私も……どんなことがあっても、提督を信じられるようになります……!」

 

「明石……」

 

「もう一度……提督に告白されるような女性に……「資格」のある女性になります……。だから……待ってて……くれますか……?」

 

その声は震えていた。

 

「ああ……。俺も、誰にも「資格」がないなんて言わせないくらい、頑張るよ……」

 

そう言ってやると、明石は再び涙を流した。

俺も、同じように。

それが何の涙かは分からない。

だが、新たな出発に必要なものである事だけは、確かであった。

 

 

 

「制約ねぇ……」

 

夕張は、制約の書かれた紙を見て、怪訝そうな顔を見せた。

 

「キスは一日一回だけ。デートは週に一回だけ……? 恋人じゃないのにキスもデートするのー?」

 

島風も訳が分からないと言った様子だ。

あれから数日。

恋人じゃ無くなったとは言え、今までと同じような生活を続けていると、あの日の出来事を忘れてしまうそうだという事で、俺たちはお互いの関係に制約を設けることにした。

 

「これじゃあ恋人の頃と変わらないじゃない」

 

「俺は全部いらないと言ったんだ。けど、明石がさ」

 

「だって、厳し過ぎます……。いくら恋人じゃなくなったと言っても、私たちはお互いを好きであるし……」

 

「にしても、キスは一日一回って、緩くないですか?」

 

「だよな」

 

「そうかもしれないけど……うーん……」

 

とは言え、制約が無くても、俺たちがあの日の出来事を忘れる事は無いだろう。

それほどに、大きな出来事であったのだ。

 

「こんな制約、早く無くすためにも、お互いに頑張ろうって意味もあるんだ」

 

「なるほどね……」

 

「ただのバカップルじゃん……」

 

まあ、そうだよな……。

 

「けど、まあ良かったじゃない。本当にお別れにならなくて」

 

「恋人では無くなりましたけどね……」

 

「あ、そう言えばさー。明石と別れたら島風の恋人になってくれるって約束したけど、この場合どうなるのー?」

 

「そう言えばそうよ。私も約束したわ」

 

そう言えばそんな事言ったっけか……。

 

「いや、あれは冗談だし、実際別れたとは言わないだろ……」

 

「でも、恋人じゃなくなるって、別れたって事じゃん!」

 

「そうよそうよ」

 

「お前ら、マジでその辺にしてくれないか……?」

 

恐る恐る明石の方を見ると、怒るどころか、小さく笑って見せた。

 

「そんな事ないって思ってたって事ですよね?」

 

「あ、あぁ……」

 

「大丈夫。私は提督を信じてますから」

 

「明石……」

 

その光景を見て、夕張も島風も呆れたような顔を見せた。

 

「はいはい、ごちそうさま」

 

「なんか納得いかないんですけどー……」

 

「悪いな」

 

あの日の事で、俺たちは恋人じゃ無くなったけれど、それ以上の関係に、少しづつ近づいている。

いつの日か、そんな事もあったと笑えるくらいになれるように――。

 

「それで? ここには夜の事は載ってないんだけど、その辺りはどうなの?」

 

「そう言えば……そうですね……」

 

明石がこちらをチラッと見た。

 

「……その件に関しては、また後で決めようか」

 

「そ、そうですね……」

 

「って事は、やっぱりシてるんだ」

 

夕張がニヤニヤ笑うと、明石は顔を真っ赤にさせた。

 

「ねーねー、夜の事ってなに?」

 

「ん? あー……島風にはまだ早い話だ……」

 

「何それ!? 子供扱いしないでよね! ねーねー明石さん、どういう意味!?」

 

「えーっと……」

 

「夕張ー」

 

「そうね……。例えば、ここにナットとボルトがあるでしょ?」

 

「お、おい夕張!」

 

「冗談よ。ごめんね島風ちゃん、私もよく分かってないの」

 

「むぅ……」

 

「ほら、お店にお客さん来たみたい。一緒に接客しましょう」

 

「うん……」

 

空気を呼んだのか、夕張は島風を連れて店の方へと向かっていった。

 

「……それで、どうするんです?」

 

「まあ……完全に無くすってのは……関係にも響いてくるだろうしな……」

 

「……えっち」

 

「じゃあ無くすか?」

 

それに明石は答えず、視線を外すだけだった。

 

「いずれにせよ、そんな事考えなくてもいいように、お互いに頑張ろうぜ」

 

「……はい」

 

そう言って、俺たちは今日の分のキスを済ませた。

 

――続く


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