「アトリエ明石」の「提督さん」   作:雨守学

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※明石視点です。


第五話

「もう別れる!」

 

喧嘩して放ったその一言がいけなかった。

提督は悲しそうな顔をして、それから目を合わせる事すらしなかった。

完全に謝るタイミングを逃してしまった。

 

 

 

喧嘩した翌日。

私は海軍のイベントに参加する為、始発の電車に乗っていた。

イベントは一週間。

その間、提督と会うことは出来ない。

 

「起こしてでも、謝れば良かったかな……」

 

喧嘩の原因は小さなことだったけれど、自分でも驚くほどヒートアップしちゃって、後に引けなくなってしまった。

自分から謝ることが出来ないから、いつものように提督の言葉を待ったけれど、結局今に至る。

 

「携帯電話も忘れちゃうし……。はぁ……」

 

別れるなんて言ったから、提督……本気にしちゃったかな……。

もし本当に別れることになったら……。

 

「…………」

 

でも、私はそんなに焦っては無かった。

心の奥底で、提督は優しいから、きっと私を待ってくれるって、考えていたから。

 

「今はイベントに集中しなきゃ……!」

 

 

 

イベント会場に着いたのはお昼過ぎだった。

 

「明石」

 

「大淀! 久しぶり」

 

「本当ね。みんなもいるわよ。さ、行きましょう」

 

大淀に連れられ、皆に挨拶してから、用意された宿舎へと向かった。

 

 

 

「大淀と同じ部屋で良かったー」

 

「私が根回ししたのよ? 他の人だと、貴女嫌がると思って」

 

そう言うと、大淀はコーヒーをいれ始めた。

 

「今回のイベント、準備に4日かかって、開催は3日なんですって」

 

「だから私たちかぁ。さっき挨拶した艦娘の顔ぶれを見ても、そんな感じだもんねぇ」

 

「でも、夕張さんはいなかったでしょう? 結局、色なのよ」

 

「色って?」

 

「大人の女って事。今回、準備を含めて参加する海軍の人間は、皆独身だそうよ」

 

「そう言う事……」

 

「でも、貴女には彼氏さんがいるものね。彼氏さんとは上手くやってる? 一週間も空けて大丈夫なの?」

 

「大丈夫……だと思う」

 

「歯切れ悪いわね。何かあったの?」

 

「ちょっと喧嘩しちゃって……。仲直りできないまま出てきちゃったの。謝るにも、携帯電話を忘れちゃって……」

 

大淀から貰ったコーヒーは、とても苦かった。

 

「でも、彼氏さん優しいから、大丈夫なんじゃない?」

 

「うん。だから、今はイベントに集中しようかなって」

 

しばらく大淀と現状報告をしていると、海軍から招集がかかり、私たちは外の広場へと向かった。

 

 

 

広場では、お偉いさんの挨拶などが長々と続き、その後で夕食会が開かれることとなった。

 

「こんな事してる暇があったら、さっさと準備を進めたいなぁ……」

 

「しかたないわ。そういう会なのだから」

 

大淀の指す先で、若い海軍たちが艦娘を囲んでいた。

 

「せっかくだし、楽しんだら?」

 

「私はパス。ちょっと食べたら部屋に戻るわ」

 

「そう。じゃあ、私は行ってくるわね」

 

そう言うと、大淀は人混みへと消えていった。

一人残された私は、片隅で淡々と食事を済ませる事にした。

 

「…………」

 

料理、美味しいなぁ。

この小籠包なんて、提督、好きだろうなぁ……。

 

「はぁ……」

 

一週間か……。

提督、今頃何してるんだろう……。

私がいなくて、仕事大丈夫かな……。

ちゃんと食べてるかな……。

 

「溜息なんてついて、らしくないですね」

 

顔をあげると、一人の男が立っていた。

 

「お久しぶりです。僕の事、覚えてますか?」

 

この人、誰だっけ……?

どこかで見たことあるような……。

 

「覚えてないか。ほら、――鎮守府で提督をしてた者なんですけど……」

 

それを聞いて、やっと顔を思い出した。

 

「思い出してくれました?」

 

「あ、はい。あの時は帽子をしてたから……」

 

「そうでしたね。隣、いいですか?」

 

「どうぞ」

 

――鎮守府の提督さん。

確か、艦娘達に人気で、誰にでも気さくに話しかけてくれるような人だった。

 

「こういう場、苦手ですか?」

 

「いえ、そういう訳じゃないんですけど……」

 

「隠さなくてもいいですよ。僕もこういう場は苦手でしてね。特に、海軍連中に都合の良い場はね。ま、僕も海軍だけど」

 

「やっぱり、そういう場なんですかね?」

 

「誰も言わないけど、そうでしょうね。現に、僕の知っている参加者は、皆独身だし、呼ばれた艦娘もみんな美人の独身ばかりだ」

 

「だとしたら、私が参加してるのはおかしいですけどね」

 

「そうかな。僕は明石さん、美人だと思いますよ」

 

「ふふ、お上手ですね。酔っぱらってます?」

 

「酔うと本音が出るタイプなんですよ」

 

「キザですね」

 

「キザですよ」

 

そう言うと、彼はニッと笑った。

 

「僕たちは僕たちで飲みませんか? 一人で飲んでいるのも味気ないし」

 

「…………」

 

帰るつもりだったけれど、すぐにっていうのは失礼かな……。

 

「少しだけなら……」

 

「ありがとうございます。では、乾杯」

 

「乾杯」

 

それから、彼とお酒を飲みながら会話をした。

酔いが回ったのと、彼の話が面白くて、ついつい時間を忘れて楽しんでいた。

 

「明石さん、彼氏と喧嘩しちゃったんだ」

 

「そうなの! 本当にちょっとした事だったんだけど、日ごろの不満が出ちゃって……。別れるーなんて言っちゃった……」

 

「別れるんですか?」

 

「ううん……。彼の事は大好きだし……帰ったら謝らなきゃって……」

 

「そっか。明石さんみたいな女性に好かれる彼が羨ましいな」

 

「そんな事ないですよ。――さんだって、素敵な彼女さんとかいるんじゃないですか?」

 

「居たんだけど、色々あって別れてしまって……。だから、ここに居たりして」

 

「――さんみたいな人でも色々あるんですね。普通にモテそうなのに」

 

「どうだろう。明石さんだったら、僕と付き合ってもいいなって思えます?」

 

「私には彼がいるから……」

 

「いなかったら?」

 

「そうですね……。良い人だし、もしかしたら……うーん……」

 

「ハハハ、いいですよ。無理しなくて」

 

「いえ、そう言う事では……」

 

そんな事を話していると、お偉いさんが締めの言葉を述べ始めた。

 

「もうこんな時間か。楽しい時間はあっという間だ。明石さん、今日はありがとうございました。また、イベントの準備でご一緒出来たら」

 

「私も楽しかったです。また」

 

彼と握手を交わし、私は宿舎へと戻った。

 

 

 

翌日は午後からイベントの準備が始まり、私は舞台などの設置に携わる事となった。

 

「明石さん」

 

「――さん」

 

「昨日はどうも。僕もこっちを担当することになりましてね。よろしくお願いします」

 

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 

昨日のお酒はもう残っていないのか、彼はテキパキと、段取りよく作業を進めていった。

昔から優秀な人だとは言われていたけれど、どんな事でもそつなくこなすところを見ると、流石――鎮守府の提督を務めただけはあるなって思えた。

 

「昨日はすみません。なんだか気が緩んで、失礼な事言ってなかったですか?」

 

「いえ。私の方が失礼だったかも知れません。タメ口が出ちゃったりしてましたし……。彼氏の相談ばかりだったし……」

 

「僕の方は楽しかったですよ。また、ご飯でも食べながらお話ししましょう」

 

「えぇ」

 

社交辞令だと思ってそう返事したけれど、そのまた翌日に、彼から食事の誘いがあって、断るわけにもいかず、約束をしてしまった。

 

 

 

「明日の夜に、イベント準備終了の打ち上げで食事しましょうって……」

 

「嫌なら断れば良かったじゃない」

 

「別に嫌じゃないけど……約束もしちゃってたし……」

 

「じゃあ、何が不満なの?」

 

「……提督以外の男の人とディナーなんて……いいのかなって……」

 

「真面目ね。それくらいはいいのじゃない?」

 

「そうかな……」

 

もし自分が反対の立場だったら、自分以外の異性とディナーしてるというのは、例え喧嘩中であっても、あまり気分のいいものではない。

 

「でも、彼氏さんは夕張さんと居るみたいよ」

 

「え……?」

 

「貴女が心配そうにしてたから、ちょっとスパイを送り込んでおいたの。どうやら、島風ちゃんと夕張さんの二人が、彼氏さんの仕事を手伝っているみたい」

 

夕張ちゃんが提督と一緒に……。

 

「でも、手伝いでしょ……? それくらい……」

 

「だといいけど。喧嘩して、別れるなんて言っちゃったんでしょう? 夕張さん、彼氏さんと仲がいいって聞いてるし、もしかしたら……」

 

「こ、怖い事言わないでよ……」

 

「冗談よ。大丈夫だと思うけれど、一応スパイは活動させておくわね」

 

「そのスパイって誰?」

 

「秘密。お風呂行ってくるね」

 

大淀はお風呂セットを持って、大浴場へと向かっていった。

 

「…………」

 

夕張ちゃんか……。

確かに、助っ人としては完璧な人選ではあるけれど……。

『夕張さん、彼氏さんと仲がいいって聞いてるし、もしかしたら……』

 

「いやいや、そんな事ない。提督に限ってそんな事は……」

 

でも……助っ人が必要なほど仕事が来ている訳でもないだろうし……。

提督にその気がなくても、夕張ちゃんにはもしかしたら……。

 

「提督……」

 

喧嘩してしまっている今だからこそ、その心配は大きかった。

 

 

 

翌日は準備も午前中に終わり、夕方まで大淀と近場でお茶をしたりして過ごした。

提督の事は気がかりだったけれど、心配したところで何かが変わるわけでもないしね。

 

「そろそろ――さんとディナーでしょ?」

 

「うん。久々に大淀と遊べて良かった」

 

「またイベントで遊びましょう」

 

「えぇ。じゃあ、私はここで」

 

去ろうとした時、大淀の携帯電話が鳴った。

どうやらスパイからのメールらしく、私を引き留めた。

 

「今日の報告が来たみたい。夕張さんはまだ手伝ってるみたいね」

 

「私がいない間は、助っ人ととしてずっと一緒なのかもしれないわね……」

 

メールを黙読していた大淀の表情は、段々と嶮しいものとなっていった。

 

「お店を閉めた後、夕張さんは出てきてないみたい……」

 

「え……」

 

「助っ人として来たのなら、そのまま帰るはずよね……」

 

「あ……大丈夫。多分、工房で何か作ってるのかも。お店はしめるけど、物を作ってることはしょっちゅうだし……」

 

「そう……。ならいいけれど……」

 

「じゃあ……行くね……」

 

「あ……いってらっしゃい……」

 

 

 

工房で何かを作らなきゃいけないほどの仕事なんてあったのかな……。

確かに、それなら夕張ちゃんなのかもしれないけれど……。

 

「明石さん?」

 

「え?」

 

「どうかしましたか? 先ほどからぼうっとされてますけど……。もしかして、ここの料理、お口に合いませんでしたか?」

 

「い、いえ! とても美味しいです。こんな素敵なお店、初めてだったので、緊張しちゃって……」

 

――ホテルの最上階にあるレストラン。

――さんは良く来るみたいで、お店のオーナーらしき人がわざわざ個室を用意してくれるほどだった。

 

「でも、本当にいいんですか……? ごちそうになってしまって……。どれもこれも高そうで……」

 

「いいんですよ。それよりも、今は楽しみましょう」

 

「は、はい」

 

お金持ちなんだなぁ……。

こういうお店、普通じゃ常連になれるほど来ることは無いし……ましてやごちそう出来るなんて……。

 

「ここからの眺めが好きでしてね。テラスに出れるので、後でお酒でも飲みながら夜景を眺めませんか?」

 

「いいですね。こんな素敵な景色を眺めながらなんて、なんだかロマンチックですね」

 

「隣には素敵な女性もいるし」

 

「もう、お上手なんですから」

 

それから、見たこともない料理や美味しいお酒に舌鼓を打っていると、モヤモヤした気分もどこかへ吹き飛んで行った。

彼が私を元気づけようと頑張ってくれたのもあるけれど……。

 

 

 

テラスには私たち以外誰もいなかった。

 

「綺麗ですねー」

 

街はキラキラと輝いていて、遠くに灯台の明かりが見えた。

その近くで風力発電機の赤い光が、怪しく光っている。

 

「…………」

 

「彼氏と来たかったですか?」

 

「え?」

 

「今日の明石さん、ときどき思いにふけるような仕草が目立ったので、もしかして彼氏の事考えているのかなって」

 

「い、いえ……」

 

否定はしたけれど、彼は私が視線を落としたのを見逃さなかった。

 

「何か進展でもあったんですか? その様子だと、仲直りは出来てないようですけど……」

 

私が黙っていると、彼はそっと私の手を取った。

 

「僕は元提督ですよ。艦娘の悩みは、提督の悩みでもある。貴女が悲しそうなら、僕も悲しいです」

 

「――さん……」

 

「貴女の力になりたい。良かったら、話してくれませんか?」

 

その言葉と表情は、今の私には優し過ぎて、思わず悩みとか本音などがぽろぽろと零れだした。

大淀に言えなかった事も、彼は自然と引き出してゆく。

元提督と言うだけあって、そういう所は本当に上手で、彼が――鎮守府で艦娘から好かれていた理由も、よく分かる気がした。

 

 

 

夜風は絶えず、私の髪を揺らしていた。

多少回っていたアルコールも、それに乗って何処かへ飛んでいったようだ。

 

「夕張ちゃんが来ているのを聞いて、ふと思ったんです。私じゃなくてもいいんだって……。もちろん、助っ人だって分かってるけど……でも……喧嘩している今……すぐに私以外の人と仕事をしようって思える所に冷たさを感じちゃって……。提督はそんな事、思ってないはずなのに……」

 

「なるほど……。確かに、夕張さんと彼氏がお互いに好意を持っていたのだとしたら、それは失った明石さんの代わりだと思ってしまいますね」

 

「どうして夕張ちゃんなのか……助っ人が必要なほどの仕事が本当に来たのか……。そして……夕張ちゃんは……提督は……お互いをどう思っているのか……」

 

確かめようのない事ばかりが、私を苦しめていた。

 

「……ごめんなさい。こんな事で……。話しても解決しないですよね……」

 

「明石さんはどうしたいんですか?」

 

「え?」

 

「彼との今後の事です。僕は……厳しい事言うかもしれませんけど、彼とは上手くいかないと思いますよ」

 

「……どういうことですか?」

 

ちょっとムッとしてしまったけれど、彼は冷静だった。

 

「僕が彼氏の立場だったら、すぐに貴女に謝るはずです。直接連絡が取れなくても、イベント会場の番号は知っているだろうし、知り合いの艦娘がいれば、間接的に連絡を取ろうとするはずです」

 

確かに、ここの場所は提督も知っているはずだし、連絡先も知っているはず。

 

「もしそうじゃなかったとしても、僕だったら明石さんに会いに行きますよ。少なくとも、助っ人とは言え、他の女性と会う事なんてしない」

 

やっぱりそうなのかな……。

携帯電話が無かったとしても、普通は何らかのコンタクトは取るはずだと、私も考えていた。

それが、普通に仕事をしていて、しかも夕張ちゃんまで呼んでいる。

 

「貴女を好きな彼だからこそ、貴女に言われた言葉を本気で受け止めたのかもしれません。そう言う人が醒めた時というのは、非情なものですよ。色んな人を見てきたから、よく分かります」

 

私は提督の性格を思い出していた。

提督は、捨てると決めたものはすぐに捨てるタイプだった。

それにどんな思い出が詰まっていようとも、決めたらもう後戻りはしない。

もし、――さんが言ったように、私もその一つなのだとしたら――。

 

「生活にも不満があったのでしょう? 彼が今どう思っているか分かりませんけど、明石さんも彼に対してもう一度考えてみたらどうですか?」

 

「提督に対して……」

 

「今のまま生活して、本当に幸せなのか。人によって幸せの形は様々ですけど、僕はもっと幸せになっていいと思います。好きな人といれるだけで幸せなんて、一緒に居るのは当たり前なんだから、特別な幸せでも、不幸を隠すものでもありません」

 

「……!」

 

不幸を隠すもの。

それを聞いて、私の中で色んな感情が渦巻いた。

 

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ出ましょうか。宿舎近くまでお送りしますよ」

 

それから宿舎までのタクシーの中、彼は私の気持ちを考えてくれていたのか、話しかけることをしなかった。

下手に明るい話題を出されるより、そうしてくれる方が私としてもありがたかった。

 

 

 

「今日はありがとうございました。ご馳走になった上に、相談まで……」

 

「いえ、答えが見つかったら、是非僕にも聞かせてください」

 

「はい、必ず」

 

「それじゃあ、僕はこれで。またイベントで会いましょう。お休みなさい」

 

「お休みなさい」

 

彼は私が宿舎に入るまで、手を振って見送ってくれた。

本当、いい人だなぁ。

お金持ちで、人の気持ちも分かっていて、それでいて優しい。

ああいう人と結ばれたら、今と違って悩むことは無いのかな……。

私が提督にして欲しい事、――さんなら全てできるし、喧嘩しても、提督と違って会いに来てくれる。

『彼とは上手くいかないと思いますよ』

 

「…………」

 

 

 

翌日は朝から外が騒がしかった。

イベント開催時間にはまだ早いはずだけど……。

 

「おはよう明石。イベントの参加者、結構いるみたいね。結構な列が出来ているわ」

 

窓の外を見ると、まるで大蛇が蠢いているかのように、人の列が続いていた。

 

「凄い……。私たち、回れるかな……」

 

「そのことなんだけれど、ちょっと一緒に行けなくなっちゃって……」

 

「何かあったの?」

 

「イベント司会の子が風邪引いちゃったみたいで、急きょ私に声がかかったの。だから、一緒には回れないわ。ごめんなさい」

 

「ううん。仕方ないわ。司会、頑張ってね」

 

「ありがとう。あと……彼氏さんの件なんだけど……」

 

「……また何かあった?」

 

「昨日の夜……工房の明かりはついてなかったし、作業している様子は見られ無かったみたい……」

 

「え……?」

 

「夜も遅くなってきたからスパイは帰ったけど、それまでずっと夕張さんは居たみたいよ……」

 

工房での作業も無く、夜遅くまで一緒に……?

何の為に……?

 

「明石……? 大丈夫?」

 

「あ……うん……」

 

「私、そろそろ行くけれど……あまり考え過ぎては駄目よ」

 

「うん……。司会……後で聞きに行くね……」

 

「えぇ。じゃあ、後で」

 

大淀が去った後、私はしばらく放心状態に陥った。

そして、何も出来ないまま、ただ時間だけが過ぎていった。

 

 

 

お昼頃。

流石にお腹も空いて来たし、何か買って食べようと、イベント会場に顔を出した。

あれほど並んでいたにも関わらず、人が分散しているのか、比較的歩きやすい。

 

「…………」

 

家族連れ。

カップル。

友達。

皆、誰かと一緒で、一人なのは私だけだった。

普段は孤独なんて感じないけれど、今に私にとっては――。

 

「あ! 明石さーん!」

 

声の方を見ると、――さんが手を振っていた。

その周りには、友人とみられる人たちも居た。

 

「お一人ですか?」

 

「え、えぇ……」

 

彼は何かを察したのか、友人たちと別れ、私の傍に居てくれた。

 

「いいんですか……? 友達、行っちゃいましたけど……」

 

「女性がそんな顔をしていたら、放っておけない性分なんです」

 

「すみません……」

 

「……明石さん、お腹空いてませんか? あっちに美味しそうなお店があったんで、行きましょう」

 

そう言うと、彼は私の返事を待たないで、手を引いた。

突然の事で驚いたけれど、私はその手を振り払う事をしなかった。

 

 

 

それから彼は、何も聞かず、私を連れ回した。

最初こそは静かだった私も、段々と笑みが零れるようになって、その度に彼も嬉しそうに笑った。

 

「次はあっちへ行きましょう」

 

気がつけば、手を握る事に抵抗を感じなくなっていた。

放さなきゃいけない。

提督の為に。

 

「…………」

 

でも、提督だって夕張ちゃんと一緒に居るし、私ばかりが我慢することは無いのかな……。

今までだって、ずっと我慢して来た。

提督の為だと思って……提督と一緒に居る為にって……。

 

「大淀さんが司会してますよ。見ていきますか」

 

彼は言った。

もっと幸せになっても良いと。

それって、我慢をしなくていいって事……?

寂しくないって……思える事……?

 

「楽しいですね、明石さん」

 

提督、貴方にとっての私って、一体なんだったんですか?

夕張ちゃんと同じですか?

ねぇ、提督……。

どうして来てくれないの……?

どうして手を取ってくれないの……?

 

「――はい、楽しいです」

 

このままじゃ……私――。

 

 

 

夕方になり、イベントも終わりに近づいていた。

 

「おっと、仲間から連絡だ。そろそろ戻らないと……」

 

「そうですか……。あの、ありがとうございました。すみません、毎回毎回慰めて貰っちゃって……」

 

「元気、出ましたか?」

 

「はい」

 

「それは良かった」

 

そう言うと、彼は少し真剣な表情になって、私の肩を抱いた。

 

「――さん?」

 

「大事な話があります」

 

それを聞いて、私はこれから何が起きるのかが分かった。

けれど、言葉を待っている自分がいて、それに気がついても、体を動かすことが出来なかった。

 

「明石さん……もし彼との答えが出なかったら……僕と……僕とお付き合いしてくれませんか?」

 

私が黙っていると、彼はたたみ掛けるように続けた。

 

「僕なら彼と違って、貴女を悲しませるようなことはしないし、貴女の望むことを全て叶えてあげられる。我慢もさせないし、一人になんてしない!」

 

「――さん……」

 

「彼に持っていないものを僕は全て持っています。もちろん、貴女を想う心もその一つだ……」

 

私を……想う心……。

 

「今すぐ返事をしてくれとは言いません……。けど、このイベントが終わるまでには、答えが欲しい……。貴女を早く、彼の呪縛から解放させてあげたいから……」

 

「…………」

 

「お返事、待ってます。では……」

 

そう言って、彼は人混みの中へと消えていった。

残された私は、イベント終了の放送が鳴るまで、彼の居た場所を見つめることしか出来なかった。

 

 

 

部屋に帰って、大淀に全ての事を話した。

それに対して何を言われたかはよく覚えてないけれど、今日も提督は夕張ちゃんと一緒に居て、二人で買い物へと出掛けていたという報告は受けた。

 

 

 

その日の夜は中々寝付けず、宿舎の屋上で一人、夜風に当たっていた。

提督は未だにここへは来ない。

連絡もしてこないし、夕張ちゃんとよろしくやっている。

 

「私……本当に捨てられたのかな……」

 

提督にとっての私は、その程度の存在。

私の代わりもいるし、私でなくてもいい。

でも、――さんは私を必要としてくれた。

私に我慢しなくていいと言ってくれた。

提督に出来なかったことを、全てしてくれると言ってくれた。

 

「…………」

 

答えは明白だった。

後は、私が決意するだけ……。

 

「提督……」

 

提督との思い出が薄れてゆく。

――さんと見た景色が、色鮮やかに思い起こされる。

 

「提督……早く来て……。私を引き留めてよ……。貴方を嫌いになりたくない……けど……このままだと……私……」

 

その言葉を、無慈悲にも夜風がかき消した。

夏とは思えない、とても冷たい夜風だった。

私はその中で、いつまでもいつまでも泣き続け、来ないはずの提督を呼び続けることしか出来なかった。

 

――続く


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