「明石さんと喧嘩したの?」
「ああ。きっかけは些細な事だったが、徐々にエスカレートしてしまってな」
それを聞いた島風は、明石の姿を探した。
「だから明石さんいないの?」
「いや、明石がいないのは、海軍のイベントに参加しているからだ。一週間ほど向こうにいるんだとさ」
今朝出発したであろう明石は、俺を起こすこともなく、黙って出ていってしまった。
結構激しい喧嘩だったし、明石が最後に吐いたセリフは「もう別れる!」だった。
「ふぅん。じゃあ、その間は島風が一緒にいてあげるね!」
「ああ。ありがとう」
喧嘩をしたのは二日ほど前だが、お互い引くに引けず、膠着状態が続いていた。
謝るにしても、あいつ、携帯置いていっちゃったんだよな……。
明石がいないとは言え、特に依頼されている仕事もなかったから、今日もただ店番をするだけだ。
いつも島風の遊べ攻撃が来るから、大体の時間はそれに費やされるのだが……。
「…………」
そんな島風は今日、ずっと椅子に座ったままで、なにやらそわそわと入口の方を見ていた。
「どうした島風。今日はやけにおとなしいな」
「ちょっとねー。そろそろ来る頃かな」
「?」
ちょうどそのタイミングで、店に女性が入って来た。
「来たー! いらっしゃいませー!」
島風が駆け寄る。
「提督! お客さんだよ! 島風が連れて来たんだー!」
なるほど、そう言う事か。
「それでそわそわしてたのか。ありがとう島風」
「えへへー、撫でてー!」
最近あまり構ってやれなかったからな。
俺の気を引こうとしたのだろう。
可愛い奴め。
「偉いぞ島風」
「もっとー」
何だか犬を撫でているみたいだ。
島風を存分に褒めてやっていると、女性は店内をキョロキョロと見渡した。
「あの、島風の友人なんですか?」
そう聞いてやると、女性はキョトンとして、俺の目をじっと見つめた。
「あんた……私の事が分からないの……?」
「え?」
知り合いだったか……?
いや、でも……こんな女性は……。
「まあ無理もないわね。あれから大分経っているし……」
「提督、分からないのー?」
口ぶりからして、結構長い付き合いのようだが……。
「すまない……分からん……」
「相変わらずダメダメね……。そんなだから、提督になれなかったのよ。そうでしょ? 半人前」
半人前だと……?
そんな事言われたのは、海軍兵学校の時以来だ。
「…………」
海軍兵学校……。
『あんた、海軍としては半人前だわ。艤装を弄るのだけは一人前の癖にねぇ……』
「まさか……大井さんですか!?」
「やっと気づいたのね半人前」
そう言うと、大井さんはニヤッと笑った。
鬼すら泣かせる艦娘。
練習艦、大井。
彼女の指導は厳しく、それでいて毒があった。
指導について行けず、辞めていった者すらいた。
かくいう俺も、結構トラウマな所があり、海軍兵学校時代を思い出すたびに、胃がキリキリと痛んだ。
「お茶です……」
「ありがとう」
大井さんは椅子にドカッと座ると、足を組んで茶を飲みだした。
「いやぁ、まさか大井さんがこんなところに来てくださるなんて……」
「あんたが店を開いたと島風から聞いてね。明石さんと付き合っているんですって?」
「えぇ、まあ」
「半人前のあんたがねぇ……」
クソ……島風の奴……なんて大物を連れてきやがったんだ……。
褒めて損だ……。
「大井さんも、自分の所の提督と付き合ってるんだよねー」
「え!?」
「まあね……」
大井さんが男と……?
ありえない……。
一体、どんな男だと言うのだ……。
「し、しかし……大井さん、随分と美人になられて……。全然わかりませんでしたよ」
「ねー。やっぱり恋人がいると変わるの?」
「そう? 普通よ普通……。まあ、恋をすれば綺麗になるとは言われているけれど……」
あの大井さんが照れていた。
何だ……?
大井さんの身に、一体何が起きたと言うのだ……。
恋人はいるわ、美人になるわ、照れているわ……。
「提督、どうしたのー?」
「いや……ちょっとな……。そうですか。恋人が……」
「なに……? いちゃ悪い訳?」
「そ、そう言う訳では……」
嗚呼、胃が痛い……。
あれから結構経っているはずなのに、やっぱり駄目だな……。
「で? 明石さんは?」
「それがねー」
島風が事情を説明すると、大井さんはケラケラと笑った。
「ざまぁ無いわね。ま、あんたみたいな半人前が明石さんと付き合えたのが奇跡だったのよ」
「そ、そうですかね……ハハハ……」
「なにヘラヘラ笑ってんのよ?」
うぅ……あの頃よりもパワーアップしてるな……。
恋人がいるはずなのに、どうしたらこうなるんだ……。
「まあでも、私も人の事笑えないけどね」
「え?」
「今日はちょっとその件で来たのよ。話、聞いてくれるかしら? というか、聞きなさいよ」
「は、はぁ……」
相変わらず強引だな……。
礼儀とかしっかりしている人なんだが、半人前の俺の前だとこうなんだから……。
「実はね、私も彼とちょっと喧嘩しちゃって……」
「相手の方は無事ですか?」
「どういう意味よ……?」
「あ、いえ……」
「……まあいいわ。喧嘩の方は、彼が謝ってくれたから解決したのだけれど、本当の原因は私にあって、未だに謝れてないのよ……」
なるほど、相手は鬼のような人間じゃなくて、優しい人なのか。
大井さんを受け入れられる優しい人間……。
まあ、そういう人格者みたいな人じゃないとなぁ……。
「私の性格は知っての通り、素直に謝れるわけがないわ。だから、きっかけが欲しいのよ」
「きっかけ?」
「日頃の感謝に何かプレゼントして、ついでに謝ろうって訳」
「そう言う事ですか。ちなみに、何をプレゼントしたいと?」
「自分でつくれるものがいいわ。何かないかしら?」
「そうですね……」
金属加工とかは無理だな。
ガラス細工?
いや、しかしな……。
「ねーねー、ならこれは?」
そう言うと、島風は店の商品から皮の財布を持ってきた。
「既製品は駄目だろ」
「違うよ。これ手作りでしょ? 大井さんもやってみたら?」
「え!? これ、手作りなの!?」
大井さんは驚きながら財布を眺めた。
「えーすごいすごい! よく出来てるわねー」
大井さんって、こんな表情もするのか。
こういう表情だけ知ってると、確かにモテそうではあるな。
それにしたって、落とした男は凄すぎる。
「ねぇ、こういうの私にも出来るかしら?」
「それくらいなら難しくないですよ。時間はかかるでしょうけれど……」
そう言ってやると、大井さんは島風を撫でた。
「これにするわ。彼へのプレゼント」
「だってー、提督」
「分かりました。まずはデザインですね」
「ゆっくり考えたいから、また来るとするわ」
「もう帰っちゃうの?」
「そろそろ彼が帰って来るから、お夕飯の用意しないと」
「同棲してるんですか!?」
「そうよ。なに? 文句あんの?」
「い、いえ……」
同棲まで……。
くそ……見たい……。
どんな男なのか、めちゃくちゃ見たい……。
「じゃあね」
再び島風を撫でると、大井さんはそそくさと店を出ていった。
「お客さん来てよかったね」
「あ、あぁ……ありがとうな、島風」
「にひひー」
大井さんが客になってくれたのはありがたいけれど、なんだか複雑な気分だ……。
翌日。
また島風が客を連れてきた。
「今日も連れて来たよー! えへへ、島風偉い? 偉い?」
「あ、あぁ……偉いよ。ありがとうな」
こいつ、何気に凄いな……。
しかし……。
「山城です……。私の事……覚えてますか……?」
「あ、あぁ……覚えているよ……」
「そう……。なら良かったわ……」
なんでこう、ちょっと癖のある艦娘ばかり連れて来るんだ……。
山城とは何度か艤装の調整で会った事はあるが、何もしゃべらないし、視線も合わせてくれなかった。
「山城さんも彼氏がいるんだよねー」
「え!?」
「まあ……はい……」
大井さんと言い、山城と言い……本当に……一体どうなってるんだ……。
訳が分からん……。
絶対に彼氏とかいらなそうな感じなのに……。
陸奥とか、彼氏がいそうな奴らですら、まだ居ないと言うのに……。
「聞きました……。手作り……出来るんですよね……?」
「ああ」
「私も……彼に送りたいので……その……一緒に……駄目でしょうか……?」
「構わないよ。何を作りたいんだ?」
「大井さんと同じで財布を……」
「分かった。じゃあ、まずデザインを……」
そこまで言うと、待ってましたと言わんばかりに、山城はデザイン案を机に叩きつけた。
「うお!?」
「いくつか考えてきました。まずはA案なんですが……」
それから山城は饒舌になり始め、先ほどの歯切れの悪い会話から、一気に畳みかけるような会話――いや、一方的な言葉の雨を降らせた。
それには島風も圧倒されたのか、少し引き気味に山城をじっと見つめていた。
「どうですか!? この案、実現できますよね!?」
「で、出来るよ……。俺も全力でサポートするから、まずは案を絞って来てくれないか?」
「そ、そうですよね……。分かりました。明日、また来ますので……」
「わ、分かった……」
「では……」
山城が店を出ると、まるで嵐が去ったかのように、店はしんと静まり返った。
「あんなに話す山城さん、初めて……」
「そうだな……」
しかし、大井さんも山城も、誰かの為に何かするってタイプじゃないのに、人って変わるもんだな……。
島風や明石のように、あまり変わらない奴もいるのに。
「…………」
明石の奴、今頃どうしてるのかな。
別れるって、本気なのだろうか……。
「提督? どうしたの? ぼうっとして……」
「ん……いや、何でもないよ。島風、今日良かったら、一緒に飯でも食いに行かないか?」
「え!? 本当!?」
「お前さえよければだけどな。客を連れて来てくれたお礼だ」
「行く行く! やったー! 提督とごはんー!」
そう言うと、島風は嬉しそうに店内を走り回った。
「さて……それまで色々準備しないとな……」
おそらくあの二人は、また明日来て、早速作業に入る事だろう。
しかし、一気に二人を相手するのはキツイし、何よりもあの二人だしな……。
「仕方ない……あいつを呼ぶか……」
どうしても必要な時に呼ぶ最終兵器……いや、もう兵器ではないな。
そいつを呼ぶために、俺はダイヤルを回した。
翌日。
休日という事もあってか、朝っぱらから大井さんと山城、島風までやって来た。
「デザイン案、固まりました……」
「私もよ。こんな感じでどうかしら?」
なるほど。
二人とも、よく考えた結果という感じだ。
無茶が無く、シンプルなデザインに好感が持てる。
「いいですね。じゃあ、工房に来てください」
「あんた一人で二人の面倒が見れる訳?」
「ご心配なく。助っ人を呼んでいますので」
「まさか、島風じゃないでしょうね?」
「私じゃ不満ー?」
「ゲッ……マジなの?」
山城も心配そうに見つめていたが、工房に居る奴の姿を見て、二人の心配は吹き飛んだようだ。
「あ! 大井さんに山城さん! お久しぶりです!」
そう言うと、夕張は二人と握手を交わした。
「なるほど。これは最強の助っ人だわ。半人前なんていらないほどにね」
夕張とは、戦後に海軍の仕事で仲良くなった。
明石の彼氏、という事で話したのがきっかけで、何度か仕事で顔を合わせる事もあり、意気投合したのだった。
「じゃあ、早速作業に取り掛かりましょうか」
もう一人の明石という感じで、とてもやりやすく、親しみやすい奴だ。
財布の大まかな形は二人とも一緒なので、あらかじめ用意した型紙を渡して、皮を切らせる作業から入った。
「夕張は二人を見ててくれないか? 俺は装飾の方の型紙を急いで作るからさ」
「分かった。切ってる間は暇だから、私もそっちを手伝おうか?」
「いや、あの二人、結構作業が早いから、ずっとついてもらった方がいいかもしれない」
大井さんも山城も、手先が器用で、作業が早かった。
こりゃ、下手すりゃ追いつかれそうだ。
「ねーねー、島風は?」
「お前は……そうだな……。店番を頼めないか?」
「えー? 私もこっちを手伝いたいー」
「頼むよ。お前にしか頼めないんだ」
そう言ってやると、島風は複雑な表情をしながら、店へと向かった。
「もう終わっちゃったんですか!? えーっと、じゃあ次は……」
おっと、俺も作業に取り掛からないとな。
装飾の型紙が出来上がった頃、大井さんと山城は黙々と皮を縫っていた。
「そっち、出来た?」
「ああ。二人の方はどうだ?」
「凄いわ。ちょっと教えただけでもうあんな感じ。今日中は難しいかもしれないけれど、予定より早く終わっちゃうかもね」
好きな人の為だと、あれだけ集中出来るって事なのだろうか。
普通は喋ったりして、気が散るもんだがな。
「そう言えば、明石さんと喧嘩したんだって?」
「ああ」
「凄く仲がいいって聞いていたけれど、そんなに大喧嘩しちゃったの?」
「別れる! って言われたほどだよ。謝ろうとも思ったけれど、あいつ、携帯を忘れていきやがった」
「ふぅん。もし本当に別れることになったら、どうするの?」
「どうするって……」
「私がここに居てあげよっか。必要でしょう?」
「そりゃありがたい話だ。でも、俺は明石と別れる気はないよ」
「明石さんはそうじゃないって言ってる」
「それでもだよ」
「ごちそうさまな話ね。まあ、気が向いたら話ちょうだい。私、案外貴方の事、気に入っているんだから」
「初耳だ」
「初めて言ったもの」
そう言うと、夕張は再び二人の作業の様子を見に戻っていった。
明石と本当に別れることになったら、か……。
そんな事にはさせないが、もし、本当にあいつが俺の事を嫌いになってしまったというのなら……。
「提督ー、お客さんたくさん連れて来たよ。買いたいからお会計してーって」
そしてこいつは本当に凄いな……。
もし明石がいなくなったら、夕張よりも島風に来てもらった方がいいんじゃないだろうか……。
「今行くよ。お客呼ぶなんて、才能あるよお前」
「そうかなー? えへへー」
それからお昼を挟み、夕方前には大井さんと山城は帰っていった。
長居すると怪しまれるから、との理由だった。
「見て、もう形になってる」
「本当だな。後は装飾部分だけか。明日には終わるな」
「とても早いわ。凄く集中していたし、やっぱり想い人がいる人は違うわね」
自分の物であれば、こんなに丁寧には作らないだろう。
やはり、誰かにあげるからこそ、手作り物は活きる。
「今日はありがとうな、夕張。本当に助かった」
「ううん。私も楽しかったし。ね、明日も来ていい? ここの所ずっと暇だし、明石さんもいないから、力にはなれると思うんだけど……」
「構わないよ。俺もそうしてくれると助かる」
「本当? 良かった。じゃあ、また明日ね」
夕張は小走りで工房を出ると、振り向いて手を振り、また小走りで去っていった。
「島風もありがとう。凄く助かったよ」
「明石さんがいない今、島風が提督の恋人だからね! 何でも言ってね!」
「フッ、心強いな」
そう言って撫でてやると、島風は何やら大きな荷物を二階へと運ぼうとしだした。
「ん? なんだよそれ」
「え? 荷物だけど……」
「荷物? 何の?」
「お泊りセット。島風は提督の恋人だから、その間はここに泊まる事にしたんだー」
「ちょっと待て。聞いてないぞ」
「言ってないもーん」
そう言うと、島風はそそくさと二階へと向かった。
何を勝手なことを……。
「両親に言いつけるぞ!」
「許可取ってあるから平気だよー!」
「俺の許可はどうなってる!? おい、島風!」
本当に許可を取っているのか確認しようと、島風の家に電話をしても、家に誰もいないのか、留守番電話になってしまう。
「おい島風、お前のご両親は?」
「仕事だよ。しばらく帰ってこないんだってさー」
「え? しばらくって?」
「うーん、一週間くらいかな」
「一週間って……その間、お前一人なのか?」
「そうだよー。ご飯とかは家政婦さんが来て、作ってくれるんだ。すぐ帰っちゃうけど」
一週間も親がいないのか……。
しかし、島風は平気そうであった。
「私の両親、凄く忙しいんだよね。こういうことはしょっちゅうだよ」
「そうなのか……」
慣れてしまっていると言う感じか……。
確かに、昔から一人でいても平気な奴だとは知っていたけれど、流石に家で一人ってのはな……。
「寂しくないのか?」
「別に。慣れっこだし」
とは言え、こう毎日工房に来るのには、やっぱり寂しいという気持ちがあったりするのだろうか。
「分かった。そう言う事なら、家に泊まっていけ」
「最初からそのつもりだし」
「あっそう……」
ま、俺も明石がいなくなって、ちょっと寂しい思いをしていたから、ちょうど良いかもしれないな。
翌日も朝から三人は訪れ、すぐに作業に取り掛かっていた。
「今日中には完成させたいのよ。彼、二日続けて私が一人で出かけたから、ちょっと怪しんでいたし」
「あ……私もです……」
「二人とも、それだけ彼とべったりって事なのかしら?」
それを聞いて、大井さんも山城も顔を赤くしていた。
本当、世の中何があるか分かったもんじゃないな。
「島風と提督だってべったりだもん」
「おい、引っ付くな」
「お泊りしているんだって? いいわね。私もしようかしら?」
「おいおい」
「冗談よ。そんなことしたら明石さんに怒られちゃうし」
「島風も怒られる?」
「島風ちゃんは大丈夫。お子様だからねー」
「何それ! なんか馬鹿にしてない!?」
明石に怒られる、か。
今じゃ、それもどうなるのか分からないな。
「…………」
お昼前になり、先に財布を完成させた大井さんは、山城が作り終えるのを茶を飲んで待っていた。
「夕張、大井さんのをプレゼント用に包んでくれないか?」
「自分で出来ないの?」
「いつも明石がやってくれるんだ。俺はこういうのは苦手でな」
「仕方ないわね」
夕張の丁寧な包み方に、島風は目をキラキラさせ、教えてくれと騒いでいた。
「半人前」
「はい、なんでしょう? お茶のおかわりですか?」
「違うわよ。そろそろお昼でしょう? 皆忙しそうだし、私たちでお弁当でも買いにいかない?」
「そんな。俺一人で行きますよ。大井さんにそんなことさせられません」
「私は自分でお弁当を決めたいの。荷物はあんたが持つのよ。勘違いしないで」
そう言う事かい……。
「分かりました。皆、何の弁当がいい?」
皆の要望をメモし、俺と大井さんは工房を後にした。
弁当屋は大井さんの行きつけがあるらしく、後をついて行くこととなった。
「そこのお弁当が美味しくてね。彼と出掛けた帰りとかに買うの。いつもは一緒に料理をするのだけれどね」
一緒に料理……。
あの大井さんが料理……。
しかも、そんな話をまあ楽しそうに……。
「あんたはどうなのよ。明石さんと暮らして」
「どう……ですか。まあ、普通に暮らしてますよ。生活は厳しいですけど、何とか……」
「ふぅん。そんなに厳しいの?」
「工房を開く時に金を使ってしまったし、店の売り上げもスズメの涙ですからね。明石の戦争の功績が無ければ、飯を食うのも大変です」
「そんなに苦しいのに、明石さんもよくやるわ。それだけあんたの事が好きって事かしら?」
「ですかね……。まあ、今回の喧嘩で見切りを付けられてしまったかもしれませんがね……ハハハ……」
「何を暢気に笑ってんのよ……。これだから半人前は……」
「すみません……。でも、時々思うんですよね……。今の生活は、あいつを不幸にさせてしまってるんじゃないかって」
「不幸?」
「金が無くて、行きたい場所にも連れていけなくて、美味いもんも食わせてやれない。おまけに喧嘩も絶えなくて……。何一つ、あいつに満足なものを与えられてないんですよね……」
混浴温泉旅行も、まだ果たせてないしな……。
それくらいの事、普通のカップルだったらすぐにでも叶えられるだろうな。
「このまま別れるってのは嫌ですけど、もし明石が今の生活に不満があると言うのなら……俺はあいつを引き留められる自信がないです……」
明石が出て行ってから、ずっと考えていた。
喧嘩が引金だっただけで、明石は現状に不満を抱えていたのではないかと。
口には出さなかっただけで、本当は――。
「もしそうなったら、それまでの関係だったって事なんでしょ」
「…………」
「でも、そうじゃないからやって来れたんじゃないの?」
そう言うと、大井さんは立ち止まって、俺の目をじっと見つめた。
「私だって、こんな性格だから、彼を傷つけてしまうし、そのことで落ち込んだりすることだってあるわ。でも、それでも私は彼と居たいし、彼も同じだって言ってくれている。たったそれだけの事で、どんな壁も乗り越えられた。だから、今もこうして居られるのよ」
話を聞かなくても、大井さんの表情が全てを物語っていた。
「あんたが明石さんを引き留めたいと思っているのなら、それに大した理由はいらない。引き留めたいっていう思いが、最大の理由になるのよ。だから、あんまり卑屈になるんじゃないわよ」
そう言うと、大井さんは今まで見せたことも無い、優しい表情で俺の肩を叩いた。
「大井さん……」
「あんたが明石さんと仲直りすることが出来たら、一人前として認めてあげる。だから、頑張りなさいよね」
「……はい!」
「……ほら、さっさと行くわよ。人気のお弁当屋なんだから、欲しいお弁当が無くなってたら、あんたをぶん殴るからね」
そう言うと、大井さんはそっぽを向いてズカズカと歩き出した。
それが大井さんの照れ隠しなんだと分かって、俺は気づかれないように小さく笑った。
結局、大井さんのお気に入りの弁当は無くて、俺は言われた通り殴られた。
「このお弁当美味しいねー」
「そうでしょう? 本当はもっと美味しい弁当があったのに、半人前のせいで……」
「別に俺のせいじゃ……」
そんな事を言っていると、夕張が俺の肩を叩いて、山城を指した。
皆が弁当を食っている中、山城だけは黙々と作業を続けていた。
「山城、お前は食わないのか?」
「はい……。これ、早く完成させたいから……」
俺は弁当を置き、山城の向かいに座った。
「大分出来てるな」
「まだまだです……」
山城のはシンプルではあるけれど、細かいパーツが多いんだよな。
「そう言えば、お前も大井さんと同じで、彼氏に感謝するためにあげるんだろう? どんな彼氏なんだ?」
山城は少し躊躇った後、零すように話し始めた。
「優しい人です……。優し過ぎて……ちょっと不安になるほどです……」
「不安?」
「私……彼に色々してもらってばかりで、自分から何かを与えたことが無いんです……。それでも、彼は私に文句は言わないし、優しい感じで色んなものを与えてくれる……。普通、そんな事は出来ないはずでしょう……? だから、どうしてなのかわからなくて……何かあるんじゃないかって……不安になるんです……」
俺が明石に対して思う事と少しばかり似ている。
不自由な生活を強いられる環境に、どうして明石がついてきてくれるのか、ということと……。
「この贈り物は……彼に感謝する気持ちもあるけれど……同時に……自分の不安を軽減しようという気持ちもあるんです……。彼の為に何かをすれば……」
「自分も彼氏と対等な関係に近づけるから……か?」
山城はゆっくりと首を縦に振った。
「これを渡したところで……彼への恩返しには足りなすぎるわ……。けど……今の私にはこれが精一杯なんです……」
そう言うと、山城は止めていた手を再び動かし始めた。
その気持ちだけで、受け取る方としては嬉しいけどな。
「…………」
あいつも、同じことを思って俺に着いてきてくれたのだろうか。
俺の気持ちを理解してくれていたから、ここまで来れたのだろうか。
今となっては確かめようがなく、バッテリーの切れた明石の携帯電話だけが、窓際にポツンと置かれていた。
「これで良し!」
完成した山城の財布を包み、全ての作業は終了した。
「ありがとう夕張さん」
「ありがとうございます……本当に……」
「いえ、私も久々にやりがいがあったし、お二人に喜んでもらえてよかったわ」
二人は夕張に感謝すると、そそくさと店を後にした。
俺への感謝は無いのか……。
「お疲れ夕張。本当に助かったよ」
「楽しかったー。私、こういう人に感謝される仕事がしたかったのよねー」
「だとしたら、うちの仕事は合ってるかもな」
「でしょ? だから、私を雇ってみない?」
「そうしたいが、うちにそんな余裕はないよ」
「知ってる。言ってみただけ」
夕張は残念そうに肩を落とした。
雇う、か。
考えたこともなかったな。
俺と明石の二人だけでやる事しか考えてなかった。
しかし、その明石も居なくなってしまったら、確かに雇う必要があるかもしれない。
そんな事にはさせないけれど……。
「提督ー、ご飯炊けたよー」
「おう、今行く」
「泊まれないし、雇ってもらえないなら、せめてご飯は食べさせてほしいなぁ」
「分かったよ。食っていけ」
「ありがとう。明日は私が何か作ってあげるから」
そう言うと、夕張は二階へと上がっていった。
明日も飯を食いに来るのか……。
夕飯を食い、夕張が帰ると言うので、途中まで送る事にした。
「悪いわね」
「いや、これくらい」
住宅街を抜けると、車通りの激しい道に出る。
街自体は明るいが、女性一人を歩かせるのは心配だ。
「明石さん、今頃何を思っているのかしらね」
「さぁな。まだ怒っているかもしれないし、気持ちが落ち着いているかもしれない」
「連絡、取りたい?」
「そりゃ取りたいさ。でも、何処に連絡すればいいのか分からんし、分かったとしても、そんな事で海軍に迷惑かけるのもな……」
「そう。ならいいんだけど」
「なんだ、知ってるのか?」
「明石さん以外にも、イベントに参加している艦娘はたくさんいるわ。その娘の連絡先は知ってる」
「そうか……」
そいつ経由なら、今の明石の様子だけでも知れるな……。
「聞いて欲しい? 明石さんの様子」
「すまん、頼めるか?」
そう言うと、夕張はムッとした表情を見せた。
「嫌よ」
「えぇ!? そこは聞いてくれる流れなんじゃないのか?」
「そう思われてるのがムカつくから嫌。私は便利屋じゃないのよ?」
本当にムカついたのか、冗談を言う口調でも、表情でもなかった。
「そうだよな。色々頼み過ぎた。悪い……」
「…………」
「……悪い」
夕張とは仲が良い方だと思ってたから、ついつい頼み過ぎてしまった。
そりゃ怒るよな。
夕張からの要望は、ほとんど叶えてやれてないし。
「……なーんてね。嘘よ嘘。何を本気にしてるのよ」
「いや……本当に悪いと思ってる。明石の件はいいよ」
「本当に?」
「あぁ」
「そう……」
静寂が続く。
変な空気にしてしまったな……。
何か話題を変えないと。
「夕張――」
「――ごめんなさい」
そう言うと、夕張は少し俺の言葉を待った後、続けた。
「ごめんなさい。何か、変な空気にしちゃって……」
「いや、俺が悪いんだ。嘘とは言え、反省するところはあったし……」
「……その事なんだけど、嘘って言うのは……嘘なの……」
「え?」
「自分でもびっくりしたんだけど、なんかムッとしちゃったのよね。空気を変えようと嘘ついたけど、却って悪くしちゃった……」
そう言うと、夕張は弱弱しく笑った。
「最近多いのよ。なんか、私の感情が勝手に言葉を、表情を作ってしまうのよ。なーんだろうねー……。モヤモヤってするの」
「お前は優しいから、無意識にストレスを抱え込んでしまってるんじゃないか? 今日の事だって、見返りの少ない事ばかり頼まれてさ……」
「そうかもね……。でも何だろう。こんなにイライラすることってなかったんだけどなー……」
明石もたまにそんな事があったな。
今回の喧嘩の時もそうだっただろうし、やっぱりフラストレーションが溜まっているのだろうな……。
「何か気分転換が必要かもな。明日も来るんだろう? ホームセンターに買い物へ行くんだが、一緒に行くか? 少しは気晴らしになると思うんだが……」
「うん、ありがとう。そうさせてもらおうかな」
大きな交差点に差し掛かった時、夕張は足を止めた。
「ここで大丈夫。ありがとう。また明日」
「ああ、また明日」
手を振りながら去る夕張を見送り、俺は島風の待つ家へと戻った。
戻ると、島風はソファーで寝落ちしていた。
「島風、そんな所で寝てると風邪ひくぞ。寝床へ行け」
「うーん……提督……抱っこしてぇ……」
「しょうがないな……」
島風を抱きかかえ、寝床へと移動させてやると、またすぐに眠りについてしまった。
「良く働いたもんな」
こんなにも頑張れるのは、やっぱり俺の気を引くためなのかな。
それに対して、俺はちゃんとした見返りというか、あまり構ってやれなかったな。
この泊まりだって、こいつが無理に来なければ、俺から提案することなんてなかっただろうし……。
「…………」
山城と同じだな。
明石、夕張、島風……俺はその三人に、満足なお返しを出来ていない。
いつだって俺は与えられる側で、与える立場に立つことは少ない。
求められても与えることが出来なかったり、求められているのに気がつかなかったり……。
「そりゃ、フラストレーションも溜まるよな。無意識に、言ってしまうよな……」
それが我慢できる大人であれば、爆発した時の衝撃はより大きいはずだ。
今回の明石のように……。
「もっと……真面目に取り合わないとな……。人の心というものに……」
棚の上に置かれたフォトフレームの中で、明石は輝く笑顔を見せていた。
「明石……」
大井さんにはああ言われたけれど、それに甘んじる自分がいる限り、この問題は終わらない。
そう、思った。
――続く