「アトリエ明石」の「提督さん」

第十話

変わらないだなんて言ったけど、本当は変わろうとしていないだけ。

足を止める自分がいる。

そんな私の手を、提督は引いてくれるけれど、それに着いてゆく資格が見つからない。

ただただ、私は止まるだけ。

いつか、貴方がどこかへ行ってしまっても、私は――。

「こんにちはー！ あれ？」

「いらっしゃい青葉さん」

「今日は明石さん一人ですか？」

「えぇ、提督も夕張ちゃんも海軍の方の仕事なので。島風ちゃんはお母さんが帰ってきてるみたいで……」

「そうでしたか。珍しいですねぇ。じゃあ今日は、明石さんと二人っきりですか。初めてですねぇ」

「そうですね。でも、いいんですか？ 提督がいないのに」

「え？」

「青葉さん、提督目当てで来てるものだと……」

「そそそ、そんなことないですよ！ 別に司令官がーとかそういう訳じゃなくてぇ……その……」

「いいんですよ。隠さなくて」

「うぅ……違うんですよぉ……」

青葉さんも提督の事、やっぱり好きなんだ。

多いなぁ……提督を好きっていう人……。

「…………」

時々思う。

私が考えてしまったように、提督も、私以外の人との生活を想像するのかなって。

こんなにも好かれてるし、私じゃなくてもいいかもって、思ったりしないのかな……。

「明石さん？」

「え？」

「大丈夫ですか？ 何か急に思い込んだような顔をしてましたけど……」

「ううん。何でもないです。そっか、青葉さんも提督の事が好きなんだー」

「だから……」

そう言うと、青葉さんは口を紡いだ。

「……あの、恋って……どんな感じですか？」

「恋？」

「はい。夕張さんにも聞いたけど、よく分からなくて……。ただ……その……司令官が言う恋の特徴というか……異性に対して思うことが……あの……その……」

「提督に当てはまる？」

青葉さんは恥ずかしそうに頷いた。

「じゃあやっぱり、提督が好きなんじゃないですか」

「そう言われると意識しちゃうけど……司令官には明石さんがいるし……」

「私がいなかったら？」

「それは……」

「青葉さん。私、今提督の彼女じゃないですよ？」

そう言うと、青葉さんは少し複雑そうな顔をした。

「それでも、司令官はきっと、明石さんを好きでい続けると思います。そういう人だから……」

やっぱりそう思いますよね……。

でも……。

「でも、私たちの関係はあれから進んでないし……。もしかしたら、私以外の人を好きになるかも……なんて……」

「明石さんはそれでいいんですか？」

「良くないけど……。私には……それを言う資格がないんです……」

「明石さん……。あの……ごめんなさい……青葉のせいで……」

「あ、そういう意味じゃ……。ああそうだ、やらなきゃいけないことがあったんだ。青葉さん、手伝ってくれませんか？」

「は、はい！」

そう……私には資格がない。

提督が他の誰かを好きになっても、何もできない。

そして……進むことができないのも……提督にそういう未来があるかもしれないと、思ってしまうから……。

その未来を奪うことは……私には出来ない……してはいけないから……。

・

・

・

「夕張、ワイヤー取ってくれ」

「はいよ」

「ありがとう」

「それ終わったら休憩しましょう。そろそろお昼だし」

「そうだな」

昼飯は夕張が弁当を作って来てくれた。

「悪いな」

「いいのよ。どう？ 美味しい？」

「ああ、美味い」

「えへへ、良かった」

「しかし、可愛らしい弁当だな。夕張はいつも握り飯だけとかじゃないか」

「アピールよアピール。私だって、女の子だってことをね」

「そんなの分かってることだけどな」

「じゃあもっと女の子として扱ってよ。何なら、抱いてもらっても構わないのよ？」

「俺には明石がいるし、そういうのは大事な人のために取っておけ」

「何を取っておくって？」

「だから……」

「私、処女じゃないけど？」

これには俺も弁当をのどに詰めらせてしまった。

「冗談よ。ちゃんと処女だから。ほら、お茶」

「んぐ……ちゃんと処女ってなんだよ……」

「うふふ。でも、本当に油断してると、私が貴方の心を奪っちゃうかもよ？ 明石さんとの仲、どうするのよ？」

「言われなくても何とかするさ。今は……ゆっくりと二人の関係を大切に考える時期だ」

「ちっとも進んでいるようには見えないけどね」

明石は言った。

「私たちも、何も変わってませんね」と。

ゆっくり考える時期だとは言ったけれど、明石も俺も、心の奥底では焦っているように感じる。

今の関係を継続することは簡単だ。

ただ、関係を崩壊させることも簡単な訳で、俺たちはこの前の事件でそれを痛いほど知った。

「止まっているのが楽なのは分かるけど、貴方を好きな人にとってそれは、とても苦しいことなのよ」

「…………」

「難しいことだろうけど、このまま悩み続けるなら、関係を終わらせることも視野に入れて考えた方がいいんじゃない？」

「それは……」

「分かってる。そんなことはしないって。でも、それだけ真剣に考えた方がいいんじゃないってこと。明石さんだって、色々考えて、貴方と居ることを選んだ。貴方もちゃんと考えないと。本当に明石さんでいいのか。何も考えないで、ただ明石さんといいるだけっていうのは……この先も何も生まれないし、関係もそのままだと思う」

「明石でならなきゃいけない理由ってことか……」

「そう。そこに答えがあると思うわ。その答えを、そのまま明石さんに伝えるの。そしたら、きっと……」

夕張は少し溜めた後、じっと俺の目を見つめた。

「……出来ることなら、そこに私の気持ちも含めて欲しい。ちゃんと、私を振って欲しい……じゃないと……貴方を諦めきれない……」

それが夕張の本音だった。

「まあ、振るんじゃなくて、私と付き合ってくれるのが一番いいんだけどね。ちゃんと考えておいてよ？ アピールとして、私はなんでもしてあげる。明石さんと出来なかったことでもいいわよ？」

「例えば？」

「そうね……。アブノーマルな趣味とかに付き合ってあげてもいいわ」

「アブノーマルな趣味……」

「あ、今エッチなこと考えたでしょう？」

「いや……そんなことは……」

「ねーねー、貴方の頭の中で、私はどんな事されちゃってるわけ？」

「いいから早く弁当食え。休憩時間終わってしまうぞ」

「はーい。後でちゃんと聞かせてね？ 想像しやすいように裸になってあげてもいいわよ？」

「夕張っ！」

「冗談だってば」

全く……。

しかし、夕張の言う通りかもしれないな。

どうして明石でなければいけないのか。

それは明石を疑っているという訳ではなく、明確に明石を愛している証拠を探さなければいけないということだ。

「…………」

考えないと出てこない事なんて……あるのだろうか……。

しかし、ぱっと言えないのも事実だった。

・

・

・

「明石さんは司令官のどういうところが好きなんですか？」

「どういうところ……」

「優しいところとか、かっこいいとか、色々あるじゃないですか」

「そうですねぇ……。なんだろう……。でも、戦争が終わって、提督と離れ離れになると思うと、悲しくて、寂しくて……」

提督と離れる……。

確かに嫌な事。

でも、だから好きって言うのは、何だかおかしいかもしれない。

ふと青葉さんの顔を見ると、口をぎゅっと紡いでいた。

何か言いたいことを、抑え込むように。

「…………」

ああ、そうか……。

わかっているんだ。

それが好きって気持ちに結びつかない事。

私は一度、提督以外の異性に心を動かされている。

提督と恋人になれなくなるかもしれないのに。

それを容認したってことは、私は提督と離れたくないだけで、提督と恋人じゃなくても良かったってこと……。

青葉さんもそれに気が付いたんだ……。

「……私、駄目ですね。提督の好きなところ……ちゃんと言えないし、理解してない……」

「明石さん……」

「これじゃあ……提督と寄りを戻すなんて……遠い話かもしれません……」

「……じゃあ、青葉が取っちゃいますよ」

「え？」

「青葉は……言えます……。司令官の好きなところ……。大好きだから……！」

その目は見たこともないほど真剣なもので、まるで私を責め立てているかのようだった

「青葉さん……」

「恋の経験も知識もないけど……ずっと一緒に居たい人で……愛してほしい人が恋人だって……思うんです……。明石さんは……ずっと一緒にいれればそれでいいってことですよね……？」

「…………」

「青葉は……」

青葉さんは顔を真っ赤にして、今にも消え入りそうな声で言った。

「青葉は……司令官ともっと一緒に……居たくて……写真撮ったり……手を繋いだり……して……みた……かったり……し……ます……」

その姿を見て、私は昔のことを思い出していた。

…

……

………

…………

「明石、貴女最近、例の便利屋さんと一緒にいるわよね」

「提督の事？」

「見習いのね」

「うん。なんか気が合うっていうか、話しやすいのよね。知識もあるし、いつも工廠にいるし」

「噂になってるわよ。できてるんじゃないかって」

「できてるって、何が？」

「付き合ってるんじゃないかってことよ」

「付き合うって……まさか。ただの仕事仲間よ」

「そう？ ならいいんだけど。彼、駆逐艦たちから人気みたいだし、他の艦娘からも評判がいいから、狙ってるなら気を付けた方がいいわよ」

「そんなんじゃないって。まあ、忠告ありがとう。大淀も、本物の提督と頑張ってね。じゃあ」

その時は、そんな気はなかったし、別に噂になろうがどうだってよかった。

ただ話の合う仕事仲間。

それだけだった。

けど、時が経つにつれて、一緒にいる時間が長くなって……。

「提督ー、仕事どうですか？」

「おう、明石。順調だ。もう少しで終わる」

「仕事が終わったら、お酒でもどうです？ いいお酒頂いたんですよ」

この頃になると、もう友達みたいな感じだった。

ご飯も一緒に食べるし、一日顔を合わせないと、何だか物足りなさすら感じていた。

「あー……悪い明石。今日はポーラと飲む予定なんだ」

「え？ ポーラさんと？」

「あいつの所の提督、酒が飲めないだってさ。だから付き合ってくれって」

「ふ、ふぅん……。私もご一緒できませんか？」

「イタ飯なんだが、あらかじめ予約が必要なんだ。二名で取ってるから……」

二名……二人っきりってこと……？

「悪いな。また今度」

「は、はい……」

「あ、いた～。お仕事終わりましたか～？」

「ポーラ。もう少しで終わるよ。っていうか、もう飲んでんのか」

「もう待ちきれませんよ～。早く～」

「分かった分かった。すぐ行くから、門の前で待っててくれないか？」

「はーい」

ポーラさんが去るのを、提督はどこか嬉しそうに見送った。

「困ったやつだ」

「…………」

その時から、私の心に何か靄のようなものができた。

提督が誰かと楽しそうに――特に異性と接しているとき、心がモヤモヤする。

一日会わないと、物足りないどころか、気分が沈むようだった。

よく分からない涙すら流れて来た。

それが恋だって、理解するのに時間はかからなかった。

けど、今と同じように、私は何も出来なくて――。

「そんなに離れるのが寂しいなら、一緒に暮らすか？」

だから、終戦後にそう言われて、私は飛び上がるかと思うくらい嬉しかった。

今思えば、私は昔から何も変わってはいない。

ただ提督の言葉を待ってただけで、何も――。

…………

………

……

…

「…………」

今も同じ。

あの時のように、提督が私と一緒に居ようとしてくれることを待ってる。

「明石さんがもし……司令官とこれ以上進まないなら……」

「――私は……提督が好きです……」

「なら……」

「でも……言えるはずがないです……。私だけを愛してだなんて……。だって私は……提督の気持ちを裏切ってしまったから……」

「……明石さんの中の司令官は……やっぱり何も変わってませんね……」

「え……？」

「司令官は……明石さんが裏切ろうが……青葉が酷いことをしようが……全部受け入れてくれました……。それにつけこんじゃいけないって分かってます……。でも……それでも……司令官は明石さんを好きでいます……。明石さんがそうしているように……司令官も待ってるんじゃないですか……？」

「……！」

「あの人は……明石さんが裏切ったとか……そういうことは気にしない人です。だから貴女と居ることを望み、今もいるんです。そして……どうしたら明石さんの手を引いていけるか……今も考えているんだと思います……」

それはつまり――やっぱり――。

「あとは……明石さんが司令官を信じて……着いていくだけじゃないんですか……？」

そういうこと……。

「…………」

「……ごめんなさい。原因は青葉なのに……偉そうなこと言ってしまいまして……」

「いえ……ありがとうございます。私も……提督を信じ切れてませんでした……。青葉さんの言う通りです……」

「明石さん……」

そうよね……。

提督は……待ってくれてるんですものね……。

私の気持ちを……ちゃんと伝えないといけないよね……。

「私は怖いだけだったのかもしれません……。自分の気持ちを……提督は受け入れてくれないって……。自分のしたことを責められたら……提督と居られないって……」

「…………」

「私は提督を信じます……。もしそれが受け入れられなくても……覚悟します……。それだけ……自分が提督にしたことは……」

ここで決めないといけない。

提督はきっと……受け入れてくれるだろう。

けど、そうじゃなかったとしても……提督と離れることになろうとも……迷いはない……。

離れるくらいの事をしてしまった私に、提督と居る資格は最初からなかった。

それを提督は与えてくれただけ。

つけこんだだけ。

もう、それはおしまいにしよう。

・

・

・

昼休憩も終わり、仕事を再開させた。

「…………」

俺は明石の好きなところを考えていた。

出そうと思えばいくらでも出てくる。

だが、真の意味で、明石と一緒になる道を選ぶきっかけとは、必ずしも結びつかなかった。

「もしもーし」

「ん？」

「パイレン取ってーって、さっきから言ってるんだけどー？」

「ああ、すまない」

「色々考えることがあるのは分かるけど、今は仕事中なんだからね？」

「悪い……」

そうだな。

今は仕事に集中しなければ。

考えるときは、考えるだけの時間を設けた方がいいだろう。

「次、あっちやるわよ」

「おう」

仕事も終わり、宿舎へと戻った。

海軍の仕事は、大体夜中まで行って、翌日の朝に帰されることが多い。

「ふぅ……」

寝転がり、再び明石の事を考えた。

出会った頃の事。

明石と過ごした日々。

明石が恋をしていると確信した時の事。

一緒に住もうと話した事……。

他の思い出も時々混ざっては来たけれど、やはり中心には必ず明石の存在があった。

「ずっと一緒だったな……」

飯を食う時も、仕事をしている時も、酒を飲んだり、休みの時ですら。

居ないと、何か物足りなさを感じたこともある。

今も同じだ。

「…………」

だから好き……というのも何かおかしいよな。

恋とか愛とかってのは、それとは別のもののように感じるし。

一緒にいるだけなら、仕事仲間なだけでいい。

一緒にいるってのは、恋とか愛の前では、当たり前の事なのだろうから。

「俺は……本当に明石を愛しているのだろうか……。愛せているのだろうか……」

その時、部屋がノックされ、返事も待たずに夕張が入ってきた。

「遊びに来たわ」

「返事を待て」

「別にいいじゃない。それとも、何かやましいことでもしてた？」

「明石の事を考えていただけだ」

「そう」

夕張は隣に座ると、テレビを見始めた。

「どう？ 何か分かった？」

「何も分からないよ。俺は明石と、これからも一緒に居たいと思ってる。けど、それは恋や愛とは違う気がするんだ」

「それで？」

「それだけだ。それだけ気が付いた」

「明石さんに恋してないってこと？ 愛してないってこと？」

「どうなんだろうな。好きって気持ちが、よく分からなくなってきた」

「でも、キスしたり、エッチなことしたいって思うでしょ？ それって、恋とか愛なんじゃないの？」

「…………」

「不純だって言いたいの？」

「いや……まぁ……」

「恋も愛も、そういう不純なところから生まれると思うんだけどな。貴方の言う恋や愛は、純粋すぎるのよ」

「じゃあ、お前も明石も、俺がキスやエッチなことをしたいからお前を選んだって言われてうれしいか？」

「それは……人によるだろうけど……少なくとも、私だけってことであったらうれしい……かな……」

「そういうもんかな……」

「まあ……言いたいことは分かるけど、とにかく、明石さんだけ……明石さんじゃなきゃいけないってことを探さないと」

一緒にいるのが明石じゃないといけないってことは分かる。

だが、それだけで納得できるものだろうか。

「ねぇ、不純な事は明石さんとだけじゃなくてもいいと思ってる？」

「え？」

「そう思ってるから、認められないんじゃない？」

「そういう訳じゃないが……」

「じゃあ……試してみる……？」

そう言うと、夕張は近づいた。

「お、おい……」

「ねぇ……明石さんって……本当に――提督と何もなかったのかな……？」

「え……？」

「本当は……こういうことも許してしまったんじゃないの……？ だからあんなに動揺してしまった……」

「何を言って……」

「資格が無いっていうのは……そういうことなんじゃないかしら……」

「……！」

「不純な事をしたとしても……恋や愛とは関係ない……。そう思った……。だから行為に及んだ……。そして……貴方の元に戻った……」

「…………」

「一緒にいるだけでいいのなら……私と貴方がこうしても……何も問題ないでしょ……？」

「夕張……」

「私を抱いて……。貴方がそうであるように……私も……貴方に抱かれればそれでいいわ……。それが……私にとっての愛の形だから……」

夕張が迫る。

息遣いが聞こえるほどに。

「初めてだから……優しく……ね……？」

夕張の言うそれが、夕張にとっての愛の形であるのならば……俺は……俺の答えは……。

・

・

・

青葉さんが帰って、私は一人になった。

静かな店は、いつもよりも寂しく感じて、まるでこのまま永遠に独りぼっちなんじゃないかって思うほどであった。

「提督……」

気が付けば、そう呟いていた。

心がモヤモヤする。

あの頃と同じように。

これが恋……。

これが恋ならば……私の答えはただ一つ……。

あとは、それをはっきりと伝えるだけ。

「…………」

時計が大きな音を立てて時を知らせた。

私はそれを聞いて、何故かはわからないけど、とても不安になった。

そう……まるで終わりを告げるような――そんな気がした。

――続く