最初に出会ったのは、阿鼻叫喚の中でだった。
「修理が追い付かない……!」
練習艦の元で海に出ていた駆逐艦達が、敵に襲われて大破帰還。
現場は騒然としていた。
「クソ……ここの整備班は使い物にならないし……」
まだ提督の卵だった俺は、得意であった修理の腕を買われ、緊急で現場に派遣されていた。
「遅くなりました!」
声の方を見ると、若い女が立っていた。
それが明石だった。
「お前が明石か。どこまで出来る」
「小破なら確実に……中破以上は、応急処置程度にはなんとか……」
「十分だ。こっちを見てくれ。俺はあっちを見る」
「分かりました!」
その後の事はよく覚えていないが、気が付くと、俺と明石は疲れ果て、現場で肩を並べて眠っていた。
「まーた一人でやってる。好きですねぇ提督」
事件以来、俺と明石は仲良くなり、こうして工廠で顔を合わせる事が多くなった。
「まだ提督じゃないんだから、その呼び方は止めてくれ」
「でも、いつか提督になるんでしょう? 呼ばれ慣れといた方がいいですよ」
俺が提督を目指していると知ると、明石は面白がって俺をそう呼んだ。
「なに作ってるんです?」
「艤装の調整だよ。最近多いんだよ、これ。なんせ、間宮の新メニューが美味いらしくてさ」
「ははーん。お腹が出てくるって事でしょう?」
「そうだ。艤装も女の体もデリケートだからな」
「確かに。というか、なんで提督がやってるんですか?」
「俺が暇だからだろ。まあ、断る理由もないしな」
「未来の提督を扱き使うとは、ここの艦娘も中々の大物揃いですね」
「言えてる」
「じゃあ、そんな提督に、今の内から媚を売っておこうかな」
そう言うと、明石は調整を手伝い始めた。
「いつか提督が提督になったら、私を贔屓してくださいよ」
「考えておくよ」
だが結局、俺が提督になることは無く、戦争は終わった。
「これからどうするんだ?」
「そうですねぇ……。工房でも作って、小さなお店でも開こうかな……。提督は?」
「ここでの経験を活かせるような仕事がないか、海軍に聞いてみる事にするさ。まあ、何かしらあるだろ」
「そっか……」
平和になった海を眺めながら、明石は小さく零した。
「提督とも……これでお別れなんですね……」
「何も今生の別れじゃあるまいし、そんな顔すんなよ」
「そうですけど……。あーあ……なーんだろ、この気持ち……」
初めて会った日から今までの事を思い出すかのように、遠くを見つめる明石。
「色々あったなぁ……。喧嘩もしたし……本当……」
その震える声に、俺はいつものように揶揄いをいれた。
「なんだよ、泣いてんのか? そんなに俺と離れるのが寂しいのかよ?」
「……寂しいですよ」
明石は珍しく、そう言った。
そして、涙でいっぱいになった目で、俺を見つめた。
「フッ……本当に泣きそうじゃんか」
「まだ泣いてません……」
水平線で、夕日が沈もうとしていた。
「そんなに離れるのが寂しいなら、一緒に暮らすか?」
「え……?」
「お前さえよければ、だけどな。どうだ?」
明石の横顔を、夕日が照らした。
ほんのりと赤く染まった顔は、驚きの表情をしていた。
「……本気ですか?」
「本気だよ」
「一緒に暮らすって事は……そういう仲になるって事なんですよ?」
「知ってる。だから聞いてるんだ。どうだ、ってな」
一瞬の沈黙の後、明石は涙を拭いて答えた。
「……提督は、器用なのか不器用なのか、時々分かりません」
「俺もそう思う」
「……いいんですね?」
「じゃあ止めとくか?」
そう言ってやると、大きく首を横に振った。
「お前が好きだ、明石。一緒に暮らそう」
「……はい」
あれから二年、俺たちは――。
「ほら、パンク修理終わったぞ」
「あ、ありがとうございました!」
「おう」
暁は元気よく自転車に飛び乗ると、ヨロヨロ運転で去っていった。
「今日はパンク修理が一件だけか……」
今年に入りやっとの事で開いたこの工房には、一日数人の客と、遊びに来る駆逐艦達しか訪れなかった。
店の方では小物などを販売しているが、そっちもめっきりだ。
まあ、まだ始めたばかりだしな……。
「さて……」
「提督ー!」
声の方を見ると、明石がたくさんの買い物袋をぶら下げて跳ねていた。
「おう、お帰り。随分買ったな」
「全部貰いものですよ! ほら、この前、ロッキングチェア作ってあげたおばあちゃんいるじゃないですか。あの人がお礼にって! 野菜をたくさん!」
「こりゃ助かるな」
「これでしばらくはカップ麺とはおさらばですよ。えへへ、久しぶりに腕を振るっちゃいますよ!」
「そりゃ楽しみだ」
そう言うと、明石は嬉しそうに階段を上がっていった。
工房二階の小さなスペースが、俺たちの生活の場だ。
その日の夕食はカレーだった。
「どうです? 明石特製のカレーの味は?」
「美味いよ。ここんとこ、手料理なんて食ってなかったしな」
「本当はお肉をいれたかったんですけどね……」
工房を建てたこともあって、生活は苦しいものとなっていた。
今は、海軍から来る修理依頼と明石の戦争での功績で飯を食っているようなもので、工房での利益はスズメの涙ほどであった。
「今度、大きな仕事が来そうなんだ。そしたら、肉でもなんでも入れてやれるぞ」
「本当ですか?」
「ああ。その仕事が終わったら、旅行しないか? ほら、ここんとこずっと、どこにも行けてなかっただろ」
「旅行! いいですね! 私、温泉に浸かりたいです! ずっとシャワーだし……」
設計の関係で、ここにはシャワーしか設置できなかった。
「提督と肩を並べて温泉……はぁ……行きたいなぁ……」
「そうだな……。よし、じゃあ、温泉ありきの旅行をしよう」
「やったー! えへへ、楽しみー」
旅行もそうだが、最近は二人っきりでゆったりとした時間を過ごせてなかったな。
お互いに忙しいのもあるが、たまには一緒に居る日を優先して仕事を回さないと……。
その夜。
明石の温泉への意欲が強すぎて、それを抑えるために銭湯へと向かうことにした。
「ごめんなさい。どうしても行きたくなっちゃって……」
「いや、これくらいはいいだろう。食費も幾分か浮いたしな」
街に一つしかない銭湯には、ほとんど客が居らず、男女ともに貸し切り状態になる事もあった。
「じゃあ提督、誰も居なかったら桶を二回叩いてくださいね」
「ああ、分かった」
俺たちはいつも、貸し切り状態の時にそういったサインを出す事にしている。
声を張って会話をするためだ。
せめて混浴気分を味わいたい明石の工夫だった。
男湯の方は貸し切りだった。
サインを出してやる。
「こっちもですよ、提督!」
「ハハハ、貸し切り率が高いな」
「本当ですね!」
それから何度か会話をしていたが、女性側から扉の開く音が聞こえたっきり、明石の声がしなくなった。
誰か入って来たんだろうな。
そういう時は、女湯側壁沿いの湯船に浸かる。
そこには、湯を通す為なのか、10cmかそこらほどの穴が開いており、明石と俺はその穴を通して手を取ることにしている。
「ん……」
指でトントンと突く合図は、そろそろ出ようと言うものだ。
「お待たせしましたー」
「疲れは取れたか?」
「もうばっちりです! ありがとう提督」
そう言うと、しっとりとした手で俺の手を握った。
「今日は人来ちゃいましたね。もうちょっと入っていたかったんだけどなぁ……」
「なに、次は混浴でゆっくりと過ごせるんだ。贅沢は言えないさ」
「そうですけどー」
街は静かで、俺たちの声だけが響いていた。
「なんだか、あの日の事を思い出しますね」
「あの日?」
「忘れちゃたんですか? ほら、二年前です! 私たちが二人で暮らした初日の事ですよ! ガスの手続きが出来てなくて、お風呂が使えなくて……」
「ああ、初めて銭湯に行った時か」
「もう……」
「すまんすまん。そうか、あれからちょうど二年くらいか」
まだ関係も初々しくて、何をするにも明石が赤面していたことを思い出す。
「あれから色々あったけど、こうして工房も開けたし、提督とも一緒に居られて、幸せだなぁ」
「貧乏なのにか?」
「確かに生活は苦しいけど、それでも、こうして一緒に居られるなら、屁でもないですよ」
「明石……」
切れかかった水銀灯の前で、明石は足を止めた。
「ね、提督……」
「ん?」
明石は目を瞑り、俺を待った。
「ここでか?」
「早く、湯冷めしちゃいますよ?」
「関係ないだろ」
そっと口づけをしてやると、明石は恥ずかしそうに笑った。
翌日。
いつものように暇をしていると、大和が訪ねてきた。
「こんにちは」
「大和。久しぶりだな。開店以来か?」
「はい。しばらく顔を出せてなかったので……。明石さんは?」
「工房の掃除してるよ。行ってやってくれ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
大和とは交流が深い。
戦時中に整備が一番多かったのは、意外にも大和であったのもあるし、明石とも仲が良かった。
戦後、お互いに住んでいる所が近かったのもあり、今もこうして交流があるのだ。
「提督ー! お茶ー」
「おーう!」
【工房に居ます】という看板を表に出し、店を後にした。
「この椅子と机、お二人が作ったんですか?」
「ああ、そうだ」
「椅子は私で、机は提督。提督のはちょっと作りがねー」
「お前の椅子だって、ほら、ここの曲線が甘いじゃないか」
「そんな事言ったら――」
「お二人とも、相変わらず仲がいいんですね」
そう言うと、大和はクスクスと笑った。
「そう言えば、お前は今どうしてるんだ? 寮に入って、まだそこにいるのか?」
「えぇ、色々ありまして……」
「色々?」
話によると、寮の管理人に恋をして、今は大和も管理人として活躍しているらしい。
「恋人が出来たんですか?」
「うーん……恋人……ではないんですよね……」
どうやら複雑な事情があるらしく、大和は多くを語らなかった。
「でも、とても幸せに暮らしています。鈴蘭寮が大好きだし、何よりも、あの人と居れるだけで……なんて」
俺は横目で明石を見た。
それに気が付いて、顔を真っ赤にしていた。
「今日はお二人にお願いがあって来たんです」
「おう、何でも言ってみろ」
「実は今度、寮に駆逐艦が入って来ることになりまして、勉強机を作ってほしいんです」
「へぇ、誰です?」
「皐月ちゃんです。ご両親が転勤で引っ越さなくちゃいけないみたいで……。でも、転校させるのは可哀想だからって……」
「皐月ちゃんですか。よくここに遊びに来ますよ。そっか……あの子が……」
「どうでしょう? もちろん、お金はお支払いしますよ。海軍からも許可は得ています」
大和と明石はじっと俺を見た。
そんなの決まっている。
「やらせてくれ。部屋の下見は出来るか?」
「今日なら大丈夫ですよ。皆、イベントに出てますから」
「行きましょう、提督!」
「そうだな」
「でも、お店は大丈夫ですか?」
「今日も客なんて来ないだろ」
「そんな適当な……」
店を閉め、俺たちは鈴蘭寮へと向かった。
「このお部屋です」
そこは、1Kの小さな部屋だった。
「中々に狭いな。ほかの部屋もこんな感じなのか?」
「はい。まあ、ここで過ごすことは少ないですよ。みんな、食堂か管理人室でワイワイやってます」
「食堂はともかく、管理人室でワイワイってのは……」
「えぇ、提……あの人も困っているみたいです。仕事が出来ないって」
管理人ってのも大変だな。
駆逐艦が増えるならなおさら……。
「明石、部屋の寸法を測ってくれ。後、玄関扉も」
「了解!」
明石はスケールで部屋の隅々まで測り、簡単な図面を引いた。
「この広さだと、部屋の中で組み立てるしかないな……」
「そうですね……。窓から入れる訳にもいかないし……」
「将来的には、駆逐艦がたくさん入る事も考えています。その時は、もっと机を置きたいんです」
「なるほどな……」
そうなると、将来的に大量に作らなきゃいけない訳か……。
「でも、駆逐艦だけじゃないんですよね? 入って来る艦娘は……」
「えぇ、そうなんです。だから、駆逐艦が入った時は組み立てて、出ていったら解体して……と言う感じにしたいんです」
「なるほどな……」
「出来ますか?」
「もちろん大丈夫ですよ! ね、提督!」
「そうだな。やってみよう」
「ありがとうございます」
「よし、早速帰って設計だ!」
「おー!」
鈴蘭寮の下見から数日。
イメージが固まり、何とか設計図面が出来た頃、皐月と大和が工房へ遊びに来た。
「おう」
「こんにちは」
「こんにちは! ボクの勉強机を作ってるんだって!?」
「こんにちは皐月ちゃん。まだ図面の段階だけどね」
「見せて見せてー!」
「見ても分からないと思うけどなー」
明石が図面を見せると、皐月は目を点にしていた。
まあ、そうだよな。
「こんな感じだよ」
スケッチブックに、簡単に絵を描いてやる。
「わぁ! かわいいね!」
「お上手ですね」
「提督、絵だけは上手だからなぁ」
「だけは余計だ」
絵を気に入ったのか、皐月はそれをじっと見つめていた。
「お前、鈴蘭寮に引っ越すんだろ? 親がいなくて大丈夫か?」
「大丈夫! みんなもいるしね!」
「そうか」
「鹿島先生もいるから、勉強を教えてもらうんだ! みんなでワイワイ勉強が出来たらいいなー!」
「皆でワイワイするものじゃないだろ」
「一人でやるのは寂しいよ。ボク、お家でもリビングで勉強するし」
「そう言えば、テレビでもやってましたよ。一人で勉強させるより、リビングでやらせるほうが勉強の効率が上がるとかなんとか」
「そうなのか」
皐月は手に持って絵を見ていたが、何かに気が付いたのか、そっと置いた。
「どうした? 気に入らない所でもあったか?」
「あ……ううん……。大和さん、この机、お部屋に置くんだよね……」
「えぇ、そうよ」
「あのお部屋、ちょっと狭いんだよね……。みんなでお勉強は無理かなって……」
そう言うと、皐月は少し寂しそうな顔をした。
「お勉強が終わったら、皆で遊べるわ」
そう言われても、皐月の表情は曇ったままだった。
「…………」
その夜、俺は工房で一人、図面を眺めていた。
『みんなでワイワイ勉強できたらいいなー!』
『将来的には、駆逐艦がたくさん入る事も考えています。その時は、もっと机を置きたいんです』
「みんなでワイワイ……か……」
考えていると、頬に冷たい何かが当たった。
「うお!?」
振り向くと、明石が立っていた。
「そんなに考え込んでると、ゆでだこになっちゃいますよ」
その手には二本の缶コーヒーが握られている。
「どうぞ」
「ありがとう」
コーヒーを飲み、一息つく。
「皐月ちゃんの事、考えてました?」
「ああ……」
図面を眺める。
綺麗な曲線は一発で書いたのか、書き直しの跡は無かった。
「どんなに作り手が良作だと思っていても、手にした人が嫌な顔をしたら、それは駄作になる。提督、よく言ってましたよね」
皐月のあの顔が頭に浮かんだ。
「あいつが欲しいのは……本当にこれなのかな……」
そう零したとき、明石は図面を畳みだした。
俺は怒らせてしまったものだと思い、頭を下げた。
「スマン! そういう意味じゃないんだ!」
「そうじゃなくて!」
明石は別の図面を広げた。
「これは……」
それは、鈴蘭寮の平面図だった。
「大和さんからコピーを貰っておいたんです」
一階のフロア図面には、食堂なども入っていた。
「最初から考えましょう」
「え?」
「私たちは、皐月ちゃんの気持ちを知らなかった。そして、あの部屋に作る事だけを考えていました。前提条件にとらわれ過ぎたんです」
そう言うと、明石はニッと笑った。
「皐月ちゃんの気持ちを前提に考えましょう」
「皐月の気持ち……か……」
もう一度、平面図を見る。
「……そうか!」
「気づきました?」
「ああ! よし、もう一度だ。原案を作るぞ!」
「はい!」
俺たちは時間も忘れ、原案作りに没頭した。
気がつけば、空も明るくなり始め、出来上がる頃には、俺も明石もヘトヘトであった。
その日の内に、再度鈴蘭寮を訪れた。
「なるほど……」
原案を見て、大和は難しい顔をした。
「最初のオーダーとは違うが……」
「皐月ちゃんの気持ちを大事にしたいんです!」
それでもなお、大和は難しい顔をした。
駄目か……。
「……余計だったか?」
「いえ、そうじゃなくて……」
大和の目が、交互に俺たちを見る。
「お二人とも、一晩でこれを?」
「え? あぁそうだ」
「まさか、徹夜したんじゃないですか?」
「しましたけど……それがなにか……?」
それを聞いて、大和はムッとした顔をした。
「それが……じゃないです! 徹夜はいけません! それに、ちゃんとご飯を食べたんですか!?」
「た、食べましたよ!」
「ちなみに何を?」
「……パンです。パン一枚……」
「もう!」
大和は怒りながら、食堂の冷蔵庫から色々と取り出し、レンジで加熱し始めた。
「残り物ですけど、パンよりはマシでしょう。今温めてますから……」
「いや……別に俺たちは……」
「駄目です! 全く……。皐月ちゃんを思う気持ちは立派ですが、ご自身の事も大切にしてくださいね?」
「すまん……」
「ごめんなさい……」
俺たちの事なのにな……。
二人、肩を並べて小さくなった。
「…………」
大和は再び原案を眺めた。
「……どうだ?」
「素晴らしいです……」
「じゃあ、どうしてそんな苦い顔をしてるんですか……? 怒ってるからですか……?」
「それもあります。けど……」
「けど……?」
「こんな素敵な案……大和が思いつきたかったです……。大和はここの管理人なのに……どうして初めて来たお二人がこんなに……しかも一晩で……」
それを聞いて、俺も明石も、悪いとは思ったけど、つい笑ってしまった。
そこに、ここの管理人も合流し、原案を絶賛したことによって、大和はさらに気を悪くしてしまった。
あれから数日。
何とか皐月の入居日に、原案通り仕上げることが出来た。
「お疲れ様です。間に合って良かったです」
「ああ……ギリギリになって済まない……。明石が妥協を許さなくてさ」
「妥協しなかったのは提督ですよ! 私は、ここの作業をもっと楽にですね!?」
「だから、そこの作業はさ」
「あー……お二人とも、その辺で……」
そこに、鹿島がやってきた。
「大和さん、皐月ちゃんきましたよ」
「今行きます。では、お二人はここで待っていてください」
「ああ、分かった」
皐月を歓迎しているのか、庭の方で艦娘達の声が聞こえる。
「いよいよですね、提督」
「喜んでくれるかな」
「鈴蘭寮の皆には絶賛でしたから、大丈夫ですよ」
「だといいがな」
戦時中も、戦後も、この時が一番緊張する。
もし嫌な顔をされたら……違うと言われたら……そんな事ばかりが頭を過ぎる。
「あ、まーた不安になってるでしょう?」
「そりゃな」
「提督っていつもそうですよね。大丈夫ですって。だって、私と提督が作ったものですよ? 最高なものに決まってます!」
そう言うと、明石はニッと笑った。
最高に決まってる、か……。
「ね」
「フッ……そうだな。俺たちが作ったものだもんな」
「大和さんには内緒だけど、徹夜も何度かしましたしね」
「確かに」
そんな事を言っている内に、廊下の方からワイワイ声が聞こえてきた。
「来たな……」
明石がギュッと手を握る。
「大丈夫……」
その表情は、少し強張っていた。
そうか……。
本当はお前も不安だったんだな。
「ああ、大丈夫だ」
段々と声がはっきりと聞こえてくる。
「食堂に何かあるの?」
「えぇ、とっても素敵なものが」
それを聞いて、明石は小さな声で零した。
「大和さん……あまりハードルあげないでー……」
それに思わず笑ってしまった。
「あれ?」
先に顔を出したのは、皐月だった。
「明石達も来てたんだ! 机届けに来たの?」
「まあ、そんな所かな?」
「ん……? あれ?」
皐月はそれに気が付いたのか、俺たちの後ろを覗きこんだ。
「前来た時、こんなスペースあったっけ?」
30cmほど底上げされた4畳のスペース。
近くにはボックスの連なる棚があり、壁には小さな黒板が掛けられている。
「ここって……もしかして……」
「うん。ここは勉強するスペースだよ。この前見せた勉強机は無しになっちゃうけど……こっちの方がいいかなって思って……こっちを……作った……の……」
明石の声のトーンが、段々と落ちていった。
皐月の表情が、固まったままだったからだ。
「あー……あの机の方が……良かった……かな……?」
まさか、不安が的中したか……。
「皐月ちゃん……?」
「……ごい」
「え?」
「すごい! すごいよ! これ、本当に明石達が作ったの!?」
「え、えぇ……そうよ」
「あはは! すごいや! 職人技ってやつだね!」
そう言うと、皐月はそのスペースへと上がった。
「黒板もある! 畳だし、まるで茶道室みたい!」
はしゃぐ皐月を見て、俺たちは胸を撫で下ろした。
「なんとか喜んでくれているみたいで良かったです……」
「ああ、本当だな……」
あの日、俺たちは鈴蘭寮の平面図を見て、食堂に無駄なスペースが多いことに気が付いた。
鈴蘭寮の入居できる最大の人数で考えても、これだけの広さは必要ないはずだった。
…………「ここに勉強スペースを作るんです。底上げして、畳を敷けば、スペースになるはずです」
…………「なるほどな。各部屋を弄る必要もなくなるわけだ」
…………「それに、なにも勉強だけじゃなくて、普通のくつろぎスペースとしても使えますから、管理人室のワイワイも消えるでしょう。悩みだと言ってましたし」
…………「一石何鳥にでもなるな。よし、じゃあ形にしていくか」
黒板や棚の設置は、鈴蘭寮のみんなで考えたものだ。
「これならみんなでワイワイやりながら勉強できるね! ボクの気持ちを考えて作ってくれたんだ。ありがとう、二人とも! みんなも!」
そう言うと、皐月はニコッと笑った。
鈴蘭寮からの帰り道は、足取りが軽かった。
「皐月ちゃん、喜んでくれてるみたいで良かったですね」
「ああ、そうだな」
大和から続々と写真が送られてくる。
皐月が皆と勉強している写真や、鈴谷達が畳の上ではしゃいでいる写真など、皆それぞれに活用できているようであった。
「予算……ちょっとオーバーしてしまったな……。温泉旅行も……少し遠のいてしまったな……」
「そうですね……」
明石は少し残念そうな顔をしたが、すぐに立ち直った。
「でも、あの笑顔には変えられませんよ。温泉旅行はいつか行けるものだけど、あの子の笑顔は、あの瞬間にしかないから」
「明石……」
「それに、楽しかったんです。提督とずっと一緒に、一緒の事考えて、一緒のもの作って……。最近、そう言う事、出来てなかったから」
そう言うと、明石はそっと手を握り、寄り添った。
「だから、幸せです。えへへ」
一緒に居れるだけで幸せ……。
確かにそうだな。
けど、そんな小さな幸せを大事にしなきゃいけないほど、俺は明石と一緒に居れてなかったのだろうな。
「提督?」
「ひもじい思いをさせてすまない……。俺、もっと頑張るよ。温泉旅行、絶対に行こうな」
「……あまり無理はしないでくださいよ?」
「ああ、分かってる」
そう言って、そっと口づけをした。
それからというもの、鈴蘭寮の艦娘達が店に遊びに来るようになった。
「へぇ、こういう小物も可愛いわねー」
「見てみて! これもかわいいよ!」
その光景が珍しかったのか、他の客も店を覗きに来たり、物を買っていったりした。
「予算オーバーとは言ったが、結果的にプラスになりそうだな」
「本当ですね」
まだ生活できるレベルでもないし、苦しいのは変わりないけれど、こうして一緒に過ごす時間は確実に増えている。
「明石さーん! 暁の自転車のチェーン切れちゃったー」
「ふぇぇ……」
「はーい! ちょっと行ってきますね」
「おう」
明石も楽しそうに仕事をしているし、やっぱりこっちがもっと潤ってくれれば、色々と助かるんだけどな……。
「まあ、もっと先の話だな……」
そんな事をぼやいていると、明石と半べそになった暁が工房から顔を出した。
「提督ー! 油どこでしたっけー?」
「こっちにあるよ。今持ってく」
今は、小さなことをコツコツやっていこう。
いずれはあいつと二人で、高級肉の入ったカレーを食いながら、温泉に浸かってやるんだ。
「なんてな」
俺は【工房に居ます】という看板をカウンターに置いて、明石の元へと向かった。
――続く