青空の花嫁   作:スカイリィ

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第六話 あなたと共に

「せんぱい、せんぱい……!」

 

 隣のマシュが、今にも泣きそうな声で立香を呼ぶ。

 

「ちょっと待ってて、今降りるから」

 

 すると立香はひらりとジャンプして、なんと庭に向けて飛び降りたではないか。

 

 三階に近い高さから飛び降りた息子に私は小さく悲鳴を上げたのだけれど、それは全くの杞憂に終わった。

 

 立香は着地と同時に身体を捻りながら倒れこみ、落下の衝撃を身体の各所に分散させるような動きで地面を転がってみせた。

 それから起き上がって、ニッコリと笑顔を向けてくる。

 

「せんぱい!」

 

 今度は隣のマシュがベランダの手すりに脚をかけて空中に身を躍らせた。彼女もまた立香と同じように衝撃を殺して無傷で着地してのけた。

 

 その光景を私は呆然としてしまう。なんだ、あれ。

 

 あの動き自体は見たことがある。確かテレビで、自衛隊の話だったと思う。空挺部隊がパラシュート降下する際、着地の衝撃を和らげるための方法だ。五点着地法とかいうやつだ。

 

 それにしたって自分の息子とその恋人がそんな動作を習得しているのはどう考えてもおかしい。この子たちはいつから空挺部隊に入ったんだ。本当になんなんだカルデアって。それとも私がおかしいのか?

 

 何はともあれ、立香が帰ってきたのだから出迎えるのが筋というものだ。私はフォウを抱き抱えて部屋の中に戻り、そのまま玄関へと向かった。

 

 玄関を抜けると、そこは濃厚なラブシーンだった。

 

 二人は互いに強く抱き合い、貪るような口付けを交わしあっている最中だった。さすがに気まずくなって、フォウ共々私はその光景に背を向けた。

 

 仲直りも何もあったものじゃない。最初からラブラブじゃないかこの二人は。私は小さくため息をついた。このバカップルめ。

 

 

「ふむん。また濃厚な光景であることよ。余も妻との逢瀬を思い出す」

 

 聞きなれぬ声に顔を向けてみると、そこには褐色の肌をした男性が立っていた。エミヤ氏ではない。中東や地中海風の外国人だ。

 

 身体のあちこちに金の装飾が施されてはいるがその実かなり軽装で、上半身などは白いマントで覆われている程度だ。その堂々とした佇まいは畏怖すら感じ取れる。

 

 男性もまたこちらを見てきたので、私はその太陽色の瞳と目を合わせた。エミヤ氏や清姫と同じく、どことなく浮世離れしている存在感だ。

 

「あなた、もしかして、サーヴァント?」

「いかにも。魔術の素養もなしに良くぞ気がついたな。貴様はマスターの母親か?」

「ええ、私は立香の母です。──だって、なんとなく浮世離れしているんですもの、あなた」

 

 ほう、貴様が。といった感じで頭の先から爪先までその瞳で見つめられる。不躾というわけではない。この人にはどことなく王者の気風がある。

 

「その賢さに免じて名乗ろう。我が名はオジマンディアス。王の中の王だ。此度はライダー(騎乗兵)のサーヴァントとして現界した」

「……ごめんなさい。私、日本史と中国史はともかく、世界史には詳しくないの」

 

 きっとこの人は有名な王様なんだろうけれど、私はその名前に聞き覚えがなかった。世界史は専門外なのだ。

 しかし正直に知らないことを伝えると、彼はニヤリと笑ってみせた。

 

「良いぞ、赦す。自らの無知を知り、それを正直に述べる賢き者は余の好むところだ。無知を隠し通す愚か者より遥かに信頼できる」

「それは、どうも」

 

 尊大に見えて器は大きいようだ。不敬者として怒りを買うことは無かった。

 彼は顎に手をやって思い出すように口を開く。

 

「そうだな、この極東の地においては……ラムセス2世の名がより知られているだろう」

「あ、聞いたことある。古代エジプトの王様ね」

「ファラオである。万物万象は我が手中にあるがゆえに」

「ファラオ?」

「そう、ファラオだ」

 

 ファラオという言葉は何となく知っている。古代エジプトの王たちは皆それを名乗った。王であり、神であることを示す呼び名だ。

 

 日本の元首を王や皇帝でなく天皇と呼称するように、古代エジプトでもファラオという名は特別なものだったのだろう。

 

「で、そのファラオがどうしてうちに?」

「決まっておろう。マスターを、貴様の息子を連れてきたのだ」そう言って不敵な笑みを見せるファラオ。「よかろう、マスターの母である貴様には特別に見せてやる。上を見るがよい」

 

 上? 私は言われた通りに視線を上げた。そこには夜空があるはずだったのだけれど、暗い空と星の代わりに全く別のものが浮かんでいた。

 

 太陽だ。太陽の輝きを纏った大きな船。帆船のようにも見えるそれが、家の真上に浮かんでいる。そのあまりに非現実的な光景に私は言葉を失ってしまう。

 

「『闇夜の太陽船(メセケテット)』。余が騎乗兵として召喚された証だ。魔術師どもに隠蔽の術式を掛けさせておいた」私の驚く顔に満足したのか、ファラオは嬉しそうに解説する。「音の六倍の速さでここまで来た。市街地に衝撃波をやらないようにするのが大変だったぞ」

「……これは、また、すごいのが来たわね」

「当然のことだ。余はファラオなのだからな」

 

 ファラオ。ファラオってなんだっけ。私は自分の中の常識が崩れ始めるのを感じる。魔術の世界というのは、常識に囚われてはいけないのだろうか。

 

「まあ、うん、でも、立香を送ってくれて、ありがとう」

「余のマスターが、自らの妻となる者へ一刻も早く会いたいと言うのなら、それに応えずして何がファラオか」

「……あなた、二人を応援してくれているの?」

 

 確かにこの王様は、マスターである立香が命じたところで素直に従うとはとても思えない。立香を送ってきてくれたのは彼自身の意思によるものと考えるのが自然だ。

 王様は私の言葉を受けて、思い出すように目を閉じる。

 

「余の時代、エジプトにおいて恋愛の末の婚姻はふしだらなものであり、家同士が決めるものが最上とされていた。しかし余は妻と大恋愛の末に結ばれたのだ。ゆえにあのような恋心を否定はしない。むしろ好ましく思う。だから手を貸してやったまでのことよ」

 

 この王様が、大恋愛とは。私はちょっぴり驚いた。この人は昔の自分と奥さんの姿を、立香たちに重ねているのだ。共感と言う方が近いかもしれない。

 

「奥さんのこと、好きだったのね」

「いかにも。余が敬愛した女人は、かの者だけだ」

 

 敬愛。その言葉に私は目を丸くする。この見るからに尊大な王様が「敬愛した女性」だって?

 

「なんだその目は」

「ごめんなさい。あなたの口から『敬愛』だなんて言葉が出てくるなんて、思ってなくて」

「妻はこの世の誰よりも慈悲深く、そして神々よりも美しかった。自ら戦場に出る胆力もあった。その妻を敬愛することが、おかしいことか?」

「……いいえ、全然」私はこの王様がとても良い人であることに気が付いて、思わず微笑みを返していた。「とても素晴らしい人だったのが、わかるわ」

「ふむん。良いぞ。もっと妻を誉めるがよい」

 

 そう言って王様は笑った。太陽を思わせる鮮やかな笑顔だった。

 

「──それはともかく、あやつらはいつまで接吻を続けるつもりだ」

 

 王様の言葉で後ろを向くと、立香とマシュは未だに濃厚なラブシーンの真っ最中だった。互いに舌を絡ませあっているせいか二人の口元から唾液が滴り落ちている。

 

 マシュの腰に回していた立香の右手は、いつの間にか彼女のお尻に添えられているではないか。スカートの裾から手を入れ、タイツ越しにお尻の割れ目へ指を滑り込ませるような卑猥すぎる手つきで撫でている。

 

 いやらしく触られているというのにマシュは嫌とも思っていないのか、ただ頬を染めて立香の唇をむさぼっている。彼女の右手もまた立香の脚の付け根を撫でまわしている。こっちはもっと性的な手つきだ。デンジャラスなビーストである。

 

 王様は呆れたような顔つきで二人の元へ向かい、手にしたエジプト風の杖でおもむろに立香の頭を叩いた。スコーン、といい音が響く。

 

「いってぇ!」マシュから唇を離して立香。

「ファラオの眼前でいつまでも濡れ場を見せつけるでないわ。馬鹿者」そのまま立香の頭に杖の先を置く王様。「接吻も良いが、まずこの者へ話すことがあるだろうに」

「……そうだったね」

 

「私へ、話すこと、ですか?」口元を拭いながらマシュ。息がしづらかったのかあるいは興奮のせいか息が荒い。

 

「うん」頭の上に乗せられた杖を除けながら、バツの悪そうに立香が言う。「……ごめんね、マシュ。俺が優柔不断だったせいで、きみを追い詰めちゃって」

 

 それを聞いたマシュはキョトンとした顔で彼を見つめる。言われたことの意味がすぐには理解できなかったようだ。おいおい、と私は心の中で突っ込みを入れた。立香が現れるまで悩んでいたのはどこへ行った。

 

「……あ」

「もしかして家出してたの、忘れてた?」

「……はい」

 

 少し遅れてマシュの顔が恥ずかしそうに俯かれる。どうもマシュは先ほどの濃厚なキスで頭の中が真っ白になり、それまでの懸念事項が吹き飛んでいたらしい。立香が来てくれたのがよほど嬉しかったのだろう。

 

 彼女らしい、と私は小さく笑った。本当に立香のことばかり考えているのだ、この娘は。

 

「みんな心配してたよ」

「……ごめんなさい」

「でもマシュの家出先がここで、俺は少し嬉しかったんだ」叱られた子犬のようにおとなしくなってしまったマシュを、立香は優しく抱きしめた。「あれだけ怒っていたのに俺の実家を頼ってくれてさ。カルデア以外にマシュの帰る場所があるんだって思えて、なんだか安心したよ」

 

 そう言って立香はマシュの頭を撫でた。マシュも立香の胸に顔をうずめる。

 

 あとそれまで近かったオジマンディアスは、そっと二人から離れて私の隣に並んだ。王様というだけあって他人の機微を感じ取る能力は高いのかもしれない。愛しあう二人に水を差すような真似はしたくなかったのだろう。

 

「……確かに私の帰る場所はカルデアとこの家がありますけど」しばらく撫でられた後、マシュは顔を上げて立香の目をまっすぐ見つめた。「私が居たい場所は、ここだけなんです。この世界で私がずっと居たいのは、あなたの隣だけなんですよ、先輩?」

「うん。わかってる」

「だから、他の女の人がそこにいるのは嫌です。私にはここしかないんです。世界でたった一つの私の居場所を、誰にも渡さないでください」

 

 よく言えた、と私は心の中でマシュを褒めた。自分の中に渦巻く独占欲を、この娘はちゃんと伝えることができたのだ。自分に色彩を与えてくれた男の子、それを誰よりも独り占めしたいという気持ちを。

 

 この娘はようやく他の恋敵たちと対決する覚悟を固めたのだ。耐えたり逃げるだけではなく、自分の幸せのために主張することを覚えた。それが私には彼女の成長のように感じられて、嬉しかった。

 

「そう言うと思ってた」ニッと歯を見せて笑みを向ける立香。「俺もそうしたい。そのために、マシュに渡すものがあるんだ」

「渡すもの?」

 

 立香は抱きしめていたマシュを離して、自身のポケットに手を突っ込んだ。そこから小さな小箱が取り出される。

 

 私はその箱の大きさと質感を見て中身を察する。あれは、まさか。

 

「これは……?」

「これを用意するのに時間かかっちゃったんだ」

 

 小箱の上半分が開かれる。私の予想通り、そこにはキラキラと輝く透明な宝石と、それがはめ込まれた銀色の指輪が二つ入っていた。

 

「左手薬指の意味は、知っているよね」

「はい」頷くと同時にその顔をみるみる赤くしていくマシュ。しかし今度は俯かず、彼の目をじっと見つめる。「知っています」

 

 緊張と、それから特大の期待に彼女の呼吸が浅く、早くなるのがわかった。

 

 私もその雰囲気につられてか、鼓動と呼吸が早くなるのを感じた。自分が『それ』をされるわけでもないというのに、ドキドキして、嬉しくて、涙が出てきそうだ。

 

 一度深呼吸をしてから、意を決したように立香は口を開いた。

 

「……マシュ」

「はい」

 

「これは俺のわがままなんだけど」小箱ごと指輪を差し出す立香。「俺と一緒に、未来を歩んでほしいんだ。俺の人生の半分をマシュにあげるから、マシュの人生も半分、俺にください」

 

 プロポーズ。私の息子が、その恋人に求婚した。私の人生の中でも決定的瞬間だった。

 

 だというのに、心の中で沸き立っていた喜びが失速してしまうのを私は感じた。

 マシュも私と同じように感じたのか、顔を赤くしたままむくれてしまう。

 

 立香、あんたって子は、こんな時にやらかすなんて。

 

「五十点」ため息とともに私は言ってやる。「今のプロポーズは百点満点中、五十点よ」

「ええええ!?」と心底驚いたように立香。

「まったく、長引かせておいてそんな求婚しかできないとは。余の見込んだマスターが情けないことよ」

 

 腕を組んで見守っていたオジマンディアスですら首を振って、そう言ってくる。既婚者である彼も気づいたのだ。

 

「俺、今の、すごく頑張って考えたのに……」一世一代のプロポーズを全員に否定されて戸惑うように立香が言う。「何が、悪いのさ」

 

 この子、本当にわかってないな。私は呆れながら、マシュに視線を向けて「言ってやりなさい」と促した。

 

「はい、お母さん」うふふ、と彼女は私に微笑んで、それから立香に顔を近づける。「先輩。私が前に言ったこと、忘れちゃったんですか?」

 

 え? と立香は戸惑うような顔つきになる。必死になって記憶を掘り返しているのだろうけど、きっとそれは間に合わない。そんな暇さえ与えないようにマシュは続けた。

 

「私は私のすべてを、あなたに捧げたいって思ってるんですよ?」小箱を持つ立香の手に、マシュの手が添えられる。「命も、身体も、心も、先輩に全部あげるつもりで私は生きてきたんです」

 

 マシュは頬どころか耳まで桜色に染めている。しかし俯かず、立香の目をまっすぐに見つめながら、彼女は言ってやった。

 

「だから半分なんて言わないでください。私は私の人生を全部、あなたにあげますから」

 

 いまさら気づいたように、立香の表情が固まる。そしてマシュと同じように、みるみる頬が染まっていく。

 

「代わりに先輩の人生を全部、私にください。二人で一つの未来を、あなたと共に歩ませてください」

 

 とどめとばかりに、にっこりと笑顔を浮かべるマシュ。それを受けた立香は今までの余裕が嘘のように、今にも泣きそうな顔になってしまう。

 

 立香と生きる未来。彼女が見ている未来はそのたった一つだけなのだ。永遠など少しも欲しくはないと思えるほど、立香と生きる一秒一瞬がいとおしいと彼女は言っていた。

 

 立香もそれを理解していたはずだろうに、奥手な彼は人生の半分だなんて制限を設けてしまったのだ。

 

 でも彼女は、勇気を出してそれを伝えてみせた。己の人生を相手に差し出し、また相手の人生をそれと繋げたいという、恐ろしく身勝手で、そして何よりも美しい気持ちを。立香と添い遂げる未来を。

 

「あ、あ、ああ」感情が高ぶっているのか声が震えている立香。「おれは、おれは……」

 

「せーんぱい」その震える唇に自身の指を押し当てるマシュ。小悪魔めいた仕草だというのに、顔が真っ赤なせいでむしろ初々しさすら感じられる姿だった。「返事が聞こえませんよ?」

 

「……うん」その双眸からぽろぽろと涙を流しながら、立香はうなずいた。「俺の人生を、マシュに、全部あげるよ」

「よくできました」

 

 そう言ってつま先立ちになったマシュは、軽いリップ音を立てて立香にキスを送った。

 

 とたんに立香が感極まった様子で彼女を抱きしめ、声を出して泣き始めた。マシュの目からも涙が流れ始める。

 

 愛する者の生と己の生が一つになった。その未来が見せる鮮やかさを実感して、今二人はどうしようもなく、嬉しいのだ。

 

 新しい命が産まれるのと同じように、新しい人生がこの子たちの前に広がり、たった今、産声を上げたのだ。

 

「今のが、百点満点」

「うむ。実に模範的な回答よな」

 

 抱き合いながら喜びの涙を流す二人を見て、私と王様は笑った。

 

 二人の未来が一つのものになる。その際に輝く希望の光は、古代から現代まで変わらないものなのだろう。王様の笑顔はどこまでも明るくて、優しそうだった。

 

 過去を生きた先人として、若い二人の未来を祝福するように、王様は心の底から喜んでいた。そんな笑顔だった。

 

 

 私は己の両目から流れ出る水滴を拭いながら、思う。

 

 今の私の顔も、きっとそうなのだろう。

 

 


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