青空の花嫁   作:スカイリィ
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第五話 おとうさん

「わたくしがマスターを馬鹿にしているとは、どういうことでしょうか」

「そのまんまの意味だ。それ以上俺のせがれを、立香をバカにするのは許さない」

 清姫と夫の視線が交差する。夫の言葉の意味を測りかねているのか、清姫は彼を訝しむように見ていた。夫は険しい顔つきのまま、清姫の問いに答える。

「お前さんが見ているのは立香じゃなくて、安珍なんだろ?」吐き捨てるように夫は言う。「自分のことを見てくれない女を嫁に選ぶほど、立香はバカじゃない」

「まあ、それはありえません。マスターは安珍様に他ならないのですから」

「戯言もたいがいにしろ。仮に立香が安珍の生まれ変わりだったとしても、あんたは立香を見ていることにはならない。立香の前世の姿に関心があるだけで、あいつ自身を見ていないじゃないか」

 私は夫が言いたいことを理解する。清姫が見ているのは安珍でしかなく、今を生きる立香を完全に無視しているのだと。そんな女に立香を渡すわけにはいかないのだと。

「お前が立香に安珍を見ている限り、あの子がお前に振り向くことは絶対にない。立香がどれだけ優しくたって、それだけは変わらんさ」

 その言葉を聞いて、清姫から笑顔が消えた。自身の恋の一切を否定されたことで、彼女の中に激しい怒りが満ち溢れようとしているのだと私は悟った。

 それを裏付けるように、清姫の唇の間から赤い炎が見え隠れした。無表情のままの彼女から、凄まじいほどの怒気が感じ取れる。もはや殺気としか言いようのない怒りだ。彼女は、本気だ。

「立香を見ていない女を立香の嫁にするわけにはいかない。あんたなんかに、立香を渡してたまるか」

 赤い炎が、強くなる。ダメだ、と私は夫を突き飛ばしてでも止めようと考えたのだけれど、清姫の発する殺気が激烈すぎて、怖くて動けない。このままでは夫が焼かれてしまうというのに、私は恐怖から目を背けることすらできなかった。


 ところが炎の奔流が発せられるであろう直前で、夫がテーブルを脚で踏みつけて、反対側の清姫につかみかかった。彼女の着物の胸倉を両の手でつかんで、思い切り引き寄せる。

 ゴン、という大きくて鈍い音と共に夫は清姫の額に頭突きを叩き込んだ。清姫は突然のことで対応できなかったのか、呆然としていた。口の中でくすぶっていた業火が怒りと一緒にみるみる消えていく。

「殺れるもんなら、殺ってみろ」

 歯をむき出しにして、夫は清姫に迫った。その凄まじい形相に清姫が小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。

「嘘が嫌いだって言っているくせに自分へ嘘をついているお前なんか、怖くもなんともない。お前にそれができるってんなら、俺を殺してみせろ。安珍みたいにな」
「わたくしが、嘘を……?」

 そんなことあるわけない、と弱々しく清姫が首を横に振る。嘘を何よりも嫌う自分が、嘘をついているわけがないと。
 理解を拒む清姫に対し、叱りつけるように夫は答えてやった。

「安珍がどんな男だったのかは知らん。だが、立香と違う人間であることは確かだ。お前は立香と会うたびに、安珍の姿とギャップを感じているはずなんだよ。お前はそれを黙殺してるんだ。『この人は安珍だ』って自分に嘘をついて、無理やり納得しているんだ」

 夫の額から静かに赤い滴がこぼれる。血だ。清姫の額にも赤いものがにじんでいる。先ほどの頭突きは額を切ってしまうほどの威力だったのだ。それだけ夫は怒っているのだと気づいた私は寒気を覚えた。こんなに怒っている夫を見るのは、初めてだ。

「嘘が嫌いなのは結構だが、自分に嘘ついているようじゃ話にならない。そんな奴がどれだけ怒ったって、俺は怖くない。立香を見ようともしていないお前なんかな」

 すると、清姫を掴みあげている手を一つ離して、その手で夫はマシュを指さした。

「少なくともマシュさんは、立香を見ている。この娘は、立香の綺麗なところも醜いところも真正面から見てきて、そしてこれからも見てくれる娘だって俺は判断した。だから俺は認めた。この娘なら、立香を任せられるって。立香と一緒に、幸せになってくれる娘だって」

 マシュが息を飲む音が聞こえた。私も同じように息を飲んでいた。この人はそこまで、マシュのことを見てくれていたのだと。マシュが立香に向けている深い愛情を見透かすほどに。ほんの数日分しか彼女を見ていなくても、それだけは夫も理解していたのだ。

 マシュが立香と幸せになれる女性かどうか、この人はちゃんと見ていたのだ。

「俺はな、立香の父親なんだよ。立香が幸せになるなら、なんだってしてやる。あの子のためなら命だって惜しくない。お前に立香を渡すくらいなら、ここで殺されて、立香がお前を完全に拒絶するようにしてやる。安珍みたく俺を焼き殺して、父親の仇として立香に絶対の拒絶をされるんだ、お前は」

 至近距離まで近づけていた顔をゆっくりと遠ざける夫。ポタポタと額の血が白いシャツを濡らし、踏みつけたテーブルに赤い斑点をつけていく。それでも夫は清姫から目を逸らさず、鋭い眼光で射抜いていた。

「俺は死ぬかもしれんが、それで立香の未来が開けるなら、俺はそれでいい。骨になったって、灰になったって、俺はあの子を幸せにする。そのために、生きてきたんだ」

 そこまで言って、夫は掴んでいた手を放した。ドサリ、と力なくソファーに沈む清姫。

 夫はテーブルから脚を下ろすと、血が流れ出る額を押さえてリビングから出ていった。リビングには、あっけにとられた私とマシュと、それから意気消沈したようにソファーに座る清姫が残された。



「──マシュさん、清姫さんをお願い」

 私は少し経って、夫を追いかけた。
 リビングのドアを開けた横で、夫は額を押さえて壁に寄りかかっていた。私は扉を閉めて、夫に近づく。

「痛ぇ……」額から滴る血をシャツで拭う夫。「なんだ、ありゃ。コンクリートに頭突きしたみたいだったぞ。人間の固さじゃない」
「あれがサーヴァント。人間よりずっと強い使い魔なんですって」
「立香の使い魔なのか、あれが」
「百人くらいはいるみたいよ」
「それを全部、一人で従えてんのか、あいつ」ははは、と乾いた笑いをこぼし、夫は微笑んだ。「すげぇな、立香は」
「……正直、あなたが魔術を信じるとは思わなかった」

 夫はリアリストで、オカルトや心霊現象の類いは片っ端から否定するタイプであった。そんな夫が、立香が魔術師であることを信じたのは私としても意外だった。

「お前が言うんだから、本当のことなんだろうさ」夫は、実にあっさりとした答えを返してきた。「お前が立香のことで嘘ついたこと、一回もないからな」

 血まみれのまま、歯を見せて笑顔を見せる夫。私はそのあまりに単純明快すぎる論理に唖然としてしまう。

「……だけど、そうか。嫁さん連れてきただけじゃなくて、強くなっていたんだな、立香は」満足げに上を向いて、呟くように夫。「自慢の、息子だ」
「だって、あなたの子だもの」
「お前の子でもある」

 互いに微笑み合ってから、私は懐からハンカチを取り出して夫の額に添えた。出血が多い。それだけの衝撃を頭部が受けたのだから、硬膜下出血の危険性もある。

「……救急車呼ぶわ」
「いや、タクシー呼んでくれ。自分で病院行く。それぐらいは、できるさ」

 サーヴァントとはいえ少女に頭突きして救急車で運ばれるなんて、みっともない。恐らく夫はそう考えているのだろう。この人は昔から変なところでプライドが高い。立香のことに関してはなりふり構わないというのに。

「……わかった。でも救急箱持ってくるから、ハンカチで押さえて待ってて」
「おう」

 夫の短い了解の声を聞いてから、私は階段下の収納スペースに入った救急箱を取りに行った。

 夫のところに戻ってくると、渡したハンカチはもう真っ赤だった。私は傷口を消毒してからガーゼと包帯で手当てをした。ついでに電話でタクシーを呼んでおく。

「清姫さん!」

 マシュの声と共にリビングのドアが開いて、清姫が飛び出してくる。彼女はそのまま玄関へ一目散。声をかける暇もなく家を飛び出して行ってしまった。ほんの一瞬の間ではあったのだが、私には彼女が悔しそうな顔を必死に手で覆い隠そうとしているのが見えた。

「清姫さん……」
「……何を言ったのかは知らないけれど、今の彼女にどんな言葉をかけても、嫌味か勝ち誇りにしか聞こえないわよ」
「そんな、私、そんなつもりじゃ……」

 恐らくマシュは、清姫があそこまで弱った姿になるなど予想もつかなかったのだろう。私だってそうだ。あの狂気に満ちた少女が夫の頭突き一発で退散するなんて。


「ふむ。一時はどうなることかと思ったが、どうにかなったようだな」

 この声は。思わず玄関を見ると、出ていった清姫と入れ替わるように、見知った男性が立っていた。

「エミヤさん。どうしてここに」
「言っただろう。この家を警護すると。一キロ先のホテルから見守らせてもらっていたよ」

 そう言ってエミヤ氏は後ろ手に玄関のドアを閉めた。その姿は数ヶ月前や昨日会った時とはまるで違う、黒のボディアーマーと赤い上着という出で立ちだった。まるで戦闘服だ。

「いつでも清姫を狙撃できるようにね。なに、私はアーチャーだ。このくらいの距離、造作もない」
「あんたは?」夫が訊く。確かこの二人は初対面だったはずだ。夫からすれば見知らぬ若い外国人男性にしか見えないのだ。

「名はエミヤ。アーチャーのサーヴァントだ。英霊としては少々特殊ではあるがね」

 ああ、この人もサーヴァントだったのかと妙に納得する私。どこか浮世離れした不思議な雰囲気がしていたのはそういうことか。きっとあのアルトリアとかいう女性もそうなのだろう。霊なのだから、浮世離れしていて当然だ。エミヤなんて英雄は知らないけれど、偽名か、あるいはマシュのように例外的な存在なのかもしれない。

「あの清姫をよく退散させた。と言いたいところだが、単にあれは運が良かっただけだ」
「どういうこと?」と私。

「この家には強力な結界が施してあってな。この中で藤丸立香の血族、あるいはマシュ・キリエライトに対し明確な害意を持つと、その対象は身体の内側からダメージを負うようになっている。人間なら瀕死、サーヴァントなら行動不能になるようにな」

 いや、なにごく普通に人の家に結界なんて張ってるんだ。私は怒るのを通り越して呆れてしまう。守ってくれるのはありがたいが、そんな攻勢全開の結界を張るならせめて許可をとれ。目の前で強盗がいきなり瀕死になったら驚いてしまうではないか。

 私が憮然とした顔で見つめているのを気にしないようにしているのか、目を逸らしながらエミヤ氏は続けた。

「あなたが頭突きをぶちかましたその瞬間に、清姫の殺意が最大規模になった。それと同時に結界が作動して、清姫の霊基にダメージを与えたんだ。おそらくは精神面にも影響が出たのだろう。あの霊基損傷でまだ動けるとは、さすがバーサーカーだな」

「……なんだ。じゃあ、意味なかったのか」

 プライドが傷ついたのか、渋い表情で夫が呟く。

「そうでもないさ。ダメージを負った清姫に追い打ちをかけて退散させたのはあなたの言葉と怒りだ。サーヴァント相手に、良くひるまなかったものだ。蛮勇とも言うがね」
「褒めてるのか、けなしてるのか、どっちだ」

「両方さ。私も生前、身に覚えがあったのでね」ちょっと自嘲気味に肩をすくめるエミヤ氏。「もうこりごりだ。あなたも、もうサーヴァント相手に生身で張り合おうなんてしないことだ。命がいくつあってもたりないぞ、あれは」

 私はその言葉に少しだけ驚いた。サーヴァントがどれだけ強いのかではなく、このクールなエミヤ氏が生前にサーヴァント相手に生身で戦いを挑んだことに、だ。もしかしたらこう見えて無鉄砲だったのかもしれない。

「それと連絡だ。ついさっき、カルデアから藤丸立香が出発したと報告があった」

 ふと思い出したかのようにマシュの方を見て言うエミヤ氏。

「安心したまえ。割と早く着くそうだ」




 タクシーで病院へ行く夫を見送った後、エミヤ氏も意味深な微笑みを残して出て行った。家に残ったのは、私とマシュと、部屋に避難させていたフォウだけだった。

 リビングと廊下に滴った夫の血痕を雑巾で掃除して、血まみれのシャツとハンカチを洗面台で手洗いする。洗ったのが早かったためか、上手いことシミにならなくて済んだ。

 あらかた片付いたところで時計を見ると、すでに午後六時を過ぎていた。もう夕飯を作らないといけない。確か鮭のホイル焼きを作る予定だったのだ。

 作り方を教えてあげる約束だったので、マシュを呼びに行く。一階の客間を覗いてみるが、いない。ならばと思い二階の立香の部屋を見てみる。

 マシュは立香のベッドに座って、一人静かに膝の上に寝転がるフォウを撫でていた。明日には立香が来るというのに、その表情に光はなく、どちらかと言えば暗い。

「……お母さん?」

 ドアを開けた私に気づいたマシュがこちらに視線を向ける。ついでにフォウもこっちを向いて、私の姿を見たとたんに尻尾を振り始める。

「清姫さんのこと、気にしてるの?」彼女に歩み寄って、その隣に座る私。「カルデアに帰ってからフォローすればいいじゃない。あなたは悪くないし、大丈夫よ」
「それも、あるのですけれど……」

 マシュはそこでいったん口ごもる。私は急かさず、彼女の膝の上のフォウを撫でてあげた。フォウは私の手にじゃれついてくる。
 沈黙が続いたのは一分か、二分程度だったと思う。フォウの顎の下をくすぐってあげているところで彼女はもう一度口を開いた。

「……私、先輩にどんな顔して会えばいいのでしょうか」私の方に顔を向けつつマシュ。ほんの少しだけ声が震えている。「謝るべきなのか、怒るべきなのか、あるいはもっと別のことをすべきなのか。私には、わかりません。すぐにでも先輩に会いたいのに、それがわからなくて、怖いです」

「立香に嫌われるかもしれないから?」小さく息をついて私。「嫌われるのを怖がってちゃ、恋愛なんてできないわよ。あなたのしたいことをすればいい」

「でも、こんなこと、初めてで」

 どうしたらいいのかわからない、と言いたげにマシュは顔をうつむかせた。私は彼女の頭をそっと撫でながら、言ってやる。

「立香に会ったらすぐに、抱き着いてキスしちゃえばいいのよ」
「まじめな話なんですよ?」
「まじめな答えよ?」怒るようなマシュに対し、私は即座に返した。「あなた、すぐにでもそうしたいんでしょう?」
「でも、謝罪も何もなしに、それは……」
「あなたは、礼儀とか体面とか、そっちの方が立香より大事なの?」
「それは、違います。断じて、そうではないです」

 それだけは絶対に本当だ、という気持ちがその言葉には含まれていた。

「だったら、立香への愛情を優先すべきでしょ。喧嘩したけど愛してるって、行動で伝える方がよっぽどいいと思う。言葉なんて後からついてくるから。大切なのは気持ちよ」
「そんなもの、なんでしょうか」
「そんなものよ。恋愛なんてのは」

 心配性ね、と私は彼女に微笑んだ。「大丈夫よ。立香はきっと、あなたを笑顔で迎えにくると思うわ。あなたが謝ってくるなら許すし、怒ってくるなら素直に『ごめんなさい』を言える子だもの。心配する必要なんて、これっぽっちもないわ」

 立香は自分を殺そうとした相手を許せるのだ。ならば、喧嘩して家出した彼女を許すのはずっと簡単なはずだ。
 だから心配いらないよ、と私はマシュに語りかけてやった。

「……はい」ちょっと迷ったのち、彼女は微笑み返してくる。「お母さんがそう言うのであれば、信じます」
「よろしい」

 いつか立香を褒めた時のように、私はマシュの頭を撫でてあげた。 

「じゃあ、夕飯の準備しようか」
「はい。鮭のホイル焼き、でしたよね」
「フォウくんの分も一緒に焼くから、四匹分焼いちゃいましょ。フォウくんの分はネギとか除けて……あら?」

 私たちが夕飯の話をしていると、それまでゴロゴロしていたフォウが突然起きて、ベランダに繋がる窓際まで跳躍した。

「フォーウ、フォーウ、キャウ!」

 まるで外に何かいるように鳴き声をあげるフォウ。私たちは顔を見合わせてから二人して窓に近づいた。

「何か、外にいるんですか?」

 そう訊きながら窓を開けてやるマシュ。フォウはベランダに出ると、犬が遠吠えするかのように上を向いて泣き続ける。空はもう暗くて、月と星が輝いているだけだ。

「何かしら」
「いえ、これは」上空に目を凝らすマシュ。「隠蔽されていますが、何かの魔力反応?」
「何か、空に浮かんでいるの?」
「はい。割と近くに。ここから真上の、高度三十メートルくらいの位置に何か。……私の霊基が反応している。この感覚は、もしかして──」


「マシュ、母さん」

 聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。上からだ。私はとっさにベランダの手すりに手をやって、屋根の上を見た。マシュも私と同じように屋根を見る。

 屋根の上に、一人の見知った男の子が立っていた。

「──立香」
「ただいま、母さん」

 そう言って、さもそれが当たり前であるかのように、私の息子は微笑んだ。