青空の花嫁   作:スカイリィ

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第二話 紅の想い

 次の日、目が覚めて着替えた私は、朝食を作る前にマシュの寝床の様子を見に行った。

 

 和室のふすまを開けてみると、未だマシュはぐっすりと眠っていた。一緒に寝ていたフォウはすでに目覚めていて、寝息を立てるマシュの顔をぺろぺろと舐めていた。

 

 疲れているのか、あるいは時差ボケの影響か、それでもマシュは一向に起きようとはしなかった。

 

「おはよう、フォウくん」

「フォーウ、キャウ!」

「しー。起こしちゃ可哀そうでしょ」

 

 マシュの枕元で騒ぐフォウをいさめつつ、その小さな身体の前にしゃがみ込み、あごの下を撫でてやる。

 

「朝からどうしたの?」

「フォーウ」

 

 あごの下に回した私の指をガジガジと噛んでくるフォウ。しかし加減をしているのか痛みはない。それから赤ちゃんが乳を吸うように指先に吸い付いてくる。その様子を見て私は察する。

 

「そっか、お腹すいてるんだ」 

「フォウ!」

 

 その通り! と言いたげにフォウが私の前でぴょんぴょんと飛び跳ねた。昨日はリンゴをむいてあげたのだけれど、それだけでは足らなかったのかもしれない。

 

「わかったわ。おいで」

 

 私が手を差し出すと、フォウは腕を駆け上がって肩のところまできた。白い毛並みが耳をくすぐるのだけれど、嫌ではなかった。この身軽さはまるで猫のようだ。ほんとうになんの生き物なのだろう。

 

 肩にフォウを乗せた私は音を立てないようにダイニングへ移動して、私が普段使っている椅子にフォウを座らせ、「ちょっと待っててね」と言って冷蔵庫へと向かった。

 

 冷蔵庫の中身を確認する。フォウはなんの動物かわからないけれど、とりあえず玉ねぎやチョコレートなど犬猫にとって有害な食べ物は与えない方が良いだろう。ほとんどの動物にとってあれは毒になる。というか玉ねぎやカカオ、コーヒー豆といった有毒植物を平然と食べる人間の方がおかしいのだ。

 

 冷蔵庫の扉を開けた私の目に、昨日買った卵のパックが映る。残り二個。マシュが来たことで昨日は予想外の消費になってしまったのだ。これでは三人分の朝食には足りない。

 

「卵焼き、食べるかな」

 

 しかしフォウならばこの量でも足りる。私はそれを取り出して、卵焼き器と油を用意して調理を開始した。動物は塩分の処理能力が低いから味は薄めにしよう。マシュからは特にアレルギーがあるとかは聞いていないし、毎日与えない限りコレステロールも大丈夫だろう。

 

 少したって、見た目には美味しそうな卵焼きが完成した。だが、ひとかけら味見をすると塩味も甘味も薄くてあまり美味しくはない。人間には美味しくなくても動物はこれでいい。動物にとって人間の味付けは濃すぎるのだ。

 

「おまたせ」

「フォウ!」

 

 よほどお腹がすいていたのか、フォウは椅子の上でうれしそうに跳ね回っている。私はそれを落ち着かせてから、皿に乗せた卵焼きを差し出した。

 

 卵焼きを見たことがなかったのだろうか、フォウは検分するように匂いを嗅いでから、恐る恐るそれをかじった。すると途端に目の色を変えて卵焼きにかぶりつき始める。ものすごい勢いだ。

 

「そんなに美味しい?」

「フォウ。ウー、キャウ!」

 

 ふわふわの尻尾を振って「美味しい!」と言うようにフォウが鳴く。それはなによりだ。夢中で卵焼きにかぶりつくフォウの頭を撫でてやった。可愛いなぁ、このもふもふめ。

 

 ひとしきりその頭を撫でてやってから、私は気を引き締めて再び台所に戻った。

 

 さて、今度は人間たちの朝食を作らねば。平日の朝は、主婦の戦場なのだから。

 

 

 

 

 

 

 その日、私とマシュは近くのショッピングモールへと足を運んでいた。マシュの服を揃えるためだ。フォウは家でお留守番だ。

 

 まずは下着。参考がてらトップバストの値を聞いてみるとマシュの胸は予想よりもずっと大きかった。彼女は着痩せするタイプだったのだ。それでいてアンダーバストとウエストが細いものだから反則的だ。頬だけでなく胸もマシュマロだったか。

 

 ついでにヒップの値も聞くと意外と大きい。理想的な安産型だ。なるほど以前「未成年でも、もう産める身体」と言っただけのことはある。成年女性でもここまでのプロポーションを持つ者は少ないだろう。

 

「すごいです。たくさんあります」

 

 ランジェリーショップに着くと、マシュはたくさんの色鮮やかな下着に目を輝かせていた。立香とはこういうところに来たことがなかったのだろう。あの年頃の男子にランジェリーの店は居心地が悪い。

 

「ここから選んで良いのですか?」

「ええ、どれでも、あなたの好きなように選びなさい」

 

 かくいう私も若い女性の下着の見繕いなど、自分のものだけ、しかも二十年くらいしていない。年配向けの下着なら口を出せるが、マシュのようなグラマラスな少女の下着なんて想像もできない。仕方ないので店員に声をかけて代わりに選んでもらうことにした。

 

 店員に提示されるランジェリーの数々にマシュは表情をコロコロと変えた。若い女性向けのものは種類が多いが、大きなサイズとなるとそこまでの数はない。あの大きな胸だとフルカップでなければ収まらないだろう。

 

「──すみませんが、どういったご関係で?」

 

 下着選びで悩んでいるマシュを遠目に見ていると、見繕っている人とは別の若い店員が尋ねてきた。

 外国人の美少女と日本人のおばさんというよく分からない二人組なんて滅多に見るものではないから、気になってしまったのだろう。別に気を悪くするわけでもない。その問いへの答えなど一言で済む。

 

「未来の嫁姑です」

 

 自信満面のその答えに店員は一瞬呆然としていたが、少し間を置いて「可愛いお嫁さんですね」と微笑みを返してきた。

 

「あの娘、すごいです。まだまだ大きくなりますよ、お義母さま」

「……たぶん息子のせいです」

「素敵な恋なんですよ、きっと」

「知ってます。この前いやというほど見せつけられたから」

 

 それは良かったですね、と店員は笑った。善意の言葉なのだろうが、あなたはあの恐ろしいデンジャラス・ビーストを目の当たりにして同じことを言えるのか、と私は心のなかで突っ込みを入れた。

 

 元が成長途中だったのかもしれないが、恋すると女性は美しくなるという。あれだけ熱烈な恋をしていれば、それはもうすごいことになるだろう。胸だって大きくなる。次来たらブラジャーのサイズが一気に拡大しているかもしれないな、と思った。

 

 

 マシュが遠慮したのか、下着店での会計はさほど高くなかった。しかしそれでも可愛いデザインのものが揃っていた。店員曰く、最近は大きなサイズでも可愛いのが揃っている、とのことだった。

 

 次は服だ。女性服に関してはショッピングモールの中にたくさんの店舗がある。安いのもあれば高いのもあるし、若者向けから年配向けまでさまざまだ。

 

 外から見えない下着と違って、周囲の若い女性を見て参考できるファッションは私でも選んでやることができそうだった。

 

 部屋着としてTシャツとジーンズとスカートを二、三枚買って、便利なのでジャージも買っておく。

 

 次からが本番だ。青と白のギンガムチェックの可愛いワンピースにクリーム色のカーディガン。それに合いそうな襟つきソックス。ついでに可愛いパンプス。可愛らしさ全振りのコーディネートだ。反則的に可愛い。

 

 続いて雑誌で見かけたシルバーのブルゾンジャケット。白のツーピースを合わせて清純な雰囲気のファッション。この春にぴったりの爽やかさだ。これで立香もイチコロだろう。よっしゃテンション上がってきた。

 

 広告に載っていたベージュピンクのライダースジャケット。グレーのトップスと白のスカートでカッコよさをアピール。マシュの幼めの容姿をカバーする大人っぽい雰囲気に。さあそろそろ荷物が重くなってきたぞ。

 

 女の子の服を選ぶのは楽しい。みるみる時間と金を消費してしまう。

 

 昔、確か幼稚園の送り迎えだったか。母親仲間で話していた時に聞いたことがある。女の子の親にとって最大の楽しみは着せ替えだと。色々な服を着る自分の娘が可愛くてしょうがないのだと。それを聞いても男の子の親である私にはピンと来なかった。

 

 だが今ならその気持ちも分かる。マシュが可愛い服を試着するたびに己の心が踊るのが感じ取れた。この無垢な美少女を思いのままにコーディネートするのは快感だ。最初は戸惑っていたマシュも途中から楽しんでいたし、今回の買い物は成功だった。

 

 

 

 買い物袋がかさばり、財布の中身が危うくなっていることに気が付いて、私たちは買い物を終わらせた。昼が近かったのでファミレスでご飯を食べることにした。マシュはミートソースパスタとアイスティー、私はペスカトーレと紅茶を頼んだ。

 

「買いすぎちゃいましたね」たくさんの買い物袋を見ながらマシュが言う。「こんなに買っていただいて、本当によろしかったのですか?」

「女の子だもの、これくらい普通よ」

「でも、どこに置きますか。あの部屋には置ききれませんよ」

 

 マシュが今現在寝泊まりしている客間にはそこまで大きな収納スペースはない。第一、そこへ彼女の服をずっと置いておくわけにもいかないだろう。

 さてどうするか、私は少しだけ考えて、実に簡単な解決法を見いだした。

 

「今日から立香の部屋で寝れば良いのよ」

「先輩の、お部屋ですか?」キョトンとするマシュ。

「どうせ立香と一緒に寝るでしょ、あなた。だったら同じ部屋に置いておけばいちいち移動しなくていいじゃない」

「でも、先輩のお部屋を勝手に……」

「立香と、あなたの部屋よ」お冷を喉に流し込んでから私。「今日からあそこは二人の部屋だから。立香のものを捨てない限り、あなたの好きにしていいの」

 

 曲がりなりにも嫁にくる女の子だ。本当ならば彼女専用の部屋を用意してあげたかったのだけれど、あいにくとそこまでうちは広くない。だから立香の部屋を二人の共用にするのだ。他のカップルならいざ知らず、この二人の場合ならちっともマイナス要素にはならない。

 

「先輩と、私の部屋……」

「立香だって、嬉しいと思うわよ。毎日好きなだけ熱い夜を過ごして、好きなだけあなたの寝顔を眺めて、好きなだけイチャイチャできるんだから」

 

 そこまで聞いたマシュの顔が赤くなる。上気した頬に手を当てて、うわ言のように「先輩と、好きなだけ……」と呟いてから、照れてうつむいてしまう。

 

 彼氏の優柔不断さに怒って家出してきた女の子とは思えないくらい可愛い反応だ。本当に立香のことを想っているんだな、と少し嬉しくなった。──まあこのアイデアに問題があるとすればセックスのしすぎで身体を壊しかねないということなのだが。

 

「顔赤くしちゃって。なに、そんなに立香とイチャイチャするの好き?」

「ううう……」私のからかいに顔を手で覆いながら身悶えるマシュ。「否定は、しません」

「すごいんだ」

「先輩とキスするだけでも、頭の中が真っ白になっちゃうんです」

 

 あらかわいい。私はニヤニヤとした笑顔になるのを我慢できなかった。付き合いたてのカップルみたいな初々しさだ。若いって、いいなぁ。

 

「そのあとはもう、先輩に五、六時間はめちゃくちゃにされて、何も考えられなくなって、気づいたら朝になってます」

 

 前言撤回。こいつらはやはり発情期の獣だ。

 

「……避妊はしてるのよね?」

「はい、お薬で」

「ピルかぁ」

 

 きちんとした避妊方法にホッとしつつも少し残念に思う私。ピルは確かに避妊成功率が高いけれど、女性が毎日薬を飲まなければならないし副作用だってある。女性に避妊の役割を押し付けているとも言えなくはない。

 

 立香は非協力的なんだろうか、と考えていると、何かを察したのかマシュは首を横に振ってその考えを否定した。

 

「コンドームだと一晩で一箱使いきってしまうので、薬の方が合理的なんです」

 

 ……理屈はわかる。わかるのだが、どんな回数こなしてるんだこの子たちは。私は二人の性生活の凄まじさに戦慄した。体力おかしいだろう。

 

「それに厳密にはピルではなくて、私の魔術回路を整える薬も兼ねているんです。副作用も少なくて、とても楽です」

「まじゅつかいろ?」

「魔術を行使する際に必要な神経のようなものです。限られた人にしかありません。今の私はその回路が錆びついている状態なので、回復のためにカルデアから支給してもらっているんです」

 

 そういえばこの娘は魔術の世界にいるんだったな、と私は彼女の言葉で改めてそれを認識する。杖を振って呪文を唱えればいいという単純なものではないらしい。

 

 しかし、この娘が魔術師というのは不思議なものだ。「奥様は魔女」というアメリカのドラマが昔あったけれども、まさか自分の息子がその立場になるとは夢にも思わなかった。

 

 あるいはマシュの年齢と連れているマスコット的な小動物を鑑みるに、魔法少女の方がいけるかもしれない。タイトルは「魔法少女カルデア・マシュ」といったところか。毎日ピルを飲む魔法少女なんて生々しすぎて放送できまい。

 

「まあ、でも万が一、避妊失敗しちゃっても別にいいわよ」

「それは、どうしてですか?」さんざん避妊しろと言っていたのに、一転して別のことを言う私にマシュが首をかしげる。

「だってあなた、すぐにでも立香の赤ちゃん産みたいって顔してるんだもの」

 

 それを言ってからぴったり三秒。ようやく照れた頬の冷却を終えようとしていたマシュの顔が、あっというまに耳まで真っ赤になる。あとなんだかプルプルと震え始めてる。

 

「立香にめちゃくちゃにされて、彼の赤ちゃんを妊娠して、何人でも産んであげたいって思ってるんでしょ?」

「そんな、私、私……」顔を覆う余裕すらない様子のマシュ。「そんな、せんぱいの、赤ちゃん、だなんて……」

 

 からかいのつもりだったのに、どうもこの反応を見る限り図星のようだ。カップルの間柄において妊娠出産というのは別格の出来事だが、それにしたってこの娘はいったいどんな想像してるんだ。

 

「あなたの人生だもの、アドバイスはするけれど強制はしない。だから、どうしてもすぐに産みたいっていうなら、無理には引き留めない。二十歳まで避妊しろってのは、立香への警告であって、あなたにとってはあくまで目安だから」

 

 にこりと彼女に微笑みかける私。

 

「でも、子作りは立香と良く相談した上ですること。あなたはまだ子供なんだから、そこら辺は良く考えなさい」

「せんぱいの、赤ちゃん、私が、妊娠、産む、何人も……うああ……」

 

 壊れかけのラジオみたく途切れ途切れの言葉を呟くマシュ。もう頭がパンクして、まともに会話できそうにない。

 

 立香とのキスだけで思考が真っ白になるのだから、立香に好き放題犯されたあげくの妊娠なんて、想像した日にはそれこそ頭の中が大爆発してしまうだろう。さんざんセックスしているというのに、この娘はまだ初心なところがある。そこが可愛いのだけれど。

 

 からかいすぎたかなぁ、と苦笑いしながら私は彼女の頭に手を置いて、その髪に指を絡める。絹糸のように細く美しいマシュの髪はサラサラと手の中で踊った。綺麗な髪だな、と私は思った。

 

 しばらくして注文した料理が来るまで、私はマシュの頭を撫でてあげた。

 

 

 

 

 

 ショッピングモールから帰宅すると、家の前に赤いコートを羽織った長身の男性が立っていた。

 

「サーヴァントがこの距離に近づくまでわからないとは、たるんでるぞ」

「エミヤ先輩!?」

 

 褐色の肌に白い髪の毛。以前玄関先に訪れた立香の護衛、エミヤ・シロウ氏だった。マシュは彼の姿を見るなり、私の後ろに隠れてしまった。

 

「ええと、エミヤさん。どうしてここに?」

「お久しぶりです、母君」エミヤ氏はそう言って軽くお辞儀をした。「簡単です。カルデアからついてきたんですよ」

 

 まったく手間をかけさせる、と愚痴をこぼすように私の後ろのマシュへ視線を向ける。

 

「万が一にも彼女に悪いことが起こらないよう、こっそりと警護をしていました。──カルデアで彼女の様子がおかしくなったのはすぐにわかりましたから。これは何かあるなと思って、ずっと監視していたんです。しかし、資材搬入のヘリコプターに乗り込んで藤丸家まで逃避行するとは予想外だった」

 

「先輩は」私の背中越しにマシュが訊く。「立香先輩は、私がここにいることをご存じなのですか?」

「知っているとも。昨日、この家に着いた段階で連絡を入れた。そうでなければ今頃半狂乱になって君のことを探しているだろうからな」

 

 そこまで言って、エミヤ氏はマシュに手を差し伸べる。それを見たマシュの手が私の腕を、ぎゅううと掴むのが分かった。嫌がっているのだろう。そのせいかエミヤ氏の手はとても優しそうなのに、私には邪魔者の手として映った。

 

「さあ、帰ろう。みんな心配してるぞ」

 

 その顔はニッコリと微笑んでいて、明らかに善意からくる言葉ではあったのだけれど、私には納得のできないものとなっていた。

 

 ここで帰したら、ダメだ。

 

 私はマシュをかばうようにして前に出て、エミヤ氏に詰め寄った。

 

「あなたには悪いけど、この娘は帰さない」

「なに?」エミヤ氏の優しい目つきが一転して鷹のような鋭いものになる。「どういうつもりですか?」

 

「この娘がカルデアを飛び出してきたのは立香のせいなんだから、その立香が迎えにくるのが筋ってもんでしょう」びしり、と彼の眼前に指先を突きつける。「立香が迎えにくるまで、この娘はうちの子よ」

 

 私のまくし立てた言葉に、彼の顔が戸惑いの表情に変わる。

 

 立香がマシュへ会いに来て、しっかり謝罪しなければ何の解決にもならない。それだけは間違いないと私は確信していた。このまま連れて帰ったらマシュが皆を心配させただけの悪者にされかねないからだ。

 

 立香が彼女に「ごめんなさい」を言って、仲直りして、その上で帰還させる。それ以外の方法で帰らせるなんて、私には許容できない。

 

「……藤丸立香が来ない限り、帰す気はないと?」

「それが絶対条件よ。それが嫌なら私を張り倒してから連れていくことね」

 

 唖然とした表情で固まるエミヤ氏。指を突きつけながら睨みつける私。二人の視線が交差していたのは五秒くらいだったか。先に表情を崩したのはエミヤ氏の方だった。

 

「まいったよ。あなたには敵わない」もう降参、と言いたげに両の手をあげるエミヤ氏。「あなたに免じて、ここは退散するとしよう」

「わかればよろしい」指を下す私。

「だがカルデアには連絡しておくし、この家の警護も続ける。彼女にもしものことがあれば私は切腹ものだからな」

「それは構いませんけど、立香が来るとしたら、どのくらいになりそう?」

「少なくとも丸一日はかかるだろうが、わかり次第、あなたに連絡するさ」

 

 それはどうも。そう礼を告げると、彼は一度微笑みを浮かべてから去っていった。

 

 私はその背中が見えなくなるまで見送ってから、盛大な溜息をついた。疲れではなく、安心したことによる安堵の息だ。

 

「さ、早く家に入りましょう。フォウくんがお腹すかせて待ってる」

「……はい」

 

 マシュは私の隣に立って、嬉しそうに寄り添った。

 

「……ありがとうございます、お母さん」

「私は当たり前のことをしただけよ」

 

 私は荷物を反対側の手に移して、彼女の手を握ってあげた。マシュも一拍おいて私の手を握り返してくれた。

 

「立香以外の男に、あなたを任せられるわけがないじゃない」

 


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