青空の花嫁   作:スカイリィ
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※注意:この作品は第一作「色彩の花嫁」の続編にあたる作品です。
必ずそちらをご覧になってからお読みください。




プロローグ

 その白いふわふわした生き物を見た時、私はそれが犬なのか猫なのかわからなかった。

 真っ白で、美しい毛並みの小動物。長めの耳はピンと上に伸びていてウサギを連想させる。尻尾はリスのようにふわふわで柔らかそうだ。脚の付き方を見る限りネコ系統の動物に見える。子猫並みに小さいけれど、幼体のような頼りなさはあまりない。

 なんの生き物かわからない。でも、可愛いなとは思った。

 その生き物は買い物帰りの私の前で脚を止めて「フォウ、フォーウ」と鳴いた。聞いたことのない鳴き声で余計にその種族が分からなくなる。猫ではないようだ。鳴き声からするとむしろ犬に近い。

 私は白いもふもふ生物を黙って見つめる。
 目標との距離七十センチ。相対速度ゼロ。射程圏内。視界良好。天候は晴れ。時刻は午後四時。太陽光は目標側。

 こちらを警戒する様子はない。むしろ興味を示している。周囲に人はいない。もふもふするなら今だ。気づけば私は脳内でそんな思考をしていた。

 驚かせないよう静かに買い物袋を地面に置いて、しゃがみ込む。白い獣はこちらの目を見ている。よく見れば首元にはスカーフのような布とリボン。誰かに飼われているのだ。なるほどこの人懐っこさはそれか、と納得する。

 まずは、と私は手を広げて、おいでおいでをしてやった。すると驚いたことに白い生き物はトコトコとこちらに向かってくるではないか。やがて私の手に触れるか触れないかのところで脚を止める。

 白い生き物は私の手の匂いをクンクンと嗅いでから、指をぺろぺろと舐め始めた。そこで私ははやる気持ちを抑えてもう片方の手で白い毛並みに手を伸ばす。

「わぁ……!」

 想像をはるかに超える柔らかい毛並みに、私は感嘆の声を漏らす。なんだ、この最高のもふもふは。反則じゃないか。頭を撫で、あごの下を撫で、背中を撫で、尻尾まで撫でる。これはどういうことだ、撫でる手が止まらない。

「フォウ、フォーウ」
「ふぉう、ふぉーう」
「フォーウ」
「ふぉーう」

 その可愛らしい鳴き声に思わず鳴きまねを返してしまう私。ああもう、いい歳して何やっているんだ私。しかし可愛いなぁ。ほおずりしたい。しよう。

「あなた、どこから来たの?」警戒する様子がないので、その小さな身体を抱き上げる。抵抗する様子はまるでなかった。「この辺じゃ見ない顔だけど」

「フォウー?」
「ふぉうふぉうー?」
「フォウ、フォーウ、んきゅ?」
「ふぉう、ふぉーう?」
「フォウ」
「……ごめん、わかんない」

 ちょっとだけ申し訳なさそうな顔で謝ると、気にしてないよ、と言いたげに白い生き物は私の顔を舐め始める。滑らかな舌の感触からしてやはり猫ではないようだった。猫の舌はもっとざらついている。

 動物の言葉が分かればいいのになぁ、とこういう時に思ったりする。手話ができるゴリラは実在するけれど、こんな四つ足の生き物とも話せたら面白いのに。この可愛らしい瞳からどんな世界が見えているのか、聞いてみたいものだ。

 小さな舌で頬を舐められていると、くすぐったさと可愛らしさで思わず笑いが出てしまう。

「うふふ、くすぐったいよう」
「フォウ」

 犬猫が好きというのもあって、私は動物に顔を舐められることに抵抗がない。愛情表現なら全面的に受け止めてあげるべきだ。代わりにこちらは思う存分もふもふするだけなのだから。

 顔を舐める動作が止まったところで、私はすかさずもふもふの首筋に顔を突っ込む。顔面が白い毛並みに包まれ、至福の時間が訪れる。深呼吸。

 その匂いを嗅いで「あれ?」と私は何かに気づく。ふわふわの毛皮の中に動物のものではない匂いが混じっている。この匂い、どこかで嗅いだことがあるぞ。
 確か、そう。一か月か二か月前に、我が家でこんな匂いがあったような。獣ではない。誰か、人の匂い。

「フォウさーん!」

 前方から女性の走ってくる音と声。私はその声に聞き覚えがあった。顔を上げてそちらを見やる。腕の中にいる生き物もその声に反応してそちらを向いた。この声は、確か。

「──マシュさん!」
「お母さま!」

 ピンクブロンドのショートヘアーに、アメジストのような瞳と、黒縁の眼鏡。小柄ながらもセクシーな体つきに、雪のような白い肌。そして見る者を引き付ける美しい容貌。

 その見知った顔を理解した私は素っ頓狂な声を上げてしまう。女性も私の顔を見るなり驚きの声を上げた。

 女性はマシュ・キリエライトであった。つい数か月前に我が家を訪れた、私の息子の恋人だ。
 彼女は私の腕に抱かれた小動物を見て、胸をなでおろすように息をついた。

「ああ、フォウさん、こんなところにいたんですね」
「フォーウ」

 フォウと呼ばれた小動物は彼女に反応してジタバタし始める。私は抱きしめたまま立ち上がってマシュに近づき、その子を手渡した。小動物は彼女の腕を伝ってその肩に上った。よく懐いているようだった。

「この子、あなたの?」
「はい。私のお友達です」

 勝手にどこかへ行っちゃダメですよ、と彼女が優しめに叱ると、フォウはぺろぺろと彼女の顔を舐めた。

 なるほど、フォウの匂いに混じっていたのは、この娘の匂いだったのだ、と私は納得する。いつも一緒にいるのだろうが、マシュがこんなに可愛い子を飼っているとは初耳だった。
 つまり、マシュが嫁入りしてくれればこのフォウもついてくる可能性が高い。素晴らしい未来だ。もちろん孫の方が嬉しいけど、それとは別だ。

 ──しかし、妙だ。マシュがいるなら、立香もいるはずではないか。どこにいるのだろう。私が立香を見逃すはずがないのだが。

「日本に来てたのね、立香は?」
「それは、その……」

 しゅん、とマシュは途端に顔色を暗くした。何がどうしたのかわからなくて、私は彼女の口が再び開かれるのを待った。

 そして数瞬間ほど経ってから、彼女は私がまったく予想もしていなかった言葉を口にした。

「家出、してきちゃいました」