【チク、チク、タク】
時計の音だけが聞こえる空間、俺はVR装置を傍らに置き、スマホを弄っていた。
今、ケイが居る向こう側の世界は真夜中。人々の大半が眠り、静まり返る時間帯だ。そこで俺は睡眠で仮想空間の夜を過ごす代わりに、ログアウトしてこちらへ戻ってきたのだ。
「……」
『ミッド・センタルの例の竜』
スマホの画面に映っているのは、このゲームを遊ぶプレイヤーの情報交換等が行われる……所謂掲示板のサイトだ。
今まで意識していなかったが、相当数のプレイヤーを抱えている大手のゲームであるからには、こういった所も珍しくないのだろう。
それならば、何かしらの情報が話題に出れば、すぐさま広まるのも当然の事。そう。例えばあの厄災竜の件や―――
『xxxx:そのドラゴンを退治したのって、1人のプレイヤーだったのか?』
『xxxx:1人だった、プレイヤーかは知らんけど。ただ、転移魔法を使えるのを見る限り重要NPCの線もある』
例えば、その竜と対峙したケイの事だったり。
こういっては何だが、ケイの名声が広まっていると思うと、なぜだか満ちた様な気分になってしまう。別に変な意味ではなく、うれしくなってしまうのだ。これは誇示欲とか名声欲とか、そういうものだろうか。
勿論、彼女はこうなることを望んでいなかっただろう。有名人となった彼女が様々な面倒ごとに絡まれてしまう事は想像に難くない。
『xxxx:その人教会の前で見かけた。ローブ姿の怪しい人と抱き合ってた』
『xxxx:kwsk』
「―――」
抱き合ってない。向こうから抱き付かれただけだ。
……と反論出来たらどれほど良いことか。当事者であることを明かす書き込みをしてしまえば、全てが面倒なことになるに違いない。あるいは偽物扱いされるか。後者の方がこちらとして楽ではある。
もうこのサイトを見るのはよそう。俺はスマホの画面を消し、手放した。向こうの世界で朝を迎えるまでにはまだ時間がある。
それまでに、俺は『ケイの旅路』を読むことにした。もう随分と読み込んだと思うのだが、まだまだ物語は続いている。全体の半分も行かないぐらいだ。
執筆していた期間も随分と長い事は分かっていたが、恐らく記憶を失う前も今と同じように速筆の能力を備えていたのかもしれない。
それよりも、ここまで書き上げる執念が俺にあったことに驚きだが。一体どこに十年以上も同じ物語を書き続ける人間が居るのだろうか。
いや、普通に居た。主にテレビで放映されていたり少年誌に載っていたりしている。その内の一つであるあの魚介類のタイトルで有名なアニメは、もはや電波の化石と呼ばれても良いのではなかろうか。
話がずれた。本題は『ケイの旅路』の事である。
作中のケイは、エルと再会するために世界を巡っている。時に王都で人探しをしたり、数ある村を訪れて回ったり、そして捜索の手掛かりに成り得るアイテムを手に入れる為、ダンジョンに潜ったり。
驚くべきなのは、ネタバレを承知で最後の辺りのページを見ても、未だにエルと出会えていない事だ。それでも目的を諦めていない辺り、その執念はこの本を書き続けた当時の俺と通ずるものがある。
……その執念があったからこそ、時を巻き戻す魔法を創り、そして世界を超えて転移してきたのだろう。
「……?」
そこまで考えて、とある疑問が頭に浮かぶ。
狂気的とも言えるエルへの愛を持つケイだが、俺と出会ってからは王都の周辺から離れない。
これは変ではないだろうか。ケイの中にある優先順位は、恐らく俺よりもエルの方が上にあるだろう。だというのに捜索の旅に出ることなく、むしろ率先して俺の居る王都に籠っている。
そこまで考えて、過去に行ったケイとのやり取りを思い出す。
―――
「決めた。当分はこの街で静かに過ごす」
「はい?」
「私が旅に出たりしたら、普通な顔して付いてくるでしょ」
「まあ……。でも良いのか? ケイには探し人が居るだろ」
「それは……」
―――
あれは確か、リザードというモンスターを殲滅した後、ちょっとしたポケをやらかしてケイに心配を掛けた時だったか。
当時は旅に出る予定だったのだろうが、俺の身の安全を優先したようだった。
「……」
あの後直ぐに、俺が持つ彼女への印象を押し付けていたと自覚して、少しばかり反省した記憶があるのだが……、ここまでこの物語を読んでいくとその印象も間違いでは無いと気付いた。
一向に手掛かりはつかめず、
……恐らく、ケイは今もあきらめていない。だからこそ、彼女は世界を渡ってきたのだ。
よし、向こうで朝を迎えたらケイに……ああ、確かレイナと素材採集の約束があったんだったか? それじゃあ、昼頃に旅の話を持ち掛けてみようか。
いや、彼女は俺の事を心配するであろう。……そうだな、ケイの旅に付いて行くという形ではなく、俺の冒険に付いて来てもらう形で提案してみよう。ついでに多少強引に……うむ、シミュレートは完璧だ。
さあ、また向こうの世界に―――行こうとする直前、とあるものに目が留まる。
それは時計。今も規則的な音を鳴らし続けているそれは、現実に深夜が……それどころか東の空が明るくなってもおかしくない時間帯を示していた。
「……」
まあいいか。今夜の夜更かしぐらいは大丈夫だろう。
俺は気を取り直して、VR装置を頭に装着した。
これが仮想世界に意識を移す時に感じる、不自然な眠気に包まれながら、俺は意識の行方を装置に任せた。
・
・
・
「……ここは?」
意識が覚醒すると、そこは不思議な部屋だった。木製にも石製にも見えない、不思議な材質でできた、真っ白な壁。木製とも言えない質感の棚や机があり、その内一つには花瓶があった。部屋全体は清潔な印象だ、あるいは無機質とでも言い表そうか。
部屋を中央を見ると、ベッドがあった。これもまた白く、今度は見慣れない金属で一部構成されていた。
「これは……人?」
私が
「……?」
一体ここはどのような空間なのだろう。怪我人を安置しているようだが……。
「夢、にしては変だな」
どこぞのモンスターが夢でも見せているのだろうか。しかし現実の私は王都の宿屋で寝ているはず、街中でモンスターが出るはずは……一度ドラゴンは出たが、概ね無い。
少なくともそうそう出るものではないはずだ。ならばモンスターから起因するものではないと思うが。
「まあ、あれこれ考えても無駄かな」
難しいことは後で考えよう。夢なら夢で、目が覚めたらそれで終わりだ。そう思って、部屋の中を物色してみることにした。
目を引くものと言えば、棚に置かれた花瓶や、見慣れない板のような物ぐらいか。これは真っ黒な板に白い額縁がついているように見える。
「……あ」
気になるものはこの2つだけか、と思っていると、3つ目の気になる物を見つける。紙袋だ。
どこまで見ても平凡な紙袋だが、何もかもが見慣れない部屋の中、これだけが異色を放っていた。少なくとも私にはそう感じた。
さて、肝心の中身は……何だ、これは?
沢山の物を受け入れられるサイズのくせして、その中には1つしか物がなかった。……いや、1つだけではない。
これまた紙で綺麗に包まれた、恐らく本か何か。それに加え、小さな物がその中にあった。
「これは、髪留め?」
しかもこの髪留め……私が付けている物と同じだ。あるいは……いや、恐らく関係性はないだろう。もし関係があったとして、それは私の想いが夢の中で現れただけだ。
「それで、これは……本?」
紙を破いて中身を出してみれば、それは確かに本だった。
そしてその表紙には題名が……。
その瞬間、我が目を疑わずにはいられない衝撃を受けた。
「っ?!」
その5文字を見て、理解して、思わず本を手放した。
それなりの厚さであったそれは、大きな音を立てて床に落ちた。
一体これは、どういうことなんだ? どうして
どうして……。
混乱している頭まま、屈みこんでそれを拾い上げる。落ちて裏表紙が上に来ていたが、裏表紙には何も書かれていない。
私は再確認するように、本を裏返してから表紙に書かれた文字を読む。
表紙には、こう書かれていた。
『エルの旅路』と。
・
・
・
「っはぁ……! はぁ……!」
胸の鼓動が速い。汗が頬を伝うのを感じる。
私は一体何を
「っつ……、思い……出せない……」
意識が覚醒した直後だというのに、夢の内容が思い出せない。
「く……そ」
どうしても思い出せない。何か、忘れてはいけない何かがある筈だったのに……。
私にとって、とても大切な事。そう、例えば……。
……。
「……は、はは」
そんなわけ、ないか。
そうだよね。ただの夢だよね。
「……そっか」
うん、ただの夢。きっと、私の願望が夢に出ただけ。
……はぁ。
私というのは、私自身が思っているよりも諦めが悪いらしい。もう永久に会えるはずにない誰かの事が、夢に出る程度には。
次章
『MECHA:BECOME FAMILY』
この章もまた長くなりそうだ。