彼女は、前世の記憶を持って過去の世界に誕生した。
過去は、彼女だけの物になった。
未来は、今や彼女のみが知るものだ。
「『転移』」
ある日の事だ。彼女は前世で得た魔法の知識を活用できる、十分な魔力を手に入れた。
特別な方法ではない、身体の成長と訓練によって拡大する魔力の器が、その必要量を満たしただけだった。
十年と数年ぶりの感覚が、彼女を彼方の地へと送る。
かつての記憶に残る、白い花の咲き誇る光景を思い出す。
しかし視界に映ったのは、その記憶とは反した知らない色の花畑だった。
「薄い、ピンク……なんで……?」
知らない所に来たつもりではなかった。
前世では幾度も、それこそ記憶に焼け付くほどに訪れた場所だった。そこへの転移を、失敗するわけがない。
現に、前世での記憶の通り、近所の村もそこにある。
「…………」
でも、
しかし、
そんな事は……
彼女は思う。
この世界に、あの人は―――
―――不意に、花畑の中心に、何かが
心が悲壮と落胆の感情で痛む。
頭が否定と拒絶の意思で痛む。
しかし身体は、ひとりでに前へと歩んでいた。
一歩、二歩と、その姿は明確になるとともに、記憶と組み合わさっていく。
「―――……!」
まるで花びらが散るように、花畑から蝶が飛び去っていく。
その胸から流れ落ちる「赤」を抱えた女性の瞳は、じっと「俺」を見つめ続けていた。
「う……」
目を開くと、視界には規則的に木目が並ぶ天井が映った。
薄いピンクの花畑も、「血」を流す女性も、どれも幻想の様に意識の奥底へ消えていった。
「……夢?」
無意識に、自らの両手を上げて、私の目の前に運んで見る。
女の子らしい、綺麗な両手だ。剣の技を会得している分、少し硬い印象があるが、それでも男性のそれよりは遥かに綺麗に見える。
「もう、会えないのか」
と言うのも、その事は既に知っていた。この世界に来る前から、あるいは……。
けれど、いざ実感するとなれば、知る知らないに関係なく心が締め付けられる。
「……」
しばらく、このベッドから起き上がれる気にはなれなかった。
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このライトノベル……と呼ぶにも少しばかり幼稚な品質であるのだが……。
改めて、『ケイの旅路』と題されたこのノートには、その文字通り、あのケイの物語を綴ったものだ。
始まり……プロローグは、まず悲惨なものだ。
最初は、ケイ自身が誕生する以前。――驚いたことに、文字通り生まれる前から、つまり母親の腹の中から始まっている。――そこから回想シーンが始まって、ケイの前世がどんなものであったのかが語られる。
言うまでもないが、ケイの前世は男性だ。
男性だったケイは、それなりの地位の騎士として日々を過ごしていた。
その仕事の一環で、ある日に村へ訪れたケイは、一人の女性と出会った。
運命と言えばありきたりだが、その巡り合わせから、ケイと『エル』は付き合うことになった。
「――」
その恋人の名前を口に出そうとして、しかし何も声にならなかった。
そうだった、俺はリアルでは喋れないのだ。数年前からの事だったのに、忘れていたとは。
「……」
とにかく、時は進んで……、雰囲気や物語を無視して結末から言ってしまおう。
ケイの恋人であるエルは、死んだ。
モンスターによる村への襲撃を聞きつけ、ケイは任務を抜け出してまでして駆けつけるも、手遅れだった。
しかも、駆けつけるのが中途半端に早かったせいで、エルが死ぬ瞬間を目撃してしまった。
槍で、胸を一突き。
周囲には癒やしの魔法を使える者も居らず、そう時間が経たない内に、恋人は死んだ。
騎士としての仕事も、任務を放棄したということで解雇。死罪にならずに済んで幸運だったと言うべきか。
その後、ケイは魔法の研究を始め、数十年かけてとある魔法を開発した。そう、過去に戻るという魔法だ。
あとは説明不要だ。その魔法を使った所で回想は終了し、次は今世の主人公が誕生するシーンになる。
普通より早く両足で立ち、普通より早く言葉を喋った。ついでに魔法も使った。
今世の自分は女であると知っても、やはり普通より早く常識を学んだ。いや、コレは前世から残っていた知識か。
そんなこんなで、我が子の異常性……耳触りの良い言葉に直そう。
我が子の特別な才能を感じ取った両親は、それを活かす為にあらゆる講師を呼び込み、剣術や魔法、後は算術や語学を教え込んだ。座学系は講師が数ヶ月で自信を失くしたらしいが。
「……」
俺はノートを閉じて、天井を見る。視界には規則的に木目が並ぶ天井が映った。
実を言うと、この部分は既に読み進めていた。
ただちょっと、気になる事があって、最初から読み直していたのだ。
それで分かったことは、二つある。
作中のケイの性格と、ゲーム中のケイの性格が少し違うという事。
そして、過去の俺……筆者の『文字』や『書き方』が変わっている、と言う事。
前者に関しては、ケイの性格が時間の流れによって変わっていったと言う事で説明が付くだろう。
だが後者はどうだ?
確かに時間の流れと言えば説明が付くが、そうではない。焦点が違う。これはケイに関する情報ではなく、過去の俺に直接つながる情報だ。
俺はそこから何か分からないか、必死に考えた。
……見たところ、成長によって書ける漢字や言い回しが増えていった風だ。それに、成長度合いを見るに、数年やちょっとではない。
もしかして、と思って物語の最後の方を開いた。ネタバレなど気にならなかった。
見えたのは、やけに見覚えのある文字。
やはり、と当たりを引いた気分になった俺は、大学生だった頃に使っていたであろうノートを取り出し、開いてから二つを見比べてみる。
「……!」
同じだ。字の書き方、癖、言い回し。全てとまでは行かないが、殆どが共通していた。
そうとなれば、メモだ。気づいたことを忘れてしまっては良くない。
雑に、しかし読み取れる程度に情報を書き留めた。
『大学生の頃も、あのラノベを書いていた。恐らく、記憶を失う直前まで』
……この一冊は、俺の記憶を明かしてくれるだろう。
根拠も証拠も、何もないけれど、俺は確信した。