葉山浩介…はやまこうすけ。ごく一般的な社員。
早坂鈴…はやさかすず。子供に間違われる、浩介の彼女。性格も子供。
小山正吾…こやましょうご。浩介の同期。
秋谷静香…あきやしずか。正吾の彼女、よく寝る。
魚屋のお姉さん…名前は里美、浩介のことはお得意様らしい。
近江信二…このえしんじ。浩介の恩人、すごく寛大。
立花凜…たちばなりん。可愛い物好きな浩介の先輩。飢えてる。
「こーすけ、どうかしたの?」
「ん? 鈴か……別にどうもしねぇよ」
「嘘。なんか考え事してたでしょ?」
鈴がボケっとしている浩介の頬をつんつんする。
「してねえって言ってんだろ?」
「にゃ~、いひゃいよう」
お返しに浩介は、鈴の頬を伸ばす。
「よく伸びるな、お前の頬」
「鈴の頬は玩具じゃないよ~!」
「フフッ……子供っぽくて可愛いな」
「誰の事を言ってるの? 場合によっては怒りますよ?」
鈴は頬を膨らまして浩介に問い詰める。
「そりゃあお前だよ、鈴」
「むー! 鈴が子供っぽいと言うんですね、怒りました!」
鈴は両腕を駄々っ子のように浩介に向かって振り下しつづける。
「わー、強いなー」
「そうでしょう! こう見えても鈴は武道経験者なのですから、強いのは当然です!」
「武道経験者って……近所の子供たちと、公園でやってた空手教室に体験しに行っただけでしょ?」
「それでも経験は経験です!」
「それもそうだな――っと!」
納得された浩介は暴れてる鈴を抱き上げてあやす。
「にゅあ!? は、話してください、こーすけ!」
「これ以上ドタバタするとご近所に迷惑だろ? 大人しくしなさい」
「嫌です! これはこーすけが悪いんです、鈴は悪くありません!」
「悪い悪くないは後にして、ドタバタしないでって言ってんの」
浩介は抱き上げている鈴をさらに上へと持ち上げる。
「高い、高いです! おろしてくださ~い」
「じゃあ復唱ね。私、早坂鈴は、この家で暴れないことを誓います。はい」
「わ、私、早坂鈴は、この家で暴れないことを誓います!」
「よろしい」
浩介は、半泣きになっている鈴をおろす。
「ぐすっ……ごめんなさぁい……」
「俺も子ども扱いして悪かったな、ごめんよ」
「ん、許す……」
鈴は浩介にぐずぐずになった顔を拭いてもらう。
◆
「ねえねえ、こーすけ」
「ん、なんだ鈴?」
「こーすけはいつも本を読んでるけど、難しくないの?」
浩介の膝に乗りながら鈴は前から疑問に思っていたことを聞く。
「これは、そんなに難しくないよ」
「ほんと?」
鈴は私も見たいと言わんばかりにすり寄ってくる。
「ん~……」
「どうかな?」
「こーすけ、この字は何て読むの?」
「これは星屑だな」
「これは流線形」
鈴の顔がだんだん不機嫌になってくる。
「むー! わかんない、わっかんない!」
「鈴は活字離れしてるからなぁ……」
「漫画の方が面白いよ、ほら!」
そう言った鈴は、浩介にお気に入りの本を押し付ける。
「俺はこっちの方が良いかな……」
浩介もお気に入りの本を鈴に渡す。
「じゃあ読み比べ。面白かった方が勝ちね!」
「お、いいよ」
勝ち負けのわかりずらい勝負にあえて乗る浩介。
「いくよ……スタート!」
浩介と鈴は同時に本を読む。
(ほう……結構、展開が熱いんだな……)
(え!? これ何て読むの……?)
そんなこんなで、対決から二時間が過ぎようとしていた。
「……面白いな、鈴は?」
「…………」
「鈴?」
「すぴー……」
「寝てるのか……さては飽きたな?」
気が付いたら鈴は、浩介の太ももをよだれで汚しつつ眠っていた。
「鈴ー、おきろ」
「うぅん……あと何光年か先まで……」
「それは時間じゃなくて距離だぞ、鈴」
「むにゃむにゃ……もう食べられないよぉ~」
「寝言でそう言ってるやつ初めて見るぞ」
浩介は呆れ顔で鈴の持っている本を取り上げて、鈴をベットに寝かせようとする。
「んっ、やぁ……!」
しかし、鈴は浩介の服を引っ張り離れようとはしなかった。
「……しょうがないか、もう少し様子を見るとしよう」
浩介は鈴に抱きしめられたまま本を読み続けた。
「んぅ……こーすけぇ……」
「ん、どうした鈴?」
「だぁしゅきー……」
その言葉に浩介は驚いた。
「ん~……すぴー」
「はぁ……ただの寝言か、心臓に悪いな」
部屋には鈴の規則正しい寝息と浩介の長いため息が響いていた。
◆
「んにゅ……?」
「目覚めましたか? 可愛いお嬢さん」
「あ、こーすけ。おはよー」
『おはよーじゃねえ、もう夕方だぞ」
「あはは……ごめんなさぁい……」
鈴は寝ぼけながらも浩介に謝る。
「夕飯の準備するからどいてくれないか?」
「う、うん――」
「まっ、まった鈴!」
「え?」
鈴が離れた途端、足に尋常じゃないほどの電流が流れた。
「アッ! くぅあぁああああッ!?」
「ひうっ! ど、どうしたの、こーすけ!?」
鈴が心配そうにこちらを見つめてくる。
「いや、ちょっと……足がな――」
「足!? どうかしたのね、鈴が撫でてあげる!」
「鈴、待っ――」
時すでに遅し。鈴は浩介の足を撫でる。
「ひぃあぁああああああッ!?」
「大丈夫? もっと撫でるね」
いくら優しく撫でても、この電流は弱まらない。鈴は悪びれる様子もなく必死に撫でる。
「鈴……今は、駄――」
「痛い痛いのぉ~飛んでけぇ!」
とどめ。そう言わんばかりの、鈴のしなやかな平手打ちが浩介の足を襲った。
「――――ッ!」
浩介の叫びに色は無かった。浩介はしばらくの間、ベットに横たわっていた。
◆
「ごめんなさい、鈴がもう少し早く気づいてれば……」
「いや、鈴は悪くないよ……」
そう言った浩介のふくらはぎには、立派な紅葉が張り付いていた。
「とりあえず、夕飯の支度をしないと……」
「鈴はお肉を所望します!」
鈴は元気よく浩介に言った。
「駄目だ、うちにそんな余裕はありません」
「ぶー、いつもそう言うじゃない!」
「昨日は肉にしたろ? これ以上続くと、財布が浮くんだよ」
「浮くって?」
「そりゃあ……ヘリウムガスとかで、ばーんと」
「へー」
浩介はあやふやな答えで納得させようとする。
「とにかく、今日は駄目。魚が安いから魚にしよう」
「えー」
「えー言わない」
鈴がぶーたれていると、浩介に一本の着信が入る。
「はい、もしもし――」
「聞いてくれよぉ! 浩介ぇ!」
「なんすか先輩、聞いてますよ……」
相手は仕事先の先輩からだった。
「いやさー、今日合コンの予定だったんだけどね? 人が集まらなかったから会社の仲間で飲もうとしてたんだけどさ、あと少しだけ足りなくてさ……出てくれない?」
「……嫌っすよ。今日は家でゆっくりしてるんですから」
「そんなこと言うなよぉ! 頼む、もう場所は取ってんのよ、あと二人! そこを何とか!」
浩介の断りを無視して、先輩の泣き落とし作戦が入る。
「ただ飯だと思ってさぁ、頼むよぉ! 泣いちゃうよ?」
「電話越しに泣かないでくださいよ……」
「ねね、こーすけ。誰から?」
「会社の先輩、食事のお誘いだって」
「お!? そこにいるのは浩介の彼女ちゃんだな! 彼女ちゃんも来て良いよ、っていうか来て!」
鈴の声を聴いた瞬間、先輩の声が大きくなる。
「駄目ですよ、先輩は酔ったら何するか分からないでしょ」
「つれないこと言うなよぉ……女は私一人だぞ! みんな男だぞ、悲しいんだよ!」
「行ってあげたら?」
「鈴は良いのか?」
「良いと思うわ、会社の先輩でしょ? まだ近くで会話したことないから、良い機会だわ」
「……鈴が言うなら、しょうがないか」
浩介は電話で答えを伝えようとする。
「決まったか?」
「はい、鈴が一緒ですけど大丈夫ですか?」
「そんなの大丈夫よ! むしろ、お釣りが出てくるぐらいわ!」
「じゃあわかりました、すぐに向かいます」
浩介は電話越しに一礼して電話を切る。
「鈴、支度するぞ」
「うん!」
浩介と鈴は急いで着替える。
「こーすけ、こんなのはどう?」
鈴は丈の合っていない服を着て、浩介に見せる。
「すげぇぶかぶかだな……」
ぶかぶかすぎてブラも見えるほどだった。
「その服は今度お店に行ってサイズ変えてもらうから、着るなって言ったろ?」
「むー!」
鈴は丁寧にその服をたたんで袋に入れる。
「こんなのはどう! ごーじゃすでしょ?」
「もっと控えめなのにしなさい」
「えー」
鈴は頬を膨らませながらも素直に従う。
「よし、こんなものか……」
浩介の服装はジーパンにシャツとラフな格好をしていた。
「鈴も着替えたか?」
「うん」
鈴の格好は子供服一式だった。
「なんか子供っぽい気がするの……」
「そりゃあ子供服だからな……」
鈴はサイズ的にSでも大きいので子供服を買っている。
「もっと大人チックな服が欲しい!」
「じゃあ、帰りに新しくできた服屋があるから、そこに行こう。な?」
「ん……」
鈴は浩介に頭を撫でられて落ち着く。
「よし、出るぞ。鍵は持ったか?」
「勿論よ!」
浩介と鈴は家を出て、食事をするお店まで歩く。
「う~、早いよぉ」
「おっと、悪い悪い」
浩介と鈴の歩幅は大きく違うので、浩介は鈴に合わせて歩かないといけない。以前は浩介が考え事をしながら歩いていた結果、遠くで鈴が大泣きするという珍事が発生した。
「じゃあ、手でもつなぐか?」
「つなぐ」
鈴は浩介の差し出した手を握って歩く。
「あらあら、こうちゃん。お出かけかい?」
歩いていると、魚屋のお姉さんに会う。
「相変わらずババ臭い喋り方ですね」
「ほっといてよ。そこのお嬢さんは姪っ子か何かかい?」
「…………」
それを言われた鈴は、頬を膨らましてお姉さんを威嚇する。
「いや、彼女です」
「あら! それは失礼したね。お年は?」
「20ですよ、こう見えて」
浩介の言った言葉に対して、さらに頬を膨らませる鈴。
「あらあら! それじゃあ、アタシにとって可愛い娘みたいなもんだねぇ」
「30前半が言うようなセリフじゃないですよ」
「失礼ね、こうちゃん」
魚屋のお姉さんはニコニコしていた。
「おーい、里美!」
「あ、ごめんなさいね。主人を待たせているの」
魚屋のお姉さんは呼んだ方向に駆けていく。
「あの人は?」
「魚屋の店長だけど?」
「むー! あんなボンッキュッボンが好きなの?」
鈴は丁寧にジェスチャーを使って説明する。
「話聞いてた? あの人は結婚してるぞ」
「人妻が好きなんでしょ!」
「そこまで節操ねぇよ」
◆
「着いたか……足、大丈夫か?」
「ちょっとだけ疲れた……」
場所は歩いて一時間のところにあるので、少し疲れる。
「いらっしゃいませ」
「あの、すみません。会社の先輩がこの店を予約していると聞いて……あ、葉山と申します」
「立花様の友人ですね。それではこちらへどうぞ」
「あと、これをどうぞ」
そう言うと店員さんは、鈴に飴をくれる。
「……こーすけ、これは……」
「サービスだろ、多分」
決して子供連れに見えているとは思わないだろう。多分。
「おー! 遅いぞ浩介!」
店員さんに案内されると、そこには聞き覚えのある声が響いていた。
「もう飲んでるんですか……」
「飲むも飲まないも、私の自由だろ?」
「それは、そうですけど……」
「おっす、浩介。元気?」
「元気だよ。変わりないな、正吾も」
正吾は浩介の同期でゲーム好きな変わり者である。
「静香は?」
「寝てるよ、徹夜でゲーム三昧さ……」
「負けた?」
「まっさか、全勝よ」
「負けてやれよ……」
正吾はFPSゲームの世界大会で三位になる程の実力者で、休みの日は彼女と対決するのが日課だ。ちなみに浩介は互角の勝負になるらしい。
「お! こんばんわ、鈴ちゃん」
「あ、お久しぶりです」
鈴とはゲームのボイスチャットで知り合っていて、食事に連れて行ってもらっている仲だ。
「元気だった? 急にごめんな、先輩の無理な誘いに乗って貰って」
「いえ、静香ちゃんは元気ですか?」
「ああ、元気さ。今度ゲームやろうって言ってたぞ」
正吾は誰とでも打ち解けるような奴なので浩介は安心していた。
「正吾ぉ! お前も飲めよぉ!」
安心から一転。一番会わせたくない人が現れた。そう、先輩である。
「いやぁ……自分、あんまり酒飲めないんで……」
「んだよぉ……飲めって!」
「あうぅ……」
正吾は先輩の餌食になっていた。
「ん? 可愛いねぇ君、どこから来たのぉ?」
「ひぅ……!」
飲ませた獲物が落ちると、標的は鈴に変わった。
「良い匂いするねぇ……何のシャンプー使ってるのぉ?」
先輩は品定めをするかのように鈴の髪を嗅ぐ。
「り、りんごのシャンプーを……」
その姿は虎と猫のようだった。
「へぇ、もうちょっと近くで嗅がせてよ!」
「ひぅうっ!」
先輩は鈴のことを食べようとした。
「やめんか、馬鹿者」
「あいた!」
「あ、信二さん」
――が、信二によるチョップで先輩はダウンする。
「いたぁ……何すんのよぉ」
「見てみろ立花、怯えてるだろ」
「あ……」
チョップのおかげで先輩は現状を把握した。
「ありがとうございます、信二さん」
「おう、久しぶりだな葉山」
信二は、浩介が一時期違う部署にいた時の上司である。
「信二さんも、お変わりないようで」
「ところで、彼女は連れか?」
「彼女です」
そこははっきりと言う浩介。
「ははは、そうか。今回は立花のことを許してくれ」
「は、はあ……でも……」
「でも?」
浩介と信二ははとある方向を向く。
「あの……ごめんね? 鈴ちゃん。悪気はなかったの、ね?」
「フーッ!」
鈴は先輩のことを明らかに警戒していた。
「鈴はどうでしょうか……?」
「あー……仕方ないな……」
信二はゆっくりと鈴に近づいた。
「鈴ちゃん、だったね? 私は信二、近江信二だ、よろしくな」
「は、はあ……私は早坂鈴と言います」
鈴と信二は軽い握手を交わす。
「そこで泣いてるのは立花凜だ。彼女は悪気があってやった訳ではない、わかるかい?」
「は、はい」
鈴の表情から怯えが消えていくのがわかる。
「今は許してやってくれないか?」
「……うん」
鈴は信二の申し出に頷く。
「ありがとう。良い彼氏さんを持ったな」
「こーすけを知っているんですか?」
浩介の話題になると鈴が急に食いつく。
「ああ、昔の上司だったからね。例えば――」
「ストップ、ストーップ! 信二さん、やめてください!」
浩介が慌てて止める。
「おっと、本人から止められてしまったな、また今度にしよう……」
そう言うと信二は元いた場所に帰る。
「こーすけ」
「ん、どうした鈴?」
「あの人、なんかすごい人だね……」
「そりゃあ、恩人だからな……」
「へぇー……」
「とりあえず、腹いっぱい食べるぞ」
鈴と浩介は席に座って料理を待つ。
◆
「鈴ちゃん、取れる? お姉ちゃんが取ってあげようか?」
「自分で取れます!」
「…………」
「信二さん、平和っすね……」
一つのテーブルには浩介、隣に信二。鈴、隣に先輩という状態になっていた。
「わさびも取ってあげるから……」
「それぐらい食べれます! 大人なんですから!」
「鈴、お前食えないだろ」
浩介は鈴の皿にある寿司のわさびを取る。
「あ! 浩介ぇ! それは私の役目なの!」
「普通は誰の役目でも無いですよ」
「こーすけ、ありがとう」
「鈴ちゃん、ほかに何か頼むか?」
「あ、じゃあ……これと、これで!」
「わかった。おい、注文を頼む」
「ねぇ? これ一緒に食べない?」
「一人で食べてください」
「ねぇ~鈴ちゃんが私に冷たいのぉ!」
先輩はうじうじと泣いていた。
「しかし、葉山」
「はい?」
信二がとあることを聞いてくる。
「彼女とは上手くやっっているのか?」
「そんな、父親みたいなことを……」
「良いじゃないか、俺ぁ世話好きなんだよ」
「はぁ……上手く、やってますよ」
「なら良いんだ」
信二はにやりと笑う。
「鈴ちゃんは、大学生?」
「はい、もうすぐ就職です」
「そう! じゃあ、うちに来なさい!」
「へ!?」
鈴の顔は困惑の色を浮かべていた。
「丁度良かったのよ! うち、人手が足りなくてね……貴方みたいな子を欲しがってたのよ!」
「ふえぇ!?」
鈴の困惑はさらに濃くなる。
「先輩、その辺にしてください」
「んもぅ。邪魔しないで浩介」
「立花、ここは酒の席。そんなところで社員を増やすな」
信二と浩介の静止が入る。
「むぅ……」
先輩はおとなしく引き下がる。
◆
「葉山、今日は楽しかったよ」
「いえ、こちらこそ」
浩介は信二に向かい一礼する。
「まって! 行かないでぇ! 鈴ちゃん、カムバァック!」
「鈴ちゃんはお前のじゃないだろ」
「はは……」
浩介と鈴は二人を見送る。
「んじゃ、帰るか」
「うん」
浩介と鈴は来た道をゆっくりと歩く。
「あ、この時間じゃ開いてないか……」
「そういえば、そうだね……」
時計の針は日をまたぐ直前だった。
「ただいま」
「たーだーいまー!」
「こら、近所迷惑だろ」
なんとか家に帰ってきた浩介と鈴。
「シャワーにするか……」
「駄目だよ、お風呂!」
鈴はお風呂のお湯を入れる。
「明日、ゆっくり入れば良いじゃないか」
「明日も入るけど、今日も入るの!」
「……しょうがないな」
「よろしい! 一緒に入ろ?」
「返答をさせる気ないな」
鈴はもう裸になっていた。
そんな鈴に風邪をひかれては困るので急いで浴室に行く。
「ほれ、洗ってやるから座ってろ」
「ん!」
「あ? ああ、ハットね」
鈴はお風呂の必需品であるシャンプーハットをかぶる。
「ほれ、かゆいとこはないか?」
「ここ!」
鈴は頭を軽く揺らす。
「おう、全体だな」
浩介はもう一度、鈴の頭をくしくしする。
「うにゃ~!」
「ご機嫌かい?」
鈴は小さく頷く。
「よし、シャワーだ」
浩介は鈴の頭にシャワーで水をかける。
「次は私ね!」
「届かねぇだろ?」
「届きますよ!」
浩介は椅子に座りシャンプーをしてもらう。
「ん~!」
鈴は背伸びをしながら浩介の髪を洗う。
「大変だろ?」
「だ、大丈夫……へっちゃらだい……うわっ!?」
「鈴!」
鈴は滑って転ぶが、ぎりぎりのところで浩介が抱きとめる。
「大丈夫か? 無理すんなって言ったろ……」
「あはは……」
浩介と鈴は体も洗い終わり湯船に浸かる。
「…………」
「どうした?」
鈴は浩介と同じように座ろうとする。
「ブクブクブク……」
「ほらもう、マネしねえほうが良いぞ」
沈んでいった鈴を持ち上げる浩介。
「だって、こーすけと同じように入りたいんだもん!」
「駄々っ子か、こうすれば良いだろ」
そう言うと浩介は膝の上に鈴を座らせる。
「おう、これでどうだ?」
「うむ! くるしゅーない」
鈴はご満悦だった。
「出たらアイスでも食うか?」
「ううん、一緒に寝る」
「子供かよ」
「一緒に寝るの!」
「わかったよ……」
鈴の気迫に押し負ける浩介。
「うおっ、部屋は少し冷えるな……」
「早く寝よ?」
「おうよ、その前に髪をとかしてやるから来い」
「えへへ……」
風呂上がりに浩介が、鈴の髪をとかすのは日常となっている。
「鈴の髪、サラサラでしょ?」
「ああ、サラサラだな」
浩介は淡々と鈴の髪をとかしていく。
「ところで、こーすけは鈴のことどう思う?」
「どう思うって、そりゃあ……」
浩介は口が閉まった。
「……鈴はこーすけのこと好きだよ。ずっと傍に居たくなるくらい大好き。こーすけに出会った時から、この人しかいないって思ってたの」
「…………」
「そしてね、こーすけは鈴のために何でもしてくれたの。プレゼントくれたり、怖い夢を見た時に一緒に寝てくれたり、泣いてるときに抱きしめてくれたり……そんなこーすけが好きだったの」
鈴の声が徐々に潤んでいく。
「でも……子ども扱いばっかりして、親子みたいだねって周りから言われて……」
「鈴、前向け」
「ほえ?」
鈴は浩介に言われるがまま前を向いた。
「――っ」
「っ!?」
鈴は唇に柔らかい感触を感じた。
「鈴、俺はお前を決して子ども扱いしていない。俺はなぁ鈴、お前のことが好きだ、わかるな?」
「…………」
何が起きたか見当のつかない鈴は思わず頷く。
「今はそれしかできない、でもな……いつかはお前と結婚したいんだ」
「っ!?」
いきなりの告白に鈴は戸惑いを隠せなかった。
「まだ俺も、そんなに金を持ってない。結婚式を挙げるどころか、指輪まで買えるかわからない」
浩介は巣押し俯きながら続ける。
「でも、俺は前からずっと……ずっと、鈴と結婚したいって思っていたんだ!」
「こーすけ……」
「……なんか悪いな、気持ち悪くなっちまって……」
「そんなことないよ」
落ち込んだ浩介を鈴は体全体で抱きしめる。
「こーすけはこーすけだよ、だってカッコいいもん!」
「鈴……」
鈴はにっこりと笑う。
「く、首はやめてくれ……絞まる……!」
浩介の顔は赤から徐々に青に変わっていた。
「ああっ! ご、ごめん!」
鈴はすぐさま抱擁を解く。
「げほっ……ありがとな鈴、本当のことを言ってくれて」
「ううん、こちらこそありがとう。こーすけの伝えたい事、伝わったよ」
今一度、浩介と鈴は抱き合った。
「……鈴?」
「なーに?」
「これは何時まで?」
「ずーっと、鈴の気が済むまで!」
「はは……甘えん坊さんだな……」
浩介は抱き合ったまま鈴を持ち上げた。
「よいしょっと……」
そのまま布団に転がる。
「明日も早いし、このまま寝ちゃうとするか?」
「むー、鈴にいたずらされても知らないよ?」
「そんときゃあ鈴の頬が伸びるだけだ……」
「すいませんでした……」
「よろしい」
浩介と鈴の瞼が重くなる。
「おやすみ、鈴」
「うん……おやすみ、こーすけ」
◆
「鈴、起きろ!」
「ふにゅ? 今日は何の日だっけ……?」
「忘れたのか!? お前今日はうちの入社式だろ?」
「あ! 忘れてたっ!」
鈴は布団から射出される。
「俺は先に行ってるから、道に迷わずに来いよ」
「え!? まってよぉ、一緒に行こうよ!」
「アホ。お前は新人社員、俺はそこの社員なんだよ! ミーティングに遅れたら先輩に絡まれんの」
「えー、そんなぁ!」
「って言うか、お前も遅れたら先輩にいじられるぞ? 運が悪ければお持ち帰りコースだ」
「やだ!」
「おし、なら荷物そろえて、ちゃんと時間の五分前に着くんだ。遅れるなよ! あと、朝ご飯は冷蔵庫に入ってるから!」
「ぶー……」
鈴は頬を膨らませながら浩介を見送る。
◆
「ただいま入社しましたぁ!」
「少し遅いぞ葉山」
「申し訳ありません、信二さん……って、あれ? なんで信二さんが?」
「今年から、俺もここに配属されることになってな」
信二は軽快に笑う。
「浩介ェ! もう少し余裕をねぇ……」
「先輩、すんません」
「ところで、鈴ちゃんは?」
「射出させてから来ました」
「おぉう、ハードだね」
先輩は軽く口笛を吹く。
「浩介、お前は新人さんの面倒を見る役になったから」
「え!? なんでそんな大役を俺に?」
いきなり決まった役に浩介は唖然とする。
「しょうがないだろぉ、クジで決まったんだし」
「聞いてないっすよ!?」
「そりゃそうだ、10分前に決まったんだからな」
先輩は悪びれる様子もなく話す。
「なんなら一人くらい受け持ってやるぜ?」
「狙いは鈴でしょ?」
「ちっ、バレてるのか……」
先輩は髪を整えながら舌打ちする。
「ま、遅れたやつはお持ち帰りコースだがな!」
「人道の人の字も無いっすね……」
浩介は呆れていた。
「葉山、後で歓迎会の予約をしておくから人数を把握しておいてくれ」
「わかりました……」
◆
「えー、それでは。今年度の入社式を行います」
「正吾ー、声小さいぞー」
「ゴホン……あそこにいるヤジを飛ばしている人は、これから皆さんの先輩となる立花先輩です」
「一言多いなぁ正吾、よろしくな!」
先輩は新人社員に向かい手を振る。
「…………」
「なあ葉山」
「信二さんもお気づきですか?」
「ああ……」
鈴がいない。新人が横に並んでいるのに、目立つ存在がいない。
「急に背が伸びたってことは……」
「ないですね、探してきます……」
浩介が探しに行こうとした次の瞬間、扉が開かれる。
「遅れましたーっ!」
「…………」
浩介は声が出なかった。ぼさぼさの髪によれよれのシャツ、口の周りのケチャップは、その少女の遅刻した経緯を説明してくれる。
「鈴……」
「あー、早坂さん。遅刻した理由を聞きたいのだが……」
額に汗を浮かべながら、信二さんは鈴に説明を求める。
「それは……朝ご飯が用意されていなくてオムライス作ったら時間が来て、地図を落として駅員さんのお世話になっていました!」
「…………」
鈴の敬礼姿に信二は言葉が出なかった。
「すーずー! お前、あれほど遅れんなって言っただろ!?」
「いやでも朝ご飯が……」
「冷蔵庫に入ってるって言ったろ?」
「落としちゃって……」
「あー……」
浩介は仕事も終わっていないのにぐったりとしていた。
「鈴ちゃぁん?」
「へ!?」
「遅れちゃうのはいけないわ? 今日うちに来なさい、たっぷりと教えてあげるわ!」
先輩は鈴を持ち上げる。
「え!? た、助けてこーすけぇ!」
「身長も全く変わってないようねぇ? フフフ……」
「こ、怖いよぉー!」
鈴は半泣きで連れて行かれる。
「浩介、止めないの?」
「一回だけ預かってもらうのも悪くないと思ってね、家の掃除もあるだろうし」
「鬼だなぁ……」
「静香は? ここに入社してるんだろ?」
「……誰よりも早く来て寝てる」
「浩介さん、お久しぶりです……すぴー」
正吾が指したところには毛布にくるまった物体が動いて喋って寝ていた。
「大丈夫か? 今年の会社……」
「にゃー! 助けてこーすけー!」
「救援を呼ぶのは駄目よ? まずは服装が乱れているから、服装から直しましょうね!」
「うにゃぁあああ! 入ってる! 入ってるからぁ!」
一体何をしているのだろうか。
「葉山……楽しそうな会社だな」
「本当にそう思ってますか!?」
信二は周りの光景を見ながらお茶を飲む。
「このままじゃ、仕事にならんがね。まあ、初めぐらいは良いだろう……」
「いや、全然良くないっすよ……」
浩介は静かに悟った、賑やかすぎるこの会社の面倒は自分にあると……。
今回は長めのオリジナルとなっております。
ご覧くださり、ありがとうございます。
裏話となりますが、この作品は書き流しです。(設定や下書きなど一切行っていない)
書いた日付は5月の7日になります。投稿されるのは8日ですがね……。
これからもガツガツ書いていくのでよろしくお願いします。