「おお? おおお? おおおおぉー?」
「力加減はいかがですか」
「おおお? 気持ち良いよ、なにこれ」
ソファに座り脚をだらんと伸ばした状態。
沙夜は私の前に正座して、自身の太ももに私の足を乗せマッサージしてくれていた。足首から太ももにかけて、肉を持ち上げるように指を擦ったり、靴下を脱がされ足指マッサージまでされたりして、気恥ずかしさがあったけど存外気持ち良い。
リンパとかツボとか全く知らないし、正直マッサージなんて大した効果はないと今まで思ってたけど、これは良いものだ。こんなに気持ち良かったなんて、世の中の女性たちがこぞってマッサージ屋に通うわけだよ。
まあ、それはさておき。
「なんでマッサージしてくれてるの?」
「これが仕事だからです」
「仕事。沙夜ってマッサージ師なの?」
「先程も申した通り、夜闇家使用人です」
「言ってたね。私を試すとか。拒否権はないの?」
「当主様のご意思ですのでありません」
沙夜は私の質問に無表情で短く答える。自分からはなにも言わず私の脚を撫でるばかりだ。
「こうしてマッサージしてくれるのはありがたいんだけど、わざわざする必要のない仕事外のサービス的なやつだよね? さっきデュエル前に、私が死んでも構わない、みたいなこと言ってたし、やりたくないならやらなくてもいいよ」
好き嫌いは人それぞれだし沙夜が私をどう思おうが勝手だからいいけど、自分の思いを殺してまで尽くされるのは虚しさを感じる。私の世話が仕事だって言うなら仕方ないけど、それならせめて許容できる範囲まで仕事の内容を狭めて欲しい。
「⋯⋯申し訳ありません。私は優姫様のお力を疑っていたのです。ただの小娘だと侮っておりました」
「私はその通りだと思うけどね。ちなみに今は?」
「失礼ながら、未成熟。その一言に尽きます」
「うーん、それって私に対して使用人っぽいことをするのが嫌ってこと? 嫌ならしなくていいんだけど」
「嫌ではありません。私はこうして人に尽くすことに喜びを感じるようにできているのです。それに未成熟とは言いましたが、優姫様には夜闇としての資質が多大に秘めておられていると私は推測します。その様なお方に仕えることができるのは、本望でございます」
「はあ、それならいいけど」
沙夜は変わらず表情が出てないけど、それに関わらず褒め言葉だとは思わなかった。夜闇の資質があるって、多分世間一般じゃまともじゃないってことだ。将来、あの自分勝手で我がままなお祖父さんみたいな人になるよ、って言われてるようなものだし、あんまり嬉しくない。それともこう思うのってただの同族嫌悪ってやつなんだろうか。
「当主様は、命令遂行後そのまま優姫様に仕えるか、普段の仕事に戻るか選べ、と仰いました。今の時点では後者を選びますが、今後の四戦によっては前者となる可能性がございますので、ご了承下さい」
「四戦⋯⋯。後四回闇のゲームをしなくちゃダメなんだよね? 嫌なんだけど。なんでやんないとダメなの?」
あの痛みを何度も食らうことを考えるとげんなりする。ともすれば死んでしまうかもしれないし、無関係の相手を死なせてしまうかもしれないのはどうにかして欲しい。死が伴うデュエルなんて怖すぎる。
場合によっては形振り構わず拒否しよう。
「対戦相手の指定は私ですが、闇のゲーム、ないしそれに準ずるデュエルと指定をしたのは当主様です。ですのでその本意は当主様にしかわかりません。その上で、僭越ながらご意思を推察しますと、やはり優姫様にはお教えするべきではないと判断できますので、これに関しては優姫様には我慢していただく他ありません」
「ふーん。じゃあ私が逃げて誰にも見つからない場所に隠れたりしたらどうするの?」
私は沙夜の太ももに乗せた足を挑発するように押し付ける。冗談めかした台詞と行為だけど、内心ではそうするのも一つの手だと思っていた。
「それは不可能です。この筋肉の薄い脚では私から逃げることなどできません」
沙夜は両手で慈しむように私の両脚を掻き撫でる。顔こそ不動だけど手には雄弁なほどの感情が乗っていた。
「わかんないよ? もしかしたらできるかも」
「できるとしてもやめておいた方が良いです。でないと私は強引にでも命令を遂行しなければならなくなりますので」
「どんな風に?」
「例えば——」
例えば。その台詞が少し上擦ったように聞こえた。顔は無。取り繕ったのではなく最初からそのままだ。
そしてその代わりと言わんばかりに動いたのは指だった。優しい手つきなのはさっきと変わらない。
手の動きが止まる。場所はちょうど両足首だ。手の平で包むように掴まれると何故か身が震え、薄っすらとした害意が伝わってくる。それは私の神経を鋭敏にさせ、指の蠢きを感じ取るとすぐにアキレス腱を探っているんだと気付いた。力なんて一切込められてないけど、それが恐怖感を煽る。今まで無防備にも脚を触らせていた事実に、今更ながらにもの恐ろしさが湧いた。
私はこの人のことをなにも知らないのだ。加えて夜闇の人間。人を容易く殺せる人間なのかもしれない。そういう可能性があるというだけで血の気が引いた。
「いえ、言う必要は有りませんね。優姫様は賢い方だと信じておりますので」
「⋯⋯」
怖い。なんでこんな思いしてるんだろう。ちょっと泣いちゃうかもしれない。思えばさっきだって死がすぐ隣にある状況だったんだ。そして今後も少なくとも四回その瞬間がやってくる。そう考えると私って世界で一番不幸な女だと思えてきた。
「はぁ、もうマッサージはいいよ⋯⋯」
溜息と共に沙夜から足を引きぬき地に下ろした。放してくれなかったらどうしようかと想像したけど、すんなり解放してくれてホッとする。闇のゲームと脅しともとれる今の台詞から、私の中で沙夜は危険人物であることは確定したけど、無闇に襲われることは無さそうだ。
「なんでこんなことになったんだろうなぁ」
「優姫様、あまり悲観する必要はありません。要はダメージを負わずにデュエルに勝てば良いのです」
「簡単に言うね」
「簡単ですから。少なくとも、先程のデュエルに於いては。相手次第ではありますが、今後の四戦でも無傷かそれに近い戦績を残せると私は想察します」
「いや、簡単じゃなかったって。大徳寺先生は強かったよ」
最大攻撃力は高かったし全体破壊の手段も幾つかあった。あと直接攻撃も。これでノーダメージで勝てるというのはさすがに買い被り過ぎだ。実際にさっきのは全力で戦った上であれだけのダメージを食らったわけだし。
「⋯⋯成る程、自覚が無いのですね」
「自覚? それって無意識のうちに力をセーブしてさっきのデュエルで本気を出せてなかったって言うの? あり得ないって」
そんなのはアニメとかのキャラクターが、物語を盛り上げるために作者に指示されてやることで、生身の意思を持つ私には出来ないことだ。
「おそらく優姫様は相手の力に合わせて、本気の出し方を構想なされています」
「相手と同じくらいの力まで手加減してるって意味? 自分でもその理由がわからないけど」
「その理由は対戦相手の実力の底を見るためだと私は目算します。相手の実力の全容を知り尽くした上で勝利することこそが、真の勝利だとお考えになっているのではないでしょうか?」
「うーん、わかるような、わからないような。でも仮にそうだとして、私が意識して本気を出せたとしても、ノーダメージ勝利は厳しかったと思うよ」
「いいえ、可能です。優姫様は、初ターン目で彼のデッキは除外を多用して力を発揮するデッキだと気付けたはずです。それならば除外を封じるカードを使用したら良いだけのこと。《錬金釜—カオスディスティル》を破壊するカードでも良い。その様なカードを次ターンでドローするだけで労することなく勝てていたのです」
それは確かにそうだ。その二種だけじゃなく、モンスター効果を封じたりモンスターの特殊召喚を封じたりするカードでも完封できた。そしてそれらのカードは全て私のデッキには入っている。
「だからって都合よくドローできるとは限らないよ」
「出来ますよ。現に優姫様はラストターンで完璧に勝負を決定付けるカードを引き込みました。これはあの時点で相手の底を見たと無意識に判断したからでしょう」
言われると納得できる。この論にしっくり来てる自分がいた。そう思うのはやっぱり手加減してるからなんだろうか。言い包められてる気もしないでもないけど。
「言わば癖の様なものですね。しかしそれが無自覚だというのなら、直ぐに直すことは出来ません。また直すべきではないのかもしれません。癖のせいで勝利までの道のりが遠退いていますが、癖のおかげで強い力を発揮出来ているとも考えられますから。この癖とはつまり優姫様の思想でもあり、そういった部分にデッキが共感して望みに耳を傾けてくれているのかもしれません」
カードの精霊とかの話しか。そういう力が働いているのはデュエルしてればイヤでもわかるけど、それを意図的に利用できるかと言えば私はできない。きっと世の中には自在にドローカードを操ったりできる人がいるんだろうな。
「あれこれ言ったけど、結局、今後の四戦はどれもしんどいってことだよね」
「そうなります。優姫様には覚悟を決めてもらう他有りません」
「仕方ないか⋯⋯。あっ、だったら対戦相手を教えてよ」
「それは出来ません。と言うより、まだ決まってないのです。一戦毎に優姫様に適した相手を選ぶ手筈になっておりますので。ただ、次戦に関してはその方針を決めましたので、それに見合う方を見つけ次第二戦目を執り行う予定です」
「そうなんだ。じゃあなるべく弱い人にしてね。⋯⋯って言っても意味なさそうだけど」
「検討します」
そう言うけど絶対そうはならないだろうな。ま、仕方ない。過剰な攻撃さえしなければ死ぬことはなさそうだし、対戦相手には我慢してもらうしかないか。
「それはそうと。一つ、ご提案があるのですがよろしいでしょうか」
「なに?」
「優姫様、運動しましょう。優姫様はやや筋肉不足の傾向が有ります」
「運動? 面倒臭いからヤダ」
話しの内容がガラリと変わったな。私にとって聞きたくない話しだ。
「いいんですか? このまま今と同じような生活を続けると、ブクブクに太ってしまいますよ? というかすでに⋯⋯」
「太ってないから。確かにここの食事は豪華で美味しいけど、太ってないから」
決して太ってはいない。この胸のせいでそう見えるだけだ。ちょっとぷにぷにしてるとこがあるだけで、太ってるわけじゃない。⋯⋯まだ。
「原因は食事でしたか。ならばそれも改善する必要が有りますね。明日から優姫様には私が作った食事を食べていただきます。そして朝と夜、一日二回のジョギングをしましょう。拒否権はありませんよ」
「強制? ⋯⋯まあ、やれって言うならやるけどさ、なんで態々こんなことまでやらせようとするの?」
「それは私が夜闇の使用人だからです」
微妙に答えになってないんだよなあ。自分のためにもなるし別にいいけどさ。
「だったら、ちゃんと最後まで面倒見てよね」
「ええ、勿論です。それが私の仕事ですから」
仕事か。
あれ、もしかして使用人ってメイドみたいなもの? 身の回りのことをお世話してくれる小間使い、もっと言えばパシリ。さらには奴隷?
言ったらなんでも言うことを聞いてくれるんじゃないだろうか。それがたとえどんなに嫌なことであろうとも。
「沙夜。ちょっとそこに跪いて私の足を舐めてみてよ」
「なにを馬鹿なことを言ってるんですか?」
「ごめんなさい⋯⋯」
そりゃそうだね。