それでは第十一話、どうぞご覧あれ。
「……俺を、殺した? ……貴方が?」
様々な気持ちが俺の中を駆け巡る。かつて投げかけられたどの言葉よりも、その言葉は重く、俺の思考を停止させるようなインパクトがあった。まるで、頭を鈍器で殴られた気分だ。
「……はい。私が、貴方を、意図的に殺しました」
感情も思考も整理出来ないままの俺に、飲み込めぬ事実を彼女は再びぶつけてきた。
殺した、と。その言葉を、よもや神の口から聞くことがあるとは、露にも思わなかった。
「そんな、ことって……!」
思わず、思ったこと全てを、意味のない見当違いの罵倒を、彼女に投げかけそうになる。らしくもなく、形振り構わずに、彼女に感情をぶつけたくなる。
――待て。早まるな。比企谷八幡。
唐突に、溢れ出る感情は、自身の奥底に眠る”理性の化物”が現れたことによって、止められる。
死神の鎌を、目の前に見せられ、凍えるような声音が
――思考せよ。比企谷八幡。
そして自然と、俺はその言葉に従って思考をする。
目の前の人間……ではないか。目の前の神に殺されたのだとしよう。
では何故、殺された俺は今もなお、自身が生まれ持った体で、生きてきた中で築き上げた思考で、新しい世界で人生を過ごしている?
何故、殺された神にやり直す機会を与えられている?
「……ふぅ」
ゆっくりと、息を吐く。そして、それに合わせて体の力を抜く。瞑目し、思考にだけ集中する。
答は出ない。だから、能力に頼らず思考するのだ。疑問に対する”答”を、探す為に。
俺が死んだのは何故だ? ――雪ノ下を庇う為だ。そこにたとえ神だろうと、俺の意思に介入する余地はないはずだ。あるなら、そういう状況を作る為だ。
俺を追い込んだのは何故だ? ――俺をここに呼ぶ為だと彼女は言った。
俺を呼ぼうとするのは何故だ? ――人口減っているから、魔王が怖くて転生を拒む冒険者が増加しているからだ。チートまで渡して。
チートを与えるのなら、俺でなくとも良かったのではないか? ――実際、和真みたいな人間も、先程見た神具を残して死んだ、今まで送られてきた人間達もいるのだ。
しかしだ。それでは今更一人、平凡な人間が増えたところで改善は望めない。
何故改善したいか? ――この現状をだ。
現状とは? ――魔王を恐れ、生まれ変わりを拒む者が増える実情だ。俺を呼んでまで、倒したい程に。
何故神は魔王を直接倒そうとしない? ——恐らく神は世界に過干渉出来ないからだ。
何故だ? ——恐らくルールがある。あの自分本意なアクアでさえ、この世界ではある程度の制限がかかっている。神を自称しても無視され、能力もそれに準じて低くだ。神であるにも関わらず。
魔王を倒さなければどうなる? ——きっと、世界が滅ぶのだろう。
そうなった時の神側のデメリットは? ——分からない。ここは、俺の知り得ない領域だ。
だが、もし無視出来ないデメリットであったならば? ——どんな手でも使うだろう。俺なら必ずそうする。
それは、彼女にも言えることか? ——言える。何故なら、神もまた、一人の人間と同じく、感情を持っているからだ。
俺は顔を上げて、彼女の顔を見る。その表情は、意図的に人を殺すような、悪人のような顔にはとても見えない。
何故か? ——彼女の顔と体が、避けられない罰を受ける前の子供のように、強張っているからだ。
彼女は何故、こんな顔を俺に向けている? ——後ろめたいからだろう。
何が後ろめたい? ——俺を殺したことをだ。
何故? ——そこに罪悪感があるからだ。
何故? ——死ぬ予定ではない俺を、彼女が意図的に殺したから。少なくとも、彼女は俺が死ぬ予定にはなかったと言った。だから、多分思う所があるならそこだ。
彼女は俺を意図的に殺す必要がどこにある? ——彼女にとって、そうしないといけない不都合があったから。
それは何か? ——先程出てきた、無視出来ない程のデメリットの解決策ではなかろうか?
何故俺だったか? ——彼女が、問題を解決する為に俺が必要だと考えたから?
「……はぁ」
どれくらい考えていたのかは分からない。だが、そこまで考えたところで、思わず大きな溜め息が出る。その行動に、彼女はビクッとなりながら反応する。しかし、生憎そんな彼女に構う余裕はない。
つまり、今のをまとめると俺は、彼女のデメリットの解決策に必要であると、判断されていることになる。
今までなら、そんなことは有り得ないと、この思考を放棄して次の考えに思考を巡らすことだろう。
だが、今回はその可能性を十分に否定出来る材料がない。むしろ、
俺みたいな人間が、チートまで渡されて、こんな所まで来させる為の理由。それを説明出来るだけの根拠が、今俺がここに居ることで成り立っているからだ。
だってそうだろう? 俺でなければ、死ぬ必要がないのに、殺す必要がない。彼女が嘘を吐いているのだとしても、それならすぐに能力で分かる。彼女に対してはまるでモザイクがかかったように答が出ない時があるが、少なくとも嘘かどうかくらいは顔を見れば分かる。
……我ながらどうかしてんな。殺されたなんて言われて、考えてるのが自分が殺された理由だ。普通に考えたらイカレてる。
きっと、俺は信じられないのだ。目の前の彼女が、私欲を満たす為だけに俺を殺したのではないかという可能性を。
だから、俺は賭けたいのだ。彼女が、本当に俺が理想とする神であることを。
たとえその結果、”裏切られた”と感じるのだとしても。
「エリス様」
「……何でしょう。比企谷さんに、そう呼ばれる資格は、私には無いのですが」
彼女は俺が話しかけると、俯きがちに反応する。そんな反応をされては、俺としても喋りにくいことこの上ないのだが、生憎喋ってもらわないとこちらが困る。
「貴方が、俺を殺した経緯について、詳しく教えて下さい」
俺は暗に、嘘は許さないと彼女に凄む。しかし、返ってきた反応は予想とは少し違ったものだった。
「……怒らない、のですか?」
彼女はこちらを向きながら、少し目を見開いてそう呟く。どうやら、俺の態度は随分と意外だったようだ。まぁ、普通はそんなこと言われたら問答無用でキレるだろう。
それに、気を抜けば溢れてしまいそうな感情はある。俺も人間だ。恨みも、怒りも、当然ある。憎しみなんて、掃いて捨てても湧いてくる程にだ。
だが、それを彼女にぶつけたところで、意味はない。過去は変えられないからだ。
ならば、せめて自分が納得する為の話をした方がよほど生産的だろう。俺にとっても、彼女にとっても。
「……内容次第です。理由も、経緯も。何も知らないで怒るのは、筋が違う。そうしたくないだけです」
まぁ、これで理由や経緯が意味不明なものだったら確実にキレる。本当に、今までにないくらいキレるだろう。
でも、もし違ったら。俺は不用意に、彼女を傷つけたことになる。そうなった場合、俺が耐えられない。
だから事の顛末を、全貌を、キチンと聞く必要が、俺にはある。
「……分かりました。では、最初からご説明させて頂きます」
少しだけ考えるように沈黙した後、彼女はそう言って説明を始めてくれる。
「……貴方を知ったのは、本当にたまたまです。丁度、私の先輩が下界に降りる際に留守を頼まれた時に、先輩が整理していた”死期が近い人の”資料に、突然変更が発生したんですが、その原因が比企谷さんだったんです」
そして、その話はの最初から、衝撃的だった。
「……は?」
一瞬、本当に全ての思考が止まった気がした。死期が近い人間の資料? それに変更? しかも、原因が俺? 疑問が多過ぎる。
「詳細には語れませんが、死期が近い人というのは、
俺の疑問に答えるように、彼女は説明をしてくれる。理解出来そうにない内容だが、要は死んでしまう人を神は知っているということだろう。しかし、それが分かっても、俺の疑問は潰えない。
「え、っと……そこで、何故俺が?」
俺はそんな、運命を変えるようなことをした覚えはない。そんなことをするのはそれこそ、漫画に出てくるような主人公気質の人間であるはずだ。そして、俺は確実にそこに分類されない存在のはずだ。
「比企谷さんが干渉した行為は”轢かれそうな犬を飼い主が庇う前に庇ったこと”です。本来は、あのまま轢かれる直前に飼い主――由比ヶ浜結衣さんが犬を庇いに飛び出して、あの場で命を落とす運命にありました」
「ッ!?」
けれど、彼女が指し示した行為に、俺は身に覚えがあった。
それは、俺が入学式の日に、由比ヶ浜の犬を庇った時のことだ。
そしてそれは、雪ノ下と、由比ヶ浜と、後に奉仕部として活動するきっかけでもあった。
「貴方のお陰で由比ヶ浜結衣さんとサブレちゃんは助かりました。それは、後に彼女と、その時に居合わせていた雪ノ下雪乃さんとの邂逅という形で、運命が変わったんです。……比企谷さんには、覚えがあるでしょう?」
先程から、衝撃しか受けていない。そろそろ、木っ端微塵になりそうなくらいだ。
その中でもこれは、何よりも衝撃的で、他のことが気にならなくなるくらい、非現実的だった。
「私はその時、随分驚きました。一人の運命ですら変えることはそう容易くありません。なのに比企谷さんは、一つの勇気ある行動で、二人の運命を大きく変えました。それにより、比企谷さんの運命もまた、大きく変わりました」
「…………」
俺は何か反論しようとして、それが意味がのないことだと悟り、口を
そんな大それたことはしたつもりはなかった。
ただ、勝手に体が動いて、俺の体を代償に小さい命が救われた。そのくらいの感覚だった。
だが、彼女に。女神にそう断言されては、今までのように自己満足だと断じることは出来なくなる。出来なくなってしまった。
そして俺は、自己満足とかつて宣った行為によって、彼女達の運命を変えてしまったことになる。
……そんなことを突然言われても、受け止めれる訳がない。……今、これについて深く考えるのは止めよう。今は、あくまで経緯の説明で必要だっただけだ。考えるべきは、少なくとも今じゃない。
俺が思考を整理するまで、どうやら彼女は待っていてくれていたようで、改めて彼女を見たところで、彼女は話を続けた。
「私はその後も定期的に貴方を見続けていました。奉仕部の皆さんの行動もほとんど知っています」
「……出来れば知って欲しくはなかったですね。色々と恥ずかしいんで」
つか、何しれっと観察してました宣言してるんだろうかこの神は。それストーカーよりもある意味質悪いんだけど?
「……いつまでも見ていたいような光景でした。珍しく、壊れて欲しくないと強く思った関係でした。ですが、そんな時に問題が発生しました」
「問題、ですか……?」
恐らく、この問題が俺が彼女に殺された原因に関係するのだろう。そんな雰囲気が、彼女からは感じられた。
「……由比ヶ浜さんと、今度は雪ノ下さんが、死期の近い人となったんです」
「……え?」
しかし、その内容は俺の予想を遥かに上回るものだった。
「由比ヶ浜さんは、正直予想はしていました。人が死ぬ運命というのは、そうそう変わるものではありませんから。……ですが、雪ノ下さんは完全に予想外です。彼女は、貴方と同じく、長生きする予定でしたので」
彼女が語った内容を、俺は即座に否定したかった。彼女達が、何故死ななければならないのかと。
だが、次の一言で、俺は黙らざるを得なくなった。
「運命を変えた時、その結果起こるはずだった事象は、その後一番望まぬ結果でやってくるんです。……残念ながら」
「……ッ!?」
出かけた言葉は、すぐに引っ込んだ。それと同時に、その事象の原因が俺であると、言外に言われたような気がした。流石にこればかりは自分が悪い訳ではないと、どう考えても分かるのに。思考は悪い方へと進んでいきそうになる。
「……比企谷さんは悪くありません。比企谷さんのお陰で、彼女達は貴方と共にあの空間を築くことが出来たんですから」
彼女はそんな俺を見かねてか、そう慰めてくれる。その一言を言われるだけで、少しだけ報われた気がするが、結局は俺の行動が原因だという事実が、頭から離れてはくれない。これからしばらくは、これに悩まされることだろう。
「私は、死は免れないものだと知っています。それこそ、運命を変える程の行為をしなければ、どうにも出来ないことだと。だから私は、せめて最後までその光景を見届けたいと、そう思っていました……」
「思っていた、ですか……」
それは暗に、そうではなかったということを言っている。そしてそれは、恐らく俺の死に直結していることなのだろうと、彼女の顔を見て分かった。
「……彼女達が死ぬ瞬間が近づいてきた時に、思いついたんです。彼女達が死なず、あの光景をまた見られるかもしれない方法を」
「それが……」
「……はい。貴方が彼女達の身代わりになることです」
俺が彼女に、殺されるに至った経緯なのだと、彼女はそう言った。
「ここで重要なことが一つあります。それは私の世界に送られる人の条件として”偶然にも命を落としてしまった人”である必要がありました」
「偶然に、ですか?」
何故そうある必要があるのか、と俺は理解出来ずに首を傾げる。それならば、雪ノ下達も事故死に――あぁ、そういうことか。
「そうです。死ぬ運命にある人の死は
合点のいった俺を見て、彼女は俺の考えを補足するように説明をしてくれる。
そして、それによって俺が死ぬに至った経緯の全貌を、理解した。
長い話を語り終え、彼女は俺を改めて見据えると真っ直ぐと俺の目を見て言う。
「……以上が、私が貴方を、比企谷八幡という人間を殺した理由です。私の私情で、私のワガママで、あの場に干渉し、貴方を殺したことには変わりありません」
「……そうですか」
思えば、違和感はあった。雪ノ下が、咄嗟とはいえ全く動けなかったこと。由比ヶ浜も、それを見ているしか出来なかったこと。
そして何より、雪ノ下を突き飛ばした直後に、体感速度が長くなったことだ。
普通なら、走馬灯のように助かる為の手段を模索する際に思考が早く動くのだろうが、あの時は走馬灯も浮かんでいなかった。多分あれが、彼女が行った干渉なのだろう。加えて、雪ノ下達にトラックの向きを多少変えれば完璧だ。
「……だから私は、貴方の言うことを、何でも受け入れます。死ねと言われれば、今ここで死ぬことも可能です」
そう言って彼女は立ち上がると、腰に身に着けたホルスターからダガーを取り出して、自らの喉に突き立てるような真似をする。その眼には、本当にそうなっても良いという意思が見て取れた。
「……比企谷さん、私にどうか、贖罪の機会を与えて下さい」
そう言って、俺に答を求めてくる彼女。その姿は、とても最初に会った時のような神聖なオーラも、溢れんばかりの厳かさもない。自責の念に押し潰されそうな、どっかの誰かに似たような、哀れな少女の姿だった。
「……二つ、聞きたいことがあります」
「……何でしょう」
俺がどんな判断を、どんな判決を下すかを、彼女はジッと待っている。その手は、本当に僅かだが、震えている。
……怖いなら、言わなければ良いとは言えない。彼女は、その恐怖を押し込んで、俺にその先を選べと言ったのだから。その覚悟を、侮辱するような行為はしたくない。
「俺が殺された後、俺と少しだけ喋りましたよね。あの時に、何故俺にそれを言わなかったんですか?」
この事実を言うのは、はっきり言って今でなくとも良かったはずだ。彼女が故意的に俺をあの空間に呼んだのであれば、俺を引き留めて説明することも可能だったはずだ。けれど、彼女はそうしなかった。
「……本当は、あの時に言うべきだと思っていました。……ですが、私の世界へ行くと答えた貴方の目を見た時に、言うのが怖くなったんです。真剣で、純粋に理想を求めていた、貴方の目を見て……弾劾されるかもしれないことを言うのが、怖かったんです」
「そう、ですか……」
俺は、彼女の思いもよらない答を聞いて、面食らう。まさか、そんな理由で言えなかったとは思っていなかったからだ。
どんどんと、俺の理想は崩れていく。期待は、別の意味で裏切られていく。
やはり、本当の意味での神はいないのだと改めて実感させられた。
「……ではもう一つ。俺に能力を二つ与えたこと、過干渉だったんじゃないんですか?」
これは当初から思っていた疑問だ。俺にだけ二個も能力が与えられるなんて、そんなことがある訳がない。俺にだけ何もないということこそあれど、人より与えられるなんてことは、俺の経験上有り得ないのだ。だから、ずっと疑問だった。
「……やはり、そこには気づきますか」
溜め息と共に、吐き出されたその声には、隠すことが出来ないことを理解したことによる諦念が感じられた。きっと、悟ったのだろう。
「あの時、言ったでしょう?
「……そうなんですか」
彼女が乾いた笑いを浮かべながらそう答える。
内心、穏やかではなかった。どうしてそこまでしてくれて、彼女は俺に贖罪をさせろと求めるのか。今の話を聞く限り、礼を言うのは俺の方だというのに。
「……エリス様」
「はい」
けれど、彼女はきっと俺が何も要求しないことに納得はしてくれないだろう。それは、彼女の話を聞く中で感じた彼女なりの誠実さなのだろう。
では、俺はそれにどう応えるべきか。彼女の誠実さに、俺は何と返すべきか。
これにはきっと、答はない。そして、能力に頼ることは、絶対に許されない。
俺が、俺の考えをもって、彼女に答える。それが、彼女の誠実さに対する、せめてもの答だろう。
彼女は、黙ったままの俺の答を待っている。きっと、本当にどんな要望も聞く気でいるのだろう。
だから俺は、彼女にこう命令する。
「……いや
神に対等であれという命令なぞ、本来ならば処罰ものだろう。だが、今の彼女は罰を求めている。これならば、彼女も罰として納得するはず――。
「……何も、しないんですか?」
「……はぁ?」
俺の答に、帰って来たのは、意味が分からないといった様子の彼女の疑問の声だった。思わず、変な声が出る。
「えっと、その、普通は殺した相手なんて、殺したくなるくらい恨んだりするんじゃ……? だから、もっと凄惨なことをするのかと……」
「あぁ、そういう……」
彼女が慌ててそう言うのを聞いて、彼女の態度に合点がいった。本当、
「そりゃ、何殺してくれてんだとか、そもそも神に殺されたって事実は割と凹むくらいショックだが……それをどうにかする機会を与えてくれるだけマシだ」
「……え?」
俺の返答に、彼女は未だに理解出来ないといった風な顔をしている。何だろう、この意見が伝わらない感じ。アイツらに罵倒される日々が……あんまり思い出したくないな。泣けてくる。
「だから、エリスは殺された俺に元に戻ることが出来る機会をくれただろ? しかも、チートあり。
「え……えぇ?」
彼女は混乱しているのか、俺の言い直した発言を聞いてなお、頭を抱えている。え、何、聞こえてないの? それとも純粋に俺の言っていることが理解出来ないとか? 純粋に凹むわ……。
「それに……」
「あっ……」
俺は彼女の頭に手を置き、小町にやってやるように、つい最近で言えばめぐみんにやってあげたように、優しく撫でてやる。俺の行動の意味が理解出来ずに困惑しているようだから、俺らしく、言ってやった。
「罰を求めてるってんなら、俺と対等ってことは底辺と同義だ。だから当然、罰になり得る。違うか?」
俺なりの理論を振りかざして、相手に同等であれと求める。これをエゴと言わずに何と言うのか。
けれど彼女はそれを求めているのだ。曲がりなりにも女神である彼女が、罰を求めると。
だから下ってもらうのだ。俺と同等の、ただの人間であれと。それに従うことは、どんな罰よりも酷だろう。少なくとも俺は、そう思う。
「……分かりました。その罰、承ります」
俺の言葉を聞いて、彼女はようやく、笑顔を咲かせる。その笑顔に一瞬、意識を持っていかれそうになるのを堪えて、彼女の態度を指摘する。
「固い。やり直し」
「んがっ!?」
折角出来上がった彼女の笑顔を、俺は彼女の両頬を引っ張ることで崩す。何か聞いてはならないような声を聞いたような気がするが、きっと気のせいだろう。
「女神をぞんざいに扱うのはアクアで慣れてんだ。今更どうこう思わんぞ」
「いだだだ!? わ、わかったゃから! わかったゃからはなして!」
「ほい」
「べっ!?」
恐らく限界だろうとおぼしき長さまで引っ張ったところで、俺は手を放す。勢いよく戻った所為で再び女神が出すべきではない声が出ていたが、気にするまい。
「いてて……えっと、何て呼べば良いのかな? 比企谷さん……は駄目だし。ヒッキー? ハチマン? それとも通り名の黒氷とか?」
「黒氷もそこそこ嫌だがヒッキーはやめてくれ……。頼む、マジ頼む、切実に」
「そんなに嫌なのにあの娘には言わせてるんだ!?」
だってアイツ言っても聞かないし……本人にも悪気ないみたいだからイマイチ強く言えないんだよなぁ……。
「な、何か目が腐っていってるんだけど……」
「え、マジで? 俺のアイデンティティ復活した?」
「アイデンティティだったのあれ!? というか、腐ったのも少しだから多分すぐ戻るよ?」
「そう、なのか……」
「何でそんなに悲しそうなのかな……」
いやだって、数年来の付き合いだったんだぞ? むしろ腐ってないと言われた時の衝撃半端なかったからな?
「……まぁ何でも良いや。じゃあハチマン!」
「ん」
エリスは俺を元気良く呼ぶと、改めて俺を見て、向き合う。俺もそれに合わせて、向き直る。
「ありがとう。私に罰を与えてくれて。言ったらあれだけど、お陰で少しだけ、心が軽くなった」
彼女は綺麗にお辞儀をすると、そうやって礼を述べる。
「気にすんな。俺の為にやったことだからな。他意もない」
けれどそれは、俺にとってはあまり望ましくないものだ。彼女に対等であることを強いるのも、彼女に明確な罰を与えないのも、言ってしまえば全ては俺の為であり、そこに彼女の気持ちは考慮されていない。
だから、そうしてまで気にすることじゃない。
「それでも、だよ。ありがとう、ハチマン」
「……おう」
だが、彼女自身もそんな俺の気持ちは気にしないようで、重ねて礼を言っては、見惚れそうな笑顔を向けてくる。
こうして素直に感謝されては、俺も答えざるを得ない。けれど、ヘタレな俺には真っ直ぐ見る度胸はない。だから、目を逸らしながら、俺は彼女にそう返す。
俺が殺された事実も、彼女が俺を殺したという事実も、決して消えはしない。
けれど、それがあって、今がある。その事実も、決して覆らない。だから、簡単に許すことも、見ない振りをすることも、してはいけない。
だから俺達は、今を見据えながら、向かい合う。
「……よろしくな。エリス」
「うん! よろしくね!」
斯くして、堕ちた女神と、底辺の化物の、奇妙な関係が出来上がった。
「今日はありがとう。じゃ、また明日」
「……おう、またな」
後日改めて詳細を聞くと言って、俺は彼女の家を後にした。テレポートは……不思議と使う気分になれなかった。
誰もいない閑散とした路地を通りながら、思考に耽る。
「……貴方を殺しました、か」
彼女が、冒頭に放った言葉。そこに嘘はなく、だからこそ、俺の心を激しく揺さぶった。
神が人を殺す。聖書を見ればそんなこと、いくらでも書いているのに。現実としてそうされた身としては、やはり納得しきれない部分があるのは確かだ。
それでも、俺は彼女に対し、贖罪をしろとか、何かを償えといったような、そんな感情はあまり湧かない。
それは偏に、俺が俺でいるからだろう。
人も、場所も、世界も違う。かつてのような呪縛も、抑圧も、ここにはない。けれど、俺は俺なのだ。
体も、記憶も、俺のままでいさせてくれた彼女に、何故文句が言えるのだと、素直にそう思うのだ。
だから、どうすべきだったのか、よく分からない。
「……答がない問題ってのは、案外多いのな」
そんな俺の呟きは、響くでもなく、誰に届くこともなく、暗くなってきた道の向こうへと消えていく。
「俺は……ここに来て良かったと思っているのか?」
だから、そんな自問に答える声も、そこにはなかった。
いかがでしたでしょうか?
当初から予定していた和真達以外のパーティ入りです。ああだこうだと理由をつけて、何だかんだで非道になれない八幡が私は好きです(真顔)。異論は勿論認める。
次話は番外編の修正が終わってからだと思います。原作の流れに戻りたいけど、多分もう一話分くらいオリジナルかもしれない。
意見・感想・誤字報告等、お待ちしております。