「なあ悟?」
「なんじゃらんほい、っと。」
ここは学園都市ではない場所、旅館『わだつみ』。その一階にあるテレビのある、休憩所のような場所に、悟と上条はいた。凄まじい速度でブラインドタッチを進めていく悟に、上条は問いかけた。
「何やってるんだ?」
「んー?ちょっと後輩から送られてきたセキュリティソフトの『穴』を探しているんだ。」
「どうして?」
「俺に潜入できんのに、他のハッカーに潜入できん道理はないだろう?」
「…それもそうか。」
上条は、目の前の彼が『軍神』と呼ばれる超人ハッカーであることを知らない。よって、「そうか。」と呟いてソファーにもたれ掛かるだけであった。
「(いい感じだなあの二人…)」
「(ええ、そうみたいですね~)」
そして、そんな二人をこっそりと見守る影が二つ。上条夫妻である。彼らは階段の辺りに身を潜め、クラスメート…悟と上条を見ていた。
「あ、そーだ上条?」
「どうした?」
『オメガシークレットの改良案について』とか言う聞く人が聞けば卒倒しそうな内容の電子メールを送信し終え、一息つく悟。しかし、唐突に思い出したように上条へと問いかけた。
「オメーって俺のメルアド持ってたっけ?」
「あれ…そう言えば持ってないかも知れんな。ちょっと待ってくれ。」
そう言って携帯電話を操作し始める上条。最初は彼は新作の小型携帯を買おうとしていたのだが、上条当麻という人物の本能が『一番安い携帯にしろ』とささやいて来るため、これを買った、という訳である。
…結果としては今までに2回程壊れているので、その本能に従ったのは判断ミスではなかった、ということだろう。最も、壊すようなことをしなければいいじゃないか。という反論には閉口せざるを得ないのだが。
「(よーしよしよし、いいぞ当麻ー!そのまま押しきれー!)」
「(あらあら、あの娘も大胆ですねー。)」
実際にはクラスメートの、よく一緒になってつるむグループの内の二人が連絡先を交換しているだけであるのだが、恋愛フィルターがかかっている今の二人に敵などいない。
勘違いと妄想、そして息子が掴んだ一抹の幸せ(妄想成分500%)を暖かく見守る彼らは気づかない。悟の目が全てを見通すことに。悟が内心で大爆笑していることに。…そんな風に、『わだつみ』の夜は更けていく…
「うがーっ‼まだ改善余地があるんですかーっ‼」
「初春…おおよそ少女というカテゴリに相応しくない声が上げられて居ますのよ…」
ここは学園都市、風紀委員177支部。そこには二人の少女がいた。一人は、頭に華飾りのついたカチューシャをつけているはずの少女、初春飾利。最も見た目は金髪碧眼の常盤台女王こと食蜂 操祈であるのだが。もう一人は、風紀委員の誇る『空間転移』を持つ少女、白井 黒子。見た目は初春 飾利である。初春(中身)はリスのように頬を膨らませて答える。
「だって…せっかく風紀委員の仕事の合間を縫って作った暗号何ですよ?ソレを『簡単すぎる』だなんて…ちょっとあの人常識を越えてませんか?」
「貴女が言えた話では有りませんわ。」
初春の言葉に反論する白井(中身)。彼女は一年間程風紀委員で働いているものの、彼女以上に演算能力が高い人物など知らない。悟は数回顔を会わせているけれど、初春が言うほど演算能力が高いように見えなかった。
…悟が学園都市の中でも最高の演算能力を持っているなど、白井は、初春は知るよしもない。
「『虚数の概念を追加した方がいい』、ですか…随分凄まじいことを言ってくれますね。」
そんなことを口を尖らせて呟く初春。白井は「貴女も大概凄まじいですわよ」という言葉を飲み込み、紅茶を口に含んだ。
虚数。ソレは定義上は『2乗して負になる数』。古代ギリシアや古代インドでは『存在しない』として除かれている数であり、電子工学やプログラミング分野でも使われる数である。ソレの概念、すなわち『存在しない数』という定義を暗号に組み込み、作っていくと言う理論だ。
「そーですね…ここと、ここと、ここを…っと。『修正しました。』送信っと。」
そして、んーっ、と大きく伸びをする初春。白井はとんでもないことを行っていることに気付いているものの、下手に聞いてしまえばやぶ蛇になりかねない。よって、彼女にできるのは再び紅茶を口に含むことだけなのである。
「…んにゃ?初春さんからか。」
深夜。初春からの『修正しました。』と言うメールを受け、ソレを開く悟。目の前に写し出される大量の文字列を見て目を細め、溜め息を吐く。
「(俺、初春さんみたいなスキル無いんだけどなー…)」
初春が凄腕のハッカーである理由の1つとして、彼女の能力である『
彼女は自らの手で改造したスパコンを用い、さらにソレを能力を駆使してオーバーヒートさせることなく使ってくる。悟とは言え、初春のような人物とは正面切って闘いたくはないのであった。
「だが、まだまだ甘い。」
そんなカッコつけた台詞を言い、パソコンに手を滑らせていく悟。『今度は変数とかどうだろう?』と言うタイトルで送ったメールは数分後に帰ってきて、『でしたらこんなのもどうでしょう?』と言ったタイトルが写し出される。
期せずして、学園都市の誇る二人の超人ハッカーが協力して作った暗号が完成してしまった。初春がソレを間違えて乱数暗号祭に出してしまい、たまたまその祭りに暗号に答える役として出演していた悟が顔をひきつらせながらソレを解き、『軍神』が『守護神』の正体に感づくまで。その時間は、案外短かったりする。…そんな風に、夜は更けていく…
「と思ってたんですがねえッ!?」
うひょーッ!?という随分情けない声を出しながら逃げていく悟と上条。彼らの後ろには焦点の合っていない男がいた。
「オイ悟アレはどういう事なんだ!?」
「知るかこっちが聞きたいわっ!?」
そう喚きながらも悟と上条はドタドタ、と廊下を駆けていく。悟は後ろの男が現在逃亡中の連続殺人犯、『火野 神作』であることを知っていた。しかし何かしら対抗するための策を思い付くことは出来ず、ただただ逃げていくのである。
「何かしら武器があればワンチャン…あ。いいこと思い付いた。」
「あーもう今度は何だよこちとら朝から色々ありすぎて上条さんのストレスがマッハでございますのことよーッ!?」
ぎゃあぎゃあと叫ぶ上条を無視して、悟は右手の人差し指をこめかみに当てた。
「『再現開始』。
瞬間、悟の目がボンヤリと、焦点を合わせることを拒否しているかのような感じになってしまう。上条は声をかけようとするが、それを平坦な悟の声が遮った。
「うん、うん。そうだよな。
上条が瞬きしたとき、悟は既に火野の懐に飛び込んでいた。
「シッ‼」
そして、素早く鳩尾に向けて掌底を放つ。火野はそれをモロに喰らい、吹き飛んでいく。
「ハッハッハァ‼ひっっっっじょおに愉快な気分だぜえええ‼」
その言葉を上条が耳にしたとき、悟は火野の右腕を捻り上げ、壁に押し付けていた。上条の目から見れば役得な光景に見えなくもないが、火野の腕がミシミシと言っていることからきっと気のせいだろう、と上条は顔を青くしながらそんなことを思った。
「よーっしよしよし…とりあえず寝てろやボケ。」
ゴキリ、という音がしたかと思うと火野は泡を吐いて崩れ落ちた。悟はもう一度こめかみに手を置き、目の焦点を合わせた。
「おーまいがっど?」
「何で疑問形なんだにゃー悟?」
いやだって昨日俺大して寝てねえし。何て呟いてフラフラとした足取りで出ていく悟。
あの後、昨日の夜遅くから初春と暗号に関しての話題でエキサイトしてしまい、現在のような状況に至ると言うわけである。おぼつかない足取りをする彼に土御門は頭をかき、言った。
「なるほど、では舞夏の時にやったあのお話をもう一回してほしいと?」
「いえ、問題ありませんサー‼」
その言葉に、直ぐ様姿勢を立て直し、敬礼をする悟。彼からすればその話は禁忌に近いものであり、出来れば2度と突っつかないでほしいとものだった。悟の目にも弱点の1つや2つ、あるのである。
携帯を操作しつつ、悟は頭をかく。言わずもがな、風紀委員の仕事の件である。最近一方通行の一件等でまともに仕事ができてない気がする、と言うのはきっと気のせいだと思う。少なくとも上条の補習参加頻度よりはだいぶん高いはずだ。何て言い訳めいたことを考えつつも、二人は廊下を歩いていく。
「時に悟?」
「…んにゃ?どーした?」
目を擦りながら土御門の問いかけに答える悟。土御門は右手をヒラヒラと振り、茶化すように言った。
「昨日、夜遅くまで風紀委員の後輩とナニしてたんだにゃー?」
「何って…暗号の改良案だよ。『オメガシークレット』って知ってるだろ?」
「…学園都市のスパコン群でも1つのファイル解析に200年かかるって言うあれかにゃー?」
「ザッツライト。ソレを作ったのが後輩だったらしくてな。ある時───
「ふっふ~ん‼どーです悟先輩、これなら‼」
「…何ちゅうもん作ってんだよ…」
五月の昼下がり、風紀委員132支部。ソコには二人の超人ハッカーこと初春 飾利と山峰 悟、そしてその他177支部の面々がいた。初春はどや顔をしながら悟へ、勝ち誇ったように薄い胸を張る。
「これなら流石に解けないでしょう悟先輩‼さあ、約束通りクッキーを私に寄越すのです‼」
「…オーケイ。よろしい。ならばハック開始だ。」
売り言葉に買い言葉、と言うのはまさにこのことだろう。悟は額に青筋を浮かべながらも、キーボードに指を滑らせていく。初春はどや顔をしながらソレを見守っていたが…
「…え?嘘ですよね。」
「ハイ残り3割~」
顔をひきつらせながら悟が自らの全力、とまでいかずとも結構本腰を入れて作った暗号がバカスカ解かれていくのを見ていた。
実際、悟が能力を使った時点で終了するのだが、初春はまさかこんなに早いとは思っていなかっただろう。何せ後に学園都市の誇るスパコン郡でも、1つのファイル解析に200年かかると言われるようになる代物を、ネジにドライバーを刺した時のごとく解いていっているのだ。そして、30分が経過して…
「しゅーりょー。」
「ええー…」
見事なまでにあっさりと解かれた暗号を前に、椅子にもたれ掛かって伸びをする悟。初春はまさか解かれるとは、と言った表情をしてクッキーを頬張っている。
「初春ー?何してますの?」
「あ、白井さん‼聞いてくださいよ、この人が私(の暗号)を丸裸にしたんですよ‼」
「オイ初春さァァァァン!?何言ってくれちゃってるンですかァァァァ!?」
誤解を招きかねない発言をする初春と、悟のことを厳しい目で睨む白井。悟は両手をあげ、事情の説明を開始した…
「──と言うわけだ。って、何で腹抱えてんだよ土御門?」
一通りの説明を終えた悟が土御門の方を見ると、土御門は腹を抱えて笑っている。あまりにも笑いすぎて過呼吸になるんじゃないか、と思える程に、である。土御門は目尻に浮かんだ涙をぬぐって言った。
「いやー、俺もあの暗号にそんな裏話があるなんて思いもしなかったにゃー。悟はその後どうしたんだにゃー?」
「177支部の人達に冷たい目で見られながらも仕事のお手伝いをさせていただいてました…」
あの時の他人の目のせいで『初春絶対許さねえ』と思ったことや、何故か支部に第二位が乱入してきたりと、色々な事はあったのだが、まあ土御門に教える必要はないか、と考えて彼らは廊下を歩いていった。
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