聡美は小五郎、蘭、コナンの三人と共に、車のタイヤがパンクして林道で立ち往生していた。
「小五郎さん、パンク直せないんですか?」
「スペアタイヤがないんだ。今時、二回もパンクだなんて、ついてねーや」
小五郎はコナンがいないことに気づく。
「あれ、あいつどこ行った?」
「さっきまでいたのに、変ね」
蘭がコナンを呼ぶ。
ガサガサと茂みが揺れ、鳥が羽ばたいてどこかへ翔んでいく。
「きゃああああ!」
その悲鳴にコナンが姿を現す。
「蘭姉ちゃん、今の悲鳴なあに?」
「悲鳴? なんのこと? それより、一人でどこか行っちゃダメじゃない」
「それより、僕あの先でお寺を見つけたんだ。きっと誰かいるかもしれないよ」
四人でコナンが見かけたというお寺まで向かう。
「おお、本当だ。あんなところに寺があるじゃねえか。こいつは助かったぜ。よし、早速行ってみようぜ」
四人は寺に向かう。
「今夜はここに泊めてもらうしかねえな」
中に入る四人。
「ごめんください! 誰かいませんか!?」
と、蘭。
すると、住職がやってきて答える。
「うぬら、何用じゃ?」
驚き様に振り返る四人。
「何用でここに来たと聞いておる。さては、貴様ら、新聞社かテレビ局の回者じゃな?」
「んあ?」
「帰れ帰れ! ここは貴様ら賊仏が来るところではないわ!」
小五郎が顔の前で両手を横に振りながら答える。
「いんや、我々は車がパンクして立ち往生していたもので、ただここに泊めてもらえないものかと……」
住職が接近してくる。
「なに? ここに泊まりたいじゃと?」
小五郎は体を後ろに傾けながら答える。
「はい。でもご迷惑なら、あたしたちは直ちに」
住職は笑顔で小五郎の両手を掴んだ。
「なんじゃ。それならそうと早く言って下され。わしゃ、てっきり、またアレを取材に来た者かと」
「あれってなんですか?」
と、蘭。
「は……いや、こっちの話。えー、一泊精進料理つき、拝観料お一人様一万円、お子様は八千円です。この寺は宿坊も兼ねておりますので」
「い、一万円!?」
「いやならいいんじゃよ。
「い、いや、まだ泊まらないなんて」
「やーい、お前たち! 久しぶりのお客さんじゃぞ!」
住職が奥に向かって叫ぶ。
「ちょ、ちょっと! まだ泊まるとも!」
住職が小五郎を睨め付ける。
「悪いことは言わん。泊まっていきなされ。この雨の夜、やつはどこで目を光らせてるとも、限らん」
「やつ?」
「クマでも出るんですか?」
不気味に微笑む住職。
「クマ? そんな可愛いものじゃありゃせんよ。闇を好み、人の魂を食らう、
「霧天狗?」
雷が部屋を照らす。
「あー、いかんいかん、ここでは禁句じゃった。今のは忘れて下され」
聡美の表情が変わる。
そこへ、修行僧たちが駆けってくる。
「おー、来たか。では、この寺で修行を積んでおる、四人の修行僧を紹介しよう」
眉が太い細長い顔の修行僧、
小太りな修行僧、
眉が細い細長の黒っぽい顔の修行僧、
小さい体の修行僧、
「——そして、わしがこの寺の住職を務める、天永じゃ」
天永が修行僧を見る。
「では、屯念と木念は夕食の支度を頼む。寛念と秀念はこの方たちに寺の中を案内してさしあげなさい」
四人は寛念と秀念に寺の中を案内してもらう。
「ん?」
聡美は解錠された錠前が引っかかる部屋に気づく。
(なにかしら? あの錠のついた部屋は)
聡美は錠のついた部屋を開けた。
(蔵になってるんだ)
「お嬢さん、そこは!」
蔵に入る聡美。
(なんだ、ただの小さな部屋じゃない)
「お嬢さん!」
聡美は天井を見上げる。
(うひゃー。高い天井!)
「なんです、この部屋は?」
小五郎が入ってくる。
「ねえ、お坊さん?」
小五郎が修行僧を見ると、寛念が俯いて何かに怯えていた。
「修行の間ですよ」
と、秀念がいう。
「昔は戒律を破った僧侶をここに閉じ込め、反省させていたそうです」
「通りで頑丈にできているわけだ」
小五郎が部屋の壁を触る。
「それに、登れないように部屋中に漆が塗られている」
「ねえ、なんでこの辺の壁だけ板の色違うの?」
そう訊ねるのはコナンだ。
「ああ、それはあの事件で壊れた壁をそこだけ木念さんが直した跡だそうですよ」
コナンを見ていた秀念が寛念を見る。
「ですよね、寛念さん」
「あの事件て?」
聡美が訊ねる。
「僕がこの寺に入る前に起こった事件です。詳しくは知りませんが、なんでも霧天狗——」
「よさないか、秀念! そんなことをお客様にいうべきことではないだろう!」
と、寛念が怒鳴り散らす。
「すみません」
蘭が上を見上げる。
「なんですか、この音は?」
「滝ですよ。なんなら見に行きますか? この部屋のすぐ横を流れているんですよ」
滝を見に上へ上がる一行。
「うわあ、すごい。本当に滝が目の前!」
と、蘭が感動している。
「ほら、滝の水が手すりを越えて、こっちまで流れ込んでる」
「気をつけて下さいよ。一応、すのこを敷いてありますが、滑ると危ないですから」
蘭が足元を流れる水を見る。
「これ、桜の花びらじゃありません?」
「山の上にある桜から落ちて、流れてきた花びらですよ」
「風流すなあ」
と、小五郎。
「そろそろ戻りましょう。夕食の支度ができたころだと思います」
一行は食事場へと移動する。
一同が談笑していると、コナンが訊ねた。
「ねえ、さっきから気になってるんだけど、霧天狗ってなに?」
修行僧たちは驚く。
「坊や、その話をどこで?」
「すまん、わしがついうっかり口を滑らせてしまったんじゃ」
と、天永が答える。
「なーに、他愛もない昔話じゃ。その天狗は、雨の夜、霧のように村に忍び寄り、仁王の如き剛力で家の壁を破り、人をさらい、あまかけるその足で、木の上へ登り、死体を吊るしてその肉を食らっていたという古の魔物。さらっていったのは肉の柔らかい若い女子ばかり」
怯える蘭。
「そう。ちょうど、娘さん、あんたのようにな」
蘭は小五郎の後ろに隠れた。
「なーに、これは所詮昔話。気にすることではありゃせん」
「だとよ」
「でも、まんざら昔話でもないんですよ」
そう口にするのは木念だ。
「あったんですよ、二年前に奇妙な事件が」
「木念!」
「その事件、詳しく教えてもらえますか?」
と、聡美が訊ねる。
「聡美お姉ちゃん、有名な探偵の妹なんだよ」
「探偵!? もしかして、工藤 聡美?」
修行僧が聡美を囲む。
修行僧は聡美に二年前の事件を聞かせようとするが、「鎮まれ!」と、天永が怒鳴る。
「あの事件のことは二度と口外せんという約束じゃったのを忘れたか」
「しかし、和尚様!」
「食事はおしまいじゃ。さっさと部屋へ戻って寝支度でもせい!」
天永が立ち上がる。
「探偵さん、あなた方には部屋を貸すが、明朝、寺を出てもらう。悪く思わんでくれ」
天永が食事場から出ていく。
夜更け、聡美とコナンは蘭に付き添ってトイレへやってきた。
「蘭め、こんな夜中に叩き起こすなんて……」
「怖がりなんだから仕方ないでしょ!?」
「ねえ、気になるよね、あの事件」
と、コナン。
「知らないよ。言いたくないものは、聞かないのが花だよ。まさか霧天狗が現れたわけじゃないし」
「おや?」
聡美の背後に天狗のお面を被った蘭が現れる。
「どうかしたかね?」
「うわああああ!」
驚く聡美。
「なによ! 自分だって怖がりじゃない!」
「蘭、どうしたのよそのお面?」
「トイレの向こうに飾ってあったのよ」
「あんたね……」
そこへ寛念が駆けつける。
「どうかなさったんですか?」
「ああ、いや、なんでもありませんよ」
三人は部屋に戻る。
「おやすみなさい、寛念さん。ゆっくり休んで下さいね」
蘭は天狗のお面を持ったまま言う。
「これ持ってきちゃった。どうしよう?」
「ったく、被って寝な」
(おかげですっかり目が覚めたわ)
翌朝、秀念が四人の寝室を開ける。
「朝食の支度ができました」
「はい、すぐ行きます」
秀念があくびをする。
「眠そうですね、秀念さん」
「ええ、昨夜、遅くまで読み物をしていましたから。それじゃあ、失礼します」
お辞儀をして去っていく秀念。
食事場に移動する一行。
木念が眠そうな顔をしている。
「眠そうですね。木念さんも夜更かしですか?」
「あなたの叫び声のせいですよ!」
額に青筋を立てた木念が聡美に詰め寄る。
「気になってなかなか寝つけませんでした!」
「すいません」
「私なんてまだいいですよ。屯念なんて、一睡もしてませんから」
「え?」
「あ!」
蘭が和尚と寛念がいないことに気づく。
「和尚さんと寛念さんは?」
「寛念は、和尚様の姿が見えないので、探しに行きましたよ。どうせどっかの部屋で酒を食らって——」
刹那、秀念が扉を開けると同時に、寛念の悲鳴が聞こえる。
「うわああああ!」
「今のは、寛念の声?」
「修行の間の方から聞こえてきましたよ」
一同は修行の間へ駆けつける。
「どうしたんですか?」
寛念が修行の間の天井を指差す。
聡美が中に入って上を見上げると、天永が天井の梁から吊るされた縄に首を括って亡くなっていた。
通報で警察が臨場する。
「首を吊って死亡したのは、この寺の住職、天永和尚。死亡推定時刻は昨夜の十時から十二時の間。死体を発見したのは寺の修行僧、寛念さん、あなたですな?」
と、目暮警部が寛念を見て言う。
「はい。朝から和尚様の姿が見えなくて、捜してたんです。そしたら、この修行の間で和尚様が」
「彼の叫び声を聞いて駆けつけたのが、偶然居合わせた聡美くんか」
聡美は目暮警部を無視して寛念に訊く。
「寛念さん、勘が鋭いんですね。和尚さん、あんな高いところで首を吊ってたんですよね? 私だったら見つけられてなかったと思います」
「ん?」
目暮警部が上を見上げる。
「確かに妙ですな、寛念さん」
と、小五郎。
「ひょっとしてあんた、最初から和尚さんが首を吊っているのを知っていたんでしょう?」
「じょ、冗談はよして下さいよ! 私はただ……」
「見つけられて当然ですよ」
と、木念が口を挟む。
「木念?」
「二年前にもこの部屋で全く同じことが起こったんですから」
「二年前?」
「ああ、それも私が担当した事件だ」
と、目暮警部。
「確か、死んだのはチュウネンとかいう修行僧だ。そして発見したのが、寛念さんと木念さんのお二人でしたな」
「あれは、雨が降り続いた梅雨のころのことでございます。修行のため、この部屋にこもっていたチュウネンさんが、壁に大穴を開け、姿を消したのです。その後、三日三晩捜したのですが、見つからず。寺の外へ逃げてしまったのだと諦めかけた四日目の朝、壁を修理しようとこの部屋に寛念と入り、上を見上げたら……」
チュウネンが首を括って亡くなっていたという。
「壊されていた壁はこれね?」
と、聡美が割れた壁を見る。
「最初はチュウネンさんがここから逃げ出すために開けたのだと思いました。この部屋の扉には鍵がかかっていましたし、それに、後で外壁を修復しに来た大工さんが言ってたんです。こんな大穴を一人で開けるのは、一日がかりの大仕事だって。こんなことが容易にできるのは、あの怪力を持つ、古の魔物、き……霧天狗ぐらいだと!」
「「霧天狗!?」」
小五郎と目暮警部が驚く。
険しい表情をする聡美。
「馬鹿馬鹿しい。そんな化け物なんておりゃせんよ」
「目暮警部!」
天井から捜査員の声がする。
上を見上げる一同。
「やはり二年前と同じです! 両脇の梁にはほこりが溜まっていて、何かが触れた形跡は全く見られませんし、真ん中の梁は多少埃が落ちてますが、縄がくくりつけられてるだけで、引きずった痕はどこにもありません。やはり、今回も自殺なのではないでしょうか?」
「自殺?」
と、小五郎。
「ああ。登るだけならあの警官のように、梁に縄を渡してなんとか登れるが、人をあそこまで運ぶとなると話は別だ。死んだチュウネン僧侶も和尚も、それなりの体格。彼らを背負って縄をよじ登るのは、まず不可能。首に縄をつけて吊し上げても、梁に引きずった痕が残る。最初に自分が登り、上から引っ張り上げたとも考えられるが、足場があの細い梁一本では、到底無理だ。となると、自分一人で縄をよじ登り、梁の上でその縄を使って輪を作り、その輪を自分の首にはめて飛び降りたとしか考えられん」
目暮警部が床に突き刺さった斧を見る。
「余ったロープと、それを切るために使ったと思われる斧も床に落ちてるし、まず間違いなかろう」
目暮警部は大きな穴を見る。
「しかし、気になるのは前回も壊れていた、あの壁だ。どうやって壊したかは知らんが、壁に穴を開けたのも、高い天井で首を吊ったのも、全てはあの昔話に
「でも、変じゃないですか、この壁?」
と、聡美が何かに気づき、目暮警部と小五郎が覗き込む。
「ここって小窓がついていたろころですよね?」
壁から外に出る聡美。
「壁にこんな大きな穴が開いてるのに、壊れた壁や板の破片はほとんど残ってませんよ?」
「うーん、まあ、確かに」
小五郎が手すりの下を見る。
「ふん、どうせ下に落としちまったんだろう。なにしろ霧天狗の犯行に見せかけて自殺するやつだ。何考えてるのか、わからねえよ」
その時だ。
「おじいちゃん!」
と、女性が遺体を見て泣いている。
「おや? 確か、彼女は……」
「和尚様の孫娘の菊乃さんです」
「おじいちゃん、どうしてこんなことに?」
「二年前、チュウネン僧侶の遺体にすがって泣いていたのも、彼女だったな」
「ええ。前は時折、この寺にも遊びに来られていたのですが、あの事件以来ぱったりと見えなくなったんです」
そういうのは寛念だ。
遺体にすがる菊乃の肩に手を添える僧侶。
「あの人は?」
聡美の問いに木念が答える。
「菊乃さんの旦那様ですよ。つい先日、結婚されたんです。なんでも、大きなお寺の後継で、二人は小さいころからの許嫁だったそうです。それを二年前に和尚様から聞いた時は、本当に驚きました。菊乃さんはチュウネンさんと一緒になるとばかり思ってましたから」
「チュウネンさんと?」
「はい。二人は実の兄弟のように、仲が良かったですから」
屯念も話しに加わる。
「きっとチュウネンさんは、菊乃さんの結婚の話が相当ショックだったんですよ。だから、あんな馬鹿なことを……」
寛念が目暮警部を見る。
「もしかしたら、和尚様はそのことをずっと気に病んでいて!」
木念も目暮警部を見やる。
「だから菊乃さんの結婚を期に、チュウネンさんと同じ死に方を!」
目暮警部が顎に手を当てる。
「うーん、確かに有り得るな。だとしたら、どこかに遺書があるはずだ」
「では、みんなで手分けして探してみましょう」
目暮警部、修行僧、小五郎が遺書の捜索を始める。
「なあ、聡美。この事件、本当に自殺なのかな」
と、コナンが聡美に訊ねる。
「いくら昔話に擬えたからって言ったって、あんなところで首を吊るやつがいるか。しかも、あんな大穴を開けてまで」
聡美とコナンが大穴を見る。
「もしも自殺じゃないとしたら、この大穴が何かのトリックに使われたとしたら、今回の事件と二年前の事件は、同じ手口ね」
「ああ。つまり、チュウネン僧侶と和尚は同一人物に殺されたってことになるけど……」
「何やってんだ、二人とも?」
と、秀念が現れる。
「秀念さん」
(そういえばこの人、一年前にこの寺に来たって言ってたわね)
聡美は秀念の左手を掴み、袖をめくった。
(こんな細い体じゃ、壁にあんな大穴を開けられそうにないわね)
「確か秀念さん、
「ああ、三時過ぎまで起きてましたよ」
「その間に何か気づいたことありますか? 例えば、誰かがこっそり部屋を抜け出した気配とか」
「いや、何も聞いていないです。昨夜は静かな夜だったから」
「本当ですか?」
「和尚様の部屋は離れていますが、みんなの寝部屋は隣同士だから、何かあったらすぐにわかると思いますよ。もしかしてお嬢さん、みんなを疑ってるんですか?」
「いや、別に……」
「おい、秀念!」
と、屯念がやってくる。
「ぼやぼやしてないでお前も手伝えよ!」
「あ、はい!」
屯念と秀念が去っていく。
聡美は上の階へ上がり、窓の中を覗く。
(ここから梁に縄をつけて運ぶのは厳しいか)
「ん?」
聡美はすのこの切り口が歪なことに気づく。
(なにこれ? 歪ね。他はちゃんとしてるのに)
聡美はすのこを持ち上げる。
(切り口は古い。随分前に切られたものか)
すのこの裏に桜の花びらが並んでついている。
(どういうこと?)
下のフロアで、蘭が聡美を捜している。
「聡美、どこ!?」
「あのお嬢さんなら、寺の下に降りる道聞いて降りていったよ」
と、警官が伝える。
聡美は寺の下の草むらで何かを探している。
(現場からなくなっているものといえば、あの壊れた壁と板の破片だけ。もし犯人が本当に、あそこからそれを投げたとしたら、必ずこの辺りに落ちているはず。それを見つけたらわかるかもしれない。犯人がそれを捨てなければいけなかった理由が。そして、そのトリックの謎が)
聡美は暫く草むらを探すが、見つからなかったのか、場所を変えて調べる。
「あ!」
聡美は板の破片を見つけた。
(これは小窓の一部ね。ガムテープがついてる? これは一体……)
そこへ蘭が現れる。
「聡美、こんなところで何してるの?」
「ああ、蘭。事件の証拠品を探してたのよ」
「なに、その汚い板?」
聡美が現場へと戻ると、警察が引き上げようとしていた。
「ようし、今日のところはそろそろ引き上げるぞ!」
「目暮警部、菊乃さんはどうしたんです?」
「ああ、彼女なら遺体と一緒に警察に向かったよ」
しかし、と続ける目暮警部。
「結局、遺書は見つからずじまいか」
「いいじゃないですか。自殺というのは決まってるし——」
目暮警部と小五郎が現場から出ていく。
(違う。これは殺人。昨夜、この部屋で何かが遭ったんだ。それも、想像を絶する何かが)
強大な力で破壊された壁。
切り口の歪なすのこ。
そして、林の中に捨てられた小窓の破片と、それについたガムテープ。
(これらをつなぐカギは一体……)
聡美が考えていると、上から桜の花びらが落ちてきた。
「桜?」
(そうか。そうだったんだ)
聡美は上を見上げる。
(だとしたら、犯人は恐らく一晩中この部屋の中にいたことになる。そうか、だからあの人はあのことを)
聡美は現場の外で固まってる修行僧四人を見る。
(犯人はあの人で間違いなさそうね)
聡美はコナンに伝えた。
「ああ、わかった」
コナンは滝の流れ込むフロアへと上がっていった。
「目暮警部、事件の真相がわかりましたよ」
「真相って、自殺じゃないのかね?」
「ええ。和尚さんを自殺に見せかけて殺した犯人が、この中にいるんですよ」
「おいおい。和尚はこの高い天井の梁に縄をくくりつけて、首を吊って死んでいたんだぞ? それを誰かが仕組んだというものなら、一体どうやってやったというんだね? 釣り上げた痕跡なんぞ、梁にはついていなかったぞ」
「ふふふ。痕跡なんて残ってなくて当然ですよ、目暮警部。犯人は天井の梁の真下に、和尚さんと共に浮かび上がり、梁に和尚さんを結えつけたわけですから」
「浮かび上がった?」
聡美の推理に困惑する目暮警部。
「霧天狗じゃあるまいし、人間にそんなことができるわけが」
「聞こえますか、この音?」
「ああ。滝の音だろう?」
「天窓の横を流れている滝。その滝の水を、天窓に引き入れ、部屋を水でいっぱいにすることができたとしたら、天井まで浮かび上がるのは可能だと思いますよね?」
「この部屋を水でいっぱいに? そんなことしたら犯人も被害者もずぶ濡れ。死体には濡れた痕なんて残っていないのは君も確認したじゃないか」
「ゴムボートですよ」
「ゴムボートだと?」
「寛念さん、確かこの寺にはゴムボートがあるって言ってましたよね?」
「はい」
「そのゴムボートに死体を乗せ、上にビニールでも被せておけば、天井まで辿り着けますよ」
「だが、その天井と滝とは離れておる。いくらなんでもそう都合よく水を中に引き入れることなんて」
コナンがすのこを使って水を天窓から引き入れると、その水が目暮警部にかかって水浸しになってしまう。
「犯人はすのこの隙間をガムテープで止めて裏返し、滝から天窓へ渡したんですよ。その証拠に、すのこの切り口が歪になっていました。これは長さを合わせるために切られた痕。それに、ガムテープが貼られていたと思われる部分には、桜の花びらが並んで張り付いていた。山の上から滝によって運ばれる、山桜の花びらが。それに、桜が張り付いているのはすのこだけじゃない。そろそろ乾いて落ちてきますよ」
上から花びらが落下してくる。
「あ?」
「犯人が水を抜いた時に、壁に張り付いてしまった桜の花びらが」
目暮警部が桜の花びらを拾って見つめる。
「つまり、犯人は、和尚さんを殺害した後、この部屋に運び、ゴムボートに乗せて扉を内側からガムテープで目貼りし、小窓からいったん、外へ出た。そして、二階の天窓から今の方法で水を引き入れ、急いで一階に戻って小窓から入って小窓も目貼りする。内側から目貼りしないと、小窓から水が外へ漏れてしまいますからね。後は死体に水がかからないように、注意を払いながら、溜まるのを部屋の中で待つだけです。水が溜まり、梁の真下に到達した犯人は、死体を梁にくくりつけ、まんまと天窓から外に脱出したというわけですよ」
「だが、どうやって水を抜いたんだね?」
「現場に残っていたあの斧で小窓を破ったんですよ。そう、この部屋の容積は、四畳半くらいで、高さが十メートルくらいだから、二点七メートルかける二点七メートルかける十メートルで、七十二点九立方メートル。水の比重は一なので、部屋に溜まった水の重量は、七十二点九トン。そんな水の入った底の小窓に、斧を入れれば、どうなるかおわかりですよね? 亀裂が入ってもろくなっていた小窓は、およそ九点八かける十の四乗パスカルもの圧力で吹っ飛び、吹き出す水の勢いで、壁はみるみるうちに砕け、大穴が開く」
「九点八かける十の四乗パスカル?」
「トラックに轢かれたくらいの力ですよ」
「そうか。それでこんな大穴が開いているのに、破片が残っていなかったのか」
「飛んだ破片は、下の林で見つけましたよ」
聡美は袋に入れた破片を目暮警部に渡した。
「なるほど。ガムテープつきの小窓の破片か。だが、一体誰がそんなことを?」
「水が部屋から抜けるのは十秒もかからないが、貯めるとなれば話は別です。すのこから入る水量は、水道の蛇口の五、六倍。一時間辺りの水量を十立方メートル前後だとすると、この七十二点九立方メートルの部屋をいっぱいにするには、七時間はかかる計算。和尚さんの死亡推定時刻は、昨夜の十時から十二時の間。そして、死体が発見されたのは、朝八時ごろ。トリックの準備をする時間と、水を抜いた後、部屋を吹いたりする後始末の時間を差し引いても、犯人は昨夜の十二時から六時の間、確実にこの部屋の中にいたことになるんです」
「それが一体、犯人とどういう関係が?」
「秀念さん、あなた確か、昨夜の三時ごろまで、自分の寝部屋で本を読んでいたと言いましたよね? だったら、あなたも聞いていたはずです。昨夜の二時ごろ、トイレの天狗の面に驚いて、ある人物が悲鳴を上げたのを。それは一体誰だったのか、答えて下さい」
「も、もちろん聞いたよ。蘭さんが上げた大きな悲鳴を」
驚く三人の修行僧。
「驚いちゃったよ。蘭さんは怖がりだから仕方ないけど」
「し、秀念、お前……?」
屯念が疑問符を浮かべた。
「秀念さん、あの時悲鳴を上げたのは、蘭じゃなくて私なんですよ」
「……………………」
「まあ、あなたに聞こえなかったのも無理はありません。轟々たる水の音がするこの部屋に、一晩中いたんですからね」
「だが、そんな証言、証拠にはならんぞ、聡美くん」
「明確な証拠なら、警部が持ってるじゃないですか」
「え、この破片?」
「水を抜いた後、部屋に残った犯行の痕跡は消せますが、吹っ飛んだその小窓の破片はそうはいかない。そう、それは犯人が回収しそこねた、唯一の忘れ物。私の探偵生命をかけてもいい。絶対にその破片についた、ガムテープに残っているはずです。秀念さん、あなたの指紋がね」
冷や汗をかく秀念。
だが寛念が訊ねる。
「でも、秀念は一年前にこの寺に来たんですよ?」
続いて木念が。
「二年前と同じトリックなら、同一犯」
屯念も口を開く。
「秀念には無理だ!」
「二年前の事件は、和尚さんの犯行でしょう。今回と全く同じトリックを使って。すのこの切り口は古かったし、前の事件の解明を一番恐れていたのは、和尚さんでしたから。そして、私の勘が正しければ、二年前に殺されたチュウネンさんと秀念さんは、兄弟です!」
修行僧が秀念を見る。
「ああ。そうだよ。チュウネン僧侶は正真正銘、血を分けた僕の兄。みんなが気づかないのも当然だよ。僕は素性を隠すため遠縁の寺を通して、修行僧としてこの寺にやってきたんだから」
秀念は語った。
この寺に来た目的は、兄が死んだ不可解な事件の解明と、真犯人を見つけることだと。
半年間、必死で寺中を調べ回って、トリックは見当はついたが、犯人はわからなかった。
「みんな、事件のことは話したがらないから。でも、昨日、探偵さんが来てわかったよ。和尚のあの妙な態度を見て、はっきりとね! あの後、和尚の部屋へ行き、寝酒を飲んで酔った和尚を問い詰めたら、ペラペラといろんなことを話してくれたよ。僕が弟だとも知らずに。兄を殺した理由は、大きな寺の跡取りと縁談の決まっていた菊乃さんを、兄に取られたくなかったから。兄は菊乃さんと駆け落ちの約束していたらしいけど、そんなことはどうでもいいよ。とにかく、自首してくれと頼んだら、『どうせ二年前のこと。もう証拠はなにも残っておりゃせんよ。それにあの事件のおかげでこの寺にも白がついたからよしとせい。霧天狗が出没する寺じゃとのう』その言葉に僕は我を忘れ、部屋にあった帯で和尚の首を絞めて、殺してしまったんだ! そう、二年前に和尚が兄の首を絞めた時と同じように、首吊り自殺と同じ痕が残るように、背負ってね。死体を前にした僕にはもう、道は残されていなかった。二年前、和尚が使ったトリックで、犯行を隠す道しか。残念だよ、探偵のお嬢さん。もしもあなたが、二年前にもこの寺を訪れていてくれてれば。恐らく僕は、僕は……」
秀念は間もなく逮捕された。