彼らの巣立ちを見守るために   作:ふぇいと!

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アダムとは別のオリ鯖投下に注意。





『楽園の大嘘つき』

 

 

ふわりふわりと、まるで雲の上に乗っているかのような心地だ。

 

立香が(まぶた)をゆっくりと上げれば、木々の隙間から降り注ぐ陽光が目を刺す。眩しくて、思わず顔を手で(おお)った。

 

鳥のさえずりと木々のざわめきが聞こえる。遠くの川のせせらぎが寝起きの耳に優しく響いた。

 

ゆっくりと身体を起こして立香は周りを見渡す。深い森の中。ぐねりと曲がった自然の樹木がいくつも根を張り、見たこともない草花が競うように咲き乱れていた。

 

それでいて、『鬱蒼(うっそう)と』という言葉が似合うような景色でもない。それぞれが自由奔放に育っているようでありながら、それでも一種の秩序を損なっていないように感じる。

 

例えるならば、お伽話の中に出てくるような不思議な森だ、と立香は思った。

 

「ここは、どこ?」

 

呟いてみても当然答えは返ってこない。先ほどまで決戦の場所にいた筈なのに、一体どういうことなのだろう。

 

覚えているのは、第Ⅲの座『観測所フォルネウス』に唸る大海に落ちたこと──

 

「──ああ、もしかして」

 

死んでしまったのだろうか。とは口に出さなかった。

 

ここはまるで天国のような場所。あるいは()()と言ってもいい。なんの前触れもなく、しかし其処にいるということはつまり──そういうこと(死んだ結果)なのではないかと。

 

そんな冷たい不安が心の奥底から這い上がってくる。でも、何も成し遂げずに死んでしまったことなど認めたくなくて、だから言葉にはしなかった。

 

戻らなくては、と思う。マシュも、ロマンも、ダヴィンチも、他の皆も待っている筈だ。まだ玉座に辿り着いてすらいない。自分は人類を救わなくてはならないというのに。

 

「とにかく、どこか、出口を」

 

──ここは入った以上出られるような領域ではないのかもしれない。

 

そんなことを囁いてくる()()()()()()()()()()()()()を無視して、立香は歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

しばらく歩けば開いた所に出た。薄く霧に包まれた湖畔だ。ほんの小さな、霧で視界が遮られている今でも対岸が見えるような、そんな湖の傍だった。

 

清涼な空気が広がっている。周りの木々に指を撫でつければ、冷たい(つゆ)が指先を濡らす。朝露があるということは今の時間帯は朝なのだろうか、と立香は考えた。

 

今までも希薄だった生命の気配が、ここに着いた途端消滅してしまったかのように思える。それぐらいに静かで、どこか神秘的。

 

この場所というのは、本来であれば自分には()()()()()()()()なのだろうと、立香は漠然とした予感を覚えた。

 

「あれ……? そういえば、此処は何処かで……」

 

天上の景色に目を奪われていた立香を感動の次に襲ったのは、唐突の既視感(デジャヴ)だった。自分はいつだったかこの場所に来たことがあるような気がしてならなかった。

 

自分──あるいは、()()()()()()()()()()()()()()が、ここにいたような気がする。

 

 

 

──ざくり

 

「──!!!」

 

耳朶を打った草踏みの音に、立香はバッと勢い良く振り向き、指先を銃の形にして構える。魔力回路を励起させ、拘束の呪い(ガンド)の態勢をとった。

 

なんだ、誰だ、敵か──?

 

7つの特異点を駆け抜けた立香の成長した警戒心が張り詰める。サーヴァントが一人もいない状況で油断などできるはずもない。

 

マシュすらも傍にいない現状、敵のサーヴァントどころか魔獣一匹でも出てくれば即お陀仏だ。それこそ、先ほど想像していたとおりに死んで天国へと召されてしまう。

 

立香は、しっかりと指先を音の源に向けたままに、鋭く問いを投げかけた。

 

「誰?」

 

「──アンタ、そりゃあ此処に居るってんなら、俺しかないッスよ。分かってるでしょ」

 

緊張感マックスだった立香とは裏腹に、飄々とした調子でなんの躊躇もなく姿を晒したのは、胡散臭い喋り方と声色をした少年だった。

 

「しばらく来なかったと思ったら、また急な来訪ッスね。久しぶり過ぎて俺が此処に居る事すら忘れたんスか」

 

()()()()の刈り上げた短髪をわしわしと掻きながら不機嫌そうに溢す少年。立香より10cm高いぐらいの身長。一見ひょろりとした印象を受けるが、露出した肩口からは鍛えられた肉体が見え隠れしていた。

 

黒い布一枚をぐるぐると身体に巻きつけたような服装で、腰には丈夫そうなツタがベルト替わりのように結んであった。そして、そのツタには、小さなナイフが下がっている。

 

ナイフはもう随分と刃こぼれしているように見えた。相当使い込んでいるのだろうか。それにしたってボロボロ過ぎるが。もともと上等そうなものではないし、仕方ないのかもしれない。

 

立香は、警戒を続ける──しかし。

 

「ちょっと散歩から帰ってきてみれば、おっそろしい呪い(ガンド)なんか構えて、ほんと、なんでそんなに気が立ってるんスか?」

 

アンタのガンドは森羅万象すべからく拘束(スタン)だから洒落にならないんスけど。などと呟きながら、立香の緊張とは裏腹に、彼はあれよあれよという間に立香の目と鼻の先にまで辿り着いてしまった。

 

立香の胸中は困惑で一杯一杯だ。どうやら聞く限りでは自分と彼は知己らしいが、立香には全く見覚えのない話。こんな特徴的な喋り方をする人ならば忘れないだろう。

 

──兎にも角にも。

 

「──あの、」

 

「……ん、アンタ、なんか様子がオカシイっスね。なにかあったんスか?」

 

立香は指先をゆっくりと下ろす。敵ではなさそうだし、ガンドはひとまず置いておいて。まずは誤解を解くところからだと、立香は口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「──なるほどね、理解したっス」

 

説明を終えた立香は、少年の言葉にほっと息をつく。こんな場所にいるのだから、世界の滅亡などという荒唐無稽な話にも理解を示してくれるとは予想していたが、その通りにうまくいって良かった。

 

これで「何いってんだアンタ」と冷たい目で見られようものなら、心に向かって相性有利のブレイブチェインを決められたような状態になってしまう。つまりは瀕死。そんな未来想像したくもない。

 

「確かにアンタと俺は知人()()なんかじゃなかったみたいッス」

 

「でしょう? 私は貴方にあったこともない」

 

「あぁ、いやいや、でもアンタは、俺の知ってるアンタっスよ」

 

「え、」

 

「言うなれば、一方的に知ってるって奴っスね」

 

──よくあるでしょ、アンタ。『英霊』と関わって来たっていうんなら。

 

立香の頭には、今までに出会ったサーヴァント達の姿が思い浮かぶ。召喚された折、初対面なのに知り合いのような反応をする者も、一緒に駆け抜けた特異点の記憶を忘れていた者も様々な英霊がいた。

 

「俺の知ってるアンタと今のアンタは、なんというか時間軸がズレてるみたいな感じッスね。俺はアンタの()()()()()()()()って奴なんスよ」

 

「──まって、ということは、貴方」

 

「ご察しの通リ、()()ッスよ。サーヴァント……とはちょっと違うッスけど。此処は現世じゃなくて、どちらかといえば『座』に近い所ッスから」

 

なんと、この少年、英霊であるらしい。なんの変哲もない、英霊らしい何かを感じない、軽薄な態度が目立つぐらいの不思議な少年だと、話を聞いた今でも立香にはそう思えてしまう。

 

「信じられなーいって顔。相変わらずわかりやすいッス」

 

「え、あぁ、どうもゴメンナサイ。えと、それで、貴方は──」

 

「……ああもう、アンタに『貴方』って呼ばれるとか背中がムズムズするッス! どうにかならないッスかそれ!」

 

「えぇ……」

 

彼と会ったという未来の自分は、一体彼のことをどう扱っていたのか。本当にの気持ち悪そうにする少年の様子に、立香は純粋に疑問を感じた。

 

「えっとじゃあ、なんて呼べばいいのかな?」

 

「そうッスねぇ……これも何かの運命ッス。世界を救う前の彼女に、それも此処で会えたのは、きっと、とても大事な意味があるッスよね?──ねぇ、()()()

 

「父さん……?」

 

「未来のアンタは、初めて俺と会った時、まるで顔見知りみたいにしてたッス。それがなんでなのか、ずっとわからなかったんスけど、こういうことだったんスね」

 

──でも確か、アンタ、俺の名前は知らなかったみたいだったし──そう呟きながら、少年は立香に向き直る。

 

「だから、俺の真名は、きっとアンタは知らないほうがいいッスから──」

 

 

 

 

 

()()()()()()()()と、そう呼んでくれれば。長いなら、略し方は任せるッスよ」

 

そう言って、少年は立香に手を差し出した。

 

 

 

 

 

 

特に嫌がる様子もなく仮契約を受け入れてくれた少年──『エデンのアサシン』に、立香は何処か拍子抜けしながらも、回路(パス)を結んだ。

 

此処から出たいから協力してくれと立香が頼めば、二つ返事で了承してくれたアサシン。立香は、彼の案内でこの空間の出口へと向かっていた。

 

「そういえば、此処はどういった空間なの、()()()()()?」

 

「……アンタ、ネーミングセンスは相変わらず皆無なんスね」

 

溜め息を吐くアサシンに対し、立香が「真名を教えてくれないのが悪い」と心外そうに頬をふくらませれば、「この先そういう奴にも一杯会うことになるっすよ」と笑って返される。

 

さっきから食い下がっているというのに、暖簾に腕押し、糠に釘。なんというか、話していて掴みどころがない。まるで目まぐるしく姿を変える雲のよう。自由な人だな、と立香は思った。

 

「……そういえば、此処は何処なの? さっき、『座』に近い、とか言ってたよね」

 

ひとまずは真名を諦めて、立香は辺りを見渡しながらそう聞いた。前を歩いているアサシンは、ちらりと立香の方へと顔だけ振り向きながら答える。

 

「そうッスね──英霊へと至れなかった『誰か』の生きた場所。焼き付いた記憶の残響。言い方は色々ッスけど。まぁ、『控え室』みたいなもんと思ってくれればいいッスよ」

 

「控え室……?」

 

「そう、現世と座との中間に位置する、()()()()()()()()()()。そうッスね……決して英霊になれるような器ではないけれども、世界に必要とされているから其処にいる。そんな存在がいつかのために出番を待つ、辛気臭い場所の一つッスよ」

 

「世界に必要とされているって……?」

 

「そりゃあ、まあ、そうッスね……あんたの制服に付いてる替えボタンみたいな? 絶対に必要な訳じゃないけれど、ないと困る時が()()()来るかもしれない。そんな万が一の為に控えさせられてる奴も居るッスよ。世界を都合よく回すための歯車の一つとして」

 

「…………」

 

どうも容量を得ない彼の説明。雰囲気どころか話す内容まで掴みどころがない。立香には半分も理解できなかった。此処に他の誰かがいれば、分かりやすく噛み砕いて説明してくれたのかもしれないが。

 

「結局、使われないままに忘れ去られるのが普通ッス。けど、アンタの所では違ったみたいッスね……それだけでも、きっと救いだったと思うッスよ」

 

何処か遠い目をして言うアサシンに、立香はこの場所が誰のための場所なのか、わかった気がした。

 

なんの根拠もないけれど、この光景をいつだったか見たような気がしていたのはきっと、彼の記憶で──

 

「もしかして、此処は、アダムの……?」

 

「今はその名前なんスか。まあ、召喚されるなら大体そうッスよね。一番の有名所だし」

 

呟いた立香に、アサシンは静かに首肯する。立香は改めて周りを見渡した。気づいてみれば簡単なことだった。ここはいつかの夢で見た湖畔。アダムが生前、唯一安心して過ごせた場所だ。

 

となれば、ここはアダム──いや、その名を与えられた『彼』の生きた場所なのだろう。

 

なぜ、ここに来てしまったのだろうか。

 

「……ここは夢の中みたいなもんッスよ。あの人と関わりを持った人間は、偶に此処に辿り着く。深い後悔を覚えた時。狂おしいまでに会いたいと求めた時。そして、生きたいと必死に願った時。条件は色々ッス」

 

アンタは、一体どれッスかね? 立香の内心の疑問を見ぬいたようにして、アサシンはからかうように笑った。

 

決まっている。生きたいと願ったからだ。こんな所で死にたくないと思ったからだ。何も成し遂げず、今までの全てを無駄にして無様に死んでしまうことに、例えようのない恐怖を感じたからだ。

 

気絶する前の光景が脳裏をよぎる。荒れ狂う海、叩きつけられる魔神の巨体、傾く船体、突然の浮遊感──刺すほどに冷たい嵐の海面。

 

ゾワリ。恐怖が立香の首筋をゆっくりと撫でた。

 

「……ここからは、どうすれば出られる?」

 

顔を左右に激しく振り恐ろしい感覚を振り払って、立香はアサシンに問う。早くここから出なければ。そんな義務感が立香を追い立てているような気がした。

 

「今やってるように世界の端まで走るか──あるいは、アンタが()()()()()()()()。言ったようにここは夢の中ッス。起きようと思えば起きれるもの。アンタの身体は未だ『向こう側』なのだから」

 

「迷い、なんて……そんな、」

 

「ない、って言い切れるッスか? 本当に? 戻りたくないと、もう頑張りたくないと、そう思ってないッスか? このまま此処で蹲っていたいと、そういう気持ちは微塵もないッスか?」

 

そんなこと思ってない。なんて言えなかった。

 

もう一度あの戦場に赴くことが、どうしても嫌だった。何もかもを見捨てて逃げて仕舞いたいと感じてしまう。今まで許されなかった逃亡の選択肢が、今この時は選べるかもしれないと知ってしまったから。

 

この夢を一生見続けていたい。立香の心はずっと昔から軋み続けてボロボロで。危険なことはもう懲り懲りで。

 

「アンタはもう十分頑張ったッス。その小さい背中でよく背負ったもんッスよ。本当に、現代にいる人間とは思えないぐらいに、眩しい英雄だったッス」

 

だから、もういいんじゃないッスか? そうして、アサシンは甘い言葉を囁く。さながら詐欺師のように、張り詰め続けてきた立香の心を巧みに緩めていく。

 

立香の眼の色が輝きを失っていく。虚ろに歪み、生気を失い、まるで操り人形のように伽藍堂になっていく。呼吸は浅く小さくなって、まるで眠っているようだ。

 

いつの間にか、アサシンと立香の歩みは止まっていた。

 

「……もう一度聞くッスよ。アンタ、もう帰らなくてもいいんじゃないッスか?」

 

そうだ、いいじゃないか。休んでも誰も文句は言わない。自分ごときが救えるものなどたかが知れている。向こう側では数多の英霊たちが戦っているのだ。自分が居なくたって、自分なんか居なくたって、皆がきっと自分の代わりに──

 

 

 

 

 

 

──本当に、そうかい?

 

 

 

 

 

 

「───!────っハァッ……!」

 

頭に響いた優しげな響きの厳しい声。ドクン、と静まっていた立香の心臓が強く鼓動した。

 

立香の瞳が輝きを取り戻す。詰まった喉が吹き返したように呼吸を荒くさせる。動悸を落ち着かせることも程々に、立香はアサシンをキッと睨みつけた。

 

「──何をしたの!?」

 

「さぁ?……でも、それがアンタの『罪』ッスよ。掘り起こしたのは俺でも、今までそれを埋めて見て見ぬふりをしてきたのは、他ならぬアンタだ」

 

そして、それを見据えなければ、きっとこの先を越えられない。

 

「それは、どういう……」

 

「…………」

 

立香が問い返しても、アサシンは沈黙するだけだった。自分で考えろ、とそう言外に示されているような気がした。

 

アサシンは歩みを再開させた。立香も、警戒しつつ彼に着いて行く。しばらく歩けば、アサシンは再び口を開いた。

 

「……そうして()()を自覚した今でも、正気に戻れたのは本当に立派なことだと思うッス。それだけ強靭な心を持ってる──いや、誰かにケツを叩かれたッスか?」

 

立香はアサシンの問いに、先ほど聞こえた声を思い出す。諦観の沼に沈みかけた自分を叱咤してくれた声。本当にそれでいいのかと問い質してくれた声に、背中を押されたような気がした。

 

あれは誰の声だったのだろう。

 

自分を奮い立たせるための幻聴だったのだろうか。それとも──

 

なんにせよ。アサシンの甘言に乗るわけにはいかないと気づけた。今はそれだけでいい。

 

「……私は、諦める訳にはいかない」

 

なぜ忘れてしまっていたのだろうか。逃げるわけにはいかないなんて、そんなこと、ずっと前から分かっていた筈なのに。

 

残してきた者が沢山ある。ここで夢へと逃げてしまえばきっと二度と取り戻せない、そんな大切なものが沢山あるのだ。

 

怖くて震えてしまっても、痛くて泣いてしまっても、寂しくて凍えてしまっても。それでも走り抜けなければならない。きっとそれは、藤丸立香にとっては譲れない願いの筈だ。

 

マシュ、ロマン、ダヴィンチ、カルデアのメンバー、人理そのもの。そして──彼の為にも。

 

 

 

 

 

「──アンタ、いい顔してるッス。この様子じゃ、あと少しで起床ってとこッスね」

 

ニヤリと、胡散臭い笑みを浮かべて、アサシンは振り向いた。立香は彼の言葉に周りを見渡す。視界がかすみ、景色がぼやけている。まるで夢から覚めるときのように、鮮明だった筈の輪郭が薄れ途切れていこうとしていた。

 

「なんで、いきなり……私、別になにも……」

 

諦める訳にはいかない、と宣言したものの、それは強がって言葉にしただけだ。心の中では未だに不安が渦巻いているし、戦場に行きたくないという欲求だって消えてはいない。

 

迷いを振り切ったなんて、到底言えるような心理状態では無いはずなのに。

 

「そりゃあ、アンタが()()()()()からッスよ。逃げたい気持ちも怖い気持ちも、それを持ったままで、背負ってでも成し遂げるって、アンタがそう決めたから」

 

──()()()()()()ってのは、高潔な意志では決してないけれど、それでも立派な決意だと思うッス。

 

そう言って、アサシンは微笑んだ。先ほどまでの胡散臭さは何処へやら、見惚れるほどの綺麗な笑みだった。

 

「いやはや、短い出会いだったッスねぇ。ま、アンタはそんな短い問答ですーぐ決意固めるんだから、扱いやすいッスね。相変わらずのようで」

 

「───!───!」

 

心外だ! この詐欺師め! とそう叫ぼうとした立香の声は、音になることはなかった。

 

退去が始まっているのだ。サーヴァントたちが特異点から去る時と同じように、立香の身体が徐々に光の粒子へと変わっている。

 

「詐欺師なんて、それこそ心外ッスね。俺は本当に、アンタは休んでもいいって思っていたッスよ?」

 

音にならない立香の叫びは、しかしアサシンには聞き取れたらしい。打って変わって穏やかな表情で彼はそう言った。

 

「──?」

 

「……いろんな救世主がいる。アンタと同じ立場で様々な名前の『誰か』。男の時も女の時もある。アンタが普通に暮らして、他の誰かが世界を救うことだってあったんだ」

 

特徴的な語尾は彼が真剣な表情を浮かべると共に消え去った。

 

パラレルの話、あるいは可能性の話だと彼は言う。ある時は自分(わたし)と同じ姿で違う名前の誰か。またある時は自分(わたし)(ぐだお)に似た男の子。救世主というのは、なにも自分(わたし)だけではないのだと。

 

「アンタは、その中でも格別に()()()だ。何かを失うたびに震えが止まらない。戦うたびに自分を騙さなければ前も向けやしない。守れなかったものが一つでもあれば、夜も眠れない──そんな、救世主なんかには向かない、とても弱い子だ」

 

だから、とアサシンは息をつなぐ。

 

「アンタぐらいは休んでもいいと思った。アンタみたいな臆病者でもここまで至れたのだから、救われた世界は他に沢山あるのだから、アンタの世界ぐらい救われなくなっていいんじゃないのかと。アンタは救世主を張り続けなくていいんじゃないかと思った」

 

じゃないと酷だ。誰かを犠牲にしなければ救われない世界なんて、残酷だ。立香の様子が『あの人』に重なって見えてしまった。

 

「……でも違ったんだな。ここで休んでしまうことは、アンタにとって最も酷な選択だった。浅慮だったよ。アンタは十分に()()()()。そんなの、アンタに初めて会った時から知ってたはずなのになぁ……」

 

全く、とアサシンはため息をつく。そんな彼に、立香は貴方はなにも悪くないと精一杯笑顔を作って伝えた。

 

「……そうか。なら、アンタに一つ、助言を」

 

「───?」

 

「アンタは他の世界の救世主より弱い。失うことを許容できない弱さは格別だ。見捨てる選択が頭に浮かばない。英断ができない弱さを持ってる」

 

「───」

 

「だから『あの人』を呼べたんだ。アンタだからこそだったんだ。失うことを認めない弱さ。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、それがアンタの強さだった」

 

「───」

 

「いいか、()()。アンタには他の救世主とは違う選択肢がある。失うことを何処かで受け入れてしまった彼らと違って、アンタには、今まで失うことに苦しみ続けてきたアンタには、その分の新しい可能性があるんだ」

 

「───?」

 

「失うことが怖いままでいい。そのままでいたいのならば、それでいいんだ。アンタには、救うという選択肢がまだ残っているのだから」

 

そうして、アサシンは立香の頭を撫でる。少し硬くて、でも柔らかい。とても安心する。立香はこの感触を知っている気がした。

 

 

 

 

 

「……そろそろ時間ッスね」

 

「───」

 

いつの間にか彼の口調は元に戻っていた。立香の頭から手を話すと、彼は立香に向かって優しく微笑んだ。そして、ああ、となにか思い出したようにして一つ指を立てる。

 

「そうだ、アンタに一つ、頼みごとがあるッス。まあ、変な道に引きずり込もうとしてた詐欺師の言うことなんてアンタに聞く義理はないッスけど……」

 

「───?──!」

 

何いってんの? 気にすんな、バッチこい! と立香は胸を拳で叩いて表現する。そんな立香の様子がおかしかったのか、アサシンはクスリと笑った。

 

「ホント、お人好しっスね……『あの人』を救ってやって欲しいッスよ。不器用で、どうでもいいことで悩み続けて……弱くて可哀想な人ッスから」

 

「───!!」

 

任せとけ!! 立香はアサシンの目をまっすぐ見つめた。世界一弱い救世主に何言われたって頼りないかもしれないけれど、と苦笑い気味ではあったが。

 

アサシンはそれでも、そんな立香に安心したように笑った。

 

「そうッスね──()()でも考えてあげて欲しいッス。『アダム』なんかより相応しいとびっきりのヤツを。きっとそれが『あの人』には何よりのプレゼントッスから。ま、子から親に名前を送るなんて、ギャグじゃないんだから、とは思うッスけどね!」

 

カラカラと、アサシンは笑う。立香も釣られて笑った。

 

 

 

 

とうとう、立香には何も見えなくなっていた。あと数秒で退去が完了するだろう。そうすれば、またあの地獄に逆戻りだ。

 

それでも、立香は不思議と怖くなかった。

 

何故だろう──心は恐怖や憂鬱を訴えているというのに、心のど真ん中、芯の部分がそれに取り合おうとしていないかのような。

 

あるいは、ゆっくりと毛布で包むようにして、温かい何かがそんな負の感情を覆っていくような心地だ。

 

なんにせよ、まだ戦える。立香はそう思った。

 

「じゃあ、またいつかッス。会うことはわかってるッスからね。俺にとっては過去の出来事ッスけど」

 

「───」

 

立香は、「またね」と手を振る。アサシンも手を振り返した。再開の約束だ。

 

「次からは俺の言葉に騙されないように。俺、実は()()()()ッスからね?」

 

「───」

 

言われなくとも。と立香は首肯する。もう迷いはしないと決めたのだから。

 

とうとう彼の声すら届かなくなってしまう。立香の視界は真っ白に染まり、脳の奥からピリピリと覚醒の予兆が走る。もう直ぐ起きる時間らしい。

 

戻るのに大変な時間を費やしてしまった気がする。寝坊助と怒られてしまうだろうか?

 

 

 

 

──そういえば、アサシンは自分の事を『大嘘つき』と言っていたけれど。

 

嘘も方便と言うし。今回のように、厳しくも優しい嘘であれば、次も騙されてあげていいかななんて。立香はそんな他愛もないことを考えた。

 

 

 

「じゃあ立香、あとは頼んだッスよ!」

 

 

 

 

 

 

そうして、意識は覚醒する。

 

 

 

 




・エデンのアサシン
自称『大嘘憑き』
現在アダムとして呼ばれている『彼』が座として使っている場所に何故かいた、謎の少年。
英霊であり、サーヴァントとして呼ばれることも稀にある。
そこそこ知名度がある英霊。適性はアサシンのみ。
今より先の未来に生きる立香と会ったことがあるらしく、結構フランクだった。




【一言】
今回はいつも異常にわかりにくくてポエミーになってしまった気がする。

エデンのアサシンが誰かは聡い読者の皆さんにはまるわかりだと思います。未来の立香とエデンのアサシンが出会った経緯については最終特異点が書き終わったらになるかな。

よくわからない描写ばかりだったと思います。後々書き直すかもしれません。
わからないことがあったら質問してもらっても結構です。

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