──『彼』の話をするとしよう。
ああ、そんなに緊張しなくていい。ゆったりと座って落ち着いて。お茶でも飲みながら静かな気持ちで聞いてくれた方が、彼も喜ぶだろうさ。
いつもいつも王の話ばかりをしている気がするけどね、別にボクはソレだけを話題の種にするような話の幅が狭い奴じゃない──ああ、信じてもらえてないね、その顔は。
まあ、別にいいんだけどね。今は、
常に世界を見渡すボクでもね、過去まで見通せる訳ではない。だから、彼の人生に一体何があったのかなんて、そんなこと本来わかりはしないんだけれど。
そこはほら、ちょちょいっと、ね、わかるだろう? ボクはちょっとだけ
こんなことするなんて生まれて初めてだよ、ホント。夢魔の性質上誰かの過去の記憶を覗き見る事はあっても、過去自体を観測するなんてことはしてこなかったからね。
つまりはだ、ボクはそれぐらい彼の人生が気になったんだ。
マスターやマシュ、その他多くの人間たちを慈しむ完全無欠の『親』たる彼。そんな彼は一体なにを思い、何を苦悩し、どのような最期を迎えたのか──なんてね。
良い物語が見れそうだと、そう思ったよ。だって、あれだけ愛に溢れた清い心を持つんだ、感情というものを上手く理解できないボクでも眩しいほどなんだよ、アレは。
そんな心を持てる人間が送った人生──苦難はあるだろう。悲嘆もあるだろう。でも確信してたね、これは
人類最初の物語──ボクですら予想のつかない台本だ、ワクワクしない訳がないだろう? しかも終幕は幸福で決まってるんだ、後味悪さなんて感じないだろうし、良作にも程があるストーリーじゃないか。
──なんて、思ってしまったのがいけなかったんだろうね。
『
今までしてきた後悔なんて数えきれないほどだけど、後にも先にもあんなに──いや、何でもない、気にしないでくれ。愚痴っぽくなってしまってゴメンね。
ただ、ボクがこういう表情になってしまうぐらいの、と考えてみるといい。おおかた想像がついてしまっただろう? 正直ボクだって、過去に戻れるとすれば、見ようしている自分を止めてる。
だから、という訳でもないけど。
聞くというのなら覚悟したほうがいい。
え、さっきと言っていることが違う? お茶を飲みながらするような話には聞こえないって?
ははっ、そりゃあそうだろうとも。此処から先はとても悲しい話になるだろう。間違ってもティーカップを片手に口に出すものではないハズさ。
──けれどね、だからこそ、敢えて言おう。
それがわかっていたとしても、涙を落としそうになっても、お茶を飲むような気分ではなくなってしまっても、
笑って、お茶を片手に語らおう。何を言っているかわからないかもしれない。人の心がわからない夢魔の悪趣味な悪ふざけだと、そう思われているのかもしれない。
けれど、もう一度言うよ? それでも、
それが、『彼』の人生に対してボクたちが出来る最大の敬意と弔いなのだから。
──ほら、ちょうど湯も沸いた。
大して美味くもないとは思うけど、そこはそれ、ご愛嬌だね。ボクは不器用だし。
大丈夫、どうせ味なんてすぐにわからなくなるだろう。心優しい
──覚悟は出来たね?
では、改めて。
──『彼』の話をするとしよう。
始まりの人、人理を踏み出した者。星の碑文を刻んだ、記念すべき一人目──即ち、最も古き人類の生涯をここに語ろう。
語り部はボク──花の魔術師ことマーリンが務める。
ボク如きの言葉ではきっと足りない、筆舌に尽くしがたい異様な物語だ。
それでも、
あるいは、語り尽くすには、長い時間をかけてしまうかもしれない。
それでもどうか、聞き逃さないように──ああ、ティーカップは持ったまま、談笑するように語ろうじゃないか。
そうだな、始まりはこんな感じで。
──それは、ボクが『どうにかしてあげたい』と
◆
立香たちは、触手で編まれた不気味な神殿を全速力で駆けていた。魔術王がいるであろう玉座まではまだ遠い。今日という一日がタイムリミットである以上、できるだけ早くと気が急いてしまうのは仕方のないことだった。
黒く染まったソラに流れる光は徐々にその数を増している。英霊たちの心強い援軍は途絶えるところを知らない。
だが、だからこそ
援軍は長くは続かないし、優位はいつか無限の
故に急ぐ、急ぐ。立香はこの一年で学んだ身体強化の魔術までもを用いて──付け焼き刃ではあるが──サーヴァントたちの足を引っ張らないよう速度を維持していた。
「はっ、ふっ──」
「マスター、無理をするな。君が倒れてしまえばそれこそおしまいだぞ」
「ハァ、あ、うん…っ、ゴメン」
「立香、心配になる気持ちはわかるけど、少し休もう。英霊たちの数も増えてきた、それぐらいの余裕は残っているよ」
呼吸を乱しながら走る立香に見かねて、エミヤは静止の言葉をかけ、アダムは優しく
空を見上げれば、玉座まではまだ遠い。おそらくは5分の1までにも到達していないだろう。現在時刻、午前8時37分──この
「先輩、大丈夫ですか。魔術回路は正常ですか、視界はぐらつきませんか、気分は──」
「大丈夫だって、マシュ。心配しすぎ」
いつもの魔術行使の範囲内じゃん、と立香が言うが──
──いや、そのいつもがいつを指しているのかわかりませんが、見てる限りピンチの時のそれにしか見えません──そう、マシュにきっぱりと言われてしまった。
「そうか──
「いや、マスター。それは流石に悪い慣れ方ですよ、本当に」
不幸体質、というよりは生来のトラブル・メーカーである立香だからか、遠出するたびにどこかで無茶するのが基本と思っているこの壊れぶり。
アルトリアは自分の主のそんな様子に呆れたように息を大きくこぼした。
「ははっ!、そう言えるなら、マスターはやっぱケルト流がわかってやがる。常在戦場、常に全力全開。無理して戦場で野垂れ死ぬのは愚か者だが、無理をしないでその生を諦めるのはそれよりひどい、
呵呵と笑うは青の槍兵。心底面白そうにその喉を震わせながら、クーフーリンは槍をくるっと一つ回す。そうして、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて魔槍を構えた。
「──ほら、奴さんも追いついて来たぜ。マスター、休憩は終わりだ、構えなぁっ!」
『我は情報室フラウロス、他情報室8の魔神すなわち──オリアス、ウェプラ、ザガン、ウァラク、アンドラス、アンドレアルフス、キマリス、アムドゥシアス、その全てを統括する者』
「──フラウロスッ!」
クーフーリンが槍で示した先に現れたのは、赤く染まった魔神の柱。
フラウロスの奇怪な声の呼びかけに応えるように
「──9つか。これは、流石に」
「先輩、数的有利を取られました。フラウロス、やはり来ますか……!」
星の聖剣を構えながら剣先を一体一体に向け、その数にアルトリアが冷や汗を垂らす。マシュはフラウロスの声にレフ・ライノールの執着心を思い知り表情を歪ませた。
「……マスター、どうする?」
「どうもこうも! 全力突破、押し切ろう!」
エミヤの問いに立香は声を張り上げる。その目は真っ直ぐにフラウロスを睨みつけており、そこには絶対に勝つという自信が──実際の状況は絶望的ではあったが──宿っていた。
『無駄、無為だ。此処にいる貴様らの戦闘能力の総合値は既に把握している。観測は常に正確な未来を照らす。数回程度なら殺されようが、しかしそれだけで終わるだろう──貴様らは、此処を通ることすらできない』
そんな立香を見下すようにして、フラウロスの紅瞳がじろりと動く。レフ・ライノールから変性したばかりだった先ほどまでのフラウロスとは違って、その声音には人間らしさと呼べるものが欠如していた。
観測した事実とそこから導き出される推測──あるいは、結果。そんなものを羅列したような言葉は何処か機械じみていて──なにより、『情報室』という名に恥じない周到さを感じさせた。
油断も隙もない。フラウロスは完全にレフ・ライノールという人物の慢心や『人』に対する侮蔑を脱ぎ捨てたようで、完璧に冷静だ。これは厄介である。
対して、立香たちの戦力といえば。護り特化のマシュはもちろん、『フラウロス』が『レフ・ライノール』という姿をしていたという事実を見てしまったアダムも、まともな有効打を望めない。
たとえ相手が
『魔神』という存在のその前が『人』であったことを──『フラウロス』が『レフ・ライノール』だったように──知っているからだ。
アダムの気持ちとしては攻撃を加える気満々なのだが、世界はそれを許さない。事実、アダムの攻撃は『人への危害』と判定されたのか、綺麗に無害なものへと成り下がってしまっていた。
いくら一騎当千の英霊とはいえ、ダメージを入れられるのがエミヤ・クーフーリン・アルトリアの3騎のみでは手に余る。相手は9つ──こちらは3つ。アダムの『母なる庇護』によるダメージ無効化があろうとも、厳しい戦いには違いなかった。
『情報室はこれより殲滅を開始する。「観測所」、「管制塔」、その他同胞よ、絶対の意志を持って事をなせ。油断はするな、完璧なる遂行を果たせ。──英霊どもの力を侮るな』
先ほどアダムの持つ
普通に厄介な存在である魔神柱が、慢心も侮蔑も余裕も捨てて挑むつもりというのは、立香たちにとっては悲報以外の何ものでもなかった。
──だが。
奇跡の歌はここに響く。黄金の光がソラを舞う。
一つ、情報室フラウロスに誤算があったとすれば。
サーヴァントと呼ばれる存在が、情報室の観測──それが、警戒に警戒を重ねた上方補正を加えたものだったとしても──それを超えて、強く、疾く、そして気高い者だったことである。
「──我が才を見よ。万雷の喝采を聴け!」
響き渡るは薔薇の皇帝の力強い詠唱。ソラに一条の光の橋を架けながら落ちてくる紅い少女の十八番。
「インペリウムの誉れを此処に。咲き誇る花のごとく──!」
彼女が後ろに率いるのはローマが誇った精鋭。皇帝の愛した紅を基調とした鎧に見を包んだ、幾百幾千もの兵士たち──そして、第二特異点・セプテムでともに戦った、名高き英霊たちである。
「──開け、
立香達とフラウロスとを分断するように着地し、その直後に詠唱を終えた彼女は、まるでミュージカルの主演のように両手を大げさに広げ、高らかに真名解放を宣言する。
固有結界とは似て非なる大魔術──華の帝政を敷いたネロ・クラウディウスが誇る栄華の象徴、黄金の劇場の幕が上がった。
歪んだソラから一転、絢爛豪華な劇場へと突如すり替えられた光景に、フラウロスたち9つの魔神が驚いたようにその不気味な目を彷徨わせる。
「──ネロ!」
「
第二特異点を代表する英霊、華の皇帝ネロ・クラウディウスは、立香に向けてそう不敵に笑った。
◆
ネロの宝具『
バーサーカーであるスパルタクスと呂布を切込隊長とし進軍するローマ軍が魔神柱を蹴散らし、愛馬ブケファラスに乗ってダレイオス──未来の
マスターである立香の魔力を過剰消費しない程度に加えられるスターティングメンバーたちの援護もあって、フラウロスたちは完全に優位をひっくり返されていた。
『──く、お、お』
「セイっ!、いけ、ブケファラス! 今こそ蹂躙の始まりだ!」
「魔神の陣形を乱し、魔力の流れを変える。もう少し暴れてくれ、わが王よ。戦いは決して物理だけでは成されないが、今この時ばかりは、物理こそが至高には変わりない」
名軍師として名高い
まさに封殺と呼ぶにふさわしい戦況。既に立香たちの支援もこれ以上は必要ないだろう。ネロは立香たちにこの座からの離脱を促した。
「伝承的にはどうなのかとも思うが──そなた達のために黄金劇場の門を開けよう。なに、ここは我らだけで十分だ。ブーディカともこの通り、背中を預けられるまでになっている」
「そうそう、マスターたちは早く行きな。おねーさん、戦いは得意じゃないけど、頑張っちゃうからさ」
ニヤリ・ニコリと種類の違う二つの笑いを浮かべる二人。互いに積もり積もったもの、晴らしきれないものは確かにあるだろうがそれでも──今は背中を互いに守り合っている。
その事実だけで立香は不覚にも、少し感慨深いものを感じた。
「……うん、わかった。二人共──みんなも! 頑張って!」
なんにせよ二人の決意──色々な葛藤を人類のために振り払ってくれたであろう、その決意を無駄にはできない。
後ろ髪を引かれる思いもあるが、世界を救うため。立香はこの宙域を脱出し、玉座への歩みを進めることにした。
『──アルトリア、クーフーリン、アダム! もう離脱するよ、戻って!』
乱戦となって、今立香のそばにいるのはマシュとエミヤだけだ。他の三人はネロたちのサポートへ行ってしまっていた。
故に立香は念話を用いて三人に召集をかける。アルトリア、クーフーリン、
「(アダム、返事少し遅かった……?)」
念話はタイムラグ無しに直ぐに届くはずなのだが──はて。
まぁ、きっと念話に返事する余裕が無いほど戦闘の激しいエリアにいたのだろう。
──なんにせよ、今はそんなことを気にしている場合ではない
立香は、ネロに指示された『出口』に向かって急ぐ。そこに人一人が通れるぐらいの『穴』を開けているらしい。
戦闘が激化する一方の劇場中心部に背を向け、走りだす立香。身体強化の魔術を適度に用いて走り──そして、突然響いた
「……あー、あれは、アルテラちゃんかな?」
天から突き降ろされた七色の光線──『
◆
一方、立香が離脱を決意する数分前。
立香のそばから離れたアダムがいたのは、劇場の全体を俯瞰できるソラの上。絢爛豪華な天蓋のすぐ近くであった。
諸事情があり
ローマ軍勢も『人』であるならば、それはすべからく『母なる庇護』の対象となる。事実彼らは怪我一つ負っていない──そのことを確かめて、『アダム』はふぅ、と安堵の息をついた。
「あら、そこのアナタ、珍しい人ね──ええ、先ほどの
「いきなり辛辣だね、えっと、ステンノ様?」
背後から聞こえて来たのは、幼い少女の声。アダムが振り返れば、そこにいたのはゴルゴーン三姉妹が女神の一人。
「ええそう、ステンノ。どう呼んでも構わないわ──だって、こんなに面白そうな人久しぶりに見るもの」
「──そう、か? うーん、神々の気持ちはよく理解できない」
クスクスと笑うステンノにアダムは困ったように頬を掻く──それでもアダムは、片時も戦場から目を離しはしなかった。
「必死なのね、可哀想な子。試練──いえ、
「……これだから神様は苦手なんだ」
「あら失礼ね、私の囁きを聞いて取り乱さない
「これが残念ながら、僕って
生前は男だったのになぁ──と悲しそうな顔をして零すアダムに、ステンノはなにが面白いのかクスクスと笑う。
「つくづく弄ばれているのね、アナタ。抵抗しないのも不思議だわ。その
「───」
「だんまり、ね。言いたくないことなのかしら。それとも、言うことを許可されてないのかしら」
笑顔から一転、急に鋭くなった視線と飛んできた質問に、しかしアダムはなんの反応も返すことはなかった。
そこに沸々と燃える怒りを幻視してしまうぐらいの激情──ステンノという女神の性質としてはありえないほどの感情──があったとしても。
アダムには
暫く沈黙が続けば、ふい、とステンノはアダムから視線を外す。アダムはやっと睨みつけから開放されたからか、ふぅ、と大きなため息をついた。
「アナタがそれでいいのなら私は何も言わないわ──けれど、」
──アナタ、『怒り』という感情さえ無くしてしまったのね。
そう吐き捨てるように言って、ステンノは何処かへと消えてしまった。『気配遮断』の効果だろう。残念ながらアダムには補足する術がない。
「───」
アダムは沈黙を続けて──それでも視界から立香を外すことはなかったが──果たして、『無くした』という表現が正しいのか、それを判断しかねていた。
生前のことなどほとんど覚えてはいない。毎日同じことを繰り返したような日々だ。代わり映えのない日常に、鮮烈な記憶など多くはなかったように思える。
『怒り』という感情など──あるいは、そのほか全ての感情までも──自分は果たして
「──ともかく、『神』には通用しないわけだ。やっぱりそうなんだね」
無駄な思考を断ち切って、アダムはそう呟く。
理論上、ステンノのような純粋な神には効かないことはわかっていたが、少し注意を払う必要が出てきてしまった。
口の軽い神と出会ってしまえば、少しまずい事になる。
『──ダム! もう離脱するよ、戻って!』
「──っ、ああ、すまない。了解、すぐに行くよ」
立香からの念話に、アダムははっと我に返る。マスターからの指示に反応が遅れるなど、心底自分が愚かに思えてくる。何処に護衛対象の声を聞き逃す馬鹿なボディーガードがいるというのだ。
──できることなら、
そうしてアダムは、眼下で走る立香へ向けて落下を始めた。
直後、背後では爆音が轟く。ステンノがアダムに邂逅する前に共にいたサーヴァント──アルテラの宝具が開放されたのだ。
「──うわ、人の身でここまで……本当に、よくぞ」
黄金劇場の激震と共に、七色の光が天を貫く。魔神柱、そのことごとくが一掃され、ローマの軍勢は歓喜の声を上げた。
──しかし。
その輝きに背を向け落下するアダムの表情は、眩い光による影となり、窺い知ることができなかった。
第Ⅱの座、『情報室』──終了。