『アダム』
──世界最初の人類というのは、如何なる人物であったのか。
一番有名なものを挙げれば、果実を口にして楽園から追放された例の夫婦であろうか。
名をアダム、イヴという二人は、創造主ヤハウェより禁じられていた良し悪しの木の実──いわゆる『知恵の果実』を食べ、それによって互いが裸であることに気付き、初めて恥じらいを覚えたとされている。
知恵を手に取り、感情を把握した彼らはヤハウェの怒り──あるいは恐れを買い、ついには楽園を追放された。
キリスト教の創世神話として名高いこの物語は、実のところイスラム教やユダヤ教の中でも語られているものである。
勿論、細部が異なっているのは確かなことだ。果実を口にした罪を許されたと語るものもあれば、そもそもアダムという存在の誕生方法が異なっている神話もある。
それでも結局のところ、『最初の人類』が『知恵の果実』を食べて『知恵に目覚め』、主神はそれを『罪』とした。その大まかな流れは然程変わりはしない。
──まぁ、三つの宗教は源流を共にしているという時点で、そうなるのは当然のことではあるのだが。
長々と説明はしてきたが、当初の話題に戻ろう。
すなわち、『最初の人類』とは如何なる人物であるのか。
科学的には猿の進化形体だとされ、神学的には神に造られた存在だとされるそれ。
古今東西の宗教では、祀られる神がいるのと同時に、最初の人類という存在を定義し信仰の糧とすることが大いにあった。
すなわち──『最初の人類』とは無数に存在する影である。神の子、神の創造物、最初のゴーレム、あるいは猿の進化個体。
人類誕生から悠久の時が過ぎた西暦という時代において、その存在は常に不定形であり、確認の方法などあるわけもなく、よって実像を結ぶということは決してありえない。
──真実、原初の人というのは、たった一人しかいなかった筈だというのに。
私達人類は、その輪郭を捉えきれないままなのだ。
◆
「ドクター、今回はどんな
『うーん、どうだろうか。特異点で縁を結んだ英霊たちは、粗方召喚済だろう? それに触媒もない。となると、完全に立香ちゃんと
盾の英霊──マシュ・キリエライトが聞くと、白衣の男は冴えない顔で悩みながら、そう答えた。
ここは、カルデア内にある『召喚室』。英霊召喚システム『フェイト』の中枢であり、カルデアにおいては『シバ』や『カルデアス』のある区画に次いで重要な場所である。
「私と合う、か。想像もつかないなぁ。どんなひとが来ても気後れしちゃいそう」
『召喚した全ての英霊と、苦もなくコミュニケーションをとっている君が言うのかい…』
シュシュでまとめられたオレンジの
少女──藤丸立香は魔術師である。それも、世界最後のマスターという役職持ちの。
人理焼却によって2016年以降の人類の営みが破壊され、継続不可能になったこの世界。
唯一、通常時間軸から切り離され存在しているこの場所、『カルデア』では、日々人理修復の為の尽力が続けられている。
そして、そのカルデアの最大戦力である英霊を
年端も行かない少女であっても、人類の未来のため。彼女という存在はカルデア──ひいては人類にとって、最も大切に扱うべき者であり、しかし、酷使すべき存在だった。
事実、彼女は既に7つもの特異点を命をかけて修復した猛者である。
様々な時代、築かれた人理の中でも特に重要なターニングポイント。それぞれの時代の中で行われた激しい戦い。
共に戦った英霊もいれば、敵として剣を交えた英霊もいる。
命を落としそうになったことなど、幾らでも。呼吸を忘れたことなど数えきれず。
2016年という人理の最先端に生きるただの一般人だった立香にとって、血生臭い戦場も狂気的な虐殺も、決して慣れたものなどではなかった。
相対するだけでも足が震えるような人たちだった。
間違いなく、英霊と呼ぶに相応しい、壮絶な生涯と意志を背負った者達だった。
──そんな者達を前にしても、膝をつかなかったからこそ。
彼らは立香を認めて、力を貸してくれるのだ。
「いや、私のコミュ力が高いわけじゃないと思うんだけどなぁ。ただの一般人だよ?」
『君はそろそろ、自分が《逸般人》だと認識すべきだね』
Dr.ロマンは、自身の凄さを理解していない彼女に、ハァと溜息をついた。
既に7つもの特異点──突発的に観測される小さなものも合わせればそれ以上──を修復してきた猛者でありながら、マイペースさは出会った当初から変わっていないように思える。
そんな彼女に、ロマンを含めたカルデアの職員がどれだけ救われたのかわからない。
「なにそれ…まあいいや。さっさと終わらせちゃおうドクター。さっきからサーヴァントが来るの前提で話してるけど、実際ホントに来るかはわからないんだし。召喚してから考えよう、うん」
『うん、それがいいかもね。霊基再臨にも時間はかかる。早めに召喚するに越したことはない』
「おっけー。マシュ、盾プリーズ」
「はい先輩。騎士の円卓、カルデア魔力炉及び召喚システム・フェイトに接続します」
『よし、接続を確認。いつでもいいよ立香ちゃん』
英霊が集う──そんな性質をもつマシュの大盾、アーサー王物語で有名な騎士の円卓。
英霊召喚の補助を行う支援具としては最高峰のそれは、英霊召喚システム・フェイトを使うにあたって無くてはならない存在だ。
これがなければ呼び出せなかった英霊も、きっといただろう。
「それじゃあ、レッツ召喚!いけぇ、呼符先輩!」
威勢のいい掛け声と共に、立香は金色の板を盾に投げ込んだ。
高密度の魔力結晶をシステムが感知し、座への接続が行われる。召喚室はまばゆい光に包まれた。
回転する光輪は3本。立香は見事に、サーヴァントを引き当てた──のだが。
『これは…なんだ? 霊基不定形? 珍しいな…』
観測機器が示す波長がまるで荒波のように乱れているのを見て、ロマンは首を傾げる。
サーヴァントとは魔力の塊であるが、そこに個別性が存在する以上、その構成魔力にもある種のパターン──それこそ人間でいう『DNA』のような──がある。
カルデアではそれを『霊基』と呼称し、主にサーヴァントの識別や座への帰還の防止に役立てている。
この霊基を観測し記録するのはカルデアでは最も重要なことの一つで、召喚時には常に観測機器をまわしている。
サーヴァントというものを使い捨ての戦力として数えている余裕などない以上、消滅してもカルデアに帰還できるシステムの徹底は必要不可欠なのだ。
──もちろん、召喚の際『観測不能』という結果が出ることは多々ある。
例えば、神霊であるイシュタルやケツァルコアトルのときは機器の針が振り切れたし、アサシンクラスの召喚時には、気配遮断のスキルが仕事をしてまず機器が反応しないことが多い。
挙句の果てに、モードレッドやロビンフッドなどがもつ隠蔽系の宝具は、機器の観測を正確にさせてくれない。
だからこそ、今回のようなことも珍しくない──のだが。
『でも、何かが──どこかで、似たような波長を…』
安定しない数値に隠蔽系の宝具を疑うロマンだが、どこかが引っかかった。
同じ現象を、彼はどこかで──それも、
「うっ…なんかドキドキしてきた」
「先輩、大丈夫ですか? いつもどおりでやれば、きっと上手く行きます!」
魔力が英霊の形を成してきている。もうすぐ召喚が近いことを悟った少女二人は、高鳴る胸に不安と期待を感じた。
『…思い出した。これはまるで──っ』
瞬間、一際強い発光が召喚室を満たす。ブワッと急な風が吹き、立香は召喚サークルから顔を逸らした。
「──やぁ、君が僕のマスターかい?」
明るい高めの声が、そんな立香の耳に届いた。中性的な声だ。エルキドゥやシュヴァリエ・デオンのように、自身の性別を掴ませない。
立香とマシュは、声を合図にしたようにして、同時にゆっくりと顔を上げる。
そして、目の前の英霊に息を呑んだ。
「──ーっ」
平凡だった。
顔立ちは英霊に至るほどの人物にしては幼く見える。整ってはいるが、眉目秀麗とまでは行かないぐらいのもの。
同時に背も低く、青年というより少年という呼び方が似合いそうなぐらいで、体つきもがっしりとはしていない。
着ているのは白くゆったりとしたローブ。髪は肩ほどの長さの山吹色で、所々ロールした癖っ毛だ。
その辺にいる西洋人に、それらしいローブを着せて、髪を染めただけのような。
そんな、どこにでもいる、平凡な少年にしか見えない。
──筈、なのに。
「うん? どうした?なにか、気に触ることでも言ってしまったかな」
彼の一言一言が、脳に響くようにして止まらない。
彼に今すぐにでも抱きついて甘えたいという欲求と、跪いて平伏しなければという使命感。そんな相反した心情が湧き出て治まらない。
「せん、ぱい」
掠れた声に立香が隣を見やれば、マシュが辛うじて手を差し伸べてくれた。やっとのことで、立香はその手を取る。
繋いだ手の体温に、早まった鼓動と昂ぶった精神がようやく静まっていく。未だに落ち着かないが、話をするぐらいなら出来るだろう。
「…はぁ…ふぅ…ごめんなさい、待たせました」
「ふむ、いや気にしていないよ。恐らく僕のスキルか何かのせいだ。迷惑をかけたね」
「いえ、そんな…」
圧倒的な雰囲気を持つ存在にしては随分柔らかい態度に、立香は拍子抜けした。
見ただけで呼吸が乱れるような存在というのは、ギルガメッシュしかりオジマンディアスしかり、尊大な人ばかりかと思っていたからだ。
「それで、貴方は…見たところ、西洋の英霊とお見受けしますが…」
マシュは床に置かれた盾をさり気なく見ながら、目の前の英霊に聞いた。万が一には、敬愛する先輩を守れるように。
カルデアの召喚システム・フェイトは人理修復に賛成する英霊しか呼び寄せない仕組みにはなっているが、ゴルゴーンやクーフーリン・オルタなどそこのところ微妙なラインギリギリの存在を呼び寄せた前科がある。
結果的には彼らも協力的ではあったが、もしもの事態というのは考えて然るべきだ。立香は楽観主義的なところがあるので、なおさらに。
「──ふふっ、いや、微笑ましいね。ほら、
「──っ!…はい、わかりました」
「ん?、いや、盾は既に置いてるんじゃあ…」
相変わらずどこか抜けている立香の発言はさておいて。
あっさりと抱いている警戒心を見ぬかれたマシュは、目の前の彼が浮かべている友好的な笑顔を見て、盾を納めることにした。
これでもマシュは様々な英霊と共に戦ってきた身だ。立香までとは行かずとも、
──それに、その経験豊富な
杞憂だったと、マシュは内心で眼前の名も知らぬ英霊に謝罪した。
「では、改めて聞こうか。君が、僕のマスターかい?」
「は、はいっ!藤丸立香です、よろしくお願いします!」
「うん、よろしくねマスター」
「シールダー、マシュ・キリエライトです。先程はすみませんでした」
「気にしていないよ、むしろ実にいい主従関係だね。これから君の後輩になる身としては、君の様子を見るに、ホワイトな就職先だったみたいでホッとしてる」
「こう、はい…ですか」
「ああ、少なくともマスターと契約したのは僕が後なんだからね。不愉快だった?」
「いえ!…でも、落ち着きません」
「ふふっ、なら君のことはマシュと呼ぼう。マシュ──うん、いい感じだ」
自分の名前を噛みしめるようにして呟く少年に、なんとなく居心地の悪さを感じるマシュ。
神霊ほどの圧倒的カリスマを醸し出しながらも、カラカラと屈託なく笑う様は、ちぐはぐで掴みどころを感じさせない。
それなりに英霊というものの知識に自信はあったマシュだが、未だに何処の英霊かもわからないでいた。
『楽しそうなところ悪いけど、三人とも。確かめるべきことは沢山あるんだよ』
「あぁ、そうでしたねドクター。すっかり…」
三人でなんとも言えない会話を交わしていたところに、ロマンのスピーカー越しの声が響く。
確かめるべきこと──少年の正体を知る事──を催促してくるロマンに、マシュはハッとし、少年は驚いたようにスピーカーのほうを見やった。
「びっくり、他にもいたんだ。名前を聞いても?」
『ロマニ・アーキマンです。貴方は相当な英霊とお見受けしますが…魔力パターンが不安定なことに心当たりは?』
「あるともさ。恐らく僕の
『霊基についてご存知なのですか!?、今までの英霊で知っていたのはマーリンやギルガメッシュ王ぐらいだったのに…もしかして』
「いや、彼らのような
マシュは、この発言に思考を回す。
つまり彼は、伝承にて今でも『生きている』と定義された存在なのだろうか。
カルデアに召喚されているマーリンやスカサハは、それぞれ伝承通りなら『生きていなければならない存在』であり、本来
しかし、今回の
つまり、彼も同じようにして伝承にて『生きていること』を約束──あるいは強制された英霊であるのかもしれない。
「…君の考えていることは、多分見当違いだと思うよ、マシュ」
「えっ、それでは」
「いや、場合によってはそんな伝承もあるのかなぁ?でも、今回の僕はきっとそうじゃない筈だし、やっぱり違うかな」
「だったら、貴方は何者なんですか?」
置いてけぼりだったマスター・立香は、ようやく話題に追いついたのか、自身の新しいサーヴァントに向かって尋ねる。
簡潔な質問だったが、質問された当の本人は、どこか悩むようにして返答した。
「──正直に言おう。僕には『真名』というものが存在していない」
「え…」
その言葉に立香は絶句する。真名のない英霊など聞いたことがなかったからだ。
近いところではロンドンでのナーサリー・ライムがそうなのかもしれないが…あれは、名前を付けた後に英霊へと昇化した存在の筈だ。英霊でありながら同時に名無しなどあるのだろうか。
「いや、正確には生前に名前が無かったんだ。そういう時代だったというか何というかね、僕には、マスターが持つ『藤丸立香』というような個人名はない」
『それでは、英霊としての真名はあると考えても?例えば、ハサン・サッバーハのように』
「うーん、まあ、そうなのかな。彼らともまた違うんだけどね。彼らは真名が一緒でも様々な人物が召喚されるけど、僕という英霊は僕以外に存在し得ない。どちらかといえば、彼らとは真逆に
「うーん、つまり、どういうこと?」
「先輩…」
全く理解できていない様子の立香に、呆れたように溜息をつくマシュ。そんな二人をみて、英霊はニコリと微笑んだ。
「少し迂遠過ぎたかな。つまりはだ、今から告げる名前はね、僕の本当の名前じゃないってことさ。そして僕には、召喚されるたびに名前が変わる可能性があると、それだけわかれば十分だよマスター」
「うん、それなら解った」
『それでは、聞かせてもらっても?』
「──ああ」
ドクターの言葉に少し間を置いて、英霊は返答する。
途端、空気が重苦しくなった気がした。
立香は、頬にたらりと冷や汗が流れ出るのを感じる。
圧倒的存在感。第七特異点でティアマトを前にしたときといい勝負かもしれない
──しかし、不思議と恐怖は感じなかった。
威厳がある、といえばいいのか。まるで、偉業を成した自身の祖先を前にしているような気分だった。
とても凄い存在。なのに、親愛を感じる。自分から一番遠いのと同時に、一番近いかのような不思議な感覚を。
「では、幻滅させてもいけないから
柔らかな微笑みに、包み込むような母性を感じる。
「サーヴァント、
幼気なのに自信に満ちた声に、頼りがいのある父性を感じる。
「──人理の始点、全ての人類の祖」
「真名を、『アダム』だ。よろしく頼むよ、マスター。あ、『イヴ』と呼んでくれても構わないけどね?」
──そんなもの、偉大なる
真名 ???(アダム/イヴ)
クラス
身長 165cm
体重 58kg
出典 史実(創世神話)
地域 ???
属性 秩序・善
性別 男性(女性)
人類全ての父、人類全ての母
アクセスが多ければ続きます。
2017年5月8日 誤字報告があったので、誤字を修正しました。
2017年7月12日
作中で語られている『マーリン』の召喚が可能になった理由の『人理焼却により死んだことになっているから』というのは、正確では無いというご指摘を頂きました。
本来ならば直ぐに手直しをするべきですが、改めて設定を練り直すのに時間が必要なので、少しばかり修正はお待ち頂けると幸いです。