カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~   作:マハニャー

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 小説三巻を読みながら、ひたすらカタカタカタカタ……


8 魔女の許へ

 翌日。連休最終日の月曜日の早朝。

 まだ曙光が射しこんできたばかりの中で歩き回るオリエーナは、風光明美な美しい町だった。

 近くにはさわやかに風薫る緑の森が広がり、美しい泉もあるという。ことが終わったらアテナと行ってみようか、と思う幸雅だった。

 人口一万人にも満たない街だけあって、かなりこぢんまりとしていた。

 

 訪ね先のルクレチア・ゾラの家は街はずれの森に程近い辺りにあった。

 幸雅とアテナは一度ここに来たことがあったため、迷わずに来ることができた。

 小さな庭を持つ小さな石造りの家。いかにも年代物らしい雰囲気が、家屋全体から漂っている。しかも近所に他の家はないようで、実に寂しい辺りだった。

 魔女の館。そんな言葉が似つかわしく、また実際にそうであった。

 庭を見れば、雑草があちこちにボウボウと生えている。ガーデニングの趣味はないのか、単に不精なだけなのか。後者である。

 

 幸雅は特に躊躇なく玄関に向かい、呼び鈴らしきドア脇のボタンを押す。

 待つことしばし。ギィィィと重々しい音を立てて、ひとりでにドアが開いた。

 不思議な現象ではあったが、ここは魔女の館。この程度で驚くには及ばない。

 

 アテナと一緒に足を踏み出し、家の中に入る。すると、玄関口には一匹の黒猫が待ち構えていた。

 ニャアァ、と会釈をするようにその場で僅かに頭を下げる。

 毛並みの美しい細身の猫だ。この猫はルクレチア・ゾラの使い魔だと幸雅とアテナは知っていた。

 

「……可愛い」

 

 しかしアテナは、この猫を見て瞳を輝かせた。前に来た時もそうだったが、どうやらアテナはこの猫が気に入っているようだった。

 というより、意外とこの女神様は可愛いものが好きなのだ。猫やハムスターなどの小動物系は特に。

 上目遣いで幸雅に許可を取り、幸雅が苦笑気味に頷くと、途端にアテナは走り出し黒猫を抱き上げてしまった。

 

「ふふふふ、愛い奴よ」

 

 思いっきり頬を緩ませて猫に頬ずりする姿は、見ていて微笑ましい。猫も猫で目を細め、ニャアニャアと気持ちよさそうにしている。

 そんな一人と一匹を連れて、幸雅は家の奥へと歩き出す。

 以前もたどった道のりを歩いた先にあったのは、寝室らしき部屋だった。

 薬品――いや、薬草めいた匂いが充満する、雑然とした室内。そこに据えられたベッドの上には、上体だけ起こした女性がしどけなく横たわっている。

 

「我が家にようこそ、とでも言わせていただきましょう。お久しぶりですね、『太陽王』。女神アテナ」

 

 と、ベッドの女性が見事な日本語で呼びかけてきた。

 だらしなくネグリジェのまま、しかもベッドに横になった姿勢で客を出迎える美女だった。どこか茫洋としたまなざしが不思議な色香を生み出すアクセントになっている。亜麻色の長い髪も美しい。

 そして妙齢だ。歳は二十代の半ばほどに見える。

 彼女こそがサルデーニャの奥地に住まう、『神を知る者』とも呼ばれる権威ある魔女、ルクレチア・ゾラ、その人だ。

 少なくとも四十代には達しているはずだが、その姿は若々しい。

 肉体の若さを保つのは、呪力が至純の域に達した魔女の特権だ。しかしそれでもまつろわぬ神々やカンピオーネの方が埒外である。

 

 だらしないその姿は、『王』と女神を出迎えるには不敬にもほどがある。

 しかし幸雅とアテナは、それを特に咎めなかった。

 分かったからだ。彼女は動かないのではなく、動けないのだと。それだけ衰弱しているということが。

 

「随分な姿だな、ルクレチアよ。久方ぶりの再会だが、以前の覇気が感じられぬ。何があった? いや、何と戦った?」

「これはこれは。御身ほどの大女神に気遣っていただけるとは光栄の至り。しかし心配には及びません。ただ、呪力を使いすぎただけです故」

「確かに。ほとんど空だね。貴女ほどの魔女が呪力を使い切るとなると、相手はまつろわぬ神かい? いや、巻き込まれたか」

「御名察の通りです。三日前にサッサリの柱状列石(メンヒル)に異様な規模の神力が集結するのを霊視しまして。様子を窺いに行ったのです」

 

 この魔女はリリアナ・クラニチャールや万里谷裕理と同じく、霊視・霊感の素質も持ち合わせている。それだけでなく豊富な呪力と知識も。

 彼女ほどの魔女がここまで衰弱する。相手など、まつろわぬ神か神殺しぐらいしかあるまい。

 そしてその相手も、幸雅たちが彼女を訪ねた理由に即するものだった。早速、本題に入らせてもらう。

 

「そこで私が見たものは、二柱の神々が戦っている光景でした。一柱は恐らくメルカルト」

「メルカルト?」

「御存じなくとも無理はありません。歴史的には非常に重要な意味を持つ神格ですが、今日ではさほど有名でもありません故。またの名をバアルともいう、東方(オリエント)にルーツを持つ闘神の名です。正確にはこちらが真の名というべきか」

 

 ルクレチアの言葉を引き継ぐように、今度はアテナが語り出した。

 

「バアルとは『王』という意味を持つ。神の『王』。つまり神王だ。元は嵐と雷の天空の神であったが、その権威が強大になっていくにつれ、多大な権能を持つに至った。我が父ゼウスや北欧のオーディンなどのように」

「そっちは知ってるよ。天空神か。なるほど、あの嵐はメルカルトの仕業という訳だね?」

 

 ギリシア神話の主神ゼウス。オペラなどでよく聞くゲルマンの主神オーディン。

 ゲームやアニメなどでよく使われる名だけに、日本人でも知らない者は少ないだろう。

 

「この種の天空神は、極めて多くの性質を所有する。最高神、王、智慧の神、生命の神、戦神、冥府神などの。バアルもその典型だ。多面性を持つ神に別名ができるのは、ごく自然な流れだ。我が父ゼウスもこの例に漏れん。特に父は最高神でもあるしな」

 

 戦女神アテナは最高神ゼウスから生まれた、実の娘だ。それ故に生まれた頃から天空神にして最高神たるゼウスを見てきたのだろう。

 

「メルカルトはカナン人、フェニキア人といったセム語族が崇めた神王です。そしてメルカルトは、特にテュロスの街を守護するバアルの尊称なのですよ」

「テュロス? 聞いたことがないのだけれど」

 

 こんなことなら、真面目に歴史を勉強しておけばよかったなあ、と思う幸雅に、ルクレチアが微笑む。

 

「テュロスとはフェニキア人が築いた街です。アレクサンドロスをして陥落までに一年かかったほどの難攻不落。そして、古代地中海の覇者であったフェニキア人の母港でもありました。彼らはこのサルデーニャにも達し、島の支配者となったのです」

 

 故に、メルカルトはサルデーニャとも縁の深い神格なのです。

 そうルクレチアは語り、さらに付け加えた。

 

「ギリシアに近いこの辺りでは、メルカルトは棍棒を持った大男の姿で表現されます。――数日前、私はこの姿で顕現したメルカルト神を目撃しました」

「……へー」

 

 これはまた、厄介そうな神様が出てきたものだ、と嘆息。

 しかしそんな思いとは裏腹に、幸雅の口元は闘争の喜悦を抑えきれていなかった。

 それを見たルクレチアはくわばらくわばら、という風に首を振った。

 

「……オホン。じゃあルクレチア。貴女は言ったね、二柱の神々と。なら、もう片方の神様は?」

「ええ。黄金の剣を持つ少年の姿をした神でした。この二柱は激しく戦い、ついに相打ちに終わったのです」

 

 ここでルクレチアは一息ついた。やはり、困憊の極みにあるようだ。

 アテナが近寄って、彼女の背を擦る。

 

「無理をするな、裔なる魔女よ。あなたが倒れることを妾も旦那さまも望まぬ」

「申し訳ありません、女神アテナ。痛み入ります。――メルカルトは棍棒で、もう一柱の神は黄金の剣で最後の一撃を与え合いました。お互いに重傷だったのでしょう、メルカルトは稲妻に姿を変えて飛び去り、黄金の剣は砕け散りました」

「砕けた? じゃあ、実体を失ったのかい?」

「いえ。剣の神の肉体はバラバラに分かれ、それぞれの肉片は新たな形を得ました。猪、鷲、馬や山羊も居たはずですが数え切れませんでした。その分身たちはすぐに海や空へ飛んで行ってしまいましたので。お役に立てず申し訳ありません」

「そんなことは全くないよ。むしろ、それだけの情報を伝えてくれたのは僥倖だった。ここに来れば何か分かるかも、ぐらいの期待だったのに、まさか片割れの名前まで分かるとはね」

 

 偽らざる幸雅の本音だった。

 目の前のルクレチアはひどく衰弱しており、体を起こすことさえ辛そうにしている。

 そんな状態になってまで情報を伝えてくれた魔女に、幸雅は称賛を惜しまない。

 再びベッドに寝転がったルクレチアに感謝の言葉を述べて、幸雅はアテナの方に視線を向けた。

 己の裔たる魔女に慈しむような視線を送っていたアテナもまた、視線を幸雅に向ける。

 

「それで、分かったかな? アテナ。もう片方の神様の正体」

「うむ。ルクレチアのお陰でな。今しがた、はっきりと視えた」

 

 ニヤリとほくそ笑む女神と神殺し。

 幸雅はアテナに、あることを要請した。

 

「それじゃ、アテナ。僕に相手のことを教えておくれ」

 

 アテナと出会い、共に過ごすようになってから三ヶ月ほどが過ぎた。

 その間に他のまつろわぬ神と戦うこともあったのだが、そのたびに幸雅はアテナに知識を教えてもらっていた。少しでも戦いを有利に進めるために。

 そして、己の権能の真価を発揮するために。

 といっても、いちいち詳細を口で説明していけば、複雑怪奇に絡まった神様のエピソードをすべて覚えるのに、日が暮れるどころではなく夜が明ける。

 そこで使われるのが『教授』という魔術だ。己の持つ知識を他者に伝える効果を持ち、覚えていられるのは約一日。

 しかし、それで十分すぎる。

 

 果たしてアテナは、幼い美貌で妖艶に微笑み、

 

「よかろう。妾の智慧、存分に糧にせよ。……これは、女神アテナからの加護だ」

「君の加護ならば、喜んで受けるよ。できれば、ご褒美も欲しいのだけれどね」

 

 するりと座り込む幸雅の膝の上に、向かい合って腰を下ろし、

 

「それは、あなたの功績次第だな」

「……俄然、やる気が出てきたよ」

 

 互いに互いを抱きしめて、額を合わせて、

 

「だろう?」

「ああ。本当に」

 

 キスを、した。

 

 愛し合う二人のキスは濃厚で、熱烈だった。

 唇を重ね、舌を絡め、唾を啜る。

 その合間で、睦言のように神話を囁く。

 

「……はむ、ん……ちゅ……ぁ」

 

 カンピオーネの肉体は、魔術に対して絶対的な耐性を持つ。

 これは、敵対的な術だけでなく、害のない友好的な魔術に対しても同様だった。それこそ、神々の術ですら弾いてしまうほどに。

 しかしこれには、ある抜け道がある。

 魔術を直接体内に吹き込むのであれば、話は別。

つまり経口摂取。

 

 たっぷり十分以上。妙齢のルクレチアが顔を赤くして眼を逸らしてしまうほどに、二人は口付けを続けた。

 その結果、幸雅の頭の中には、たっぷりと神々の知識が備わっていた。

 

 フェニキア人に崇拝された天空神にして神王メルカルトと。

 古代ペルシアの輝ける不敗の軍神の知識が。

 

「……行こうか」

「うむ」




 なんか、めっちゃみんながへりくだってるんだが。

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