カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
アテナの呟きに、幸雅は驚愕した。
神を切り裂く剣? そんなもの、いくらなんでも滅茶苦茶にすぎる。
「やはり……あの神格は状況に応じて、自らの姿を変化させる。数多の化身を持つ軍神なのですね……!」
「察しがいいな娘よ。その通りだ。あの『剣』も彼の軍神が持つ十の化身の一つよ。正確には『戦士』か」
いつの間にか隣に来ていたエリカの呟きに、アテナが鷹揚に応える。
その間にも『鳳』と『剣』の異様な戦いは続いている。
ほとんど視認できないほどのスピードで、天を駆け巡る『鳳』。
そのたびに衝撃波じみた突風が地上を吹き荒れる。さすがに音速に達したりはしないだろうが、すさまじい速さだった。
だが、それでも『剣』の方が優勢だった。
超高速の相手に対して、むしろ優雅ともいえる悠揚さで宙を舞い、斬撃を繰り出す。
その太刀筋は、飛び回る『鳳』を巧みに切り刻んでいった。
斬撃が決まるたび、黄金の羽毛が舞い、鮮血が中空と地上を紅く染める。
そしてついに、決着の時が来た。
黄金の一刀が深々と撃ち込まれ、『鳳』の巨体が真っ二つに両断された。
そして、ふたつに分かれた猛禽の肉体は砂のように細かい粒になり、崩れ去っていく。この粒は残らず『剣』の刀身に吸い込まれていった。
だが、これで終わりではなかった。
最後に黄金の『剣』は、地上に墜落しアテナの《蛇》に喰らい付かれていた『山羊』を大地ごと貫いた。
これで『山羊』の巨体も光の粒となり、『剣』の刀身へと吸い込まれていく。
いつの間にか雨がやみ、風も雷も収まっていた。
太陽の光が再び地上を照らし出した時、黄金の『剣』は唐突に消え去った。
あとに残されたのは神々の猛威に半ば打ち砕かれながらも持ち堪えたドルガリの街と、ただ唖然とするばかりの赤と青の大騎士に護堂と、どこか楽しそうに空を見上げる幸雅とアテナだけだった。
§
「旦那さま。あーん、だ」
「あーん。……ん、意外といけるね」
『猪』『山羊』『鳳』『強風』『剣』と、五つもの化身が出現した大乱闘の数十分後。
カンピオーネ幸雅と女神アテナは、サルデーニャ島の人口のほとんどが集中する都市、カリアリに来ていた。
そこで二人は緊張感などまるでなく、仲良く腕を組んで、そこらで買ったジェラートを「はいあーん」なんてやったりしていた。
それなりの人が行きかう町中で、腕を組み合う東洋人の少年と銀髪の美少女はやはり目立つ。常に多くの人の視線を集めていた。
けれど二人はそんなものはまるで気にせず、むしろ見せつけるように胸を張って歩いていた。
「旦那さま。あれは何だ?」
「ん? ああ、あれは……」
町中を二人並んで歩く中で、まるで何も知らない子供のように瞳を輝かせるアテナの姿に、幸雅の頬はずっと緩みっ放しだった。
見ていてとても微笑ましい。いくら智慧の女神と言えど、見聞きしたこともないものはある。そして、智慧を司る身だからこそ、未知の物を既知にしようとする。
幸雅は、そんな時の彼女の瞳が好きだった。
闇色の瞳をキラキラと綺羅星のように輝かせながら、説明を受けてはどんどんそれを咀嚼し、吸収し、心から納得して喜ぶ、純粋で無垢な表情。
僕は彼女のこの瞳を見るために、彼女と出会ったのだ――などという考えまで浮かんでくる。
アテナと出会い、愛を誓ってから早三ヶ月。彼女への情熱は収まるどころか、日増しに強くなっていた。
と、そんな幸雅の感慨を邪魔するように、割り込む声があった。
「……あの、女神アテナ、王よ」
「ん? ……君、まだいたの?」
遠慮がちに声をかけてくる《青銅黒十字》の案内人にして大騎士、リリアナ・クラニチャールに、幸雅は鬱陶しげに振り返った。
ちなみに、《赤銅黒十字》のエリカ・ブランデッリと幸雅の友人である草薙護堂は、連れ立ってどこかへ行った。
行き先は聞かなかったが、何故あの二人が行動を共にしているのか気になるところだ。願わくば、あの金髪の少女が護堂に誑し込まれないように。
無理だろうなあ、と幸雅はひとりごちた。護堂と長く一緒に居た女子は、なぜかみんな護堂に引き付けられるのだ。ほとんどの例外なく。
しかし、目の前の銀髪の騎士は《青銅黒十字》からの使命を果たそうと残っていたのだが……今の二人には完全に邪魔者だった。
「は、はい。わたしの祖父からは、御身らを確実に目的地までお送りするよう、承っておりますゆえ……」
「へえ。それで?」
答える幸雅の声は淡白だ。内心、楽しいひと時を邪魔されて、かなり苛立っていたためだ。
アテナの方も露骨に眉をひそめて、リリアナを睨んでいる。
二人の冷淡な視線に晒されたリリアナは肩を小さくして、
「その、御身らの目的地は、ルクレチア様のお屋敷であったはずでは……」
「そうだね。けれど、僕たちにはそこまで差し迫った理由があるわけでもなし、行くのは明日にするつもりだったのだけれど」
「え、で、ですが、まつろわぬ神はすでに顕れて――」
「そこまでだ、裔なる娘よ。妾と旦那さまの至福なるひと時を、それ以上下らぬ理由で邪魔するな」
なおも言葉を続けようとしたリリアナに、アテナがぴしゃりと言い放った。
実はアテナもかなり憤っていたのだ。
イタリアに来る以前、アテナは幸雅に、一緒に旅行に行こうと言われた。それをアテナは心の底から嬉しく思った。
その時にアテナが言った通り、アテナにとって行き先などどこでもいい。ただ、隣に幸雅さえいれば、それでいいのだ。
しかし、そこはやはり智慧の女神。知を探求せずにはおれず、未知なるものがひしめく海外で幸雅と一緒に歩くのは、もはや至福ですらあった。
そんな時間を、たかが一人間の子娘ごときに邪魔されて、内心穏やかではなかった。
「如何なる理由があろうとも、女神たる妾と王の邪魔をするなど不遜にもほどがある。死すべき定命の者が。弁えよ」
「……はい。申し訳ありませんでした。では、失礼します……」
哨然と肩を落として去っていくリリアナ。その背中を見送って、幸雅は他人事のように憐憫の感情を抱いた。
しかし同情はしない。御神幸雅は魔王カンピオーネ、すなわち『王』なのだ。
地上の何人たりとも支配あたわず、地上の何人たりとも抗えない力を持った、神々の聖なる力すら踏み躙る、傲慢なる『王』なのだ。
力によって無法を為し、神話の神々すら殺戮し、時には女神すら己が伴侶とする。
そんな存在である僕が、たかだか一人の魔女ごときに乞われて、愛する女性とのひと時を無為にする?
馬鹿な。そんなことは知ったことではない。まつろわぬ神が出現したのならば戦ってやるが、今はそうではない。
それが、七人目のカンピオーネ・御神幸雅という王の考え方であった。
幸雅の中では確固たる優先順位があり、それは誰であろうと覆すことはできない。
己の傍らに立つ女神。彼女に何にも負けない幸福をプレゼントする。そのためならば、いかなる存在とも相対し、いかなる障碍であろうと打ち破ってみせよう。
僕はカンピオーネ。七十億分の七の確率で誕生した、人類最強の『王』なのだから!
§
その日の夜。幸雅とアテナはカルアリ市内の最高級のホテルの一室に居た。
観光客が多いこともあり、部屋の中は豪華でありながら瀟洒な雰囲気も併せ持つ、素晴らしいものだった。
ここを用意したのが《青銅黒十字》だと聞いて、少しばかり罪悪感を覚えないでもなかったが、謝罪する気など毛頭なかった。
そして現在。幸雅はキングサイズのベッドに寝転び、シャワーを浴びる嫁を待っていた。
実際、女神であるアテナにとって、体の汚れ程度神力で落とせるし、そもそも付かないようにすることも可能だ。
しかしアテナは、前に一緒に見たドラマの影響か、シャワーを浴びる女を男が待つというシチュエーションにこだわっていた。
もちろん幸雅がそれを拒む筈もなく、こうして待っているという訳だった。
「ふむ。待たせたな、旦那さま」
待つこと三十分程、バスタオル一枚を巻いただけのアテナが戻ってきた。
銀色の髪は水気を吸っていつも以上に艶やかに輝き、白磁のような肌も薄く上気している。
また、バスタオルの間や下から覗く鎖骨のラインや真っ白な太ももは、細身ながらもしなやかで、肉付きは薄いがおおよそ非の打ちどころがないほどに、美しい。
ギリシャ神話でトロイア戦争のきっかけになったのがヘラ、アテナ、アフロディーテの中で誰が一番美しいかという諍いだというが、今の姿であれば万人がアテナだと声高に主張するだろう。
もっとも、今の姿を自分以外の誰かに見せる気などないが。見たヤツは消し飛ばす。
そんな、幸雅にとっての美の化身が、ベッドを軋ませて寝転がる幸雅の上にすり寄ってくる。
自然しなだれかかる形になったアテナと、至近で密着することになった幸雅は、どちらからともなく顔を近づけ、
「……んっ」
おもむろに、キスをした。
行きの飛行機でした貪るようなキスではなく、互いの感情を確かめ合うかのような、深いキス。
舌をくちゅりと絡ませ、寝転がったままどちらからともなく抱き合い、長い口付けを交わす。
やがて、銀の糸を引きながら、二人は唇を離した。
見つめるアテナの瞳は恍惚に蕩け、背筋がぞくっと震える。
全身に感じる、薄いながらも柔らかく甘美な感触と、トクトクと鼓動を刻むアテナの心臓、はだけてほとんど隠せていない魅惑的な肢体。
それらすべてが幸雅の視線を引き付け、誘惑してやまない。
だから幸雅は、もはや我慢するのをやめた。華奢な肢体を掻き抱き、強引に唇を重ね欲望と情愛のままに目の前の女神を求める。
アテナも拒まなかった。幸雅の尋常ではない昂りを受け止め、またアテナの方からも舌を絡ませ、幸雅の体を撫でて、求める。
そのまま二人は、互いに互いを激しく求めあい、幾度も情熱を交わらせた。
互いに精根尽き果てるまで、ずっと、ずっと。
ここで少し講釈を挟ませてもらうが、ギリシャ神話における戦女神アテナの性質の内の一つに、生涯純潔を守り抜いた処女神としてのものがある。
月女神アルテミスも同様の神格を有していたが、アテナはまつろわぬ神となって、この性質を失った。
何故か? 明白である。一人の神殺しの伴侶となったが故だ。
しかしアテナはそのことを、特に不快には思っていない。それどころか、むしろ喜ばしく思っていた。
神話を通して、世界で初めて愛した男。その相手が己の天敵である神殺しだったことは予想外だったが、唯一の『旦那さま』である。
そんな彼に純潔を捧げることができたのだ、かつての自分を全力で褒めてやりたいとすら、アテナは思っていた。
別にリリアナのことは嫌いじゃないんですが……。今回は、ちょっと辛い役どころとなりました。