カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
「おはよう」
「うーっす」
「おはよー!」
「おは」
「はよす」
幸雅が教室に入ってクラスメイトに挨拶をすると、実に多様な挨拶が返ってきた。
まだホームルームまで時間はあるが、大体の生徒はすでに教室でグループ同士でおしゃべりに興じていた。
いつものことなので気にせず窓際の自分の席に鞄を置いて座ると、友達の山田が話しかけてきた。
「よっす、幸雅。……なぁ、お前知ってるか?」
「おはよう山田くん。何を知ってるって?」
色素の抜け落ちた茶髪を短く刈り込んだ水泳部所属の180センチ、山田は挨拶をすませるなり聞いてきた。
本気で心当たりがなかったため、聞き直す。
「何か今さ、イタリアの方ですげー台風が発生してるんだってよ」
「……台風?」
「おう。大分勢いが強いらしくてさ。もう、建物とかボロボロ、雷まですごい量が落ちてるらしいぜ。まさに嵐だよな」
「嵐、か。……イタリアね」
「台風の進路が日本に来たら、俺らもヤベーんじゃねえかってさ。コエーよな」
おどけて言う山田を尻目に、幸雅は思索していた。
今は四月の初め。ヨーロッパの方でも台風の時期とは明らかにズレている。
家を出る前のアテナの霊視からの警告。時期外れの嵐。この二つは本当に無関係なのか、ただの偶然なのか?
(嵐……嵐の権能を持ったまつろわぬ神でも出たかな?)
しかしイタリアであれば、『剣の王』サルバトーレ・ドニが居たはずだ。
あの愚か者でも、まつろわぬ神が出たとあれば即座に動くはずだ。自分たちが動く事態になるとは考えにくいが……
「……君は大丈夫だろうさ。嵐が来ても」
「あん? なんでだ?」
「君にはその鍛え上げた筋肉があるだろう? それがあれば恐るるに足らないね」
「おお、そうだな! ……よぅし、そうと分かれば、早速筋トレじゃあああ。うおおおおおおおおおお」
叫び、いきなり床に寝転がって腹筋を始める友人を見て、幸雅は思わず笑った。
§
午前の授業が終わり、昼休み。
幸雅はいつものベストプレイス、屋上で弁当を広げていた。
一緒に居るのは妹の花南と護堂である。花南と二人で屋上に上がってきた結果、先客だった護堂とご一緒することにしたのである。
「……幸雅先輩の弁当、最近すごいですよね」
「ん、そうかい?」
購買で買ってきたパンを齧っていた護堂が不意に呟いた。
今日の幸雅の弁当のラインナップは、卵焼き、唐揚げ、ミートボールにポテトサラダ、プチトマト。
最後に、一目見て手作りと分かる梅干し入りのおにぎりが三つ。
どれも少し不格好ながら、その分、作った者の愛情が感じられる弁当だった。
ここまで言えばお分かりいただけるであろうが、何を隠そうこの弁当、幸雅の嫁である女神アテナの手作り弁当である。
最近の幸雅の弁当は、花南に教わってチャレンジしたアテナの手作りがほとんどなのだ。
朝早くからキッチンに立って卵焼きを巻いて、唐揚げを揚げて、おにぎりを握るアテナの姿を想像すると、それだけで胸がいっぱいになる。
そして帰ってから弁当箱を渡すとき、アテナが発する言葉と表情の何と可愛らしいことか!
『……美味しかった、か?』
そんなことを、不安げな上目遣いで聞いてくるのだ。そりゃーもう、即座に力の限り抱きしめて撫で撫で一択だろう。
ああもう、今日帰ってからが楽しみでならない。
早速家路に着いてからのことを想像して悶える幸雅だった。
そんな、傍から見ればすさまじく気色悪い幸雅に、護堂は若干引き気味に尋ねた。
「……あ、あの。もしかして先輩……彼女とかできたんですか?」
「ん~ん。彼女って言うかお嫁さんだよ~」
答えたのは妹さまだった。
しかし、少し爆弾発言過ぎた。もう少しオブラートに包むべきだっただろう。
「え、嫁!? でも、あれ? 先輩ってまだ高校――」
「言葉の綾さ。気にしなくていいから」
真実しか口にできない妹の口を塞ぎながら、しれっと答える幸雅。
まさか女神を娶ったなどと本当のことを言う訳にも行くまい。
一般人である護堂にまつろわぬ神やカンピオーネのことを言っても、頭のおかしい人扱いされるのが関の山だろう。
幸いにも、護堂も冗談だと思ってくれたようで、それ以上何か言われることはなかった。
そんなこんなでパンを食べ終わった護堂が屋上から降りていくと、残ったのは幸雅と花南だけになった。
「そういえば、お兄ちゃん~。明日からの連休、どうするの~?」
妹の質問に考えさせられる幸雅。
今日は金曜日。そして月曜日は昭和の日で三連休。
これまでは怠惰に過ごしてきた連休だったが、最愛の嫁がいる身としてはどこかに連れて行ってやりたいとも思う。
「そうだね。アテナを連れてどこか海外旅行にでも行こうと思っていたのだけれど……花南も来るかい?」
「あ~、やめとくよ~。二人っきりを邪魔したら、アテナさんに恨まれそうだし~。それに、わたしも友達と約束があるんだ~」
「そうかい? アテナはそんなこと言わないと思うけれど……ん?」
「どうしたの~?」
「いや、誰かが上ってきてるね。かなり急いでるな」
「それって階段~? よく分かるね~。さすが〝かんぴおーね〟~」
まあ確かに、カンピオーネになってからどうにも五感が鋭くなっている気がするが。
それはともかく、闖入者の正体を探ろうとした時、一瞬早く屋上のドアが開け放たれた。
「……はぁ、はぁ……」
入ってきたのは、亜麻色の長い髪に同色の瞳の、清楚で気品のある少女。
優れた霊視能力を持つ武蔵野の媛巫女、万里谷裕理だ。
何か、非常に慌てた様子の媛巫女はきょろきょろと屋上を見渡し、幸雅を見つけると表情を明るくして走り寄ってきた。
「……あ、あのっ。ご歓談中、失礼、します……っ!」
「あーうん。ちょっと待って。ほら、まずは深呼吸。吸ってー吐いてー」
「は、はい。……すー……はー」
「よし、落ち着いたね? で、そろそろ用件をお聞かせ願えるかな?」
「はいっ。あの、荒ぶる魔王たる御身に過ぎたことでは御座いますが、何卒、私の言葉を御身のお耳に入れたく――」
「……あーうん。分かったよ。で、何?」
やたらと慇懃な口調で話す裕理。しかし、それも仕方あるまい。
御神幸雅は王なのだ。神話の神々にすら己の牙を届かせる、傲慢なる魔王の一人。
魔王、ラークシャサ、デイモン、堕天使、
それらの恐るべき忌み名を冠する彼らの恐ろしさを、媛巫女として育てられてきた裕理は十分に承知していた。
もっとも、それは幸雅の望むところではなかったが。
自分より年下の後輩からまるで家来か家臣のように傅かれる、というのは、かなり居心地が悪い。
そういう風なことを、幸雅は裕理に何度も訴えているのだが、一向に改善しない。
刷り込まれた先入観と、彼女自身がカンピオーネの傲慢によって死にかけたことがある故なのだが。
ようやく息を整えた裕理に幸雅は問うた、が、実は大体のことは察しが付いていた。
目の前の媛巫女、万里谷裕理は卓越した霊感と霊視の才能を持つ。
本来、霊視とは望んでできるものではない。しかし裕理の眼は成功率六割超えという驚異の霊視能力を持つのだ。
そして、今朝山田から聞いたイタリアに到来したという、時期外れの嵐。
この二つを重ねて考えれば、答えは自ずと出てくる。
裕理が必死に言葉をまとめて訴えかける内容に、幸雅は嘆息した。
「……やれやれ。この連休の旅行先、もう決まっちゃったかもねぇ」