カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
「……くっ!」
襲い来る死せる従僕の攻撃を紙一重でかわし、幸雅は顔を顰めた。
未だ全身の痺れは取れていない。カンピオーネの肉体ならもう少しで回復するだろうが、それまでは我慢するしかない。
神速をフルに活用して避け続けるが……
「逃げるだけか、つまらんぞ小僧!」
ヴォバンの叱声と同時に雷鳴が轟き、幸雅の頭上から紫電が降り落ち、暴風が吹き荒れる。
小学校の狭い屋上を駆け回って落雷を回避し、体内の呪力を高めて暴風を凌ぎ切った幸雅は、掲げた左手から雷電を放った。
しかし、ヴォバンの傍らに控えていた一体の従僕が身代わりになり、幸雅の攻撃は意味を成さなかった。
「ああもう! とことん厄介だなぁ!」
ようやく痺れの取れて来た身体を躍動させ、右手の布都御霊で目の前の従僕を斬り飛ばす。
続くように左右と背後からも従僕が迫るが、全身から放電することで凌ぎ切った。
そして、一瞬の間隙に、地面――屋上のコンクリートに霊剣を突き立てて、
「雷よ!」
瞬間、バチバチバチバチバチイイィィィッ、と。凄まじい雷電が迸り、屋上に居た残りの従僕を焼き払った。
その雷は離れた位置に居たヴォバンにも手を伸ばすが――
「フン」
信じ難いことに、老魔王は鼻を鳴らすだけで、地面から迫りくる雷電の軌道を逸らしてみせた。
「……おいおい」
もはや呆れるしかない。どうやったらそんな常識離れした芸当が可能になるのやら。
(……さてさて、どう切り抜けたものか)
「フン。存外つまらぬな」
「っ?」
不意に、幸雅が見据える先のヴォバンが、落胆したように息を吐いた。
「あのアテナが伴侶として認めるほどの器。楽しみにしていたのだが……これでは、我が無聊を慰めるには及ばん」
別に慰めてやるつもりもないけどね、と幸雅は軽く受け流していたが、次の一言で、表情を凍らせた。
「神々の叡智を司る智慧の女神……所詮はまつろわぬ身。節穴であると言わざるを得ん。期待外れだ」
……その言葉を聞いて、幸雅は自分の中で、何かが切れる音が聞こえた。
「…………消せ」
「ん?」
「取り消せって言ったんだよ。お前なんかが、彼女を侮辱するなクソジジイ。殺すぞ」
普段の丁寧な言葉遣いからは考えられないような乱暴な口調で、幸雅はヴォバンを詰った。
――僕のことなら、いくら侮辱しようと、馬鹿にしようと、蔑もうと構わない。
――だけど。
「彼女は、アテナは、誰より強く、誰より美しく、誰より気高い存在だ。お前なんかが貶めていい女性じゃあないんだよ」
幸雅の怒りに呼応するように、周囲でバチバチとスパークが起きる。
幸雅が右手の布都御霊をヴォバンに突きつけた瞬間、二人の頭上で稲妻が迸った。
怒りを爆発させる幸雅を、ヴォバンは面白そうに見やった。そのエメラルドの瞳に、獰猛な光が瞬く。
「行くぞ、ヴォバン。後悔しろ、俺の前で、アテナを貶めたことをな!」
叫び、幸雅は神速で踏み込んだ。
「よかろう、小僧! それだけの啖呵を切ったのだ、失望させてくれるなよォ!」
吼え、ヴォバンは両手を振り上げた。
幸雅の左手に光が集まり、膨大な熱量を封じ込めた光球が形作られる。
ヴォバンの頭上に圧倒的な量の雷電が集められ、絶え間なく雷鳴を轟かせる。
彼我の距離が、ついに五メートルを切った。
二人の神殺しが激突する――と、思われた、その時。
どこからか、声がした。
「――ただ一振りであらゆる敵を切り裂く剣よ」
自らが弑した神の聖句を唱える、不遜で、傲慢で、冒涜的な声が。
「全ての命を刈り取るため、輝きを宿せ!」
瞬間、幸雅とヴォバンは、強烈な悪寒に襲われて、獣の如き身のこなしで跳び退る。
直後に空を薙ぎ、地面に叩きつけられる、一振りの剣。
何の変哲もない、神剣魔剣の類には遠く及ばない、普通に量産されているような平凡な長剣。
だが――その力は、とても平凡とは言えなかった。
銀色の光を宿したその剣が、幸雅とヴォバンの間の空間を切り裂き、校舎の屋上に触れた直後――――
まるでひとりでに左右に分かれるように、すっぱりと、真っ二つに。
巨大な鉄筋コンクリートの塊が、何の抵抗もなく断ち切られてしまったのだ。
どう考えてもあり得ない現象。建物を剣で断ち切るなどという常識外れな芸当。
しかし、彼ならば。遠く欧州で、『剣の王』などと称される彼の力。ケルトの神王、銀の腕のヌアダから簒奪した権能ならば――およそこの世に、斬れぬものなど存在しない。
幸雅が、かつても目にした光景。ローマの地で戦ったある同族の力。
光球を維持したまましっかりと着地した幸雅は、その剣を振るった存在――幸雅とヴォバンの間に立つ男を睨みつけた。
剣を地面に叩きつけたままの状態で佇む、金髪碧眼のハンサムな伊達男。
どこから来たのか、派手な色の開襟シャツを身に着け、右手に握った剣以外は何も持っていない。
しかしその剣こそが、彼の唯一にして最強の武器。
合計四柱の神々を弑殺し、ヨーロッパの地に君臨する最強の剣士。六番目の魔王カンピオーネ。
『剣の王』サルバトーレ・ドニ。
ゆっくりと顔を上げたその男――ドニは、幸雅とヴォバンを見渡して、能天気な笑顔を見せた。
「やあ、幸雅、爺様! 幸雅は半年ぶり、爺様は四年ぶりだっけ? 元気だったかい?」
とても戦場とは思えないようなふざけた態度だが、彼の立ち姿には微塵の緊張もなければ、微塵の油断もない。
そんなドニに、幸雅の対面に立つヴォバンは、濃密な怒気の籠った視線を向けた。
「サルバトーレ……。三年前のジークフリートの件といい、貴様はいつも私の邪魔をしてくれる」
「はははっ、その節はどうも。いやぁ、あの時は丁度退屈してたからね。丁度良かったんだ」
「相も変わらずふざけた口を利く男だ」
フン、と鼻を鳴らしたヴォバンは、エメラルド色の瞳でドニの能天気な笑顔を見据え、低く宣言する。
「消えろ、サルバトーレ。私は今、実に昂ぶっている。我が享楽を邪魔するのであれば、貴様もここで消すぞ」
「つれないことを言わないでよ、爺様。せっかくカンピオーネが三人も揃ってるっていうのにさ、どうせなら皆で楽しもうよ!」
明るく言い放つドニだったが、彼の碧眼には底抜けな陽気さの奥に、隠しきれない暗い戦士の愉悦があった。
彼は心底からこの状況を楽しみ、待ち望んでいるのだ。神殺し三人が一つの場所に集まり、互いの力をぶつけ合うという、この最高にして最悪の戦いが始まるのを、今か今かと。
不意に、ドニの視線が、幸雅に向けられた。
「どうだい? 君もそう思うだろう、幸雅?」
「――さてね」
一言だけ返して、幸雅は今の今まで溜め続けていた天照の権能を解き放った。
眩いほどに光り輝く光球を、全力で投げつけたのだ。ドニとヴォバン、二人を同時に巻き込む軌道で。
溜め込まれた呪力が炸裂し、凄まじい衝撃と轟音を撒き散らす。
「ははっ、いきなりだな!」
「フン。無粋な」
だが、二人の神殺しは揺るがなかった。
ドニは痛快そうに笑って、彼が簒奪したジークフリートの権能を行使した。一瞬で彼の肉体が鈍色の鋼鉄へと変わり、光の全てを受け流す。
ヴォバンは死せる従僕をまとめて数十体も召喚し、それを盾にして防ぎ切った。
結果、二人とも無傷。だが、それは幸雅の本命ではない。
「不死の太陽よ、輝ける駿馬を遣わし給え」
不意に聞こえてきた、豪雨の中で聞こえるはずもないこの場の誰のものでもない声に、ドニとヴォバンが揃って校庭の方へ目を向けた。
そこに立っていたのは、つい数か月前にカンピオーネになったばかりの、八人目の神殺しの魔王・草薙護堂だった。
護堂が雨に打たれながら右手を天に翳し、一心に聖句を唱えている。
ウルスラグナ第三の化身。太陽の象徴たる『白馬』を呼ぶための言霊。
「む?」
ふと、ヴォバンが空を見上げた。嵐の夜だというのに、暁の色に染まる空を。
「駿足にして霊妙なる馬よ。汝の主たる光輪を疾く運べ!」
護堂の聖句が締めくくられ、東の空から昇った太陽が、焔を放つ。
「太陽――天の焔、だと?」
「はははははっ、何だ、キミも居たのか、護堂!」
直後、天より降る白いフレア。
民衆を苦しめる大罪人にのみ使える裁きの力が、人々を散々に苦しめた三人の魔王に向かって放たれた。
鋼鉄さえドロドロに融解・蒸発させる超々高熱の塊が地上に迫る。
元々、こういう作戦だった。ヴォバンの相手を幸雅が一人で行い、ドニが乱入してきたところで、護堂が『白馬』で一網打尽。
合図は、幸雅が光球を爆発させた時。……まあ、自分で思ったよりもヒートアップしてしまったが。
寸前に幸雅は神速を発動し、校舎の屋上から躊躇なく身を投げ出して、護堂の横に並んで屋上を見上げて――二人の若き魔王は、揃って驚愕した。
ヴォバンの姿形が変わったからだ。人の形から、銀の体毛を持つ直立歩行する獣――人狼へ、そして完全なる狼の姿へと。
銀の狼に化身したヴォバンの体はさらに、一気に膨れ上がり――体長三十メートル前後。あり得ないサイズの巨体にまで膨張してしまった。
――オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォンンンンッッッッ‼
巨大な狼の咆哮が嵐の中に響き渡り――そして、銀の大巨狼は、太陽のフレアが凝縮された巨大な白き焔に、一気に躍りかかった。牙を剥き、その巨大な顎で焔にかぶりつく。
「……何だよ、それは。常識外れにもほどがあるぞ」
幸雅の隣に立つ護堂が呆れたように呟いた。幸雅もまた同じ気持ちだった。
呑み込んでいる。
大巨狼が太陽のフレアを文字通りに喰らい、呑み込もうとしている!
「狼ってあんな生き物だったっけ……」
「違うと思いますけど……」
ついにヴォバンが変化した巨狼は、跡形もなく『白馬』の焔を喰らい尽くしてしまった。
呆れるしかない二人の眼前で、ズドォォンッ!、という重い音が二つ響く。
巨狼に変化したヴォバンと、全身を鋼鉄に変えたドニが広大な校庭に降り立った音だった。
あれで倒せるとも思っていなかったが、無傷とはさすがに恐れ入る。
彼らの間に言葉はなかった。
幸雅と護堂は低く身構え、ヴォバンは牙を剥いて威嚇し、ドニはひたすらに笑ってふらりと立つ。
全員の口元には、戦いの喜悦を共有する、亀裂めいた微笑が浮かんでいる。
――――この数秒後、四人の神殺しによる、壮絶で、苛烈で、どこまでも神話的で魅惑的な闘争が、幕を開けた。