カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
夜九時頃、幸雅は、六本木界隈の都心にある小さな小学校の校庭に立っていた。
都心の学校なので決して敷地も校庭も広くはないが、ここならカンピオーネが大暴れしても問題は少ないはずだ。
「……全く、派手な演出をするな、あの爺様は」
幸雅はぐっしょりと濡れた衣服と靴に溜め息を吐いて、真っ黒に染まった空を忌々しげに見上げた。
彼がここに来る一時間ほど前から、東京一帯を時期外れの台風が襲っていた。台風というよりは、嵐。
激しい雷雨と暴風。最初は小ぶりだったのが、数分もしないうちにこうなってしまった。
何故かなど考えるまでもない。幸雅の対戦相手であるデヤンスタール・ヴォバン侯爵の仕業に違いない。
「風伯、雨師、雷公……侯爵が倒した嵐の神様か。メルカルトとはまた違う要素を持てるんだったっけ……」
アテナからもらった知識を反芻していると、ゴロゴロと雷鳴が轟いた。
かなり近く、小学校の敷地内に落ちたらしく、すぐ近くで紫電が弾けた。叩きつけるように降る横殴りの雨が幸雅の肌を叩き、容赦なく体温を奪っていく。
「来た、か」
灰色の影が現れたのは、その直後だった。
激しい雷雨の中を走る影――それは、よく見れば狼の姿形をしていた。
濃いネズミ色の体毛を持つ、馬かと見まがうほどの巨躯の狼たち。その数、目測で百匹ほど。
「狼――猟犬がわりのつもりかい? つまらないものを出してくれる。……聖なるかな」
焦るでもなく幸雅は冷静に呟くと、天界の書庫番たる天使の聖句を唱えた。
たちまちの内に黄金の光が煌めき、幸雅を囲むようにして三体のフル装備の天使たちが出現した。
チラリと視線を向けてそれを確認し、幸雅はいつの間にか手にしていた建御雷之男神の霊剣・布都御霊を無造作に振るう。
「殲滅しろ」
創造主の命令に従い、天使たちは狼の群れへと突貫していく。
いくらカンピオーネが創り出した獣と言えど、あれだけの数だ。強さは端的に言って雑魚。三体に絞ることで一体一体の質を増した幸雅の天使たちには敵わない。
視界を埋め尽くさんばかりだった狼の群れも、切り裂かれ、押し潰されて、引き千切られて消えていった。
その光景を無感情に眺めていた幸雅だったが――狼の群れの後ろからのそのそと歩み出てくる魔性の者たちの姿を認めて、表情を険しくした。
それは狼などではない。かつてヴォバン侯爵がその命を奪い、己が手駒とした勇敢なる勇者たち――死せる従僕だ。
彼らが手にしているのは剣や槍、斧といった古典的武具。
彼らが纏っているのは鎖帷子や、騎士団の紋章を刻み入れた装身具の数々。
およそ四十人前後のゾンビたちが、列をなして迫っているのである。
「天照す輝きの欠片たちよ、戦場に赴く我の先駆けとなれ」
幸雅の動きは速かった。
即座に状況を判断して天照大御神の権能を発動、数十の光球を顕現させる。
一切のタイムラグなく撃ち出されたそれらは、回避すら許さずに従僕たちに激突すると同時、内部に溜め込まれた熱量を一気に爆発させた。
校庭のそこかしこで轟音が鳴り響き、地面がぐらぐらと揺れる。
だが幸雅はその結果に斟酌しなかった。
厳しい表情のまま幸雅が見上げたのは、幸雅が背にした校舎の屋上。
「しもべたちに全部任せて自分は高みの見物を決め込むとはね、臆病風にでも吹かれたかい?」
「ククッ、中々に面白いことを言うな、若造。だがそれでこそ、アテナを娶り私の敵となり得る素質の証明か」
雷鳴が轟き、風が唸りを上げる。雨が激しく大地を打つ。それらの騒音を無視して、デヤンスタール・ヴォバンの声は届いた。
悠然と下界を見下ろす魔王は、どこまでも傲岸そのものだった。
§
「お久しぶり、とでも言おうかな? まだ一日しか経ってないけど」
「我らの間に挨拶など不用であろう。我が従僕たちを手早く屠ってみせた手際は認めてやろう。だが、私があれらと同じように行くと思うなよ?」
言われなくとも分かっている。声に出さずに頷き、幸雅は身構えた。
「さあ、せいぜい跳ね回って、私を楽しませろ」
ヴォバンが腕を振り上げると同時、闇の中から何十匹もの狼が泡のように湧き出てきた。
幸雅は思わず顔を顰める。狼の一体一体は大した脅威ではないが、これだけの数を何度も召喚されると、堂々巡りにしかなるまい。
舌打ちを堪えて、今までずっと雷電を溜め続けてきた霊剣を、両手で振り上げる。
「高倉下を討ちし稲妻よ、我が剣の許に集いて、我が恩敵を誅殺せしめよ!」
そして、振り下ろす。日本神話最強の武神の力を雷へと変えて、一気に解き放ったのだ。
荒れ狂う紫電はやがて巨大な刃の形となり、地面を削りながら突き進み――
ドゴォォォッ、という轟音を残して、校舎の一部ごと狼の群れの一角を消し飛ばした。
幸雅とヴォバンを遮っていた狼たちが消滅したことで、何も気にする必要はなくなった。
すぐに雷の権能を神速移動のためのものへと回し、今度は自分から遥か上に位置する老王に向けて突進する。
天を駆ける稲妻に等しい速度で、幸雅は屋上へと一瞬で移動して、瞬く間にヴォバンの背後を取った。
攻撃に移るために全身に纏っていた稲妻を消し去り、右手の霊剣をコートに包まれた背中に突き立てようとするが、
「……ぐあっ!?」
侯爵の背中から放たれた暴風と雷撃が幸雅を打ちのめした。
ロクな受け身も取れず、屋上のコンクリートの床をゴロゴロと転がる幸雅。カンピオーネとしての非常識な頑丈さのおかげで骨折などはなかったが、それでもじんじんと痛みが苛む。
雷撃によって神経が痺れて、起き上がることすら難しい。
「無限に生まれる従僕どもを無視して、それを操る私自身を狙うその機転はよし。だが詰めが甘いな。神速とやらは確かに速いが、リスクが大きい。いつどこを狙ってくるのかさえ分かっていれば、迎撃は容易い」
「ご忠告……痛み、入るね……!」
老王の嘲弄混じりの言葉に、幸雅は無理矢理笑みを作って答えた。
簡単に言ってくれるが、分かっていてもそれをなすのは決して簡単なことではない。少なくとも幸雅は、絶対に成功させる自信はない。
だがヴォバンはそれをやってみせた。しかも、幸雅に背を向けたまま、完全に迎撃してみせた。
これに戦慄せずしてどうする。
(さすが……やはり、二世紀分のキャリアは伊達じゃないか……!)
不敵な笑みを何とか維持しながら、幸雅は焦燥を自覚していた。
幸雅が倒れ伏している間に追撃がなかったのは、侯爵の油断や慈悲といったものなどではない。
幸雅が鋭く見据えている先、新たに闇から現れた死せる従僕たちを見れば、一目瞭然だ。
若き魔王の奮闘を正面から叩き潰し、確実に狩り取ろうとしている。
(ああ、まったく……敵ながら、尊敬を禁じ得ないね)
格下だからという侮りはあっても、決定的な油断はない。しかもヴォバン公爵は幸雅を倒した後のアテナとの戦いに備えて力を温存しているだろう。
それでもなお、この差だ。もはや笑うしかない。
分かってはいたが、力の差が大きすぎる。
だが、諦めるわけにもいかない。
ここで幸雅がヴォバンに敗れれば、ヴォバンは次にアテナと戦う。
抜け目ない孤狼のようなこの男の牙を、アテナに向けさせるわけにはいかない。
そして何より、約束したのだ。必ず勝利し、そして生きて帰ってくると。
体は満足に動かず、目前からは物言わぬ従僕たちが迫り、さらにその後ろにはもっと怖い魔王が控えている。
(ほんっと、イヤになるなあ、まったく……!)
心の中で愚痴を吐き捨てながらも、それとは正反対に、幸雅の口元はひび割れるような微笑を刻んでいた。