カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
「嗚呼、主は仰せられた。新たなる御子を創り給えと。故に我は、一にして全なる御身を讃える賛美歌を詠おう! 聖なるかな!」
自身の言霊が破られて、天照の権能が封じられようとも、幸雅は慌てなかった。
いつもの不敵な薄ら笑いを浮かべつつ、残った権能の言霊を唱える。天使創造の権能だ。
幸雅の言霊に応じて、先程消え去った『剣』の残滓を吹き飛ばすような莫大な光が舞う。
『剣』が消えても尚『戦士』の化身のままだった護堂は、まだ戦いは何も終わっていないことを悟り、視線を鋭くする。
そんな護堂の眼前に、それは現れた。
天使だ。以前メルカルトとの戦闘で創造したような、最初から鎧に盾、剣を持った天使。
それだけなら、前と何も変わらない。
だが、この天使は大きさが段違いだった。
公園のすぐそこに建っていたビルなど軽々と越え、優に二十メートルはあろうと言う巨体。
その肩には、笑みを浮かべた幸雅が乗っている。
これが、幸雅に創造できる最大級の天使だった。
かなりの呪力を消費してしまう上に、この天使を想像して維持している間は他の天使が創れないと言う欠点もあるが、今この戦いにおいてはあまり関係ない。
巨大な天使が右手の剣を振り上げたのを見て、護堂は戦慄した。すぐさま『戦士』の化身を解き、別の化身へと変える。
正直ここまでとは思っていなかったが、これだけ巨大なものを創り出してくれたのは、逆に好都合だった。
おかげで、あの化身を使うことが出来る――!
「主は仰せられた。咎人に裁きを下せと」
迫りくる天使に右手を向け、護堂は囁く。
「鋭く近寄り難き者よ! 契約を破りし罪科に、鉄槌を下せ!」
直後、公園の上空に出来た空間の裂け目から、幸雅の創り出した天使とほぼ同程度のサイズの、巨大な黒い『猪』が出現した。
鋭く大きな二本の牙に、黒々とした毛皮、恐ろしく太い胴体を持つ、巨大な『猪』。
ウルスラグナ第五の化身。巨大な標的を破壊したい時にだけ呼ぶことのできる獣。それが『猪』だ。
オオオオオオオオンンンッッ!!
出現したばかりの『猪』は雄々しい雄叫びを上げ、上空から垂直落下するように標的となった天使を襲う。
対する天使は攻撃を一時中断し、左手に持った盾を真上に掲げて『猪』の突進を防いだ。
ガアアアアンンンンッッ、と凄まじい轟音と衝撃が荒れ狂い、大地が震える。
真正面から隕石のような超質量の物体を受け止めた天使は、堪らず膝を折る。その足は公園の地面を砕き、大きくめり込んでいた。
衝突は数秒。やがて天使は、渾身の力を持って『猪』を弾き飛ばした。
吹き飛んだ『猪』はしっかりと四本足で着地、獰猛な敵意を宿した瞳で天使を見据え、再び突進しようとする。
しかしそれより先に、今度は幸雅の意志を受けた天使から仕掛けた。
背中の翼は飾りではないと証明するかのように、金色の光を散らして大きく羽ばたき、先ほどとは逆に上空から迫る。
アオオオオオオオオオオオンンンンンッッッッッッ!!!!
『猪』が上げた咆哮は超音波となって、空中を浮遊する天使を襲った。
「そなたは主へ捧げる賛美歌を詠え! 聖なるかな!」
だが天使も負けてはいない。
響くのは、『猪』の荒々しい咆哮とは似ても似つかない、清浄にして荘厳な、パイプオルガンの音色にも似た歌。神へ捧げる賛美歌である。
その賛美歌は、『猪』の超音波を綺麗に相殺してしまった。
そして、ついに遮るもののなくなった天使は、満を持して右手に持った剣を振るう。
ルアアアアアアンンンッッッ!!?
悲壮とも取れる鳴き声を上げる『猪』。天使の剣を叩きつけられた背中からは、青黒い血が飛び散っている。
その間に天使は『猪』の真正面に着地、左手の盾で『猪』の鼻面をぶん殴った。
大きく仰け反った『猪』の体に、さらに剣を突き立てようとするが、ギリギリのタイミングで発せられた咆哮によって阻まれる。
天使が後退した隙に『猪』も体勢を立て直し、再び突貫。
再び轟音が鳴り響き、衝撃が撒き散らされ、牙と盾がぶつかり合う。
「幸雅先輩、もう止めてください!」
ふと、天使から振り落とされないか戦々恐々としていた幸雅の耳に、護堂の必死な叫びが聞こえてきた。
と言うか、さっさと降りればいいだけの話である。
いつの間にか護堂は、『猪』の背に飛び乗っていた。黒々とした毛皮を掴んで四つん這いになっている。
運良く天使の攻撃には巻き込まれなかったらしい。目立った負傷はなかった。
「こんなの――先輩、本当に悪の魔王みたいじゃないですか!」
「天使を操る魔王ってのも皮肉が効いてるねえ」
おどけたように返す幸雅。その程度の非難で彼が揺らぐことはない。
「けど、そうだね……君から見ればこれは悪なのかもしれない。けれど知ってるかい? この世界に一概的な正義も悪も存在しない」
「善悪二観論とか聞いてませんよ!」
「茶化さないで聞きなよ。対立する主義主張があったとして、どちらかが正義だと信じて疑わなかったとしても、それは相手にとって紛れもない悪になる。所詮は正義なんてその程度さ。個々人の価値観や見る方向によって変わる不確定なもの」
不思議そうにする護堂に、幸雅は苦笑を浮かべて諭すように言った。幸雅の持論を。
黙って聞いていた護堂は、唇を噛み締めて噛み付くように反論した。
「でも、先輩が今してることは間違ってる!」
「なら君がしてることは正しいって? それは傲慢だよ、護堂。君は自分が今までしてきたことの全てが正しいことだと思って、そんなことを言ってるんだよね?」
「……ッ、それは……!」
「僕はアテナのためにこうして君と戦っている。君はアテナにゴルゴネイオンを渡さないために、僕を振り切ってアテナを倒すためにこうして僕と戦っている。僕は僕の正義のために、君は君の正義のために」
「…………」
「僕からしてみれば君のしていることの方が間違ってる。アテナにアレを渡したら、この世に災いが降りかかるって万里谷が霊視した、と君は言ったね」
「……はい」
「そんなことには絶対にならない」
絶対、と、確信を持って幸雅は言い切った。
何故なら、
「僕が止めるからだ。彼女がそんなことをする前に、僕がそれを止めてみせる」
むしろ、と幸雅は眼下に広がる光景に目をやった。
「君が僕たちの主張を無視してこんな戦いを始めたせいで、東京の観光スポットの一つは無残に破壊されてしまった。どうだい? これでも君は僕を悪と断定する?」
「……ッ!」
何も言えなくなってしまった護堂。一度口を開きかけたものの、すぐに口を噤んで幸雅を睨んできた。
そんな護堂を見下ろして、幸雅は苦笑を浮かべた。
「……まあ、ここまで色々と言ってきたけれど、例え自分でも悪と思っていることでも、僕はやってみせるよ」
護堂はその言葉に反応し、目を見開いて幸雅を凝視してきた。
護堂が見据える先の幸雅の顔は、怖いほどに真剣だった。
「彼女が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなってみせよう」
「けれど、彼女は僕が悪に染まっても、きっと喜ばない」
「彼女が一番恐れているのは、自分が理由で僕が道を踏み外すことだからね」
「だから僕は、例え誰に反論されようと、僕の正義を貫く」
「僕の、僕だけの正義を。ただ、彼女のためだけに」
御神幸雅と言う男の根底にあるのは、たった一人の女神への、揺るがぬ愛情だ。
アテナが自分の隣で笑ってくれること。それが、幸雅にとっての唯一無二、絶対的な正義なのだから。
どんな存在も、どんな主張も、彼の正義を折ることはできない。
もし、アテナが彼の愛を拒んだとしても、彼は止まらないだろう。
一方向で構わない。独善的で構わない。片思いで構わない。
――すべては、ただ彼女のためだけに。