カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~   作:マハニャー

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22 もう一つの戦い

 幸雅と護堂の戦いが幕を開けた頃。

 

「再びここに赴くことになろうとはな」

 

 フクロウの化身を解き、七雄神社の境内に降り立った銀色の神に闇色の瞳を持った女神――アテナは静かに呟いた。

 先刻察知した彼女の半身ともいえる、女神の智慧の籠められた魔導書、ゴルゴネイオン。

 それを探すアテナを手助けする夜の導きに従い辿り着いたのが、ここだという訳だ。

 

 神社の中を見渡しても人の気配はない。この時間だからか、それともアテナが来ることを見越してか。

 

「どちらであろうと、妾のすることは変わらぬ。……そうであろう、異邦の神に仕えし巫女よ」

「……さすがの御慧眼でございます、女神アテナよ」

 

 アテナが視線を向けた先、本殿の脇に立っていた巫女服の少女――万里谷裕理は、緊張一色に彩られた硬い表情で恭しく一礼した。

 昨日見た他の少女、金髪と銀髪の娘は見当たらない。夫の方へ向かったか。

 

 僅かに嘆息しつつ、アテナは裕理に続けて声をかけた。

 

「見知らぬ神に仕えし巫女よ。そなたの持つ蛇の印を渡してもらいたい」

 

 静かな夜。

 向かい合う彼女たちには誰もおらず、風や木々すらも女神の言葉を邪魔しはすまいと黙り込む、静寂と沈黙に包まれた夜。

 その怪しい静けさを乱さぬ、夜風のように静かな声だった。

 

「改めて名乗ろう。妾はアテナ。ゼウスの娘にして、父を越え行く者。妾は――できれば、そなたに危害を加えたくはない」

 

 傲岸不遜な名乗りから一転、信じ難いことに、どこか懇願するような調子で、アテナは言った。

 

「そなたは味方ではあるまいが、妾の、そして旦那さまの敵でもあるまい。であれば、妾が進んで手を下す必要もない」

 

 聖なる存在の濃厚な気配が、裕理に一歩一歩近付く。

 ゆっくりと歩み寄る月明かりを浴びる女神の姿は、か細いくせに異様な力感を漲らせていた。

 煌く銀の髪の一本一本が、裕理には蛇のように見えてならなかった。

 

「もう一度言おう。妾の半身たる古き地母神の印、ゴルゴネイオンを渡してもらいたい」

「……恐れながら、彼の御印を御身にお渡しするわけには参りません」

「何故だ?」

「わたしの霊感が告げております。御身がそのお力を取り戻せば、この地に大いなる災いが降りかかることになりましょう。この地を守護する媛の名を持つ者として、それを看過するわけには参りませぬ」

 

 強大なる女神を前にして、か弱き人の子に過ぎない裕理は、強い意志を瞳に宿して強く言い切った。

 戦うための力も持たないくせに、己の意志を示す彼女の姿に、アテナは感心の息を漏らした。

 

「不遜な、しかし強き娘よな。よき心意気だ。惜しいな、このような形でなければ、我が愛し子として格別の加護を授けてやりたいところなのだが」

 

 再び嘆息。

 しかし次の瞬間には、アテナの美貌には、戦女神としての凛とした闘志が宿っていた。

 その繊手には長大な柄を持つ黒い大鎌が。冥府の女王たる彼女が好んで使う武具だ。

 

「妾はそなたらの手より《蛇》を強奪するものでもある。妾の申し出を撥ねるのであれば、そなたは妾の敵となろう」

 

 本心で言えば、気が進まない。

 彼女の旦那さまである神殺し・御神幸雅は、いつも偽悪的なことを言うくせに、その心根は優しすぎるほどに優しい男なのだ。

 だがそれと同時に、その心を押し殺して鍵をかけてしまうことも得意としている。

 もしアテナがここで裕理を傷つけたと知れば、きっと悲しんで、それでも表に出すことは絶対にしないだろう。

 

 我ながら、面倒な男を伴侶にしてしまったと思う。

 しかし、これは仕方ないことだ。惚れてしまった以上は、仕方ない。

 かつて死力を賭して殺し合い、そして救われた時から、彼女の心は決まっていた。

 

(巫女を傷付けず、《蛇》だけを奪う。それしかあるまい)

 

 幸いにも、裕理に戦闘能力はない。半端に強い戦士を相手にするような事態にはならない分、数倍楽だろう。

 

 算段を立て終えたアテナは大鎌を構え、先程から感じていた《蛇》の気配がする場所、本殿に向かって突進した。

 運動能力が皆無に等しい裕理に追い縋る術はない。

 一瞬の内に裕理を追い越し、本殿の階段に足を踏み入れようとした――ところで、バチイィッと。アテナの踏み入れた足に火花が散って、弾き返された。

 

「これは……なるほど、結界か」

 

 智慧の女神でもある彼女は、その正体をすぐに看破した。

 アテナの梟の眼はすぐにそれを認めた。この神社の本殿全体を包む広大な結界の姿を。

 一時的とはいえ、アテナ(女神)の侵入を防いだのだから、人の張ったものにしては大したものだろう。

 

 そうひとりごちながら、アテナは歩みを止めずに再び侵入しようとする。が、またもや火花が散って弾かれた。

 さすがに不審に思い、今度は両手で掲げた大鎌を結界に向かって振り下ろす。

 しかし大鎌でさえもこの結界は完全に守ってみせた。

 これは明らかに異常だ。

 

 いくらなんでも、神の力を何度も防ぐ結界など、ただの人の身で張ることなど――

 

「――そうか、神殺し。神殺しの呪力を以てこの結界を張ったのだな。妾がここに踏み入るのを防ぐために!」

 

 アテナの予測通りだった。

 この結界は、事前に神殺しである護堂の呪力を使って展開されたものだった。

 ただの人間の手によるものであれば造作もないが、同格である神殺しの呪力が使われているとあれば、そう簡単にはいかない。

 

 続けて何度も大鎌を振り下ろすアテナ。しかしやはり結界はビクともしなかった。

 仕方あるまい。今のアテナはかつての強壮なる地母神アテナではなく、その弱体化した存在にすぎない。

 神殺しの力を以て造られたものを力尽くで破壊するには、圧倒的に力が足りなかった。

 

 考え込むアテナの姿を見て、控えていた裕理がそっと安堵の息を吐いた。

 やはり不安だったのだろう。少し力を取り戻したかのように顔を上げた裕理は、見た。

 

 ニヤリと。途方に暮れた者では到底浮かべられるはずのない、獰猛な、意地の悪い笑みを浮かべるアテナの姿を。

 

「さてさて。今すぐにでもこの忌まわしき壁を叩き壊して我が半身を奪いに行きたいところではあるが、思ったよりもこの壁は堅固なようだ。参ったな?」

 

 唇の端を上げ、揶揄するように、謳うように言葉を続けるアテナ。

 

「我が仇敵たる神殺しの手によって築かれた壁、なるほどなるほど堅いのも道理だ。妾にそれが打ち破れぬのも、口惜しいがまた道理。困ったな、どうしよう?」

 

 クククッと嘲笑うような笑声を上げ、アテナは両手を広げて一度回ってみせた。

 蛇のような銀髪が風に揺れて鱗紛のような神気を撒き散らし、それが夜の闇に散っていく姿は、とても幻想的で美しい。

 おどけるように笑う彼女の仕草は、女神でありながら、とても人間臭かった。

 

「妾が思うに答えは一つ。即ち――同じ神殺しの力を(・・・・・・・・)借りる(・・・)。そなたもそうであろう?」

 

 ゆっくりとした回転を終えて、彼女は銀色の指輪の嵌まった(・・・・・・・・・・)左手の人差し指(・・・・・・・)を本殿に、ひいてはそれを包む結界に向けた。

 その指輪には、一枚の小さな()が嵌められている。

 

 媛巫女である裕理はすぐさまその指輪と、鏡の正体を悟った。それと同時に深く戦慄した。

 あの鏡こそは、天照大御神が孫であるニニギノミコトに持たせた、三種の神器の一つ。

 岩戸隠れの神話において、天照大御神自身を映し出したとの伝承を持つ鏡。

 

 その名を――

 

「八咫鏡!」

「女神アテナの名を以て日輪の力を封じし鏡に願おう――光あれ」

 

 裕理の絶叫を遮るように、鏡はアテナの呼び声に応えて光を放った。

 それはもはや一条の閃光と呼んで差支えない。

 ボッ!!、と凄まじい勢いで打ち出された閃光は結界に直撃、一撃で罅を入れてみせた。

 

 八咫鏡。これは、出発直前に幸雅がアテナに預けた万が一の時のための保険だった。

 やはり心配性な幸雅、アテナの力を借りて指輪に天照の権能の一部を封じこみ、アテナに授けていたのだ。

 

 自分がどれだけやっても傷一つ付けられなかった結界にたった一撃で罅を入れた閃光に複雑そうな表情を見せながら、アテナは二撃三撃と撃ち続ける。

 やがてその戦いにも、終わりの時がきた。

 直撃するたびにメキバキと不穏な音を立てていた結界が、ガッシャアァァァァンと、まるでガラスが砕け散ったかのような音とともに、結界が砕け散った。

 

 アテナは右手を開き、そっと本殿に向かって手を差し出す。

 するとひとりでに本殿の扉が開き、中から一枚の薄汚れたメダリオンが飛来し、アテナの手中に収まった。




 指輪がアテナの人差し指にあったのは、幸雅がヘタレたからです。

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