カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~   作:マハニャー

18 / 29
 すいません、だいぶ間が空きました。
 18話です。よろしくです。

 幸雅バーサス護道はもうしばらくお待ちください。


18 兄妹と夫婦

 ――必ず、帰ってこよう。あなたの居る、この家に――

 

 幸雅はまどろみの中で、そんな声を聞いた気がした。

 何処までも物悲しい囁きを、聞いた気がした。

 

 聞き間違いなどではない。ほかならぬ自分が、彼女の声を聞き間違えるはずがない。

 そう思って跳び起きようとしたが、どうやっても目覚めることはできなかった。

 意識は完全に覚醒して燃え上がっているのに、体は死んだように冷え切って、これっぽっちも動こうとしない。

 

 幸雅は直感した。アテナの仕業だ。

 冥府の女王としての彼女が持つ死の権能、それを弱めたものだと、カンピオーネの直感は幸雅に教えてくれた。

 それがなくとも、幸雅に分からないはずがなかった。

 

 全身を冷たく苛む闇に、これほどの安心感を覚えるなど、それ以外にあり得ない。

 

 アテナの権能によるものだと看破した時点で、幸雅は気合いや根性と言ったもので無理矢理に起き上がろうとするのを止めた。

 そしてすぐに、自分の中に眠る呪力に意識を傾ける。

 これまでの一年近くに及ぶ戦歴で、幸雅は学んでいた。

 神の神力や怪しげな魔術でかけられた呪縛を打ち破るには、より大きな呪力で撥ね退ければいいと。

 

 ――我は太陽。我は光。全ての闇は、この世を遍く照らす我が威にひれ伏すべし!

 

 心の中で、かつて弑殺した女神の聖なる言霊、聖句を唱える。

 光の力で、それを隠す闇を切り裂く。

 目論見は成功し、幸雅はなんとかアテナの呪縛を断ち切り、やっとの思いで瞼を開けた。

 しかし体の方はまだ完全に覚醒してはおらず、のろのろと緩慢な動作を繰り返すだけ。

 

 チッ、と幸雅は舌打ちした。

 

「こんなこと、してる場合じゃ、ないだろう……!」

 

 歯を食い縛り、何とか上体を起こした幸雅は、続けて違う言霊を唱えた。

 

「御雷の名を持つ我が請い招くは、烈しき稲妻。高倉下を打ちし稲妻よ、峻烈なる輝き以て我が手に集え……!」

 

 言下に、幸雅の右手にバチバチと青白い稲妻が集った。

 その雷はごく弱いもので、人一人も殺すことはできない。だが、今の幸雅にとっては、それで十分だった。

 

 幸雅は、右手に集めた稲妻を――躊躇なく、自分の胸元に押し当てた。

 

「――づ、ああああぁぁぁぁァァァァッッ!!!」

 

 全身をくまなく蹂躙する衝撃に、幸雅は堪え切れずに絶叫した。いくらカンピオーネの体が頑丈とはいえ、直接心臓に電流を叩き込まれればそれなりにダメージもある。

 しかしその壮絶なまでの痛みで、幸雅の肉体は完全に覚醒した。ベッドの縁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。

 

「お、お兄ちゃん!? どうしたの~!?」

 

 と、そのタイミングで、幸雅の叫びを聞き付けたか、妹の花南がパジャマ姿のまま、幸雅の部屋に飛び込んできた。

 花南は、フラフラになった兄の姿を見て、息を呑んだ。

 

 幸雅はそんな妹の動揺を置いて、まずこう尋ねた。

 

「……アテナ、は?」

「あ、アテナさん? 知らないよ~、いっしょに寝てたんじゃないの~?」

「そっ、か。……っぐ」

「あ、もうほら、何してたのかよくわかんないけど~、だめだよ~!」

 

 倒れかけた幸雅の体を、慌てて駆け寄ってきた花南が支えてくれた。

 すぐ後ろのベッドに座らせようとしてくれるが、幸雅はそれを拒絶した。

 

「お兄ちゃん……?」

「ごめん、花南。でも、ダメなんだ……僕は、行かなきゃ、ダメなんだ……!」

 

 ギリッと奥歯を鳴らし、震える膝を叱咤して、幸雅は一歩踏み出した。

 根拠はない。だが、漠然とした予感があった。

 もし、ここで幸雅が手をこまねいて時間を無駄にすれば、取り返しのつかないことになるという、そんな、妙に現実味のある予感が。

 その予感の中心に居るのは、

 

(アテナ……!)

 

 だから、幸雅は行かなければならない。何があっても、絶対に。

 そんな兄の姿に、花南は深く溜め息を吐いて、

 

「はあぁぁ~。そうだよね~、それでこそ、お兄ちゃんだよね~」

 

 苦笑を浮かべた花南は、仕方ない、という風に首を振り、幸雅を支えていた手を離した。

 

「行っておいで、お兄ちゃん。私はここで待ってるから」

「花南?」

「行かなきゃいけないんでしょ? お兄ちゃんがそう言うならきっとそうなんだろうし、そうなったら、もうお兄ちゃんは止められないよ。だから、行っておいで」

 

 いつになくはっきりとした口調で言う妹に、幸雅は目を白黒させた。

 けれど、花南の綺麗な瞳には、全てを受け入れて受容してくれる、母性にも似た暖かい光があった。

 その根底にあるのは、十六年間一緒に過ごしてきた兄に対する、信頼だ。

 

 兄妹に、もう言葉は要らなかった。

 フッと微笑んだ幸雅は、神速の権能を発動、開いていた窓から身を投げ出し、アテナの許へと向かった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 勇んで飛び出していく兄を見送った花南は、そっと息を吐いた。

 

「もう~、お兄ちゃんってば~。せっかちだな~」

 

 呆れたように呟きながらも、その顔は柔らかく、優しかった。

 

 花南は、知っていた。

 いつもは冷静で計算高いくせに、いざとなると冷静さなどかなぐり捨てて、計算など破り捨てて、本能のままに動いてしまう、兄の性癖を。

 彼に十六年間寄り添ってきた彼女は、知っていた。

 彼のそういう行動の根底にあるのは、全てを包み込むような愛情であると。

 

 誰よりも近くで彼を見てきた彼女は、それを誰よりも知っていた。

 かつて、一年前のとある事件で。

 彼女の兄は、花南を守るために、恐るべき女神に一人で立ち向かったのだから。

 

「これだけは、アテナさんにも誇れると思うんだよね~」

 

 ポツリと、兄が愛する女性の名を、花南は口にした。

 彼が恋人に選んだのが女神であったことに、確かに驚きはあった。

 けれど、アテナと一緒に日々を過ごす中で、花南は徐々に納得を覚えていった。

 

(お兄ちゃんに必要なのは、後ろから黙ってついてくる人じゃない。隣に立って、一緒に歩いてくれる人。何も言わなくても、同じ方向を見てくれる人)

 

「……私は、そうじゃなかったからな。だから、羨ましいって思っちゃうのかな」

 

 独白する。誰も聞く者などいない、ただの独白。

 

 これは羨望であっても、嫉妬ではない。憧憬であっても、憤怒ではない。

 花南は、心の底から願っていた。

 たった一人の兄と、その隣に立つ女神の幸福を。

 

「願わくば、彼の者らの未来に、多くの幸あらんことを」

 

 そう呟いて微笑む花南の手の平には、可憐な桜の花びらが一枚、ポツンと乗っていた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 所変わって、七雄神社。

 護堂たちとアテナが争っていた戦場に辿り着いた幸雅は、あまりにも予想通りの光景に、思わず溜め息を吐いた。

 チラリとアテナの方に目をやると、護堂に腹部を殴られた以外に目立った傷はなさそうだ。

 

未だ体の節々は痛みを訴えている。

しかし今の幸雅の胸の内を支配するのは、崩れ落ちそうな安堵と、溢れだしそうな怒りの感情だった。

 

 それを発散するよりも先に、幸雅は神速をもう一度発動し――固まる護堂の懐に一瞬で飛び込んだ。

 

「……すまないね、護堂」

「幸雅、先ぱ――ぐあっ!?」

 

 驚きの表情を浮かべる護堂を射程に捉えたところで神速をオフ、勢いを乗せた全力の回し蹴りで、護堂を大きく吹き飛ばした。

 ダンプカーに撥ねられたかの如く吹き飛んでいく護堂。

 

「護堂!?」

「草薙護堂!」

 

幸雅は境内の床を盛大に転がっていく護堂に見向きもせず、護堂の両隣りに控えていた二人の少女の額に、強烈なデコピンを叩き込んだ。

 少しだけ雷の権能を纏わせて放ったデコピンは、一撃で二人の意識を刈り取る。

 

「エリカさん! リリアナさん! 草薙さん! ご無事ですか!?」

 

 うろたえて、立ち尽くす裕理。

 幸雅は裕理の手元にある包みに視線を向けただけで、何もしなかった。

 別に彼女を気遣ったとか、手を上げるのは憚られたとか、そういう訳ではない。

 

(自分勝手だな、僕ってやつは)

 

 彼女がアテナに対して、何もしなかったから。本当に、ただそれだけの理由だ。

 

 幸雅が護堂とエリカ、リリアナを打ち倒したのは、彼らがアテナの敵に回ったから。

 これは復讐、報復ですらない。ただの苛立ち紛れの、八つ当たりだ。

 この苛立ちすら、彼らに対するものではないというのに。

 

 ギリッと、唇を噛み締めた。

 

「護堂。僕としては、これ以上君と争うつもりはないよ。そっちはどうかな?」

「……俺も、ないですよ」

 

 ふらつきながらも立ち上がろうとしていた護堂に対し、幸雅は湧き上がる自己嫌悪を抑えて、意図して平坦な声で言った。

 

 護堂の返事を受けてさらに口を開きかけたが、結局は何も言わずに、幸雅は踵を返す。

 幾分重く感じる足で歩みを進め、境内を出る。

 その途中で、立ち尽くしていたアテナの腕を掴んだ。

 

「……痛っ」

「………………」

 

 アテナは痛みを訴える声を漏らしたが、幸雅は腕に込める力を緩めるどころか、さらに強く握りしめた。

 それ以上アテナも何も言わず、幸雅も前を向いたまま振り返ることもしなかった。

何も口にしないまま、二人は七雄神社を後にした。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「アテナ。聞いてもいいかい?」

「……なんだ?」

 

 幸雅とアテナは真夜中の商店街を二人並んで歩いていた。

 来た時のように神速で帰ることはしない。何故か、そんな気にはなれなかった。

 アテナの細い腕を握り潰すような力で掴んでいた腕も、すでに離している。

 

 意を決したように、幸雅は俯きながら歩くアテナに問いかけた。

 

「なんで、僕に何も言わずに一人で行った?」

 

 改めて口にすると、腹の底から煮え滾るような激情が溢れ出してくる。

 

「あの神殺しが待ち受けていると、知っていたから」

「護堂がいたら、なんでダメだった?」

「あなたと彼が、戦うことになるから」

 

 予想通りの返答に、唇を震わす。軋みを上げる胸を無意識に押さえた。

 アテナは幸雅の様子に気付いていながら、言葉を止めはしなかった。

 

「あなたが苦しむところを、見たくはなかったゆえ」

「――ッ、君、は……!」

 

 僕はそれよりも、君が傷つくところを見たくはない。そう叫びたかったが、幸雅が口を開く前にアテナは続けた。

 

「あなたは常に、妾のためであれば何でもしてみせると偽悪的なことを言っているが、妾は知っている。あなたの心根は、そんなことを平気で出来るようなものではない」

「何を……僕は、君のためなら」

「ああ。確かに、結局は実行してしまうのだろう。己の友と殺し合うことすら許容してしまうのだろう。それに至るまでに、何度も懊悩して、苦悩して、悲しんで、苦しんだ末に」

 

 あなたは優しすぎる故。アテナは、そう締め括った。

 幸雅は、アテナの言葉に何も言えなかった。

 

(優しい? ……違う。覚悟ができていないだけだ)

 

 ああ、まさしく、その通りなのだろう。きっと自分は、苦しむのだろう。悲しむのだろう。怒るのだろう。

 

 だけど。それでも。

 

(それでも、僕は)

「僕は、それを背負ってでも、君の隣に居ると決めたんだ」

 

 言って、幸雅は隣を歩くアテナの手を握った。

 突然のことに驚いたようにアテナは顔を上げ、手を硬直させた。

 彼女特有の、小さな、頼りなさすら感じる手の平。

 凍えるように冷たくなった彼女の手の平を、己の熱で溶かそうとするかのように、ギュッと握りしめる。

 

「それに、今回のことだって、僕と護堂が殺し合わなきゃいけないって、決まったわけじゃない。戦わなくたってどうにかなるかもしれない」

「…………」

「納得いくまで話し合ってもいいし、戦うフリをして盗んでいくのもいい」

「……………………」

「出来ることなんて、いくらでもあるんだ。僕と君なら」

 

 言いながら、幸雅は空を見上げていた。

 立ち止まってはいるが、アテナの表情は見えない。自分の言葉を聞いてくれているのかも分からない。

 それでいい。

 

「君が僕のことを気遣ってくれたのは嬉しい。でも、僕はそれと同じか、それ以上に君のことが心配でたまらない。笑ってくれてもいいし、気分を害したなら謝るけれど、僕はそうなんだ」

 

 君と出会って、愛を誓った、あの時から。

 

「一人で、何でもしようとしないでくれ。そんなの、寂しすぎるし、それに――」

 

 淀みなく続けていた幸雅だったが、そこまで言ってふと言い淀んだ。

 まるで、続きを口にするのがひどく恥ずかしいというように。

 

 不思議に思ったのか、アテナが自分を見上げているのが分かった。さらに気恥ずかしくなって、顔が熱くなる。

 思わず視線を明後日の方向に向けながら、何とか言い切った。

 

「それに、僕たちはもう、夫婦なんだからさ。もうちょっと、頼ってくれても、いいんじゃ、ないかなー……と」

 

 もっと恥ずかしいことを何度も言って、何度もしているくせに、『夫婦』と言う、ただそれだけのことで恥ずかしがっている夫を見て、

 

「…………ふふっ」

 

 溢れんばかりの愛おしさを感じたアテナは、想いそのままに、そっと幸雅の腰に腕を回して抱きついた。

 

「そうだな。妾とあなたは、夫婦だものな」

「ぅぐあ……。あ、ああ、うん。そうだね、その通りだ」

「ふふふ、夫婦、だ。あなたと妾は」

「おぐぅ、……お、仰る通りで」

「ふふふふふっ、夫婦、夫婦♪」

「……がふっ」

 

 おかしいな、と幸雅は思った。

 最初は、何も言わずに出ていったアテナに対して確かに怒っていて、連れ戻したら心行くまで説教しようと思っていたのだが。

 もう、そんな気は全く起きなかった。

 

(……まあ、いいか。どうでも)

 

 嬉しそうに相好を緩ませる女神さまを見て、ある種の諦めと開き直りの境地に達する幸雅だった。

 撫で撫で。撫で撫で。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。