カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
「……ふむ。ここだな」
フクロウに化身して夜の闇を飛んでいたアテナは、七雄神社の境内に辿り着いたところで、身体を元の少女の姿に戻して着地した。
町全体を包みこむ夜の闇が、彼女に無限の力を与える。
降り立ったばかりのアテナは、視線を巡らせ、拝殿に向けたところで動きを止めた。
時刻は二時を回った頃。夜中も真夜中。
しかし、だというのに、アテナの見据える先には、四人もの少年少女が立っていた。
日本人の実直そうな顔つきの少年。鮮やかな金髪に不思議な威厳を持つ赤の少女。妖精のような雰囲気の硬質の美貌の青の少女。巫女装束を纏った亜麻色の髪の日本人の巫女。
すなわち、八人目のカンピオーネ・草薙護堂と、イタリアより来訪した騎士、エリカ・ブランデッリとリリアナ・クラニチャール。武蔵野を守護する媛巫女の一人、万里谷裕理だ。
はあ、と僅かにアテナは嘆息した。
己の霊感でこの展開は見えていたが、さすがに気が滅入る。
「アテナさん、でいいんですよね?」
「うむ。いかにも。妾こそまつろわぬアテナである」
先に口火を切ったのは、護堂の方であった。
元から硬い表情であったのが、アテナの返事を受けてさらに硬くなる。
「一応、目的を聞いてもいいですか」
「簡単なことだ。ここにある筈の神具、妾の半身たるゴルゴネイオン。それを、元の持ち主として返却を望む」
「……っ、嫌だと、言ったら?」
「無論、力ずくで」
苦渋の表情を浮かべる護堂。しかしアテナは容赦しなかった。
「若き神殺しよ。あなたが妾の邪魔をするのであれば、妾はあなたとも矛を交えねばならぬ。妾はそれを望まぬのだが」
「……万里谷が、霊視しました。あなたがあの神具を取り戻せば、この街にかつてない災厄が顕現する、っていう」
「ふむ……」
その言葉で、アテナは護堂の背後に居た巫女、万里谷裕理に視線を向けた。今日そうなる女神の視線に射竦められた裕理は、ビクリと肩を震わせる。
なるほど確かに。どうやらあの巫女は、自分と、そして『裔』たる青の騎士、リリアナ・クラニチャールと同じく霊視・霊感の力を持っているらしい。
それも、リリアナのものよりも数段強力な。それに彼女の血が関係しているのかは定かではないが。
その青の大騎士と赤の大騎士は、『王』の顔を立てているのか、影のごとく彼の両脇に控えている。まるで、同じ主を守護する二人の騎士のように。
「あなたは、その巫女の言を信じるか。信じるのであれば、どうするつもりだ?」
「俺は、万里谷の言うことを信じます。そして、あなたが手を引いてくれないんだったら、俺も覚悟を決めますよ」
そう言って、護堂はアテナを強く見つめた。
今の護堂の体内では、強敵と戦うためのあらゆる力が漲っているだろう。
アテナもアテナで、自分の中の戦女神としての血が騒ぐのを感じていた。
手の中に、自身の身長よりも大きな黒い鎌を顕現する。彼女が好んで使う武具だ。
これでアテナの戦闘準備は終了。
「なれば、もはや言葉は要らぬ。あなたにも貫くべきものがあるのなら、妾を見事止めてみせよ!」
「……くっ!」
悪態を吐きながらも、
両手に大鎌を構えて走り出したアテナを実際に迎え撃ったのは、ずっと控えていたエリカとリリアナだった。
それぞれ細身の剣、クオレ・ディ・レオーネと、イル・マエストロを抜き放ち、アテナの振り上げる大鎌と打ち合わせた。
「くっ――!」
「ぐっ――!」
真逆の美貌を持つ二人が、同時にその可憐な容貌を歪めた。
彼女たち二人でかかっても、女神の一撃は重かったのだ。
いくらゴルゴネイオンがなく弱体化しているとはいえ、アテナは女神である。その一撃を神殺しでもない人間が受けようとすれば、そうなる。
しかもアテナは、決して力任せの戦いをしたりはしない。
ギリギリとはいえ、攻撃を受け止められたと見るや、すぐさま手の中で大鎌を旋回。右からエリカ、リリアナの順で並ぶ二人を一気に薙ぎ払いにかかる。
その恐るべき攻撃を、若いながらも卓越した才能を持つ二人は一歩飛ぶ退ってかわす。
「っ、エリカ!」
「分かってるわ!」
軽い分アテナの鎌の風圧でさらに飛ばされたリリアナは、何とか耐え切ったエリカの名を叫ぶ。
エリカもリリアナの要請の意味を理解し、今度は一人でアテナに斬りかかった。
顔面、側等部、左肩、腿、脇腹、心臓、頸動脈、右手首。
それらの部位を狙って続けざまに切り込むが、女神は煩わしげに体を揺らすのみであった。
ただそれだけで、疾風迅雷の斬撃をかわしてしまう。
リリアナはエリカが稼いだ時間を無駄にはしなかった。
すぐさま崩れた態勢を立て直し、右手に握る魔剣イル・マエストロの形状を、反りの強いサーベルから、弓へと変える。
同時に魔術で矢筒を喚び出し、ほとんどの遅延なしに矢をつがえ、放つ。
「ふむ。人間にしてはなかなかよな」
風を切って迫る矢を、アテナは何と素手で弾いてしまった。
虫でも払うように、無造作に腕を振るって弾き落としてしまう。しかも、その美しい繊手には傷一つない。
神の肉体は地上の武器で傷つくことはない。刀槍はおろか、銃弾、爆薬、化学兵器などでさえ、神々を傷つけるには至らない。
「やはり一筋縄ではいかないな、エリカ、どうする!?」
「心配ないわ! わたしたちの王様に任せなさい!」
愚痴めいた言葉を叫びつつ、彼女たちは早々に後方へ下がる。
替わりに飛び出してきたのは、誰あろうカンピオーネ・草薙護堂であった。
「来たか、草薙護堂!」
アテナ斟酌なく、人を超えた剛力で大鎌を振り下ろす。
しかし護堂は、なんとその一撃を、掲げた両手で掴み取ってしまった。
「むっ!?」
「だああああああああっ!」
我武者羅に叫び、掴んだ鎌の柄を振り回そうとする護堂。
そうはさせじと、アテナは慌てて鎌を引き戻した。
後ろに跳んで護堂と距離を取るアテナ。
瞳に己の神力を宿らせ、今しがた敵が見せた剛力の秘密を探る。
角を持つ獣。大地と深き縁を持つ者。荒ぶる猛威。天下無双の豪力。ヘラクレス。天を支える怪力。
それらのイメージがアテナの脳裏に浮かぶ。
これはウルスラグナ第二の化身、『雄牛』の力によるものだ。
自分を遙かに超す膂力を持つ敵にのみ使用できる力。
真正面からぶつかっては、今のアテナでは分が悪い。まずはゴルゴネイオンを探さなければ。
気を抜かないように留意しつつ、周囲を静かに探る。
……見つけた。ゴルゴネイオン。蛇の叡智。古き魔導書。あの媛巫女、万里谷裕理の腕の中。その風呂敷の中に、ゴルゴネイオンはある。
アテナが気付いたことに護堂も気付いたのか、立つ位置を変え裕理を背後に置くようにする。
女神と神殺しが睨みあう中、不意に、朗々と二人の少女の声が響いた。
「エリ、エリ、レマ・サバクタニ! 主よ、何故、我を見捨て給う!」
「ダヴィデの哀悼を聞け、民よ! ああ勇士らは倒れたる哉、戦いの器は砕けたる哉!」
孤独と絶望、困窮と呪詛。
亡霊の悲嘆、武人の詠嘆。
『ゴルゴタの言霊』と『ダヴィデの言霊』。
彼女たちはその強壮無比にして凄絶なる言霊を、それぞれの手に持つ武器に宿らせ、アテナに向けた。
「鋼の獅子よ、汝に嘆きと怒りの言霊を託す。神の子と聖霊の慟哭を宿し、聖なる末後の血を浴びて、ロンギヌスの聖槍を顕しめよ――!」
「ヨナタンの弓よ、鷲よりも速く獅子よりも強き勇士の器よ。疾く駆け汝の敵を撃て!」
エリカの右手に握られたクオレ・ディ・レオーネに絶望の言霊が宿り、リリアナの手にある長弓は青く輝き、同じ青さで輝く四本の矢が左手に現れる。
エリカがそれを構えて飛び出し、真っ直ぐ突き出す。
アテナはそれの危険性を一目で見抜き、護堂への対処を一度棚上げして大鎌で弾き上げた。
直後、リリアナがアテナへ四筋の彗星を放つ。
(確かに妾を打ち倒すだけの力は込められている。しかし、そのうち三本は幻影か)
放つと同時に幻影の魔術を使って、増やしたように見せたのだろう。智慧の女神であるアテナには、それが分かった。
なので、本命の一本以外は無視。本命である一本を上から下に叩き潰すようにして撃ち落とす。
しかし――
「うおおおおおっ!」
「くはっ……!?」
隙を突いて襲い掛かってきた護堂の拳を受け、大きく吹き飛ばされてしまった。
服部の鈍痛を堪え、顔を上げたアテナは、仇敵が絶望の言霊を宿した一本の長槍を、まるで槍投げのような格好で構えているのを見た。
ブオン、と勢いよく神殺しの手から、槍が投げだされる。と同時に、さらに四本の青い彗星。
まずい。アテナは瞬間的に悟った。
それは、決して自分の身が危ないという意味ではなく、自分の体が傷つけられてしまう、という意味であった。
同じようで、それは違う。
もし、草薙護堂の陣営に属する者がアテナを傷つけたとすれば、彼女の愛する男は、どうするだろう。
脳裏に浮かんだ光景。すなわち、友であった幸雅と護堂が殺し合う光景。それを防ぐため、アテナは地面に手を触れて、権能を使って《蛇》を喚び出そうとした。が。
その一瞬前、天より降り落ちた眩いほどの閃光が、長槍を宿っていた絶望の言霊ごと消し飛ばした。
「……えっ!?」
「……なっ!?」
驚愕の声を上げる護堂とエリカ。
次にその場に現れたのは、青白い稲妻。
アテナと護堂たちの中間地点に降り立った、稲妻を纏った人影は、右手に持った剣で『ヨナタンの矢』を斬って落とす。
放った本人であるリリアナが瞠目した。
一様に警戒を引き上げる。しかし、その中でただ一人、アテナだけは違った。
彼女だけは、もはや戦いは終わったとばかりに脱力し、バツが悪そうに視線を合わせないようにする。
女神と神殺しの戦場に乱入してきた彼――七人目のカンピオーネ・『太陽王』御神幸雅は、そんなアテナの様子を見て深く嘆息し、怒りを孕んだ視線を向けた。
ちょっと護堂が活躍しすぎですね。大人しくしてもらいたいところです。