カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
『ただ一つの目的を貫徹する色彩なき童女』めっちゃ可愛くないですか。
「我が求むるはゴルゴネイオン。かつて我が楯に刻み、古を偲ぶよすがとした蛇」
夜の帳に、朗々と女王の詩が響き渡る。
夜とは、彼女が支配する領域。
自然と詩が、口をついて出る。
「我が求むるはゴルゴネイオン。まつろわぬ身となった我に、古き権威を授ける蛇」
彼女の呼び名は多い。
ゴルゴンもメドゥサも、かつて所有した名前の一つに過ぎない。
しかし、その意味するところは全て同じだ。これらはかつて地中海に君臨した、三位一体の聖母を称える尊称なのだ。
「我が求むるはゴルゴネイオン。古の蛇よ、願わくば、闇と大地と天井の叡智を、再び我に授け給え!」
その一句を最後に、幸雅の目の前でアテナは両手を広げ、くるりと一回転してみせた。
同時に、無限に広がる夜を通じて、世界中に彼女の神力が広がっていく。
闇色の神秘的な瞳がキラリと黒曜石のように輝き、銀色の髪がサラリと流れるように舞う。
御神家の屋根の上で舞う彼女の姿は、幸雅の目を堪らなく魅了したが、アテナにとってはこの行為は至極重要なものであった。
かつて失われた女神の叡智が封じられた神具、ゴルゴネイオンを探すために。
これを探し求める彼女は、今日のように月の隠れた真なる無明の闇、アテナの神力が最も高まる新月の夜と月が隠れた日には、必ずこうしていた。
幸雅が居るのは、ただの付き添いだ。
世界中にアテナの神力を広げるということは、神力を感じ取れる者に自分の居場所を知らせているも同然なのだ。
もしそれを感じ取れる者が、いきなりアテナに強襲を仕掛けてきたり、超遠距離から狙撃して来たりすれば、弱体化している今のアテナでは危ないかもしれない。
だから幸雅はいる。アテナを護るために。
アテナ本人は別にいいと言っているのだが、幸雅がそれを頑として聞かないのだ。
君を守るのが僕の役目、といっているが、その根本にあるのは、何と言うこともない、ただの恐怖であるとアテナは知っていた。
アテナを失いたくない。アテナを奪われたくない。そういう恐怖。
(……まったく、臆病な旦那さまだ)
そう口の中だけでひとりごちるアテナだったが、その表情はとても優しかった。
時たま煩わしくも感じるが、本気で身を案じてくれる旦那さま。
天敵であるはずの
であるならば、己もまた、彼に精一杯の愛情を以て報いよう。
なんだかんだ言って、相思相愛なのであった。
(ふむ。いかんな、どうしても思考が逸れてしまう)
まったく。旦那さまが居ると、いつもこうなる。
心の中でそう愚痴りつつ、アテナは今の作業に意識を戻した。
瞑目し、今しがた世界中に広げた神力の中から、対応する神力を放つ神具を探す。
ちょうど、
確かに存在するはずのゴルゴネイオン。これまでは見つけ出すことはできなかったが、さて今回は……、
「…………ッ!」
目を閉じて集中していたアテナが、不意に目をカッと見開き、とある方向を凝視した。
§
「……アテナ? どうかしたのかい?」
闇夜の中で優雅に舞うアテナに見蕩れていた幸雅だったが、尋常ならざる様子を見せたアテナに、さすがに我を取り戻した。
アテナが睨むようにして凝視している方向に、幸雅も視線を向ける。
その先には、少しばかり高台になった台地と、長い石階段に――
「七雄神社……?」
呟き、もう一度アテナに視線を向け、問いかける。
「アテナ。あそこに、七雄神社にあるのかい? ゴルゴネイオンが」
「いや、違う。別の神具だ。彼の地は異教の神の社だ。であれば、何らかの神具が祀られていたとしても不思議ではなかろう」
「……でも、これまでは、アテナも分かってなかったんだよね?」
「別の場所へと移していたのではないか?」
そう、淡々と答えるアテナだったが、幸雅には分かる。
聞き慣れたはずの毅然とした声が、今ばかりは彼女の動揺を示すように揺れていた。
不審に、というより心配になり、アテナの表情を覗き込むと、見慣れた戦女神としての凛とした顔つきがあった。
しかし、ことゴルゴネイオンに関して、彼女が何か偽りを言うとも思えない。
それこそ、よほどの事情がない限り。
「戻るぞ、旦那さま」
「あ……うん」
屋根から降りていくアテナの後を追いながら、幸雅はもう一度七雄神社の方へ視線を向けた。
もし、もしもゴルゴネイオンが七雄神社にあったとしたら。
(僕は。どうすればいいんだろうね?)
§
(妾は。どうすればよいのだろうな?)
己の隣でヒュプノスの許へと旅立った幸雅を眺めながら、アテナは小さく嘆息した。
常であれば、無垢な旦那さまの笑顔に頬を緩めつつ、可愛らしい悪戯をするところなのだが、今はそういう気分にはなれなかった。
アテナの三位一体をなす神具、ゴルゴネイオンの在処は分かった。
意外と言えば意外、御神家に程近い七雄神社だ。
しかしアテナには、ゴルゴネイオンを取り戻しに行くことができずにいた。
あの場所は、この街に住まうもう一人の神殺し、草薙護堂の庇護下にある少女が居る。
智慧の女神である彼女は、すでにそのことを承知していた。
そして予感があった。
もし、自分がゴルゴネイオンを取り戻すために彼の場所に赴けば、必ずあの神殺しと矛を交えることになる、という。
アテナに備わった霊感が、アテナ自身にそう語りかけるのだ。
ゴルゴネイオンを取り戻し、強大な戦女神にして古代の地母神たる神格を取り戻した、完全なるアテナであれば恐るるに足らない。
だが、今のアテナはそうではない。
むしろ、神としては脆弱な部類にある。
だから危険である、と言うのが、理由の一つ。
もう一つは、愛する旦那さまの存在だ。
危険かもしれないという、ただそれだけで不安になるような男だ。神殺しとアテナが戦うことになるとなれば、どうなることやら。
自分を愛してくれる旦那さまに、出来るだけ心配はかけたくない。
そんな、まつろわぬ女神にそぐわぬ感傷と、憂慮。
――もし、もしもアテナと草薙護堂がぶつかり合い、アテナが死ぬ、それでなくとも傷つけられるようなことがあれば。
幸雅は、どうするだろう?
自分のせいで、彼に道を踏み外してほしくはない。
アテナの内にあるのは、そんな切実な願いだ。
であれば、そもそも取り戻しに行かなくてもいいのではないか、とも思われるだろう。
しかしアテナには、その選択肢は取れなかった。
いや。まつろわぬアテナには、その選択肢は最初から存在しなかった。
まつろわぬ身としての義務感と、幸雅の妻としての罪悪感。その双方に板挟みになったアテナは、ついに。
「……許せ、旦那さま」
泣きそうなほど悲壮感に包まれた声で囁き、幸雅の唇に自分のそれを重ねた。
重ね合わせた唇から、己の神気を流し込む。
死を司る、闇の女王としての神気を。
もちろん、アテナに幸雅を殺す気などない。
ただ眠らせるだけだ。死とは眠りの延長線上である。であれば、死を司るアテナに、眠りを深くし目覚めることが出来ないようにすることなど造作もない。
流し込まれた神気に、カンピオーネの肉体がビクンと震えるが、それも一瞬。
すぐに幸雅の全身は弛緩し、まるで死んだような深い眠りに誘われた。
死体のように冷たい幸雅の体を、アテナは縋るように抱きしめた。
一度重ねた唇を、もう一度深く重ねる。
まるで許しを乞うように。まるで刻みつけようとするように。
そして、どれだけの時が経っただろう。
「…………行くか」
幸雅の眠るベッドから立ち上がったアテナは、一度だけ幸雅の頬を撫でる。
「必ず、帰ってこよう。あなたの居る、この家に」
届くはずのない言葉を囁いて。
アテナはその身を梟の姿へ変え、開け放たれたドアから飛び立った。
おっかしいなー。
なんかシリアスになってしまう……。