カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
ウルスラグナが消え去ったのを見送った幸雅は、次に残ったまつろわぬ神、メルカルトの方へ視線を向けた。
元はウルスラグナであった光の粒を不機嫌そうに睨んでいたメルカルトだったが、己の仇敵から向けられる視線に気づき、今度は幸雅を睨みつけた。
「なんだ、神殺し」
「いや。あなたの最初の敵であったウルスラグナは、すでに消えたわけだけれど……どうする? まだ戦うかい?」
もしも、まだメルカルトが戦意を失っておらず、ウルスラグナの代わりに幸雅と、もしくは草薙護堂と戦おうというのであれば、今度こそ互いの命を奪い合う戦いになる筈だ。
幸雅としては別にそこまでしたいわけでもないし新しい権能が欲しいわけでもないので、ここで矛を収めてくれるのであればそれに越したことはない。
果たしてメルカルトは、豊かな顎鬚を扱きながら、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らし、
「わしにこれ以上の戦いをするつもりはない。もはやその必要もなかろうよ。お主との間に、再戦を挑むほどの逆縁もなし。であれば、ここで手打ちにするのが妥当であろう」
「そっか。あなたにそれだけの分別があって助かったよ」
そう言って、今度こそ幸雅は肩の力を抜いた。
そうしてから、未だ眠りこける護堂の方を向く。
護堂はいつの間にか近寄っていたエリカ・ブランデッリに膝枕をされて、全部吐き出したようなすっきりした顔で寝息を立てていた。
どうやらよっぽど快適らしい。エリカの膝の上が。
しかし、少年に膝を貸すエリカの美しい顔には、慈愛に満ちた表情が浮かんでいた。
それを見た幸雅は、思わず嗚呼、と嘆息した。
(……この娘も、墜とされてしまったか……)
この場合は、エリカのチョロさを笑えばいいのか、護堂の手の早さを呆れればいいのか。
とりあえず帰国したら、静香ちゃんへの告げ口一択だな、と密かに心に決める幸雅だった。
「そういえばパンドラさん。護堂に受け継がれたウルスラグナの権能ってどんなものなのかな」
「さあ? あたしは必要に応じて簒奪の円環を回すだけ。それ以上のことは知らないわ」
それに、とパンドラは肩を竦めて、
「聞くなら、あたし以上の適任がいると思うのだけど?」
「あ」
言われて気付き、慌ててそちらの方向を見ると、案の定、妻であるアテナ様が可愛らしく頬を膨らませて幸雅を上目遣いに睨んでいた。
女神アテナは以前も言った通り、霊視の権能を持ち、さらに古今東西ありとあらゆる神の智慧をも持っている。
確かに、聞くならアテナの方が早いだろう。
けれど今の幸雅にとってはそれはすでに問題ではなく、どうやって機嫌を取ろうかというそれだけに埋め尽くされていた。
半ば頭を真っ白にしつつ、幸雅は必死に言い募ろうとする。
「い、いや、違うんだよ、アテナ。別に、何も君を蔑ろにした訳じゃなくて、……ええと、その、そう! 君も戦闘直後だったからさ、疲れてるかなーと思っただけで!」
「ほう……」
「そ、それに、この場にはちょうど、僕たちを神殺しにした張本人も居る訳だしさ、君の手を煩わせるまでもないかな、と……」
「…………それはつまり、伴侶である妾よりも、そこの魔女の方を頼ったということか? 旦那さまは、妾を要らないというのか……?」
どこか寂しそうな、悲しそうな瞳で言われ、幸雅は気が動転どころかどこかに吹っ飛んで行ってしまいそうになった。
僅かながら、その闇色の瞳が潤んでいるようにも見えて、それがさらに焦りを誘った。
一も二もなく、アテナの華奢な肢体を抱き寄せ、耳元で囁く。
アテナは有名な戦女神、智慧と闘争の女神としての側面だけでなく、古代の地母神、《蛇》の神格も備えている。
そのせいか、この女神さまはときどき嫉妬深く、ときどき甘えん坊だ。
平時の幸雅であれば、そんなアテナの一面も愛おしい限りなのだが、今の幸雅からしてみれば焦りを助長してしまうだけだ。
さてどうしようか、と思うが、コレはアレだ。
夜、ベッドの中で言っているようなことを言うしかない。
パンドラがものすごく楽しそうに、メルカルトが興味深そうに、エリカが面白そうに見守っているが、仕方ない。
アテナの銀髪を優しく撫で、自分の心臓に彼女の耳を近づける。まるで鼓動を聞かせるように。
意を決して、口を開く。
「僕は、君を、愛してる。僕が隣に居て欲しいと思うのは君だけだし、ずっとそばに居たいと思うのも君だけだ。だから、それだけ君のことが大事で、君のことが心配なんだよ。僕は。要らない心配かもしれないけれど。それでも、僕は君だけが大好きなんだ」
「………………」
「だから、とは言わないけれど、許してほしいな」
「うむ。許す」
「あれ?」
なぜかいきなりしっかりとした、いつもと同じようなトーンで言われて、幸雅はキョトンとした。
おかしいな、もうちょっと拗ねた感じの声だったはずなのに……そう思ってアテナの顔を覗き込むと、
「ふふっ。……あなたの慌てふためく姿、なかなかに楽しめたぞ?」
「…………君ねぇ!」
どうやら幸雅は、アテナに弄ばれたらしかった。
やはり智慧の女神、弁舌では勝負にならない。
何とも歯がゆい気分で思わずアテナに恨みがましい視線を送っていると、再び視線をうつむかせてしまった。
「だがな……旦那さま。あなたにあんな風に言われて、悲しかったのもまことだぞ?」
「……ッ、ごめんよ」
もう一度、持てる限りの愛情を以て抱きしめた。
流れるような銀髪を、まるで壊れものでも扱うかのように、優しく、優しく梳く。
アテナは心地よさそうに幸雅の胸に頬を擦り寄せた。
そのまま続けること十数秒。不意にアテナが、幸雅の胸に顔を埋めたまま呟いた。
「やはり許せぬな……これでは、此度の凱旋の褒美はなしか」
「は?」
「妻である妾を悲しませたのだ。当然であろう」
「は?」
「それに、よくよく考えてみれば、旦那さまはそこまで何かをしたわけでもなし」
「いや、したよ?」
メルカルトと戦ったりとか。結構頑張ったのだが。
「しかし倒せてはおるまい?」
「いや、でもそれは」
「いいわけなど聞いておらぬ。重要なのは残った結果だ」
「え、けど、それはさすがに」
「本当ならば、帰ってきたら口付けの一つでもして、夜にはそれ相応のものをくれてやろうと思っていたのだが」
「是非それを下さい」
「この分では、それもお預けにせざるをえまいよ」
「なんで!?!?!?」
思わず叫んでしまった。あまりにも予想外だ。
混乱の極致に立ち、ならせめて目一杯抱きしめようとしたのだが。
パシッ、と。ほかならぬアテナに、伸ばしかけた手をはたかれてしまった。
「……え」
捨てられた子犬のような目になった。むごい。
「ならぬ。こらえよ、旦那さま」
ニッコリ、と。それは楽しそうな表情で、アテナは笑った。違う、哂った。
これは間違いなく楽しんでいる。幸雅の反応で。仕返しの一環だったはずだが、純粋に楽しみあそばせられていた。
さらに光雅を煽るように、両手を広げて深く幸雅に密着する。けれどここで幸雅が手を伸ばせばまた怒られるだろう。
理不尽だ。ひどい。
しかし待ち望んだご褒美を、お預けを喰らった幸雅は成す術もなく。
ただただ生殺し状態のまま、
「…………そんなあぁ~~~…………」
と、情けない声を上げるのみだった。
アテナにひっつかれて嬉しいものの、自分からは何もできないジレンマに泣きそうになっている今の姿に、魔王カンピオーネの威厳など微塵もない。
「うふふふふっ、大変ね、コーガ!」
「女の尻に敷かれるとは、情けないのう、神殺し!」
成り行きを見守っていた魔女パンドラと神王メルカルトは、痛快そうに爆笑していた。
§
「では、このままお帰りになられると?」
「うん。もう、この国に来た用件は済んだからね」
その日の夜、幸雅とアテナは護堂たちと別れ、オリエーナのルクレチア宅に来ていた。
関係者の一人である彼女に今日の戦いの経緯を教えるのと、一つ二つ聞きたいことがあったからだ。
今朝来た時よりは幾分回復しているようだが、それでもベッドから身を起こせる程度だ。
しかし常人の身で神と神の闘争に巻き込まれて生き延びたのは、称賛に値する偉業である。
「わかりました。しかし、全く予想だにもしませんでしたね。貴方がカンピオーネとなってまだ一年。こんなに短いスパンで新たな王が生まれようとは」
「それもそうだね。僕のひとつ前に王になったサルバトーレ・ドニは、確か四年前だっけ? に、最初の権能を簒奪したというし」
「『切り裂く銀の腕』(Silver‐arm the Ripper)ですね。ケルトの神王、ヌアダから簒奪したという」
「神王? メルカルトと同じ?」
「いえ、確かに同じ神の王はありますが、その性質は大きく異なります。メルカルトが『天』を司る神格なのに対し、ヌアダはあくまで純粋な闘神でしかありません」
「へえ」
話が脱線し始めた。そう感じた幸雅は、一つ息を吐き、先程までの話を再開した。
「とにかくだ、僕たちはこれから日本に帰るのだけれど、僕の後輩、護堂のことをあなたに任せてもいいかな。といっても、基本的なことを教えるだけでいい。カンピオーネがどういう存在なのかとか、そういうことを教えてくれればいいから」
「承りました、『太陽王』。万事お任せを」
快く承知してくれたルクレチアに感謝を告げ、幸雅は立ち上がった。
隣で黒猫を胸に抱きあげていたアテナに声をかけ、ルクレチアの屋敷から退出する――寸前、幸雅は一度だけ振り返った。
「ああ、そうだルクレチア。――ゴルゴネイオン、という神具を知らないかな?」
ピクッ、と。幸雅と腕を組んだアテナの小さな肩が揺れた。
同時にアテナの総身から、濃密な《蛇》の神気が漏れ出る。ゴルゴネイオンのことは、彼女にとっての最優先事項なのだ。
そしてアテナにとって大事なものなのであれば、それは幸雅にとっても大事なものだ。
何より、ゴルゴネイオンは、かつて幸雅のせいでアテナが失った力だ。それを取り戻すために自分が尽力するのは当然だと、幸雅は考えている。
もしもゴルゴネイオンが見つかったのであれば、権威ある魔女であるルクレチア・ゾラならば何か聞き及んでいてもおかしくはないと思ったのだが。
生憎と、そう都合よくはいかなかった。
「申し訳ありません。私は寡聞によって存じませんな」
「そっか。いやいいんだ。知らないならそれで」
少しだけ、幸雅の腕に絡められたアテナの力が増した。
最後に幸雅は微笑を残し、今度こそ魔女の館から退出するのだった。
§
「覚えていたのだな、旦那さま」
「ん? ああ、ゴルゴネイオンのことか」
「うむ」
帰りの飛行機の中にて。
幸雅の膝の上に座ったアテナが、不意に呟いた。
「忘れるわけがないさ。あれは、君の半身とも言えるものだ。そうだろう?」
「そうだ。三位一体をなすアテナの一、メドゥサの神力が封じられし魔書。ゴルゴネイオン」
頭を撫でる幸雅の手に自身の手の平をかぶせ、アテナは詠うように呟いた。
「ゴルゴネイオン。彼の神具を再びこの手にしたときこそ、妾は、再びアテナとして復活できる。不完全なこの身ではなく、今度こそ完全なアテナとして」
「うん」
「取り戻さずとも、何も変わらない。取り戻しても、何かをするわけでもない」
「うん」
「しかし、妾はあれを取り戻さなければならぬ。どれだけの時をかけようが、どのような障碍が立ちふさがろうが」
「うん」
「今の妾は不完全だ。故にそうしたいし、まつろわぬ身となった今では、完全にならずにはいられない」
「……手伝うよ。僕は。君を」
アテナを抱く腕に力を込め、幸雅は確固たる口調で呟いた。
「闇と光は常に表裏一体。闇があるからこそ光は際立ち、光があるからこそ闇は広がりを増す」
「…………」
「だから、僕は君の隣に立つ。
幸雅はアテナの耳元で囁いた。
彼女と初めて出会い、そして戦い、彼女を生涯愛すると決めた時の覚悟。
それを今一度、口にしてみせた。
己の腕の中にある冷たい温もり。
今となっては、これを失うことなどもはや考えられない。失うなど、耐えられない。
だから引き留めよう。だから守り抜こう。だから、戦おう。
アテナを害そうとする全ての悪意を撥ね除け、アテナを傷つけようとする全ての敵を打ち倒そう。
七人目のカンピオーネ、御神幸雅が強大な権能を振るうのは、ただそのためだけだ。
ただ、彼女のためだけに。
「…………うむ。妾も、あなたの隣に立とう。これからずっと、な」
そしてそれは、ほかならぬアテナも同様だった。
かつての、幸雅と出会っていなかったときのアテナからは考えられもしなかったことだが、今のアテナにとっては、それは至極自然なことだった。
冷え切っていた心に温もりを与えてくれた、愛しい青年。
もはやアテナにとって、自分がまつろわぬ神で幸雅が神殺し、お互いが仇敵同士であることなど、どうでもよかった。
ただ、彼の腕の中で感じる、心地いまどろみ。それをずっと感じていられれば、それでいい。
自分は闇だ。であれば、光である彼を、せいぜい引き立たせてみせよう。
これから、二人の歩む道に何が起こるのかは分からない。
しかし、その道は決して穏やかなものではないだろう。
彼ら彼女らがどれだけ平穏を望んでも、残酷な運命とやらは、彼らを戦いの運命へと誘う。
けれど。それでも。今は、今だけは――
「愛してるよ、アテナ」
「愛しているぞ、旦那さま」
この暖かなまどろみを甘受していても、文句は言われないだろう?
一応、ここまでで第一章、小説三巻の内容は終了となります。ありがとうございました。
けどまだまだ続きますので、どうぞよろしくです。
第一章終了に伴い、『なろう』のほうで連載させていただいている作品のストックもたまってきたので、『ストライク・ザ・ブラッド』と『聖剣使いの禁呪詠唱』のクロスオーバーを始めたいと思います。
そのせいで更新遅くなるかもしれませんが、これからも続けていきますので。
第二章は二巻のストーリーをなぞる――と思います。
ただその中で、幸雅vs護堂もやりたいと思ってます。
あ、クロスオーバーのほうですが、おそらく題名は【ワールドブレイク・ザ・ブラッド】となるかと。
第一話投稿にはもう少しかかるでしょうが、一話一話の尺がかなり長くなることが予想されます。
それでは皆様、これからもよろしくお願いします!