カンピオーネ! ~女神と共に在る神殺しの魔王~ 作:マハニャー
「……っ、ぐっ。神、殺し……貴様……!」
劫火に焼き尽くされたかのように見えたウルスラグナだったが、上辺だけを見れば傷らしい傷は負っていない。
エリカや護堂からすれば、何故あの軍神があそこまで苦しんでいるのか、まったくもって分からなかった。
「どうかな? あなたはどうやら光明の神としての性質も有してるようだから、全部を焼くことはできなかったのだけれど」
「……いや。見事だ、神殺し。我の、ウルスラグナの神力はほとんどが焼き尽くされてしもうた。この身で戦う分には問題なかろうが、権能を振るうとなれば、もはやあと一度が限界じゃろう」
「それは重畳」
そんな風に軽やかに言葉を交わす『王』の姿を見て、『赤銅黒十字』の大騎士、エリカ・ブランデッリは呆然としていた。
時代や国を問わず、神々に名と神話を与えるのは常に人間であった。
人類を脅かし、ときには恵みを与える強大な神々。
原始の時代、彼らに名前などはなく、人はただ漠然と、抗い得ない災害や、広大な天地、力強い獣たちに、神々の姿を見ていた。
だが歳月を経るうちに、人々は神々へ名を与え、神話を紡いでいった。
それぞれの国、民族、地域で生まれたそれぞれの神話は、時に入り混じり、排斥し合い、淘汰され合いながらも、そのたびに神話は更新されていった。
星の数ほどいる神々は、すべて人間が生み出したものだ。
これはいわば、卑小な人間が神々の猛威を防ぎ、祝福を得るための儀式なのだ。
明確に神話という枠組みの中に押し込まれた神々は、決してそこからはみ出すことはない。神話における己の役割に沿って行動する。
しかし、それでも。
もし、与えられた名と物語を越えようとする神がいたとしたら?
もし、無理やり押し付けられた役割から抜けだそうとする神がいたとしたら?
もし、原始の、神話による制約のなかった時代に回帰していく神がいたとしたら?
そんな神々が、『まつろわぬ神』と呼ばれるようになる。
彼らは行く先々で人間に災いをもたらす。
太陽の神が到来すれば、灼熱の世界が生まれ、海の神が到来すれば、その地は深海へと消え、冥府の神が到来すれば、そこは死の都となり、裁きの神が到来すれば、そこは巨大な処刑場となる。
ただ通り過ぎるだけで世界に影響を及ぼし、災いをもたらす『まつろわぬ神』に、人類は抗う術を持たない。
人は、脆弱な生き物で、神は、強大な存在だから。
故に人は彼らに抗うことはできず、失われていく街を、家を、国を、命を、ただ嘆き、怒り、悲しみ、慟哭することしかできない。
それがこの世の理であり、運命であり、人の宿命であり、定められた限界と壁だ。
『パンドラの匣』。知っているだろう。神話という『匣』に押し込められていた彼らは、災厄として顕現する。
しかし、卑小な存在でしかない人間の中にも、
それら、抗い得ないすべてに対して、「だからどうした」と吐き捨て、
ふざけた結果しかもたらさない神々に、身勝手に立ち向かい、
打ち勝つ者がいる。
神と人、隔絶された絶対的な壁。しかし無限ではないその壁を、越える者がいる。
彼らは戦士だ。覇者だ。王者だ。
「次はあなたか、メルカルト。お待たせしたね」
「ふん、このわしを待たせるとはどういう了見か。まったく、これだから神殺しなどというふざけた輩どもは!」
「何を言うか、メルカルト王。神殺しの輩どもには我ら神の規則どころか、人としての最低限の常識すら通用せん。そのようなことまで忘れるほど耄碌されたか?」
「……うちの嫁さんが冷たい」
義憤、正義、自衛、義俠、地位、名声、富、憎悪、復讐、恐怖、挑戦、狂気、拘泥、愛情、守護、反骨、憤努、執着、嫉妬、傲慢、享楽、娯楽、妄執、因縁、偶然。
理由は様々。誰かの為である時もあれば、ただ自分の為でもある。
いずれの理由であるかもしれないし、どれでもないかもしれない。
けれど彼らは、確かにその偉業を成し遂げた、覇者である。
彼らは戦う術を持たない一般人であることもあれば、研鑚を積んだ達人であることもある。
けれど彼らは、確かにそれらを打ち破った、王者である。
本人にその気はなかったのかもしれないし、ただの成り行きかもしれない。
けれど彼らは、確かに超越者に打ち勝った、戦士である。
彼らは救世主だ。何もできずにただ嵐が過ぎ去るのを待つだけの我々に代わって、猛威に立ち向かう勇敢なる救世主たち。
彼らは魔王だ。己が力を以て神々すらをも制し、弑逆した神々の神力すら簒奪しそれを振りかざす凶悪無比な魔王たち。
人は彼らを、『王』と呼ぶ。
《赤銅黒十字》の大騎士、エリカ・ブランデッリは、なぜ彼ら神殺しが『王』と呼ばれているのかを知った。
もともと彼女が行動していたのは、《赤銅黒十字》の前総帥にして叔父、パオロ・ブランデッリに対する反骨心からであった。
エリカは、およそ天才と呼ばれる部類の魔女だ。弱冠十六歳で大騎士に任じられ、『
同じだけの才能を持つ同期は、ライバル結社の《青銅黒十字》の同じく大騎士にして幼馴染、リリアナ・クラニチャールぐらいのものだ。
敬愛する偉大な我が叔父に反発し、神殺しという偉業を達成するべく意気込んでいたが、今考えてみれば、なんと無思慮で、不用心で、愚かだったことか。
サン・バステンの地下神殿で神王メルカルトと直接相対して、心の底から畏怖と恐怖が込み上げ、身が竦んだ。
あの時は自身の誇りと一緒に居た少年のお陰で持ち直せたが、もはや神殺しなどという不遜を働く気にはなれない。
魔女である自分ですらそうなのだ。普通の人間では直視することすら叶わないだろう。
けれど彼は。彼らは違った。
「叩き潰せ、ヤグルシ! アイムール!」
「遅いな、メルカルト! それで、僕を捉えられるとでも!?」
「ぬおおおっ」
例えば、今自分たちの目の前に居る、七人目のカンピオーネ。
賢人会議のレポートによると、彼はカンピオーネとなる前、呪術どころかそういったものの存在すら知らなかった。
だというのに、彼は成し遂げた。
只人の身で、神話の神々を殺害するなどという、今のエリカからすればあり得ないと思えるほどの偉業を。
このカンピオーネがどのような戦いを繰り広げたかは知らないが、きっと、とても壮絶なものだったのだろう。
今のエリカならば分かる。それが、どれほど異常なことか。
そもそも普通の人間ならば、戦うという選択肢すら浮かんでくるはずがない。
そんな、賢い選択ができないわけがない。
カンピオーネと呼ばれる存在は、こうも呼ばれている。
人類最強の愚者、と。
愚者エピメテウスとその妻、パンドラの支援を受けた、愛すべき愚か者。『パンドラの匣』に詰め込まれた、一掴みの希望。
賢人であれば、神に挑むようなことは絶対にしないだろう。
カンピオーネという存在そのものが愚者なのか、愚者だからこそ神殺しの魔王に至ったのか。
どちらであれ、今のエリカがどれだけの努力を積み重ねようと、彼らの領域に届くはずはないと、今はっきりと分かった。
それで、十分だった。
妙に晴れ晴れしい気分で、目の前の軍神に自身の魔剣を向けた。
細身の長剣の形をした、二本で一対となる魔剣の内の一振り、獅子の魔剣クオレ・ディ・レオーネ。
己の命運を託してきた、愛剣。今はこの剣が、なぜかとても頼もしく見える。
「ウルスラグナ様。そろそろ、お相手つかまつらせていただいても?」
「ふん、娘よ。よい度胸じゃ……じゃがよかろう。我は不敗の軍神、たとえ権能のほとんどが使えなくなったとしても、只人であるお主ひとりに敗れることなどありはせぬよ」
輝ける少年の姿をした軍神は、憤ることもなく、ただ不敵に笑ってエリカを睨みつけた。
その鋭い眼光に、思わず身が竦んだ。けれど、メルカルトの時のように無条件で屈してしまうほどではない。
耐性ができてきたということだろうか。
「ひとりじゃないぞ、ウルスラグナ」
そんなエリカの隣に、一人の日本人の少年が並んだ。
魔術師でもなければ武道家でもなく、呪術や剣術どころか戦う術すらないくせにまつろわぬ神の前に立つ、おかしな少年。
彼は自分より遙かに格上の存在に、挑むような視線を投げかけていた。
ふと、そんな少年の姿に今目の前で戦っている七人目のカンピオーネの姿が重なって見えた。
もしかしたら……神殺しになれるのは、そういう人間なのかもしれない。
となれば、これから、八人目のカンピオーネが誕生してしまうかもしれない。
もし、そうなってしまったのなら、仕方がない。
彼を、草薙護堂をこの戦場に巻き込んだのは自分だ。
責任を取って、彼の行く末を見守ろう。
バルカン半島の狼王のような暴君へと変じてしまったのなら、己が騎士として彼に反逆するのもいいだろう。
そんな、いささか気の早いことを考えるエリカの口元には、いつの間にか常の彼女の、蠱惑的、悪魔的ともいえる微笑が浮かんでいた。
この約数十分後、この世界に新たなカンピオーネが誕生した。
どうだったでしょうか、様々な表現を用いて、ひたすらカンピオーネを褒めちぎるだけでしたが。