案の定、そこに住まう天狗達に囲まれ絶体絶命の事態に陥ったが、突如現れた巨大な妖怪によって1人の天狗の女の子が重傷を負ってしまう。
放っておく事なんてできなくて、僕は自らの力を用いて治療をしたのだが……そのまま意識を失ってしまったのだった。
……後頭部に、柔らかい感触がした。
それに頭を誰かに撫でられている? 一体これは……。
「あ、目が醒めた?」
「…………はい?」
視界に広がる、どこか安堵したような笑みを浮かべる輝夜さんの顔。
起きたばかりなせいか、暫し彼女と見つめ合うこと暫し。
「――うわあっ!?」
「あら」
自分が輝夜さんに膝枕してもらっている事に気がついて、慌てて跳び起き彼女から離れた。
「っ、いっ……」
ぐらりと視界が揺れる、頭痛も押し寄せおもわず顔をしかめた。
……ここはどこだ? それに僕は今まで何をしていたのか。
ズキズキとする頭を押さえつつ記憶を遡り……気を失う前の事を思い出し顔を上げた。
「そうだ、あの白狼天狗の女の子は……!」
「はいはい、とりあえず一旦落ち着いて、ね?」
ぽんぽんと、あやすように輝夜さんに頭を撫でられ、彼女の言う通り一旦落ち着く事に。
そういえばここは何処なのだろうか、周囲を見回すとよくわからない機械が色々乱雑に置かれている小屋の中に居る事に気がついた。
倉庫か何かなのだろう、でもどうして幻想郷に機械があるのか。
外の世界とは違い、この幻想郷には機械類は殆ど存在しないと聞かされているので、この小屋は不可解な場所であった。
「輝夜さん、僕達は一体……」
「あの天狗をあなたが助けた後、私達は天狗達に拉致られて河童の住処に連れて来られちゃったのよ」
「ら、拉致!?」
にこやかな笑顔でなにとんでもない事を言っているんだこのお姫様は。
拙い、こんな事態を招いた事が八意先生の耳に入ったら、多分僕の命は無い。
あの人は輝夜さんに対して少々……いやかなり過保護な面がある、それはもう鈴仙さんに影で「親馬鹿」と呟かれるくらいに。
……嫌な汗が出てきた、そんな僕の様子に気がついたのか輝夜さんは苦笑を浮かべる。
「真に受けすぎよナナシ、半分は冗談なんだから」
「……半分は?」
「そもそも私が天狗なんかに遅れを取るわけないじゃないの、ただ倒れたあなたを休ませてあげたかったからおとなしくしていただけよ」
だからこれ以上ここに居るつもりはないと、輝夜さんは立ち上がり倉庫の扉を開いた。
外に出る輝夜さんの後を追い僕も外に出て……目の前に広がる光景に、目を見開いたまま固まってしまった。
――最初に理解できたのは、鼻腔に突き刺さるような血の匂い。
大きめの湖を取り囲むように、木製の小屋が連なりよく見ると湖の中にも建物が見える河童の住処は、地獄に変化していた。
焦燥と悲痛を織り交ぜた声があちらこちらから響き渡り、川原に敷かれた巨大な布の上には多くの天狗達が並べられている。
その殆どが目を背けたくなるような裂傷に苛まれ、苦しげに表情をしかめながらこの地獄が終わってくれる事だけを願っていた。
「…………これ、は」
「さっき消滅させた妖怪の事は覚えてる? あれ……どうやら一匹だけじゃなかったみたいなの。
この山のあちこちに現れて、天狗達がその討伐に駆られたんですって」
「それで、こんなに怪我人が……」
見る限りでも数十人、それにここが河童達の住処だと考えると怪我人はもっと多いだろう。
茫然と立ち尽くす僕に、輝夜さんはあくまで調子を崩さないまま。
「さあ、帰るわよナナシ」
そんな、よくわからない事を言ってきた。
「こんな様子じゃ残念だけど、今夜の夕食の材料は確保できそうにないもの」
「この惨劇を、放っておくんですか!?」
おもわず、声を荒げてしまった。
けど輝夜さんの発言には、納得ができない。
今この瞬間、目の前で多くの天狗達が苦しんでいるというのに、何もせずに立ち去れと言われ納得できるわけがなかった。
「……あなたが優しいのは知っているけど、じゃあどうするというの?
永琳やイナバじゃあるまいし、私にも貴方にも薬の知識なんて存在しないし材料だって無い。
それにさっき天狗達に襲われそうになったのを忘れたの?」
「それ、は……」
冷静に、淡々と、輝夜さんは食い掛かった僕を諭すように正論を並べる。
彼女の言っている事は正しい、これ以上僕達がここに居た所でできる事など……。
「…………」
いや、それは違う。
確かに僕には傷を治す薬の知識など無い、あくまで八意先生や鈴仙さんの手伝いくらいしかできない。
だけど、この身には普通の人間には決して宿らない力がある。
「よしなさい、ナナシ」
これから僕が何をしようとしているのか、何を考えているのか。
全て判った上でそう言い放つ輝夜さんの声が、妙に頭に響き渡る。
「さっき倒れたのをもう忘れたの?
ここで何もしなくとも、貴方に責は無い。これだけの数に対してさっきの力を使えば、意識を失うだけでは済まなくなるわ」
またしても、輝夜さんは正論だけを口にする。
あの力は僕にとって分不相応、たった1人でも意識を失ったのに、数十という数に使おうとすれば肉体ではなく精神が焼き切れるのは目に見えていた。
先程体験したあの痛みを思い出すだけでも、身体が震える。
それだけで決意が揺らぎそうになる、けれど。
「……すみません、輝夜さん」
「…………」
「痛いのも苦しいのも嫌だけど……それ以上に、何もしないで見て見ぬ振りをする方が嫌だから」
頭を下げ、その場から駆け出す。
あの力の正体は判らないけれど、正しい使い方は理解できている。
そして、この地獄を皆が乗り越えられるようにする事こそ、僕の思う正しい使い方だと思ったから。
「すみません!!」
「えっ? ――あっ、君は確か竹林のお姫様と一緒に居た」
忙しなく動き回っている1人を、強引に呼び止める。
青髪を左右2つに束ね、水色の上着と緑のキャスケットを身につけた小柄な少女は、僕を見て驚きつつもどこか安堵したような表情を浮かべていた。
「僕にも手伝わせてください!!」
「え、だけど……君には関係ない事なんだよ? 気持ちは嬉しいけどさ……」
「いえ、このまま何もしないなんてしたくないんです。それに僕には傷を治す力があります!!」
「傷を治すって……じゃあ、天狗様が言っていたように“椛”の傷を治してくれたのは君だったの?」
椛、という名前には聞き覚えはなかったが、すぐに先程の天狗の少女だと理解し、頷きを返す。
すると女の子は少しだけ考えるような仕草をした後。
「――いいよ。でも一応変な事をしないか見張らせてもらうから」
妥協するようにそう言って、僕の申し出を受け入れてくれた。
勿論と僕は頷き、その少女についていく。
「時間がないから名前だけ名乗っておくね、私は河童の
「僕はナナシです、河城さん」
「にとりでいいよ」
河童の女の子、にとりさんについていった先は……簡易性の医療所であった。
川原と同じように多くの天狗や妖怪達が並べられ寝かされているが、その身に刻まれた傷はより重く痛々しいものだ。
おそらくここは特に重傷を負った妖怪達が運ばれてくる場所なのだろう、場に漂う血の臭いが身体を震わせる。
「……大丈夫?」
「っ、だ、大丈夫です!!」
臆してる場合じゃない、ここに来た理由を思い出すんだ。
一度目を閉じ、意識を内側へと押し込む。
思考をクリアにさせてから、僕は重傷者の1人の前に座り込んだ。
見るも無惨な、人間であるのならば死を待つばかりの出血と傷が視界に映る。
改めて妖怪の強靭な生命力に戦慄すら覚えながら、僕は“力”を開放していった。
つい先程も使用した恩恵か、多少の精神集中で内側に宿る光へと到達し手を伸ばす。
「……光?」
隣で僕を見張るにとりさんの声を何処か遠くから聞きながら、両手に宿った光を重傷者へと手渡すように開放する。
黄金の光は重傷者の身体を覆うように光り輝き――少しずつけれど確実に、刻まれた傷を治していった。
いや、これはもう治療というよりも復元に近いかもしれない、自分の指が容易く埋め込めそうな裂傷すら映像の逆再生を見るかのように戻っていくのだから。
「――――ふぅ」
気がつくと、全身がぐっしょりと汗で濡れていた。
同時に脱力感と頭痛に苛まれるが、さっきのように気絶しないだけマシだというものだ。
どうやら相手の傷の深さによって力を使った時の反動も変わるらしい、これならまだ……。
「っ、あ、ぐ……」
少し油断した僕に対する戒めなのか、頭痛が一気に酷くなった。
おもわずうずくまりそうになるのを堪えながら、視線をにとりさんに向けると。
「ちょ、ちょっと! 酷い顔色だよ!?」
よほど酷いのか、血相を変えて心配されてしまった。
「大丈夫、です……それよ、り、次の、人を……」
口が上手く動かせない、それでもどうにか立ち上がって隣に横たわる次の重傷者の元へと向かった。
大丈夫だ、まだ意識はあるし感覚だって残っている。
今の自分にできる事を、まだ理解に至っていないこの力を使って助けられる命を助ける事がやるべき事だ。
「ふぅぅぅぅ……」
強引に痛む身体を落ち着かせながら、次々に怪我人に力を注ぎ込んでいった。
2人、3人……10人を超え、しかしまだ終わりは見えない。
「も、もういいよ。やめなって!!」
「えっ……?」
突然のにとりさんからの制止の声に、手が止まった。
視線を向けると、何故か彼女は何か得体の知れないものを見るような目で僕を見つめていた。
どうして彼女は僕をそんな目で見るのか判らず、呆けた目を向けてしまう。
「君、今自分がどんな顔になっているか判ってるの? 今にも死にそうなくらいに顔色が悪くなってるし、もうやめなって!!」
「…………」
成る程、どうやら想像以上に酷い顔になっているらしい。
使えば身を滅ぼすのは判っていた、だから輝夜さんだってわざわざ止めてきた。
――それが、どうしたというのか。
辛いのも苦しいのも、初めから理解していた。
それでもこの力を使いたいと思ったのなら、最後までその意地を貫かなければ。
くだらない意地でも、無謀な考えでも、関係ない。
「……ありがとうございます、にとりさん」
「ナナシ……?」
僕のようなただの人間が、こんな力を持っているのには何か意味がある筈だ。
それが何なのかはまだ判らないけれど、今ここで苦しんでいる妖怪達を助ける事は、きっと正しい使い方だと思ったから。
だから、途中で投げ出す事も諦める事もしたくない……!!
「は、ぁ……」
大丈夫、大丈夫だと己に言い聞かせていく。
思い込みの力もなかなか侮れないのか、そう思うと少しだけ身体の痛みが和らいでくれたような気がした。
「よしっ……」
この思い込みがどこまで続くか判らない以上、急がなければ。
再び精神を内側へと沈ませ、治療を再開した。
■
「――こうして、ナナシの力によって妖怪達に犠牲者は出なかったのでした、めでたしめでたし!!」
「ほえー……」
「へー……」
楽しげに話を締めくくる輝夜さんに、鈴仙さんは驚きてゐさんは珍しく感心したような声を放つ。
……妖怪の山の一件を終え、色々と根掘り葉掘り聴かれる前に永遠亭に帰ってきた僕達だったのだが。
「……どこへ、行っていたのかしら?」
入口で仁王立ちをしながら、それはもう色々な意味で目を逸らせない笑顔を貼り付けた八意先生とエンカウントしてしまった。
その迫力に圧され、事の顛末を話した結果――僕と輝夜さんは揃って正座させられ八意先生からガミガミとお説教を受ける羽目となってしまう。
まあ、妖怪の山という人間の僕にとっては危険地帯に足を踏み入れただけでなく、力を多用したのだから八意先生が怒るのも当然だ。
で、足が痺れた動けなくなった僕を尻目に、輝夜さんは鈴仙さん達に今回の件を面白おかしくまるで絵本を読むかのように話し始め現在に至る。
かなり脚色して、僕がヒーローのような扱いをするものだから少し恥ずかしい。
「ナナシさんの力って、本当に凄いんですね……」
「いや、無我夢中でしたし1人を治療する度に疲労困憊になりましたから……」
今だって深刻ではないものの、頭痛はするし身体の節々が痛んでいる。
……だけど、解せない点が1つあった。
結局、僕が力を用いて治療した数は全部で48人、でもその全ての治療が終わった後も……僕は意識を保っていられた。
勿論唸りたくなるくらいの痛みは全身から響き渡っていたし、気を失っていた方がマシだとも思ったけど、どうにか耐えられるレベルだった。
「ナナシ、どうしたの?」
「あ、いえ……自分で言うのも何ですけど、よく気絶せずに治療が続けられたなって」
「ああ、そんなの簡単よ。だって私の能力で貴方へと掛かる負担を遅くしたんだから」
「……えっ?」
あっけらかんと、輝夜さんはよくわからない事を言い出してきたので、おもわず彼女を凝視してしまう。
「今だってそうよ、私の能力を用いて貴方に襲い掛かっている負担を少しずつ遅らせて日常生活を送れるようにしているの。
まあ暫くはその痛みや軽い眩暈に襲われるけど、そうしなかったら貴方の身体は負担に耐え切れずに壊れてしまうだろうから我慢して頂戴ね?」
聞き捨てならない事を平然と言い放つ輝夜さんに、開いた口が塞がらなかった。
いや、壊れるってそんな簡単に……。
「それだけの力なのよ、ナナシが用いた力は。
人間の肉体や精神程度では決して宿ってはいけない異端の力、それをちゃんと理解しないといつか本当に壊れてしまうわ」
「…………」
初めて見せる、厳しい表情で放つ輝夜さんの言葉を聞いて、何も言えなくなってしまった。
輝夜さんは本気で僕の身を案じ、この身に宿る力の危険性を理解しているからこそ、僕に警告を促している。
――今の言葉は、決して忘れてはならない。
忘れるなと、己の心に深く深く刻み込んだ。
「はい、そこまでにしておきなさい輝夜」
「そうですよ姫様、夕ごはんにしましょう!」
そう言って、八意先生と鈴仙さんは輝夜さんのリクエストだった鍋を持ってきた。
中身はかぼちゃをメインに謝礼としてにとりさん達から貰った沢山の野菜をふんだんに使ったほうとう鍋。
肉や魚は入っていないけれど、身体だけでなく心を温めてくれるような鍋に、ごくりと喉が鳴った。
「美味しそう!」
「質の良い野菜を用いたから美味しいわよ、これもナナシのおかげね」
「そんな事ないですよ、輝夜さんが協力してくれたからで……」
「謙遜する必要なんかないわよナナシ、貴方はもっと自分の自身を持ちなさいな」
そう言って輝夜さんはにっこりと微笑み、褒めるように僕の頭を撫でてきた。
……この上なく恥ずかしい、八意先生達はこっちを見てニヤニヤしてるし、輝夜さんはそれに気づいているのかますます笑みを深めていく。
ええいっ、僕を玩具にするのはやめたまえっ。
「な、鍋が煮詰まるから食べましょうそうしましょう!!」
「そうね。じゃあ永琳達は先に食べてていいわよ、私はもう少しナナシを困らせ……もとい、愛でるから」
「ちょっと、輝夜さん!?」
抗議の声を上げる僕を完全に無視し、輝夜さんは尚も僕の頭を撫で回してくる。
完全に愛玩動物のそれである、僕は犬か何かなのだろうか。
八意先生達は既に意識を鍋に向けながら楽しく談笑しているし、助けてくれないんですかそうですか。
「ナナシは可愛いわねー、こんなに初々しい反応は初めて見るわ」
「……悪かったですね、どうせ僕は女の子に慣れてない男ですよ」
せめてもの反撃にと、悪態を返してみる。
すると、輝夜さんは急に撫でるのをやめたと思ったら。
「――なら、女の子に慣れてみる?」
素早く僕の首の後ろに両手を回し、だんだんと顔を近づけて……。
「こらっ」
「あいたっ」
良い音を響かせながら、八意先生の放った手刀が輝夜さんの頭部へと叩き込まれた。
僕から離れ頭を両手で押さえながらうずくまる輝夜さん、助かった……。
「悪戯が過ぎるわよ輝夜、からかうのはいいけど行き過ぎは駄目」
「……いや、からかう事自体を止めてほしいんですけど」
永遠亭での僕の立場がどんなものなのか、なんとなーく悟れた瞬間であった。
「だって本当に可愛いんですもの。永琳だって私と同じ気持ちでしょ?」
「…………」
「八意先生、なんで黙るんですか?」
この態度は、好かれていると好意的に解釈するべきなのだろうか。
少なくとも嫌われてはいないようだけど、素直に喜べない。
「ナナシさん、一々気にしていたらここじゃ生活できないですから……」
やけに説得力のある言葉を放ちながら、僕に鍋の具が入った器を手渡してくれる鈴仙さん。
……もういいや、鈴仙さんの言う通り深く考えても無駄な気がしたから。
そう自分に言い聞かせ、僕は夕ごはんを食べ始めたのだった。
うん、美味しい。
■
美味しい食事を終え、入浴を済ませると、時刻は夜の九時を過ぎていた。
身体に走る痛みはまだ続いているものの、輝夜さんの能力とやらの恩恵か殆ど気にならない。
軽い筋肉痛程度まで抑えられているのだから、在り難いものである。
「…………ふぅ」
けれど痛みの代わりに、身体の奥底から湧き上がるような熱を感じ、中庭へと赴いた。
冬の空は星空で埋め尽くされ、その輝きはずっと見ていても飽きを見せないものであった。
「……この熱も、能力の反動なのかな」
使えば身を滅ぼす力、それが僕の持つ“癒し”の力。
まだ全容は判っていないけど、あまりほいほいと使用していいものではない事だけはあの痛みで理解できている。
……だけど、もしもの話だけど。
これから先に、今回のような悲惨な光景を前にして、僕は使わないという選択肢を選ぶのだろうか。
そんな出来事に遭遇する度に、あの苦しみを味わいながらも僕は見知らぬ誰かを助けていくのだろうか?
そんな事を繰り返し考えていると。
廊下の方から、足音が聞こえてきた気がして身体と意識をそちらに向ける。
「眠れないの?」
そう言いながら現れたのは、いつもの服ではなく薄い水色の着物を身につけた八意先生であった。
纏めている銀髪は解かれており、普段とは違うその姿におもわず言葉を失ってしまった。
沈黙する僕に、八意先生は僅かに口元を歪ませる。
笑みとは違うその表情に、また別の意味で何て声を掛けていいのかわからなくなった。
「今日は本当にお疲れ様、輝夜の面倒を見てくれて助かったわ」
「いえ、そんな……というより、僕が輝夜さんに面倒を見て貰ったと言った方が正しいですよ」
「ふふっ、ならそういう事にしておくわ」
何が可笑しいのか、くすくすと笑う八意先生に首を傾げる。
それはからかいの意味が込められたものではなく、暖かみのある親愛と感謝を込めたものだった。
と、八意先生は急に笑みを引っ込めたかと思ったら、真剣な表情で僕に視線を向ける。
「……判ってはいると思うけど、もうその力は使わない方がいいわ」
「…………」
八意先生の警告に、僕は反応を返せなかった。
正しいのは八意先生の方だし、僕だってあんな思いは金輪際味わいたくない。
だというのに、肯定も否定もできないとはどういう事なのか。
「自己犠牲は何も生まない、何も残せない。あなたが力を使って苦しめば私は……私達は心配するわ」
「……すみません」
「謝る必要なんかないの。でも今の言葉だけは覚えておいてね?」
優しく諭すような彼女の言葉を、ゆっくりと咀嚼するように心の中に埋め込んでいった。
そうして数分、僕も八意先生も無言のまま視線を交わし続ける。
向けられる視線はただ優しく、母性溢れる暖かいものだった。
その優しさに報いたい、自然とそう思える視線に僕は気がついたら。
「八意先生」
「何かしら?」
「この力を、自由に扱える方法はありますか?」
気がついたら、そんな言葉を口にしていた。
「…………」
八意先生は答えない。
けれど僕が上記の問いかけを放つのを判っていたように、苦笑を零してから改めて僕の問いに答えを返してくれた。
「無理よ。あなたが人間で無くならない限り、いいえ……人間でなくなってもその力を自由に扱える事なんてできないわ」
はっきりと、八意先生はその場凌ぎの嘘など混ぜずに現実を口にする。
自分自身予想はしていたのか落胆は少ないものの、望んでいない答えについ溜め息を吐いてしまう。
「ナナシ、あなたは普通に生きればいいの。そんな力が無くたってあなたは私達永遠亭の一員で家族のようなものなのだから」
「……ありがとう、ございます」
その言葉にも、嘘偽りはないだろう。
それが凄く嬉しくて、口元に浮かぶ笑みが抑えられない。
だけど、心のどこかでその言葉を完全に受け入れられないでいた。
嫌なわけじゃない、身寄りのない僕を助けてくれただけでなく面倒を見てくれている永遠亭のみんなには感謝が耐えない。
僕が受け入れられないのは、その言葉に甘える自分自身だ。
何もできないままではいられない、僕は僕にしかできない事を探さなくてはいけない。
そう思うからこそ、僕はこの力を……まだよく理解し切れていないこの力を、自由に扱いたいと願っていた。
「明日も仕事があるのだから、もう寝なさい」
「はい、おやすみなさい。八意先生」
おやすみ、そう言って八意先生は自室へと戻っていく。
その後ろ姿を見送ってから、僕は再び冬の空を見上げた。
「……僕は、何ができるんだろう」
ぽつりと零した呟きは、すぐに空へと消えていった。
答えは出せず、僕はそのまま部屋へと戻り明日に備えて眠りに就く。
いつかは、さっきの言葉の答えが見つかりますようにと祈りながら……。